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馬券おやじは今日も行く(第14回)  古林英一

2006年2月24日(金)

いつまで続くぬかるみぞ
 ~ばんえい必勝法の探求 その1~

 今回はがらっと趣向を変えてタイトルどおりの馬券ネタである。

 おそろしいほど馬券があたらない。わがばんえい競馬は今年から周年開催となった。一刻も早く泥沼から脱却しないと小生の財政は破綻してしまうのである。

 ウソでも小生は学者であるからして、まず冷静に現状を把握するところからはじめなくてはならないのである。

 小生の今年1月からの馬券収支において、回収率は約60%にとどまっている。つまり、1万円投資して6千円しか取り返していないということである。わずか1回や2回の試行であれば決して不思議な現象ではないが、こういっちゃなんだが、正月以来ばんえいは皆勤賞である。1月元旦からスタートして、2月20日まで、すでに26日間開催された。平均1日4レースは手を出しているから、100レース以上やっていて、この結果なのである。サンプルとしては決して少ない試行とはいえないだろう。

 まず、回収率60%という低率にとどまっている理由を根底から問わねばならない。ウソでも学者である小生としては、冷静に近代科学の方法論にたって検討せねばならぬ。まず仮説を立てねばならない。小生が最初に立てた仮説は、「経営難に苦しむ市営競馬組合が密かに控除率を上げたのではないか」というものである。とりあえず他人の責任に帰するというのが最も安易な解決策だ。先刻ご承知のように、競輪競馬の控除率は約25%。したがって、アトランダムに馬券を買っても回収率は75%になるはずである。この点は強調したい。宝くじやTOTOに比べりゃいわゆる3競オート(競馬競輪競艇オートレースの総称)の控除率は格段に低い。つまり世間一般の、無知なマスコミ・大衆の消費者の社会的通念に反して、競輪・競馬は消費者に優しいギャンブルなんである。加えて、競走馬の馬糞は土地に還元されるし、競輪は排気ガスを出さないので、地球にも優しいのである。ウソでも環境学者である小生(注1)はこの点も強調したい。

 アトランダムに馬券を買っても75%は回収できるはずなのに、小生の回収率は60%。これでは買い目を考えるだけマイナスに作用しているということではないか!「下手な考え休むに似たり」というが、これでは「休む」ほうがマシではないか。後にも先にもたった1回しか行われていない「ばんえい競馬予想大会」において、ニシダテ氏と組んで、輝けるチャンピオンに輝いたこの私が「休む方がマシ」なんぞということは、あってはならないことなのである。

 話を戻すと、この仮説はどうも正しくないようだ。というのは、このコラムで重賞予想をやっているヤノ・サイトウ両氏は快調に的中させているのである。サイトウ氏にいたっては「D-netの口座残高が増えて、増えて……」と密かに豪語しているのである。この儲けで馬券おやじという人種は、一般に、他人に儲け話をするのは大好きだが、他人の儲け話を聞くのは大嫌いなのである。悔しいったらありゃしない。「組合陰謀仮説」はどうやら棄却せざるを得ない。

 続いて立てた仮説は「情報流出仮説」である。これは小生の買い目が事前に流出し、正義の味方(ここはとりあえず「正義の味方」でないと語呂が悪いのである)である小生の破綻・失脚を狙う「悪の国際裏組織」が、小生の買い目をはずしたレースを仕組んでいるという仮説である。小生の頭のなかではこれも一時期有力な仮説だったのであるが、やはりどうも無理がある仮説である。そもそも、小生が「地球を守る正義の味方」であるという設定に無理がある。小生、人間をやりはじめてかれこれ50年近くになるが、生まれてこのかた、世のため・人のために活動したことなんぞ、ただの一度もないことにふと気がついたのである。ということで、この情報流出仮説も棄却である。

 以上、2つの仮説は、いわば客体要因仮説であり、小生本人以外に原因を求める仮説である。地球に優しく、自分にはもっと優しい環境学者の小生には都合のいい仮説なんであるが、ここは、どうやら、心を鬼にしてこの客体要因仮説は放棄せざるを得ない。すなわち、馬券が当たらない原因は、他ならぬ小生自身にあるという主体要因仮説を採択せざるを得まい。馬券を買い始めて四半世紀。馬券にいちゃんから始まり、馬券おやじにいたるわが人生で、「自分の馬券の買い方は間違っている」という事実を是認することは、まさに断腸の思いであり、自らの人生を否定するものであるが、身を挺して真実を希求する学者である小生は、敢えてこの苦難の選択をするのである。

 予想大会初代チャンプに輝いたとき、小生の必殺技は「お隣さんの法則」であった。これは「有力馬の隣の馬はつられてついがんばってしまう」というものである。他にも、「乗り替わりの大口騎手は狙い目」、「10号馬は買い」、「4・5着がここ2戦続いた馬は買い」とか、いくつかの小技はあるが、何よりも「お隣さんの法則」は猪木の卍固め(古いな~)なみの小生の必殺技だったのである。

 改めて検証してみた。ここらが科学的方法論を重んじる学者である。1月1日の3回帯広3日目から2月20日の7回帯広4日目までに310レースがおこなわれた。「お隣さんの法則」が的中したレースは全部で63レースであった。なかには1月23日のように、12レース中7レースがお隣さん決着の日もあったが、2月11日や2月18日のように「お隣さん」決着が一度もなかった日もある。ほぼ2割の頻度で「お隣さんの法則」は実現する。問題はこれで穴馬券が獲れるかどうかなんである。2割の的中率ではそこそこ以上の穴を獲らないと収益はあげ得ない。「お隣さん」馬券63レースの馬複の配当は最高が7,830円、最低が200円であった。

 ばんえい競馬の出走頭数は最高10頭。ということはお隣さん馬券は、馬複では1-2、2-3、……、9-10の最大9通り。ほんとはすべてがフルゲートではなかったので、少し買い目は少なくなるのだが、全レースがフルゲートだと仮定して、すべての「お隣さん馬券」を100円ずつ購入すると、310レースなら279,000円投資することになる。さて、得られた収入は?というと、63レースで113,140円。回収率は40.6%。ありゃま!?「お隣さん馬券」はアトランダムに買うより儲からないではないか!

 ということで、小生の必殺技「お隣さん馬券の法則」は脆くも敗れ去ったのである。
 だが、小生はウソでも真理を探究する学者であり、かつ、馬券歴四半世紀を超える歴戦の馬券おやじなのである。卍固め(=お隣さん馬券の法則)は脆くも敗れ去ったが、スタン・ハンセンのウエスタンラリアート(これも古いな~)並みの必殺技がいくつもあるのである。次回(があればの話だけど)は、「大口騎手乗り替わりの法則」をご紹介しよう。「乞う、ご期待」(誰も期待しないとは思うが)である。

(注1)小生は馬券おやじであるが、これは世を忍ぶ仮の姿、その実は環境学者である(どっちが世を忍ぶ仮の姿かはかなり怪しいものだが)。拙著『環境経済論』(日本経済評論社刊)は競輪・競馬ファンに配慮した世界で初めての環境問題入門書なのである。ということで、小生は世界有数の環境学者でもあるのだ(書評はこちらをごらんあれ)。できれば書店で買っていただきたい。この印税でばんえい必勝法を極める予定なのである。

やっぱり馬が好き(第14回)  旋丸 巴

2006年2月17日(金)

名優マルニシュウカン

 ばんえい競馬を主題として話題になっている映画『雪に願うこと』の試写会に行って参りましたよ、私も。本欄は映画評を記す場ではないので、評論、評価は省略するけれど、読者諸氏には、これだけは申し上げておこう。「映画の出来栄えはともかく、競馬ファンなら、是非、ご一見を。ばんえい競馬と、その裏舞台を見られる貴重な映画ですから」と。

 さて、試写会の後には、ばんえい関係者と製作スタッフが集まって、小さなパーティーが行われ、私も参加の幸運に恵まれた。因みに、このパーティーには、当情報局の編集長・斎藤修さん、矢野吉彦さん、古林英一先生も出席されて、私を含め執筆者揃い踏み。会場の一角に「怪しい集団」を形成していたのだけれど、まあ、それは余談として……。

Iseya  そんなパーティーで、しかし、何と言っても一人、オーラを発していたのが、主演の伊勢谷友介さんだった。何たって、背が高い、スタイルがいい、顔が小さい。もう一般人とは明らかに違うアトモスフィアを漂わせて、さすがは有名女優と噂されるイケメン俳優。(写真:右から2人目が伊勢谷さん)

 しかも、である。こんな天衣無縫、完璧な容姿の売れっ子であるにも関わらず、私の友人が握手を求めると、呆然するほどの爽やかな笑顔で握手に応じ、なおかつ「これからも宜しくお願いします」と、これまた輝く笑顔で宣もうたのだから……。うむむむむ。握手してもらった我が友人が日なたのチョコレートの如くグニャグニャになってしまったのも仕方なければ、見栄を張って握手を求めなかった私が嫉妬に悶絶したのも当然の成行き。

 と、すっかり伊勢谷レポート化してしまったけれど、そして、本当に伊勢谷さんは目がくらむほど格好よかったのだけれど、映画『雪に……』の中で、私が心ひかれたのは、実は、この美形俳優ではない。

Maruni  作中、最も秀逸な演技を見せ、誰よりも労苦を惜しまず真摯に映画に貢献した「魅惑の役者」、それは主役馬ウンリュウを演じた「マルニシュウカン」である。誰が何と言おうと、それが私の結論。(写真:マルニシュウカン)

 現役バリバリ、今正にレースに使われている、そんな馬が様々な無理難題を課せられ、それに応じた、というだけでも頭が下がるけれど、私が、この栗毛馬を「名優」と称する理由は、それだけではない。

 作中、主人公の男性(伊勢谷友介)とウンリュウ(マルニシュウカン)が心通わせる場面で、この馬は主人公に口をパクパクしてみせるのである。この仕種は、「スナッピング」と言って、群の下位に属する馬が上位の馬に対してする「服従」の仕種。つまり、この映画の中では、馬が主人公に「親愛の情」を示す、という意味を含めた「演技」なのである。

 そうした重要なシーンで、マルニシュウカンは、実に自然に主人公の肩口に唇を寄せ、柔らかく口を動かしている。

 これは本当に心温まる演技であって、そこいらの純愛映画のラブシーンなんか比較にならない「胸に染み入る名場面」。馬映画は随分観たつもりだけど、かほどの名演技が出来る馬は、海外にだって、そうはいまい。

 勿論、このマルニシュウカンを映画に提供して下さった馬主さんの英断と、映画製作に協力した久田調教師を始めとする厩舎関係者の尽力も忘れてはならないから、パーティーでは馬主さんに、観客を代表する心意気で「感謝」の意をお伝えしておいた。

 そして、また、過日、所用で帯広競馬場の厩舎を訪れた時には、マルニシュウカンにも面会させてもらい、この名優にご挨拶申し上げた。洗い場に繋がれた彼は想像より小柄で、しかし、なかなか芯の強そうな精悍な馬。その威風堂々たる姿を写真に収めたら、伊勢谷さんと握手できなかった悔しさも吹き飛んだ。

馬券おやじは今日も行く(第13回)  古林英一

2006年1月27日(金)

ばん馬の変化

 『昭和33年度馬籍簿綴』という資料が競馬組合の倉庫に残されていた。ちょいと思い立ってこの資料を整理してみた。またしても昔話で恐縮である。

 昭和33年(1958年)といえば小生の生まれた年である。また、昨年話題になった(まだ上映中だと思うが)映画『ALWAYS 3丁目の夕日』の舞台がこの1958年である。いつまでも自分が若いと思っているせいか、そんなに大昔のことではないと思っていたのだが、映画をみても、馬籍簿綴をみても、ワシも長生きしたもんだと思わず思ってしまう。世の中の変化がいかに大きかったかということだろう。

 小生と同じ年の北海道生まれのかたなら、馬が畑を耕したり、馬車をひいていたのを子供心に覚えているかたも多いだろうが、残念なことに、関西生まれの小生は農耕馬を見た覚えがないのである。というのは、関西では農耕に馬を使うということはほとんどなかったからだ。関西は馬耕ではなく牛耕なのである。

 どなたに聞いても、昔のばん馬は今のばんえいの競走馬に比べれば小さかったとおっしゃる。1963年までの格付け区分は肉眼判定で、馬体重の計量もなされていなかったのだが、1964年に体重制の格付け区分が導入される。この当時の格付けは、甲級、乙級、丙級、丁A級、丁B級の5段階である(丁Bというのは、そもそもは、農家に懇請して出場してもらった農耕馬用の格付けだそうだ)。体重制導入で、甲級は800kg以上と決められた。1960年度を例にとると、全出走馬1,037頭のうち、甲級馬は21頭しかいない。比率でいえば2%である。体重制導入後もこの比率に近い線で甲級馬がいたとすれば、800kg以上の馬はほんの数%しかいなかったということになる。今なら全馬が甲級馬である。40年ほどでこれくらい馬が変わっているのである。

 品種構成も今とはまったく異なっている。1958年の出走馬は全部で470頭。このうち約27%が中半血である。アングロノルマンやアングロノルマン系というのも3頭いる。アングロノルマンなんていう品種は当時盛んだった速歩競走に出てくる馬の品種だ。中半血の馬の血統をみると、速歩競走に出てくる馬と同じような血統の馬がみられる。ひょっとしたら、ばん馬と速歩と両方に出走した馬もいるのではないだろうか。なんせ、ばんえいに限らず、平地競走でも当時は腕に覚えのある人なら誰でも騎手登録ができた時代だ。自慢の馬を連れてばんえいも平地も出場したという馬がいても不思議ではない。

 品種の違いを反映し、毛色も今と昔はずいぶん違う。今でも青毛の比率は高いが、それでも2割程度だ。今一番多いのは鹿毛で約4割が鹿毛である。1958年のデータだと、最も多いのが青毛で約半分が青毛である。そういえば、浪曲や落語なんかで馬方や農民がひく馬の名前はほとんど「アオ」だったりする。

 今も青森県の尻屋崎に「寒立馬(かんだちめ)」と称される馬がいる。南部駒の血をひく馬だというが、実際にみると、在来馬ではなく、洋種の血が強くなっていることが一目でわかるが、ばんえいの競走馬に比べればかなり小さく、青毛も多い。おそらく、40年前、50年前のばん馬というのはこんな感じだったのだろうと思う。興味のあるかたが一度ご覧になるといいだろう。

 確かに、現在のばんえい競馬の競走馬は、農耕や小型の馬車をひかせるには大きすぎるかもしれない。ばん馬がめきめき大きくなるのは1970年代以降のことだ。それは実役馬としての馬の需要がほとんどなくなり、ばんえい競走馬もしくは肉用馬としてしか農用馬の需要がなくなったからに他ならない。馬だけではない。人もまたそうである。馬を実役に使う人もいなくなり、橇をひかせる仕事はばんえい競馬以外になくなってしまう。その一方で、1970年代、ばんえい競馬の売上高が急成長し得たことで、ばんえいでメシが食えるようになったことから、「ばんえいの騎手」という職業がなりたつようになったのである。

 こうして考えると、専業的な人・馬による「ばんえい競馬」が成立したのは1970年代はじめということだ。たかだか30数年の歴史だ。祭典輓馬から数えれば、100年を優に超える歴史をもつばんえい競馬だが、近代競馬としてはたかだか30数年。長くて短いばんえい競馬の歴史である。

やっぱり馬が好き(第13回)  旋丸 巴

2006年1月20日(金)

地震・雷・谷あゆみ

 前回、速報でお知らせしたように、我が友、谷あゆみさんが調教師試験に合格!

 実のところ、谷さんからは前々から「調教師試験を受けてみようと思ってんだ」とは聞いていた。けれど、ばんえい競馬にとって、谷さんは、女性初の調教師試験受験者。だから、谷さんも「何回か受けて、その間に準備して」と長期戦の構えだったのだが、結果は何と「一発合格」。谷さん自身は、困惑したようだったけれど、周囲は大喜び。

 不肖、私も合格の一報に狂喜乱舞した一人。すぐにでも彼女のもとに駆けつけ、お祝いを言いたかった……のだけど……。

 ご承知のように、「ばんえい初の女性調教師誕生」の報道合戦は、なかなかに熾烈。ただでさえハードな厩務員としての毎日に、大変な騒動が降りかかって来るのがわかったから、私は、しばらく訪問を遠慮していたのである。

 けれど、ようやくマスコミの取材合戦も下火になった一昨日(17日)、私は厩舎を訪れた。満を持して、と言う感じで……。

Photo142_1  開口一番、「おめでとう!」と、そう言うはずが、しかし、谷さんは愛馬カゲセンプーにソリをひかせての調教中。慌ててカメラを向けたら、「昨日、この馬と、もう一頭の担当馬キョウワプリンセスがレースに出て、二頭とも一着だったさ」と谷さんは破顔した。担当馬3頭のうち2頭が出走して、なおかつ優勝とは、正に快挙。そんな愛馬の活躍を、我が子のことのように嬉しそうに話す谷さんを見ていたら、極寒の中、強風にさらされているのも忘れて、桃源郷に迷い込んだような至楽の心持になった。(写真:愛馬キョウワプリンセスと谷さん)

    *************

 ばんえい競馬で新厩舎開設するのは容易なことではない。まずは10頭の馬と、それを担当してくれるスタッフを集めなければならないのだけれど、この不況の折に、それだけの人馬を用意し、運営を始めるのは精神、肉体、金銭、いずれの面でも負担は並大抵のものではない。

 けれど、と私は思うのである。

 「ばんえい競馬ためになることなら、何でもやる」。口癖のように繰り返す谷さんを、私は知っている。そして、馬たちのことを愛してやまない谷さんを、今、私は目撃している。

 かほど、ばんえい競馬を、そして、ばんえい競走馬を心底愛する彼女であれば、そして、勤勉さと優しさを併せ持つ彼女であれば、厳しい現実の中でも、自ずと道は開かれる。私は、そう確信しているのである。

 因みに、谷さんを知る人々が彼女に捧げたキャッチフレーズは「地震・雷・谷あゆみ」。平素は心優しい谷さんが、しかし、一たび意を決すれば、天変地異ほどの威力を示して……。だから、不況も、ばんえい競馬低迷も、あゆみパワーで粉砕突破!

 こんな素敵で頼もしい谷さんに、読者各位も宜しくご声援のほど、お願いしますよっ!

馬券おやじは今日も行く(第12回)  古林英一

2006年1月 6日(金)

「ガラ」について

 新年明けましておめでとうございます。

 例年だと、千葉のS級戦(競輪です)で元旦を迎えるのだが、今年は気合いをこめて、元旦から「ばんえい」に参戦。2日から4日までは重賞3連発。矢野・斎藤両先生(これだけ的中されるとこりゃあもう「先生」と心からお呼びするしかない)のご高説をじっくり拝読した結果、まず、帯広記念はミサイルテンリュウははずせない。斎藤先生ご推奨のヨコハマボーイは気になりつつも切り……これが失敗(T_T)。続く銀河賞は「やった、的中!」と喜んでたらオッズがえらく下がってトリガミ(T_T)。そしてホクレン賞。小生、敢えて両先生に逆らってみた。というのは、このレース、毎年けっこう荒れ模様。そこでニシキセンプーからはメダマ他のちょい穴目に流していたので、「やったあ、的中!」とテレビの前でバンザイ三唱。ところが、なんと、D-netで買い間違えてた。こういうときって、生きていくのがイヤになる、ほんと(T_T)。

 4日間の連戦がおわり、ちょっと一息。

 さて、今回は馬具の話である。ここしばらく、まじめにばんえい競馬を「研究」しているのだが、その中で興味を引かれたのが馬具・馬装。そのなかでも今回は「ガラ」について。

 ばんえいファンならご存知だろうが、ばん馬の肩のところにU字型の馬具が装着されている。あれがガラである。ガラは橇の重量を肩全体で受け止め、馬体に重量が食い込まないように装着される馬具である。(参考:馬具・馬装について

 実際にもってみると、ずっしり重い。このガラをちゃんとつくれる職人さんは、今や日本広しといえど、実はそう多くない。帯広競馬場近くで十勝馬具という馬具屋さんをやっている鵜沼勇さんはその数少ない一人でこの道の第一人者である。

 古くからのばんえいファンなら、鵜沼正吉・武の兄弟を覚えておられるだろう。どちらも騎手・調教師としてながらく活躍されていた方だ。正吉さんは勇さんの兄、武さんは弟である。富良野で生まれた勇さんは、16歳のときに帯広の馬具店に修行にはいり、24歳で独立・開業した。現在、73歳なので、かれこれ60年近く馬具をつくってきた大ベテランの職人さんである。

 ばん馬をみたとき、一番目立つ馬具がガラだ。ガラというのは英語のカラー(襟)collarから来ていると何かで読んだことがある。清音のカラーが濁音のガラになるあたり、どうも東北訛のようだ。

 上位馬になると専用のガラをつけてもらっている。専用のガラは、当然、背吊りや呼びだしといった他の馬具とお揃いだ。どことなくお相撲さんの化粧まわしを連想する。小生がお気に入りなのはスミヨシセンショーの銀色に輝く馬具だ。

Dscf0007  ガラつくりは直径9ミリの鉄棒をU字型に曲げるところからはじまる。ガラのかたちに曲げた鉄棒を稲藁でつつみ、ナイロン紐をまきつけてしっかり固定する。実は、この稲藁というのが、昨今なかなか入手できないのだそうだ。小生なんかが子どもの頃は、秋、刈り取りが終わり、脱穀も済むと、稲藁が上手に積み重ねてあったのを記憶しているが、昨今はそんなことはしない。コンバインで稲刈りをしながら脱穀すると藁は粉砕されてしまっている。(写真:ガラ製作中の鵜沼勇さん)

Dscf0008  鵜沼さんが使用している藁は、岩手出身の西弘美騎手が故郷から持ってきてくれるのだそうだ。丈のながいモチ米の藁だという。鵜沼さんが弟子修行していた頃は、「内地」(今の北海道の子は使わない言葉だ)からの米俵をほどいて使ったという。また、藁を縛りつけるのは今はナイロン紐だが、もちろん昔はそんなものはない。麻縄だったそうだ。(写真:ガラ製作用の稲藁)

 これで芯ができた。後は裁断・縫製した革で芯を包み、しっかり籾殻をつめて完成だ。籾殻は近所の農家から入手している。

 新品のガラは1週間くらい馬に装着して馴染ませ、ようやく実用に供される。

 小生が鵜沼さんの仕事場におじゃましたとき、黒革のちょっと小さめのガラがおいてあった。聞けば宮内庁の馬車用のガラだそうだ。鵜沼さんのご子息が勤務するソメスサドルから修繕依頼があったものだ。わが国の馬具製造ではトップメーカーといってもいいソメスサドルでさえ、今やガラをつくる職人はいないのだという。

 鵜沼さんの仕事場から退出するとき、階段に馬具を連結する金具が箱にいれられて積まれてあった。なんでも、この金具をつくる鍛冶屋さんがいなくなり、中古の金具を備蓄しているとのことだ。

 こうして考えてみると、北海道の馬文化として、北海道遺産に選定されたばんえい競馬は、たんに馬術競技としてだけではなく、それを可能とする技術・技能に支えられて成り立っていることがわかる。まさに「馬文化」である。

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