現在岩手のリーディング首位に立つ村上忍騎手。イサ・コバに次ぐ万年3位は過去の話。08年、09年とリーディングを獲得したように、近年は普通に首位を争うポジションにつけている。各地の騎手招待競走に呼ばれる機会も増えてきたし、この冬は初の期間限定騎乗も経験し、名実共にトップジョッキーとなりつつある。
横川:今年の1月から3月、南関東で期間限定騎乗をしましたね。ご自身初の経験でもあったと思いますが、今振り返ってどうですか?
村上:うん......、良い刺激になった部分もあったけど、どちらかと言えば自分の至らなさに気付かされましたね。
横川:それはどんなところ? テクニック面とか?
村上:全てにおいて、かな。レースへ挑む姿勢なんかもそうですが、4つのコースを渡り歩きながら、きっちり乗りこなすところとかですね。南関東の4場はそれぞれひとクセあるコースばかり。自分が一番クセがないと感じたのは船橋ですが、それでも距離によっては乗りづらいものがある。岩手にいるとなかなか気付きづらいことがありましたね。
横川:そんな南関東で、また来年も騎乗する予定です。
村上:正直、今年の遠征の結果は自分でもあまり満足できていないんですよね。幸いまたチャンスをもらえたので、今度はもっと納得のいくレースをしたいなと。やっぱり一度だけではコースを覚えるくらいで終わってしまいますから、何度か行ってこそ、という部分もあると思うんですよ。次に行く時は、今年よりはいろいろイメージができていると思っているし、ちょっと古いけれど"リベンジ"っていう気持ちで狙っています。
横川:さて岩手では、リーディングを普通に争うようになりましたね
村上:ようやく......ね。ここ何年かは2人(菅原勲騎手・小林俊彦騎手)の背中が見え始めてきたかな。以前は3位といっても2人に大きく引き離された"不動の3位"でしたからね。その頃からすれば、がんばって戦えば1位もなんとかなるかも......くらいにはなりました。むしろ最近は、そうこうしているうちに若手の突き上げが厳しくて......。
横川:やっぱり若手の存在は気になりますか? というか村上騎手ってまだ"若手"のイメージもあるけれど......。
村上:もう"中堅"とも言えない年ですよ(今年で34歳、18シーズン目)。いや、まだそれほど若い騎手たちが怖いとは思わないけれど、ここのところ伸びてきているのは感じるし、自分の年からしてもあと何年かすれば本当の脅威になるでしょう。気を引き締めてかからないと。
横川:村上騎手の最大のライバルは村松学騎手だと思っていたのですが、引退してしまって......。
村上:学とは競馬学校からの同期で、あいつにはずっと負けたくないと思っていましたからね。最初のうちは学の方が乗れていて活躍もして、初重賞も先だったから(注:村松学騎手の初重賞は99年の東北優駿。村上騎手は00年のダイヤモンドカップ。地方通算100勝も村松学騎手が先に達成)。そんな、自分が負けている時期はなおさら、ライバルだったし目標でもあった。
横川:早く2人でリーディングを争うようになってよ。って、煽ったりもしたんですがね......。
村上:うん、自分でも学とリーディングを争うようになりたい、そうなるべきだ、って思っていましたからね。向こうもそう思っていたんじゃないですか。だから正直本当に残念なのですが、でも仕方がない面もある。減量のつらさは見ていて分かったし、良い機会を掴めたのだから、彼にとってはこれで良かったと思っています。
横川:競馬学校という単語が出たところで、村上忍騎手はなぜ騎手を目指そうと?
村上:やっぱり環境でしょうか。小さい頃はそれほど意識しなかったけれど、父が調教師(村上実調教師)だから徐々に競馬の事を考えるようになって。中学校くらいの頃には厩舎で馬に乗っていたりもしましたし。でも、その頃は"身体が成長してしまうんじゃないか"と思っていて決断はできなかったですね。中学校に入って余り大きくならなさそうだったから、それなら、と。
横川:お父さんは調教師としても騎手としても一時代を築いた方ですよね。"俺もあんな風になってやる!"って思って騎手になったわけでしょう?
村上:それはやっぱり思っていたでしょう(笑)! でもとてもそんな、うまくはいかなかった。デビューした頃は騎手の数が多かったし、当然自分の技術も無い。レースに乗る度にヘコんでいましたよ。
横川:そんな村上騎手を一人前にしてくれたのは、やっぱりトニージェント?
村上:そうですね、初めての重賞を勝てた馬だし、デビューから引退まで跨ったのはほとんど自分だけの思い入れのある馬です。でも自分をここまでにしてくれたのは、デビュー3年目くらいに出会ったアラブの馬でしたね。当時GIIって言っていたあたりのクラス(注:重賞のグレードではなく、かつて岩手ではクラスをGI、GII、GIII、GIV、GVと表記した)の馬ですが、自分で調教して何連勝かできて、大きな自信になりました。やっぱり、良い馬に出会える運、そのチャンスを活かして成績を伸ばせるかどうか。それが騎手の"その後"に直結している。自分はそのアラブや、トニージェント、トーホウエンペラーといった良い馬に若い頃に出会えたから、だから今の自分があると思っています。
横川:これからの"ムラシノ"はどんな騎手になっていくのでしょうか?
村上:調教師になろう、とかはあまり考えていないですね。むしろできるだけ長く馬に乗っていたいなと思っています。岩手はただでさえ厳しいところに大震災があって、自分の足元がどうなるかも予測できない状況ですが、それでも今はいつまでも騎手を続けたい、レースに乗っていたいと。まあ5年、10年経った時にどういう考えになっているかは分からないけれど、その時もやはり騎手を続けているんじゃないでしょうか。
横川:ありがとうございました
以前から思っていたのだが、今回、村上忍騎手と話して改めて感じた事がある。それは彼が騎手を辞めるとか辞めたいとか、そういう後ろ向きな言葉を出さない人だ、という事だ。
かつてかなり大きな落馬事故に遭い、顎を作り直すような大怪我をした事があった。その時も彼は「治ればレースに戻る」、それが当然であって、"治らなかったら......""騎手を続けられなくなったら......"みたいな疑念はつゆほども思っていないという顔をしていたものだった。
例えば南関東では相当厳しい思いをしていたはず。地元岩手の将来も決して安泰ではない。それでも「次こそは」「この先も騎手を続けていると思う」と、しれっと言えるしたたかさ。それが、"騎手・村上忍"が少しずつでも前に進んでいく原動力なのだろう。
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※インタビュー / 横川典視
騎手会長として、常に名古屋のジョッキーたちを牽引している、宇都英樹騎手。今年から、騎手ズボンを活用した企業広告も取り入れ、名古屋競馬を盛り上げるため、日々力を注いでいます。
赤見:騎手ズボンの企業広告は、どういった経緯で始めたんですか?
宇都:一年に一回、全国の騎手会長が集まって会議をするんですけど、その時に園田の三野孝徳騎手に話を聞いたんです。園田から始まったことですから、詳しくシステムを教えてもらいました。そこから名古屋の競馬組合と協議して、実現に至ったわけです。
赤見:具体的には、どんな内容ですか?
宇都:基本的には90騎乗で、ズボン代と印刷代込みで3万円です。あと新しく、半年7万円、1年14万円というのもあります。1年はさすがにズボンが持たないと思うので、新しいズボン代も入ってます。実際に履いている騎手の反応もいいんですよ。自分でズボンを買わなくていいし、広告ズボンを履くとよく勝つから縁起がいいっていう人もいるくらい。企業名を背負って騎乗するわけですから、責任もあります。なかなかスポンサーを集めるのは大変だけど、オッズパークさんも早速協賛してくれたし、馬主さん関係の会社もいくつか協賛してくれてます。
赤見:今後はどういう展開を考えていますか?
宇都:大きな震災もあって大変な時だから、出来ることはやりたいですね。これまでも募金活動などをして来ましたが、8月15日にはジョッキーサイン会やチャリティーオークションをする予定です。こういうことは、やり続けるとこが大事だと思います。それに、ファンの方と直接触れ合えるのもいいことですよね。ファンあっての競馬ですから、騎手の立場からも何とか盛り上げて行きたいです。
赤見:宇都騎手はデビュー25年目ですけど、長く続ける秘訣は何ですか?
宇都:なんですかねぇ...。あんまり考えたことないけど。でもまさか、自分が1000勝も出来るなんて思ってなかったんですよ。
赤見:そうなんですか?!今では1600勝以上勝ってるのに。
宇都:もうそんなに勝たせてもらったんですね。周りの方たちのお陰です。私は最初本当にへたっぴだったんですよ(苦笑)。だから初勝利もデビューから5ヶ月以上かかったんです。厩舎にはいい馬がたくさんいたので、なかなか乗せてもらうチャンスもなかったですし。吉田稔騎手や安部幸夫騎手と同期なんですけど、彼らは学校時代からすごく上手かったんです。彼らに追いつきたくて、ただがむしゃらにここまでやって来ました。この世界しか知らなかったというのも、今になってみれば良かったのかもしれませんね。
赤見:騎手になったきっかけは何だったんですか?
宇都:生まれは鹿児島なんですけど、親戚が名古屋の竹口勝利厩舎で厩務員をしていて、「騎手が欲しい」ということで、中学を卒業してすぐに競馬場に入りました。中学生の頃から新聞配達をしていたので、朝が早いことは苦にならなかったんですけど、馬なんて見たこともなかったから、最初は大変でした。夢見てた世界と全然違ったしね。でも、九州から出て来ちゃってるから、帰るわけにもいかないし(苦笑)。頑張るしかなかったです。
赤見:長いジョッキー人生を振り返ってみて、強く想い出に残っているレースはありますか?
宇都:たくさんありますけど、その中でも【マルブツセカイオー】の東海桜花賞(1995年)ですね。その時は戸部尚実騎手が怪我をしてしまって、代打で騎乗が回って来たんです。1番人気だし、責任重大でした。当時、東海桜花賞は中京競馬場の芝コースで行われてたんですけど、その年から名古屋のダートに変更になったんです。【マルブツセカイオー】は芝よりダートの方が得意だし、右回りの方が合うから、コース替わりはラッキーでした。幸運も重なって、そのレースで結果を出したことで、周りに信頼してもらえるようになったんです。それまでより、騎乗数も増えましたね。今思うと、大事な一戦でした。
最近では、【シルバーウインド】もいろいろな想いをさせてくれますよ(苦笑)。ゲートがちょっと悪くて、道中はかかり気味、早めに先頭に立つと遊ぶんです...。こないだの金沢(7/19読売レディス杯3着)も、最後遊んでるんですよ。勝った馬【エーシンクールディ】はさすがに強いけど、2着の馬【キーポケット】とは差がなかったですから。やれば出来る子なのに、なんで...って、歯がゆくなります。でも、長い間ずっと最前線で頑張ってくれて、この馬には本当に頭が下がる思いです。関係者も私を乗せ続けてくれるし、ありがたいですね。これからも【シルバーウインド】と共に、地元はもちろん全国でも頑張りたいです。それだけの能力のある馬だし、チャンスもあるはずですから。
赤見:今後、さらなる目標は何ですか?
宇都:まぁ、年齢も年齢だし...(8月14日で43歳)。とにかく怪我しないようにというのが1番です。そして、乗せてくれる関係者も、ファンのみなさんも納得出来るような結果が出せればなと思ってます。名古屋は個性溢れる騎手がたくさんいるんですよ。ベテランは全国でも通用する技術を持ってる人間が揃ってるし、若い子たちもすごく頑張ってて上手くなってます。ぜひたくさんの方に競馬場に足を運んでいただいて、応援して欲しいですね。
赤見:でらうまグルメもありますもんね。
宇都:そうです。地元の名物料理がたくさんありますから。それに、近くに水族館や遊園地もあるので、昼間は名古屋競馬で、夜はそちらで楽しむというコースもありますよ。家族連れやデートで、ぜひ遊びに来て下さい!
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※インタビュー / 赤見千尋
高知競馬場のリーディングジョッキー争いは2006年から赤岡修次騎手の独壇場となっている。しかし今年はいささか状況が違う。“韓国MVP男”倉兼育康騎手がぐいぐいと勝ち星を伸ばし、赤岡騎手を猛追しているのだ。7月31日現在で赤岡騎手135勝、倉兼騎手117勝とその差は18(高知競馬場のみ)。ここ数年はダブルスコアでの独走を許していたことを考えると“接戦”の範疇と言えよう。実際3位以下には大きく水をあけての一騎打ちだ。今回は高知優駿を2連覇するなど、がぜん勢いに乗る倉兼騎手に現在の状況を聞いてみた。
■松木啓助厩舎への移籍
橋口:リーディング争いが白熱していますね。
倉兼:それは全然考えてないです。いい馬に乗せてもらっているんで、たくさん勝たせてもらってますが、そこまで技術が追いついていないんで…。
橋口:ずいぶん謙遜しますね、倉兼騎手らしいですが…。では勝ち星量産の要因を教えてください。
倉兼:韓国から帰ってきて、自厩舎(松下博昭調教師・今年春に勇退)に馬もいなくて、これで勝てるんだろうかという時に松木先生から声掛けてもらって、それで今の状況があります。とても感謝していますよ。それまで松木厩舎の馬には乗ってなかったですからね。帰ってきてすぐに声を掛けてもらったのは嬉しかったですね。
橋口:その松木厩舎には素質馬が多数いますが、特にファンの注目を集めるのが高知優駿馬シャイニーフェイト(牡3、父キングカメハメハ)です。
倉兼:そうですね、この間(7/15、C3選抜)負けました(2着)けど、ちょっと余裕を残した負けっていう感じだったんで、まだまだ強くなると思いますよ。この馬はまだ子供なんです。だからこれから競馬を教えようと思ってます。ゲート離れも悪いし、やんちゃなところもあるし。この夏を越えたらひと回り大きくなるのかな、というのは思ってますけどね。
橋口:そうなれば古馬オープン相手にもやれそうですか?
倉兼:(考えながら)そうですね、かなり近い所に行くんじゃないでしょうかね。
橋口:他に楽しみな馬はいますか?
倉兼:この間のトレノ賞(7月1日)を勝ったマルハチゲティですね。こちらが何にもしなくても勝手に強くなってきてるんです(笑)。
橋口:そのトレノ賞は強力先行馬を相手にマルハチゲティで豪快な倉兼:差し切り勝ち。ペースを見事に読んでの勝利です。ああいうレースでは、道中に先行馬が苦しくなっていくのを見て「ニヤリ」としたりするんですか?
倉兼:あ、してますね。あはは(笑)。トレノ賞の時はそうなるだろうという感じでレースを組んでいきました。その前のレースで負けた馬(サムデイシュアー)が後ろにいたんですけど、1400メートルから1300メートルの違いで多分動きが早くなるんで、前回ほどの脚は使えないだろうと。だからその馬より前で競馬するという、自分でやりたいと思っていた通りのレースになりました。
橋口:韓国での異名は“追い込みのイク”。彼の地でも強いインパクトを与えた得意戦法ですね。
倉兼:いや、自分のペースを作るのが下手ですからね。相手のペースに合わせた方が乗りやすいんでね。でも最近は前からの競馬ばっかりですね。基本的に前で競馬する方が多くなりました。
橋口:それはやはり本命馬に乗る責任感というか…。
倉兼:そうですね。勝たないといけないという。きっちり勝ってないと、次がないですから。特に高知は小回りなんで、勝つには前にいないと…。前々の競馬が必要ですね。
■韓国での2年間
橋口:さて2007年からの2年間、韓国競馬で騎乗しました。ソウルとプサンで1056戦して106勝。ピルソンギウォンで重賞の農協中央会長盃も制しました。その韓国で得たものとは?
倉兼:行く前は「勝たないと、勝たないと」という意識があったんです。ところがソウルに行くと、とにかくひとつ勝つのが難しい。「単純に勝つことが難しい」ということを勉強して…。まあ、ずっと天狗になりかけたところで、韓国で最初勝てない時期が長くて。それで帰ってきてからは、勝てない状況から立ち直るのが早くなったというか…。気持ち的に、そう、メンタル面が強くなったと思います。
橋口:韓国で仲良くなった騎手はいますか?
倉兼:ソウルでリーディングを張ってるムン・セヨン騎手ですね。ちょっと年下の若いジョッキーですが、とにかくまじめです。ソウルに行ってすぐに、ちょっと癖のある難しい馬で初めて勝たせてもらったんですよ。そしたら声を掛けてきたのが彼。「どうしてあの馬で勝てるんだ?」って。ずっと2着の馬だったんですよ。どんな乗り方をしても2着で。その馬であっさり勝っちゃったんで、どうして?、ってなったんでしょうね。その時どう答えたかはもう忘れましたけど(笑)。
橋口:2009年はプサンで第一四半期MVPに輝きました。
倉兼:プサンのMVPですか。あれは内田さん(内田利雄騎手)の一言があったからだと思います。それがなかったら多分あそこまでは勝てなかったと思いますけどね。どんなアドバイスか、ですか? いやそれは内緒にしときましょう(笑)。レースの中でここをこうすれば勝てるよ、という内容です。
橋口:企業秘密じゃないですか。よく教えてくれましたね。
倉兼:それでも教えて頂いて…。あんなに勝ち始めたのはそれからですからね。ほんのちょっとしたことなんですけど、それが当時の僕には本当に大きくて。いやMVPは内田さんのお陰です!
■技術向上へのあくなき想い
橋口:パラグアイの野球少年が日本にやってきて騎手になった。今では高知のトップジョッキーとして、また韓国に渡っての活躍で名を上げた倉兼騎手ですが、デビュー当初はあまり騎手という仕事への情熱がなかったそうですね?
倉兼:もういつやめようか、いつ逃げ出そうか、そればかり考えていました。一番はじめはまず体重が重たくて。それがデビュー半年くらいたった時に、仕事が忙しくて一気に3キロくらい痩せてたんですよ。それで馬に乗ったら、すごくいい競馬をして。それからですね、競馬って面白いなって思ったのは。それから勝てる馬に乗せてもらえるようになって…。
橋口:デビュー2年目にはもうトウショウスマーフで初重賞制覇(1997年桂浜月桂冠賞)。同年の珊瑚冠賞はスーパープレイで勝ちました。そして豪快な追い込みを見せるアラブの名馬チーチーキング(2000年南国優駿ほか)と出会います。
倉兼:それまでは先行馬でしか勝ったことがなかったんですが、“差す”という感覚を教えてくれた馬がチーチーキングです。相手を見ながら競馬をしないといけない、と自分に分からせてくれたんですね。
橋口:“追い込みのイク”の原点ですね。そうやってどんどん勝てる騎手になるサイクルが生まれました。そんな倉兼騎手にリーディングを、という関係者やファンの方の期待もあります。
倉兼:いや自分は下手ですからね、もっと技術を磨いていかないと。とりあえずまたどこかで乗りたいですね。今は高知の騎手が足りなくて行きにくい状況ですけど、来年あたりは行きたいですね。
と、なかなかリーディングの話には乗ってこない倉兼騎手。赤岡騎手とはデビューが1年違うものの、同世代で互いに意識しあう好敵手。もちろん2011年の後半戦、一騎打ちの結末が楽しみだ。
奥様と愛娘、家族が出来て「遊ばなくなった」と苦笑いをするものの、その温かみが活躍の原動力となっているのも確か。“追い込みのイク”が“魅せる”とびきりの騎乗が、2周年を迎えた「夜さ恋ナイター」を今宵も華麗に彩るだろう。
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※インタビュー / 高知競馬実況アナウンサー 橋口浩二
リーディング獲得経験はないが、数々の重賞を制して存在感をみせているのが真島正徳騎手。佐賀競馬に携わる一家に生まれ、騎手の道を自然に選んだ真島騎手の魅力は、類まれなる勝負強さだ。
真島騎手は2011年1月30日に小倉競馬場で行われたくすのき賞で、佐賀所属のウルトラカイザーを勝利に導いた。
ウルトラカイザーに最初にまたがったときは、すごい馬という感触はなかったですね。それが「これはスゴイ」に変わったのは3戦目の1750m戦。そこで、地元では抜けた存在であることを確信しました。
最初に中央に遠征したとき( 小倉芝1200m)は大敗しましたが、あのときはイレ込みが激しくてどうにもならない状態。2回目の遠征は適性的に合っているダート1700mでしたが、レース前は今回もどうかなあと思っていたんですよ。それがあのときのウルトラカイザーは、パドックですごく落ち着いていて、返し馬での気合の入り方もよくて、レースでもスンナリ逃げられました。それでもまだ半信半疑でしたね。中央のレースは向正面からペースが上がるものなので。でもそのときは3コーナーでも地元と同じようにタメ気味に逃げられたんです。だから4コーナーの出口では馬に叫びましたよ。『根性を見せてみろ!』って。最後の直線でも手応え十分で、残り100mで勝ったと思ったので、あとは降着にならないように気をつけながらゴールに入りました。
そのくすのき賞は、単勝の配当が1,480円、複勝の配当が1,180 円という極端な数字を記録した。
それ、すごいですね。皆さんの応援の証明かな。馬主さんは、ウルトラカイザーが初めて持った馬なんですよ。小倉のあとは反動がきてしまって九州ダービーにも間に合わない感じですが、将来的には交流重賞で他地区に遠征という夢を託すことができる馬だと思っています。
真島騎手は2008 年のトゥインクルレディー賞(大井)で、スターオブジェンヌに騎乗して勝利。大舞台での強さが光る、単勝10 番人気での勝利だった。
馬主さんに騎乗を依頼されたんですが、ナイター競馬に乗れるし本命でもないし、気楽なものでしたね。それよりも52㎏で乗るのがきつくて好走する予感とか気にできる余裕はありませんでした。そのレースは甥っ子(真島大輔騎手)の馬(チヨノドラゴン)が人気だったんですが、4コーナーで逃げていたその馬に並びかけたら、僕のほうが圧倒的にいい手応えなんですよ。最後の直線では「勝っちゃっていいのかなあ」と思いましたね。本当に気持ちがよかったです。
そのほかにも数々の重賞レースを制している真島騎手。しかし、リーディング争いには食い込めない状況だ。
鮫島(克也)さんみたいになりたいと昔から思ってはいるんですけれど、でも追い抜きたいとは思わないんですよね。欲がないというか、そういうのは子供のころからの性格です。やっぱり一番に考えたいのは所属厩舎ですし、チームプレイというか、和のほうを重要視したいというのが本当のところです。それでも大きいレースを勝たせてもらっているのは、今のはやり言葉で言うと『持っている』のかな?(笑)
「欲がない」というのは、勝負を生業にしている人にしては珍しい。それでも勝利を重ねていくために、真島騎手は心がけていることがあるという。
佐賀競馬場は基本的に先行有利。そのせいか、スタートして隊列が決まったらスローペースになる傾向があるんです。僕はそれが嫌いでして。お客さんも行った行ったのレースばかりじゃ面白くないでしょう? だから、 そんな展開のときは積極的に動くようにしています。レース後、ほかの騎手に「何しとる?」と言われることもありますが、それでも自分は思い切ったレースをしていきたいんです。
その心がけが、ときに勝利を呼び込むこともある。メガチューズデーで勝利した2010年12月の中島記念は、まさにそんなレースだった。
あのときは雪とドロで前がほとんど見えなくて、それでもマンオブパーサーだけは見失わないようにしていました。それで流れに乗って早めに動いたら、うまいことマンオブパーサーを雪が積もっているインコースに閉じ込めることができたんです。まさか勝てるとは思っていませんでしたし、結果的に会心のレースになりましたね。
一般戦でも重賞でも観客に存在感を示している真島騎手。これからもマイペースで騎乗していくつもりだ。
正直なところ、騎手間の競争は厳しいですよ。自分自身、今のままでいいとは思っていませんが、だからといって自分が勝つために若手のお手馬を取るとか、そういうことはしたくありません。自分もそんな経験をいやというほどさせられましたから......。逆に言うと、そこが自分の弱いところ。それが3 番止まりの理由なんだと思います。
それでも重ねた勝利は1700 あまり。2000 勝という数字も見えてきた。
招待レースには参加してみたいですが、他地区で騎乗するなどの考えはないですね。自分で自分の騎乗フォームを見てもカッコいいとは思えないですし、素質があるという気もしないんですよね。それでもここまでこられたのは、馬の特徴をしっかり把握してレースに臨むという普段の心がけと、レース経験の積み重ねだと思います。あとは、大きなケガをしていないことかな。けっこう落馬とかしているんですが、みんなには『不死身』とよく言われます。唯一の大ケガといえば、上の前歯。馬が急に頭を上げて僕の顔面にぶつかって、それで6本も差し歯になってしまったんです。あれはショックだったなあ。
真島騎手は肋骨を折ったことがあるそうだが、「ゴルフスイングが原因」とのこと。「体はむしろ硬いほうだと思うんですけれど、面白いですね」。そんな話からも、真島騎手 には持って生まれた強運が備わっているという感じがする。それは勝負の世界ではすごく 重要なこと。それが味方についているならば、これからも大舞台で大仕事を成し遂げるシーンを私たちに見せてくれることだろう。
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真島正徳(佐賀)
ましままさのり
1970年1月5日生まれ やぎ座 O型
佐賀県出身 真島元徳厩舎
初騎乗/ 1987年10月18日
地方通算成績/ 11,899戦1,713勝
重賞勝ち鞍/中島記念3 回、栄城賞3 回、九州大
賞典3回、九州ジュニアチャンピオン2回、吉野ヶ
里記念、たんぽぽ賞、トゥインクルレディー賞、
サラブレッド・グランプリなど35勝
服色/胴紫・黄山形一本輪、そで紫・黄縦じま
※ 2011年5月16日現在
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※成績は2011 年5月16日現在 (オッズパーククラブ Vol.22 (2011年7月~9月)より転載)
勝ち星が特定の騎手に集中せずに、上位拮抗となっているのが福山競馬の特徴のひとつ。そのなかで楢崎功祐騎手が2 年連続でトップの座を獲得したのは大きな価値があるといえる。今年も目指すのは、3 年連続となるリーディングだ。
楢崎騎手は昨年のスーパージョッキーズトライアル(SJT)2010 の出場権を惜しいところで逃した。
楢崎騎手:昨年は、SJTの地区代表騎手が決まる日の前半戦で、その時点で勝利数がトップだった岡崎(準)さんと同じ勝ち星に追いついたんですが、後半のレースで離されてしまったんです。2009 年に出場したときは、第1ステージで2 戦とも人気薄の馬で大敗してしまって、そこで終わりでしたからね(その年は、第1ステージの下位2 名がフルゲート頭数の関係で第2 ステージに進めなかった)。そのときから「絶対にまた出場したい」と思っていましたので、出られないと決まったときは、すごく悔しかったです。
福山競馬所属の騎手が、他の競馬場で騎乗する機会はかなり少ない。しかしながら昨年は、フォーインワンで東海ダービーに遠征できた。
楢崎騎手:フォーインワンは気難しいところがあるんです。そのせいか、東海ダービーの時は普段より気負っていました。そういうところも含めて、まだ成長しきっていないと思うんですよ。それでも、生まれつき持っている荒い気性を競走のほうに向けられるようにはなってきました。
そのフォーインワンのライバルとして戦ってきたのがムツミマーベラスだ。
楢崎騎手:2 歳のときは確かにムツミマーベラスのほうが上でしたが、今でもそう思っている人がいることには残念な気持ちがありますね。(2010 年)12月の福山王冠のときは、ムツミマーベラスが全力を出してもこちらが勝っていただろうと思えるレースができました。だからこそ、マーベラス(5 着)はそのレースで鼻出血を発症しないでほしかったと思うくらいです。正月の福山大賞典では初の古馬重賞で2 着でしたが、心配だったのは2600mという距離だけ。ペースが一気に上がったところでもレースの流れに乗れましたからね。メドはつきましたし、まだまだ変わってくれることでしょう。
福山競馬場の所属騎手は2011年2月現在で17名(期間限定所属は除く)いるが、トップスリーの昨年の勝利数の差はわずか。まさに各騎手がしのぎを削っているという印象がある。
楢崎騎手:福山は特定の人にいい馬が集中するという傾向がありません。攻め馬をつけた人が実戦でも騎乗することが定着している感じなので、頑張ればチャンスがある競馬場だと思います。自分自身も「常にまじめに」という気持ちで、そして地道にやってきました。まあ、それが唯一のとりえといいますか。だから2 年連続でリーディングを獲れた秘密とか、特にないんですよ。それでも新人のころに比べれば、勝ち方を覚えてきたというところはあるかもしれません。福山競馬場で勝つためには、道中の位置取りがいちばん重要なんですが、そういったレースに対応する心の余裕が増えたことは確かですね。それと新聞をパッと見て、そのレースがどんな展開になるのか、だいたい分かるようにもなってきました。
楢崎騎手はデビュー12 年目の29 歳。騎手としてはまだ若いといえるが、下の世代もだんだん力をつけてきた。
楢崎騎手:三村展久騎手は特に腕を上げてきましたね。南関東での期間限定騎乗でも結果を残してきましたし。僕ももっと勉強したいし刺激もほしいので、他場で乗ってみたいという気持ちは強いですよ。でも南関東で乗るための条件である通算1000 勝はまだ遠いし、25歳以下という若手騎手枠にも入れないし、ちょうどエアポケットなところにいるのが歯がゆい感じです。
ただ、昨年はリーディングこそ獲りましたが、自分としてはふがいない1年だったんですよ。いま思えば、一昨年初めてリーディングを獲ったことで、余計な力が入っていたのかもしれません。調教師にも「あせるな」と言われたことがありますし。確かに昨年は自分が納得できるレースが少なかったように思います。だから自分としては、ほかの騎手がどうこうということはまったくなくて、勝とうが負けようが納得できる騎乗を増やすことを目標にしているんです。ゴールのない目標ですが(笑)。
そのためには、日々の仕事も重要だ。
楢崎騎手:開催日以外は、だいたい朝1時半に自宅を出て、2 時過ぎから調教を始めます。今は馬の数が以前より減ってしまったので、調教をつけるのはだいたい18 頭くらいですね。
それでも全部の調教を終えたら9 時くらいにはなります。この先も福山競馬が続いてくれるのか、という心配はありますが、競馬がある以上は精一杯やらないと、という気持ちで毎日を過ごしていますよ。
福山競馬場は日本一の小回りコース。そこで騎乗を続けていれば、技術も磨かれるに違いない。
楢崎騎手:ここはきれいなフォームで騎乗したら、馬が動かないコース。距離があってもレースの中身は忙しいですから、末脚で一気にということもできません。僕が見ていていいなあと思う騎手は、安藤勝己さんと岩田康誠さん。こぶしで馬を押すところや、レースの流れに乗る技術などですね。それと福山は、騎手同士で騎乗について話をするとかがあまりないんですよ。騎手全員が集まるということもほとんどありません。その意味では、各騎手の間にいい緊張感があるように思います。
子供のころから「ものすごく負けずぎらい」だったという楢崎騎手。話をしている限りではそういう風には見えないのだが、「それを表に出さないようにしているんです。勝負ごとには特に熱くなってしまうタイプなので......。典型的な" 破滅型"の性格かもしれません」とのこと。ちなみに楢崎騎手が指名するライバルは、「少し離れたところにいるのが、かえっていいんでしょうね」という、高知所属の宮川実騎手。しかし地元には、数字で迫るライバルがたくさんいる。そんな状況でも2 年連続で獲得したリーディングの座は今年も当然、明け渡さないつもりだ。
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楢崎功祐(福山)
ならざきこうすけ
1982年1月29日生まれ みずがめ座 O型
広島県出身 外山清彦厩舎
初騎乗/ 1999年10月23日
地方通算成績/ 6,734戦743勝
重賞勝ち鞍/福山大賞典、瀬戸内賞、福山ダービー
2 回、福山王冠、ヤングチャンピオン2 回、ファ
イナルグランプリ、クイーンカップ2 回、福山3
歳牝馬特別2回、金杯、キングカップなど14勝
服色/胴黒・黄のこぎり歯形、そで青
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※成績は2010 年2月21日現在
(オッズパーククラブ Vol.21 (2011年4月~6月)より転載)
※インタビュー / 浅野靖典