12月8日第8レース、キタノオーロラで通算1000勝を達成した工藤篤騎手(44)です。
1000勝達成おめでとうございます。11月30日の999勝から、待ち遠しかったですよ。
自分は冷静だったけど、周りが「(お祝いの)花が枯れる」って冷やかすんだよね(笑)。キタノオーロラは、馬場も合うし、うまくいったら穫れるかな、と思っていました。1000勝といっても、年数かかっているからね。(デビューから)22年、尾ヶ瀬さん(馨騎手)と同期なんだ。最初は1000勝できると思っていなかった。これからは1勝1勝大事に勝つことだね。地道に、です。
出身は弘前ですね。
家に草ばん馬用の馬がいて、父と祖父が世話していました。騎手になりたいと思ったのは小学校の高学年のころかな。ばんえい競馬のビデオや本を見て、こういう仕事があるんだ、馬が好きだから、なれたらいいな、と思っていた。
親は違う仕事をしてほしかったみたいで高校にも行ったけれど、頭の片隅にはずっと騎手になりたい、というのがあったんだよね。なぜか、ずっと頭から離れなかった。
たまたま、ばんえいの開催がない冬に湯治で近くに来ていた橋本豊調教師に会って、そのうち「来ないか?」って言われて。若いときしかできないし、挑戦してだめなら、また考えよう、と競馬場に行きました。縁なのかな。
橋本厩舎に入ってからのことを教えてください。
3年目で騎手試験に合格しました。橋本厩舎の兄弟子は大河原騎手。厳しかったよ。でも、そのおかげで早く騎手になれた。「追える騎手になれ」って言われたな。
初勝利はコーネルトップ(97年ばんえいグランプリなど重賞8勝)です。市場で破格の1000万がついて、うちの厩舎で育成、テストと関わった。怪物だったね。同世代にはダイヤキャップ(98年帯広記念など重賞5勝)やヨウテイクイン(95、96年ばんえいグランプリなど重賞10勝)と、強い馬が多かったけど、それでも同じ年の馬とは頭一つ大きさが違う。並んでいたら親子みたいだもの。デビューして1カ月、なかなか勝てない時に乗せてもらった。乗ってたら知らんうち1着になってた(笑)。
帯広競馬場にある「ばんえいギャラリー」に昔のポスターが貼られていますが、よく登場していますね。
なんでポスターに使われたかわかんないんだわ(笑)。当時はパーマかけてたんだよ(笑)。2年後に橋本先生が定年になって、三浦孝幸厩舎に移籍しました。三浦先生(2013年に急逝)は面倒見のいい先生だった。若手を大事に育ててくれた。先生のおかげで、馬主さんとか、いろんな人と知り合えた。
コーネルトップのほかに思い出の馬はいますか?
コーネルトップの子で重賞を2つ取った、カネサリュウ(2007年ホクレン賞、イレネー記念)だね。重賞これしかないんだよ。子どもだからって特に意識したことはないけれど、似ているところはあるかな? 言われてみれば、おっとりしているところが似ているかな。
これからの期待馬は。
ニシキエーカンは、先行力があって障害も上手。いいところまで行くんだけど、なかなか勝てないね。岩見沢記念(3着)は悔しかったな。ちょっとゴール前焦ってしまったかな。気ムラなところがある。本気出したら力があるのに。でも、年々良くなってるよ。(管理する)村上慎一調教師は橋本厩舎で1年下の弟弟子になるんだ。同じ釜の飯食べてね。
ここ最近期待しているのは、サカノテツワン。パワーアップしているよ。地味だけど派手に勝つ! 末脚がしっかりしている。上のクラスに行ってもいいレースするしね。
北央産駒特別を勝ったサカノメイホウは末脚が光りましたね。30日のヤングチャンピオンシップが楽しみです。
オープンは初めてだったけれど、降りてからしっかり歩いて、思ったより頑張ったね。出られるのが名誉なレースだから楽しみだね。
好きな脚質はありますか。また、心がけていることは。
レースとしては好位差しが理想。抜け出すのが好き。
心がけていることは、馬優先。馬の調子には波がある。絶好調は続かないから、仕草を見ることを心がけています。生き物だからね、しゃべらないだけで。いい時には目が輝いている。目がとろーんとして、腐った魚のようになっていたらだめ。パドックで背中に乗ったとき「あれ?」ってわかるよ。いい時の感覚は体で覚えているからね。馬は一頭一頭違うから、それぞれの特徴を頭に入れている。馬も減っているから、できるだけ大事にしてあげたい。
最近若手が伸びてきていますが。
若い騎手は、もうちょっと派手さがあってもいいかなと思う。久田守、金山明彦(元騎手、現調教師)は豪快な騎乗だった。今は個性的な騎手が少ない。松田さんのアクションすごいしょ。西将太はぼえてる(追えてる)な。
ファンに一言お願いします。
売り上げが伸びているし、競馬場に来るファンも増えてきた。ピークには戻らないかもしれないけど、いいことだね。ファンに見て欲しいのはゴール前の接戦かな。止まったり、入れ替わったり。1人でも多くの人に、熱い、いいレースを楽しんでほしい。
-------------------------------------------------------
※インタビュー・写真 / 斎藤友香
2014年の秋、地方競馬で話題となったのが、「宮下康一騎手が11年ぶりに現役復帰」したということ。ある意味、内田利雄騎手に匹敵する"さすらいジョッキー"といえるかもしれません。
10月に再び騎手となって2カ月ほど経ちましたが、いかがですか?
充実した日々ですね。園田競馬場はコースの形としては笠松に近いかな。インを攻める人も多いし、ペースも動くし、差しも届きますから、馬場の状況を読むことが大切。すごく乗りがいがあるコースです。
デビューから11年弱で1回目の引退をするまで、434勝を挙げました。
名古屋でデビューしたころは、騎手が50人ぐらいいた時代。だからデビュー当初は厳しくて、減量が取れるまではあまり勝てなかったですね。でも減量が取れてからは勝ち星が増えていきました。当時は年間50勝ぐらいのペースでしたが、吉田稔さんがいて、笠松には安藤勝己さん、光彰さん、川原さんがいた頃ですから、今になって考えると、よく勝てたなあと思います。
でも、デビュー10周年を目前にした2000年9月に、新潟県競馬に移籍します。
ずっと、よその競馬場だったらどれくらい通用するのかという思いがあったんですよ。あちこちの競馬場を回りたいなという考えもありました。僕は内田(利雄)さんより先に、それを実行したといえるのかな(笑)。
最初は新潟に行きましたが、そこが(2002年1月に)廃止になって、そのあと上山競馬が受け入れてくれたので移籍して、その年の秋に金沢に移りました。金沢は以前から乗りたいと思っていた競馬場で、元新潟の騎手や知り合いの馬主さんもいましたので、移籍はスムーズでした。
しかし、2003年7月に騎手を引退する決断をしました。
金沢に移ってから、いまひとつ勝ち星が伸びなかったんですよ。なんというか、スランプかなあという感じが続いていて。騎手としてこれからどうしようかという思いもあったときに、大井から調教するのが大変な馬(ネイティヴハート)がいるので、手伝ってくれないかという話が来たんです。大井は厩務員になれるのが30歳までという規定がありましたし。
それで29歳のときに騎手免許を返上したんですね。そして大井に移ったあとも、また移動がありました。
そうですね。その後は茨城の育成牧場で仕事をして、大井の立花伸調教師が妹(宮下瞳元騎手)と(地方競馬)教養センターで同期だった縁で紹介してもらって、群馬の境共同トレーニングセンターにある大井の外厩で仕事をしました。
そんななか、騎手に復帰したいと考えるようになったのはなぜですか?
本格的に考え始めたきっかけは、妹の引退式に行ったことですね(2011年8月)。当時の同僚たちといろいろ話をして自宅に帰って、それから1週間後くらいに、また騎手をやりたいという思いがこみ上げてきました。
でも、それを実現するのは大変なように思えます。
NARに問い合わせたら、引退して5年以上が経っているので新規と同じと言われました。それでもあきらめられないので、まずは受け入れてもらえる競馬場を探しました。いくつかあるなかで、知り合いがいることもあって兵庫を選んだのですが、いざ来てみたら「調教助手になれ」と。それじゃ話が違うということで困ったんですが、騎手が欲しいという厩舎が見つかったので解決できました。
騎手免許の再試験はいかがでしたか?
一発では受からなかったですね。まだ兵庫(西脇トレセン)に来たばかりでしたし、試験官も根性を試したんでしょうか(苦笑)。翌年、2回目で合格できました。乗馬と競走技術の試験がありまして、当然ですが学科もみっちり。試験の前は半年ぐらいかけて、頭のなかに詰め込みましたよ。
そして11年のブランクを経て、競馬場に戻ってきました。これまで(インタビューは12月10日)9勝を挙げていますが、1番人気馬には1回しか乗っていないんですよ。
そうなんですか。個人的にも、予想していたよりは勝てているかなという感じはありますね。取りこぼしもありますが......。復帰したときも競馬に対して違和感があまりなかったのは、体が覚えていたということなんだと思います。(再デビューしてから)年内に10勝というのが最初の目標でしたが、それより少しでも多く積み重ねていければいいですね。ただ、リーディング上位の人は本当にうまい。勉強になります。僕がほしい位置を、いつの間にか取られていることが多いんですよ。
それにしても、騎手を引退すると体型が崩れる人が多いなか、よくそのスリムさを維持できたと思います。
以前は開催が終わったら焼肉だとか、パーッとやっていましたけれど、育成の仕事に携わってからは、それがなくなったのが大きな要因でしょうね。当時は飲み屋でオープンからラストまでとか、そういうことが普通でしたし(笑)、いま考えると、あのころがなんかもったいなかったなあと思ってしまいます。
でも現在は騎手という立場に戻りましたが......。
いや、今は開催が終わっても家にいますよ。子供が小さいので、寝顔を見ながらお酒を飲む程度ですかね。ただ、育成牧場時代に厩舎作業をしていた影響なのか、上腕の筋肉が落ちないんですよ。それでも51㎏をキープできていますから、親に感謝ですね。
今後の目標を教えてください。
妹の勝利数(地方競馬で626勝)も目標ですが、リーディング上位に食い込みたいですね。そして、どんな馬にでも乗りたいというか、むしろ人が断るような馬に乗りたいと思います。名古屋にいたときも"クセ馬専門"という感じでしたが、そんな馬をどうやって誘導すればいい成績が残せるのか、そういうことを考えるのがけっこう好きなんです。
ちなみに宮下騎手の"初騎乗"は、幼稚園のときに出場した、鹿児島県で行われている「串木野の浜競馬」。その後は霧島の草競馬にも出場したとのことですから、競馬歴はかなりのもの。子供の頃からいろんな馬に乗ったその経験が、今も生きているのでしょう。
-------------------------------------------------------
インタビュー・写真 / 浅野靖典
吉井友彦騎手は、9月11日の笠松で第1レースから第6レースまで6連勝を達成。その勢いのまま、自身初の年間100勝を達成して、初めての笠松リーディングを狙っています。
9月11日の6連勝は圧巻でしたね。
あれがもう少し前だったら、(スーパージョッキーズトライアルの)ワイルドカードじゃなくて、本選からスタートできたんですけどね。でも今まで経験のないことでしたし、段階を踏んでいきなさいということなんだと思います。
そのワイルドカード(9月20日・佐賀)の翌日は、JRA阪神競馬場で騎乗しました。
佐賀はクジ運が悪かったですね。レース後はそのまま阪神競馬場に移動して、ローズステークスでリックタラキチに騎乗しましたが、スタートから出たなりでついていけました。結果は最下位でしたが、走りは芝のほうがいいと感じるくらいでした。
リックタラキチにとって初めての1800メートルはどうでしたか?
やっぱり多少長かった感じがしますね。1600メートルまでというタイプかなあ。ローズステークスのあと反動がありましたけれど、チャンスがあれば芝の1400メートルくらいにチャレンジしてみたいですね。
吉井騎手自身、重賞の舞台はどうでしたか?
JRA重賞は初めてだったんですが、思ったほどは緊張しなかったですね。昔ならもっと緊張していたはずなので、成長したのかなと思います(笑)。
今年は初めての年間100勝を達成して、笠松リーディングが狙える状況です。
以前に勝ち星が一気に増えたとき(2010年。前年の25勝から53勝に増加)は、阪上(忠匡)騎手が引退して、森山(英雄)厩舎の馬にたくさん乗せてもらえるようになったのが要因のひとつですね。本当に森山先生のおかげです。この恩は返しきれないくらいです。そしてそのころ、加藤(幸保)先生に初めて頼まれた馬が4連勝してくれて、それから勝てるチャンスがある馬への騎乗依頼をいただけるようになっていきました。軌道に乗るってよく言いますけれど、こういうことなんだなあという感じですね。
自分自身の技術的にも上がってきた手ごたえはありますか?
いや、うまくなったとは思っていないんですけれど......。実際、笠松でリーディングを取ったことがある人たちに比べると、技術的には負けていますよ。下半身をもっと鍛えないといけないと思っていますし。ただ、勝ち方というか、どこでどうすればいいのかが、数をたくさん経験できているおかげで分かってきたという感覚はありますね。
先日は"JBC応援大使"のふじポンさんに、「リーディング!」と褒められていましたが、吉井騎手のデビューの地、岩手時代からの知り合いなんですね。
19歳で騎手をやめて、しばらく盛岡で居酒屋の店員をしていました。知り合ったのは、ふじポンさんが競馬の仕事を始めた頃ですかね。競馬関係者に連れられて店に来たときに紹介されました。そのあと笠松で再デビューさせていただいたわけなんですが、本当は騎手をやめたとき、馬のよさを再認識していたんですよ。だから、馬を見たらまた騎手をやりたくなると思って、競馬とかを見ないようにしていたくらいです。でもやっぱり気になって......。
吉井騎手は京都出身ですが、どうして岩手でデビューしたんですか?
芝で乗りたいなというのが理由です。ホント、ミーハー(笑)。でも岩手では乗り鞍が少なくて......。逆に笠松ではたくさん乗れますからね。負けても乗れるのは幸せですよ。出走できればどんな馬でも勝てる可能性はあるわけですし。だから今は毎日が楽しいです。キツイなあと感じるのは汗取りぐらいかな。いや、51㎏でも問題なく乗れるんですが、薄い腹帯とか軽い鞍とか、使いたくないんですよ。
でも、吉井騎手はラーメンをよく食べに行きますよね(笑)
開催が終わると解放感があって......。スープは飲まないというのが実践できればいいんですけどね(笑)。そんなときに急に名古屋で騎乗依頼があって、焦ることがたまにあります。
本当に充実しているというように見えますね。
そうですね。今年の年明けに立てた目標が、年間100勝、重賞勝利、あとJRA交流競走をJRA所属馬に乗って勝つ、だったんですが、最初の2つは達成できました。最後のひとつもなんとか達成したいですね。
今後の目標にはどのようなものがありますか?
ワールドスーパージョッキーズシリーズには、いつか出場してみたいですね。そのためにはひとつひとつの積み重ねが大切です。トップを取って、そしてキープしていきたいので、ケガをしないように気をつけたいです。ただ、ほかの騎手もリーディングを狙ってくるはずです。争う人がいるから楽しいという部分はありますが、でも負けないように気を引き締めて頑張っていきます。
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 浅野靖典
デビュー28年目に突入した、佐賀の真島正徳騎手。今年は地方通算2000勝も達成し、すでに前年を越える勝ち星を挙げるなど(11月18日現在)、ベテランの力を存分に発揮しています。区切りの勝利を挙げた今、これまでのこと、そしてこれからのことを語っていただきました。
今年は2000勝達成(8月31日)、すでに昨年の勝ち星を越えるなど、いいリズムですね。
そうですね。この1年は無難に来ている感じです。2000勝は、数字としてはもちろん嬉しいですけど、自分としては通過点というか、特に意識はしていなかったですね。これだけ乗ってたら、自然と通過する数字ですから。
8月31日佐賀第9レース、カシノマラドーナで地方通算2000勝達成
デビューから丸27年が経過しましたが、振り返ってみていかがですか?
もうそんなになりますか。まぁ何て言うか、自分の考えを曲げずにこれていることが有難いですね。競馬場の人付き合いというのは、かなり特殊ですから。僕は「乗せて下さい」って営業するのが苦手なんですよ。今はそんなこと言ってられない時代ですけど、それでもポリシーを曲げずにこれたことは、兄(真島元徳調教師)のお蔭です。
所属調教師でもある真島先生の存在は大きいですか?
大きいですねぇ。兄がいなかったらもっと早く辞めていたと思います。兄というよりも、師匠という感じですね。10歳離れてますから、飲みに行ったり、細かいこと話したりすることはないですけど。まぁ照れもありますから、2人で何かするっていうことはないです。兄も感情をあまり表に出さない、昔かたぎの人間ですから。
騎手を目指すきっかけも、お兄さんだったんですか?
そうです。物心ついた時には、兄はもう競馬場に行ってて家にはいなかったですね。どちらかというと親戚のおじさんという感じです(笑)。僕は勉強が嫌いでしたから(笑)、高校へ進学しようとは思ってなかったし、早い時期から兄に憧れて騎手になりたいと思ってました。だから、馬が好きとかで入ったわけじゃないんです。馬に乗ったこともなかったですから、最初は全然乗れなくて本当に大変でした。
デビューした頃はどんな感じだったんですか?
兄は現役の騎手でしたから、別の厩舎の所属になったんです。でも全然乗れなくて、何度も辞めようと思いました。その度に兄が、怒りながらも「頑張れ!」って言ってくれて。なんとか続けていたんです。その後、兄の所属厩舎だった山下定文調教師に引き取ってもらって、その辺りから乗り鞍も増えていって。兄が調教師になったタイミングで、また移籍して今の形になりました。ただ、僕はデビューした頃に本当に上手く行かなくて、色々悩んだりもしましたから、兄の厩舎の所属になったからといって、絶対に甘えてはいけないと思いました。今でもそうですけど、勝負の世界ですから、努力して認めてもらって、それで乗せてもらいたいと思ってます。
2000勝を達成した佐賀プリンス賞で、兄の真島元徳調教師と
真島騎手の勝負服は、紫と黄色ですけど、大井の真島大輔騎手(真島元徳調教師の息子)と近いデザインですよね。
兄が騎手をしていた時の勝負服が、大輔が着ている勝負服なんです。騎手を引退する時に、「お前、継ぐか?」って言ってもらったんですけど、少しアレンジして、袖の黄色をストライプにしました。
甥っ子である、真島大輔騎手の存在はいかがですか?
同じ場所で乗っているわけではないので、今でも甥っ子という感じが強いですね。南関東で頑張っているし、成績が上がったら素直に嬉しいです。夏に『里帰りジョッキーカップ』という九州出身の地方騎手招待競走があって、その時に僕が勝って大輔が2着だったんです。2人でワンツーが出来るなんて滅多にないですから、嬉しかったですね。
真島騎手というと、逃げ切り勝ちが多いイメージなのですが、ご自身ではいかがですか?
よくそう言われるんですけど、好きなのは差し切りです。やっぱり、乗っていて気持ちいいですから。逃げ切りのイメージが強いのは、佐賀はどうしても先行有利なコースなので、自然にそうなっているんだと思います。今乗せてもらっている馬も、基本的には逃げ・先行馬が多いですね。前に行けないと、なかなか勝ち切れないですから。
最近の注目馬は?
この時期はやはり2歳が気になりますね。この仔たちがどれくらい成長してくれるかで、来年が変わって来ますから。牝馬だと、ちょうど2000勝を挙げさせてくれたカシノマラドーナ。『九州ジュニアチャンピオン』は6着に負けてしまったんですけど、まだ体質が弱くてきちんと追い切りが出来ない中で、ここまでよく頑張ってくれてると思います。今は休養に出ているので、どれくらい成長して帰って来てくれるか楽しみですね。
では、今後の目標をお願いします。
具体的な目標は特にないんですけど、これからも体が続く限り乗っていたいと思っています。僕はこれまで、骨折したことがないんですよ。落馬しないわけじゃないんですけど、丈夫なんですかね。周りからは"不死身"って言われてます(笑)。これからもケガをしないよう気を付けながら、地道に頑張って行きますので、応援よろしくお願いします!
-------------------------------------------------------
※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
山頭信義騎手のデビューの地は船橋競馬場。その後、2年目に期間限定騎乗で高知に来て、デビュー4年目の今年10月、正式に高知競馬場所属騎手となりました。期間限定騎乗を経て高知に移籍した騎手としては、調教師に転身した目迫大輔騎手に続いて2人目です。
もともと船橋競馬場に縁があったんですよね?
はい。祖父が出川龍一厩舎で厩務員をしていて、競馬場にはよく遊びに行っていました。父は騎手になりたいという夢があったんですが体重の関係であきらめたそうで、僕が父の夢をかなえたということになりますね。小学5年からは中山競馬場の乗馬苑に通って、地方競馬のの騎手試験を受けました。でも1回目は落ちたんですよ......。
それは想定外ですね。
なんで落ちたんだろうなあ。仕方がないので船橋競馬場で厩務員をして、次の試験で受かりました。
南関東は新人がいきなり活躍するのがむずかしい場所ですが、初勝利はデビューの次の開催で挙げることができました。
ただ、乗り鞍が少なかったのが......。デビューの開催は10鞍あったんですが、そのあとが続かなくて。船橋では厩舎の2階に住んでいたんですが、ヒマでヒマでしょうがないんですよ。なんとかしなきゃという思いはいつもあって、そんなときに確か、高知に行っていた(同期の)山崎良騎手から来ないかと誘われたんです。ただ、個人的には船橋で頑張りたかったので、2回断りました。でもまた連絡があって、3回目に行きますと返事しました。
それからはおよそ1年間、高知で騎乗して、3週間ほど間があいて、また期間限定騎乗。その限定期間が終わって、正式に高知へ移籍ということになりました。
その3週間なんですが、船橋に戻ったのは2泊3日だけなんですよ。高知での仕事が残っていて、さらに台風で出発が延期になって、船橋では部屋を片付けただけという感じでした。
期間限定騎乗を続けたのは、高知の環境が気に入ったからということでしょうか?
そうですね。とにかく乗れますから。船橋とは攻め馬の数も違います。僕自身の最大では、25頭前後のときがありました。今は馬の手入れ作業もしているので18頭ぐらいですが、でもそれをやり始めてから、馬との距離とか接し方とかが変わったように感じます。正直、疲れるといえば疲れますけれど、午後も仕事があるので体調管理はしやすいです。
所属の田中守厩舎にはたくさんの活躍馬がいますね。
タンゴノセックは僕が攻め馬をしていました。サクラシャイニーは僕がするつもりだったんですが、(赤岡)修次さんが自分ですることになりました(笑)。先生に言わせると、攻め馬のレベルが違うって......。でも先生はいろいろな馬に乗せてくれます。別府(真司)先生にもお世話になっていて、オールラウンドやクロスオーバーの攻め馬に乗せてくれました。そういう毎日だから、楽しいですよ。もちろん、実戦でも自分が乗れればという気持ちはありますが。
たくさん乗れることが高知に移籍した最大の理由なんですね。
そうですね。本当に楽しいです。忙しいと時間が過ぎるのも早いですし。最近は厩舎作業もしているので、街に行かなくなりました。さらにこの間、厩舎地区に食堂がオープンしたのでなおさら。
となると、彼女とかは?
あと10年ぐらい......は考えなくてもいいかなあ。それよりも技術をもっと上げたいですから。馬を追うときの推進扶助がまだまだですし、レースでの展開もまだ読めていません。もっともっと乗って、経験を重ねたいですね。今で満足していたら、移籍した意味がないですよ。
確かに騎乗数は多いですが、勝ち星という点ではもっと上を目指したいところです。
チャンスはたくさんいただいているんですが、それを活かしきれていない感じがあります。個人的な目標としては、あと2年以内に通算100勝を達成したいですね。
しかし高知の上位陣はかなり層が厚いです。
ベテランのみなさんは若いですよ。そして技術もすごいですね。たとえば西川(敏弘)さんは、ほかの騎手より姿勢が高いんですが、追い始めると馬がぐんぐん伸びていきます。馬が動くツボを知っていると思うんですよ。本当にすごいと思いますし、そういう技術を自分もつけていかないと。
そして山頭騎手自身も1年前と比べると見た目が変わりましたね。1本だけ抜けていた前歯が今はありますし、髪の毛の色も変わりました。
前歯はブリッジを入れました。歯が1本だけないと、なんだかアホっぽく見えるみたいなので(笑)。髪の毛は、今は明るい栗色みたいな感じですけれど、前はもっと金髪に近い色だったんです。美容師さん任せにしたらそうなったんですが、これはちょっと、先生に怒られるかなと思いました。動機はやっぱり、自分を変えたいというところですね。
まだデビュー4年目ですから、これからですよね。
そう思っています。高知は僕が初めて来たころよりも馬の質が上がりましたし、馬の数も増えました。それとともにチャンスも増えていますけれど、ここからはもっと自分の地位を上げていかないと。
南関東にいる若手騎手にメッセージはありますか?
南関東のほうが夢は大きいかもしれないですが、レースに乗るという楽しみが少ないケースが多いですよね。高知はいつでもウェルカムなので、乗りたいという思いを持っているなら来たほうがいいと思います。夢はこちらでもつかめると思いますし。
ちなみに収入面は?
船橋時代にくらべると、だいたい倍になりました。ただ、今は使うヒマがないから貯まる一方です(笑)。
-------------------------------------------------------
※インタビュー・写真 / 浅野靖典