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やっぱり馬が好き(第12回)  旋丸 巴

2005年12月16日(金)

幸せになりたかったら競馬場へ

 いやいや、ついにやって来ましたね、待望の帯広開催が。厳寒の山村に住むものにとって、冬は「寒いし雪降るし、やだなー」っていうのが正直なところ。なんだけど、ばんえい競馬が来る、という楽しみがあるから冬の到来も結構待ち遠しいのである。

 そんな訳で、12月3日帯広開催初日には、いの一番に競馬場に駆けつけたのは当然。

 「いやー、久しぶりの帯広競馬場はいいなぁ」と大声で叫んだのは、けれど、私ではない。競馬場に入った途端、近所の馬好きのオジサンに出会って、このオジサンが顔中に笑顔を貼り付けて、私に、こう言ったのである。

 もっとも、周囲を見渡せば観客席にもパドックにも、そんなファンの笑顔が溢れている。どこぞの映画評論家じゃないけど、「いやー、競馬って本当にいいですね」という陳腐なセリフが頭を駆け巡る。競馬初日は、いつだって私の頭はオーバーヒートしてしまうのだ。

 ただし、今年は、いつもと違うこともあって……そう! 今年はエキサイティングゾーンなるものが登場。私のヒートアップした脳みそを更に熱くして……。

 ご承知の通り、今年から導入されたエキサイティングゾーンは、ばんえい競馬の「華」=第二障害付近に設けられたスペース。今までは、ばんえいのコースの手前に、かつて使われていた平地用のコースが挟まっていて、つまり、それだけ遠くから観客はレースを見ていた訳だけど、エキサイティングゾーンと称して、内側の旧コース部分を開放。観客は、間近で馬達が障害を駆け登る姿を見られるようになった、という次第。

 なるべく近くで馬が見たい、というのが常日頃からの願いである私にとって、こんな嬉しいことはなくて、だから、馬券購入もそこそこに、早速、これなるゾーンで観戦。うーん、やっぱり迫力が違うわ、と感心も得心もしてしまったのである。

 はてさて、こうして間近で競馬を観て、パドックで馬を観察し、スタンドで熱々のラーメンをすすって(帯広競馬場のラーメンは堅ゆでで美味しいのよ! ちょっと塩っぱいのが、関西出身の私には難だけど)、もう、こうしているだけで私は幸せ。

 勿論、スーパーペガサス級の強い馬や、アンローズのような贔屓の馬、はたまたヨコハマボーイみたいに耳元の個性的な馬なんかのレースを観るのも好きだけど、格下の無名馬達を観ながら、のんびりと競馬を楽しむ……これまた競馬の醍醐味。

 ポケットの中で馬券を握り締め、反対の手に持った甘酒で体を温めながら、昨日までは名前も知らなかった馬に声援を送る。

 こんな素敵な時間って、なかなか見つけられるもんじゃない。

 という訳で、皆さん、幸せになりたかったら、帯広競馬場に行こう! その結果として財布に寒風が吹いても責任は持たないけどね。

馬券おやじは今日も行く(第11回)  古林英一

2005年12月 2日(金)

ウマ科学会に参加

 早いもんでもう北見開催がおわってしまった。ついに今年の北見開催に現地参戦することができなかった。残念である。

 先週の北見記念は矢野さん、斎藤さん共に的中おめでとうございます(^^) 小生はといえば、当日、わが北海学園大学の推薦入試に駆り出され、小論文の監督やら採点やらをやらされていたのである。業務を終えて急いで研究室に戻り、なんとかレース発走には間に合って、インターネットで観戦することはできた。馬券的にはわが最愛のアンローズからサダエリコが大本線で、あとシンエイキンカイにも少々という配分。これで、まず、大丈夫と思ったら、どうした、アンローズ!? 行きっぷりがいまひとつの上に、なんとゴールで転倒。ゴールインしたようにもみえたけど、ゴールインしてなかったんですな。本サイトの「レース回顧」を見たところ、馬体は無事だそうで、まずは何よりだ。

 さて、本題である。北見記念の翌日は東大で日本ウマ科学会というちょいと変わった学会の第18回学術集会なるものが開催された。既にごらんになった方も多いかと拝察するが、今年の学術集会は29日(火)発行のスポーツ新聞各紙に大きく報道された。スポニチは裏1面、サンスポはなんと表の1面だった。いわゆる学会なんぞという催しがスポーツ新聞の1面で大きく報道されたことなんて、まさに前代未聞の珍事である。小生も学者の端くれ、毎年それなりに色んな学会に出席してるが、学会のシンポジウムがスポーツ新聞に報道されたのは初めてである。もし、スポニチを捨てずにお持ちの方がおられたなら、一番大きな写真をご覧あれ、グレーのスーツを来たハゲ頭のおっさんが写っているはず。それが小生である。自分が禿げオヤジだということはわかっていたが、後ろアタマでも禿げていたとは……気がつかなんだわい。

 この学会が大きく報道されたのは、ディープインパクト号の強さを科学的に検証するというテーマでシンポジウムが開催されたからなのだが、実はこの学会、何も競馬好きの学者が集まってつくった学会ではない(もちろん会員のなかには競馬好きもたくさんいるが)。馬を専門とする獣医さんや畜産学関係者、さらには馬を研究対象としている歴史学者、経済学者、乗馬関係者、馬愛好者、まさに馬という動物のつながりだけで、様々な人びとが集まっている学際的な学会なのである。

 翌日におこなわれた一般講演では、われらがばんえいに関係する研究報告もいくつかおこなわれた。例えば、家畜改良センター十勝牧場の荒川さんは馬の牽引力を測定する方法に関する研究発表をされていた。また、小生も古い輓曳競馬の記録を元にした発表をさせてもらった。小生の学会報告の内容は近々小生のサイトにアップする予定であるので、ご覧いただければ幸いである。また、感想やご意見なんかもいただければうれしいと思う。

 もちろん、学会であるから、専門的な内容の発表がほとんどで、聞いていてもちんぷんかんぷんなものも中にはある。獣医さんが中心の学会なので、特に、病理学関係の報告などは小生みたいな門外漢にはさっぱりわからんのだが、それでも、発表者や質問者とのやりとりを聞いたりすると、「ほ~、そんな病気もあるんだねえ」とか、「なるほど、こういう栄養が足らないと馬はこんな病気になるんだねえ」などと思うことも少なくない。

 ウマ科学会の学術集会は毎年晩秋におこなわれている。一度のぞいてみてはいかがだろう。また、この日本ウマ科学会は、秋の学術集会以外にもいろいろな催しをおこなっている。詳しくはウマ科学会の公式サイトをご覧あれ。どうでもいいことだが、このサイトのアドレスをよくみると、「go.jp」というのがついている。これは政府関係機関のアドレスである。学会って政府関係機関なの?と思われるかもしれないが、決してそうではない。実は、この学会の事務局が日本中央競馬会の競走馬総合研究所にあり、学会のサイトもここにおかれているからなのだ。

 学会なんていうと、世間一般にはちょいと敷居の高いイメージもあるが、実は必ずしもそうではない。興味さえあれば簡単に見学できる学会もけっこう多い。ウマ科学会をちょいとのぞいてみると、もしかすると、新たな馬の見方や楽しみ方がひらけるかもしれない。ただし、この学会、馬券検討の参考には全くならないことだけは予め断言しておく。

やっぱり馬が好き(第11回)  旋丸 巴

2005年11月11日(金)

偉大なる服部義幸調騎会会長

 新聞で「服部義幸調教師1000勝」の文字を見たときは、思わず「おおーっ」と叫び声をあげてしまった。

「10月28日、第10レースでハマナカキングが優勝。これによって同馬の調教師である服部師が通算1000勝をマークした。ばんえい競馬史上6人目の快挙」
と、新聞各紙で取り上げられた服部調教師に、私は一度だけお会いしたことがある。

 今年の2月、ばんえい競馬で活躍する人々が一堂に会した某パーティーでのこと。ばんえい界や地方競馬全国協会やらに日本馬事協会やら、何しろ、そういった関係の偉い方々が会場中央で華々しく歓談されているから、私のような下っ端は会場の隅で立食に勤しんでいたのだけど、そんな私より未だ端っこで、ひっそり佇む紳士がいて、それが他ならぬ服部調教師だった。

 同席していた、厩務員にして画家、我が友でもある谷歩さんが紹介してくれて、初めてご挨拶申し上げたのだが、ばんえい競馬の上位で活躍し、調騎会の会長さんも勤められている偉い方なのに脂ぎったところが皆無の温厚な方で、そのお人柄に感心することしきり。

「服部先生はねぇ、イベントなんかに手作りの馬車で訪問されるんだよ」と、寡黙な服部調教師に代わって谷さんが教えてくれたから、「え、ポニーかなんかの馬車で行かれるんですか?」と尋ねると、同師は笑って、
「いや、ばんえい競馬に使う大きな馬で馬車を引くんだ。一般の人にも、ばん馬に親しんでもらわんとね」

 呼ばれれば道内どこでも馬と馬車を用意して出かけられるという。札幌の場外馬券発売所Aibaの開設記念式典でも活躍されたし、服部師の馬車の訪問を待ち望む幼稚園や保育所は道内にいくつもある。

 いやいや、道内ばかりではない。後で知ったことだけど、今年2月には、富山市にある富山市ファミリーパークに、自ら調教した2頭の馬と大型の馬車を送られた。20周年のリニューアル・オープンに際して「小額の予算で馬と馬車を導入したい」という同パークの要請に一肌も二肌も脱いで、損を覚悟で協力。大型馬車の運行を実現させた功労者でもある。

 本業の調教師としてはコーネルトップ(ばんえいグランプリ、北見記念など31勝)など数多くの駿馬を育て、調騎会会長として地方競馬再建のために奔走、ばんえい競馬の普及のために手弁当で馬車の出前をする。

 みんなに愛されてこその競馬、とスローガンを述べる人は多い。けれど、ここまで骨身を削って競馬のために尽くされている方を、寡聞にして私は知らない。

 そんな素敵な服部調教師が1000勝という偉業を達成されたと知って、ちょっと涙目になってしまった私なんである。

馬券おやじは今日も行く(第10回)  古林英一

2005年11月 4日(金)

馬肥ゆる秋

 祝、4冠制覇!!!

 といっても、ディープインパクトの有馬記念orジャパンカップ制覇を先取りして言っているのではない。ばんえいファンなら先刻ご承知かと思うが、映画『雪に願うこと』が第18回東京映画祭で、東京サクラ・グランプリ(これが一等賞なんだろうと思う)をはじめとして、最優秀監督賞(根岸吉太郎)、最優秀男優賞(佐藤浩市)、そして観客賞の計4冠を獲得したのである。最優秀エキストラ賞があれば小生が……それはないわなあ。ともあれ、まことにもってめでたい話である。ばんえい競馬界にとっては久々の朗報といっていいだろう。公開が待ち遠しいかぎりだ。

 さて、北海道は先週あたりから急に冷え込んできた。今年は気温の高い日が続き、わが家の隣にある寺院の銀杏もなかなか色づかなかったのであるが、この急な冷え込みで一気に葉が黄金色に色づいている。まさに「天高く馬肥ゆる秋」である。この成句はあまりにも有名なのであるが、意外に出典がわからない。手元にある広辞苑(なんと第三版である。学生時代に古本屋で買い求めたものだ)にも出典は書かれていない。もしかすると新しい広辞苑には書かれているのかもしれないが。

 ともあれ、この「天高く馬肥ゆる秋」というのが中国の諺らしいということは比較的知られており、小生の理解しているところでは、秋になると、農耕民族である漢民族の収穫物を狙って、北方の騎馬民族(匈奴とか北狄とかよばれた民族のことだろうと思う)が、よく肥えた馬に乗って略奪に来るから気をつけよという意味である。ところが、インターネットで検索したところ、良く肥えた馬を狙って略奪に来るのを警戒する言葉だと理解している人もいる。また、小生は略奪に来るのは北方の騎馬民族だと思っているのだが、西方の民族と理解している人も少なからずいるようだ。

 いずれの解釈が正しいのか、ご存じの方がおられるなら、ぜひご教示いただきたいとことだ。中国の諺はともかくとして、確かに秋は「馬肥ゆる」季節なんだろうとは思う。我らがばん馬も、かつては、おそらく秋に高カロリーの穀物をしっかり食わし込んで冬の林業作業などに備えたのではないかと思う。ばん馬は農用馬といわれるが、実際のところ、少なくとも1960年代になると、北海道でも農耕用というよりは、むしろ砂利採取や冬の造山などで使役されていた馬が多かったのではないだろうか。当時のばんえい競馬は春から秋にかけて開催され、冬は開催されることはなかった。名人といわれた中西関松氏らは、冬場は馬を連れて山仕事に行っていたという。この山仕事が冬場の格好のトレーニングになっていたのかもしれない。

 時代は流れ、ばんえい競馬は、今年度からついに周年開催となった。かつて秋におこなわれたばんえい記念(その昔は大臣賞典とよばれていた)も、冬季開催の実施にともなって厳寒期のレースとなり、そして周年開催の実施にともなって今年度からは3月下旬のレースとなってしまった。ばん馬の場合、ハードトレーニングと高カロリー飼料によって体をつくっていく。まさに「馬肥ゆる」わけであるが、逆にシーズンオフには運動量が減るために飼料も少なめにする。したがってオフのばん馬は「馬やせる」状態である。開催日数の増加にともない、いったん馬体を緩めるという時期がなくなってしまう。このことが、はたして、馬自身にとってはいいことなのか、どうなのか。少し気にかかることである。

やっぱり馬が好き(第10回)  旋丸 巴

2005年10月28日(金)

二世ロッシーニって?

 「二世ロッシーニ記念」では、私の大好きなアンローズが優勝。二世ロッシーニの美人な孫娘が制した訳で、誠におめでたい。

 という訳で、今回は名種牡馬「二世ロッシーニ」について記そうと思う。思うけれども、前もって言っておくけれど、ばんえい競馬の種牡馬についての資料というのは驚くほど少ない。

 サラブレッドなら、どんな馬でも血統や成績は、すぐに知ることが出来る。古い種牡馬だって、資料のバックナンバーを入手するか、今ならネットで検索すれば、何ほどの苦労もなく調べられる。

 ところが、である。ばんえい競馬となると、レース出走馬の資料はあっても、未出走の種牡馬となると、もうお手上げ状態。だから、ばんえい史上初の1億円馬キンタローや名種牡馬マツノコトブキの父である二世ロッシーニといえども、産駒成績以外のこととなると、その全容を知るのは難儀極まるのである。

Photo_5  と、散々、気弱な前置きを書いたけれど、そうは言っても、私だって血統マニア。数年前には「北海道種雄馬銘鑑」という本を入手。この本、昭和59年に北海道挽用馬振興対策協議会なる会が製作。二世ロッシーニについても、写真と簡単な資料が掲載されている。それによれば、二世ロッシーニの体高は173cm、胸囲231cm、管囲に至っては30cmというから、やっぱり立派な体躯の馬だったのである。写真を見ても、首刺しの立派な、短背と長い腹を持ち合わせた優雅な体型。雄大で伸びもあるから、なるほど、産駒が活躍するのも当然である。

 そんな立派な二世ロッシーニが、どんな馬であったのか、更に知りたくて、前回、当欄に記した我が「師匠」に、尋ねた。

 「二世ロッシーニって、どんな馬だったんですか?」

 名伯楽の師匠のこと、きっと偉大な種牡馬の長所を謳いあげるのだろう、と思いきや「あんまり素晴しい馬じゃなかったよ」とのこと。驚愕する私に、師匠は面白くもなさそうに、続けて「だから網走に行ったんだわ」

 幼少の頃は、あまりパッとしなかった二世ロッシーニ。だから、種牡馬として買い上げられたものの、馬産地としては当時は遠隔地であった網走で繋養されたのだ、と、そういうことであるらしい。

 そんな二世ロッシーニが、しかし、大方の予想を裏切って、活躍馬を続々輩出。ばんえい血統地図を塗り替え、記念レースにまで名を残すのだから、競馬は分からないもの。

 この二世ロッシーニ系の血が、今後益々繁栄するのか、はたまた、これを凌ぐ名血統が台頭するのか、興味は尽きない。

 尽きないけど、前述「北海道種雄馬銘鑑」以降、ばんえい種牡馬に関する書籍は出版されていなくて、だから、誰か、新しい銘鑑を作って! 誰か! お願い!

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