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馬券おやじは今日も行く(第19回)  古林英一

北海道の馬文化

 現地参戦で挑んだBG1第一弾の旭王冠賞。矢野・斎藤両巨匠にチャレンジした予想では、◎ミサイルテンリュウ、○サダエリコだったから、とりあえずは的中なのだが、馬券は馬単でミサイルテンリュウ→サダエリコを大本線とし、押さえに馬複でミサイルテンリュウ=サダエリコを買っていたのである。小生が買ったときには4倍あった馬複が、レース終了後には280円まで下がっていた。おかげでトリガミになってしまったのである。勝ったサダエリコは立派のひと言である。

 矢野大先生の予想は◎サダエリコ○ミサイルテンリュウだったから、お見事! 恐れ入りましたm(_ _)m 小生、まだまだ修行が足りぬ。

 さて、話は変わるが、今、北海道開拓記念館「北海道の馬文化」という特別展が開催されている。この特別展、実は昨年予定されていたのだが、開幕2日前になって、展示室の天井にアスベストが使用されていることがわかり、急遽中止になってしまったものである。

 昨今、世間一般には、馬といえばサラブレッドというのがふつうだろう。ここしばらく、映画その他でばんえいの注目度が上がっているとはいえ、それでもやっぱり現代日本においての馬といえばまずサラブレッドだろう。

 ところが、この特別展、サラブレッドに関する展示は皆無なのである。展示は、(1)ドサンコのあゆんだ道、(2)人びとの暮らしを支えた馬、(3)戦争と馬、(4)馬にまつわる民族と娯楽、という4つのテーマから構成されている。いずれも興味深い展示物が並んでいるのであるが、特に小生の興味をひいたのが、(3)の戦争と馬のコーナーである。第二次大戦中、数多くの馬が中国大陸を中心とする戦場に送られたことは周知であるが、ここでは馬の戦死履歴を記載した書類など、多くの展示物が陳列されている。

 「戦死履歴」という書類を見ると、馬名に続いて、いつ大陸に送られたか、どのような戦場を転戦したか、そして最後はどうなったのかが記録されている。そこには「五月二〇日江北作戰新集東南一粁ニテ戰死」、「九月九日蹄葉炎ニテ歩ク困難トナリ蒲圻ニ残置、一〇月一二日遂ニ癈馬トナルニ至ル」「六月六日應山病馬廠ニテ戰病死」などという痛々しい記載が延々と並んでいる。

 また、愛馬袋というのが展示されている。これは馬をひく兵隊が下げていた布製のバッグで、中には少量の麦などがはいっている。学芸員のKさんによると、今回展示されている愛馬袋の中に入っている麦は当時の麦だそうである。この愛馬袋から出された麦を生まれ育った故国を遠く離れた異郷の地でうまそうに食った馬はその後どうなったのだろう。戦地に駆り出された馬は一頭も戻らなかったといわれている。

 ふだん、「とった、とられた」「勝った、負けた」という目でしか馬を見ていない馬券オヤジとしてはちょいと考えさせられるものがある。

 数々の展示物の最後に、さりげなくおかれたテレビ画面で、1962年・63年に恵庭市で開催されたばん馬大会の記録映像を見ることができる。これも貴重な映像である。小生、ヒマだったので、50分のこの映像をしっかり初めから最後まで見た。この映像を見ていたら、まことに面白いことに気がついた。というのは、馬の映像と所有者の名前は頻繁に登場するのだが、馬名が一切出てこないのだ。成績紹介にも人の名前は出るのだが、馬の名前は出てこない。これを見て、小生は以前調査先で聞いた徳之島の闘牛の話を思い出した。闘牛の番付には馬名ならぬ牛名が記載されているのだが、これがおもしろいのである。所有者の名前そのものなのだ。「山田兄弟号」とか「喫茶ひまわり号」なんぞという名前なのだ。中には「田中太郎号(旧・吉田次郎号)」のように、所有者が変わったことがわかる牛名もあった。つまり、ここでは牛は所有者と一体なのである。昔のばん馬もそんな感じだったのだろうか。

 「北海道の馬文化」北海道開拓記念館で6月25日まで開催中である。ぜひ観覧をお勧めする。なお月曜は休館日なので要注意。もっとも、このコラムを見ている方々は月曜はばんえい開催日なのでそもそも行かないとは思うのだが……。

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