ばんえい競馬情報局とは?

ばんえい競馬の最新情報を提供します。重賞を中心に予想や回顧のほか、ばんえい競馬に関するコラムなどもご覧いただけます。
カレンダー
リンク
おすすめコンテンツ

メイン

ばんえいコラム アーカイブ

<<前へ 1617181920212223242526

やっぱり馬が好き(第20回)  旋丸 巴

2006年6月23日(金)

谷厩舎の期待馬たち

 谷さんが調教師デビューしたら、すぐにも一筆、と思っていたのに、他にも色々書きたいことがあって、寄り道するうちに、あらら、気がつけば6月も下旬。開催も帯広から旭川へ、そして、岩見沢に行ってしまったのだから、正に光陰矢の如し、ですねぇ。

 ……なんて感慨にふけっている場合じゃなかった。谷厩舎発進、というお話である。

060623photo1  ご案内の通り、ばんえい競馬の場合、新調教師は10馬房をもらって開業するのだけれど、開業前、谷さんは「10頭も揃えられるかなぁ」と、ちょっぴり心配気だった。(写真:谷さん自らの手になる谷厩舎の看板)

 「地震・雷・谷あゆみ」と称され、度胸の座っていることでは、そんじょそこらの男性なんて比べものにならない彼女が、「ちょっぴり」とは言え心配そうな顔をするなんて、こりゃ相当に大変なことらしい、と、脇で見ているだけの私なんぞは大いに気を揉んだのだけど……。

 案ずるより何とやら。谷さんの人徳のなせる技なのだろう、ほどなく馬房は埋まって、4月23日にはデビューから僅か5戦目で初勝利を挙げたのだから、いやはや、凄いね、谷さんは。

 さて、そんな谷厩舎で、私が注目する馬はマクベツテンリュウ(牡2歳)とホシマツリ(牡7歳)。

 マクベツテンリュウは能力試験時から谷さんが期待していた馬。その期待に応えて、谷厩舎の初白星を挙げたのも、先日19日には岩見沢で白星を重ねて谷厩舎に4勝目をプレゼントしたのも、この馬なのである。

 かくして谷厩舎の看板馬となったマクベツテンリュウだけれど、私が、この馬に興味を持ったのは、その血統。何と、この馬、父の父も、母の父もヒカルテンリュウ。つまり、2×2の近親交配で生まれた馬なのである。
 これだけ強い近親交配だと、遺伝的不具合が危惧されるけれど、谷さんによれば、マクベツテンリュウは立派な体躯とゆったりした精神構造を持った優良馬であるとのこと。名馬ヒカルテンリュウの良い資質をうまく受け継いだマクベツテンリュウが、どこまで成長してくれるか、楽しみは尽きない。

 もう1頭、谷厩舎の注目馬はホシマツリ。当欄の読者なら良くご存知のオープン常連馬である。デビューから15戦連続1番人気(うち9勝)という記録を持つ実力馬。縁あって今春から谷厩舎所属馬となった。さすがに上位のクラスだけに簡単に勝ち星はあげられないけれど、それでも常に上位に食い込んでいるから、この馬も厩舎の看板馬である。

 ただし、オープン馬だからと言って行動も優等生かと言えば、そんなことはない。かえって、こういうクラスの馬には一癖あることの方が多いようで、ホシマツリも、その華麗な名前とは裏腹に、なかなかのヤンチャ坊主らしい。

 先日も、厩舎に入った谷さんの頭をガブリ。

 「本気じゃなかったと思うんだ。私が頭をあげたのと、ホシマツリが、ちょっかいをかけに来たのが同時だっただけで……」と谷さんは言うけれど、頭に歯型がガッチリついたというから……キャー!  すぐに病院で何針だか縫う治療を受けたそうな(何針縫ったか、聞いたけど怖いから故意に忘れた)。

 けれど、まあ、そんなヤンチャ振りにメゲる谷さんであるはずもなし。この原稿を書くために、先程電話して、「大丈夫? ちゃんと髪の毛生えた?」と尋ねたら、「髪の毛? 生えたんじゃないかなぁ。」と、すっかり傷のことなんか忘れたみたいに呑気な声を出していたから、さすがは谷さんである。

 と、今回は谷厩舎主力2頭をご紹介したけれど、谷さんに言わせれば、「ハルツヨシは、第2障害を降りてからが速いから、レースが面白いよ」とか「牝馬3頭もめんこいよ」と、どの所属馬も個性豊かだから、いずれ、また本欄で、ご紹介したいものである。

060623photo2  ところで……。今回は特別付録として「若かりし頃の谷さんの写真」を添付しちゃうのである。谷川牧場勤務時代と言うから、?年前の貴重な写真。本稿の内容には特に関係ないけど、いつも本欄を読んで下さっている皆さんへの感謝の印として特別公開。

 どうです、一緒に写ってる当歳馬も可愛いけど、ふっくらとした面差しの谷さんも可愛いー!! でしょ?

馬券おやじは今日も行く(第19回)  古林英一

2006年6月16日(金)

北海道の馬文化

 現地参戦で挑んだBG1第一弾の旭王冠賞。矢野・斎藤両巨匠にチャレンジした予想では、◎ミサイルテンリュウ、○サダエリコだったから、とりあえずは的中なのだが、馬券は馬単でミサイルテンリュウ→サダエリコを大本線とし、押さえに馬複でミサイルテンリュウ=サダエリコを買っていたのである。小生が買ったときには4倍あった馬複が、レース終了後には280円まで下がっていた。おかげでトリガミになってしまったのである。勝ったサダエリコは立派のひと言である。

 矢野大先生の予想は◎サダエリコ○ミサイルテンリュウだったから、お見事! 恐れ入りましたm(_ _)m 小生、まだまだ修行が足りぬ。

 さて、話は変わるが、今、北海道開拓記念館「北海道の馬文化」という特別展が開催されている。この特別展、実は昨年予定されていたのだが、開幕2日前になって、展示室の天井にアスベストが使用されていることがわかり、急遽中止になってしまったものである。

 昨今、世間一般には、馬といえばサラブレッドというのがふつうだろう。ここしばらく、映画その他でばんえいの注目度が上がっているとはいえ、それでもやっぱり現代日本においての馬といえばまずサラブレッドだろう。

 ところが、この特別展、サラブレッドに関する展示は皆無なのである。展示は、(1)ドサンコのあゆんだ道、(2)人びとの暮らしを支えた馬、(3)戦争と馬、(4)馬にまつわる民族と娯楽、という4つのテーマから構成されている。いずれも興味深い展示物が並んでいるのであるが、特に小生の興味をひいたのが、(3)の戦争と馬のコーナーである。第二次大戦中、数多くの馬が中国大陸を中心とする戦場に送られたことは周知であるが、ここでは馬の戦死履歴を記載した書類など、多くの展示物が陳列されている。

 「戦死履歴」という書類を見ると、馬名に続いて、いつ大陸に送られたか、どのような戦場を転戦したか、そして最後はどうなったのかが記録されている。そこには「五月二〇日江北作戰新集東南一粁ニテ戰死」、「九月九日蹄葉炎ニテ歩ク困難トナリ蒲圻ニ残置、一〇月一二日遂ニ癈馬トナルニ至ル」「六月六日應山病馬廠ニテ戰病死」などという痛々しい記載が延々と並んでいる。

 また、愛馬袋というのが展示されている。これは馬をひく兵隊が下げていた布製のバッグで、中には少量の麦などがはいっている。学芸員のKさんによると、今回展示されている愛馬袋の中に入っている麦は当時の麦だそうである。この愛馬袋から出された麦を生まれ育った故国を遠く離れた異郷の地でうまそうに食った馬はその後どうなったのだろう。戦地に駆り出された馬は一頭も戻らなかったといわれている。

 ふだん、「とった、とられた」「勝った、負けた」という目でしか馬を見ていない馬券オヤジとしてはちょいと考えさせられるものがある。

 数々の展示物の最後に、さりげなくおかれたテレビ画面で、1962年・63年に恵庭市で開催されたばん馬大会の記録映像を見ることができる。これも貴重な映像である。小生、ヒマだったので、50分のこの映像をしっかり初めから最後まで見た。この映像を見ていたら、まことに面白いことに気がついた。というのは、馬の映像と所有者の名前は頻繁に登場するのだが、馬名が一切出てこないのだ。成績紹介にも人の名前は出るのだが、馬の名前は出てこない。これを見て、小生は以前調査先で聞いた徳之島の闘牛の話を思い出した。闘牛の番付には馬名ならぬ牛名が記載されているのだが、これがおもしろいのである。所有者の名前そのものなのだ。「山田兄弟号」とか「喫茶ひまわり号」なんぞという名前なのだ。中には「田中太郎号(旧・吉田次郎号)」のように、所有者が変わったことがわかる牛名もあった。つまり、ここでは牛は所有者と一体なのである。昔のばん馬もそんな感じだったのだろうか。

 「北海道の馬文化」北海道開拓記念館で6月25日まで開催中である。ぜひ観覧をお勧めする。なお月曜は休館日なので要注意。もっとも、このコラムを見ている方々は月曜はばんえい開催日なのでそもそも行かないとは思うのだが……。

やっぱり馬が好き(第19回)  旋丸 巴

2006年5月26日(金)

頑張れ希世ちゃん

 今月3日、佐藤希世子騎手が100勝を達成した。02年1月のデビューから1,204戦目での記録達成。地方競馬の女性騎手としては11人目、現役では3人目の快挙とのこと。もっとも、「地方競馬では」と言っても他の競馬場でのレースは、みんな平地競走。単純に他場の騎手の記録とは比較できないけれど、ばんえい競馬史上2人目の女性騎手がデビュー6年目で100勝というのは「堂々たる戦績」と言って良いはず。何はともあれ、希世ちゃん、おめでとう!

Kiyo  と、今、私は馴れ馴れしく「希世ちゃん」なんて呼びかけてみたけれど、実のところ、私は、この人と面識がないのである。競馬場のパドックで、出走馬にまたがった精悍な彼女を眩しく仰ぎ見ることは多いけれど、直接、お会いしたことは皆無。当然のことながら、話もしたこともない憧れの存在なのである。

     *   *   *

 数年前まで、ばんえい競馬について、私は極く普通のファンであった。それが、縁あって谷あゆみさんと親しくさせてもらうようになり、以降、色々な馬や人にも会わせてもらったり、取材させてもらったりするようになった。

 スーパーペガサスの調教も見せてもらったし、昨年の「ばんえい記念」では、この英雄の口取りに参加させてもらう栄誉に浴した。映画『雪に願うこと』の試写会パーティーにも出席したし、主演馬マルニシュウカンとも対面させてもらった。

 ……と実に様々な僥倖を得て、幸せ一杯胸一杯。物書きとしての「役得」を実感する日々である。

 けれども、しかし、なのである。生来が「つむじ曲がり」の旋丸。物書きだからといって諸々の特権を得ていると、何だか最近は少しく居心地が悪くなって来た。

 ファンの知りえないこと見られないことを見知って優越感に浸っているジャーナリストは、私の最も軽蔑する人種だけれど、顧みて、自分も、そんな嫌ったらしい種族になりつつあるんじゃないか、と心配になって来たのである。

 佐藤希世子騎手にも、会おうと思えば必ず誰かが快く紹介してくれるに違いない。うまくすれば、親しくお話できる間柄になれるかもしれない。

 けれど、今、私は、一ファンとしてパドックで彼女を見上げることに何とも言われない満足感を感じているのである。口を真一文字に結んで、凛々しく本馬場に向かう彼女に片思いの心持で密かにエールを送る瞬間が好きなのである。

 そんな訳で、今しばらくは、佐藤希世子さんとはお会いしないでおこうと思う。お会いしないで、純粋無垢にファンとして競馬場で声援を送ろうと思う。

 「希世ちゃん頑張れ!」と、フツーのオバサン旋丸は、今日も声援を送るのである。

馬券おやじは今日も行く(第18回)  古林英一

2006年5月19日(金)

山で働く馬

 みなさん、「BANBA王」観てます? あの番組ほんとうにいいね。初心者からベテランまで楽しめる本格的な番組ですな。

 さて、本題。行ってきました、山仕事。現場は道南上ノ国町にある北大演習林。今ではほぼ絶えてしまった馬を使った森林作業(馬搬という)の技術を伝承・保存しようという企画である。この企画を続けているのは上ノ国町の太田垣茂さんという方である。この方は森林の保全・活用に尽力されている方であるが、その一方で類い希な馬好きオヤジでもある。もちろん競馬も大好きというお方だ。この太田垣さんのパートナーとして愛馬とともに活動に参加しているのが、久末代志市さん。御年75歳。現在オープンで活躍中のスターエンジェルの生産者である。この爺様も馬が好きで好きでたまらないという人である。

 上ノ国で馬搬作業をやっているという話を聞きつけ、見学したいと電話したら、「見学だけ?」と問い返され、思わず「いえ、できることは何でもさせていただきます」と返事してしまったことから、にわか杣夫(そまふ、北海道ではヤマコ=山子という)になった次第である。

060518photo1  GW期間限定・見習い杣夫兼馬方となった小生であるが、見よ、わが勇姿。何でも形からはいる小生である。なかなか似合っているのではなかろうか(写真)。自分でいうのもなんだが、学界広しといえど、ヘルメット姿が似合うということでは、小生の右に出るものはそう多くあるまい。

 格好だけはもっともらしいのだが、なんせ小生はハマチ養殖の論文で博士号をとった農学博士であるからして、漁業と農業については多少知識もあるが、林業についてはドのつく素人である。林業用語もまったくわからない。

 太田垣さんは「馬を使うためには準備が大事なんだ」と繰り返しおっしゃっていた。馬を見たいという人は多いものの、たんに馬を見たいというだけで、森林作業をきちんと理解しようという人は少ないのだそうな。「見学だけ?」とおっしゃったのには、「たんに馬だけ見に来るような真似はするなよ」という意図だったようだ。

 3日間の日程の初日は馬は登場しなかった。馬搬をおこないやすいように木を倒し(木を切り倒すことを伐倒という。小生が覚えた最初の林業用語だ)、馬が作業しやすい環境をつくる必要があるのだ。以前伐採した木の断片(断片といっても直径30センチ、長さ数メートルの丸太もある)がごろごろしているのを、適当に寄せ集めたりして、馬が通りやすいように片付けねばならない。

060518photo2  まずトビという道具(魚市場で使う手かぎの親方みたいなもの)を使って丸太の残骸を寄せ集めて整理する(写真)。これが簡単そうにみえてなかなか難しい。どの立木の間を馬が通ると具合がいいかを判断しながら邪魔物を片付けるのだが、伐採予定の木を倒す方向と、馬がひく方向なんかを判断しながらやらねばならない。しかしまあ、木というのは存外重いものである。でも数時間やってるとトビの扱い方だけは少し上手になったのである。ちょっとうれしい。

060518photo3  林の間に幅1メートル程度の小道がある。この道を通って、伐倒して枝をはらった杉の木をドシャバという集積場に集める。林からこの小さな道に木を搬出することを「藪出し」というのだそうだが、馬を林のなかに入れての藪出しというのはしないことも多いらしい。ではどうするのか。伐倒した木にワイヤーをつなぎ、滑車などを使って馬は道で木を曳くのだという。ただ、今回は、馬の扱いに長けた久末さんの指導で、林のなかにまで馬をいれて藪出しをした(写真)

060518photo4  まずは藪出ししやすいように木を伐倒せねばならない。見習い杣夫である小生はチェーンソーの操作はできないので見ていただけだが、木を思う方向に手際よく倒すというのもなかなか難しいようだ。チェーンソーの操作にそこそこ慣れている人たちでも結構難儀している。3日目に山仕事50年という方も先生として参加したのだが、さすがにこの方のチェーンソーの使い方は見事である。姿勢が美しい。何の仕事でも、熟練の職人の仕事の姿勢はビシッと決まっている(写真:チェーンソーの使い方を指導しているところ)

 2日目。いよいよ馬の登場である。今回、がんばってくれたのは、久末さんが飼養しているニシノサクラ号(雌・5歳)である。昨年秋の作業で初めて山に入った馬だという。ばんえい競馬の競走馬ではないが、久末さんとともに草ばん馬には出場している馬だ。

060518photo5  正直なところ、文弱の輩であり非力な小生は長さ2メートルの丸太を曳くのも難しい。ところが、このニシノサクラちゃん、障害物のない斜面だと、長さ20メートル直径30センチばかりの丸太を3本くらいなら、軽々引っぱりあげてしまう。本物の「馬力」というのはまことにもってえらいものだ。また、急坂をこえるときなんぞは、ちゃんと腰を使う。まさにばんえい競馬の障害越えそのものだ(写真)

060518photo6  手際よく藪出しできるかどうかは、ひとえにそれまでの準備次第だということがつくづくわかる。どの木の間を抜ければうまく丸太を曳けるかを久末さんが瞬時に判断する。馬を御すための人が馬の後につくのだが、別に手綱をとった人が馬を上手に誘導せねばならない。見習い馬方の小生、この誘導役を少しやらせてもらった(写真)のだが、これがなかなかうまくいかない。足場の悪い林のなかで、馬をうまく誘導するどころか、自分の足元が怪しくなる始末だ。太田垣さんもあきれはてていた。小生、本物の馬方には到底なれそうにもない。ちょっと悔しい……。

 3日間作業に混ぜてもらって、馬の動きを見ていると、これがまさにばんえい競馬のルーツだということが実感された。考えてみれば、農耕や平坦な道路で馬が腰を使って障害を越えることなど実際にはなかったろう。急坂を越えて丸太を曳く姿はばんえい競馬の障害越えそのものなのだ。ばんえい競馬が単なる馬ぞりレースではなく、障害を越えるレースとして考案されたのは、まさにこうした山仕事のイメージがベースにあったのだろう。

060518photo7  今でも、ばんえい競馬を「残酷だ」「馬がかわいそう」なんぞという人がいる。そんな人は本当の馬の力を知らない人だ。ばん馬をバカにしてはいけない。ばん馬という偉大な動物は、1日数時間にわたり、急峻な坂や障害を越えて丸太を曳き続ける「馬力」を持っているのだ(写真)。ばん馬たちにとって、そして、愛馬とともに働く男たちにとって、日常の仕事で培った「馬力」を人々に見せつける晴れの舞台がばんえい競馬だったのだろう。

 ここでちょっとお知らせ。

 北海道新聞社からばんえい競馬の写真集が発行された。詳細は後日お知らせするが、これはばんえい競馬ファン必見だ。

馬券おやじは今日も行く(第17回)  古林英一

2006年5月 2日(火)

山ごもりのゴールデンウィーク

 世間はゴールデンウィークである。もちろん、小生も連休である。小生のことだから、GW中は競輪・競馬三昧だと思われがちである。確かに、われらが「ばんえい」は3~8日となんと6日間連続開催。おまけに、3~6日は岸和田記念競輪、3~5日は道営ホッカイドウ競馬の札幌開催まである。だが、しかし、6日間のうち、今年は競輪・競馬と無縁の3日間を送る羽目に陥ってしまったのである。

 というのは、3~5日の3日間、ひょんなことから上ノ国町の北大演習林にこもることになってしまったのである。

 「馬搬」という言葉をご存じだろうか? とりあえず、馬で運搬することが馬搬なのだが、ここでいう馬搬とは森林作業のひとつで、伐採した木を馬を使って搬出する作業のことである。

 かつての「ばんえい」は実役馬が競走馬として使用されていた。開催日数も今に比べれば格段に少ないから、賞金や手当でメシを食うなんぞということもできない。ごく一部の馬と人を除き、殆どの馬は普段地元で働いていた。こうした状況は1960年代半ば頃まで続いたのだが、馬の稼ぎ場所でもっとも最後まで重要だったのが山仕事である。

 ばんえい競馬草創期から名人の名をほしいままにした中西関松なんていう人は、早くから4つの競馬場を馬を連れて転戦した人だが、その中西にしても、1970年頃まで、シーズンオフには山仕事を続けていたという。

 林道の整備や作業の機械化が進展するにしたがって、馬は山仕事から消えていった。わが北海道は比較的早く馬による作業が見られなくなったというが、最近でも東北地方のごく一部には馬を使って作業をおこなっている人もあると聞く。

 今、北大の演習林で、技術の伝承的な意味合いで、馬を使った作業をおこなっている人が上ノ国にいる。小生は今回この作業の見学に行くのである。使用される馬の所有者は久末さんという人である。ばんえいマニアならこの名前に聞き覚えがあるかもしれない。スターエンジェル号の生産者である。山仕事をやってくれるのはこのスターエンジェル号の姉だと聞いている。また、作業を実際にやっているのは上ノ国町の太田垣さんという人で、馬好きということでは人後に落ちないお方である。

 次回のこのコラムではこの模様を写真入りでレポートしたい。ご期待あれ。

<<前へ 1617181920212223242526
Copyright (C) OddsPark Banei Management Corp. All Rights Reserved.