今年デビュー10年目を迎えた、笠松の筒井勇介騎手。昨年は名牝エレーヌとのコンビで地方競馬を席巻し、全国にその名を広めました。これまでの騎手生活や、エレーヌの想いでについてお聞きしました。
赤見:筒井騎手はどんなきっかけで騎手を目指したんですか?
筒井:単純ではあるんですけど、きっかけはダビスタです(笑)。小学5,6年生の頃にハマって、面白そうだなと思ってて。
でも僕は電気屋の長男なんで、工業高校行っていつか実家を手伝えればなと漠然と思ってたんですよ。それが中学2年の時に、背も小さいし本格的に騎手を目指してみようと決心したわけです。
赤見:ご家族は反対しませんでした?
筒井:最初父が、「お前なんかがなれるわけないだろ!厳しい世界なんだぞ」って感じで反対しましたけど、すぐに好きなようにやれって言ってくれました。
中学を卒業してそのまま牧場に就職したんですけど、実は1か月で辞めて実家に帰ってしまったんです...。
赤見:1か月で?!何が原因だったんですか?
筒井:まぁ色々ですけど、結局は人間関係ですね。なんかゴチャゴチャしちゃって。
それで半年間何にもしなかったんです。騎手になる夢も諦めようかなと思って、実家の仕事を手伝ったりしてました。
そんな生活の中で、趣味程度と思って乗馬を始めたんです。そしたらまた火がついちゃって(笑)。
赤見:そこからまた騎手を目指したんですね。
筒井:そうですね。結局2年くらいは宙ぶらりんな時期がありました。今になって思うと、その期間て僕にとってはすごく大事で、必要な時間だったと思います。
あの2年があったからこそ、地方競馬教養センターでもホームシックにならなかったし、辞めようとも思わなかったですから。
赤見:最初の挫折を乗り越えて、無事に騎手デビューしたわけですけど、初勝利はデビューしてすぐでしたよね。
筒井:デビュー5日目です。そんなに早く勝てると思ってなかったんで、本当に嬉しかったですね。800m戦で、逃げて勝ったんですけど、今思うとハナに行かせてもらった感はありましたね。あの頃は無我夢中でそういうのもわかんなかったですけど。
赤見:そして2年目は32勝とブレイクしました。
筒井:減量特典もあったし、本当にいい馬をたくさん乗せてもらってて、毎日がとにかく楽しかったです。
でも、次の年に厩舎を移籍して、一気に乗れなくなりました。所属にしてくれた田口輝彦調教師は新規で開業したばかりで、どうしても技術のある上位の騎手を優先して乗せることが多くて。でも調教する馬はたくさんいるので他の厩舎を手伝うことも出来なかったんです。あの頃はほとんどレースに乗ってなくて、もう辞めようかな...と思いました。
赤見:そこからどうやって立ち直ったんですか?
筒井:とにかく真面目にやってようと思いました。じっと耐えてて、あと1年このままだったら本当に辞めようって腹を括ったんです。
ちょうど1年後くらいに、三谷厩務員(エレーヌ担当)が声をかけてくれて、山中輝久厩舎を手伝うようになったんです。そこで【オグリホット】という馬に乗せてもらって、たくさん勝てたことが大きかったですね。
その頃、高崎が廃止になって法理勝弘調教師が笠松に移籍してきて、乗せてもらえるようになって...いいサイクルに変わりました。
赤見:最初のきっかけが、【エレーヌ】担当の三谷厩務員だったんですね。
筒井:そうなんですよ。【エレーヌ】に乗せてもらったのはたまたまだったんですけど、最初は冬毛ボーボーでもさもさしてて、「この馬走るのかな?」って感じだったんですけど、レースしたら5,6頭の外をマクって勝ったんです。こりゃ走るなって実感しました。
その次のレースは、吉田稔騎手騎乗でJRAに遠征したんですけど、その時にもたれちゃって追えなかったということで、園田の『クイーンセレクション』ではリングバミに変えたんです。レースは余裕の強さで、直線で内からステッキを振りかぶった時にいきなり内に飛び込んで...落馬してしまいました。見てたみなさんもびっくりしたと思いますけど、後ろにいた田中学騎手が一番びっくりしたんじゃないですかね。僕を踏んだ手ごたえはあったと思うし、僕も「もうダメだ...」って思いましたもん。幸い当たり所がよかったので、大きな怪我はしなかったですけど。
赤見:あのレースは本当にびっくりでした。【エレーヌ】はちょっと気性の激しいところがあったんですか?
筒井:そうですね。ちょっとありました。でもあの落馬はちょうどステッキを振りかぶる時で、片手手綱になってたので、タイミング的に制御出来なかったんです。【エレーヌ】は悪くないんです、本当に。あのレースで同じ馬主さんの【コロニアルペガサス】が勝ってくれたんで、なんとか僕のクビも繋がった感じですね。
〈SAKAMOTO CHIZUKO〉
赤見:そして『東海ダービー』を快勝しました!
筒井:ここでダービー勝てなかったら一生勝てないと思って、馬を信じて乗りました。【エレーヌ】は行きだした時のバネがとにかく凄い。本当に色んなことを教えてもらいました。
最後は可哀想なことになってしまって...ものすごくショックでした。
赤見:体調不良で亡くなった時は、私もとてもショックでした。たくさんのファンのみなさんも同じ気持ちだったと思います。
筒井:いつもいつも一生懸命に頑張ってくれた馬でした。あの馬のお陰で色んな競馬場に行って勝たせてもらって、ファンの方にも声かけてもらって...。とても充実した時間を過ごさせてもらいました。
赤見:【エレーヌ】の存在は、とても大きいですよね。
筒井:あんな馬にはなかなか出会えないですよ。他の馬たちももちろん頑張ってくれてるけど、【エレーヌ】は別格ですから。
最近の僕は、スランプというか、試行錯誤中なんです。勝てないことが続いてて、そのせいで焦りすぎてしまって...。ドンと構えていたいんですけど、つい焦ってしまうんです。この流れから早く抜け出せるとうに、今は色々考えながらやってます。
赤見:それでは、今後の目標を教えて下さい。
筒井:今年も元気のいい2歳馬たちが入って来てるし、楽しみな出会いが期待出来そうです。ダービージョッキーの名に恥じないよう、もっともっと腕を磨いて頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
2001年のデビュー年に、いきなり95勝を挙げて金沢リーディング3位に食い込んだのが吉原寛人騎手。2005年に初めてリーディングを獲得してからは、それが不動の位置。今年も2位以下に大差をつけて独走中だ。吉原騎手の今後には、大きな可能性が詰まっている。
吉原騎手は昨年の白山大賞典で、地元代表のジャングルスマイルを2着に導いた。
スタンドからの応援の声がすごかったですね。レース中でもよく聞こえました。ジャングルスマイルは3歳の秋に金沢に来た馬なんですが、最初は気が悪くて大変だったんですよ。
当初は馬場入りすらできないくらいだったんですが、担当の厩務員さんが一所懸命に調教して、なんとか馬場を回れるまでになったところで試しにレースに出してみたら、意外と走ったんです。そこから連勝が続いて4歳になりましたが、金沢の夏は湿度があって、馬にとっては厳しいんですよ。昨年はそのあたりを考慮しながら白山大賞典を狙っていったんです。でも正直なところ、自分としては半信半疑というところはありました。
夏は暑く、冬は寒い北陸地方。金沢競馬は年明けから春先まで休催期間がある。
ここは北海道と違って、騎手は冬の間、何もすることがないんですよ。そんな状況なんですが、僕は1年目の冬に名古屋に行かせてもらえて、2年目と3年目は笠松で騎乗しました。冬場を利用していろいろなところに行けるのは金沢の利点ですね。
そして4年目の冬からは、3年連続で海外遠征を敢行した。
このきっかけは、トゥインチアズで京都のもみじステークスを勝ったこと。そのおかげでJRAの森秀行調教師に目をかけていただいて、いろいろ話をしているうちにオーストラリアに行ってみるかということになったんです。いやあ本当に、一気に視野が広くなりましたね。行く競馬場は毎日違うし、馬場も相手関係もわからないし、まさに一発勝負の連続。レースもいい意味でアバウトに考えられるようになりました。また、海外での生活で、ハングリーさ、貪欲さが出てきたという気がします。
2006年3月25日には、ドバイゴールデンシャヒーンでアグネスジェダイに騎乗するという経験も得た。
金沢の騎手がドバイで乗ったんですからね。すごい経験ですよ。そんな経験が自信になって、それからはドンと構えて乗れるようになりました。海外に行っていちばん変わったのは、メンタル面が強くなったというところでしょうね。
2010年度から条件が緩和された南関東での期間限定騎乗制度にも手を挙げ、2011年1月から3月まで川崎所属で騎乗した。
行く前は、南関東ではほとんど騎乗できないのではと思っていたんですよ。北海道や岩手からもトップジョッキーがやってきて、激戦に輪をかけるみたいな感じでしたから。それでもいざ行ってみたら毎日が競馬漬けになって、夜ごはんを食べたらバタッと倒れるみたいな、そんな日々が続きました。夜、遊びに行ったのは1回だけかな......。でもその毎日がすごく楽しかったんですよ。どうすればもっとうまく乗れるのか、そればかり考えていましたね。惜しかったレースのあとに映像を何回も見直して「どうにかならなかったのか」と研究したりして。2カ月の限定期間が終わったときには、本当に名残惜しかったです。
しかしそうやって向上心が刺激されると、金沢では物足りなくなるかもしれない。
確かに舞台は大きいほうがいいですよね。ただ、こっちはこっちでいい馬に乗れますし、楽しみももちろんあります。今の金沢競馬場はとても難しくて、日によって馬場の傾向がすごく変わるんです。開催日にも調教に乗りますが、実際のレースになるとまた違うんですよね。カラカラに乾いていても前が止まらないとか。だから逆に、馬券を買う人も難しいんだろうなと思います。
騎手の立場で気がつく傾向といえば、外枠のほうが競馬をしやすいことですね。それと金沢で逃げ切るには、力量差がないと難しいということ。逃げ馬には厳しい競馬場だと思います。だから僕もなるべく好位を取る騎乗をしています。そして全体の流れを読んで、仕掛けどころを判断して。そういったことが体でわかってきたのは、ここ2~3年ですね。それまでは実のところ、何でこんなに勝てるのか、という感覚が心の中にありました。
金沢で5年連続リーディング。8月も大井競馬の重賞に騎乗するなど、開催期間中でも他地区からのラブコールは多い。
いろんな経験をさせてもらっていますが、もっと名前を売っていきたいですね。今年の大きな目標は白山大賞典。ジャングルスマイルは昨年よりさらに実が入りました。7月にはこの馬向きと思えない1400m戦でレコード勝ちしましたが、それも出るべくして出たという感じです。今まで乗った金沢の馬では、乗り味が別格。奥行きがすごくある馬なので、乗っていてときどき「これでいいのかな?」と判断に迷うことがあるくらいなんです。
となれば、2011年の白山大賞典はかなり楽しみ。そして吉原騎手自身も実りの秋にしたいところだ。
そうですよね。白山大賞典とスーパージョッキーズトライアル。ポイント制のレースって、どうもクジ運が悪いというか、なぜかイマイチなんですよね。でも今年はワールドスーパージョッキーズシリーズへの代表権を勝ち取って、そして本番でも勝ちたいと、強く思っているんです。大舞台を踏むことももちろんですが、その先にあるものがとても大きいと思いますから。
未来への希望、大舞台への夢は尽きないが、その一方で「現時点では、今できることに最善を尽くすことがベストと思っているんです。厩舎の皆さんもみんな一所懸命に仕事していますから、その人たちの頑張りにも応えないと」とも語る。その想いと行動は、きっと神様も見てくれているはず。吉原騎手が大きく飛翔するのは、遠い未来のことではないはずだ。
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吉原寛人(よしはらひろと)
1983年10月26日生まれ さそり座 O型
滋賀県出身 宗綱泰彦厩舎
初騎乗/ 2001年4月7日
地方通算成績/ 6,454戦1,294勝
重賞勝ち鞍/百万石賞2回、北日本新聞杯、
スプリングカップ2回、兼六園ジュニアカップ2回、
イヌワシ賞、オータムスプリントカップ、ゴール ド
争覇(名古屋)、オータムカップ(笠松)など 15勝
服色/胴赤・黒縦縞、そで青
※ 2011年8月17日現在
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(オッズパーククラブ Vol.23 (2011年10月~12月)より転載)
今年30歳を迎えた、金沢の藤田弘治騎手。年々リーディング順位を上げて、昨年は5位、そして今年はここまで4位の位置につけています。金沢名物となった「ちびうま団」のイベントにも毎回参加している藤田騎手。デビューから11年をかけて、着実に階段を上がって来た歩みをお聞きしました。
赤見:先日、金沢名物「ちびうま団」の夏休みイベントがあったそうですね。
藤田:はい。小学生を集めてポニーに乗ったり触れ合ったりしました。僕は誘導馬に乗って参加したんですけど、子供たちも楽しそうだったし、競馬の活性化にも繋がるのですごくいいイベントだと思います。
赤見さんが乗ったフラワーカンパニーは各地の遠征で勝っているし、だいぶ「ちびうま団」が根付いて来ましたね。これからもどしどしイベントを行いますので、お近くの方はぜひ参加して欲しいです。
赤見:私もまた乗りたいです!
よく一緒に参加している吉原寛人騎手とは、同期生なんですね。
藤田:そうです。吉原は学校の頃から競走訓練が上手だったし、デビューしてすぐにバンバン勝ってたから、かなり焦る気持ちもありましたよ。
赤見:周りから比べられたり?
藤田:それもありますし、僕の方はデビューして2年間、全然乗り鞍がなくて。初勝利も2か月以上かかったし、とにかくレースに乗ってなかったんです。それがものすごく辛かったですね。
赤見:元々、騎手になるきっかけは何だったんですか?
藤田:家が金沢競馬場から近くて、高校の時にレースを見てかっこいいなと思ったんです。両親は大反対してましたけど、高校を卒業してから教養センターを受験しました。
馬には一切乗ったことがなかったし、最初の頃の訓練はかなりキツかったですね。特に、教官とのマンツーマンが...
赤見:わかります(苦笑)。初めは乗馬経験者との差が大きかったんじゃないですか?
藤田:そうですね。なかなか上手くいかなくて、本当に難しかったです。
赤見:実際に競馬場の中に入った時は、どんな印象を持ちました?
藤田:本当に競馬のことをよく知らなかったので、特に想像もしてなかったんですよ。だから、そのまま受け取りました。競馬場に対する、理想と現実とのギャップとかはなかったですね。
赤見:デビュー当時は乗り鞍がなかったということでしたが。
藤田:そうなんです。そこは僕が甘かったですね。そんな簡単に乗せてもらえる世界じゃなかったです。今年11年目ですけど、デビューから2年が一番辛い時期でした。やっぱり、騎手はレースに乗って経験を積んで上手くなりますから、とにかく乗りたいって気持ちが大きかったです。2年は長かったですね...。
赤見:その後、2度目の転厩で現在所属している黒木豊厩舎に所属になったんですね。
藤田:はい。僕が所属していた調教師が引退して、行くところがなかった時、厩務員さんが紹介してくれたんです。拾ってもらって、本当に感謝しています。黒木先生に拾ってもらったお陰で、今があるわけですから。
赤見:黒木調教師はどんな方ですか?
藤田:とても真面目な方です。馬主さんから僕のことで色々言われることもあると思うんですけど、絶対に僕には言わないんです。いつもかばってくれて。
特に思い出深いのは、転厩してすぐの頃、キクノライデンという馬で『報知新聞杯』に騎乗させてくれたんです。僕自身重賞を勝ったことがなかったし、まだ経験も少なくて何もない騎手なのに...。先生が馬主さんに頼み込んでくれて、厩舎の看板で、1番人気の馬に乗せてくれたんです。かなり緊張したけど、とにかくがむしゃらに乗って、勝った時は本当に嬉しかったですね。
赤見:黒木先生と出会って騎手生活も軌道に乗り、2008年からは金沢のオフシーズンに、美浦トレーニングセンターで調教修業もしていますよね。
藤田:初めは高橋俊之先生からお話があって、「美浦の調教師が手伝ってくれるジョッキーを探している」と言われたので、勉強のために行きました。
約1か月、調教だけですけどすごく勉強になりましたね。施設も全然違うし、馬のレベルもやっぱりすごい。調教も、きっちり併せ馬したり、直線だけ併せたりと細かい指示で行うので、新しい発見がいっぱいありました。3年連続で行ってますけど、少しずつ自分の身になっている気がします。
赤見:毎年勝利数が伸びてますもんね。
藤田:前の年より1つでも多く勝つことを目標にしているので、今のところ順調にこれてますね。
赤見:デビューした頃のご自分と今は違いますか?
藤田:全然違いますよ。何がってわけでもないですけど、やっぱり乗ってきた経験というのは大きいです。乗り役としての引き出しもだんだんと増えてくるし、精神的にも違いますね。
前は、「勝てないのかな...」と考えちゃうような弱気な面があったんです。でも今は「勝ち鞍を伸ばしたい!上を目指したい!」という強い気持ちでやってるんで。やっと少し、吉原に近づいたかなと思ってます。
赤見:やはり吉原騎手の存在は大きいんですね。
藤田:普段はそんなに意識してるわけじゃないですけど、吉原はすごいな、上手いなって思います。身近な存在だけど、尊敬してるし目標でもあります。
赤見:お2人の関係はどんな感じですか?
藤田:よくゲームしたり、一緒にご飯食べに行きますよ。2人共お酒が飲めないので、飲みに行ったりはないですけど。
もっと技術を磨いて、同期2人で金沢のトップを獲りたいですね。今はそれが目標です。そして、いつかは吉原を抜いて、僕が1位になりたいです!!
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※インタビュー / 赤見千尋
今年6月に1500勝を達成。三冠を達成したクラキンコを含む北海優駿2連覇など、今シーズンの道営ホッカイドウ競馬リーディング2位(46勝、8月25日終了時点)。ここ一番の勝負強さでファンや関係者からも絶大な信頼を集めている、ベテラン宮崎光行騎手にお話を伺いました。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。札幌出身ですよね。
宮崎:親が競馬が好きで、札幌競馬場によく見に行きました。両親は競馬関係の仕事というわけではなかったんです。背が小さいからなれるかな、と思って。
斎藤:でも今、そんなに体が小さい感じはしないですが...。
宮崎:中学3年の時は、体重が32キロしかなったんです。その時は、地方も中央もわからずに岩見沢に連れていかれました(笑)。
斎藤:所属は、須藤三千夫厩舎でした。
宮崎:騎手デビューの年(1984年)が、須藤先生の開業1年目で、先生の騎手時代の勝負服をそのまま受け継ぎました。先生には、「取り柄を持て」と言われましたね。ひとつずつやれ、と。スタートに気をつけるように、とよく言われました。2歳戦が多いので、若駒のスタートの出し方、ゲートの中の馬の御し方などを丁寧に教えてくれましたね。
斎藤:思い出に残る馬を教えてください。
宮崎:初めて重賞を勝ったツルギエイカン。
斎藤:平成元年の赤レンガ記念ですね。その年の第1回ブリーダーズゴールドカップでも3着でした。
宮崎:その時でデビュー6年目だけど、それまでは全然馬に乗せてくれなかったよ。それを勝ってから、大きいレースにも乗せてくれるようになった。そこからだね。
宮崎:それと、中央の芝で勝った、クラキングレディ(2005年8月13日、札幌12R)。芝で合いそうだね、って須藤先生とずっと言っていた馬で......。(その年の5月に)先生が亡くなった後に勝ったから。それは......ぐっときたね。芝で勝ちたかったから。先生は、厳しくて、きつい言い方もするから、喧嘩もしたし、ぶつかったりもした。でも、走る馬に乗せてくれた。
斎藤:須藤先生が、どんな時でも宮崎さんを乗せていた、という話はよく聞きました。今は松本隆宏厩舎所属ですね。松本さんも名騎手でした。
宮崎:先生が松本さんを乗せていたから、良く見ていた。簡単に乗ってぱぱっと勝つし、騎乗スタイルがきれいだよね。
斎藤:中央競馬でも10勝しています。私は1998年、チェックメイトに騎乗して単勝2万円台の穴を空けたときのことが印象に残っています。
宮崎:チェックメイトはあのあとエンジンかかって、重賞勝つまでになったからね。きっかけになってくれたのかもしれないね。どちらにしろ、強い馬に乗らないと勝てないから。
JRAで勝つというのはすごく大変。だからこそ、その中で勝つという醍醐味もある。初芝が多いので、一発勝負になるから、その中でも、できるだけいい結果を出せるように考えている。最初は芝に戸惑ったけど、今は何回も乗っているから、飛びや気性でその馬が芝に合うかどうかはだいたいわかる。適性は、ダートを走っててもわかるよ。まぁ、走ってみないとなんともいえないけど。
斎藤:今年まで、北海優駿を3連覇していますね(アラベスクシーズ、クラキンコ、ピエールタイガー)。このレースに思いはありますか?
宮崎:重賞はどんなレースでも勝てるのは名誉なことだから、どのレースが、ということは特にない。勝ちたいレース? ほとんど勝ってるからなぁ。そういえば、牝馬重賞を勝っていないな。今後は古馬の交流重賞で勝ちたいね!
斎藤:ブリーダーズゴールドカップのクラキンコは、地方馬最先着の6着でした。
宮崎:差があるよね...。馬も調子が悪かったからね。三冠の時に比べたら元気もなかった。でも、牝馬にしてはすごい馬だよね。
斎藤:クラキンコをはじめ、今までも大きなレースで乗替ることが多いですね。それでも乗りこなしていて...心臓に毛が生えているのではないですか?
宮崎:プレッシャーを感じないことはないですよ。もう28年乗ってるんで......スタッフの期待に応えるだけ。馬の能力と、厩舎スタッフが作り上げてきていることを信頼して、それを邪魔しないように乗るだけです。ゲート出てからは、もう馬のことを考えるだけですからね。
斎藤:では、趣味を教えてください。
宮崎:趣味はゴルフですね。騎手では、山口さんと行ったりします。
斎藤:自宅は札幌ですよね。札幌競馬場でレースがある時は、パドックから「パパ頑張って」と声がかかっていましたね(笑)。
宮崎:そうだったかな?(笑) 松本厩舎になってからは、全休の日もあるので、月に1~2回は家族に会いに行きます。娘が2人います。須藤先生の時は休みがなかったからなぁ。
斎藤:冬は遠征しないのですか?
宮崎:減量がきついので......。松本厩舎の馴致をしています。
斎藤:門別競馬場の印象はいかがですか?
宮崎:小細工がきかないから、強い馬に乗れば、乗りやすいよね。ただ、ペースが遅くて、ヨーイドンの直線競馬が多くなってしまう。雨降ると時計が変わるしね。霧の中で乗るのは大丈夫だけど、前で事故があったらわからないから危ないよね。後ろから行こうとすると、逃げ馬がどこにいるか見えないから、距離やタイミングがつかみにくいところはある。
斎藤:これからの目標を教えてください。
宮崎:あと何年乗れるかわからないからなぁ。
斎藤:何言ってるんですか、今もバリバリじゃないですか。
宮崎:若い頃よりは、衰えを感じるよ。気持ちはあるんだけど、昔ほど体がついていかない。2年前、足首を怪我したからね。去年も入院したし、門別になってから夏はいいことがないんだよな。
斎藤:(インタビューは騎乗停止になったすぐ後)......それも今年で最後でしょう! 今後の活躍を期待しています。ファンに一言お願いします。
宮崎:広い競馬場とナイター競馬を楽しんでほしいです。これからは2歳戦でスターホースが出てくるから、それを見つけてください。
思い切りのいい騎乗ぶりを見ていると、豪快な方なのかと思っていましたが、落ち着いた雰囲気はさすがベテランだと感じました。馬と人を信じてきた積み重ねが、結果に現れているんですね。これからも「あっ」と驚かせるような騎乗が楽しみです。
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※インタビュー / 斎藤友香
昨年7月のデビューから、ひたむきに頑張る姿が印象的な、笠松の新人・森島貴之騎手。異色の経歴を持つ22歳の、素顔に迫りました。
赤見:まずは騎手を目指すきっかけから教えて下さい。
森島:中学を卒業してから、すぐ鉄工所に勤めたんです。4年間働いたんですが、そこの先輩で競馬が好きな人がいて。僕は三重県生まれで、競馬に関係する施設も近くになかったから、初めは全然興味ありませんでした。
でも先輩が熱心に勧めてくれて、しかも地方競馬教養センターの願書まで取り寄せてくれたんですよ。あまりにしつこかったんで(笑)、「まぁ受けるだけ受けてみるかな...」という気持ちで受験したんです。
その頃には少しずつ競馬に興味も沸いてましたけど、まさか受かると思いませんでした(笑)。本当、たまたま合格出来たんだと思います。
赤見:センターに入るまで、馬に接したことなかったんですか?
森島:なかったんですよ。同期はみんな乗馬とかバリバリやってたんで、最初はすごく辛かったです。馬は大きくて怖いし、みんなみたいに上手に乗れないし...。
辞めたいって気持ちもあったけど、地元から出て来ちゃってるわけじゃないですか。今さら戻れないなと思いました。ここまで来て辞められないって気持ちで、毎日頑張りました。
赤見:無事に卒業して騎手になるわけですが、今度はデビュー前に怪我をしてしまったんですよね?
森島:そうなんです。3月に卒業して、4月の開催からすぐデビュー出来るはずだったんですけど、調教で落馬して膝を骨折してしまいました。入院自体は短かったけど、ギプスは取れないし自宅療養は長いしで、かなり焦りましたね。
赤見:その時はどんな想いで過ごしてたんですか?
森島:とにかく早く乗りたいって思ってました。毎日時間があるじゃないですか。だからよく同期のレースをネットで見ていたんですけど、いっぱい乗ってるやつもいるし、勝ってるやつもいて...。ものすごく焦りました。 やっとギプスが外れても、筋肉が落ちててリハビリしなきゃいけないし。毎日がすごく長く感じました。
赤見:無事7月にデビューを果たした時はどうでした?
森島:すごく嬉しかったですね。やっとスタートラインに立てたと思いました。 でも実際のレースは緊張してしまって...。一周あっという間だし、センターでやってた実習とは全然違いました。デビュー出来て嬉しいけど、難しいなとも思いましたね。
赤見:初勝利は3ヶ月半後でしたが、どんな気持ちでしたか?
森島:時間がかかってしまったけど、勝った時はものすごく嬉しかったです。
【エーシンファステム】という馬なんですけど、実はまだ候補生だった頃、競馬場実習に戻ってきた時に世話していた馬なんですよ。調教はもちろんですけど、身体を洗ったり、馬房を掃除したり。とても愛着のある馬だったんで、余計嬉しかったですね。しかもその後も2つも勝ってくれて...。僕は今全部で5勝(8月14日現在)なんですけど、そのちの3勝も挙げさせてくれてるんです。もう本当に可愛い馬です。
赤見:今の一番の思い出のレースは、【エーシンファステム】ですか?
森島:そうですね。初勝利もそうだし、1番勝たせてもらっているし。あの馬には、とても感謝してます。
あと、【ミスイサリビ】という馬がいるんですけど、今年の1月1日の1レースで勝ったんですよ。その時両親が見に来てて、目の前で初めて勝つことが出来ました。すごく喜んでくれて、母は泣いてたみたいです(照)。親孝行が出来たかなと思いました。
赤見:ご両親はもちろん喜んだでしょうね。騎手になることをしつこく(笑)勧めてくれた先輩はどうですか?
森島:先輩も喜んでくれてます。もう何度も三重から笠松まで応援に来てくれました。「まさか本当になるとは...」って驚いてました。
今はジョッキーになれて本当によかったって思います。難しいことや悔しいこともいっぱいあるけど、鉄工所にいた頃は、ただなんとなく仕事してましたから。今はやりがいがあって、毎日楽しいです。勧めてくれた先輩には、とても感謝してます。
赤見:騎手になって、変わったことってありますか?
森島:自分ではよくわかんないんですけど。先輩に、顔つきが変わったって言われました。前はナヨナヨしてて...。今もナヨナヨしてますけど、前はもっとしてたんですよ。少し、逞しくなれたのかなと思います。
赤見:この先、どんな騎手になりたいですか?
森島:今はとにかく1つ1つ大切に乗って、勝ち星を重ねることです。まだまだですけど、いつか岡部誠騎手のようになりたいです。
よくうちの厩舎の馬に乗ってもらうんですけど、すごく引っかかる馬でもかからないし、ササって追えないような馬でも真っ直ぐ走るんです。岡部さんが乗ると、簡単に乗ってるように見えるんですけど、それがすごい技術なんですよ。 レースのビデオも、意識して見ています。
兄弟子の花本正三騎手からは、たくさんアドバイスをもらってます。具体的には、自分の進路をしっかり取って、真っ直ぐ走らせろとか、もっと周りをちゃんと見ろって言われます。
落ち込むこともあるけど、花本騎手をはじめ周りの人たちが本当によくしてくれて、ご飯を食べに連れてってくれたり、休みの日には遊びに連れてってくれたりするので、すぐ前向きになれるんです。本当にありがたい環境で、みんなに感謝してます。
赤見:センターを卒業する時、外に出たら阪神戦を見に行きたい!と言ってましたが、実現しましたか?
森島:はい!やっと先月行くことが出来ました。吉井友彦騎手と横井将人騎手と一緒に甲子園まで行ったんですけど、もう本当に最高でした。いい気分転換になりましたね。
赤見:それでは、自己PR&笠松PRをお願いします。
森島:僕は、何をやるにしても一々長かったな、と思うんです。みんなより時間がかかるというか。でも、騎手として歩き始めたので、ここから先はしっかりと技術を学んで信頼してもらえるようになりたいです。 今の売りは、がむしゃらなこと。どんなに後ろにいても、最後まで諦めずに追って来ます。
笠松は、日本で唯一パドックがコースの中にあったり、ちょっと変わってる競馬場です。馬との距離が近いし、人馬の息遣いや騎手のステッキの音なんかも聞えて、すごく迫力あると思います。
ぜひ、生でレースを見に来て下さい!!
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※インタビュー / 赤見千尋