8月24日に地方通算1,000勝を達成した青柳正義騎手。自身2回目の地元リーディングに向け、現在勝ち星トップに立っています。リーディングを狙う意気込みや、近年、毎年のように馬場傾向が変わる金沢の砂、11月に控えるJBCのことを伺いました。
1,000勝達成、おめでとうございます。残り3勝くらいからプレッシャーがあったとか?
ありがとうございます。100勝や200勝はそんなに気にならなかったんですけど、1,000勝となると意識しちゃいました。自覚はなかったんですけど、近づいてくるとプレッシャーが予想よりもあったのかもしれないです。
メモリアル勝利のモアナスターは移籍初戦の馬でした。逃げて4コーナーでは2着の兼子千央騎手に前に出られましたが、激しい接戦を制して勝ちましたね。
調教をずっとつけていて、条件的にも馬の能力的にも勝たなきゃいけないところだったんですけど、男馬で暑さに参っているところがあったので、少し不安な面はありました。4コーナーで兼子騎手に一瞬、前に出られましたけど、馬が頑張ってくれました。直線は「ここで負けたらマズい」と思いました。自厩舎の馬で、一番お世話になっている厩務員さんが担当されていたので、どうしても決めたかったです。ゴールの瞬間はホッとしました。
モアナスターに騎乗して地方通算1,000勝を達成
重賞戦線では今年、ファストフラッシュで金沢スプリングカップを勝ちました。
気性が素直すぎるというか、金沢だとポンと行っちゃうとハナや2番手になってハミを取ってしまうんですけど、去年1年を通してだいぶ成長して、今年はだいぶ辛抱が利くようになったので重賞も獲れたのかなと思います。いまは骨折して回復待ちなんですが、1,000勝目を挙げたモアナスターの弟で、厩務員さんも一緒なんです。
4月25日、ファストフラッシュで金沢スプリングカップを制覇
そんな繋がりがあったとは。現在、金沢ではリーディングに立っています。
まだ今年の後半戦がありますが、去年は大きなケガをして順調さを欠いたので、今年は頑張らなきゃなと思っていました。前半で思った以上に勝たせていただいた分、夏場になって少し勢いが止まり気味ではあるんですけど、後半戦に向けて巻き返していけたらと思います。
金沢は2018年は内ラチ沿いが圧倒的に有利でした。開幕前に馬場改修が実施された2019年、砂の産地が変わった今年と、毎年のように馬場傾向が変わっています。現在はどうですか?
今年は砂を変えてすごく走りやすくなりました。馬も楽そうには走っているんですけど、時計は結構出ていますよね。騎手として一番良かったなと思うのは、砂を被っても痛くないことです。以前は砂の目が粗くてすごく痛かったんですけど、いまは全然気にならなくて、砂を被るのを嫌がっていた馬でも案外辛抱できるようになったりもしています。今のように内ラチ沿いを開けると展開的には乗りづらい面が出てくるんですけど、2018年のようなレースよりは安全だなと思います。
現在の馬場での脚質や展開の有利不利はどう感じますか?
金沢はフラットで乗りやすい馬場なので、2~3番手での先行が有利で、少々外を回っても大丈夫です。ただ、ペースが速くなりすぎたら差しも決まります。枠は1~2枠だと、内の砂が重たいので乗りづらい面はあります。
今年は金沢でJBCが開催されます。前回は2013年に行われましたが、当時の雰囲気はどんな感じでしたか?
金沢にあんなにお客さんがたくさん入ったのは初めて見ましたし、あれだけの観客の中でレースに乗るのは騎手冥利に尽きます。1レースから入っている人の数が違ったので歓声もすごくて楽しかったです。
2回目のJBC開催に向けてパドックも綺麗に整備されたようですね。
馬が歩く部分のウレタン舗装を替えて、真ん中の部分も芝生から人工芝に替えて綺麗になっています。
関係者同士でJBCの話はしますか?
もちろん出ます。コロナのご時世なので何とも言えないんですけど、可能であればお客さんは入れたいですよね。
最終的には行政を含め主催者の判断になるでしょうが、コロナを抜きで考えると、せっかくのJBCですからたくさんのファンに来てもらえるのが一番ですね。さて、このあとの目標を教えてください。
いまの順位をキープしてリーディングを獲れたらな、というのと、怪我なくというのが一番です。1年を無事に終えることが成績的にも一番なのかなと思います。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
JBCがあるので、金沢競馬場もどんどん綺麗にしていますし、僕らも気合いが入っています。普段、見ない方でもこれをきっかけに金沢競馬の馬券やレースを気にしていただければ幸いです。吉原寛人騎手もいますし、僕らも吉原さんに負けないように頑張っているので、ぜひとも金沢競馬場の応援をよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子(写真:石川県競馬事業局)
林和弘調教師は6月24日の門別第6レースで通算1,000勝(地方・中央)を達成。ホッカイドウ競馬では現役6人目の快挙を達成しました。今シーズンはラッキードリームでホッカイドウ競馬の3歳三冠制覇を達成し、史上4人目の"三冠トレーナー"の称号も手にしています。
97年の初出走から、およそ24年で通算1,000勝の大台に到達されました。この数字についての率直な印象はいかがでしょうか。
まあ長くやっているのでね。数字はともかくとして、ここまでやってこられたのは、馬主さんやスタッフのおかげだと思っています。
8月5日終了時点で重賞競走も42勝されています。これまでの調教師人生のなかで、印象に残っている馬やレースがあれば教えてください。
バンブーボカで交流重賞をクビ差負けした(2004年宇都宮・とちぎマロニエカップGIII)ですかね。道営記念を勝つようになる(05年)まで成長してくれただけに、グレードレースを勝たせてあげられなかったのが悔いとして残っています。もちろん、勝ったレースはどれもうれしいですが、負けてしまったレースでいちばん思い出に残っているのは、やはりそれでしょうかね。
元々JRAでデビューできず、ホッカイドウ競馬へ移籍した馬だったかと思います。調教するにあたって、難しい点などはなかったのでしょうか。
それは特に感じなかったですね。持って生まれた力を出してくれましたから。馬の能力は生まれつきである程度決まっていて、それを「調教で走らせた」というのは、人間のおごりではないかと思うんです。馬を調教していくにあたっては、馬の能力、成長力を阻害しないことが一番大事でしょうね。
以前は門別や旭川、札幌など、各競馬場を移動する開催形式でしたが、現在は門別に開催が一本化されました。調教のスタイルなども変化はあったのでしょうか。
門別に集約されたのもそうですが、やっぱり屋内坂路コースができたのが大きいですよね。馬場での調教だと6~7くらいしか出せなかった能力が、坂路で調教できるようになると、9~10の力を出せるようになったような気がします。
ホッカイドウ競馬は2歳馬の入厩頭数が多いですが、例えば若い馬を扱ううえで意識していることは何でしょうか。
「2歳馬だから」といって特別に気をつけるようなことはありませんが、2歳のうちに力を出し切ってしまって、古馬になって能力を発揮できないということにはならないようには意識しています。早い段階からあまり無理使いをしないように。古馬になってからも力を発揮できるよう、態勢を整えるようにはしているつもりです。
ショウリダバンザイやリンノレジェンドなど、2歳時に林厩舎のもとでデビューし、古馬になってから活躍する馬も多いですよね。そういった意味では、昨年JBC2歳優駿を制したラッキードリームが、今年のホッカイドウ競馬3歳三冠を達成しました。同世代のリーチともども、セリで購買された馬だったと思いますが、第一印象はどうだったのでしょう。
2頭ともセリの段階から見てきたんですが、馬体の見た目が良かったですよね。馬の好みは人それぞれの部分もあるので、いい馬の定義っていうのはなかなか難しいですが、ラッキードリームのほうは、親父(林正夫オーナー)もひと目見て気に入ったみたいでね。リーチに関しては、オーナーが芦毛の馬を欲しがっていたんですが、セリに出ていた芦毛の馬のなかでは「いい馬だな」と思いましたし、値段を考えてもちょうどいいと思ったんですよね。オーナーや佐賀の真島(元徳)調教師とも一緒に見たんですが、皆さん気に入ったようでした。2頭とも期待以上の活躍をしてくれましたし、特にラッキードリームは、JBCまで勝ってくれましたからね。
王冠賞(7月22日)を制して三冠を達成したラッキードリム。リーチ(右)は3着
ラッキードリームの三冠までの道のりについて教えてください。
うちの厩舎にいた厩務員が不祥事を起こしてしまい、昨年の12月から1年間、北海道と岩手の限定免許になってしまったんです。リーチもそうだったんですが、全日本2歳優駿に向かう際は櫻井拓章厩舎に転厩して臨むことになりました。馬に罪はないんですが、転厩せざるを得なかったことで、オーナーに迷惑をかけてしまいましたね。
ラッキードリームについてはかねてから、今年は北斗盃から始動するつもりで考えていました。レースを1回使うと、我々が思った以上に負担がかかるものですから、無理使いせず、馬のことをいちばんに考えたローテーションで臨んだつもりです。
北斗盃は初の内回りを克服しての快勝でした。
やはり今年初戦ということもあったので、正直なところ、力関係がどうなっているのかというところが不安だったんですよね。それがいざレースになると、能力の高さをあらためて証明してくれる内容だったので、ホッとしましたね。
それからほぼ1カ月間隔で三冠制覇となったわけですが、中間の馬の様子はどうだったんでしょう。
いい意味で大きな変化はなかったんじゃないでしょうかね。調子の波もなく、順調に来てくれたと思います。馬体重が500キロを超えたので、そういう意味では、2歳の頃と比べての成長もあったんじゃないでしょうかね。
リーチも三冠戦線で2、2、3着と安定した走りを続けました。2頭の今後について教えてください。
ラッキードリームはダービーグランプリ(10月3日、盛岡競馬場)へ直行しようと思います。少しレース間隔はあきますが、無理せず、いつも通り進めていければいいですね。各地の力のある馬も出てくると思いますが、うちの馬でも十分通用するような力はあると期待しています。
リーチについては、三冠では距離が伸びたなかでもいい結果を出してくれたと思いますが、本質的には1400から1600くらいまでの方がいいのではないでしょうかね。今後については、門別では短めの距離を中心に使っていって、もし出られるようであれば、楠賞(11月2日、園田競馬場)へ出走できればと思っています。
三冠で2、2、3着だったリーチ
林調教師自身の、今後の目標についても教えてください。
目標......何だろう?(笑)。まあ馬も人間も健康で、1日でも長く続けられたらと思いますけどね。これから1歳馬のセリも本格化しますが、いい馬を見つけて、自分の厩舎で結果を出していければ喜ばしいですよね。
林調教師は北海道調騎会の会長も務めていらっしゃいます。昨年はホッカイドウ競馬の馬券発売額がレコードを更新し、今年の売り上げもそれを上回るペースです。
コロナがきっかけで、多くのお客さんに知ってもらえたのが大きいですよね。そんななかでも、お客さんの期待に応えるべく、馬に携わっている一人ひとりと、公社(ホッカイドウ競馬を運営する一般社団法人北海道軽種馬振興公社)の皆さんががんばっているおかげだと思います。
ラッキードリームはホッカイドウ競馬史上6頭目の三冠馬
では最後に、オッズパーク会員の皆さんへメッセージをお願いします。
いつもホッカイドウ競馬の馬券を買っていただき、本当にありがとうございます。これからもみんなで一生懸命やって、少しでも、皆さんに楽しい競馬を見せられるようがんばりますので、これからも応援のほどよろしくお願いします。
林和弘調教師は、令和3年9月4日(土)にご逝去されました。
故人のご功績を偲び、心より御冥福をお祈り申し上げます。(2021年9月6日追記)
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※インタビュー・写真 / 山下広貴
デビュー1年目に重賞初制覇を果たし、この7年は地元リーディング6位以内と、堅実な活躍を続ける大山真吾騎手。兵庫ダービーはこれまで2着2回、3着2回と手が届きかけたものの、意外にも未勝利でした。しかし今年6月10日、ついにスマイルサルファーで兵庫ダービー初制覇を果たしました。待望のダービージョッキーとなった今の心境とは。
兵庫ダービー制覇、おめでとうございます!一番喜びが沸いてきたのはいつでしたか?
次の日に「あ~、勝ったんやなぁ」という感じでした。1回は勝ちたいレースですね。
スマイルサルファーにはデビューから騎乗しています。最初の頃の印象はどうでしたか?
デビュー前の発走検査と能力検査から乗って、「そこそこ走ってくるかな」とは思いましたけど、当時は「普通」という印象でした。新馬戦を勝った後にすぐ牧場へ休養に上がって、帰ってきてから西脇トレセンへ能力検査に乗りに行った時に、「これは走るな」と感じました。成長したのか、いい休養になったのか、その辺りは分からないですけど、パワーアップして帰ってきました。
スマイルサルファーにとって兵庫ダービーが重賞初制覇でもありましたが、これまでで一番変わったと感じるのはその時ですか?
2歳10月のJRA認定レースを勝った後にまた休養に上がって、休養明けの兵庫ユースカップからはずっと強い相手とやってきたので力をつけてきたんじゃないかなと思います。兵庫ユースカップの時は休み明けが響いたかな、という感じのレースぶり。菊水賞は初めての距離でもしっかり走ってくれました。その辺りで「どこかで重賞を勝てるじゃないかな」と思いました。
兵庫ダービーの本場馬へ向かうスマイルサルファー
兵庫ユースカップ、菊水賞とともに4着でしたが、着差は詰めてきていましたね。続く5月14日の3歳A特別は菊水賞馬シェナキングにクビ差まで迫り、兵庫ダービーを迎えました。
差が縮まったかな、とは前哨戦で思っていました。兵庫ダービーは道中は内でずっと溜めたいなと思っていたので、内枠が当たったのは良くて、最後でどこか外に出られたらと思っていました。理想的な流れにもなりました。
3~4コーナーで大外からグーンと伸びてくるシーンを見て、4年前のスリーピーアイで2着の悔しさを思い出した人も多いと思います。
僕は全然(笑)。必死で、「なんとか」という感じでした。スリーピーアイの時は着差が着差(アタマ差)でしたし、「交わせるかな」と思っていました。でも、川原(正一)さんとブレイヴコールがもうひと伸びした感じでしたね。
今回は3頭横並びでしたが、きっちり差していました。勝ったと分かりましたか?
ゴール後、ゆっくり帰ってきていて、厩舎スタッフとかみんなが「勝った!勝った!」と言っていました。僕は確定するまでは「ホンマに勝ってるんかな?」と確信は持っていませんでした。
兵庫ダービーはゴール前3頭横一線の接戦を制した(手前、写真:兵庫県競馬組合)
大山騎手はこうして豪快に外から差す印象が強いです。YouTube生配信『オッズパークLIVE』でも競馬ブック・松原秀隆トラックマンが「人気薄の無欲の差しで、外を回してくる時によく馬券に絡む印象」と話していました。
馬場にもよりますけど、勢いがついたらブレーキをかけるよりかは少々ロスをしてもいいのかなと考えています。
松原TMとは幼馴染だそうですね。立場は違えど、同じ職場ってすごいですね。
小中学校と同じで、部活も塾も一緒でした。当時、競馬の話をそこまでした記憶はないですけど、競馬キンキ(2021年2月に休刊)に入社したと聞いた時は「なんで?」って感じでした(笑)。
さて、晴れてダービージョッキーとなったわけですが、大山騎手にとって兵庫ダービーとは?
馬も一度しか出られないですし、重みがあるレースだと思います。なかなか獲るのが難しいレースじゃないかなと思いますけど、木村(健)さんは5回も勝っていますもんね(笑)。すごいと思います。
木村元騎手(現調教師)は初ダービーまでは少し時間がかかりましたが、1回勝つとポンポンと勝っていきました。大山騎手も"ポンポン"があるんじゃないですか?
そうなればいいですけど。気持ちとか乗り方に変化があるのかどうか、来年も乗っていれば分かるんじゃないですかね。
園田・姫路では新人騎手が3名デビューしました。減量を生かしたレースが目立ち、展開がこれまでとは変わってきました。
3キロ減や女性騎手は4キロ減なので、一緒のレースやったらどれだけ追いかけたらいいのかは考えますね。逃げたらなかなか止まらないので、意識します。かと言って、追いかけると自分が止まっちゃいますしね。3人もいるので、一緒に乗っていたら難しいです。
そうした中、大山騎手もどんどんキャリアを積み重ねています。今の目標などは?
最低でも年間100勝はしたいなと思いますけど、去年が勝てなかったので......。そこが最低ラインかな。あとは毎年重賞を勝ちたいなと思っています。
最後にオッズパーク会員へメッセージをお願いします。
スマイルサルファーで今後、遠征に行く予定です。7月19日には西脇へ自主参加の能検に乗りに行ってきました。相手も強くなりますけど、よその大きいレースへ使いに行っても応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
今や高知競馬を象徴するレースのひとつとなった福永洋一記念。今年は5月3日に行われ、1番人気スペルマロンが初制覇。コンビを組む倉兼育康騎手にお話をうかがいました。
福永洋一記念制覇、おめでとうございます。
ありがとうございます。福永洋一記念にはみんな特別な思い入れがありますし、僕自身は2度目の制覇ですけど毎年本当に勝ちたいレースなので、勝つことができて嬉しいです。去年(スペルマロンで)3着に負けていたので、今年は絶対に勝ちたいという気持ちが強かったですから。状態が良くて自信もありましたし、馬もよく頑張ってくれましたね。
昨年と比べると、さらに強さが増した印象です。
そうですね。気性的に難しい部分があるんですけど、以前と比べると先頭に立ってからやめなくなりました。だからこちらとしても、早めに先頭に立つ強気な競馬ができるようになったというのはありますね。
スペルマロンで福永洋一記念制覇(写真:高知県競馬組合)
どんなところが難しいんですか?
調教でも追い切りでも、イヤになると全然行かなくなってしまうんです。だからそういうところを出させないように、気を使って工夫しています。黒船賞は2回とも結果は良くないですけど(6着、7着)、一度もしっかりハミを取って真面目に走ったことがないんですよ。今年はもうちょっとやれると思っていたんですけど、真面目に走らせることができなくて......。そこは今も心残りですね。ただ、去年よりは真面目になってくれたと思います。前は仕掛けどころが難しかったですけど、今はレースがしやすくなりました。
転機というわけではないですが、昨年8月のミッキーロケット賞でスタート直後に落馬競走中止してから後のレースは、成績が安定しているように感じるのですが。
正直、そこが転機だったと思いますよ。あの後からもう一段強くなりましたよね。ただ、馬というよりも僕自身の気持ちだと思います。先ほども言いましたけど、先頭に立つとやめてしまうところがあるけれど、逃げた方が強いんじゃないかと思っていて。なかなか試せなかったんですけど、あの時は「逃げよう」と思って出して行ったんです。そうしたらコケたんでね......。それからはゲートを出てから考えています。
距離の幅が広く、1,300mから2,400mまでの重賞を勝つというのは、なかなかできないことだと思います。
珍しいですよね。これだけ距離に幅があるというのはいないですよ。スペルマロンの後にもJRAからもっといい成績の馬たちが移籍して来ましたけど、同じようにはいかないですから。相当能力が高いと思います。
一番の適距離と言われたら、どの距離ですか?
長ければ長いほどいいと思います。長い距離で他の馬たちがバテていっても、この馬はバテないですからね。もちろん短い距離でも対応できますけど、乗りやすいのは長距離です。
高知の重賞の中で、1,400m戦だけ勝ってないというのは、何かあるのでしょうか?
僕自身は1,400mでもまったく問題ないと思いますけど、勝ってないというのは何かあるんですかね。前回の(地元同士で)1,400mの重賞は1月の大高坂賞ですけど、あの時は2,400m戦の後の1,400m戦で、1コーナーで遊ばれてしまって......。そこから全然ハミを取らなかったんです。集中し切れていない状況でしたがそれでも2着なので、ちゃんと走ったら負けないだろうなと。普段からやんちゃなので、いつ振り落とされるかと思いながら調教に乗っていますが、いろいろな距離で本当に頑張ってくれる馬ですよね。この後は1,300mのトレノ賞(7月18日)の予定で、今年はもう全部重賞狙っていきたいです。
オールマイティに距離をこなすスペルマロン(写真:高知県競馬組合)
今度は倉兼騎手自身のことを伺います。今年ここまで68勝(2021年6月22日現在)、リーディング2位と好調です。
なんだかんだで勝たせてもらっています。今年はとにかく怪我をする騎手が多くて、永森(大智)君、西川(敏弘)さん、(宮川)実君も怪我して休んでいた時期がありますから。怪我しないようにってみんなに言っています。僕自身もそこは気をつけていますね。
現在通算1,980勝と、2,000勝目前です。
今はとにかくそこが目標です。2,000勝したら、全国で一番下手な騎手が2,000勝するんですよ。僕が2,000勝なんてありえないという技術のレベルだと思っているので。
ご自身ではそう感じているんですね。
上手いと思ったことはないです。もちろん、勝ちたいとか、この子らには負けたくないとは思うけど、だから上手かといったら上手いわけではないですから。よく乗せてもらえるなと、周りの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそ2,000勝したいという気持ちも強くて。こんな下手でも勝てるんだよって、周りの子らが感じて頑張ってくれればいいなと思います。
高知は若い騎手も増えましたし、売り上げも好調でいい波に乗っていますね。
本当にありがたいです。注目度が上がって売り上げが伸びていることに感謝していますし、賞金が上がったこともありがたいです。ただ今の状況が当たり前ではないですし、現状に満足するのではなく、もっと欲を出して上を目指そうという若い子が出て来てくれたら嬉しいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願い致します。
いつも高知競馬を応援していただきありがとうございます。高知の関係者一丸となって頑張っていきますので、これからも応援よろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋
5月9日ばんえい第7レースで管理するムサシブラザーが勝ち、通算2,000勝を達成した久田守調教師(68)は、騎手としても2,103勝を挙げ、ばんえい史上初の騎手・調教師での2,000勝を達成しました。競馬場に来て50年という今年、6月7日現在23勝とリーディングトップで、調教師会長としても奔走しています。
北見市出身ですね。騎手になるまでの経緯を教えてください。
気がついたら競馬場にいた(笑)。親は道営競馬にいて、千島一巳さん(道営の元調教師)などと知り合いだったんだ。まだ小樽市銭函で競馬をやっていた頃ね。
高校を卒業して競馬場に入って、次の年(1972年)に騎手になり、山本正彦調教師の父、山本幸一(ゆきかず)さんに世話になった。馬を大事にした人だったな。上手にかわいがって、走らせて。当時はそして金山明彦騎手(現調教師)、山田勇作さん、木村卓司さん、工藤正男さんなど、そうそうたる騎手がいた。デビューした年は3勝、翌年2勝だよ。
5月9日第10レース、カーネーションカップをシンエイボブで勝利し2001勝目(左から2人目)
でもそこからぐんぐんと成績をあげましたね。1978年には56勝、80年には80勝で8年連続リーディングだった金山騎手の2位。88年には前年の82勝(6位)から130勝と大幅に勝ち星を増やし、ついに金山騎手を逆転してリーディングです。88、89、91、92年と4度のリーディング騎手になりました。89年は当時の年間最多勝となる155勝、92年は161勝で記録を更新。1996年に当時史上2人目となる通算2,000勝を達成しました。勝ち星が増えた理由を教えてください。
どうやったんだったかな(笑)。昔の競馬は12月までで、春まで競馬がなかったでしょう。その時に、北見の山で調教をしていたんだ。山ごもりみたいなもんだ。障害よりもきつい急斜面の林道を上らせる。馬を動かすということがどういうことかを学んだ。馬を見る目が変わり、結果が出るようになったな。1988年からは勝利数も3ケタになった。競馬が面白かった時代だね。馬券が売れていた時で1日3、4億。木造スタンドで投票所には行列ができて、売り上げの計算だってそろばんはじいていたんだからね。投票用紙をゴムバンドで縛って、黒板にチョークでメモをして。
頭脳派なんですね。騎乗していて熱気は感じましたか。
迫力がすごかった。まだ馬を使っているファンが多いから、レース中も横に来て、馬を這わせるタイミングで声が入るんだ。下げて、前に出そうとすると「よいしょー!」って。
1995年はまなす賞をシャトルシンザンで勝利(主催者提供)
その時代を見たかったなぁ。それにしても先生、昔の写真を見てもとても細いですね。1996年12月に43歳で引退しました。
体重は50キロ台だったから、なくて苦労した。当時は体重制限が72キロで、それでも20キロくらいの弁当箱(重量を調整する重りを入れる箱)を持っていた。騎手をやって25年。体重がないので体に無理がかかっていた。毎日マッサージなど体のケアをしながら続けていたので、ここらがやめどきかなと。自分でいうのもなんだけど、のめり込んでやってしまうところがあるから。
頑張り屋の性格なのですね。騎手時代に思い出のある馬はいますか。ばんえい記念(農林水産大臣賞典)はニユーフロンテヤ、タカラフジで2勝していますね。
普通なら重賞を勝った馬の名前を挙げるんだろうけど、覚えているのは走らなかった馬だな。山を上がらなかったり、出走停止になったり。
ニユーフロンテヤは一度障害が悪くなったので、調教で障害練習を仕込んできた。おもちゃが壊れたら一度分解して直すように、馬も直していく。昔は障害もきつかったからね。今は馬場が軽いし、障害も低く、バイキさせなくても障害を登れる。昔は障害が3つあったから。1障害と2障害の間に30~40メートルくらいの高さの障害があって、旭川が一番大きかったな。バイキは腕だけでは馬に伝わらない。ボートを漕ぐとき、背中を反らすでしょう。あんな感じでしっかりバイキさせて、声を出すことが大事。ビデオを見たらわかるよ。
そして調教師になりました。調教師7年目の2003年度には、それまでの年間最多勝記録(96勝)を6季ぶりに塗り替え、107勝を挙げて初のリーディング。馬の健康管理を科学的に考えたいと、サラブレッドの獣医師に話を聞くなどしていたんですよね。
最初は馬が少なかったから、預かった馬を自分で調教していた。騎手は「乗りやすい」と言ってくれた。騎手時代から世話になった馬主さんは今でも預けてくれています。そういうの(勉強)好きだからなぁ。平地競馬だって、同じ馬を触っているんだから共通しているところもあるし、違うところも取り入れて勉強すれば違う発見もある。同じアスリートで、陸上選手と相撲取りのようなところがある。
久田先生といえば映画『雪に願うこと』では女性騎手役の吹石一恵さんに騎手指導をしましたよね。
彼女は始めから運動神経がすごかった。プロ野球選手の娘さんだからなのか、簡単に覚えていく。手伝わなくてもすっかり乗れるようになった。
それと、2016年のJRAジョッキーDAYでルメール騎手に手を取って教えたんだ!! こんなのって一生に一度だし、この2つは宝だね。
ルメール騎手に教える久田調教師
思い出の馬は苦労した馬でしょうか。では、私から何頭かリクエストします。まずはカーネーションカップを勝ったシンエイボブ。
ボブは、馬品がいいというのか、厩舎にいると牡馬が騒ぐんだ(笑)。幅もある。重賞まであと少しというところで勝つことができた。
ギンガリュウセイはセン馬というのもあったけれどおとなしくて、子供でも触れる馬。休養中に病気で命を落としてしまったが。オーナーの田中春美さん(JRA田中勝春騎手の父)とは、1999年ばんえいダービー、2,000年銀河賞を制したシンカイリュウが最初。平地競馬とのつながりはここからだね。シンエイキンカイは手がかからない馬だったな。街中で馬車を引いているムサシコマは、素直で真面目。おとなしかったよ。
現役馬だと、ヤマトタイコーは、いい雰囲気を持っている。もっとうまく乗り込んでいけば、上を目指せる馬。おとなしく力持ちだね。
ウンカイタイショウは、頑張っている馬だな。ウンカイの子は、食べるし運動するし、育てやすい。二世ロッシーニの系統というのは性格がレースに適しているんだと思う。カネゾウも、ハクタイホウも、行きたい、行きたい、って馬だな。プレザントウェーは落ち着いているよ。
2013年北見記念を3連覇したギンガリュウセイ
大事にしていることはありますか。
昔から「やってやれないことはない、やらずにできることはない」。稽古していればいつかは......と思っています。
今年から調教師会長に就任しました。オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
これからもっと、自分が先輩に教えてもらった技術を若い人たちに教えて育てていきたい。文化を後世に伝えていこうと思っているんだよね。ファンの方々には、コロナ禍で、来てって言えないからね。本当は直に見てほしいんだけど。こんな時だから、応援してほしい。一生懸命やってここを乗り越えて、落ち着いてくれればファンも戻ってくるかな。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)