2018年9月、デビュー7年目で重賞初制覇を遂げた鴨宮祥行騎手。兵庫所属ながら初タイトルは金沢で行われたイヌワシ賞、騎乗馬はホッカイドウ競馬所属のモズオトコマエでした。そのいきさつに秘められていたのは偶然の積み重ねと、彼の行動力。その後地元でも重賞を制し、今年はキャリアハイの勝ち星を挙げる鴨宮騎手に重賞制覇の振り返りとこれからの目標を語っていただきました。
まずは騎手になったきっかけから教えてください。
父が競馬が好きだったのと、友達から「騎手にならへんか?」って言われたのがきっかけでした。小学生の時は京都競馬場にレースを見に行ったりしていたんです。勉強ができなくて、中学2年生の三者面談でその場しのぎで「俺、ジョッキーになる」って言ったんです。先生と親の前で言ったからには、と本気になって、中学卒業後は国際馬事学校に1年間行って、地方競馬教養センターに入所しました。
デビューは2012年4月17日、園田1レース。いきなり1番人気に騎乗し、2着でした。
1番人気だったんですね。外枠で、馬幅が分からなくてずっと外々を回っていました。レースから上がってきてビデオを見ていたら中田さん(貴士騎手)に「もっと内に入ってこいよ」と言われました。次の日に「いつ勝てるんやろ?」と心配になったのですが、その翌日(デビュー3日目)に勝てたので嬉しかったです。
2014年には全日本新人王争覇戦に出場し、2着、1着で総合優勝。この頃にはすでに地元では「期待の新人」と評判でした。
減量が取れたのが1年目の秋と早かったんですけど(※当時は20勝で減量卒業)、そこからがしんどくて苦しかったです。「うまくいきすぎやなぁ、そのうち勝たれへんようになるやろうな......」と思ってはいたんですが、意外とそれが早くきたのでキツかったですね。右も左も分からない状態でみんなと同じ舞台に立っちゃって、馬も動かなくなりましたね。
普段から田中学騎手を慕っていますが、そんな時、何かアドバイスはありましたか?
あの時は「教えても分からへんから」と、あんまり深くは教えてくれなかったです。それに学さんは「見て学べ」というタイプ。「俺が辞めるまでに、10個教えられることがある。でも、まだお前に言うのは早い」と言われたので、細かくは聞かずに見ていました。「乗ったら自分の責任や」という感じで、レース後はたとえ不利があっても何も言わないなど、騎手としての立ち居振る舞いが綺麗だなぁと思います。
今年5月30日には門別競馬場で初騎乗初勝利(6Rサロルンカムイ)。翌月にも北海優駿の騎乗依頼があり、たまたま当日の9R、急遽乗り替わりとなったモズオトコマエで門別2勝目を挙げました。
5月に初めて門別に行ったのは北斗盃の騎乗依頼をいただいたからなんですが、レース前にお世話になっている方が坂東牧場さんへ連れて行ってくださいました。そこで「来月のダービー、決まっていないなら、うちの馬に乗ってよ」と言っていただきました。その北海優駿当日、乗り替わりが出て、モズオトコマエを管理している(田中)正二先生がパドックから馬場への出口で僕の前を歩いていた騎手に「54kgやけど、乗れるか?」って聞いていたんです。その方は残念ながら無理で、すぐ後ろにいた僕が「乗れます!」と言って、乗せていただきました。先に声を掛けられていた方が乗れていたら僕は乗れなかったですし、パドックから出ていく順番が違っていても乗れなかったかもしれません。接戦でしたが、勝ててよかったですね。
モズオトコマエではなんとその後、9月11日に金沢・イヌワシ賞でも騎乗し重賞初制覇を飾りました。このエピソードからして本当に偶然が重なって重賞制覇に繋がったんですね。
いいタイミングで乗せていただきましたし、地震があった直後に北海道の馬で勝てたのも良かったです。向正面では畑中(信司)騎手のナガラオリオンが離して逃げていて、僕は2番手。「これ、捕まえに行った方がいいのかな?」と迷っていたら、外にいた吉原さん(寛人騎手)が追いかけに行ったので、ついていったらいい併せ馬になりました。直線に向いて、先頭の馬が止まったので「あ、これは交わせる!」とは思ったんですが、なんせ初めての競馬場やったんでゴール板がどこか分からなくて(苦笑)。「本当に届くよな?」と思いながら追っていました。
重賞初制覇となった金沢・イヌワシ賞(写真:石川県競馬事業局)
同じ時期、地元にも重賞制覇を期待できるエイシンエールやセンペンバンカなどお手馬がいましたね。
まわりからは「重賞3連勝できるぞ」と言われたのですが、「そんなに甘くないよなぁ」と思っていました。そしたらセンペンバンカが予定していた9月7日の園田チャレンジカップが台風の影響で日程が延びちゃって、エイシンエールの園田オータムトロフィー(9月13日)は「勝ちたい!」って気持ちが強すぎて失敗してしまいました。その失敗があったから、21日に延期された園田チャレンジカップのセンペンバンカは少し落ち着いて乗れたのかもしれません。3コーナー手前で(田中)学さんが一気に上がって行った時は焦ったんですが、思いのほか馬は何とも思っていなかったようです。すごく反応のいい馬なんですが、あの時は馬が行かなかったんですよ。いや、僕が動かせなかったのかもしれないですけど、結果的にあれがいい目標になって最後までしっかり伸びてくれました。馬が教えてくれたって感じですね。ゴールの瞬間は「うぉっしゃ~、替わったー!!」と思ってガッツポーズをしました。検量室前では大柿(一真)さんが抱きついてきたり、あとから聞くとみんな応援をしてくれていたみたいで、嬉しかったですね。
センペンバンカで地元重賞初勝利(写真:兵庫県競馬組合)
今年は12月10日時点でキャリアハイの73勝。地元リーディングも7位につけていますが、来年の目標は何ですか?
今年、これだけ勝てているのはまわりの方がいい馬に乗せてくださっているからです。1つ1つ「勝ちたい!勝ちたい!」という気持ちだけできたので、なんでこんなに勝ったのか自分でも分からないくらいです。おかげさまで今年は去年よりいい成績を残せました。来年も同じような目標じゃダメやなって思うので、トップ5に入りたいですね。でも、みんな上手くて壁が厚いんでね。なんとか......。あと、デビュー前から乗っているエイシンエールでどこか大きい所を勝ちたいですね。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
園田競馬だけじゃなく、各地の競馬場では毎日レースをしているので、みなさんにぜひ買ってもらえるようがんばります。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
12月23日(祝・日)に行われる、佐賀のグランプリレース中島記念。ファン投票第1位に選出されたのは2011年の覇者ウルトラカイザーです。昨年のこのレースは惜しい2着でしたが、10歳の今年はここまで8勝を挙げ絶好調。7年ぶりの中島記念制覇を目指すウルトラカイザーについて、真島元徳調教師にお話を伺いました。
見事ファン投票1位に選出されましたね。
本当に有難いことです。1番人気にしてもらいましたし、ちょっと距離が長いかなとは思いますけど、状態もすごくいいんでね、今年も挑戦してみようと思っています。
真島厩舎からデビューして、道営移籍などもありつつ、長年活躍していますね。
デビューからケタ違いに強かったです。もう、能力がずば抜けていました。性格はおとなしくて、基本的には全然手のかからない馬なんですけど、レースになるとテンションが上がるので、若い時にはちょっと苦労しましたね。特に輸送競馬は大変でした。本当に長く活躍してくれて、頭が下がります。
昨年はご子息の大輔騎手(大井)が騎乗して惜しい2着でした。
悔しかったですね。もう一度このレースを勝ちたいと思うんですけど、この馬にはちょっと距離が長いんですよ。最近はずっと1400メートルを使っているんですけど、だんだん年をとってきて、短い方が力を発揮できるようになって。年寄りの割にはムキになるんですよね(笑)。
年齢を重ねると、ズブくなる馬が多い印象ですけど。
前に馬がいるとムキになって追いかけるんです。それで抜いて1頭になると今度はズブくなるという(笑)。乗り難しいとまではいかないけれど、そのあたりかな。今年は多分弟(真島正徳騎手)に乗ってもらうことになると思いますが、うまいことなだめてもらえればなと。今年は夏も元気だったし、ずっといい状態をキープしていますから。
10歳で吉野ヶ里記念を制したウルトラカイザー(2018年7月22日、写真:佐賀県競馬組合)
勝ったら2011年以来7年ぶりということです。
すごいですよね。長い間頑張ってくれているからこそ、そういう記録も狙えるので、ぜひもう1回勝ちたいです。中島記念というのは佐賀競馬にとって、中央の有馬記念と同じグランプリレースですから。毎年勝ちたい気持ちは強いです。もちろん、どのレースも負けたくないですけどね。たくさんのファンの方に応援していただいて、ファン投票1位に選出していただきましたし、負ける姿は見せたくないです。どれだけ折り合ってレースに集中してくれるかだけ。状態はいいですし、期待しています。
他にも中島記念出走予定馬はいますか?
イッシンドウタイとデリッツァリモーネの2頭も出走するつもりです。イッシンドウタイは1800メートルが合っているし、自分のペースで行ければなかなか止まらないですから。佐賀ではまだ重賞を勝っていないけれど、力はあるしいいところはあると思っています。気になるのは枠順ですね。スタート自体はウルトラカイザーの方が速いけど、イッシンドウタイもマイペースで行けたら面白い。同厩舎で喧嘩したくはないし、理想を言えばイッシンドウタイの方が内枠だと競馬はしやすいかなと思っています。
デリッツァリモーネは自分の競馬に徹するだけ。中団前くらいで、前を見ながらついて行くという競馬に徹すれば、脚は必ず使ってくれる馬です。佐賀記念を使ってからガタッと来て、春先体調が良くなかったんですけど、ようやくここに来て状態が上がって来ました。3頭ともチャンスはあると思うので楽しみです。
続いては真島調教師ご自身のことを伺いたいのですが、昨年の12月から船橋の岡村健司騎手を期間限定騎乗で受け入れていました。当初、岡村騎手はレース経験があまりありませんでしたが、真島厩舎のバックアップで一気に成長し、年明けしばらくは山口勲騎手とリーディングを争うほどの活躍でしたね!
健司にはこちらがお世話になりました。たくさん勝ってくれて、お陰でうちはいい仕事をさせてもらいました。11月に船橋に帰りましたけど、たくさん経験を積んで上手くなりましたね。やっぱり騎手は乗ることが大事だと思うので、目に見えて成長してくれて、結果も出してくれて嬉しいです。
岡村健司騎手で佐賀皐月賞を制したリンノゲレイロ(2018年4月22日、写真:佐賀県競馬組合)
真島調教師はこれまでにも、若手騎手や一度辞めてしまった騎手を受け入れて来ました。その心意気、素晴らしいと思います。
ありがとうございます。でも面倒見ているようでいて、結局はこちらが見てもらっているんですよ。佐賀はジョッキーが足りないから、来てくれるととても助かるんです。地方競馬教養センターにも何度か行ってアピールしているんですけど、なかなかデビューから佐賀へという子は少なくて。もっと頑張らないといけないですね。
騎手を育てるための環境を真島調教師が中心になって作っているんですね。
そう取ってもらえると有難いです。今年は出水騎手がデビューして頑張っていますし、もっと若い人が増えてくれたら嬉しいです。自分の厩舎だけではなく佐賀全体のことも考えていかないと。結局自分のところだけ良くたって、競馬というのは相手がいてこそだから。みんなが団結した上で争うのが競馬で、負ける人がいなければ勝つ人もいないわけですから。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも佐賀競馬を応援していただき、ありがとうございます。中島記念には3頭出走を予定していますので、このまま好調キープして出走できるよう、厩舎一丸となって頑張ります。これからも佐賀競馬を楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
ヤングジョッキーズシリーズ(YJS)トライアルラウンドで地方競馬・西日本地区2位となり、ファイナル進出を決めた松木大地騎手(高知)。昨年5位でファイナル進出を逃した雪辱を果たしました。所属するのは地方通算勝利数の日本記録を更新し続ける雑賀正光厩舎。雑賀ファミリーの"三男"は、11月13日から園田競馬場で期間限定騎乗中です。YJSにかける思い、そしてファイナルラウンドまでに園田で成し遂げたいこととは。
YJSファイナル進出おめでとうございます! まずは騎手になったきっかけから教えてください。
大阪府吹田市出身で、両親ともに競馬とは全く関係がなかったのですが、漫画『みどりのマキバオー』を読んで騎手になりたいと思いました。高校2年生でそろそろ大学について考える頃で、インターネットで騎手になる方法を調べました。その頃、野球部に所属していて体重をようやく52kgまで増やしたところだったんですが、逆行してまた減量を始めました(笑)。両親からは「大学受験もちゃんとするならいいぞ」と言われ、センター試験や私立大学も2校受験し1校は合格しましたが、地方競馬教養センターに合格したのでそちらに進みました。
高校卒業後に教養センター入学ということは年下も多かったと思いますが、センターでの生活はどうでしたか?
年下も多かったですが、僕はどこに行っても場所見知りしないので、すぐに馴染めました。入所直後、面接で「園田に行きたい」と希望を伝えたのですが、「騎手がいっぱいいて厳しいぞ」と言われ、「それなら暖かい土地の競馬場がいい」と伝えました。そうしたら、可愛がってくださっていた教官が数日後に「雑賀厩舎はどうだ?」と言ってくださいました。みんなから「すごい厩舎やぞ」とも聞いて、入所して1カ月半くらいで所属先が決まりました。
2015年4月にデビューし、初勝利は6月28日。オープンのA1クラスで自厩舎のブラックバカラに騎乗してのものでした。
上のクラスという意識は特になくて人気もしていなかったので、何も考えないでポンとゲートを出て、たまたま逃げ馬の後ろのいい所について、直線で外に出したら手応えが良くって......という感じでした。この後、ブラックバカラがあんなに走るとは思いませんでした(翌年には重賞・珊瑚冠賞を兄弟子・永森大智騎手で制覇)。僕は次の勝利までポンポンと勝てたわけではないですけど、いいきっかけをもらって感謝しています。
翌年4月24日~9月13日まで金沢競馬場で期間限定騎乗。デビュー1年でマークした通算勝利数を上回る16勝を約5カ月の間に挙げました。
他の競馬場に行って視野が広がって客観的に高知競馬のことを見ることができました。それに金沢のみなさんに良くしていただけたので、勝てたのはそのおかげですね。所属厩舎以外にも営業に行かせていただけましたし。今のように内ラチ沿いが軽い時ではなく、レースの流れ次第でどの位置からでも勝てる可能性があるという感じでした。
高知に戻って、昨年は18勝。今年も11月12日までに地元で14勝を挙げました。11月13日からは園田競馬場で期間限定騎乗中。所属するのは師匠のご子息・雑賀伸一郎厩舎です。
園田では1~2コーナーでめちゃくちゃペースが落ちるのでビックリしました。高知では引っ掛かったら内ラチの空いているところに逃げれば何とかなりますが、園田ではそういうわけにはいかないので、何が何でも抑えないといけません。今の方が1~2コーナーに向けてとか、そこでの折り合いを考えていますね。
ただ、期間限定騎乗の初日で大変なことやらかしてしまって...(苦笑)。当初はじーっとしておこうと思っていたんですが、「思ったより脚を使えそうだな」と思って出して行ったら自分の馬の右前脚と前の馬の左後肢がちょうどのところで地面について、落馬してしまいました。初めての騎乗停止で、初めてあんなことして、それが期間限定騎乗の初日。2日目には本命のハニーロコガールに乗せてもらっていたので、勝たないと園田にもおれへんし高知にも帰られへんなって思いました。結果的に勝てて、馬のおかげです。実は吉村さん(智洋騎手)にそのレースや2勝目の時にもアドバイスをいただいて、感謝しています。
吉村騎手とは調整ルームで鍋パーティーをするなど一緒に過ごしているようですね。苦い園田デビューとなってしまいましたが、籍を置く雑賀伸厩舎以外にもたくさんの厩舎から騎乗依頼を受けていますね。
先生や厩務員さんたちが「どこでも営業に行っていいよ」という感じで他厩舎の調教に乗りに行かせていただけるおかげです。でも、園田でのレースは緊張感がありますね。乗ったことがない馬というのもあるんでしょうけど、馬群が詰まる分、ずっと緊張感を持って乗っています。
さてYJSでは昨年、最終戦までファイナル進出の可能性を残していましたが、残念ながら地方競馬・西日本地区5位。同期でファイナル進出を決めた栗原大河騎手(金沢)に向けて「大河、がんばれよ!」とエールを送る姿が印象的でした。
去年は最終戦の1つ前のレースが3着で最後の最後まで望みをつないだんですよね。でも、最終戦は気持ちいいくらいサッパリ(9着)でした(苦笑)。「上手くいかんわ......」と思いました。去年はトライアルラウンドの時点ではまだピンときていない部分もありましたが、同期が中央で乗っている映像を見ていると羨ましく思いました。
今年は8月のトライアルラウンド金沢では2戦2勝。"松木旋風"を吹かせ、ファイナル進出を決めました!
金沢は短期で行かせてもらっていた分、乗りやすかったです。1レース目がグリグリ本命で緊張しました。ところがゲートで躓いて、みんな「アイツ引退や~」って騒いでいたらしいです(苦笑)。でもそこから二の脚が全然違って、馬の力が違いましたね。これならハナまで行って、有利な内ラチ沿いを取れると思いました。2戦目は短期でお世話になっていた金田一昌先生の馬で、インを取るところから狙い通りのレースができました。1戦目を勝たせてもらって落ち着いて乗れたのもあると思いますが、今年イチのレースやったかもしれないですね。
ファイナル進出を決めましたが、それよりも園田での期間限定騎乗に気持ちが向いているようにも感じました。それだけ園田への思いがあるんでしょうか?
今は園田で勝つことの方が嬉しいかもしれないです。園田の上手な人の中で揉まれて、上手く立ち回って勝つことができたら、それが一番嬉しいです。YJSファイナルまでにそういうレースができて、進化して行けたらいいですね。そして大舞台でふたたび松木旋風を巻き起こします!
YJSトライアルラウンド園田
ぜひ期待しています。では最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
高知競馬が良くなっているのはオッズパークで競馬を応援してくださる会員の皆様のおかげです。これからも魅力あるレースを提供できるよう頑張るので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大恵陽子
昨年自己最高の年間63勝を挙げた名古屋の友森翔太郎騎手。今年もウォーターループとのコンビで重賞2勝するなど存在感を増しています。デビューから10年の期間を経て覚醒した友森騎手に、現在の心境をうかがいました。
まずはジョッキーになろうと思ったきっかけから教えて下さい。
些細なことなんですけど、始まりはウイニングポストというゲームです。高校の時に友達から借りてハマりました。それまで競馬のけの字も知らなかったんですけど、めちゃくちゃ面白くてテレビでも競馬を見るようになって。そういえば自分体小さいから、もしかしたらなれるんじゃないかって思ったんです。ただその時点でもう高校2年の秋で、JRAの試験は終わっていて。両親が「地方競馬という道もあるよ」って教えてくれて、一回受けてみようってなったんです。それで合格できたので、高校を辞めてこの道に入りました。
よくご両親は前向きに応援してくれましたね。
そうですね。高校行っている時も、特に夢とか目標がなかったので、初めて自分でやりたいっていう目標を持てたからじゃないですかね。両親は最初から反対せずに応援してくれました。
高校2年の終わりに学校を辞めて、騎手へというのは大きな決断ですよね。
しかも僕、1回も馬に乗ったことがなくて(笑)。合格してから1回だけ乗馬クラブに行ってちょっと跨ったくらいでした。同期は僕以外みんな経験者だったので、最初の頃はかなり大変でしたね。心が折れかけた時もあったんですけど、両親や友達が応援してくれているのに、ここで辞めて帰ったらカッコ悪いなって思って頑張れました。
なぜ名古屋所属になったんですか?
名古屋所属の今井(貴大)さんとセンターにいた時期が少し被っていたんですけど、その時にすごく仲良くしてもらってて。「名古屋来いよ」って言われたので、「それなら行きます」みたいな軽い感じでした(笑)。
友森騎手は山口県ご出身だということで、身近に馴染みのある競馬場がないですよね。
そうなんですよ。知り合いもいないし伝手もなかったですから。名古屋は新人にもチャンスを多くもらえる競馬場だと聞いていましたし、所属できて本当に良かったです。
デビュー年は4勝と苦しいスタートでした。
4月にデビューして6月に大怪我して、10月くらいに復帰したんですけど、すぐまた怪我をしてしまって。最初の1年はほぼ乗っていないんです。デビューしてすぐそんな状況でしたし、かなり凹みました。その後も成績がなかなかついてこなくて、辞めたいと思うことも多かったです。でも3年目で結婚したので、簡単に辞めて他の仕事というわけにはいかなかったし、とにかく一生懸命やろうと思って。周りの方にも恵まれて、少しずつ乗せてもらえるようになりました。今は本当にいい環境でやらせてもらってます。
ここ2年で急激に成績がアップして存在感を増しているので、なんとなく最近デビューした若手のようなイメージがあるんですが、今年で11年目なんですよね。
そうなんです。低迷期間が長かったので。ここまで来るのにキツイ時期もありましたけど、いろいろな方に助けていただいたお陰で今があります。辛抱して騎手を続けてきて本当に良かったです。
きっかけになった馬はいますか?
一番はメモリーミラクルです。この馬に初めて勝たせてもらったレースというのが多くて。重賞もそうですし、新馬も認定もこの馬に初めて勝たせてもらいましたから。厩舎に来た時から馬っぷりも良かったですし、すべてに対して一生懸命な馬で。新馬から乗せてもらって、一緒に重賞を勝つというのは本当に難しいことですから、こんないい馬に巡り合えて感謝しています。
人馬とも重賞初制覇となったスプリングカップ(2017年2月28日、写真:愛知県競馬組合)
今では重賞でも常連のジョッキーですもんね。
いやいや、塚田(隆男)先生と馬たちのお陰です。デビューから8年くらいはそういう経験がまったくなかったのに、塚田厩舎所属になっていきなり重賞とかに乗れるようになって。僕がこんないい馬に乗っていいのだろうかって思うこともあります。ただ、一緒に下のクラスから上がって来ている馬が多いので、重賞になったからといって特別に緊張することはないですね。
最近のベストレースを教えて下さい。
すごく気持ちいいなと思ったのは、ウォーターループのぎふ清流カップです。それまで砂を被るとあんまり結果を出せなくて、逃げてこそみたいに言われていたんですけど、初めて好位の内で我慢して直線伸びるというレースができて。しかもハナ差で勝てたので、すごく嬉しかったです。今は砂を被っても平気ですし、どこからでも競馬ができるようになりました。
ウォーターループで制したぎふ清流カップ(2018年5月10日、写真:岐阜県地方競馬組合)
今の目標を教えて下さい。
重賞もたくさん勝たせてもらってますけど、今は塚田先生の力が100%で乗せてもらっているので、いつか恩返しできるよう頑張ります。このレースを勝ちたいというよりも、勝ち星を増やして順位を上げていきたいです。ベスト5に入ることが目標です。
では、オッズパーク会員の方にメッセージをお願いします。
いつも応援していただきありがとうございます。もっと上手くなって皆さんの馬券に貢献できるよう頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
コウシュハウンカイ(牡8)やカネサブラック(2011、13年ばんえい記念)、トモエパワー(2007~09年ばんえい記念)などの名馬を管理し、2017年5月には通算1000勝を達成。2016年ばんえいアワードでは勝率1位でベストトレーナーに選出され、今年もリーディングトレーナー争いを続ける松井浩文調教師(53)に話をうかがいました。
左のポスターに写っているカネサブラック、トモエパワー、フクイズミは全て管理馬
父が元調教師の松井浩(こう)さんで、1989年に騎手デビュー。2004年に引退するまで1104勝をあげ、三冠馬で名種牡馬であるウンカイに騎乗していました。残念ながら10月に24歳で息を引き取ったウンカイの思い出を聞かせてください。
ウンカイは、地味だけどじわじわと歩くタイプ。3歳三冠を獲ったけれど、イレネー記念はゴール前で止まったんだよな。4歳のシーズンが終わってから、盲腸便秘で腹を切ったんだ。それであそこまで活躍するとは。おとなしい馬だった。障害は、止まったら意外と下手だったんだ。だからばんえい記念も苦戦した。アンローズ(2004~06岩見沢記念)と同じように、旭川や岩見沢はよかったけど、帯広が苦手だったんだ。
産駒は体ができていて、平均的に力がある。コウシュハウンカイはタイプが違って、どちらかといえばオレノココロの方がウンカイらしさが出ているかも。ばん馬で20歳以上生きるのはすごいよ。
似ている産駒はいますか。
ジェイエース(牡2)がタイプ的に似ているな。速い馬場が苦手で、降りてからは平均歩ける。2分以上かかるようなレースが増えるような、年齢が行けば活躍できるかな。
ほかに騎手時代の思い出の馬を教えてください。
牝馬でダイヤコトブキって馬がいた。騎手になって2年目だった1990年のイレネー記念を獲った馬だが、その後のオフシーズンに心不全で亡くなったんだ。あの馬なら、ばんえい記念を獲れたと思う。
それから調教師に転身しました。
一番の理由は、父が定年(65歳)を迎えたからです。減量もきつくなってきたしね。2005年に調教師になって、2年目で存続の危機が訪れた。厩舎を開業した時の設備投資のすぐあとで、お金がかかったあとに手当も下がって大変だった。他にできることないから、これで頑張るしかない。赤字だらけで大変だったが、存続してよかった。
2017年5月、1000勝セレモニーで父・松井浩さんから花束を渡される
思い出の管理馬を教えてください。まずはトモエパワーでしょうか。
4歳までは騎手として乗っていました。速い脚はなかったが、2歳から強かった。この馬はオープン行くと思っていたよ。最初のばんえい記念は、障害で止まって膝を折ったのに、それでも勝ったからね。ばんえい記念向き、という思いはあったが力が違った。
トモエパワーのほかにも、乗っていた馬が厩舎に入ってきた。そのうちの1頭、フクイズミ(2009、10帯広記念)は偉い牝馬だった。降りてからの末脚がすごかったね。厩舎に来た時は4歳で体もできていたが、障害で上がらないと、そのまま止まってしまうところがあった。どうやったらいいのか、いろいろと試した思い出がある。
カネサブラックは、力はないが瞬発力がすごかった。根性もあった。重い荷物を引かせて調教するとだめだから、大変だったよ。この時も考えた。
所属していた全部の馬が、いろいろなことを教えてくれた。調教すればいい馬もいれば、だめな馬もいて、一頭一頭違う。それがわかるまでが大変だよね。
連対率は3割を越えるなど今年も好成績を残しています。調教や管理において、こだわっていることを教えてください。
俺は馬に触る(自分で調教する)。触ってみなきゃだめ。レースを見たあとに、なんでこんなに障害が下手なのか?と思ったら、自分でやってみる。触るの好きだからね。
厩務員は4人いるよ。厩務員と仲良くなかったらうまくいかない。大切にしなくてはいけないところだ。でも、人集めが大変。ばん馬が盛り上がって賞金も上がって、馬はいるんだけど人がいない。一時期は人がいても、馬がいなかったのに。募集しているのになぁ。
馬が1着を獲った時の気持ちに勝る物はないよ。
調教師として思い出のレースを教えてください。
いろいろあるけど......(考えて)、カネサブラック最後のばんえい記念かな。その前の年は(コロナウイルスに罹って)出られなかったから。定年最後の年(11歳)を勝って、重賞21勝という記録を作って引退だからね。
ばんえい記念を2度制して引退したカネサブラック
カネサブラックの子もカネサダイマオー(牡3、イレネー記念)などで重賞勝ちを出しています。産駒についてはいかがですか。
体は小さいけど、走る子が出できたね。もっと強い馬が出てきてほしい。
現在の所属馬について教えてください。
コウシュハウンカイは、今年は前半活躍しすぎたから、ハンデを背負うことになるのがつらい。体調はいいよ。降りて一回止まったら弱いところあるな。岩見沢記念は、レースの前々日につなぎ場の棒を蹴ったことによる打撲。すぐ治ったから調教も再開できて、北見記念を勝つことができた。調教では、オレノココロやフジダイビクトリー、センゴクエースを見かけると怒るんだ。いつも同じレースに出ているからわかるんだろうね。気性は昔と変わらないね。
コウシュハウンカイの運動
マツカゼウンカイ(牡4)は、じわりじわりと進む馬。体があるし、古馬オープンでも入着しているから、ペースに慣れてくればそこそこいくんじゃない。
ギンノダイマオー(牡2)は、ナナカマド賞は1着馬(メムロボブサップ)が強すぎた。それでも、障害がうまいから楽しみ。インビクタ(牡2)は障害を降りてからが課題だね。カネサダイマオーは、イレネー記念を勝った後は調子悪いんだわ。堪えたかな。
期待しているのは、ハイトップフーガ(牝2)。重くなれば楽しみです。
では、オッズパーク会員の方に一言お願いします。
馬券買う人は買って、馬が好きな人は馬を見て、いろいろな形でばんえいを応援してください。ファンは一人一人違うからね。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香