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馬券おやじは今日も行く(第9回)  古林英一

2005年10月22日(土)

「雪に願うこと」と「みんなに願うこと」

 10月22日(土)から10月30日までの9日間にわたり、東京国際映画祭が開催される。ばんえいファンなら先刻ご承知のことだと思うが、根岸吉太郎監督の映画『雪に願うこと』(原作:鳴海章『輓馬』)がこの映画祭に出品される。この映画の上映は23日、26日、28日の3回だそうだ。詳しいことは東京国際映画祭の公式サイトなどで確認していただきたい。

 なにぶんにも芸能情報にすっかり疎くなった中年馬券おやじの小生であるから、実は映画やテレビドラマのことはあまり詳しくないのである。とはいえ、2000年4月の札幌着任以来、邦画中心なのであるが、映画は割にちょこちょこ観ているのである。平均すれば月に2本程度は映画館で観ているように思う。若いときからの映画ファンというわけではなく、小生の勤務先・北海学園大学がススキノから地下鉄でひと駅という立地条件であるのに加え、わが北海学園大学は昼夜二部興行で営業しているもので、昼の部の「高座」を終え、夜の部の「出番」まで時間が空いたりすることがあり、映画で時間をつぶす機会ができただけなのである。ことほどさようなにわか映画ファンの小生ではあるが、厚かましくも、自分のメモがわりに、自分のサイトに映画コーナーまでつくってしまっていたりするのである。

Hyosyosiki  話を戻そう。映画『雪に願うこと』は帯広市在住の作家鳴海章氏の小説『輓馬』の映画化なのだが、映画化にあたってはかなり内容がアレンジされているという。小説には登場しない女性騎手役で吹石一恵さんが出演している。吹石一恵さんといえば、今年のばんえい記念のとき、表彰式のプレゼンテーターとして、根岸監督とともにばんえいファンの前にその麗しきお姿を見せていたことが思い出される(写真:ばんえい記念表彰式)。

 小生も間近で見た!!写真も撮った!!なんせ、世情に疎い小生であるからして、吹石一恵サンがどんな女優さんかなんぞ知るわけもない。昔、近鉄バッファローズ(懐かしいねえ)で活躍された吹石選手のお嬢さんだとは聞いていた。目の前で見た吹石一恵サン、いやあ別嬪さんでんなあ~。おっちゃんはいっぺんでファンになりましたで、ホンマ。

 ロケ現場も見せていただいた。レセプションにも潜り込ませていただいた。レセプションが終わり、たまたま帰りのエスカレータで根岸監督に「透光の樹見せてもらいました。秋吉久美子さん、きれいですね」と声をかけたら、「いやあ、馬の方が楽だ」と監督。どうやら、マルニシュウカン号(ウンリュウ役で出演)は秋吉久美子さんより扱い易い俳優さんだったようだ。

Satsuei  さて、実は、お調子ものの小生、この映画のエキストラに参加したのである。いわば半世紀近いわが人生で、はじめての映画出演というわけである。レースの場面である。公開が楽しみで楽しみで……(写真:撮影風景)。

Sankasya  それはともかく、小生が参加した映画撮影のときのことである。この日の撮影に参加したエキストラは100人程度だったと思う。映画スタッフの方が「このなかで実際にばんえい競馬を見たことがあるという方は?」と問いかけたところ、悲しいかな、9割以上の人は「見たことがない」との答え。小生、実に寂しかった。エキストラの殆ど(もしかすると小生以外は全員かもしれない)は帯広およびその近辺の市民なのであるにも関わらずだ(写真:ロケ参加者のみなさん)。

 だが、ものは考えようだ。わがばんえい競馬の足元にはまだまだ未開拓のファンがいるということだ。売上的にはとかく厳しい話ばかりが取りざたされているが、映画をひとつのきっかけとして、今までばんえいを見たことのない人たちが競馬場に足を運ぶようになってくれる可能性は十分あるのだ。まだまだ市場はあるともいえよう。

 帯広およびその近辺のみなさん、そして北海道550万道民のみなさんっ!ばんえいは面白いですよ~。みんなで競馬場に足を運びましょう。小生が「みんなに願うこと」である。

やっぱり馬が好き(第9回)  旋丸 巴

2005年10月14日(金)

ばんえいの極意

 馬という動物に魅入られて三十数年。軽種馬については人並みの知識を得たように思うけれど、重種について、と言うと、これは甚だ心許ない。それで、ここ数年、ばんえい競馬や重種馬に詳しい御仁を探し回っていたけれど、二ヶ月前、ついに、そんな重種の達人に巡り合うことが出来た。

 実名は挙げられないけれど、何しろ、ばんえい記念を制した馬だけでも5頭も手がけたという名伯楽。だから、そう簡単に極意なぞご教授いただけるはずもなく、最初は、気難しい顔で、そっぽを向いておられたけれど、恐る恐る「サラブレッドは、こういう体型を良しとしますが……」などと質問を投げかけるうちに私を信頼して下さったのか、ゆるゆると、ばんえいの真髄を語り始められた。

 以降、私は、この名人を師と仰いで、ばんえい競走馬について、体型、飼育管理、血統など、様々なことを教わりつつあるのである。

 という次第で、未だ修行中の身であれば、偉そうなことは書けないけれど、それでも、一つだけ確信できたことがあって、それが「サラブレッドも重種馬も、良馬の基本理念は同じ」ということ。特に、「柔軟性」は、どんな馬にも必要不可欠な資質だということを、この師に巡り合って再確認できた。

 ただし、サラブレッドの見方とは全く逆、ということだって稀には存在する。

 その珍しい例外というのが「踏み込み」。

 ご承知の通り、サラブレッドは力強い踏み込みこそが「好走」の条件。私も、パドックで踏み込みの良い馬は必ずマークする。

 それが、しかし、我が師曰く、「ばんえいでは踏み込みの浅い馬の方が走る」。理由は、「坂を登る時に大股だと疲れるから」とのこと。

 人間でも、登山では小刻みなステップで登坂するのが常識。だから、ばんえいでは、パドックで大股で歩いているような馬はペケ。小股でチョコチョコ歩いている馬の方が、障害を登るのに有利、というのである。

 この話を聞いて、私は、「そうか、それで、私は今まで、ばんえいの馬券が取れなかったんだ」と反省し、「これからは、馬券をガッポガッポといただくぞー」と皮算用した。

 かくて、「ばんえいの知識を深める」という高潔なる向学心は、「馬券的中」という俗な野心となり果てたのでした。嗚呼、情けなや。

馬券おやじは今日も行く(第8回)  古林英一

2005年10月 7日(金)

お引っ越し

 6月18日にはじまり、8開催48日間に及んだ岩見沢開催は、小生の愛してやまないアンローズの岩見沢記念連覇で幕を閉じた。レースはアンローズとサダエリコの牝馬2頭で決まり、馬券的にもまことにもって気持ちよいレースであった。王者スーパーペガサスがまさかの敗退となったのであるが、「女刺客」が今年のトレンドということか。

 さて、北海道はここのところ急速に気温が下がり、あれだけ暑かったのが嘘のようだ。今週からは北見開催である。トレーニングセンターのないばんえい競馬では、開催場替わりは「お引っ越し」の季節でもある。春の旭川、夏の岩見沢、秋の北見、そして冬の帯広へ、馬も人も広い北海道を季節に応じてお引っ越しだ。馬と人だけではない、調教用ソリや家具などもまとめてのお引っ越しだ。そういえば、岩見沢の馬場に並んでいた調教用ソリもすっかりなくなっている。

 岩見沢の最終日(10月3日)、お引っ越しの様子をみせてもらうべく、岩見沢競馬場の厩舎エリアにお邪魔した。みなさんさぞや忙しくしておられるかと思っていたのだが、まだレースが終わっていなかったせいか、思っていたほどの喧噪はなく、案外静かなものだ。

Photo_4  岩見沢の厩舎エリアはパドックの後方から坂を下っていったところにある。現在の岩見沢競馬場は1976年に完成した(現在地への移転は1965年)ものだ。当時は地方競馬場のスタンドとしてはたいへんに大きなものだったという。故中西関松氏の奥様にお話をうかがったときにおっしゃっておられた話だが、昔は岩見沢開催のときには仮設の厩舎をつくって馬を繋いでいたという。ところが、この馬の繋用地がとんでもないところで、雨が降ったりすると泥沼になってたいへんだったそうだ。それに比べれば今の厩舎は立派なものなのだろうが、それでも見るからに年季モノの建物も多い(写真)。

A_2  厩舎村のあちこちに大型トラックがとまり、さまざまな荷物が積まれている。われわれの引越と違って重量物が多いので、トラックにはクレーン付きのものが使われる(写真)。引越のトラックは厩舎がそれぞれに手配する。えさ屋さんのトラックだったり、運送業者のトラックだったり。青森ナンバーや秋田ナンバーのトラックもちらほら見える。輓馬の世界が東北地方との強いつながりを持っていることが実感される。

C_2  家財や馬具の輸送は小型トラックだ(写真)。衛星放送受信用のアンテナもとりはずされている。すべてが馬と一緒に旅するのがばんえい競馬である。

  

Photo_3  旭川から北見というのが最も長い移動だ。高速を使っても5時間くらいかかるという。馬も人もほんとにご苦労様といいたくなる。朝早く出発することが多いようだ。途中ちょいと立ち寄った山田厩舎ではすでに馬の半分くらいは先に北見に行ったそうだ。どこの厩舎もすでに馬房は閑散としている。最終日に出走した馬もぽつんと寂しげに繋がれている(写真)。

 今は岩見沢の厩舎を使っているのはばんえい競馬だけだが、旭川の場合は今でも道営ホッカイドウ競馬とばんえい競馬の両方が厩舎を利用している。先日、こちらももうすぐ開催地替わりのホッカイドウ競馬旭川開催を観戦し、田部和則厩舎におじゃまし、田部師の奥様と世間話をしていたときにうかがった話をひとつ紹介しよう。

 田部師の奥様は秋に旭川の厩舎を引き払う際、きれいに掃除して、トイレにトイレットペーパー、台所にボックスティッシュをおいていかれるのだそうだ。すると、翌年、やはり同じようにきれいに掃除された厩舎には、トイレットペーパーとティッシュがちゃんとおかれているのだそうだ。お互い顔も名前も知らないどうしだが、ちょっと心温まる話ではある。

やっぱり馬が好き(第8回)  旋丸 巴

2005年9月23日(金)

競馬ファンの財産

 落語家なんかが良く言うセリフに、「名人の芸を生で見たことが私にとっての財産です」というのがあるけれど、競馬ファンも同じような感慨を抱くんじゃないだろうか。「ナリタブライアンのレースをライブで見たのが、自分の財産だ」なんてね。

 実質的財産皆無の私も、そういう「財産」なら、馬齢を重ねた分だけ、たくさん持っていて、様々な名勝負を生で観戦し、多くの名種牡馬にも会ったことがある。

 ただし、ばんえい競馬となると、平地競馬ほどの「財産」はないから、残念無念なのだけど、それでも、最近は色々な幸運に恵まれて「財産」が増えつつある。中でも、最大の「財産」と言えば、それは、もう、何たってスーパーペガサス様に謁見できたことである。

pegasus  昨冬の某日、取材を許されて帯広競馬場にでかけた。開催日ではない平日の昼前。大方の馬は調教を終えていたから、調教コースは閑散して、冬の青空を二羽の白鳥が横切っていた。と、厩舎の方向から一頭の雄大な栗毛が現れて、それが正しくスーパーペガサス!

 パドックでは至近距離で見たことがあるけれど、調教の姿を見るのは、また別の感慨があって、それで、感動にうち震える手でカメラのシャッターを押しまくった。

 と、それだけでも嬉しかったのに、ここで私を案内してくれていた知人が、ペガサス様の厩務員さんを呼び止めてくれて、それで私は、ペガサス様のお近くに寄り、何と首筋を撫でさせてもらうという極めつけの僥倖(ぎょうこう)に恵まれたのである。

 それにしても、である。この時のペガサスの態度は、実に実に凄かった。立ち止った彼は、私が近づいても泰然自若。すっくりと背を張ったまま、私なんぞ見向きもしないのだ。さすがは、王者の中の王者。彼の戦歴に畏敬の念を抱いていた私は、威風堂々たる彼の風格にも完全に魅了されてしまった。

 後になって、「あの名馬に会ったことがあるんだぜ」と「財産」をひけらかすのもいいけれど、名馬と同時代を生きている「今」こそが幸せなんじゃないか。と、柄にもなく真面目に考えさせられたのも、この時に感じたペガサス様の偉大さ故なんである。

馬券おやじは今日も行く(第7回)  古林英一

2005年9月 9日(金)

馬具・馬装について

 小生、数年前、サボりサボりながら乗馬を習ったことがある。乗馬は習った、原付も乗っていたことがある、そして小型船舶免許も持っている。もちろん、自転車も乗る。ということで、小生、3競オートすべての乗り物を自ら操縦したことがあるのである。

 はっきりいって、どれも競技レベルにはほど遠いのであるが、乗ってみればなるほどなるほどとわかることもある。実は、乗馬を習おうと思ったのは、馬に触れ、馬にまたがれば多少は馬券的中率向上に寄与するかも……というスケベ心からである。当初は、「めざせ、武豊!」であったのが、ちょっと乗ったら「めざせ、華原朋美!」にトーンダウンし、さらに数日後には「せめて、暴れん坊将軍!」とどんどんトーンダウンを余儀なくされた。で、結局のところ、「馬糞(ボロ)拾い」だけが上手くなった次第である。

 競馬をはじめて四半世紀以上になるが、乗馬にチャレンジするまでは、正直なところ、馬具・馬装なんぞは触ったこともなかった。当然、馬装のやり方もちゃんと教わったのだが、身に付いたかといえば、実のところこれが怪しいのである。そもそも、ロープワークどころか、蝶々結びすら下手すれば失敗するド不器用な小生である。馬をつなぐのも満足にできないという体たらくである。情けない……。そういえば、小型船舶免許をとるときも、小生にとっては、ロープワークの実技が一番の難関だったような覚えがある。

 それはさておき、ばんばの馬具は立派である。頭絡やハミは乗馬と似たようなもの(もちろんサイズはビッグだが)だが、橇を輓曳するための馬具は独特だ。「ばんばは馬のお相撲だ」というのが最近の小生の主張だが、ばんばの馬具(なかでもガラ)はさしずめ化粧まわしといってもいいかもしれない。もっとも化粧まわしは実用品ではないが、ばんばの馬具はすべて実用品である。上級馬になると専用の立派な馬具が用意されるあたりも化粧まわしっぽくていい。

fig1 fig2

 熱心なファンの方々なら先刻ご承知なのだろうが、今回はばんばの馬具をご紹介することにしよう。まずこの写真(左)は全体像。それぞれの馬具の名前は
(1)胴引き
(2)背吊り
(3)吊り革
(4)よびだし
(5)ガラ
(6)ワラビ型
(7)梶棒
(8)引木(「どっこい」)
(9)馭者手綱
(10)ゼッケン
(11)腹帯

である。肩を包むように装着されるのがガラ、ガラを固定する金具がワラビ型。橇は腰ではなく肩でひく。したがって、橇の重量を肩全体でうけとめるための馬具がガラである。ガラの中身は籾殻だそうだ。この写真ではゼッケンが風でめくられて、背吊りはごく一部しか見えない。肩のあたりをアップで見たのが右の写真。モデルになってるのは松井厩舎のスミヨシセンショー号。シルバーの馬具がまことにおしゃれである。

fig3  橇のほうをみたのがこの写真。
(12)重量物
(13)「弁当箱」収納場所

 ばんば大会などでは胴引きはチェーンになっていることが多いみたいだが、ばんえい競馬では布と革でできている。離れたところから見ると、梶棒が馬の牽引力を橇に伝えているように見えるけど、実は梶棒がなくても橇を曳くのには支障はない。梶棒は馬が左右によれないようにガードしているだけのものだ。とはいえ、あの巨体がぶつかることもあるのだから、丈夫でないといけない。かつては木製だったそうだが、強度に難があったことから現在はグラスファイバー製である。もちろん、昔はグラスファイバー製の梶棒なんてない。グラスファイバー製梶棒のヒントになったのは、なんと、棒高跳びのポールなのだそうだ。

 重量物も様々な変遷を経て現在の鉄板になっている。最初は土嚢、コンクリートの固まりだったこともある。ばんば大会では今でもコンクリートの固まりを使っている。橇も現在は鉄橇だが、かつては当然木橇だ。現在開催中の岩見沢競馬場で、昔使われていた木橇が展示されているのでぜひご覧になっていただきたい。

 通称「弁当箱」……正式には何というのだろうか。騎手の重量を統一するために持つ携帯重量物である。小柄な佐藤希世子騎手や竹ケ原茉耶騎手などは、弁当箱というような可愛らしいサイズではない「弁当箱」を持たされている。

 ばんばの馬具はすべて手作り。かつては道内至るところに馬具屋さんがいて、こうした馬具をつくっていたのだが、今ではごくわずかな業者しか残っていないという。まさに工芸品とでもいうようなすばらしい馬具である。このあたりも「北海道遺産」に相応しいところといえよう。ちなみに、これらの馬具、一式あつらえれば数十万円はするという。ご自慢の馬にご自慢の馬具をあつらえる。これも馬主のステータスというものだろう。

 ところで、パドック裏は「装鞍所」という。ふと気がついたのだが、考えてみれば、ばんえい競馬に「鞍」はない。なぜ装鞍所なのだろうか?

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