2016年から2年連続で笠松リーディングを獲得し、笠松の顔となった佐藤友則騎手。各地の重賞にスポット参戦し、8月からは初の南関東での期間限定騎乗に挑戦。JRAでもコンスタントに騎乗して結果を出しています。上を目指してフル回転を続ける原動力とは?
2016年に初の笠松リーディングを獲得し、そこからは不動の1位。もともと技術には定評がありましたが、どうやってこの上昇気流に乗ったんですか?
いやいや、本当に周りに恵まれただけなので。感謝しかないです。実はジョッキーになってからずっと、1年が終わる時に「やり切った」と思えたことがなくて。くすぶっていたんですよね。「このままじゃダメだ」と思いながらも、言葉にも出せなかったし行動にも移せずにいたんです。でも2014年の終わりに、名古屋の角田(輝也)先生が「お前、このままでいいのか?来年リーディング獲れよ」って言ってくれて。「いや~、厳しいですよ」って言いながらも、自分なりに意識改革して、言葉にも行動にも出すようにして。その年(2015年)は3位で結局リーディングは獲れなかったんですけど、初めてリーディングを目指せる位置まで行くことが出来て「今年、頑張ったな」って思えたんです。それと、僕にとっての偏西風が吹いたんですよね。何だかわかりますか?
偏西風??
尾島徹の騎手引退と、調教師になってからのバックアップです。徹が引退した時、「ともくんを10年連続リーディングにする」って言われたんですよ。後輩にそんなことを言わせた自分が情けないなと思いつつ、「絶対にやらなきゃ」って思いました。
尾島調教師はどんな存在ですか?
後輩なので、抜かれた時は悔しかったし、正直嫉妬もあったんです。でも、こいつスゲーなって思ってて。例えば、岡部(誠)さんと3人でご飯に行った時、当たり前のように岡部さんが奢ってくれようとしたんです。僕はその時、「すみません。ご馳走様です」って言ったんですけど、徹は「いや岡部さん、ダメです。僕出します」って言いだして。「いやいやいや」みたいなやり取りになって、徹がそこで「岡部さん!僕、岡部さんに奢ってもらってたら、いつまで経っても岡部さんを抜けないので」って言ったんですよ。その時、上に行く奴ってこういう奴なんだなって思って、後輩ながらグッときました。徹は体が大きくて減量に苦労して騎手を引退したから、本当は未練もあっただろうし、そんな奴に言われたんでね、これはもうやるしかないと思いました。
ご自身でも仰っていましたが、長年くすぶっていた中で一念発起しても、狭い世界ですからなかなか上手くいかないことが多いと思うんです。殻を破ることが出来た秘訣は何ですか?
僕は本気で騎手を辞めようとしたことが2回あるんですよ。どん底も味わっているし、正直怖いものはないんです。辞めようとした2回とも、周りに引っ張り上げてもらっているし、自分が恵まれているということにやっと気づきました。今までは、頑張ってやってダメだった時に、「やっぱりダメだ」みたいに思ってしまったんですけど、何でもっと周りを信じてもっと頼らなかったんだろうって思うんです。本当によくしていただいているので、もっともっと上手くなって恩返ししたいです。
2年連続笠松リーディングを獲りました。次の目標は何ですか?
今は期待してもらって、すごくいい馬にもたくさん乗せていただいているので、とにかく自分のレベルを上げたいです。それで今年は外に出ようかなって。8月から初めて南関東期間限定騎乗に行くし(8月27日~10月26日・大井所属)、笠松開催があっても他地区の重賞に声が掛かればスポット参戦したり、積極的に外で乗ることを意識しています。
JRAでもよく騎乗していますよね。
有難いことに、たくさんチャンスをもらっています。でも活かし切れていないんですよ。南関東やJRAは多頭数の競馬じゃないですか。それにコースもいろいろあって、そういうところでの駆け引きが僕には足りないんです。(吉原)寛人や(赤岡)修次さんを見ているとすごいなと思いますね。僕ももっともっと経験を積んで、あの2人のように地方を代表する騎手になりたいです。笠松の、ではなくて、地方の佐藤友則と言われるような存在になりたいです。
外で騎乗するのは、地元開催があるとなかなか難しいこともあるのでは?
そうなんですけど、寛人も修次さんも言うんです。「地元のリーディングにこだわっていたら上にいけない」って。もちろん獲れたら嬉しいですけど、それに捉われたらこれ以上上には行けないですから。今のままではまだまだ足りないし、周りに頼りっぱなしなんです。技術面もそうですけど、精神的にも「俺に任せろ!」ってドンと構えていられるような自信がまだなくて。外に出てたくさん経験して、もっと成長したいです。
リーディングを獲って満足!という感じではないですね。
全然満足してないです。もちろん獲れたことは嬉しかったですけど、獲ったら獲ったで次もって思うし、もっともっとってなる。それに、ジョッキーレースに呼ばれるようになったんですけど、周りを見ると負けているんですよね。結果も出ていないし。そこでも負けない技術を吸収したいです。
2018地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップは総合8位だった(後列右端)
そのモチベーションはどこから来るんですか?
自分のこともそうですけど、笠松にもっと人を呼びたいという気持ちも強くなったんです。笠松は騎手も少ないし、今は全国で勝ち負けするような強い馬もいない。リーディングになったからこそ、僕がもっとアピールしたいなと思うようになりました。今は夜中の1時半に起きて調教に乗る毎日で、辛いなと思う時もあるけど、「忙しいって幸せだな」って。努力を怠って調子に乗ったら終わってしまうので、今攻めないといけないなと思っています。
リーディングを獲った今だからこそですか。
そうです。どうしてそう思ったかというと、プロレスラーの内藤哲也選手の影響なんです。新日本プロレスはしばらく低迷した時期があったんですけど、今、内藤選手が注目を集めてまた人気がすごくて。でもそんな内藤選手が言うんですよ。「今僕が攻め続けないと、また暗黒期と言われた時のように戻ってしまう。だから僕は攻め続ける」って。僕も競馬界の内藤というくらいの気持ちで、攻め続けていきたいです!
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。ファンの方の声を直接聞いて、ファン目線の競馬場にしたいと思っています。僕は今、騎手会の副会長なんですけど、ファンサービスもいろいろ考えているので良かったら参加してください。今、勝率も上がっているので、笠松開催では僕が来ない日はないと思って馬券をたくさん買っていただけたら嬉しいです。皆さんの馬券に貢献できるように頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
今年2月にばんえい競馬で5人目となる通算1500勝を達成した鈴木邦哉調教師(64)。ばんえいイベントではPR馬のミルキーとともに各地を訪れ、広報役としても尽力されています。
通算1500勝達成表彰式(左から3人目)
ばんえいの世界に入ったきっかけを教えてください。
出身は、岩手県遠野市です。中学を出てから「馬車追い」という、馬で山を耕す仕事をしていました。2年くらい経ってから、北海道にはばんえい競馬というのがあると聞いて、馬の本場に行くことになったんです。
1978年に騎手デビューして、弟の勝堤と2人で騎手をやっていたけど、弟の方がうまかったからなぁ。俺は1987年、32歳で調教師になったんだ。ずっと兄弟で二人三脚だよ。
思い出に残る馬を教えてください。
たくさんいるよ! 強い弱いにかかわらず、携われるだけの思い出がある。大きくなかったが強かったスズカゲ(1996年北斗賞、北見記念)や、3歳になって強くなったダイフジオーカン(1996年ばんえいオークスなど)もいたし。
私にとってはミサキスーパー(2004、05年チャンピオンカップなど)の印象が強いです。
うん、しいて言えば、小さな体で頑張ってくれたミサキスーパーかな。市場で自分で見つけて、馬主に買ってもらって育ててきた馬。首の長さとか、顔の良さに惚れたんだな。ピンと来るものがあるんだよ。言葉で表せないけど、違うものがある。体重がないからデビューも遅かった。でも能力はあるから、上に行くと思った。
残念ながらばんえい記念は3年連続2着(2004~06年)でした。
スーパーペガサスって怪物がいたからな。レース終わってから勝堤と「ああしたら勝てた」なんて話したけど、全て結果論だから。馬体がなかったから、苦労して育てた。
種牡馬としては1世代しか残せませんでしたが、厩舎に所属していたテンカムソウが種牡馬入りしました。
今年初年度産駒が生まれた。結構いい馬を出していると聞くから、再来年が楽しみ。テンカムソウの子も、いつか自分でやってみたい。
そのほかの馬では。
クシロキンショウは、ウンカイに勝った1997年のイレネー記念の時は899キロ。小さな体だけど、大事に大事に使ってきた。
昨年引退したオイドンは良血で、エリートだったな。大きな夢を見させてもらった。ハンデもきつかったけど、ばんえい競馬が一番苦しい時を支えてくれた。お客さんに知られた馬だから、いいPRにもなったと思う。獲ってみたかったダービー(2011年)も獲らせてもらったし、よく働いてくれた。喘鳴症に長い間苦しんでいて、かわいそうだったな。
これからだと、2歳はトマランサジェットがいいかな。来年、再来年にも期待できそうな馬がいるよ。
ナナカマド賞を制したオイドン。右端が弟の故・鈴木勝堤騎手(2010年10月11日)
今年2月には、1500勝を達成しました。大事にしていることはなんでしょうか。
気を付けているのは馬の体調維持。生き物は十人十色。人に一癖、馬に一癖、ってな。そして、馬を長持ちさせて、定年まで育てたい。今の時代は難しいところもあるけれどな。
1500勝できたのは、2006年にばんえい競馬の存続が決まった時、周りの人たちの協力があったから。存続しなかったらない。寝ないで会議してくれた人など、いろいろな人が一生懸命になってくれたおかげで、開催にこぎつけた。この時の思いを忘れてはいけない。
一番はファンのおかげ。そして厩務員、騎手のおかげだと思っている。これらの努力に報いるため、全国をまわって広報活動させてもらっている。
その姿に頭が下がります。
できる間は、地方に行ってばんえいはこういうのだ、と知ってもらった方がいいと思うから。地方行ったら励みになる。いつ行ってもありがたい。忙しいと思ったことはないよ。
でっかい馬はここだけだから、世界で一つの変わった競馬をなくしたら困る。ばん馬がつぶれる、って言葉はまた聞きたくない。ファン1人1人を大事にしないと。
よく服部義幸調教師ともいうんだ。「10年かかったなオイ!」って。PRを続けてここまで来るのに、10年かかったということ。花は咲いたといかないけれど、根は張ったと思う。年々ファンが増えているのを肌で感じる。
ミルキーは今療養中ということでふれあい動物園におらず、心配です。
ばい菌が体に入って熱が出ていた。だいぶ良くなったよ。ゆっくり休養させます。
さて、趣味などプライベートについて教えてください。
趣味はゴルフ! 忙しくてなかなか行けないから、下手になるな(笑)。食べ物は肉とケーキ! とんかつなら帯広の我逢亭が好きだし、焼き肉のだいじゅ園(帯広・音更)はいい肉を出すよ。ケーキは、羽田空港で売っているのと、柳月(帯広)のフルーツロールが好きなんだ。帯広は食べ物に外れがないと思うよ!なんでもおいしい。
岩手県でチャグチャグ馬コにも参加(2018年6月9日)
これからの目標について教えてください。また、オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
もう一回、オープン馬を触ってみたいな。目の覚めるような馬に出会いたい。できればテンカムソウの子で。
ファンの方には、馬券を買って、応援してもらいたい。みんなのおかげで今がある。全国からだと遠くて大変だけど、足を運んでもらえたら。
魅力は、エキサイティングゾーンで馬と並んで歩けるところ。重量感ある馬の力強さを間近で見られるのはここしかない。川崎競馬場に行った時に、ファンに「ばんえいは配当がいいからおもしろい」って言われたな。
ファンに愛される競馬じゃないと。ファンの協力がないとできない競技なので、後押しを続けていただければと思う。今までの努力をなくすわけにいはいかないんだ。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
中西達也調教師は、フリビオンで2017年の高知優駿を騎手として制し、9月からはその馬を管理する側になりました。調教師に転身しておよそ10カ月、今の様子を中心に伺いました。
高知優駿から1年が経ちましたね。
この1年は本当に早かったですね。でも、騎手を辞めてからはずいぶんと時間が経ったような気がします。それだけ調教師になってから、濃密な日々を過ごしているということなんでしょうね。騎手時代は、馬は調教のときに乗ってレースでも乗って、という感じの接しかたでしたが、今は馬のそばにいる時間が長いですからね。現在(インタビューは6月中旬)は10馬房で、8月に15馬房に増える予定ですが、厩舎にいる10頭には全部乗っています。
調教師として初めての重賞となる珊瑚冠賞にフリビオンを送り出して勝利を挙げ、続く西日本ダービーも優勝しましたが、水沢のダービーグランプリでは2着でした。
西日本ダービーを勝ったらダービーグランプリに行きたいと思っていました。フリビオンは佐賀までの輸送でもわりとケロッとしていましたから、それより長い輸送距離でも大丈夫かなという手応えもありました。ただ、水沢は寒かったですね(苦笑)。そしてスーパーステションは強かったです。
調教師としてフリビオンで西日本ダービー制覇
騎手と調教師ではどういったところが違いますか?
まず、緊張感がまったく違います。騎手時代は午前の攻め馬が終わったら自宅に帰っていましたが、今は夕方まで厩舎にいます。馬の状態は常に把握しておかないといけないですし、小さな変化にも気づけるようにしないとダメですからね。馬には乗れても、馬を育てる引き出しみたいなものをまだ持ち合わせていないので、となりの厩舎にいる炭田先生にいろいろと教えていただきながら、そのうえで自分の色を出せていければと試行錯誤しているところです。
しかし中西厩舎の雰囲気は、高知競馬場のなかでは目立ちますね。
見ばえのよさ、そこは誰にも負けないようにしようと、調教師になる前から考えていました。壁のペンキ塗りも花壇作りも自分でやりましたよ。つい先日、テラス風に座れるところを作ったんですが、これもホームセンターで材木と屋根を買ってきて自分で作りました。やっぱり見た目、とくに入口、玄関は大切だと思うんですよ。調教師は個人商店、中西達也商店ですから、馬にも人にもいい環境を用意していかないと。そのためには普段の服装からきちんとしないと、とも思っています。
調教師として初めてとなる高知優駿には2頭を送り出すことになりました。
これはもう、馬主さんに感謝するしかないですね。今はまだ管理頭数が少ないですが、その少ないなかでも濃い内容を残していきたいと考えています。ただ、スタッフのなり手がいなくて......。人材不足ですよ。僕はなんというか、たとえば牧場に馬を見に行くとか、そういったいわゆる調教師らしい仕事をしたいと思っているんですけれどもなかなか......。
そこは課題として今後もついて回ることになるかもしれませんね。
生きものが相手ですから休みも少ないですし、福利厚生も整っているとは言えません。でも、そのあたりはこれから変えていかないと。
そういうところもこれから目指すところになりますね。ほかに調教師としての目標はありますか?
具体的な数字とか、そういう目標はとくにないですね。まずは経験を積んで、調教師としての引き出しを増やしていくことを目指したいです。また、これまでとは違って人を使う立場になったので、うまくチームワーク的な感じで進められればと思います。その上で、また県外のレースに行けるようになれればいいですね。これからも調教師として恥ずかしくないように、そして『中西厩舎っていいですね』と言ってもらえるように、頑張っていきたいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
園田に楽しみな(楽しい?)新人が現れた。石堂響騎手。デビューから開催4日連続勝利の新記録も含めて、2カ月少々で18勝(6月22日現在)の離れ業。さらに、本職のアナウンサー顔負けの競馬の架空実況を動画で披露するエンターテイナーぶり。サービス精神旺盛で競馬を愛してやまない18歳(6月29日で19歳)が大阪人らしいお笑いも交えた飾り気のないトークを繰り広げた。
4月にデビューして、園田では初めてのデビューから4日連続勝利。さらにデビューから2カ月少々で18勝。ここまでの成績を振り返って、どうでしょうか?
勝ち星だけを見れば順調だと思いますが、内容はまだまだです。スタートや周りを見る目が全然だめですし、馬も動かせていないです。
教養センターの時の模擬レースとは違いますか?
全然違いますね。実際のレースでは暗黙の了解みたいなものがあります。これは、もう乗ってみないと分かりませんから。教養センターでは、卒業する時に、後輩が卒業する先輩の中で一番下手な先輩は誰?というアンケートを取ったらしく、その結果は、なんと僕ともう1人が堂々と1位を分け合いました(笑)。もう1人の名前は出しませんが(笑)。僕は、自分で言うのもなんですが、本当に下手なんですよ。ちなみに、僕と並んで下手と言われた同期の名誉のために言っておくと、今、彼は同期の中では僕の次に勝っています(笑)。今のところ僕は勝ってますが、後輩から、そんな風に見られるくらいですから、自分が下手なのも分かってますし、今は減量の恩恵が大きいのも分かっています。だから、もっと上手にならないと減量が取れた時には、乗せてもらえないと思ってます。
園田では今年から減量の規定が変わって、今までよりも長い期間、減量の特典が付くようになりました。
自分がここまで勝てているのは減量の恩恵が大きいですから、期間が長くなったのは本当にありがたいです。減量がついている間に、実績を残して、上手にならないといけないですね。
騎手になりたいと思ったのはいつですか?
母が競馬が好きで、小さい時から一緒に見てましたので、騎手にあこがれました。中央の競馬学校にも中学3年の時と、1年だけ通った高校1年の時に2度受けましたが、落ちました。高校1年の時に地方競馬教養センターの試験に合格して、知り合いの厩務員さんに長南(和宏)先生を紹介してもらい、お世話になることになりました。
子供のころの忘れられない競馬に関わる思い出は何かありますか?
やっぱり小学校4年の時に、武豊騎手と新聞で対談したことですね。新聞の連載企画で、子供が野球やサッカーの選手とか、パイロットとか、将来、なりたい仕事のプロに、その仕事の話を聞くコーナーがあって、それに騎手になりたいと応募したら当選しました。質問する相手は武豊騎手と聞かされて、それは、それはもうびっくりしました。当日は京都競馬場で時間にしたら20~30分ほどだったと思います。お話しさせてもらった部屋の光景なんかは今も目に浮かびますが、心臓バクバクで何を話したかは、ほとんど覚えてません。でも、他の人ではそう出来ない経験ですし、将来、一緒に乗れたらいいねと言って下さったことは、一生の宝物ですね。
すごい経験ですね。でも、その時の夢を本当に実現したのもすごいことです。
いえいえ、競馬が好きだからできたんだと思います。夢の実現という話では、ネタバレになるので、ここでは詳しいことは言えませんが、7月13日に放送されるテレビ番組『探偵ナイトスクープ』(午後11時17分~、ABC=関西地区)で、僕の依頼が取り上げられますので、見てもらえたらと思います。
子供の時から今も、新聞やテレビを駆使するなど、なかなかのエンターテイナーぶりですね。エンターテイナーと言えば、動画サイトにアップされた競馬の架空実況が、プロ顔負けで上手すぎると話題になっています。
僕、大阪人ですから、しゃべりも芸も大好きなんですよ。吉本のお笑いも大好きです(笑)。で、競馬も大好きで、小さい時から競馬を見てましたから、実況アナウンサーの真似をして、実況をするようになったんです。僕のあこがれはラジオNIKKEIの中野雷太アナウンサーと関西テレビの岡安譲アナウンサーですが、先日、中野アナウンサーが園田に来て下さって、わざわざ僕に会いに来て下さいました。お会いした時は本当に幸せでした。
アナウンサーと言えば、園田では忘れてはいけないレジェンド吉田勝彦アナウンサーもいますね。
吉田アナウンサーの実況は園田に来た時にも聞いていましたが、夜にサンテレビ(関西地区)で放送されていた競馬ダイジェンストで実況をよく聞いていたのを覚えてます。レースを見ながら、ひとりの時には「ゴ~ルイン」を真似する時もあります(笑)。
本当に競馬が好きなのが伝わってきます。ところで勝負服のデザインが「胴緑、黄たすき、袖緑、黄一本輪」。これは、どういう風に決めましたか?
デザインには全然こだわりはありませんでした。決める時に考えついたのが、母の名前が緑子(みどりこ)、妹の名前が浅黄(あさぎ)で、2人とも名前に色がついているので、それを使おうと思いました。
家族への思いがこもった勝負服ですね。今は西脇ですから、家族と離れて1人暮らしですが、普段の生活パターンを教えて下さい。
夜の12時半に起きて、40分には厩舎にいます。馬場の照明が12時45分につくので、それからレースのある日は朝7時まで、レースがない日は9時半まで、25頭くらい調教をつけます。今は(西脇)トレセンの中での厩舎間の移動には自転車を使ってますが、結構大変です。長南先生からは原付バイクは20勝してからと言われているので、早く20勝して免許を取りたいです。
長南先生からアドバイスされることはありますか?
僕のレースは必ず一緒にビデオを見ながら、解説してくれます。先生も元騎手ですから騎手の心理やレースの流れも分かっているので、解説には説得力がありますし、すごく勉強になります。僕が今、思った以上に勝てているのは、先生が他の厩舎の馬にも乗せてもらえるように取りはからって下さっているのと、レース後のビデオを見ながらの解説のおかげと思ってます。まだまだアドバイス通りに乗れていないことも多いですが、先生には感謝しています。
レースのない日はどう過ごしてますか?
ひたすら寝てますね(笑)。園田の厩舎だと都会で、色々と誘惑はありそうですが、僕がいる西脇は田舎ですので、遊ぶところもなくて、あまりお金を使うこともないです(笑)。競馬に専念できる環境ですし、お金をためるには、いいところだと思います(笑)。
好きな戦法はありますか?
逃げ馬が好きです。でも差し馬で、もっと勝ってみたいですね。
今後の目標を教えて下さい。
先の話よりも、目の前にあるレースで勝つことを目標に考えてます。大きな目標を立てても、今は、まだまだ勉強しないといけない立場ですし、1頭1頭、どう乗るかで必死です。目の前のレースでベストを尽くして、その積み重ねの結果たくさん勝てれば、うれしいですし、大きなレースへの騎乗にもつながればと思っています。
大きなレースで武豊騎手と一緒に乗れたらいいですね。
そうですね。こうして騎手になったことを、直接、御本人に報告して、ぜひ一緒のレースに乗りたいですね。
最後にオッズパークファンに向けて一言お願いします。
これ、園田の先輩も同じ質問されて、答えているのを読んだことがあります(笑)。そうですね、同じ答えじゃ面白くないですからね(笑)。地方競馬で一番最初にネットでの馬券発売を始めたのがオッズパークさんですよね? そういう意味ではオッズパークのファンの方は本当に地方競馬が好きな方が多いと思います。そんなファンの方には本当に感謝します。僕も含めた地方競馬の関係者みんな頑張ってますので、いつまでも地方競馬の応援をよろしくお願いします。
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※インタビュー / 松浦渉
オッズパーク地方競馬応援プロジェクトの3世代目である兵庫のコーナスフロリダが、6月7日に行われた兵庫ダービーで見事勝利を飾りました! 初コンビでダービー制覇に導いてくれた岡部誠騎手に、喜びの声をお聞きしました。
コーナスフロリダでの兵庫ダービー制覇、おめでとうございます!
ありがとうございます。今回初めて乗せていただきましたが、強い馬だということはわかっていましたし、関係者の方々がいい状態に仕上げてくれていたので、勝ててとても嬉しいです。
オッズパーク地方競馬応援プロジェクトの馬として、初のダービー制覇。会員の皆さまも待ち望んでいました。
結果を出せて本当に嬉しいです。東海ダービーではサムライドライブが単勝1.0倍で注目されていましたよね。僕は別の馬に乗っていましたけど、デビューから10連勝しているサムライドライブでも負けるのかと...。ダービーを勝つには能力だけではなくて、他のいろいろな要素が重なってこそなんだなって。東海ダービーの次の日が大雨で、ものすごく前残りの馬場になったんですけど、例えば1日違ったらとか、いろいろ考えさせられました。改めてあの競馬を見て、競馬って難しいなと思いましたね。それに対しての今回の勝利だったので、なおさら嬉しかったです。
コーナスフロリダが兵庫ダービー制覇
(写真:兵庫県競馬組合)兵庫ダービー当日は地元名古屋でも開催がありました。騎乗依頼を受けた時はどう感じましたか?
走る馬というのは知っていたので、依頼をいただいた時には「ぜひとも乗せていただきたい」と。ここ最近は結果が出ていないレースもあったけれど、必ずチャンスがあると思いました。
今年1月の笠松のゴールドジュニアでは1番人気だったんですけど、岡部さん騎乗のノブイチに負かされました。あの時は悔しかったです...。
すみません(笑)。実際、あの時も力のある馬だなと思っていました。今回依頼をいただいて、改めてレースを全部振り返って研究しました。長くいい脚を使ってくれるイメージで、そこを活かすレースがしたいなと。
当日、田中範雄先生からはどんな指示がありましたか?
早め早めに動いて、4コーナー先頭くらいの強気な競馬をして欲しいという指示でした。パドックではすごく元気が良くて、尻っぱねしたりしていたんですけど、先生からは「いつものことだから」と言われました。返し馬に行ったら活気があって、特に折り合いとかも心配する必要がなかったですね。
何度か出遅れたことがあるのでスタートを心配していたんですけど、上手に出ましたね。
一歩目で滑ってしまうとイヤなので、あんまり出す気はなくて。ゲートを出る瞬間は馬の気持ちに任せていました。出す気じゃなかったことが、逆に良かったのかもしれません。速くはなかったけれど五分に出てくれたので、すんなり馬群について行けました。
前がやり合って、かなり速い展開になりましたけれども。
速いなとは思いましたが、前とはかなり離れていてどうなっているのか全然見えなかったです。あとでレースを見直したら、「こんなことになっていたのか...」と。コーナスフロリダは道中リラックスして走っていたし、目の前に(田中)学さんの人気している馬(クリノヒビキ=1番人気2着)がいたので安心して乗りました。学さんは上手なジョッキーなので、「あの人が動いた時に一緒に動いて行こう」と思っていて。いい目標がいてくれましたね。
勝負どころではバツグンの手ごたえで上がって行きました。
向正面から上がって行って、3コーナーくらいでまだおつりがありそうだなとは感じていました。これなら4コーナー先頭に立てそうだと。そういう形になれば大きくバテることはないだろうと思っていて、これで負けたら仕方ないかなという気持ちで乗っていました。
思った以上に強い競馬で勝ってくれて、感激しました!
強かったですね。ここ何走かこの馬の良さが出てなかったですが、先生をはじめ厩舎の方々が立て直してくれて、いい状態の時に乗せていただきました。一度しか乗っていないのでまだ僕の知らない部分もありますけど、行き出してから最後まで脚色が衰えることがなくて、本当にスタミナのある馬ですね。
今後の可能性はというのはいかがですか?
今も十分強いですけど、まだ完成形ではないのではないかと。すでにスタミナはあるので、もうちょっと瞬発力がついてくれたら。向正面で追い出した時、ガツンとは反応しなかったので、そこでガツンと行ってくれるともっと視野が広がると思います。今後どんな風に成長していくか本当に楽しみです。
コーナスフロリダには初騎乗だった岡部誠騎手
(写真:兵庫県競馬組合)では、岡部騎手自身のお話をお聞きします。今年ももうすぐ南関東期間限定騎乗が始まりますね(6月25日~8月24日)。
毎年恒例という感じで行かせてもらって有り難いです。2013年に初めて期間限定騎乗で行かせてもらって、全部が順調に来たわけではないですけど、徐々に依頼が増えたり、重賞でも声を掛けてもらえるようになって、やって来たことは間違いじゃなかったなと。いくつ勝ちたいとか数字は全く考えないですけど、たくさん勝たせていただいて有難いです。
現在は期間限定騎乗の時だけではなくて、スポットでも有力馬に騎乗するようになりましたね。もともとトップジョッキーでしたけど、今や地方競馬全体を背負って立つ超トップジョッキーという感じです。
いやいや、他にもたくさんいるじゃないですか。吉原(寛人)くんとか赤岡(修次)くんとか。スポットで全国の関係者の方に声を掛けていただけることは本当に嬉しいです。心地いいプレッシャーを感じながら、充実した毎日過ごしています。
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。ファンの方や関係者の方に喜んでいただけるレースをしたいと思っています。これからも皆さまに信頼していただけるよう頑張りますので、よろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋