2月14日現在、地方通算3894勝。今年デビューから33年目を迎え、佐賀のみならず地方競馬のトップを走り続けている鮫島克也騎手に、ご自身のこと、そして中央競馬で活躍する息子の鮫島良太騎手のことについてもうかがいました。
斎藤:まずは、騎手になったきっかけを教えてください。
鮫島:父も騎手をやっていて、佐賀で調教師になって、その流れで自然と騎手になりました。幼稚園くらいのときから馬に乗せられて、馬の世話もしていました。
斎藤:思い出に残る馬といえば......。
鮫島:たくさんいるんですが、カムイフアースト(91年開設記念など)とか、キングオブザロード(96年サラブレッドグランプリなど重賞6勝)とか......。キングオブザロードには、かなり勝たせてもらいました。調教がめちゃくちゃうるさかったんですが、レースになったら素直に走るんですよ。レースを知っているような感じで走るんで、攻め馬に手こずったぶん、印象に残ってますね。
アラブでは、オクタマキングですね。西日本アラブ大賞典(95年)を勝たせてもらいました。いつも中団から差してくるような馬で、佐賀のアラブでは敵がいないくらい強かったですね。
斎藤:中央では30勝を挙げていますが、その中には、あのウオッカのデビュー勝ちもありました。
鮫島:あのときは、つかまってるだけでした(笑)。ほんとに強い馬でした。たまたま京都に(佐賀の馬を)使いに行ってる時に頼まれたんですけど、その後の活躍にはびっくりですね。まさかダービーを勝つとは思いませんでした。いい馬に乗せてもらって、いい経験をしました。
中央では、リルダヴァルにも乗せてもらって、あの新馬戦もめちゃくちゃ強かったですね。
斎藤:中央では、2001年のワールドスーパージョッキーズシリーズに地方代表で出場して、総合優勝しました。
鮫島:あのときは、すごく楽しんで乗れました。1日目は勝てなかったですが、2日目は2レースとも勝てそうな気がして、それでほんとに勝っちゃったんですけど、すごく楽しんで乗れたのがよかったのかなと思います。ほかのジョッキーもみんなうまいですから、レースがしやすかったです。中央では阪神コースがいちばん好きということもありました。
斎藤:昨年は、釜山や南関東でも騎乗しました。
鮫島:大変でしたね。日常生活もですけど、レースも佐賀で乗ってるのとはぜんぜん違いますからね。釜山には釜山のレースがあるし、南関東には南関東のレースがある。どちらも慣れるのに時間がかかりました。釜山では騎乗停止にもなって、正味1カ月くらいしか乗れませんでした。それでもいろいろな経験ができたのはよかったですね。
斎藤:息子の良太騎手のことについてうかがいます。会う機会は少ないと思いますが、話はよくしますか。
鮫島:小倉開催のときは帰ってきたりしますけど、電話では週に1回くらいは話をしますね。
斎藤:中央競馬は、佐賀と開催日が重なることが多いですが、レースは毎週ご覧になっていますか。
鮫島:DVDに録っておいて、夜に見ます。気になるところがあると、電話で言っちゃいますね。
斎藤:良太騎手は、2005年にデビューして、昨年末でちょうど200勝、重賞は5勝しています。
鮫島:今年になってなかなか勝てないんで、本人も悩んでるみたいです。重賞は、強い馬に乗せてもらってるから勝てたようなもんで、やっぱり人気がない馬で勝ってほしいですね。デビューしたころに比べて、だいぶしっかり追うようにはなったんですけど、まだまだ自分で努力していくこと、勉強していくことはたくさんあります。レースでは、あまり慌てないところはいいと思うんですけど、それが長所でもあって短所でもあるみたいな感じがします。もうちょっと思い切りよく乗ったほうがいいと思うこともあります。ま、中央は多頭数でぜんぜんレースが違うし、あまりわからないこともありますけど。
斎藤:鮫島騎手自身のお話に戻りますが、通算4000勝がだいぶ近づいてきました。達成すれば、地方競馬では史上7人目、現役では5人目になります。
鮫島:ぜひ達成したい数字ですね。年始のあいさつで、ファンのみなさんに4000勝するって言ったので、今年中には達成したいと思います。
※インタビュー / 斎藤修