「10年に一度の天才ジョッキー現る!!」と2002年デビューからメディアに大きく取り上げられ、地元広島テレビにもスタジオ生出演で話題をまいた池田敏樹騎手。クールでひたすら野性的な騎乗ぶりでスタンドに興奮を誘う若き勝負師。デビュー9年目を迎える27歳の夢はリーディングジョッキーだ。
あれから何年経つのかな?福山のジョッキーとしては初のテレビ生出演。そして翌年には、あの柏村武昭さんがキャスターで高視聴率をマークした「テレビ宣言」にも取り上げられ、池田敏樹の名が広島県内に知れわたった。懐かしいね...。
池田騎手: ボクは天才でもなければ、それほど騒がれるほどの器じゃないと思ってたので不思議な感覚でしたね。それでもメディアが取り上げてくれたことで励みになったし、奮い立つものを体で感じましたね。あまりというか、しゃべりは全然苦手なので冷や汗の連続でしたね(笑)。
あの時は私(樋本デスク)も競馬記者からみたジョッキー、池田敏樹のすべて!!そんなタイトルでテレビ出演させてもらった。池田くん、ありがとう(笑)。それとデビュー2年目になんと福山のジョッキーとしては初の海外遠征をやってのけた。とにかく強烈なインパクトだった。
池田騎手: あれはマカオ・タイパ競馬場の「第12回マカオ見習騎手招待」だったですね。あの時は1週間滞在し、攻め馬をこなし、週末がいよいよレースでした。結果は第1戦が確か4着で、2戦目が着外でした。勝てませんでしたけど、自分にとってはいい経験になりました。
1週間滞在してたった2戦とはもったいないね。それでも池田騎手をひと回り大きくするキッカケとなったのでは...。海外遠征での面白いエピソートでもある?
池田騎手: 英語が難しくて戸惑ったのは確かですね。英語が自由自在にしゃべれたらいいなって実感しましたね。中学校の時、もう少し英語をしっかり勉強しておけばよかったです(笑)。それにできれば数多く乗りたかったのも本音です。次にこんなチャンスが訪れればフル回転したいところですが...。
福山以外で乗ってみたい競馬場といえば?ジョッキーのほとんどがJRAなんだけど、池田くんもそうなのかな...。
池田騎手: 地方競馬の騎手にとってJRAは夢の世界ですからね。地方競馬では過去に高知、荒尾で乗ったことはありますが、その2競馬場しかないんです。チャンスがあればどこでも行って乗りたいですね。とりあえず園田なんか、いいじゃないですか。
池田騎手といって真っ先に思いつくのが天才娘ムツミマーベラスだね。自分自身、これまで乗って最高だったのはやはりマーベラスかな?それともアラブ最後の交流重賞を制したフジノコウザン?
池田騎手: フジノコウザンも記憶に残る馬でしたが、やはりムツミマーベラスですね。マーベラスでのベストバウトは福山ダービーから約2カ月後の福山チャンピオンシップだったですね。ダービーを勝ったフォーインワン、高知枠から出走した赤岡さんのリワードシャンヴルを相手に5馬身勝った時は快感の一語でしたね。スタートからゴールまで最高の乗り味で一生記憶に残るレースだったですね。
池田くんにとってムツミマーベラスとは?ダービーが故障明け2戦目(中6日の連斗)という厳しいローテで結果2着。そして鞆の浦賞、福山王冠が鼻出血という不運に泣いての完敗続き。まともなら3冠獲っていたのでは...。
池田騎手: ジョッキーになって乗った馬の中ではとにかく別格といっていいほど魅力的なランナーです。残念ながらアクシデント続きでクラシックのタイトルはひとつも獲れませんでしたが、その走りは天才的といっても言い過ぎではないでしょう。今後のことは未定ですが、もう一度マーベラスを背に福山はもちろん、全国のファンにも天才的な走りをお見せしたいですね。
ところでインタビューするジョッキーにはすべて聞いているのだけど、騎手になろうとしたキッカケは...。
池田騎手: 体が小さいのが一番の理由です。それに小学校か、中学校の頃、たまたまテレビで競馬中継を見てジョッキーのカッコよさに憧れを持っていました。騎手になってよかったと思います。
その憧れていたジョッキーになった池田騎手。尊敬するというか、目標とする騎手は?ジョッキー以外でも構わないけど...。
池田騎手: 素晴らしいジョッキーが沢山いるのでお手本にしたいとは思いますが、ボクの場合、やはり尊敬するのは末広先生ですね。人間的に素晴らしいですし、思いやりのある方で包容力がたまらないですね。もちろん厳しい面もありますが、レースで損ねても先生のアドバイスで失敗を成功につなげるよう、常に反省を心がけています。
オールラウンドプレイヤーの池田くんだけど、好きなタイプの馬は?ムツミマーベラスでの騎乗を見ていると追い込みが得意といった印象を受けるのだけど...
池田騎手: 先行でも差しでもタイプにこだわりはありません。やはり自在に動ける馬がレースはしやすいですね。いずれにしてもどんなタイプでも臨機応変に対応して乗るだけです。
池田くんが勝ったレースの写真なんだけど、笑顔で映ってる写真がまだ一枚もない(笑)。勝っても嬉しくないのかな?と毎回感じるのだけど、実際はどうなの...。
池田騎手: そりゃ、嬉しいですよ。ただ嬉しいと言うよりもホッとするという気持ちでいっぱいなんです。だから顔に出ないんだと思いますよ。やっぱり勝ったら最高ですよ
一昨年、今年と連続4位。ここ2年はいずれも80勝台を突破して大器全開のムードが漂う池田くん。いよいよリーディングジョッキーの栄光が見えてきた。今年は狙ってるじゃないの?
池田騎手: もちろんリーディングジョッキーはひとつの目標でもありますが、意識したことはないですよ。1勝、1勝の地道な積み重ねが、リーディングジョッキーへと繋がるわけでボクは一戦一戦を完全燃焼することだけを心がけています。ひとつでも多く勝てるようがんばるだけです。それしか言えません。
インタビューも終盤に近づいてきたけど、ちなみに好きな食べ物はなに?和食系、それとも洋食系...。
池田騎手: ボクは餃子が大好物なんです。餃子を食べると活力が湧いてきますね。気分もパワーアップしますよ。アルコールはたしなむ程度で毎日は飲みませんが...。
最後に池田騎手を応援してくれているファンにメッセージを...。
池田騎手: やはりレースの日に大勢のファンの方が詰めかけてくれると励みになりますね。ボクを応援してくれてるファンの皆様の期待に応えられるよう、これからも全精力を傾けるだけです。ご声援、よろしくお願いします。それに東日本大震災で被災された皆様方にはオッズパークさんのサイトを借りてお見舞い申し上げます。一日も早い復興を祈るだけです。
近い将来、福山の代表ジョッキーとして背負って立つ逸材だけあって沈着冷静。一戦入魂の精神がひしひしと伝わってきた。次代を担う若き勝負師の素顔は実にさわやかだった。
※インタビュー / 福山エース・樋本デスク
3月27日のばんえい記念で、前哨戦のチャンピオンカップ(2月27日)を圧勝したカネサブラックに騎乗する松田道明騎手にお話を伺いました。
2月28日現在、通算1341勝。今シーズンは115勝でばんえいリーディング3位です。
緻密な計算で200メートルのコースを研究しつくし、周りをあっと言わせてレースを盛り上げるばんえい界のヒールジョッキーでもあります。
斎藤:まずは、騎手になったきっかけを教えてください。夕張市出身ですね。
松田:家はメロン農家。家に馬がいて、馬好きなので騎手目指して競馬場に来ました。
斎藤:勝負服は吉田勝己さんと同じですね。
松田:家(夕張)の近くに社台ファームがあるからね。同じくらい活躍したいと思って。
斎藤:思い出に残るレースはありますか?
松田:ないなぁ...。あまり覚えていないんだよね。相当悪い癖とかは覚えてるけど。
馬のことは体で覚えるから。どのレース、と言われても出てこない。後ろはあまり見ないんだ。
斎藤:騎手として大事なことはなんでしょうか。
松田:いい馬を選んで乗る。そうじゃないと騎手はやっていけないから。調教で乗ってみて、ハミのさわり具合や反動をみる。トータルして、バランスがいい馬や癖の少ない馬を選ぶ。騎手っていうのはそういうものだと思うよ。
斎藤:では、期待の若馬を教えてください。昨年のばんえいダービーを勝った、ミスタートカチはいかがでしょう。
松田:派手さはないけれど、この馬も登坂力がある。早いタイムが向かない馬だから、古馬になって時計かかるレースが増えたら、もっと結果を出すんじゃないかな。
4歳なら、シルクタローはね......去勢手術の影響がまだ残ってるんじゃないかな。馬体がしっかりしたら力つけてくる。楽しみはこれからだよ。なんとかいい方向に持っていきたい。
斎藤:3歳馬だとフナノコーネルでしょうか。
松田:コーネルトップの仔は若い時きままな性格を出すから、乗りこなすの難しいんだ。登坂力がある馬だね。今年の3歳には1頭強い馬(オイドン)がいるけど...。
斎藤:コーネルトップといえば、マルミシュンキですね。先日亡くなってしまいましたが...。
松田:ああ......。自分がいろんな馬に乗れるきっかけになった馬だわ。コーネルトップらしく気ままだけど、強かった。
当歳から何度か見てたんだ。大きな馬体のわりにバランスが良くて、知り合いのオーナーに「欲しい」って言ったんだけど、他の人に買われちゃって。それでも、オーナーの宮本さんに話したら「乗ってみるかい」って言ってくれて、馴らし(馴致)からやった。瞬発力があった馬だったわ。
この馬のお陰で、度胸はついたね。わがままを許しながら乗ることを覚えたし、スピードに慣れることもできた。
サラブレッドもそうだけど、ばん馬も生まれた時の姿が競走馬の体型になるんだよ。
斎藤:カネサブラックについて教えてください。ばんえい記念が近づいてきましたね。
松田:小さいけれど、バネが良くて柔軟性がある。あまりに柔らかい筋肉の馬、そうはいない。性格は繊細なんだよ。馬に対してもおとなしい。ちょっとでもハミが悪く当たると、こずむ(体を固くする)。だから、呼吸を合わせて、できるだけロスを少なくすることを心がけている。
本当はこの馬にとっては、軽い馬場の方がいいんだよ。3分以内のレースがベスト。だから、本番に向けてはいろいろと考えてるよ。違った乗り方とかね。作戦だから言えないけど(笑)。なんとか獲りたいね。
斎藤:ばんえいに来るファンに一言お願いします。
松田:ファンに見てほしいのは、第2障害の手前の、馬と人間の呼吸。止まる動作と、そこで馬と話しながら、タイミングを狙って勢いをつけて前に出る。その瞬間。それは騎手の考えや能力によって違うから、いろんな動きがある。人馬一体の気迫を見てもらいたい。
ゴール前のシーソーゲームもいいけどね。それまでに、どこで止めて馬を休ませるかが大事だから。今年は馬場が重いし、障害も(1月22日から)10センチ高くなったから面白いと思うよ。
馬も辛いけど、人馬が気持ちを盛り上げながら、前に進もうとしているから。
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※インタビュー / 斎藤友香
1997年に益田デビューから白星を積み重ねること2924勝(1月16日現在)。日本海が生んだ天才マジシャンとしてその名は日本列島に知れわたり、1996年に福山へ電撃移籍した当時は「福山競馬の歴史を塗り替える男」として衝撃が走った。50歳にしていまもなお、瀬戸内を代表するスーパージョッキーとして君臨する魅惑のエンドレスファイター。「生涯一騎手」の精神を貫き通す勝負師の素顔に迫ってみた。
昨年こそ初のリーディングジョッキーを獲得するチャンスだったけど、終わってみれば楢崎くんに独走を許してしまった。僕個人としては昨年こそは岡崎くんに初タイトルを獲ってもらいたかった(楢崎くん失礼!!)けど、またもや無冠に...。まず2010年を振り返っての感想から聞かせてほしいのだけど...。
岡崎騎手: 結果は2位だったですけど、自分では充実した1年で悔いはないですよ。リーディングジョッキーこそ逃したけど、ワールドスーパージョッキーズトライアルに出場できただけでも光栄。最後の最後で池田くんに 猛追されてかなりプレッシャーがかかりましたが、出場が確定したトミノプラネットでギリギリ一杯で逃げ込めた瞬間、「しめた!!これで行ける」と心の中で叫びましたよ。嬉しくて嬉しくて重賞並みにファンに感謝の念をこめてウイニングランをやっちゃいました。スタンド前で思わずガッツポーズがガッツポーズまで飛び出しちゃって...。今年もワールドスーパージョッキーでの出場権をゲットすべく、スタートからバリバリ飛ばしますよ。
その、昨年のワールドスーパージョッキーズトライアル2010なんだけど、結果はまさかのブービー。最下位が高知の赤岡くんで大ショックだったな...。
岡崎騎手: どうもボクはクジ運がないんですよね。乗り馬のほとんどが予想紙のノーマーク。馬の力量差があまりにも開きすぎていてどうする こともできなかったという感じなんです。ある程度の馬に乗って岡崎準をアピールしたかったのですが...。だから、宝くじなんかは一切、買いません(笑)。
それでも福山代表のジョッキーとしてかなり注目を集めたのは事実。ワールドス ーパージョッキーズトライアル2010を振り返ると...。
岡崎騎手: 成績はサッパリでしたけど、とにかく水沢、帯広ともに馬場が広くて乗りやすいというか、ゆったりとレースができるので福山とは全然感覚が違いましたね。3年前に短期移籍ジョッキーとして南関東で2カ月騎乗(通算4勝)しましたが、追い込みに自信があるボクにとっては直線の長い競馬場が合いますね。できればもう一度、南関東で乗ってみたい気分になりますね。
福山のジョッキーでは前人未踏の3000勝へあと僅かと迫った。これだけ勝てるんだから、騎手になるべくしてなったという感じがするけど、ジョッキーをめざそうとした動機というか、夢を追い求めたキッカケは何なの?
岡崎騎手: いい質問ですね(笑)。あれは中学生の頃ですかね、知り合い の馬主さんに誘われて益田競馬場へ行ったんですよ。競馬場でレースを見るのは初めてだったんですけど、迫力があって凄くカッコいいなって思ったんです。なんか直線の激しい追い比べが衝撃的でも、自分もこんな男と男の勝負の世界でメシが食えれば最高だなと思いましたよ。これが競馬との運命的な出会いです。
普通の会社員とは違い、ジョッキーは命がけの職業。当然のことながら、 苦労話もあったと思うんだけど...。
岡崎騎手: それが不思議と思い当たらないんですよね。初めて馬に乗った感想が「思っていたより高いんだな」と思っただけ。苦労話を聞かせたかったのですが、すべてにスムーズにいきましたね。やはりボクは馬に乗るために 生まれてきたのでしょうか(笑)。神様のいたずらかな?
ところで96年に福山へ電撃移籍でかなり話題になった。僕自身も個人的に 岡崎ファンのひとりだったんだけど、スタージョッキーが去るわけで益田のファン はきっと寂しい思いをしたはずだが...。
岡崎騎手: それが意外にもファンの多くがスムーズに受け入れてくれたんです。益田 最後の騎乗で「準ちゃん、福山でもがんばって!!ずっと応援し続けるけぇ」とス タンドからエールが耳に届いた瞬間、胸にグッとくるものがありましたね。ファン の声援は我々、騎手にとっては心の支えというか、大きな励みになります。ありがたい ですね。
昨年、このコーナーでも﨏畑くんにも聞いてみたんだけど、これまでJRAで活躍した馬の中で 乗ってみたかったという馬は...。ゴール際の魔術師と呼ばれる岡崎騎手だから、 やはり追い込みタイプなのかな?
岡崎騎手: 武豊くんが乗って競馬ブームを再燃させたディープインパクトですね。とにかくあの追い出してからしびれるような感触の伸び。切れ味勝負の馬が好みのボクにとっては最高だったでしょうね。騎手冥利に尽きる馬、それがディープインパクトです。
納得だね。ところで福山へ来て14年。これまで思い出に残ったレース、馬は どれかな?大舞台でいい仕事をしてきた岡崎くんだけに数え切れないだろう けど...。
岡崎騎手: 古くはサンワテイオーで、ひと昔前まではアラブの鬼脚ランナーとして福山大賞典を連覇したユキノホマレ。どちらとも凄い馬でしたが、ユキノホマレのあの長い脚には背筋に電流が走る思いでしたよ。2003年の大賞典を勝たせてくれたユキノホマレには特に愛着がありますね。あと、最近では道営育ちで天才的な走りをしたクロイチョキンバコですかね。故障で太く短くの競走生活でしたが、 スピードに、プラス破壊力を兼ね備えた魅惑のランナーでその感触がいまだにボクの体に 残っています。
話はガラリ変わるけど、朝の早いジョッキーはこの寒い中、大変だろうけど、岡崎 くん、一日のスケジュールは...。
岡崎騎手: 朝は2時半から黙々と調教を続ける毎日ですね。夏は暑いし、冬は底冷えのする寒さでつらいですが、馬に乗ると気分がシャッキとしますね。今年の7月で51歳になりますが、まだまだ気分は18歳。若いモンにゃ負けられませんよ。大体、攻め馬を終えるのが9時くらいになりますかね。曜日によっても終わる時間が違うんですが...。
ボクも厩舎取材で攻め馬の風景を見ているんだけど、暗いうちから何頭も攻め馬 を消化するのって大変って感じる。特に岡崎くんは攻め馬だけでなく、きゅう務員も 兼ねてやっている。かなりハードじゃないの?
岡崎騎手: 騎手だけでメシは食っていけない。これが地方競馬の現状でやむを得ないですね。でも、これで家族を支えられると思ったら、なんてことないッスよ。競馬が続く限り、がんばり通すだけです。
騎手ときゅう務員、二束のわらじで奮闘を続ける岡崎くんにとって趣味というか、 人生の楽しみとは?酒豪で知られる岡崎くん、やはり晩酌なのかな...。
岡崎騎手: またもやいい質問ですね(笑)。よく福山エースさんのホームページで焼酎2升は軽い(笑)なんて書いてますけど、ちょっとオーバー。若い時は焼酎1升なんてこともたまにありましたが、いまは3合程度。焼酎を飲んでいると「一日が終わったな」って感じで苦労なんて吹き飛んでしまう。特にいい勝負をしたあとの焼酎がめちゃウマいです。最高の味ですね。
岡崎くんの趣味は?究極のマジシャンと呼ばれるくらいだから、手品でも得意 なのかな(笑)。
岡崎騎手: 手品はレースだけの話。趣味ですか?ほとんどないので答えようがないですね。趣味の一種かもしれませんが、サスペンスドラマを録画して休日に焼酎を飲みながら、自分なりに事件を推理するのがたまらない楽しみですね。最近では玉木宏主演の刑事ドラマ「ギルティ」にハマりました。古畑任三郎もいいですが、玉木宏の演技力もなかなかですよ。いずれにしても朝が早いので録画でしかサスペ ンスドラマが見れないのが残念ですね。
ジョッキーインタビューも終盤へと近づいたけど、2011年に期待する馬は...。
岡崎騎手: オープンのフジノアリオンはもちろんですが、JRAから転入して11戦8勝の快進撃を続けるアラタマデジタルに未知の魅力を感じますね。トモの甘い馬でゲートに甘さはありますが、スピードセンス抜群の牝馬でまだまだクラスが上がっても勝ち続けるだけの資質を秘めていますし、確実にひと開催1勝を計算でるので貴重な存在でもあります。もう1頭挙げるとすればワールドウイングですね。 まだクラスが下なのでこちらも1勝を計算できる。この2頭はボクにとって貴重な存在です。
いずれにしてもレース後はオッズパークさんのサイトで反省、復習は欠かしません(社交辞令もさすがの好騎乗)。
最後に福山のみならず、全国にも沢山のファンが岡崎騎手を応援している。 今後の夢と抱負をファンに伝えてください。
岡崎騎手: これまで5、6度大ケガをして一時はジョッキーを諦めるような重傷を 負ったこともありましたが、その都度ファンの皆様の暖かいご声援に励まされてここまで来ることができました。本当にありがとうございます。もちろん2011年も一戦入魂の精神で白星を積み重ねるだけです。一日も早く3000勝が達成できればと思ってい ます。そして今年こそは無冠を返上したですね。福山でのリーディングジョッキー は夢でもありましたから。今後も岡崎準のご声援、よろしくお願いします。
50歳とは思えないほど、ハツラツとした笑顔でエネルギッシュさが全身に漂う瀬戸内の スーパーマジシャン。ジョッキー人生、34年の集大成。2011年、岡崎準がオーラを放つ。
※インタビュー / 福山エース・樋本デスク
2月14日現在、地方通算3894勝。今年デビューから33年目を迎え、佐賀のみならず地方競馬のトップを走り続けている鮫島克也騎手に、ご自身のこと、そして中央競馬で活躍する息子の鮫島良太騎手のことについてもうかがいました。
斎藤:まずは、騎手になったきっかけを教えてください。
鮫島:父も騎手をやっていて、佐賀で調教師になって、その流れで自然と騎手になりました。幼稚園くらいのときから馬に乗せられて、馬の世話もしていました。
斎藤:思い出に残る馬といえば......。
鮫島:たくさんいるんですが、カムイフアースト(91年開設記念など)とか、キングオブザロード(96年サラブレッドグランプリなど重賞6勝)とか......。キングオブザロードには、かなり勝たせてもらいました。調教がめちゃくちゃうるさかったんですが、レースになったら素直に走るんですよ。レースを知っているような感じで走るんで、攻め馬に手こずったぶん、印象に残ってますね。
アラブでは、オクタマキングですね。西日本アラブ大賞典(95年)を勝たせてもらいました。いつも中団から差してくるような馬で、佐賀のアラブでは敵がいないくらい強かったですね。
斎藤:中央では30勝を挙げていますが、その中には、あのウオッカのデビュー勝ちもありました。
鮫島:あのときは、つかまってるだけでした(笑)。ほんとに強い馬でした。たまたま京都に(佐賀の馬を)使いに行ってる時に頼まれたんですけど、その後の活躍にはびっくりですね。まさかダービーを勝つとは思いませんでした。いい馬に乗せてもらって、いい経験をしました。
中央では、リルダヴァルにも乗せてもらって、あの新馬戦もめちゃくちゃ強かったですね。
斎藤:中央では、2001年のワールドスーパージョッキーズシリーズに地方代表で出場して、総合優勝しました。
鮫島:あのときは、すごく楽しんで乗れました。1日目は勝てなかったですが、2日目は2レースとも勝てそうな気がして、それでほんとに勝っちゃったんですけど、すごく楽しんで乗れたのがよかったのかなと思います。ほかのジョッキーもみんなうまいですから、レースがしやすかったです。中央では阪神コースがいちばん好きということもありました。
斎藤:昨年は、釜山や南関東でも騎乗しました。
鮫島:大変でしたね。日常生活もですけど、レースも佐賀で乗ってるのとはぜんぜん違いますからね。釜山には釜山のレースがあるし、南関東には南関東のレースがある。どちらも慣れるのに時間がかかりました。釜山では騎乗停止にもなって、正味1カ月くらいしか乗れませんでした。それでもいろいろな経験ができたのはよかったですね。
斎藤:息子の良太騎手のことについてうかがいます。会う機会は少ないと思いますが、話はよくしますか。
鮫島:小倉開催のときは帰ってきたりしますけど、電話では週に1回くらいは話をしますね。
斎藤:中央競馬は、佐賀と開催日が重なることが多いですが、レースは毎週ご覧になっていますか。
鮫島:DVDに録っておいて、夜に見ます。気になるところがあると、電話で言っちゃいますね。
斎藤:良太騎手は、2005年にデビューして、昨年末でちょうど200勝、重賞は5勝しています。
鮫島:今年になってなかなか勝てないんで、本人も悩んでるみたいです。重賞は、強い馬に乗せてもらってるから勝てたようなもんで、やっぱり人気がない馬で勝ってほしいですね。デビューしたころに比べて、だいぶしっかり追うようにはなったんですけど、まだまだ自分で努力していくこと、勉強していくことはたくさんあります。レースでは、あまり慌てないところはいいと思うんですけど、それが長所でもあって短所でもあるみたいな感じがします。もうちょっと思い切りよく乗ったほうがいいと思うこともあります。ま、中央は多頭数でぜんぜんレースが違うし、あまりわからないこともありますけど。
斎藤:鮫島騎手自身のお話に戻りますが、通算4000勝がだいぶ近づいてきました。達成すれば、地方競馬では史上7人目、現役では5人目になります。
鮫島:ぜひ達成したい数字ですね。年始のあいさつで、ファンのみなさんに4000勝するって言ったので、今年中には達成したいと思います。
※インタビュー / 斎藤修
新潟競馬廃止に伴い笠松での再出発を決めてから8年、初めて年間100勝を挙げ、笠松リーディング3位で2010年を終えた向山牧騎手。笠松所属の現役騎手の中で唯一"競馬場廃止"を経験してるからこそ言える本音などを聞きました。
坂本:騎手になろうと思ったきっかけを教えてください。
向山:うちの親父が厩務員をやってたんですよ。で、子供のころから手伝ったりなんかしてたんですよ。
で、競馬とか見てるじゃないですか。それで『騎手ってかっこいいなぁ』って思って、まぁなれたらなろうかなって思って、試験受けたら受かったんで、騎手になったみたいなもんです(笑)。
坂本:騎手に憧れてた時と、実際に騎手になってからのギャップは?
向山:うぅん、それは別になかったけどね。勝ったときはホントうれしいし、なってよかったなと思う。
坂本:今までで一番印象に残ってるレースは?
向山:印象に残ってるレースですか? 結構あるんですけどね......デビューしたときに、まったく勝てなかったんですよ、十何戦くらい。で、そんなときにたまたま乗ったのがすごいいい馬だったんですよ。
本当は僕が乗る馬じゃなかったんだけど、主戦騎手が別の馬に乗ることになってて、ちょうどその厩舎をずっと手伝ってたこともあって『乗せたげるよ』って。ほんとに何にもせずに勝ったんですよね。
それから、その馬にずっと乗せてもらえて......まぁ、その馬に勉強させてもらったっていうか、ちょっとはうまくなったかなって思いますね。だから、この初勝利のときのレースが一番印象に残ってますね。
坂本:向山騎手といえば、新潟から移籍してきたわけですが......
向山:移籍っていうか、まぁ潰れたからね(苦笑)。
坂本:その新潟が廃止になるって聞いたときはどう思いましたか?
向山:長い間やってましたからね。もうちょっと何とかならないのかって思ったんですけど。(馬券が)売れないんじゃ仕方ないですからね。悲しかったですよ。
坂本:笠松に行こうって決めたのは?
向山:それはね、安藤勝己さんがいろいろやってくれてて、僕は本当は南関東に行きたかったんですけど、年齢制限でダメだってことで、ここしか僕の行くとこないんじゃないかなぁっていうのもあったんですよね。
坂本:笠松に来てみて印象は?
向山:結構みんないい人たちだったんで、それなりにすぐ溶け込めましたね。
坂本:乗った感じは?
向山:全然関係なかったですよ。僕、三条とかでも乗ってたんで、小っちゃいとこは全然気にならなかったですよ。
むしろ、乗りやすかった。三条のほうがもっとコーナーがきついですからね、ほんと急カーブみたいな感じでしたから。笠松のほうが乗りやすいですね。
坂本:笠松所属騎手で通算で2500勝を超えている騎手は向山騎手のみ。そしてその勝ち鞍をどんどん伸ばしていけるのには、周りのサポートの力も大きいですか?
向山:それはもう。ま、最初のころはあまり乗ってなかったですけど、だんだんと乗せてくれる厩舎も増えてきたんでね。
坂本:今後についての目標とかはありますか?
向山:今後ですか......その前に競馬場がどうなるかでしょうね。ま、ここで普通にやっていければ、3000勝くらいは狙っていきたいですけどね。
坂本:やっぱり、競馬場が存続していかない限りは......
向山:だからね、ほんとにそこが大事なんですよ。競馬場がこんな変なミスばっかり(レース中に走路整備車両が侵入した件)してるから、なおさらじゃないですか。
僕たちも賞金下げられても一所懸命やってるんですから。協力もしてるし、だから土台となる競馬場にはもっとしっかりしてほしいですよ。あんないい加減なことやってたら、潰れるのも目に見えてますよ。ミスしたらそこの会社の責任、で片づけるんじゃなく、競馬場側にも監督責任はあるんだから、競馬場側もそのあたりを重く受け止めてほしいし、一層の努力をしてほしい。
一度経験してるからこそ、人一倍『潰したくない』という思いが強い向山騎手。今がまさに正念場の笠松競馬を盛り上げるべく、今年もまたその剛腕ぶりでファンを魅了します。
※インタビュー / 坂本千鶴子