長年に渡り、名古屋のトップジョッキーとして活躍を続ける安部幸夫騎手。2015年は久しぶりの重賞制覇に始まり、激しいリーディング争いの一角を担いました。地方通算3000勝達成を目前に控えた今、その心境をお聞きしました(取材は12月中旬、その後12月24日に3000勝達成)。
2015年は重賞2勝。年明けから新春盃を勝って、幸先のいいスタートでしたね。
新春盃はパッと乗せてもらって、印はそんなについてなかったんですけど、中団から進んで4コーナーではいいところが開いて、「勝ったな」と思いました。お正月開催で重賞が勝てたので気分が良かったし、いいスタートになりました。ハナノパレード(スプリングカップ)も代打で乗ったんですけど、馬の調子がすごく良くて。強いレースをしてくれましたね。
さらに、昨年を上回る勝ち星を挙げました。
たくさんいい馬に乗せてもらっているので、その結果ですね。周りの方々には本当に感謝しています。それに、岡部(誠)くんが南関東期間限定騎乗と韓国遠征で長期間いないこともありますね。そのお蔭で回って来た馬もいますし。
岡部騎手が抜けて、安部騎手をはじめ4人(丸野勝虎騎手、大畑雅章騎手、今井貴大騎手)が激しいリーディング争いを繰り広げています。
もう暮れも迫っていますから、リーディングを意識してないって言ったら嘘になりますけど、あんまり意識してもいいことないので(笑)、なるべく気にしないようにしています。今年はたまたま4人で争う形になりましたけど、今は本当にライバルとかはいないです。人がどうこうよりも、結局は自分自身ですから。他の人のことはなるべく意識しないようにしてます。昔はね、吉田稔さんていう偉大なジョッキーがいて、ものすごく憧れていたので意識して乗っていました。稔さんのすごさは言葉で言うのは難しいんですけど、とにかく特別なんです。長い間ずっと一緒に乗っていて、いろいろなことを教えてもらいましたね。
具体的にはどんなことを教えてもらったんですか?
技術面もそうですけど、精神的な面が大きかったです。いろいろな言葉を掛けてもらいました。稔さんはけっこう急に引退したんですけど、僕はその時韓国遠征中だったんですよ。だから、韓国から帰って来て、すぐに北海道に会いに行きました(吉田稔さんは、現在北海道で育成牧場を経営)。稔さんが辞めたのはショックでしたけど、辞め際のこととかいろいろ考えてたっていう話を聞かせてもらいました。
2012、2013年には韓国で短期免許で騎乗
以前お話を伺った時、長く騎手を続けるために青汁と香酢を飲んでいると仰っていましたが、今も続けていますか?
今も青汁は続けてますよ。あと香酢じゃなくてにんにくしじみに替えました(笑)。僕はもともと体が軽くて減量がないですから、それはかなり大きいと思います。それに、入院するほどのケガをしたことがないことも大きいですね。アバラの骨折くらいはありますけど、大きいのはないんです。
ジョッキーはアバラの骨折を軽く言いますよね?
そうですね(笑)。入院しない骨折はかなり軽く見てますよね。でもね、あれ意外と痛いんですよ! くしゃみしただけでもめちゃくちゃ痛いですから。軽い骨折でも辛いですよ。
食生活以外で、長年騎手を続ける秘訣は何でしょう?
ストレスを溜めないことですね。僕は馬に乗ることが大好きですから、馬に乗っていられれば楽しいです。特に勝った時の快感と言ったら、他のものには代えられないですよ。名古屋は賞金安いですけどね、そんなのは関係なく勝ったら本当に嬉しいですね。
韓国ではコリアンダービーにも騎乗
もうすぐ3000勝に手が届きますね(12月11日現在、2989勝)。
もう近づいてますか? まだまだかなと思っていたんですけど、近づいてたら嬉しいですね。やっぱり3000勝は大きな目標ですから。デビューした頃はまさかこんなに勝たせてもらえるとは思ってなかったですけど。昔は騎手が多くて、リーディングでも年間100勝できない時代でしたからね。今は騎手が少なくなって、岡部くんなんか200くらい勝つでしょう。僕でも100勝くらいさせてもらっているわけですから。それでも、3000という数字は自分だけではとても挙げられない数字なので、乗せてくれる関係者の方々、そして応援してくれるファンの皆さんに感謝ですね。
安部騎手は名古屋と笠松で騎乗することが多いですが、それぞれの攻略法というのは?
今年は名古屋の馬場改修があって、笠松と同じ砂になりました。それでも、名古屋の方が2秒くらい時計が掛かりますよね。どちらも先行有利なので、いかに楽に先手を取るかですけど、笠松の方がよりスピード重視というイメージで乗っています。
馬場改修後のコースはいかがですか?
クッションはだいぶ良くなりました。硬い馬なんかも走りがいいですから。ただ、まだそれほど時間が経っていないので、1~2コーナーの辺りは完全には馴染んでいないんですよ。あそこが改善されればもっと良くなると思います。
安部騎手と言えばキングスゾーンのイメージが強いですし、そのせいか逃げのイメージが強いです。
若い頃から強い逃げ馬によく乗せてもらっていたので、そういう風に言ってもらうんですけど、自分ではそんなに意識したことないんです。必ず逃げないと行けないと思うとそれがプレッシャーになるし、ゲートを出る時は馬の邪魔をしないということを最優先にしていて、出していくようなことはあんまりしていないんですよね。キングスゾーンもそうですけど、乗せてもらった馬たちが速いんであって、僕の力ではないです。それに、一番好きな位置取りは番手ですから。逃げ馬を見る形で運べるので、一番競馬しやすいです。
では、今後の目標を教えて下さい。
まずは3000勝を達成することです。あと最近はJRAに行っていないので、認定を勝って遠征に行きたいですね。認定の数もだいぶ減ってしまったし、前ほど遠征に行く馬もいなくなってしまったんですけど、やっぱりJRAに行くのはいい刺激になりますから。少ないチャンスを掴んでいきたいです!
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:浅野靖典)
10月30日笠松競馬第9レースで、地方通算1000勝を達成した佐藤友則騎手。取材に訪れたこの日(11月26日)は、1日5勝の固め勝ちで年間100勝にも到達し、絶好調の様子。他地区への遠征も多く、その明るい性格からも全国にファンが多い騎手です。今年の活躍の理由などを聞きました。
地方通算1000勝達成おめでとうございます。率直なお気持ちはいかがですか?
今までこんなに良いペースで勝てたことがなかったですし、900勝から1000勝までの100勝は、周りの方のバックアップというのをすごく感じて、とても嬉しかったですね。うまい具合にいい馬にたくさん乗せていただいたり、他場でも乗せて頂いたり、JRAでも乗せていただいいたりと、これまでとは全然違う100勝の内容でした。
デビューから16年目でのこの数字はどう感じますか?
遅いですよね。900勝達成の時は全然納得していなくて、900勝までこんなにかかったのかと。インタビューの際、今の気持ちは?って聞かれて「特にない」って言ったことを覚えています。それまで1年間を通して納得して終われた年がなかったんです。それなのに一回腐ってしまって、騎手もやめようと思ったこともあります。でも、よく考えたら、大した努力もしていないし、何もしていないなって。だから納得して1年が終われるように努力したいと考えてやって結果が、この1000勝なのではないでしょうか。
どんな努力をしたんですか?
これまで体重調整の時、けっこう減量をしていたのですが、普段から体重を2キロ減らしてキープしたり、食生活も自炊で野菜を多く食べたり、トレーニングをしながらも、とにかく体重調整をしっかりするようにしました。
それと、笠松競馬場は調教をしっかり乗っていればレースも乗せてくれる競馬場なんです。それなのに調教にあまり乗っていなかったんですね。騎乗依頼は来るというプライドもあって。でも今のリーディングの吉井(友彦騎手)を見ていると、朝早くから遅くまで調教もこなしているし、挨拶もちゃんとしているし、レース後のコメントもしっかりしている。まず吉井を認めて、そういうところから見習っていこうと決めたんです。自分のプライドやスタイルを捨てて、考え方を全て変えましたね。
そんな中、この1000勝までに印象に残っているレースはありますか?
(尾島)徹が引退して調教師になる時に「僕がトモ君をリーディングにする」って言ってくれたんです。だから、シンゼンライカーという馬で徹の厩舎で初めて勝った時はすごく嬉しかったです。あの言葉を言われた時に思ったのは、絶対に2人でリーディングを獲りたいということ。良い目標ができましたね。
佐藤騎手といえば、遠征をたくさんしているイメージがありますが、大変ではないですか?
休みもないですが、全然大変じゃないです。2、3日競馬がないと体がなまりますし、毎日乗っていた方がリズムもいいんですよ。移動中にすぐに寝られる体質なので、飛行機が離陸するのも気づかないくらい(笑)。それである程度疲れもとれます。
他地区はもちろん、最近はJRAでも多く騎乗されていますが、刺激を受けることはありますか?
JRAですと、多頭数で位置取りの厳しさをとても感じています。笠松だと少し馬がよれても被害を与えることは少ないですが、JRAだと被害が大きくなる。そういう経験もあって、最近では笠松でも常にまっすぐ走ることを心がけています。だから今年は制裁がないと思います。
いろんな競馬場にファンも多くて、横断幕も出ていますよね。気づいていますか?
もちろん、見ていますよ! 本当に嬉しいことです。遠征が増えてから多くのファンの方の応援を感じていて、他場に行った時はすごく励みになります。
来年の目標を教えてください。
まずは、東海リーディング。笠松だけというより、東海といえば佐藤友則と思われたいです。そして、JRAでも二桁勝ちたいです。
これからの目標は?
ワールドオールスタージョッキーズに出て優勝したいです。今は以前と違って予選のワイルドカードがあって、自分にもチャンスがありますよね。その時に言う言葉は決まっているんですが、(2位で出たならば)「予選を優勝して、本戦に出場して下剋上してやる!」って。それでワールドオールスタージョッキーズで優勝して、シャンパンファイトをやりたいです!
では最後に全国の佐藤友則ファンにメッセージを。
最近は、毎週どこかの競馬場で乗っていると思われていると思いますが、乗っているんじゃなく、毎週どこかで勝っていると思われるよう、全国で勝ち鞍をあげていきたいです。周りの支えのおかげで、やっとリーディングを狙えるところまできているので、来年はリーディングを獲ります。全国のみなさんの期待に応えられるようがんばりますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 秋田奈津子
現在全国リーディング2位を走る、兵庫の川原正一騎手。デビューから39年、笠松と兵庫でダブル2000勝を達成するなど、数々の記録を打ち立てて来ました。56歳になった今でもパワフルな騎乗は健在。長きに渡って活躍し続ける要因をお聞きしました。
現在全国リーディング第2位(227勝/11月28日現在)と、今年も活躍していますね。
いい馬に乗せてもらっているのでそのお蔭です。56歳になった今でも十分体が動くし、兵庫では木村(健騎手)や田中(学騎手)が体調を悪くして休んだりしている中で、僕は減量もなくて体には恵まれていると思っています。1つ1つのレースを大事に乗っていることが結果に繋がっているんじゃないですかね。自分ではたいそうなことをしているとは思いません。
デビューから39年です。長く続ける秘訣というのはありますか?
やっぱりもともとの体重が軽くて減量がないっていうのは大きいと思いますよ。もちろん、日々の生活の中で体重が増えないように気を付けてはいます。あとは大きなケガをしないことですね。ケガは後遺症があったり、治っても後々ガタが来たりしますから。
騎乗に対してのポリシーというのは?
自分のスタイルを貫くということです。自分と馬のリズムを大事にということですね。まぁ、基本中の基本ですけど。そこを大事にした上で、この馬にはこういう乗り方の方がいいんじゃないかとか、こういうアプローチがいいんじゃないかとか、スタッフと一緒に考えることも大切です。あとは、これまで培った自分の感覚もプラスαとして付け加える感じですね。
北海道のランランランで園田プリンセスカップ制覇(写真:兵庫県競馬組合)
川原騎手はテン乗りでも結果を出すという印象が強いです。今年で言えば、園田プリンセスカップのランランランがそうでしたね。
あの時は騎乗前から自信がありました。ただ、向正面に入ったところで掛かってしまって...。あれがなければもっと楽に勝てていたと思います。あのレースは馬に勝たせてもらいました。テン乗りの馬に関しては、まずは調教師や厩務員さんの話を聞きます。どういう性格をしているのか、どういうことが苦手なのか、聞かないとわからないことが多いですから。それで、返し馬で感触を確かめます。これまでのことを教えてもらうのは大事なことだし、それでも日々成長していますから、今日はどんな雰囲気なんだろうと感じることも大事です。固定観念で決めつけず、背中から感じた感触を大事にレースに挑みますね。
いつ頃からそういう考え方になったんですか?
そうですね、ある程度経験を積んで来てからです。最初はただただがむしゃらにやって来ましたけど、たくさんの馬たちに乗せてもらって、背中で教えてもらって。その分、たくさんの関係者にもアドバイスをもらっているわけですから、いろいろ考えるようになりました。30年前にJRAに遠征に行き出した頃ですかね。自分自身の感覚というのを感じられるようになったのは。ただ、それがいい方に出る時もあるし、悪い方に出る時もあります。それが競馬の難しいところで、面白いところでもありますけど。
長年騎乗していますが、「楽しい!」と感じる時はありますか?
もちろん、ありますよ。馬に乗るのが大好きですから。特に、自分しか乗れない乗り方ができた時は楽しいですね。周りから、『川原スタイル』『川原マジック』なんて言ってもらえると気分がいいです。先日の園田チャレンジカップ(ヒシサブリナ)で、久しぶりにそういうレースができました。どんなに経験を積んでも、会心のレースというのはなかなかできるものではないです。僕だって年に数えるほどですから。そういうレースができた時は、本当に嬉しいです。
笠松時代に2000勝、そして兵庫移籍後に再び2000勝を達成しました。そのメモリアルの勝利が園田チャレンジカップでしたね。
ずっとお世話になっている盛本信春厩舎の馬で、会心のレースで達成できたことは最高に嬉しかったです。振り返ってみると、本当にたくさんの馬や関係者のみなさんに助けていただきました。笠松時代も兵庫に移ってからも2000勝できるなんて、なかなかないことですからね。感謝の気持ちでいっぱいです。
会心の騎乗だったヒシサブリナの園田チャレンジカップ(写真:兵庫県競馬組合)
勝ち続ける秘訣というのは?
一番は強い馬に乗せてもらうことです。そのためには日々真面目に頑張ること、与えられた中できちんと結果を出すこと、関係者に「自分の馬を託したい」と思ってもらえる存在でいることが大事です。騎乗の中では、どこでギアチャンジをするのか。そこを間違えると強い馬でも負けてしまうこともあるし、そこが一番難しいです。
今後の目標は何ですか?
ケガがないよう1つ1つのレースを大切に乗るだけです。競走馬というのは、馬主が調教師に預けて、調教師が厩務員に託して、最後のバトンを受け取るのが騎手なんです。みんなの想いが詰まっているので、1つでもミスは許されないと思っています。僕は今56歳ですが、「年食ったな」とは絶対に言われたくないですね。今は体も昔と同じように動くし、いつまでも若々しくパワフルな乗り方を続けていきたいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
11月15日現在、名古屋リーディング2位に付けている大畑雅章騎手。1位の岡部誠騎手は韓国遠征中であり、5位の安部幸夫騎手までが少差でリーディング争いを繰り広げています。新たな名古屋の顔として頭角を現してきた大畑騎手に、現在のお気持ちを語っていただきました。
大畑騎手といえばピッチシフターの印象が強いですが、10月に急きょ引退となってしまいましたね。
やっぱり寂しいですよね。あの馬とは一昨年からコンビを組ませてもらって、地元だけじゃなく全国に連れて行ってくれましたから。ダートグレードでも勝負できる馬に出会えるなんて、騎手としてなかなかないことですし、本当にいい経験をさせてもらいました。
一番印象に残っているレースは?
いろいろありますけど、去年の佐賀ですね(2014年サマーチャンピオン・2着)。すごく状態が良かったし、最高の走りをしてくれました。勝てなかったのは残念ですけど、牡馬のJRA勢相手に2着に来たんですから立派な成績です。ただ......、あそこで頑張りすぎちゃったのか、その後はなかなか体調が戻らなくて。あのレースがピークだったんだと思います。
昨年のサマーチャンピオンは惜しくも2着(右から2頭目)
ピッチシフターはどんな馬でしたか?
まさにお嬢様って感じでした(笑)。もうね、こちらの言うことなんか全然聞く気ないんですよ。攻め馬の時から本当に大変で、わがまま女子でした(笑)。でもそのぶんコミュニケーションの取り方も勉強になりましたし、全国いろいろな競馬場に行って勝負できたことはかけがえのない財産です。
やっぱり他地区に遠征に行くことは大きいですよね。
大きいレースになればなるほど上手なジョッキーばかりになりますし、少しでもミスをすれば致命傷になってしまう。それに地方同士だとかなり人気になりますから、そういうプレッシャーの中で戦えたこともいい経験になりました。
現在は生まれ故郷に帰ってお母さんになる準備をしているそうですね。
長い間頑張ってくれて、本当にありがとうございましたという気持ちです。無事に元気な仔を産んで欲しいですね。欲を言えば......、子供に乗せてもらえたら幸せです。
大畑騎手は現在名古屋2位に付けていますけれども、リーディングは意識していますか?
僕よりも周りが意識してますね。1位の岡部誠騎手とほとんど差がなくなって来て、その岡部さんは韓国に遠征中ですから。さすがに「今年はリーディングを!」という空気になってきました。今年はこのまま順調に行けば、今までで一番勝ち鞍を挙げられそうなんですけど、でもそれだって岡部さんがいないからですから。僕自身のことではないんですよ。
岡部騎手は2カ月間の南関東期間限定騎乗と、11月からの韓国遠征とで地元を長く空けていますけれども、存在の大きさは感じますか?
感じますね。僕なんてまだまだ足元にも及びませんよ。南関東から戻って来て、韓国に行くまでの間は神懸かってましたから。これまでも別格で上手かったですけど、より磨きがかかりました。一緒に乗っていると圧倒される時があります。
どんなところに圧倒されるんですか?
具体的に言うのは難しいですけど、まさに天才ですよ。吉田稔さんと岡部さんは天才です。まだまだ追いつける存在ではないですね。でも僕は運が良くて、その2人に可愛がってもらって、いろいろなことを教えていただきました。少しずつでも追いつきたいと思ってます。
どんなことを教わったんですか?
吉田稔さんに言われたのは、「どんなに人間が入れ込んだところで、走るのは馬なんだ」ってことです。人気馬に乗ったり、大きなレースになると人間が先に入れ込んでしまうけど、それはまったく意味がないんだって。まぁ、メンタル的なことなので、なかなか実行するのは難しいですけど、ピッチシフターや、これまで出会ったたくさんの馬たちに経験を積ませてもらったお蔭で、稔さんの言っていたことを少しは実行できるようになったかなと思います。
確かに、レース前後でもあんまり緊張している感じを見かけないです。
そうですね。昔は緊張したこともありましたけど、今は硬くなったりすることはほとんどないです。僕ね、あんまり固定観念を持たないようにしているんですよ。もちろん、騎乗馬や相手馬のことは研究しますけど、でもゲートを出たら何が起こるかわからないですから、臨機応変に対応できるようにと思ってます。こうしなきゃいけない!という気持ちがあると、どうしても緊張して体が硬くなってしまうんですけど、固定観念を持たないようにするといい意味でリラックスできるんです。
デビューから15年、早い段階からかなり勝ち星を挙げていますね。
最初はなかなか上手く行かなかったんですけど、3年目で錦見勇夫先生が拾ってくれたんです。そこからいい馬をどんどん乗せてくれて、育ててくれました。錦見先生がいなかったらとっくの昔に騎手を辞めていたと思うし、本当に恩人ですね。先日、先生が2000勝を達成(11月2日名古屋第2レース・スキャットソング)したんですけど、少しは恩返しできたかなと思って嬉しかったです。僕が騎乗したわけじゃなくて、妹弟子の木之前(葵騎手)が乗っていたんですけどね。
先日、木之前騎手にお話を伺った時、「兄弟子にいろいろ教えてもらってます」と言っていました。
周りからは「もっとちゃんと教えろ」って言われているんですけど(苦笑)。木之前も一生懸命頑張っているので、少しでも役に立てればと思います。自分が先輩たちに教えていただいたことを今は後輩に伝えていく立場になったのかなと。まだまだ僕自身も勉強ですけどね。
では、今後の目標を教えて下さい。
今は自厩舎のノゾミダイヤが頑張ってくれて、東海ナンバー1と言えるような位置にいます。これからどういうローテーションを進むかはわかりませんが、これからも東海の看板を背負えるような立場に居続けたいと思ってます。それから、リーディング争いは4人(3位今井貴大騎手、4位丸野勝虎騎手、5位安部幸夫騎手)が差なく競っていて、年末に向けてさらに熾烈な戦いになると思います。岡部さんがいない間、自分たちが盛り上げなければいけないと思っていますし、ファンのみなさんに1つ1つのレースで熱い戦いをお見せできるよう頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
今年デビュー18年目を迎えた佐賀の倉富隆一郎騎手。山口勲騎手、鮫島克也騎手という二大看板に続く佐賀ナンバー3として、長年活躍を続けています。昨年はケガによる長期休養もありましたが、完全復活を果たした今、今後への意気込みをお聞きしました。
昨年は大きなケガがあり、久しぶりにトップ3から陥落してしまいました。ご自身ではどんなお気持ちでしたか?
デビューしてから初めての大ケガで、初めての挫折でしたね。足の甲の骨折で場所が悪かったので、リハビリを始めるのにも相当時間がかかってしまって......。結局、丸4か月騎乗ができませんでした。最初はすごく落ち込んだし、不安でしょうがなかったんですけど。でも今になってみれば、いい経験ができたんだなと思っています。
ケガで休養したことが、いい経験になったと?
そうですね。デビューして17年経って、3位というのがある意味定位置になっていたんです。山口さんと鮫島さんは本当に偉大な先輩で、いつの間にか「超えてやろう!」という闘志が薄れていました。でもケガをして長く休んだことで、馬に乗りたいという気持ちが改めて沸いてきて。自分はリーディングを獲りたいんだということを強く思うようになりました。
やっぱり、山口騎手と鮫島騎手というのは偉大な存在ですよね。
本当に偉大ですよ。山口さんは完璧なんです。リーディングになってからも、なる前とまったく変わらず努力を続けていて。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで攻め馬してるんですから。それに、どんなにクセのある馬でも、ゲートが悪い馬でも絶対に無理だって言わないんです。普通1位になったら攻め馬の頭数を少なくしたり、馬も選んで乗っていくようになるじゃないですか。でも山口さんは変わらない。付け入るスキがないんです。鮫島さんはもうすぐ53歳ですし、今は頭数を減らして選んで乗っているんです。それでも抜けないんですから、本当にすごい人ですよ。でも、鮫島さんが乗っているうちに抜かなきゃいけないと思っています。そうじゃないとファンの方もつまらないだろうし、鮫島さんを抜けるとしたら3位の僕ですから。
倉富騎手は中学時代に全国で第4位に入るほどの乗馬の腕前をお持ちですが、どういう経緯で騎手になったんですか?
もともと佐賀競馬場の近くに住んでいたんですけど、10歳くらいの時に近所の乗馬クラブに行き始めたんです。乗馬クラブっていうと高級なイメージがありますけど、そこは佐賀の馬主さん(ワンパクメロなどのオーナーである、野上ヤチ子さん)が子供たちのために安くやっているところで、学校が終わってから毎日通っていました。それで、僕はあんまり頭が良くないから(笑)、「馬術で大学まで行けるように」という感じで教えてもらっていたんです。それで馬術推薦で高校に入ったんですけど、結局勉強についていけなくなって、学校に行かなくなって......。家にも帰りたくなくて、ちょっとグレてしまったんです。その時に、「このままじゃダメだから」って、半分無理やり佐賀競馬に連れてこられて、川田孝好先生のところに下乗りとして入ったんです。だから、その乗馬クラブが僕の原点だし、本当に感謝しています。
川田厩舎といえば、現在JRAで活躍中の川田将雅騎手のお父さんの厩舎ですよね。
そうです。将雅も同じ乗馬クラブに来ていたので、子供の頃から知っています。今でも隆一兄ちゃんて呼んでくれて、連絡を取り合っていますよ。将雅はものすごく頑張ってますから、いつも刺激をもらっています。あの時連れていかれたのが川田厩舎じゃなかったら今の僕はいないし、ジョッキーにもなってなかったと思います。川田家の方々にも本当に感謝ですね。
というと、騎手になるのもご苦労があったんですか?
下乗りで入った時点で55キロありましたから、教養センターの試験を受けるためには12キロ痩せなきゃいけなかったんです。育ち盛りの高校生で12キロ痩せるっていうのは、自分ひとりの力ではかなり難しいですからね。川田先生の奥さんが毎日食事を用意してくれて、毎日体重を計ってチェックしてくれたんです。みんなが見守ってくれたお蔭で、騎手になることができました。
川田将雅騎手の存在もそうですが、教養センター時代の同期には、戸崎圭太騎手や森泰斗騎手もいます。この2人の存在も刺激になるんじゃないですか?
そうですね。圭太はセンター時代から人に嫌われなくて、みんなの人気者でした。腕はもちろんですけど、人間力がすごいのであそこまでの活躍も納得です。泰斗はセンター時代は尖っているところもあったし、実力はあるのになかなか結果が出せない時期もありましたよね。でも今は全国リーディング独走中ですから、アイツもすごいなと思います。将雅もそうですけど、一緒にがんばってきた仲間がどんどん結果を出して遠くに行ってしまうので、僕も置いて行かれないようにがんばります!
では、今後の目標を教えて下さい。
まずは鮫島さんを抜いてリーディング2位になることです。そうしたら、「リーディングを獲ることが目標です!」と言えるようになるので。簡単なことではないですが、目の前のレース1つ1つで結果を出して、積み上げていきたいです。もうひとつは、もう一度ダートグレードを獲ることです。ヴァンクルタテヤマ(2008年サマーチャンピオン)に乗せてもらえたのは本当にラッキーで、山口さんと鮫島さんが他の馬に乗っていたので僕だったんです。あの時はものすごく緊張しましたけど、宝物になる経験をさせてもらいました。もう一度ダートグレードを勝って、もっと佐賀競馬を盛り上げたいです!
2008年サマーチャンピオンをJRAのヴァンクルタテヤマで勝利
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※インタビュー / 赤見千尋