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ジョッキーインタビュー

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各競馬場を代表するジョッキーにインタビューを実施。他では聞くことができないジョッキーたちの素顔や本音に迫ります!競馬にまつわるエピソード、今後の抱負などのインタビューをご紹介します。

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尾ヶ瀬 馨 騎手(ばんえい)

9月12日第11レースをコサカコブラ(牡8)で制し、通算2000勝を達成した尾ヶ瀬馨騎手(50)です。

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通算2000勝おめでとうございます。表彰式のインタビューでは、「区切り」とおっしゃられていましたね。

2000という数字は競馬では一区切りになる。これを目標にしていた。

思い出に残る馬は。

やっぱりフクイズミ(2009、2010帯広記念など重賞12勝)だな。障害が難しかったから苦労した。ちょっと気を損なうと、障害を登らなくなるからものすごく気を遣った。ファンも多いしな。その分、勝つと嬉しかったんだ。レースだと2連覇した帯広記念。3連覇はできなかったけれど......。牝馬でBG1を勝つ馬っていうのはなかなかいないぞ。

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フクイズミのパドック

ばんえい記念にも何度か騎乗されました。

2着、3着はあるがなかなか勝てなくてな。ダイニハクリュウ(2008年、タイムオーバーで失格)は、よく完走してくれた、たいした馬だ。どんなに強い馬でも、ばんえい記念では第2障害を越えられなくてソリを外すことがある。よく山を越えたよ。ゴールは難しいかな、と思ったけれど、最後までファンが応援してくれたから、頑張らなきゃ、って思ったよ。ばんえい記念は特別なレースだ。

今年はインフィニティー(牡9)で挑戦でしょうか。

そうだね。2000勝の次の目標はこの馬でばんえい記念だな。登坂力は競馬場の中で1番だと思う。障害を降りてからは、ほかの馬に切れ味で負けることはあるけれど、障害はうまいよ。弟のトレジャーハンター(牡8)にも乗ることがあるけれど、性格いいところが似ている。素直で反応がいい。2頭とも障害がうまいしな。

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インフィニティーで2015年の北斗賞3着

2000勝の表彰式でも言われていましたが、怪我が少ないですね。

「生き物だから、何があるかわからない」って、調教師(父の尾ケ瀬富雄調教師)によく言われていたんだ。気を抜かないようにはしているね。

20歳で競馬場入り、27歳で騎手デビュー。初年度(1992年)は日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞していますが、意外と遅いスタートです。

札幌の自宅には厩舎があって、開催がない冬には馬がやってきた。だから子どもの時から馬好きだった。親父はそりに乗ってセブンイレブン行ったりしていたんだぞ(笑)。父は跡を継いでほしかったみたいだけど、単身赴任が多いからってまわりに反対されていたんだ。高校卒業後社会人になったけど、やっぱり騎手になりたくて、20歳過ぎて競馬場に来た。最初のころは、もっと早くやっておけばよかった、って思ったよ。でも追い上げたいと自分なりに努力した。負けたらどこが悪いかビデオを見るなど研究した。ほかの厩舎をまわっていたら、たまにチャンスは来るんだ。それを絶対外さないようにする。そうすれば、この馬とはお前が合う、と乗せてくれることがあるから。それと、昔は中継がなかったから、馬主はみんな競馬場に来たんだ。その時挨拶してな。年間100勝を目標にやってきたよ。

その積み重ねなんですね。ではファンに一言。帯広の楽しみ方は何かありますか。

まずは温泉、やっぱり十勝川(温泉)だな。俺は温泉とゴルフが趣味なんだ。芽登温泉(足寄)やかんの温泉(鹿追)など、十勝管内は遠くの温泉も全て行った。 十勝は平均して食べ物おいしいよな。北の屋台には俺のファンが多いんだ。十勝産のものを多く出しているから、北の屋台や十勝乃長屋はお薦めだよ。これから冬にかけて大きなレースも増えてくる。レースはもちろんだけど、観光も楽しんでいってほしいな。

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2011年ヒロインズカップを制したフクイズミ

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※インタビュー・写真 / 小久保友香

2015/11/16
ばんえい

佐原 秀泰 騎手(高知)

福山のトップジョッキーとして君臨していた佐原秀泰騎手は、福山廃止後に南関東、高知と移籍してなかなか結果が出せずにいました。しかし、今年は91勝(10/25現在)を挙げて高知リーディング第3位につける活躍を見せています。これまでのこと、そして現在の心境をお聞きしました。

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今年はここまで(10/25現在)91勝を挙げ、昨年の48勝を大きく上回っています。何かきっかけがあったんですか?

きっかけというか、嬉(勝則)騎手が別の厩舎に移籍して、乗り馬が増えたということもありますし、あと乗り方のイメージを変えたというのもありますね。去年1年は福山での乗り方を意識して、イケイケのレースをすることが多かったんです。でもそれでは思うように結果を出すことが出来なかったので、今は高知に合ったスタイルで乗ることを心掛けています。

具体的にはどんなことですか?

福山の場合は、内枠でも外枠でもとにかく先手にこだわることが重要でした。多少無理をしてでも前でいい位置を取ることがポイントだったんです。でも高知は、前半で少しでも無理をしてしまうと最後に止まってしまう。先手にこだわるよりも、いかに道中楽に運べるかなんです。僕は福山時代に上位にいさせてもらっていたので、そのやり方を貫きたいという気持ちが強くて......。福山のやり方を高知でも通用させたいと思って1年やってきたんですけど、結局結果を出すことはできませんでした。でもよく考えたら、高知に合わせた騎乗をすることは、福山時代の騎乗を捨てることにはならないんですよね。今は福山で培った経験をベースに、高知に合わせてプラスαの技術を身に付けたいという意識でやってます。

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福山ではどんな技術を学びましたか?

高知に比べても超小回りでしたから、コーナーできっちりと進路を選択する技術は持っているつもりです。それは今もすごく活きていて、高知は内を大きく開けるのがセオリーですけど、僕はけっこう内を突いて差し切ることも多いです。あとは、若馬を育てる技術ですね。福山の頃からずっと所属している那俄性哲也先生は、昔から若馬にこだわる方だったので、毎年毎年いい2歳が入って来て、そこから育てて行くということを教えてもらいました。その中でも、クーヨシンとカイロスに出会えたことは本当に大きかったです。

福山の女神と呼ばれたクーヨシンは、2歳3歳時に重賞を勝ちまくり、佐原騎手と共に全国区の馬になりましたね。

あの仔が僕のすべてを変えてくれました。クーヨシンに出会うちょっと前は、那俄性厩舎も馬が少なくなってしまって、僕も乗り馬が少なくなっていて。先生も辞めるか悩んでいる時期で、先生が辞めるなら僕もやめようかななんて思っていました。でもクーヨシンに出会って、最初は強くなかったのにどんどん成長してくれて、僕を導いてくれました。レースの見方も変わったし、競馬っていうのは、馬っていうのは、という根本の部分も教えてもらいました。今振り返ると、それまではあんまり深く考えていなかったんです。人気がある馬に乗ったら勝てるかなとか、単純にしか考えてなかった。それが、1頭1頭の馬ときちんと向き合って、深く考えるようになったんです。

そしてその直後に出会ったのが、福山の怪物と呼ばれるカイロスですね。

カイロスに乗った時には、勝ちたいという気持ちよりも、負け方がわからないという感じでした。大昔に那俄性先生に「勝つのは難しいか? でも、本当に強い馬に乗ったら、勝つことは難しくないんだ。負ける方が難しいんだぞ」って言われて。その時はまったく理解できなくて、さすがローゼンホーマ(福山史上最高の名馬と呼ばれた馬)に乗ってた人だなくらいに思っていたんですけど、カイロスに出会って那俄性先生の言ってたことがわかりました。

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カイロス(2013年2月2日、福山・若駒賞、写真:福山市)

カイロスとはさまざまな思い出があると思いますが、福山廃止後に共に南関東に移籍したあとは、乗り替わりという悔しい経験もありました。

そうですね。今は離れているのでそこまで思わないですけど、自分も南関東にいる頃に別の人間が乗るというのはかなり悔しかったです。勝負の世界なので仕方ないことですけど、高本先生(福山時代のカイロスの調教師)と厩務員さんと僕とで育てて来たという自負があったので、その部分を見てもらえないのは悔しいです。それが南関東の厳しさなんですけど。

福山→川崎を経て、再びデビューの地・高知に戻って来たわけですが、そもそもなぜ高知から福山に移籍したんですか?

デビューから3年は高知にいたんですけど、デビューしてすぐに廃止になるかもというくらい追い込まれていました。当時は1000勝以上の騎手が何人もいて、もし廃止になったら僕は行き場がないなと不安に思っていて。そんな時、福山の那俄性先生が騎手を探しているという話があって、別府(真司)先生から「誰か福山に行かないか?」って言われて。その時は悩まずにすぐに動きました。福山なら近いし、いいかなという感じで、かなり甘い考えでしたね。今思うと、よく行けたなと思います(笑)。今なら移籍の大変さもわかるから、絶対動けないですけど。結果的には福山が廃止ということになってしまいましたけど、福山に行かなければ今の僕はなかったし、もしかしたら騎手を辞めていたかもしれません。だから、あの時思い切って動いたことは良かったと思ってます。

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ジュメーリイで黒潮皐月賞制覇(写真:高知県競馬組合)

現在は永森騎手、赤岡騎手に次ぐリーディング第3位につけていますし、ジュメーリイで黒潮皐月賞を制し、高知初重賞制覇も成し遂げました。

リーディングに関してはまだ途中なので何とも言えないですけど、この勢いが来年再来年と続いて行けるようにしたいです。黒潮皐月賞を勝てたことは、本当に嬉しかったですね。最後は倉兼騎手との叩き合いになって、かなり内に押し込めてしまったので、レース直後に怒られてしまって......。本当はガッツポーズをしたかったんですけど、火に油を注ぐことになってしまうので大人しく帰って来ました(苦笑)。次は快勝してガッツポーズをしたいです!

では、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。

人よりもウロウロしましたけど、今度こそ高知に根を下ろすことが出来たので、これからは恩返しをしていきたいです。そのためには腕を磨いて面白いレースをすることだと思っているので、今まで以上にがんばります。あと今年から高知の2歳戦が復活して、世代ナンバー1になれそうなディアマルコに騎乗させてもらっているので、高知生え抜きの代表馬になれるように育てていきます! 応援よろしくお願いします。

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2歳の期待馬ディアマルコ

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インタビュー / 赤見千尋

2015/11/04
高知

尾崎 章生 騎手(名古屋)

名古屋所属の尾崎章生騎手は、通算445勝の成績を残して2013年の12月に引退しましたが、今年8月に現役に復帰。どのような経緯があったのかを中心に伺いました。

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まずは、引退に至った理由から教えてください。

一昨年(2013年)の2月から腰のヘルニアが厳しい症状になって、引退する前にも半年ほど休業していたことがあったんですよ。硬いところに座っただけで足に激痛が走るというレベルですから、日常生活にも影響するほど。サウナで汗取りするときでも、暑さより痛みに耐えていたという感じでしたね。
ヘルニアになったのは、馬が暴れたときにグキッと来たことが最大の理由です。ひどいときは立ち上がるのもつらかったですね。2回入院して、2回目の退院のときは杖なしでは歩けないほどでした。

その症状を克服して復帰されたのは、すごいことだと思います。

もともと腰が治ったら復帰しようと考えていたんです。でも、引退前に半年休んだとき、久しぶりに馬に乗ったら腰が痛くなって、やっぱりもう騎手は無理なのかな......と、思ったこともありました。いろいろな医者とか整体院とかに通いましたよ。でも、馬に乗りながらの治療では、ぜんぜん良くならないんですよね。騎手免許を持っているとどうしても焦ってしまいますから、いったん免許を返すことにしたんです。

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そんな状況でありながらも1年半で復帰。早かったような気がしますが。

いろいろと治療法を探しているときに、伊勢にある「こころ骨格治療院」を紹介してもらったんです。そこに通い出したら、半年ぐらいで症状がかなりよくなりました。でも、馬に乗ったらまた再発するかもしれないなという不安はありましたね。といいながらも去年の騎手免許の試験を受けたんですが、落ちてしまいました。

短い期間で腰の状態がそれほどにも戻るものなんですね。

ただ、去年の試験のときは、馬には乗っていないし、所属する厩舎も決まっていないし、という状態だったんですよね。だから受からなかったんだと思いますが、落ちたときは"なんでだよ!"と憤慨しました(笑)。
でも今になって思えば、体を休ませることはできましたし、息子の誕生にも立ち会えましたし、逆によかったですね。1回目の試験に落ちたあとは(現在所属している)植松調教師に配慮していただいて、1頭持ちの調教厩務員になりました。そうしたら体に問題が出なかったので、これなら大丈夫だなという気持ちになりました。

その休業期間に事業もされていましたね。

タコ焼き屋さんを居抜きで手に入れて、それで収入を得ようと考えていたんですが、たまたま人の紹介でネパール人と知り合ったんです。事業を始めるにあたってその人を雇うことにしたんですが、彼の労働ビザがカレー関係の仕事だけという条件だったんですね。まあ、こちらは料理などしたことがないというレベルでしたし、任せようということで店を改装して、カレー屋としてオープンしました。

ネットなどの評判を見ると、かなりいいコメントが並んでいますね。

彼はネパールの有名なホテルでシェフをしていたそうですから、本物だと思いますよ。僕は店でほとんど座っていただけです。騎手に復帰できなかったらそれで生活していこうという考えもあって始めた事業ではありますが、今は妻に店を見てもらっていますから、うまくやれていると思います。

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2014年10月1日の名古屋競馬では、冠協賛レース「尾崎章生さっき入籍してきました」を実施されました。

独身のときは体重で苦労したことが多かったですが、今は妻のおかげでずいぶんと楽になりました。長男は生まれたばかりですが、将来はJRAの騎手になってほしいなあ。それで地方交流に来て、同じレースに乗って、ワンツーとか決められたら最高ですね。そこまで現役でいられるようにしていかないと。

競馬場以外の世界を経験したことで、強くなった部分などはありますか?

いやあ、競馬の世界のほうが気持ち的に楽ですよ。20年以上いるわけですからね。カレー屋で調理人が別にいるといっても、初めてのことばかりでしたから、世の中って大変なんだなあという思いが残りました。そのあとの調教厩務員のときも、騎手のときは馬をひいて歩くとかほとんどしたことなかったですから、これもまた慣れないことをするのは大変なんだなあと思いましたね。

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しかしそれだけのブランクがあると、騎手の体に戻すまで、時間がかかったのではないですか?

それはそのとおりですね。攻め馬に必要な筋肉と、競馬に乗るための筋肉って、やっぱり違うんですよ。1年半ぶりにレースに乗ったとき、それを強く感じました。そのあたり、具体的には下半身ですが、復活させられるようにと思って筋トレをしています。

名古屋はベテラン勢も元気ですし、尾崎騎手もまだまだこれからですね。

そうですね。あとはいい馬との出会いがあればと思います。レースは予想どおりにいかないことが多いですし、ゲートをうまく出して、それから臨機応変に乗っていけるようにと考えています。名古屋は砂を入れ替えてからすごく乗りやすくなりましたね。以前は砂除けのガードに砂がすぐベットリとくっついたんですが、今は前がよく見えるようになりました(笑)。

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※インタビュー・写真 / 浅野靖典

2015/10/19
名古屋

畑中 信司 騎手(金沢)

金沢の看板馬ナムラダイキチの主戦ジョッキーとして知られる畑中信司騎手。今年はすでに80勝を挙げ(9月28日現在)、昨年の73勝を上回る成績を残しています。ナムラダイキチのこと、そしてご自身のことについてお話を伺いました。

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ナムラダイキチは約11カ月の休養を経て今年の5月に復帰しましたが、久しぶりに騎乗してみていかがでしたか?

復帰戦はA級の特別戦だったんですけど、あれだけ休んでいたのにいきなり勝ってくれて、さすがだなと思いました。休む前に比べると行きっぷりが多少よくなかったですけど、勝ち切ってくれるところがダイキチだなと。ただやっぱり、絶好調だった頃に比べると強い調教をすることができなくて、様子を見ながらの攻め馬だったので、前走の百万石賞では思ったような動きをすることができませんでした。今は脚元の状態があまりよくなくて、また休養に入ってしまいました。

ナムラダイキチはどんな存在ですか?

本当に大きな存在ですよ。たくさん重賞も勝たせてもらいましたし、白山大賞典(2012年)でも2着にがんばってくれて。騎手をしていて、これだけの馬に出会える機会はなかなかないですから、いつも勉強させてもらうつもりで騎乗しています。地元の期待を一身に背負っている馬ですから、乗る時にはプレッシャーも大きいですけど、その中で結果を出せたというのはすごく自信になりました。この馬に出会う前と後では、精神的に変わったと思いますね。僕にとって大事なパートナーです。ダイキチが絶好調だった頃(2012年)、僕も初めて年間100勝を達成させてもらったんですよ。やっぱり、地元の看板になるような馬に乗せてもらっているとすごく目立つし、騎乗馬も増えるという好循環になるんだと思います。ダイキチには感謝してもしきれないくらいですね。途中からは脚元との戦いになってしまいましたが、コンスタントに使えるようならばもっと大きい舞台へも行けたと思います。今はとにかく脚元を治療して、無事に復帰してくれることを願っています。

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ナムラダイキチ(2013年百万石賞)

もう1頭、クロスオーバー(高知・別府真司厩舎所属)とのコンビも印象が強いですけれども、どういうきっかけで乗ることになったんですか?

冬場のオフシーズンに福山に乗りに行っていたんですけど、残念ながら廃止になってしまったじゃないですか。それで、じゃあどこに行こうかと思った時、南関東は成績的に条件が足りないし、高知はウェルカムで迎えてくれるという感じだったので、期間限定騎乗をお願いすることにしました。たくさんチャンスをいただいて乗せてもらったんですけど、その中でも別府先生が本当に良くしてくれました。クロスオーバーに関しては、佐賀の花吹雪賞を勝てたことが大きかったです。ハナ差で逃げ切ることができたんですけど、1着か2着かでその後が大きく変わったと思いますね。本当に大きなハナ差でした。

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クロスオーバー(2014年佐賀・花吹雪賞)

別府先生と畑中騎手は性格的にすごく合っているとお聞きしました。

そうなんですよ、すごく合うんです(笑)。どういうところがっていうんじゃないですけど、遠征に行った時とかもけっこう一緒に行動してますね。騎乗に関しては細かい注文もなく僕に任せてくれるし、懐が深くて本当にすごい先生です。調教師としても、人間としても尊敬しています。

クロスオーバーは他地区への遠征の時にも騎乗していますが、高知の馬で金沢の騎手が全国に行くというのは、今の時代ならではですよね。

少し前だったらそこまで交流が盛んではなかったですから、こういう時代になって感謝しています。そのお蔭でいろいろなところに行くことができて、本当に勉強になっていますね。TVで見たり、人から話を聞いていても、実際にその競馬場に行って乗ってみないとわからないことって多いですから。それに、外の競馬場で騎乗した経験が、また地元に戻った時に活きてくるというか。僕はデビューしてしばらくは本当にダメで、全然上手く乗れなかったんですよ。でも周りの方々が助けてくれたこと、そして福山や高知などで経験を積ませてもらったことで、多少なりとも成長ができたのかなと思っています。

今年はここまで80勝を挙げ(9月28日現在)、すでに昨年の73勝を上回りました。好調の波に乗っていますね。

僕がどうこうではなく、最近は金沢リーディングの金田一昌厩舎の馬に乗せてもらえることが大きいですね。騎手は乗せてもらって初めて仕事ができる立場なので、周りの方々に常に感謝して、これからもおごらずに進んで行きたいと思っています。

では、今後の目標を教えて下さい。

直近の目標としては年間100勝です。2012年に一度だけ達成したことがあるんですけど、そこからはなかなか近づけていない数字なので、今年は絶対に超えたいです。長い目でみた目標は、ありきたりですけど1頭1頭丁寧に乗って、ひとつずつ勝ち星を積み上げて行くことです。結果的にそれがリーディング順位にも繋がることだと思うし、大きな舞台へも繋がることだと思っているので。これからも金沢競馬を代表する騎手になれるようがんばります!

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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:石川県競馬事業局、佐賀県競馬組合)

2015/10/13
金沢

山本 咲希到 騎手(北海道)

若手の活躍が目立つホッカイドウ競馬。今年デビューしたのは山本咲希到(さきと)騎手(18)です。

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騎手になったきっかけを教えてください。

奈良県の大和高田市出身で、小学4年の時、祖父母に京都競馬場に連れて行ってもらいました。2006年の菊花賞、ソングオブウインドが勝った年です。三冠がかかっていたメイショウサムソン(4着)の石橋騎手が最後まで追っていたところや、アドマイヤメインの大逃げ、ドリームパスポートの追い込み、レースとして全ておもしろく、騎手になりたいと思いました。小学校は空手、中学に入ってからは陸上部に所属しながら乗馬クラブに通っていました。陸上部は足腰を鍛え、体力をつけるため。夏休みは陸上の朝練をしてから、バスで1時間かけて乗馬クラブに行ってました。中学時代に通った乗馬クラブと、中学卒業後に寮生活しながら1年通った東関東馬事高等学院では、乗馬の基本をみっちり教わりました。

咲希到という名前は、漢字一文字一文字に意味があっていい名前ですね。

父が、レーサーになりたかったそうで「サーキット」から名付けられました。親は全く競馬は見ないのですが、何も言わず応援してくれました。

地方競馬教養センター時代はいかがでしたか。

中学の時にJRAの試験を受けていましたが、次の年には中央や地方関係なく騎手になりたかったので、両方受けて地方に受かりました。2年間、厳しかったけどジョッキーにさせていただきましたし、楽しかったです。馬乗りとしてはもちろんですが、精神面で鍛えられました。忍耐がつきましたね。同期とも仲が良かったです。
北海道に来たのは、2歳戦や馴致は、技術が身につき馬乗りとしてうまくなれる、と聞いたからです。教官にも薦められました。最初は同期に負けない、と思いましたが、競馬場が違うと流れも雰囲気も違うし、それよりは阿部龍さんや石川倭さんなど、道営で若手騎手が活躍しているのでこちらの方が気になります。

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名騎手だった松本隆宏調教師のもとに、ついに新人所属騎手が!という思いでした。

言われましたね。宮崎さん(光行騎手)もいますし、勝負服をもらったので、言われなくてもその思いは感じます。宮崎さんは移籍してきたので、せっかく最初の弟子になるから勝負服は着せていただけるなら、と先生にお願いしました。最近道営では、米川昇先生(石川倭騎手)、村上正和先生(水野翔騎手)、と昔騎手だった先生の勝負服が復刻しているんですよね。

2年の夏からの実習はいかがでしたか。

全く違います。馬が違う。大変だと思うことはなく、楽しかったです。もっと騎手になりたい、と思いました。攻め馬に乗せていただいた馬がレースで結果を残してくれたり。厩舎はこの時、ヤマノミラクル(北海優駿)やステファニーラン(リリーC、フローラルC)、キタノイットウセイなどが活躍しましたからね。
実は実習に入ってすぐ足首を骨折して、9月の1カ月くらい馬に乗れなかったんです。それもあって、冬季は松本先生と同期の、川崎の田邊陽一先生のところにお世話になりました。南関東にも限定騎乗で行きたいな、と思いました。

松本先生や宮崎騎手は、何か教えてくれますか。

基本的には言わないけれど、聞けば教えてくれます。宮崎さんも聞けば教えてくれる。大事なのは「馬づくり」と言われます。他の厩舎に強い馬がいても、乗るにはハードルが高い。厩舎で強い馬をつくれば、騎手が2人いてもまわってくることがある。だから攻め馬が大事、と。ほかの先輩方、厩務員さんなど、みなさんによくしてもらっています。五十嵐(冬樹)さんは乗り役としての態度や、競馬場以外の心構えを教えてくれますね。道営の人たちはみんな温かいです。

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初騎乗(4月22日8Rナナイロ、7着)について教えてください。

あっという間に終わってしまいました。緊張はしなかったのですが、内にささって、矯正するのに必死でした。レースってこんなに疲れるのか、と思いました。今考えればあんなハイペース、間違った騎乗だったと思うのですが。祖父母が応援に来てくれました。

初勝利(5月6日10R、クインズパール号)については。ゴールデンウィーク中でした。

追い切りも乗せてもらって内心期待していたのですが、特別戦(減量特典なし)ですし。(大外をまわって)ロスの多い競馬だったので、馬が強かったからです。思い出に残る馬ですね。(内外離れていたので)勝ったかはわからなかったけれど、戻ったらおめでとう、と言われました。人の多さは全く気にならなかったです。2勝目は勝ったのがわかりました。宮崎さん(シセイカイカ)が来ていましたが、来るな!と思いました(笑)。負けたくないです。
それと、ディーズメヌエット(8月13日1R)。同着でしたが自厩舎で勝った馬で、宮崎さんが、僕を自厩舎で勝たせるために薦めてくれたんです。能検も乗せてもらいました。能検は広い意味で勉強になりますね。

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負けず嫌いなのですね。騎手としてデビューして4カ月が過ぎ、いかがですか。

馬を動かすのって、こんなに難しいのか、と思っています。ゲートは難しいですね。「ゲートうまくなれ」とよく宮崎さんに言われます。宮崎さんは、馬を動かすこと、御すこと、おさめること、展開、全てがうまく、そして大舞台に強いですよね。
大事にしているのは、宮崎さんの言葉を借りれば「動物の気持ちをくみ取る」ということです。馬は機械じゃない。感情があって能力もそれぞれ違うから、その子に合わせた引き出しをどう引いていくか。1つでも多く勝ち星を積み重ねていきたいです。

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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)

2015/10/05
ホッカイドウ

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