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馬券おやじは今日も行く(第22回)  古林英一

2006年8月 4日(金)

ばんえい必勝法の探求 その2

 全国のばんえい競馬ファンの皆様、暑中お見舞い申し上げます。

 「今年の北海道は冷夏ですかなあ」なんぞといっていたのが、嘘のようなここ数日である。暑い……。小生、北海道に移り住んで十数年になる。それまでは九州の宮崎に住んでいた。生まれは、くそ暑い、というより、暑苦しいといべき大阪であるから、本来的には暑さには強いはずなのだが、北海道に十数年住んでいると、すっかり暑さに弱くなってしまったようである。

 BANBA王を見ていると、『馬』の小寺さんが、「この馬は暑さに弱い」というコメントをしばしば口にしておられる。今週あたりはこのてのコメントには要注意かもしれない。

 小生、本来、岩見沢は比較的得意である。いや、得意だったはずだ。ところがどうしたことか、冷夏のせいか、さっぱり馬券が当たらない。勝負運が低迷しているのか、いや、そうではない。競輪はここのところ絶好調だ。小生が推理した展開通りにレースが進行するのである。小生の書いた筋書き通りに選手が走っている感じである。ところが、ばんえいは、小生の書いた筋書きを全く無視してレースがおこなわれている。小生の描くシナリオを懸命に馬に伝えるべく念を送るのであるが、馬の耳に念仏・馬耳東風なのである。もしかすると、こっちの意図を察知してわざとはずして走っているようにさえ見える。全くもって怪しからぬことである。

 こういうときは戦法を考え直さねばならない。そこで、またもや必勝戦術の見直しなのである。やっと本題である。今回検討する戦術は「大口への乗り替わりは買い」の法則である。ご存じのように、ばんえい競馬の騎手のなかで、夏井・大口両騎手だけがサウスポーであることから生まれた、法則というより格言のようなものである。

 実は、以前、たまたまBANBA王のスタジオで大口騎手に出会ったとき、「大口騎手への乗り替わりは買い」という法則をご存じかと尋ねたところ、大口騎手ご本人もこれはご存じで、それを期待した騎乗依頼もあるとのことであった。

 果たしてこの法則の真偽やいかに?

 検証に用いたのは2回岩見沢と3回岩見沢の計144レースである。このうち、他の騎手から大口騎手に乗り替わったレースは全部で17レースあった(うち、1レースは夏井騎手から大口騎手への乗り替わりなのでこの法則は該当しないかもしれない)。平均すると、1日12レースのうち、1ないしは2レースが該当するわけである。

 17レース中、前走より着順を上げたレースは6レース、下げた、ないしは変わらなかったレースが11レース。あれま!? こりゃ、どうしたことか?さらに、着順を上げた6レースで連絡みしたケースは一度もなかったのである。

 サンプル数が少ないから断定はできないが、以前ご紹介したお隣さんの法則と同様、「大口への乗り替わりは買い」の法則もあまり根拠のある法則でもなさそうである。またしてもトホホな結果に終わってしまった(>_<)

 いや、めげてはいけない。常識や定説を疑うところから科学の進歩はあるのだ。小生は嘘でも学者(だんだん嘘っぽくなってきてはいるが)である。科学の進歩のためには馬券代の損失などたいしたことではない。例え茨の道であっても、まさに、馬券おやじは今日も行くなのである。

 なお、念のために、大口騎手の名誉のためにも付け加えておくが、17レースのうち、単勝10番人気だったのが6レースもあるし、逆に3番人気以内だったレースは1つもない。つまり、この17レースの殆どはファンからはさほど期待されていない馬ばかりなのである。決して、大口騎手がヘボ騎手だというわけではない。大口騎手がちゃんと勝ち星を積み重ねていることは皆さん先刻ご承知のとおりである。

やっぱり馬が好き(第22回)  旋丸 巴

2006年7月28日(金)

素敵な人馬に会える共進会

 7月18日、久々に谷さんとデートした。って書くと、また、谷さんネタかと思われるだろうけど、今回は、共進会のお話。

 共進会というのは、平たく言えば品評会のこと。17日の夕方、谷さんから「明日、音更で共進会があるから行こうと思うんだけど、一人じゃ寂しいから一緒に行かない」とお誘いの電話。

 大体、馬がずらりと居並んで、その優秀性を競う共進会が、私は大好きである。それが、我が家からほど近い音更町(帯広市の北隣)で行われる。かてて加えて、岩見沢に行ってしまって久しく会っていない谷さんと会えるなら、万難を排しても行かねば!!

 という次第で出かけた今回の共進会は、その名も「十勝総合畜産共進会」。

 「昔に比べたら、参加馬が減った」と、関係者は嘆くけれど、1歳馬から繁殖馬まで十勝の農用馬(大型馬)精鋭馬73頭が一堂に会した会場は、やっぱり活気に溢れて壮観壮観。

 同年齢の馬を、これだけの頭数、体格や歩様を比較できる場は少ないから、私は狂喜乱舞して、巨漢馬の間を歩き回り、ためつすがめつしては嘆息する至福の時を過ごした。

 そんな大満足の共進会について、読者各位に報告したいことは山ほどあるけれど、それを全部書いていたら本欄がエンドレスになってしまうから、特筆すべきことを2つだけ、ご紹介申し上げよう。

0607281  まず、第1に報告すべきは、坂本東一騎手が会場に来ていたこと(写真)。坂本騎手と言えば、言わずと知れた、ばんえい屈指の名騎手。今年も、勝鞍数で3位につけて、リーディングを射程圏内に捕らえているけれど、そんな多忙なスター騎手が、開催の合間の休日に、わざわざ車で3~4時間もかかる岩見沢からやって来たとは……。研究熱心な方とは聞いていたけど、それにしても凄い情熱。と、そう考えたから、失礼とは重々承知の上で、一言ご挨拶を申し上げた。

 一面識もない怪しいオバサンに声をかけられて、坂本騎手、さぞ当惑されたことと思うけれど、レースでは精悍なこの名手が、私の差し出した名刺を柔和な笑顔で受け取って下さって、曰く
 「今日は、馬が好きって言う人を案内して来たんですよ。共進会の存在も日程も、一般の人には、ほとんど知られてないから、少しでも、こういう所を案内して、ばんえい競馬や馬を知ってもらおうと思って」

 ううむ、心底、感心してしまった。その口調の紳士的なことに先ず驚いたけれど、それ以上に、ばんえい競馬振興を真剣に考えている真摯な姿勢に、恐れ入るばかり。

 以前、この欄でもご紹介した服部調教師もそうだけど、ばんえい競馬には、「なんとしてでも、この競馬を守って行くんだ」という強い信念を持った人が何と多いことか。

 各馬を熱心に吟味する鋭い視線に戻った坂本騎手の、その貴重なお時間を潰すのは忍びなかったので、お礼を述べて早々にその場を退散したけれど、言葉を交わしたこの数分が、私の人生における宝物になったことは言うまでもない。

 と、坂本騎手に感動する余り、スペースが無くなってしまったので、先を急いで……。

0607282  今回、もうひとつ、私の琴線を揺さぶったのは1頭の2歳牝馬だった。金寿姫(写真)という名のこれなる馬は、サカノタイソン産駒。急逝したタイソンの産駒は、それだけで貴重だけれど、金寿姫は、その産駒の中でも群を抜いて素晴しい馬だと評判で、実際、この馬を目前にして私も嘆息してしまった。何と言っても雄大で、この日の計測でも体高は180センチ! その立派な馬格も、青光りする毛並みも、在りし日のサカノタイソンを彷彿させるに充分だったから、この馬との出会いも、また、人生の宝物となった。

 と、何だか、私的幸福をひけらかしてしまったけれど、読者各位だって、共進会に行けば、こんな素敵な人馬に会える。

 嬉しいことに、今年は4年に1度の全道共進会の開催年。馬(農用馬)部門は9月9日、10日の2日間、十勝農協連家畜共進会場(音更町字音更西2線9-1)で行われる。勿論、ここに登場するのは北海道中から選び抜かれた最上級の馬ばかり。だから、あなたも、未来のスター馬を探しに、そして、「生涯の宝物」となる出会いを探しに、共進会に来てみませんか?

馬券おやじは今日も行く(第21回)  古林英一

2006年7月14日(金)

街なかの馬

 本来、小生、岩見沢開催は得意なのである。1回岩見沢こそ不本意な成績であったが、2回岩見沢になって、俄然本領発揮なのである。1回岩見沢前半戦3日間のうち、2日間は収支プラス、1日はプラマイゼロという、いわば完璧に近い戦績であった。後半戦も収支的にはプラスである。ついでにいうと、競輪のほうも調子上昇である。日々コツコツと積み重ねてくると成果はあらわれるものである。人間努力が肝心である。ここらが小生のまじめなところなのである。

 さて、今回は久々に昔の馬の話である。ばんえい競馬は「農耕馬のレースだった」と書いてあるものをみかけることがあるが、実は、必ずしもそうではない。もちろん、農耕馬が多数出場していたのも事実だが、トップレベルで活躍していた馬の多くは、いわゆる農耕というよりは、山林作業であったり、運搬業で働いている馬だった。農家で通常飼われていたのは牝馬(繁殖・作業兼用のため)であった。

 では、街のなかで働いていた馬というのはどのようなものだったのか。これが、実は、よくわからないのである。そもそも、そういう馬が何頭くらいいたのかも今となってはよくわからない。

 馬車運送の話を教えてくれる人がいないだろうかと、北海道トラック協会にお願いしたところ、札幌市の中村運送の中村光雄会長を紹介していただくことができた。中村会長のお世話で、中村会長の他に当時のことをよくご存じの方3人にお話をうかがうことができた。以下はそこでうかがった話である。

 1950年代の半ば頃、札幌市内には大小20以上の運送業者があり、殆どは馬を使っていたという。中村運送(当時は中村組)は大手といっていいくらいだったが、使っていた馬は20頭くらいだったという。近隣の農家などから、馬と馬車(保道車というゴムタイヤ付きの車両)を連れて働きに来ていた人の馬が15頭くらいで、自社馬は5頭くらいだったという。ちなみに、日通は全部自社馬だったようだ。

 鉄道貨物の市内配送が主たる仕事で、札幌の場合、苗穂駅に着いた荷物を馬車に積んで市内の配送先に運んでいた。もちろん、それだけではなく、今トラックで運ぶものはすべて運んでいたといっていいようだ。

060713_1  写真は1957年、丸井今井百貨店に北海道初のエスカレータが設置されたときの写真である。当時、苗穂にあった三菱電機の工場から大通の丸井今井百貨店まで運んだ。3頭の馬が写っているが、真ん中の馬を曳いているのは今回お話をうかがったうちのお一人である高橋さんである。

060713_2  1960年代になると馬は急速に街のなかから姿を消していくが、中村運送の場合、1966年頃まで馬車が使われていた。写真はその最後の馬車である。えらく大きな荷物を積んでいる。こうした長大な荷物の運搬には馬車がよく使われたようだ。

 お話をうかがったうちのもう一人、鳴海さんによると、べろんべろんに酔っぱらっても馬はちゃんと家に連れて帰ってくれたそうで、そう考えるとトラックには代え難い機能もあったということである。

やっぱり馬が好き(第21回)  旋丸 巴

2006年7月 7日(金)

谷さんと辻本さん

 「な、何~~?! 谷厩舎~~?!」
 と、あられもない声を張り上げた相手は、辻本由美さん。ご存知、ばんえい競馬女性騎手第1号である。

   *   *   *

060707  ご案内の通り、騎手を引退した辻本さんは、十勝に牧場を構え、生産者として毎年、ばんえい競馬に駿馬を送っている。彼女と少しばかり面識があるのをいいことに、先日、何となく電話をしたら……。

 「牧場は母親に任せて、厩務員になったんだ」と言われて、仰天した。

 だって、5月に辻本牧場に遊びに行ったばかり。そして、そこで、生まれたての仔馬の世話や、種付けに忙しく立ち働く辻本さんの姿を見たばかり、なのである。それが、あれから僅か2カ月で厩務員に転身とは……?

 何か、よほど思うところがあったのだろう、と思って、辻本さんに尋ねたら、
 「うーん、思うところ……って別にないんだけどね。思うままに生きてる私だから」
 あはははは、と笑い飛ばされてしまった。ううむ、やっぱり辻本さんのパワーは凄い。

 因みに、辻本さんという人は、女性らしい気遣いの人であると同時に、「竹を割ったような」という言葉がそのまま服を着ているような、清潔無垢、豪放磊落な男性性も持ち合わせた、誠に気持ちの良い人なのである。

   *   *   *

 話は、厩務員に戻ったことを知らされて驚愕する場面に戻って……。しかし、そんなことで驚いている私に、更にもう一発、驚きのパンチが待っていた!

「で、勤務先はお父さんの厩舎?」と重ねて問うた私に、辻本さんの曰く

「いや、谷さんの厩舎」

 ここにおいて、私は冒頭の如く、あられもない声を張り上げるのである。

 いや、しかし、冷静に考えれば、谷さんと辻本さんは親友同士。だから、谷厩舎に辻本さんが勤めて何の不思議もない。不思議がないどころか、騎手経験も生産者経験もある辻本さんが厩務員としてサポートしてくれれば、谷さんも「鬼に金棒」。心強い助っ人に違いない。

 ちょっと驚かされたけど、これは素晴しい取り合わせだわ、と急に嬉しくなって、「じゃあ、頑張ってね」とエールを送って、電話を切った。

   *   *   *

 巨大産業に成長してしまったJRAとは違い、ばんえい競馬のシステムは、どこか家庭的で温かい。谷さんが辻本さんを厩務員に迎え入れて共に働く、なんてことが迅速に実現できるのも、小さな地方競馬ならではの話である。

 辻本さんが担当する馬はフナノカチ、セイウンステージ、タケノダッシュの3頭。この3頭が活躍すれば、「女性調教師・女性厩務員コンビの馬」として注目を浴びることは必至で……。

 もっとも、芯の強さ、行動力の凄さ、馬への愛着……何をとっても、そこいらの男性なんぞ問題にしないほどパワフルな、谷さんと辻本さん。だから、「女だから」なんてチャラチャラ祭り挙げてようとしても、決して軽佻浮薄なお神輿には乗らないだろうけど、ね。

馬券おやじは今日も行く(第20回)  古林英一

2006年6月30日(金)

夏到来、神罰てきめん?

 待ちに待った岩見沢が開幕した。札幌在住の小生にとっては、いわばホームグランドでの開幕である。開幕週は、残念ながら、日本環境学会への学会出張のため島根県に行っていたため現地参戦はできなかった。

 冬の帯広開催もいいが、夏の岩見沢開催はもっといい。爽やかな北海道の夏空の下、砂煙をあげて輓馬が疾駆する。ああ、北海道の夏はいいねえとしみじみ思うのである。また、岩見沢開催は、なぜか親子連れが多い。それも、じいちゃん、ばあちゃんと息子夫婦、それにまだ小さい孫たちなんていう観客がけっこういる。老若男女がそれぞれの想いでばんえいを楽しむ。これぞ、北海道の馬文化である。

060630  開催週こそ行けなかったが、1回岩見沢5日目(6月25日)には今季初の現地参戦を敢行した。当日9Rは北大競馬サークル「楡馬」(写真上)、10Rはわが北海学園大学の競馬サークル「VIP!」(写真下)のそれぞれ個人協賛競走がおこなわれた。両サークルによる予想合戦の模様は「BANBA王」でも紹介され、小生もちらっと「BANBA王」出演したのである。

 また、24・25日はスペシャルゲストとして女優の雛形あきこさんが来場していた。小生、幸いにも間近で雛形あきこさんを拝見する機会を得たのであるが、まことにきれいな可愛らしいお嬢さんであった。いやあ、眼福、眼福、いい目の保養になった(^^)/ ただ、おっちゃんの好みからいえば、5月にBANBA王のメインキャスターをやってくれた山田まりやちゃんの方が好きやなあ。まりやちゃん、このブログ見てくれてる~? 5月22日のBANBA王に乱入したアホのおっちゃんやで~(^^)/

 などと、気楽なことをいっている場合では実はないのである。目の保養にはなったものの、財布については保養どころか、泥沼化の一途をたどっている昨今なのである。今の小生はまさに「歩く再建整理団体」と化しつつあるのである。25日も起死回生を狙った11R北海道競馬記者クラブ特別では、小生が愛してやまない馬力の女神・アンローズが見事復活を果たしたものの、ゴール前期待していたホクトキングを人気薄シンザンウイークが交わして、トホホな結果に終わった。このレースの表彰式には雛形あきこさんも登場したのだが、記者クラブの代表として表彰式に臨んだG記者は、雛形あきこさんと並んで表彰式に出ることができ、「幹事会社は毎年持ち回りなんだけど、いい年に幹事になったなあ」と喜んでいた。

 それにしても、小生が堅いと思えば荒れる、荒れると信じれば堅くおさまる。裏目・たて目のオンパレードである。競馬なるゲームに親しんで既に約30年。もしかすると、小生は競馬というゲームのルールをどこか基本的に間違えているのかもしれない……。

 「BANBA王をしっかり見て勉強し直そう」と謙虚に思う昨今の小生である。この番組を見ていると、「馬」小寺・「ブック」定政の両氏が神様に見える。この両氏の予想が実によく当たるのである。「あんたら、もしかして、レースの台本書いてるのと違う?」といいたくなるくらいである。お世辞抜きに、さすがにプロは違うと心から思う。だが、しかし、馬券売り場でしばしばおみかけする両氏が、払い戻しに並んでいるお姿を拝見した記憶がないのである。不思議である。世の中、まだまだわからないことが多い。わからないことが多いからこそ、学ぶ意味があるのである。ワシってやっぱり学者やなあ。

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