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馬券おやじは今日も行く(第27回)  古林英一

2006年11月10日(金)

輓曳から「ばんえい」へ

 存廃論議で気の揉める昨今である。これは公営競技(いわゆる3競オートですな)全般に共通していえることなのだが、1950年代に、自治体(中央競馬は国だが)の収益源として現在の公営競技が出そろい、以来半世紀の歴史を刻んできた。ついでに、ちょいと細かいことをいうと、3競オートのうち、競馬については「自治体の小銭稼ぎとして競馬をやる」という文言は、競馬法のどこを探してもないのである。あるのは収益の使途を定めた第23条の3だけなのである。しばしば「財政競馬」といういい方がなされるが、少なくとも、競馬に関しては「財政寄与」を目的にあげる必要は実はないのである。

 だから、競馬については、「財政への寄与」ではなく、「馬事文化の保全・継承」を目的に掲げてもかまわないのである。このことは、ばんえい存続のひとつの根拠として、高く掲げてもいいのではないだろうか。全国津々浦々のばんえいファンの多くは、馬券だけが目当てではなく、ばんえいという世界でも類例をみない馬事競技そのものを愛好しているのだと小生は信じている。もちろん、馬券推理も重要な楽しみではあるのだが。

 さて、小生の今回の表題は「輓曳から“ばんえい”へ」であるが、輓曳と“ばんえい”は同じだろ?という疑問はもっともである。これは文学的表現というものなのである。もちろん、辞書的な意味は同じだ。だが、その昔、輓曳と表記されていた時代と、現代の「ばんえい」と表記される時代では、ずいぶんその内容は変わっている。

Sori1  ばんえい競馬情報局をご覧になるような方なら、先刻ご承知とは思うが、馬と橇を連結している帯のような馬具がある。胴びきというのだが、これは布製で、橇との連結部分だけ鉄製のチェーンが使われている。

 輓馬大会などではチェーンのみの胴曳きも使われている。なぜ故に布製の胴曳きが使用されているのか、布よりもチェーンの方が丈夫だろうと小生なんぞは思っていたのだが、実はさにあらずで、チェーンは腐食による損傷があって、切れやすいのだそうだ。そこで麻製、現在はナイロン製の胴曳きが使用されているのだという。

 また、胴びきに平行して、長い棒が装備されている。これはかじ棒である。「輓曳」の時代のかじ棒は木製(タモの木が使われたそうな)だったのが、今ではグラスファイバー製である。木製では損傷が起こりやすいことに加え、タモの木そのものが資源枯渇によって入手困難になってきたことから、グラスファイバー製に切り替えられた。

 タモの木に替わる材料を探し求めていたとき、たまたま走り高跳びのバーを見た関係者がこれだと思いついたという逸話が残っている。走り高跳びと輓曳競馬、思わぬところで思わぬものが結びつくものだ。早速関係者が尋ね回って見つけたバーのメーカーが、あのミズノであった。ミズノの担当者も思わぬ注文でさぞびっくりしただろう。ということで、今は違うそうだが、最初のグラスファイバー製かじ棒はミズノ製だったのである。

 橇だって当初は木製だったのが、今の鉄製になったのは、1970年代になってからの話である。重量物も当初は麻袋やカマスに土砂を詰めたものだったのが、今は鉄板である。

 一見すると、昔ながらの競技のように見えて、その実、ずいぶん近代化がおこなわれているのである。伝統の継承・保存と、近代化という、一見相反するテーマをさりげなく、実現したのが「輓曳から“ばんえい”へ」という流れであった。

 と、今回はちょっと学者っぽいシメで、お後がよろしいようで。

やっぱり馬が好き(第27回)  旋丸 巴

2006年11月 3日(金)

北見名物「ばんば焼き」

 ばんえい競馬が存亡の危機に瀕している!

 本欄読者なら、もう充分ご承知だろうが、ばんえい競馬は累積赤字の増大を理由に廃止が検討されている。そして、既に先月には旭川と北見の撤退が決定していて、これに岩見沢の撤廃が決れば、我らが、ばんえい競馬は消滅する。

 となれば、ばんえい競馬は他の地方競馬と違って受け皿がないからのないから、スーパーペガサスもミサキスーパーも、愛しのアンローズも、どこにも行き先はない訳で……!

 そんなことにならないために、ここは是非にも皆さんのお力を借りたいのである。ばんえい競馬を愛する読者各位が声を合わせて、ばんえい存続を訴えて欲しい。あの力強く優しい馬達のために、どーか、どーか、よろしくお願いするのである。

  *  *  *  *  *

 上記のようなことを、ここだけではなく、最近の私は、あちこちに書き散らし、加えて、知り合いのマスコミにも訴えているのだけれど、そんなことばかりしていたら鬱々として来たから、30日には憂さ晴らしに遊びに出かけた。行き先は……勿論、ばんえい! 前述の如く撤退、廃止が確実な北見競馬場を今のうちに徹底的に楽しんでおこう、という次第で、そうと決れば、このところの憂鬱など忘れて、勇躍、北見に出発進行!

 私の日頃の行いの良さ故か、雲ひとつない晴天に恵まれて、当日は爽快至極な競馬日和。

 「北見のコースは、ゴール前が上りになってるでしょ。だから、パワフルなペル系が力を発揮するはず。今日は、芦毛か青毛の馬で勝負!」と、同行した夫と娘に上機嫌で宣言なんかしたりして、北見競馬場まで片道3時間半の道程もアッという間。

 さて、いよいよ、北見での競馬参戦と相成ったのだけれど……。

 実に私の狙い通り芦毛と青毛の馬が大活躍……なんて、現実は、そうシンプルではなくて、なぜか栗毛の馬が圧勝したりなんぞするから、私は敗戦に次ぐ敗戦。ついに10連敗を記録して、馬券においては散々な一日となりにけり。

 ではあるけれど、馬券で負けたって、薄い財布がますます薄くなったって、やっぱり競馬は楽しい。暖かい秋陽の下でピカピカに光る馬達のお尻を眺めたり、谷厩舎2頭出しのレースで「あわや親子丼」というシーンに狂喜したり、BANBA王に出演していた矢野さんに手を振って丸無視されたり、と、ミニサイズの北見競馬場を縦横無尽に駆け巡って、その楽しさを堪能した。

 そんな中で、読者諸氏に、いの一番でご紹介したいのは「ばんば焼き」。皆さんは、ご存知ですか? これなるお菓子を。

Photo_69  「なーんだ、馬の話じゃなくて、お菓子の話か」なんて馬鹿にしちゃダメですよ。何しろ、この「ばんば焼き」、ただの今川焼き、つまり、どら焼きの親戚みたいな焼きまんじゅう。ではあるけれど、フカフカの皮に可愛い「輓馬」が刻印されている、これがミソ! ここに、ちょっとピンボケだけど写真を添付したから、よくご覧いただきたい。どうです、馬具をつけた「ばんえい競走馬」の姿が可愛いでしょ? 斬新でしょ? あっ、ただし、ばんば焼きには、あんこ入りとクリーム入りの2種類があって、馬が刻印されているのは、あんこ入りだけ。クリーム入りの方は何の模様も入っていないから要注意。

Photo_70  さて、しかし、ばんば焼きの魅力は、それだけじゃない。1個100円の、このばんば焼き。5個買うと特製の箱に入れてくれて、これまた馬が印刷されているから、マニアならずとも顔がほころぶ。「甘味本命」なんて記されているのも、また競馬場らしくて実に味わい深いし。

 考えてみると、昨今は競馬場名物っていうのが少なくなって、まして持ち帰りの出来る名物なんていうと、ばんえいに限らず全国の競馬場でもあまりお目にかかれない。ばんば焼きは、そんな稀少な競馬場名物なんである。

  *  *  *  *  *

 山に囲まれた小さな競馬場で、ほかほかのばんば焼きを食べながら馬を見ていると、本当に、しみじみと、ばんえい競馬の楽しさ良さが体に染み込んで来て、頭の中が痺れるような心持になって来た。そして、この感覚に身を任せていると、また体の違うところから、ふつふつと湧き上がって来たのは……

 「こんな幸せな空間を消滅させちゃダメ~ッ!」って気持ち。

 しつこいようだけど、皆さん、ばんえい存続のために、ご理解とご協力を。みんなの力で、ばんえいを守りましょうよ、ねっ!

馬券おやじは今日も行く(第26回)  古林英一

2006年10月28日(土)

ばん馬の人たち~装蹄師さんの巻~

 小生、今(金曜夜)、実は東京にいるのである。このコラムの順番をしっかり忘れていたのである。困ったもんである。宿に戻ると、斎藤編集長から「こら~っ、まさか順番を忘れてるわけじゃあるめえなっ!」(※注)という留守電がはいっていたのである。
忘れてました。すんません。

 昔なら、どうしようもないところだが、今はパソコン&ネットの時代である。宿の備え付けのパソコンでこの原稿を書いているのである。便利な世の中になったものである。東京にいてもばんえいが観戦できて馬券も買える。予想紙だって手に入る。なんでもかんでもネットでOKなんぞという錯覚を起こしてしまいがちだが、現実の世の中そうはいかない。

 前回の小生のコラムでは獣医さんの仕事を紹介した。今回は装蹄師さんの仕事を紹介しよう。ITだの、ネットだのといった小賢しい世界とは無縁の職人の世界である。先週だったか「BANBA王」でも、今回紹介する高橋さんのお仕事がリポートされていたので、もしかするとごらんになった方もおられるかもしれない。

 現在、競馬場内で装蹄の仕事をされているのは、高橋さんと千葉さんの2人である。小生がお邪魔したのは高橋さんのほうである。

 高橋修さんは、祖父も、父も装蹄師である。息子さんは高橋さんの仕事を手伝っておられ、お孫さんは現在装蹄師の養成課程で勉強されている。つまり、なんと5代にわたってこの仕事に携わっているのである。

 高橋さんは中学2年生のころから父の手伝いをはじめ、18歳のとき、国家試験に合格し、晴れて一人前の装蹄師になった。法制度が今とは異なり、当時の装蹄師は国家資格である。面白いことに、当時の国家試験には牛の蹄鉄の試験もあったという。牛は偶蹄目であるから、1本の足に小ぶりな2つの蹄鉄が必要だ。小生、残念ながら、牛の蹄鉄というのは見たことがないのだが、地方によっては馬よりも牛が役畜として活用されていた地方もあるから、牛の蹄鉄があっても決して不思議なことはない。もっとも、高橋さん自身も装蹄師の試験以外に牛の蹄鉄を打った経験はないそうだ。

 サラブレッドの場合は、調教用と競走用では蹄鉄を履き替えるらしいが、ばん馬の場合は調教用・競走用の区別はない。「本当はもっと頻繁に履き替えたほうがいいのだけどね」と高橋さんはおっしゃるが、だいたい30日から40日くらいで履き替えるのが一般的だという。

 1頭として同じ脚をもつ馬はいない。したがって、蹄鉄はすべてオーダーメイドである。夏用は11,500円、冬用は13,000円。1頭1頭脚にあわせてつくることを考えれば、決して高い金額ではないだろう。冬用の蹄鉄は、直径19ミリの丸棒を縦割りし、型にいれてあの独特の刻みをつけるのだそうだ。

 ここでちょいと、馬券オヤジの耳より情報である。高橋さんのおっしゃるには、装蹄直後の馬は総じて調子がいいそうである。こりゃあ、耳寄り情報だ……と小生小躍りしたのだが、よく考えると、いつ蹄鉄を履き替えたかという情報は予想紙や出走表を見たってわかりゃしない。う~ん、せっかくの耳寄り情報だったのにぃ。

 高橋さんの腕には無数の、本当に無数といっていいくらい多くの、小さな火傷の痕が残っている。火花が飛びまくる仕事である。真っ赤になった鉄をハンマーで打つたびに、火花が飛び散る。高橋さんの火傷の痕跡は高橋さんのキャリアそのものなのである。こういう職人さんを見ると、「格好ええなあ」と憧れてしまう小生である。それに引き換え、小生なんぞは、釘一本打つわけでもなく、米一粒つくるわけでもないのに、人の仕事を横手からあーじゃこーじゃとぐちゃぐちゃいうだけである。ちゃんとものを作る人を大事にしないとだめなのである。ITだのネットだので、何かが生まれるわけじゃない。

注) ※ 斎藤編集長はかようなものいいをする人ではない。これは斎藤編集長のお言葉が小生の心にはこのように聞こえたという、いわば「文学的表現」なのである。

やっぱり馬が好き(第26回)  旋丸 巴

2006年10月20日(金)

坂本東一騎手の「名人芸」

 「坂本さんは凄いよ~」と、谷さんから聞き及んでいた。そして、本欄でも自慢したけれど、8月の共進会で初めてお話をさせてもらって、この名手の「ばんえい競馬」に対する真摯な姿勢も実感させてもらった。

 けれども、しかし、である。それ以前から私は、坂本騎手のファンなのである。何たって、かなりの確率で馬券に絡んで下さるから、私の薄い財布に、何度、暖かい風を送り込んでくださったことか。

 加えて、我が豚娘も坂本騎手のファンである。娘もまた、薄い財布を同騎手によって暖められて……ということではない。娘は未だ小学生。従って、不肖の母のように「金銭欲」に発した好意ではなく、純粋に坂本東一という騎手が好きなのである。で、その理由を聞けば、

 「だって、坂本さん、ソリの上でジャンプするんだもん。カッコいい」とのこと。

 言われてみれば、この名手は第二障害を越えたゴール前、ここぞ勝負! という時には決ってソリの上でジャンプする。

 コースの砂に足を突き立てて進む馬に合わせて、上半身を反らせて手綱を引いたかと思えば、今度は体をかがめて馬を推進し……という、ばんえいならではの大きなアクションで馬を追いつつ、その一連の動作の中で、時折、坂本さんはジャンプする。恐らくは、馬が前進する瞬間、少しでも負荷を減らすための技だと想像するのだけれど、これが確かに「カッコいい」。きっと、下手っぴーな騎手がやっても大した効果はないだろうし、第一、格好も悪いだろう。その証拠に、草ばんばなんかで、ねじり鉢巻のオジサン達が、これを真似たと思しきジャンプをするのを幾度か目撃したことがあるけど、例外なく馬は無駄に苦労していたし、オジサン達はメッチャカッコ悪かった。

 という訳で、このジャンプは、名手にこそ許される「名人芸」なのだろうと、勝手に考察しているのだが……。

 「でもさぁ、どうして坂本さんは、レースの時、馬の尻尾に触ろうとするの?」と、これまた、娘の疑問。

 これまた、そう言えば……、坂本さんは前述の追い込みアクションの中で、身をかがめる刹那、何故か左手で「馬の尾をすくい上げるようなしぐさ」を見せる。

 はて?

 とっても気になったから、9月のセリで再び坂本さんの姿を見つけた時には、すかさず飛んで行って、挨拶もそこそこに上記の件、お尋ねした。

 共進会の時同様、変なオバサンの変な質問に、しかし、坂本さんは嫌な顔もせず、私と娘の質問に明快に答えてくださった。

 「尾に触ろうとしているわけじゃないんですよ。ばんえいの騎手は、レース中、馬の体に触ってはいけないって規則があるんでね。そうじゃなくて、あのアクションは手綱で馬の後肢をスッと撫で上げているんです。そうすることで、少しでも馬の踏み込みが良くなるようにしてるんですよ」

 坂本さんの言葉を正確に再現できているか否か、至って心許ないけれど、こういう趣旨の御答えをいただいて、大いに得心し、なおかつ、大いに感心もした。

 馬にソリを引かせた経験のない私には、細かな技術は解りかねる。けれど、ジャンプといい、この手綱さばきといい、とにもかくにも、坂本さんという人は、勝利のためには、どんな小さなことにも最大の努力を試みる人なのだ、と、そういうことだけは判然した訳で、やっぱり凄いわ、この名手は。

 本年6月12日、ばんえい史上2人目の2500勝を挙げた坂本東一騎手。ミスターばんえい・金山明彦現調教師の記録3299勝に向かって、只今、驀進中……と私なんかは勝手に興奮しているけれど、坂本さんにすれば、きっと、そんな外野の姦しさなんか、どこ吹く風。冷静に1レース1レースで最善を尽くされているのだろう。ある時は華麗なジャンプで、ある時は豪快な手綱さばきで。

 武豊ばかりが一流騎手じゃない。坂本東一騎手の「名人芸」にも、ご注目を!

馬券おやじは今日も行く(第25回)  古林英一

2006年10月14日(土)

ばん馬の人たち~獣医さんの巻~

 昨今、北海道では、ばんえい競馬の存廃をめぐる報道が新聞紙上を賑わしている。特に、道内最大手の新聞(名指ししてるようなもんだわな)の掲載する記事数が多いのだが、どうも今ひとつよくわからん報道なのである。これは小生の当て推量なのだが、どうも競馬の法制度的仕組みをまったく理解していない記者が、市役所かどこかからリークされた情報をよくわからないままに書いているような印象である。おかげで、小生は心穏やかならざる日々を送っているのである。

 さて、このコラムでは、これまでも、小生の気の向くまま、ばんえいの周辺をちょこちょこ紹介してきたが、今回は獣医さんを紹介する。

 映画「雪に願うこと」に、突然倒れた馬のもとに獣医さんが駆けつけるシーンがある。映画に登場する獣医さんはひげ面のワイルドな先生である。そういえば、獣医さんって、映画やドラマではたいていワイルドな風貌で描かれますわなあ。

 「実際のばんえい競馬の診療所の所長さんは?」というと、これが、映画の獣医さんとは大違い、映画の獣医さんよりはるかにさわやかでスマートな好男子なのである。

 競馬場には馬主会が経営する診療所があり、この診療所の所長が森田獣医師である。まだ32歳とお若いが、すでにばん馬を相手に8年のキャリアがある。

061014  岩見沢の診療所にお邪魔したとき、ちょうど笹針治療の最中であった。笹針とは、ご承知の方も多いだろうが、馬体のあちらこちらにメスを入れ、静脈血を放出させる施術である。知識として知ってはいたのだが、小生も見るのは初めてであった(写真は笹針治療中の森田所長)。

 森田所長は「軽種とばん馬は別の動物だ」という。それはばん馬の疾患が軽種のそれとあまりにも違うからだ。ばん馬の疾患の9割は蹄の病気だそうだ。これには理由がある。ばん馬の馬力はあの巨体あってのものである。したがって鍛えながら巨体をつくっていくのである。体をつくるためには高カロリーのエサが必要である。高カロリーのエサを食ってしっかり運動することであのたくましい馬体がつくられるのである。だが、高カロリーのエサを投与し続けると蹄葉炎の発生確率が高まる。これは、喩えて言えば、糖尿病が力士の職業病であるというのに近いものがある。森田所長によると、高カロリーの濃厚飼料やストレスが胃腸障害を引き起こし、それが蹄に影響するのだそうだ。

 獣医師として重要なことは「決断のための知識」であると森田所長はいう。家畜は口をきくことができない。「何が原因なのか」「誤診のおそれはないのか」、常に自問自答しつつ、果敢に診断を下さざるを得ない。直るのか直らないのか、仮に直るとしても高い費用のかかる手術が必要かもしれない。安楽死を選ばざるを得ないこともあろう。馬主にこれらすべてのことを短時間に納得してもらわねばならない。この精神的な負担が大きいと森田所長はいう。果敢な決断を下すためにはそれだけの知識と経験が必要だ。

 「ばん馬の獣医としては自分は日本一だ」と森田所長は自負する。ばん馬を専門にしている獣医は殆どいない。日本一であるという自負は、日本一であらねばならないという使命感の裏返しでもある。セカンドオピニオンのない世界なのである。

 獣医さんの目から見た強い馬とはどのような馬かと尋ねてみた。馬券オヤジとしてこれはぜひ聞いておかねばならないところである。筋肉のつきかたとか内臓の強靱さといった馬体そのものに関わる答えを小生は予期したのだが、森田所長の答えは実に意外なものだった。「“意志力”の強い馬が強い」というのが森田所長の答えであった。確かに、スーパーペガサスの走りっぷりを見ると、2障害を越えてゴールに向かう直線の足取りはいつもしっかりしている。これは類い希な意志の力なのかもしれない。

 「気合いと根性じゃあっ!」。これは小生が大学時代世話になった先輩の口癖だ。確かに馬でも人でも最後は気合いと根性であろう。自分でいうのもなんだが、学者として小生はせいぜい「170万円下」(未勝利と言わないあたりが自分への甘さである)である。下級条件に甘んじてしまったのは、やはり「気合いと根性」が欠落していたからである。あらためて「スーパーペガサスに脱帽!」なのである。

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