「ガラ」について
新年明けましておめでとうございます。
例年だと、千葉のS級戦(競輪です)で元旦を迎えるのだが、今年は気合いをこめて、元旦から「ばんえい」に参戦。2日から4日までは重賞3連発。矢野・斎藤両先生(これだけ的中されるとこりゃあもう「先生」と心からお呼びするしかない)のご高説をじっくり拝読した結果、まず、帯広記念はミサイルテンリュウははずせない。斎藤先生ご推奨のヨコハマボーイは気になりつつも切り……これが失敗(T_T)。続く銀河賞は「やった、的中!」と喜んでたらオッズがえらく下がってトリガミ(T_T)。そしてホクレン賞。小生、敢えて両先生に逆らってみた。というのは、このレース、毎年けっこう荒れ模様。そこでニシキセンプーからはメダマ他のちょい穴目に流していたので、「やったあ、的中!」とテレビの前でバンザイ三唱。ところが、なんと、D-netで買い間違えてた。こういうときって、生きていくのがイヤになる、ほんと(T_T)。
4日間の連戦がおわり、ちょっと一息。
さて、今回は馬具の話である。ここしばらく、まじめにばんえい競馬を「研究」しているのだが、その中で興味を引かれたのが馬具・馬装。そのなかでも今回は「ガラ」について。
ばんえいファンならご存知だろうが、ばん馬の肩のところにU字型の馬具が装着されている。あれがガラである。ガラは橇の重量を肩全体で受け止め、馬体に重量が食い込まないように装着される馬具である。(参考:馬具・馬装について)
実際にもってみると、ずっしり重い。このガラをちゃんとつくれる職人さんは、今や日本広しといえど、実はそう多くない。帯広競馬場近くで十勝馬具という馬具屋さんをやっている鵜沼勇さんはその数少ない一人でこの道の第一人者である。
古くからのばんえいファンなら、鵜沼正吉・武の兄弟を覚えておられるだろう。どちらも騎手・調教師としてながらく活躍されていた方だ。正吉さんは勇さんの兄、武さんは弟である。富良野で生まれた勇さんは、16歳のときに帯広の馬具店に修行にはいり、24歳で独立・開業した。現在、73歳なので、かれこれ60年近く馬具をつくってきた大ベテランの職人さんである。
ばん馬をみたとき、一番目立つ馬具がガラだ。ガラというのは英語のカラー(襟)collarから来ていると何かで読んだことがある。清音のカラーが濁音のガラになるあたり、どうも東北訛のようだ。
上位馬になると専用のガラをつけてもらっている。専用のガラは、当然、背吊りや呼びだしといった他の馬具とお揃いだ。どことなくお相撲さんの化粧まわしを連想する。小生がお気に入りなのはスミヨシセンショーの銀色に輝く馬具だ。
ガラつくりは直径9ミリの鉄棒をU字型に曲げるところからはじまる。ガラのかたちに曲げた鉄棒を稲藁でつつみ、ナイロン紐をまきつけてしっかり固定する。実は、この稲藁というのが、昨今なかなか入手できないのだそうだ。小生なんかが子どもの頃は、秋、刈り取りが終わり、脱穀も済むと、稲藁が上手に積み重ねてあったのを記憶しているが、昨今はそんなことはしない。コンバインで稲刈りをしながら脱穀すると藁は粉砕されてしまっている。(写真:ガラ製作中の鵜沼勇さん)
鵜沼さんが使用している藁は、岩手出身の西弘美騎手が故郷から持ってきてくれるのだそうだ。丈のながいモチ米の藁だという。鵜沼さんが弟子修行していた頃は、「内地」(今の北海道の子は使わない言葉だ)からの米俵をほどいて使ったという。また、藁を縛りつけるのは今はナイロン紐だが、もちろん昔はそんなものはない。麻縄だったそうだ。(写真:ガラ製作用の稲藁)
これで芯ができた。後は裁断・縫製した革で芯を包み、しっかり籾殻をつめて完成だ。籾殻は近所の農家から入手している。
新品のガラは1週間くらい馬に装着して馴染ませ、ようやく実用に供される。
小生が鵜沼さんの仕事場におじゃましたとき、黒革のちょっと小さめのガラがおいてあった。聞けば宮内庁の馬車用のガラだそうだ。鵜沼さんのご子息が勤務するソメスサドルから修繕依頼があったものだ。わが国の馬具製造ではトップメーカーといってもいいソメスサドルでさえ、今やガラをつくる職人はいないのだという。
鵜沼さんの仕事場から退出するとき、階段に馬具を連結する金具が箱にいれられて積まれてあった。なんでも、この金具をつくる鍛冶屋さんがいなくなり、中古の金具を備蓄しているとのことだ。
こうして考えてみると、北海道の馬文化として、北海道遺産に選定されたばんえい競馬は、たんに馬術競技としてだけではなく、それを可能とする技術・技能に支えられて成り立っていることがわかる。まさに「馬文化」である。