昨年は初の重賞制覇を達成し、リーディング3位と大きな躍進を遂げた、高知の永森大智騎手。デビュー9年目を迎えた今年、ついに覚醒を果たした赤い彗星は、さらなる高みを目指します!
赤見:昨年は初重賞制覇に年間100勝達成と、素晴らしい活躍でしたね。
永森「ありがとうございます。雑賀先生はじめ、本当に周りの人たちのおかげです。ちょっと勝ち過ぎたかな~と、今年プレッシャーもありますけど」
赤見:初の重賞制覇だった『黒潮菊花賞』、振り返るといかがですか?
永森「実はそのちょっと前に、重賞で1番人気に乗って負けてるんですよ。『珊瑚冠賞』で【ギンガセブン】に乗せてもらったんですけど、10着と惨敗して...。
その時、重賞は当分勝てないのかな、まだまだ遠いのかなと思ったんです。
『黒潮菊花賞』は8番人気の【リワードレブロン】に乗せてもらって、逃げてる宮川実騎手の馬が強かったのでついて行こうと思ってました。
勝負所に来ても手ごたえええぞと思って、馬の気分に任せて行きたい時に行かせました。
勝った時はホッとしたというか、やっと勝ったな~って感じでした。
【ギンガセブン】のこともあったので、嬉しさ倍増でしたね」
赤見:周りの方も喜んでくれたんじゃないですか?
永森「本当にそうですね。雑賀先生は、普段は勝ってもあんまり喜んだ感じでは迎えてくれないんですけど(苦笑)、この時はすごく喜んでくれました。
それが僕にとってすごく嬉しかったんです」
赤見:雑賀先生といえば、昨年は年間265勝を挙げて、地方競馬最多勝記録を塗り替えましたね。
永森「すごいですよね。先生は厳しいですけど、尊敬してます。デビューから色々お世話になってるし」
赤見:雑賀厩舎所属になったきっかけは何だったんですか?
永森「僕は特に騎手に憧れてたってわけじゃないんですけど(笑)。
中学の時に職場体験学習があったんですよ。
たまに競馬は見に行ってたし、動物も好きだったし、ちょうどいいなと思って。
広報の方から紹介されて、雑賀厩舎に3日間お世話になりました。
初めて馬に乗せてもらって、周りの人からも良くしてもらって。雑賀先生が、「騎手にならないか」って言ってくれたんです。もともと人がしないような仕事をしたいと思ってたし、迷いなく決めました」
赤見:まさに運命の出会いでしたね。
永森「そうですね。今考えても、雑賀厩舎に入れて良かったです」
赤見:そして昨年の覚醒ですけど、一番大きな要因はなんだと思いますか?
永森「精神的なものですね。これが一番大きいです。今までもチャンスはもらってたけど、どうしても1度きりなんですよ。勝負の世界だから当たり前のことなんですけど、そこを気にし過ぎていたんです。
結果出せなかったら乗り替わりやとか思って変に緊張したり、先生が見て納得するようなレースをしようとしてて。
リーディング上位の人だったら納得する乗り方でも、僕がしたら全然ダメだったり、そういう空回りが多かったんです」
赤見:そこからどうやって抜け出したんですか?
永森「それは色んな要素がありますけど、まずは金沢での短期騎乗ですね。2007年に雑賀先生が「行ってみるか?」って言ってくれて、その頃乗り馬もあんまりいなかったんで、思い切って行くことにしました。
先生の知り合いの赤間亨厩舎に行ったんですけど、それまで遠征とかしたことなかったんで、かなり不安でしたね。
周りはいい人ばかりだったけど、最初の頃は全然上手くしゃべれなくて...。そんな時、吉原寛人騎手が調教の時とかによく声をかけてくれて、遊びに連れてってくれたりしたんです。それで周りの人とも話せるようになりました。吉原騎手の存在は大きかったですね。
レースもけっこう乗せてもらって、いくつか勝たせてもらいました。赤間先生はいつも、「好きに乗ってええよ」って言ってくれて、自分で考えてレースして結果が出せたことが自信になりました。
高知に帰ってきた時、(赤岡)修次さんや倉兼さんが金沢のレースを見ててくれたみたいで、「あんなにいいレースが出来たんだから、高知でも出来るんじゃないか」って言ってくれました。その言葉も自信に繋がりましたね」
赤見:2009年には、福山でも短期騎乗してますよね?
永森「その時は檜山龍次郎厩舎にお世話になったんですけど、先生の息子さんが怪我してしまって、調教する人が足りなくてお手伝いのような感じで行くことになったんです。
まだ高知と本格的に交流が始まる前で、この時も最初はしゃべれなかったけど(苦笑)。嬉さんが、高知の西川さんや中西さんと同期で、すごく良くしてくれました。それで周りとも打ち解けたし、色んな厩舎に乗せてもらって、すごく勉強になりました」
赤見:2つの短期騎乗がいいきっかけになったんですね。
永森「そうですね。時期も良かったんだと思います。地元で勉強して、悩んでからの遠征だったので、いい収穫があったんだと思ってます」
赤見:今はかなりいいスパイラルなんじゃないですか?
永森「前は意見を言っても誰も聞いてくれなかったけど、今はけっこう聞いてもらえるようになりました。認められるってほどではないですけど、自分がこう乗りたいとイメージ出来るようになったし、そういう乗り方をしても納得してもらえるっていうのは大きいですね」
赤見:今年に入ってもいいリズムで勝ち星を挙げてますね。
永森「そうですね。昨年は3位だったので、恐れ多いですけど今年は2位の倉兼さんに勝ちたいと思って乗ってます!」
赤見:1位の赤岡さんは?
永森「もちろん、いつか抜きたいです! 何年後かわからないけど抜きたいですね。
修次さんはやっぱり、何かが違うんですよ。一緒に乗ってて本当に上手いなって思うけど、上手いっていうだけじゃない何かがある。その何かが今の僕にはわからないんですよ。
それがわかった時が、修次さんを抜ける時なんじゃないかと思ってます!」
赤見:何年後かのリーディングジョッキー宣言☆楽しみです。
それでは、高知競馬のPRをお願いします!
永森「今の時期は全国的に見てもナイター開催はないので、1年通してのナイターは大きいと思ってます。
本場に来てもらうのが一番だけど、インターネットなどでも今は見ることが出来るので、高知のレースを見てもらえたら嬉しいです」
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※インタビュー / 赤見千尋
毎年、騎手の勝ち鞍が僅差になる福山競馬で、昨年2位以下を大きく離してリーディングジョッキーとなった三村展久騎手に迫ります。
西田:初の福山リーディング獲得、おめでとうございます。
三村:ありがとうございます。初めてのことなので嬉しさはありますが、馬主さんをはじめ調教師の先生や厩務員さんなど、騎乗させてくれた全ての人のおかげだと思っています。そういった皆さんや馬に獲らせて頂いたモノですね。
西田:昨年は、本当に充実した1年だったでしょ?
三村:そうですね。他場にもたくさん遠征させてもらいましたし、楽しい1年でした。
西田:他場での騎乗の魅力は?
三村:やはり、良い刺激になります。レースに乗るまでの環境などは、それぞれの競馬場で違いますし、あまり会えない騎手達と話ができたりもしますので、勉強にもなります。
西田:昨年は、怪我も多かったよね。そんな時は焦りとかもあったんじゃない?
三村:確かに、自分にしては多かったですね。でも、焦りはなかったです。してしまったことは仕方ないので、早く治すことだけを考えていました。
西田:大人の発言やねぇ。
三村:もう大人ですよっ(笑)。
西田:自身最高の141勝(他場での4勝を含む)・連対率39.6%については?
三村:ただただ馬たちのおかげです。自分が失敗したレースもたくさんあるし、取りこぼしたレースもあるので満足はしていません。連対率は全く気にしていません。どちらかというと、勝率の方が気になりますね。常に勝ちを意識して乗っていますから。
西田:こちらも初めての参加となったスーパージョッキーズトライアル。第1ステージ(川崎競馬場)では、久々に南関東での騎乗となりました。
三村:期間限定騎乗中にお世話になった皆さんと再会できたり声をかけていただいたりして、とても嬉しかったです。ただ、この時は落馬で骨折をしていたので、雰囲気を楽しむっていうよりかは、痛さもあって大変だったという思い出です(汗)。怪我を理由に欠場だけは絶対にしたくなかったですから。
西田:第2ステージ(名古屋競馬場)では勝利もありました。
三村:いい馬だったので勝ちを意識して騎乗しました。直線では2着馬にかなり迫られましたので、一生懸命追いましたよ。
西田:勝ったことにより、総合優勝のチャンスが大きくなったよね。
三村:第3戦が終わった段階で、ポイントのことは考えていなかったです。次にしっかりと結果を出すことに集中していましたので。
西田:結果は、第3位でした。
三村:最初に順位を聞いた時には「3位まで上がったんだ」という感じでした。でも、あそこまでいったら1位になりたかったですね。ポイント差も2Pですかねぇ。ポイント差を聞いたら、悔しさは出てきましたよ(笑)。
西田:ところで、騎手になった経緯は?
三村:競馬好きな父に騎手になれとずっと言われ続けていたので、騎手学校を受験しました。それまで、競馬場に行ったことなかったんですよ(笑)。
西田:では、今の活躍をみて、お父さんは喜んでいるでしょうね。
三村:じつは、あまり父とは会話しないんですよ(汗)。父は、競馬談議をしたいんでしょうけど(笑)。
西田:騎手をやっていて、良かったと思う時は?
三村:馬のことを理解して、思い描いた通りに騎乗できたり、結果が出た時ですね。勝って戻ってきた時に、その馬に携わっている人達が喜んでくれている顔を見た時には、やっていて良かったぁと思います。
西田:今年の目標を!!
三村:目標ってあまり作らないんですよね......。う~ん...う~ん...まぁ、いい1年だったと思える年にしたいです。成績っていうよりは、技術的に向上したとか人間的に大きくなったという意味で、いい1年だったと思えれば良いです。
向上心と感謝を忘れず、福山競馬の"若大将"から"総大将"へと進化を続ける三村騎手。今年の活躍にも期待してください!
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※インタビュー / 西田茂弘
昨年は【アムロ】で悲願の『東海ダービー制覇』、そして2000勝達成と、大きな節目の年となった、名古屋の戸部尚実騎手。
今年29年目を迎えるベテランジョッキーに、これまでを振り返っていただきました。
赤見:まずは、12月6日の2000勝達成、おめでとうございます!
戸部「ありがとうございます。僕は本当に怪我が多くて、それがなかったらもっと早く達成出来たと思うんですけどね。いつかは来る数字だとは思ったけど、やっと出来ました。勝った時は嬉しかったです」
赤見:1番人気での達成でしたが、レース前に意識してましたか?
戸部「してましたよ。本命馬で、普通にレースすれば勝てる力のある馬だったんです。ここで負けちゃうと、周りから『2000勝のプレッシャーで負けた』って絶対に言われるから(苦笑)。だからなるべく平常心と思って騎乗しました。
リーチかかってからポンと勝てたんで、気持ち的にも楽でしたね。
なかなか達成できる数字じゃないんで、周りの人たちに本当に感謝しています。2000勝できて、肩の荷が下りた気持ちもあるかな」
赤見:そして昨年は、『東海ダービー』制覇もありましたね!こちらもおめでとうございます。
戸部「ありがとうございます。ダービーは誰もが勝ちたいと思うけど、なかなか勝てるレースじゃないからとても嬉しいです」
赤見:山本茜騎手騎乗の【ミサキティンバー】との叩き合いをハナ差制しての勝利。勝った瞬間はわかりましたか?
戸部「正直、わからなかったです。写真判定になったんで、引き上げて来て後検量しながらも、『勝っててくれ~』って願ってました。写真判定が出た瞬間は、『やったーーー!』という気持ちでしたね。
騎手生活何十年、ずっと目指してたことが叶ったわけですから」
赤見:ハナ差粘ってダービー馬となった【アムロ】ですけれども、どんな印象だったんですか?
戸部「最初は目立たない普通の馬だったんですよ。道営から移籍して来て、最初は柿原騎手が乗ってて。僕が乗り出した時も、平凡というか、ダービーを目指そう!っていう感じではなかったんです。
それが、使うごとにパワーアップしていって、体重もどんどん増えていってね。最初に乗った時と今とでは、まるで別の馬ですよ。
ダービーを勝ったのはフロックかな、なんて思ったりもしたけど、その後もちゃんと力を見せてくれているし、すごい馬だよね」
赤見:ちなみに、ダービーの時には勝てる自信を持っていたんでしょうか?
戸部「絶対勝てるとまでは思ってないけど、勝ち負けしてもおかしくないなと思ってました。その前の『駿蹄賞』で惨敗してしまったんだけど、その時はスタートで出遅れて、全く気分が乗らないままのレースだったから。
だから、スタートだけ気を付けて乗りました。ダービーの時は、スタートも決まって、位置取りも良くて、ペースも良くて、仕掛けもすべて思い通りにいったんです。もうね、嘘みたいに上手くいったんですよ(笑)。
長く騎手をしているけど、大きなレースでここまですべてが上手く運ぶことはなかなかないからね、1つでも欠けていたらチョイ負けしていたかもしれませんね。ダービーを勝つって、能力が高いことはもちろんだけど、すべてが上手く運ぶってことも大切なんだと思いました」
赤見:ダービージョッキーになった気分はいかがですか?
戸部「やっぱりね、自分にとっても自信になるけど、周りもそういう目で見るから。色んな面で、ダービーの1勝がプラスになっていますね。プラスαが増えましたよ」
赤見:戸部騎手にとって2010年は大きな節目の年となりましたが、東北大震災というとても残念な出来事もありました。戸部騎手は青森出身ですけれども、実家の方は影響はあったんでしょうか?
戸部「本当に残念な出来事でした。被災された方には、心からお見舞い申し上げます。うちの実家は幸いにも山側なので、津波などの大きな被害はなかったんですが、かなり揺れたようです。
名古屋競馬でも、自分たちに出来ることをしようと、喪章を着けてレースに乗ったり、募金活動などをしました。いつもとは違う形でファンの方々と触れ合ったんですが、本当にみなさん温かくて、優しい反応を示して下さったことがありがたかったですね」
赤見:10月には、盛岡競馬場で行われた『東北ジョッキーズカップ』に出場されましたね。
戸部「いいレースだったと思います。僕は普段、東北の粘りを持ち味にして名古屋で戦ってるんですけど、『東北ジョッキーズカップ』出場騎手はみんな東北魂を持っていますからね!
レースではいい結果が出せなくて残念でした。怪我からの病み上がりで、体が思うように動かなかったところもあったんですが、人気馬に乗せてもらったのに結果が出せなくて申し訳なかったです。
ジョッキーたちの雰囲気は和気藹々で、とてもいい雰囲気でした。自分たちに出来ることは競馬なので、競馬で盛り上げていけたらなと思ってます」
赤見:本当にその通りですね。少しでも盛り上げていきたいです。 先ほどのお話にもありましたが、戸部騎手はこれまで怪我に泣かされることが多かったようですね。
戸部「そうなんですよ。かなり多いです。直近の7年間でも、6年は入院してますからね。ほぼ毎年骨折してます(苦笑)。 鎖骨は左右、首、腰...骨折してないところを探した方が早いですね」
赤見:大きな怪我をしながらも、長く現役生活を続けている秘訣は何でしょうか?
戸部「う~ん、なんですかね。続けようとする気持ちじゃないですかね。凹むこともあるけど、騎手生活も怪我も慣れてるから(苦笑)、気持ちをコントロール出来るようになりました。馬に乗れないことが一番辛いけど、気持ちを下げないようにしています」
赤見:今年でジョッキー生活29年目を迎えますが、ジョッキーを目指したきっかけは何だったんですか?
戸部「中学2年生の時に新聞配達していたんだけど、近くに牧場があって、そこの関係者の人が『背が小さいし、騎手に向いてるんじゃないか』って声をかけてくれたんです。でも、競馬のことは全く知らないし、馬に触ったこともないので、その時は保留にさせてもらって高校に進学しました。その後、高校2年生の時にもう一度話をいただいて、それで決めたんです。当時は中央と地方の区別があることすら知らなかったけど(笑)。
名古屋競馬に住み込みで、高校も転校しました。 青森から愛知に行って一番驚いたのは、平らな土地が限りなく続いていること(笑)。うちの田舎にはそういうのがなかったから、本当にびっくりしましたね。
厩舎の方はすぐに慣れました。1年間高校に行きながら働いて、地方競馬教養センターの短期騎手課程(半年間)を受けて騎手になったんです」
赤見:実際にデビューした時はどんな感じでしたか?
戸部「本当に僕は恵まれていたんですよ。調教師の方針で、厩舎の馬たちをすべて僕に乗せてくれたんです。だから最初からいい環境で騎手生活をスタートすることが出来ました。周りの人たちには、とても感謝しています」
赤見:想い出のレースを上げるとしたら、どのレースですか?
戸部「いっぱいありますね。その中でも、【マルブツセカイオー】で勝たせてもらった『オグリキャップ記念』かな。あの年は中央との交流元年だったから。中央勢相手に勝てたというのは大きかったですね」
赤見:1995年ですね。中央勢が圧倒的な強さを見せる中、【マルブツセカイオー】の勝利は爽快でした!
戸部「あの馬は東海地区以外の遠征で結果が出せなくてね。他場に行くとカイバ食いが細くなってしまうんですよ。昔は3日~1週間くらい前に輸送するというのがセオリーだったから、今みたいに前日とか当日輸送だったらもっと力が出せたんじゃないかなと思うんですよね。それだけの力のある馬だから、今だったらどうなのかなって。
この馬の存在は本当に大きくて、他場に遠征に行く経験なんてなかなかなかったですから。こういう名馬に出会わないことには、出来ない経験をさせてもらいましたよ」
赤見:新しい年を迎えて、今後の目標を教えて下さい。
戸部「年齢的に、もうそんなに長くは出来ないと思ってます。だからこそ、1つ1つのレースを大切にしたいです。重賞や大きなレースも勝ちたいですね。
他場のレースを見てて思うんですけど、名古屋のジョッキーたちはすごくレベルが高いんです。贔屓目もあるかもしれないけど、自分じゃなくて周りのみんながね。
そういうレベルの高いジョッキーが集まっている競馬場なんで、白熱したレースをお見せできると思います。ぜひ、競馬場に足を運んで応援して下さい!」
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※インタビュー / 赤見千尋
ばんえい競馬で現役最多勝の3205勝(1月9日現在)をあげ、"ミスターばんえい"金山明彦元騎手(現調教師)の3299勝に迫りつつある藤本匠騎手(49)。
昨年は日本プロスポーツ大賞の功労賞も受賞した。騎手会長としてもばんえいを盛り上げ、今年度はリーディング3位につけている。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。
藤本:叔父さんが馬主で、15歳の時に勧められて競馬場に来たんだ。はじめは騎手になるつもりはなかったけど、所属した本沢政一厩舎にいた金山さんに試験受けてみれ、っていわれて。それでも厩務員長かったんだよ。6年やった。
金山さんがいるから本沢厩舎には馬が入るし、金山さんには騎乗依頼がいっぱい来るから、それで乗れない馬にも乗せてもらっていた。初勝利のキタノウルフも特別戦だったし、新人の時から一般・特別関係なくたくさんの馬に乗せてもらっていた。この頃は、金山さんのほかにも久田(守)さんや工藤(正男)さんなどの名騎手がいて、目の前で学ぶことができたし、周りの人に恵まれていたよね。
斎藤:金山調教師に教わったことで、印象深かったことは。
藤本:新馬慣らすときの調教の仕方だね。今も大切だと思ってるよ。ハミのかけ方に対しては厳しかったよ。暴れても、若馬だからしつけていかないと。怒らないといけないし、逆にほめてもやらないといけない。ズリ引きでも、俺はだらだら歩かせるのはいやだから、きちっとハミをかける。その積み重ねが大切で、勝ちにつながると思っている。重要な部分だ。馬も人も、努力しなければ上に立つわけないんだ。
俺は、自分でしないと気がすまない方だから、全部自分で納得いくまでやる。ちゃんとやらないと、騎乗停止になるようなレースになるし。どんな馬でもどこかで花開くこともあるから、若馬は大事に乗ってやらないとだめ。馬が自分で自信もってくるといいレースするから、そこを人が見極めることも大事だ。
斎藤:思い出の馬はサカノタイソン(19連勝、ばんえい記念など重賞6勝)でしょうか。
藤本:サカノタイソンは毎回1番人気だから、その中で勝つことの度胸をつけさせてもらったよね。ばんえい記念を初勝利したテンショウリも、勝つとは思わなかったから思い出に残っている。
斎藤:繁殖生活を送っていたアンローズ(岩見沢記念3連覇など重賞10勝)も昨年亡くなってしまいましたね。
藤本:岩見沢は強かったね。ひと腰で上がるタイプだから、傾斜のきつい帯広は合わないのさ。調教でだいぶよくなったけど。ばんえい記念が岩見沢や北見だったら獲ってたんじゃないの? おとなしい馬で、調教やレースで苦労したことはなかった。忘れ形見のキタノキセキ(牡3、初年度産駒)も走ってるよね。9歳まで走って、あれくらいの仔を出すんだからたいしたもんだ。
斎藤:1月3日の天馬賞(ファーストスター)をはじめ、乗り替わりの勝利が多い気がします。私が驚いたのは、2009年の旭川記念で、追い込み馬のフクイズミを先行させて勝ったレースでした。
藤本:乗り替わりっていうのは馬が動くものなんだ。そりゃ乗り方が違うんだから馬は驚いて動く。癖のある馬ほどそうだ。もちろんレースは見ているからどんな馬なのかはわかるけど、先入観で決め付けるよりは、その時のレースの流れが一番大事。型にはめちゃうのもよしあしなんだよな。
斎藤:どうやって流れをつかむのでしょう。
藤本:いいポジションにいるのが大事だけど、それより、レース前の調教で馬の足りないところを補ったり、体力つけたりしているから。やってないと、どこまで無理していいかわからないけど、これだけやってるんだから、って自信があるからレースを組み立てられる。逆にいつも同じ馬だと、馬も慣れてくるから、メリハリをつけて調教している。途中まで厩務員さんにやってもらってから、厳しい乗り方をすることもあるよ。
斎藤:調教は何時頃からつけているのでしょうか。
藤本:レースがある日は、5時~7時半の間に障害で12~13頭の調教をつけている。レースがない日は8時くらいまでズリ引きすることもあるよ。
斎藤:これから期待している馬はいますか。
藤本:マゴコロ(牝3)はセンスが良くなってるね。身が入ってきた。ブラックパール(牝4)もこれからもっと良くなっていく。ホクショウダイヤ(牡9)かい? 720~30kgくらいまでならこなせるんだけど、(負担重量を多く)積むと、障害の動きがまだ固いんだよな。それ以上でもうまく(末脚が)切れるようになればいいね。
斎藤:藤本騎手は札幌出身ですが、今は帯広に家がありますよね。
藤本:俺はたまたま(運が)よかったよね。他の騎手は他の3市(06年度まで開催を行っていた旭川、岩見沢、北見)に家を建てた人が多いから。4人いる子どものうち、3人は独立したから今は嫁と娘1人しかいないんだ。帯広は本当に寒いけど、雪は少ないし、夏はからっとして住みやすい。食べ物、特にスイーツおいしいからね。豚丼もあるし、温泉もあるし。
斎藤:さて、金山元騎手の最多勝(3299勝)まであと100勝を切りました。来年度には達成できそうですね。
藤本:ケガなく、病気せずにコンスタントにしてれば......。でも、金山さんのころは今より開催日数が少なかったから、たまたま数が並んだっていっても、越えたことにはならない。今の日数なら、金山さんは5000勝くらいしていたと思うよ。1日の最大騎乗数も今(7鞍)より少なかった(6鞍)しね。
これからだと、(鈴木)恵介が匹敵するくらい。あいつは脂が乗ってるよな。俺もだけど、30~40歳の頃が最高だった。45を過ぎるとちょっときついなぁ......(笑)。たまに恵介に追い負けすることあるもん。
斎藤:藤本さんは、あまり病気した話を聞きませんよね。
藤本:20年くらい前に手にひび入って1カ月乗らなかったくらいかな。まぁ、熱あってもあばら骨にひび入っても乗るし。丈夫だから。
斎藤:では最後に、ファンに一言お願いします。
藤本:雪が降りながらも一年通してやってるんで、足を運んで、生でばん馬の吐く白い息を見てください。
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※インタビュー・写真 / 斎藤友香
長年高知のトップジョッキーとして活躍を続ける、中西達也騎手。2011年2月に行われた、第19回ゴールデンジョッキーカップでは、初出場で総合優勝という素晴らしい成績を残しました。
2011年も年間100勝を達成し、リーディング4位。現在42歳の、高知のアーサーの素顔に迫ります。
赤見:九州は福岡県出身の中西騎手。まずは騎手を目指したきっかけから教えて下さい。
中西「そこから聞きますか。ベタだねぇ(笑)。僕の場合は、母親の勧めです。競馬好きだったんで。ボートもいいんじゃないって言われたけど、身近にそういう場所がなかったんで、競馬になりました」
赤見:お母さんに勧められて、すぐにいいなと思ったんですか?
中西「いやいや。馬に乗ったこともなかったし、怖かったからなりたくなかったですよ(笑)。高校に進学したいなとも思っていたので。
地方競馬教養センターの試験受けたら受かっちゃったので、それならやろうかなって感じでした。」
赤見:人生、わからないものですね。
中西「本当ですよ。僕はメカとか好きだったので、近くに競艇があったらそっちに行ってたと思います。バイクも好きだしね。
今になってみれば競馬で良かったけど、あの頃は競馬のイメージがすごく悪かったから。なんか、オヤジのギャンブルってイメージで。友達にも恥ずかしくて言わなかったですから」
赤見:競馬のことを全く知らないで飛び込んだ厩舎社会はいかがでした?
中西「すごいところだなって思いました。もう、1つの村じゃないですか。 学校は辛かったけど、競走課程に入ったら面白かったですね。レースに乗り出すともっと面白くなって。
実際にデビューしてみたら訓練と全く違うんで驚いたけど、とにかく楽しくなりましたね」
赤見:デビューした頃は、2000勝以上も勝てると思ってました?
中西「まさか。全然思ってないですよ。よくここまで来たなと思いますね」
赤見:今年の2月には、園田のゴールデンジョッキーカップで優勝!あれはインパクト大きかったです。
中西「僕の中でも、今までの騎手人生の中で1番ですよ。昔から憧れのレースだったし。
どうしても、馬で遠征するとなると、他地区で勝負するのは難しいけど、ジョッキーレースならひょっとしたら勝ち負け出来るかもって思ってました。
初出場だったし、メジャーな騎手の中にマイナーなのがはいっちゃったなって感じでした(笑)。ファンの方が声かけてくれたり、サインを求められたりして...。僕なんかのサインでいいの?!って思いましたよ。
正直緊張したけど、最初のレースで勝てたから、優勝がチラついてました。もうドキドキでしたけど、本当に嬉しかったです。」
赤見:私も感動しました!
高知はナイターになってから、かなり盛り返していますが、実際に騎乗されてていかがですか?
中西「正直、ナイターは嫌ですよ。高知の場合、年中だから冬は寒いし見えづらいしね。 でも、生き残るためにはそれしかなかったんで、みんなで頑張ってる感じです。
僕は中津でデビューして、廃止前に高知に移籍したんですけど、中津が廃止になった時にはとても残念でした。なんだか、自分の帰る場所がなくなったと感じました。
生まれは九州だけど、高知も大好きなんですよ。競馬はもちろんだけど、生活していく上でもこの土地が好きなんです。だから、なんとか踏ん張っていきたいですね。」
赤見:高知のジョッキーたちはとても仲がいいですもんね。
中西「仲いいというか、まぁ和気藹々ですよね。特に誰と仲いいっていうのはないですけど。僕は基本一人でいるタイプなんで。 西川とは同期だし、調整ルームも2人部屋なんで、ずっと一緒にいる感覚はありますね」
赤見:いつも笑顔が印象的な中西騎手ですが、騎手を辞めたいと思ったことはありますか。
中西「しょっちゅうですよ(笑)。しょっちゅう思ってます。でも、本気で考えたことは一度もないです。落馬しても大きな怪我はそれほどないし、まぁ貧乏は辛いですけど(笑)。やっぱりこの仕事好きなんですよね。 2000勝以上勝たせてもらって、いい馬にもたくさん乗せてもらいましたから。」
赤見:特に想い出に残っている馬は?
中西「そうですねぇ。デルタフォースですかね。いつもポツンと最後方から豪快に追い込んで来るんですよ。高知のコースですから、すごいことですよね。今はだいたい逃げ・先行で決まっちゃうから、そういう意味でも面白かったです。
最近ではナロウエスケープ。高知優駿は負けてしまったけど、黒潮皐月賞と黒潮菊花賞を勝ってくれました。スピードもあって、すごくいいものを持っていましたね。
赤見:2009年に高知の三冠を達成したグランシングはどうですか?
中西「そうですよ!グランシング!!あの馬もいい馬でした。今競走馬としていないのがとても残念ですけど。
早い時期から三冠を目指していたんで、あの馬のお陰で緊張感のある時間を過ごすことが出来ました。三冠を達成するには、時間がかかりますからね。」
赤見:高知競馬場は、他の競馬場と違って南関東の若手を受け入れていますが、その辺りはいかがでしょう?
中西「すごくいいことだと思います。調教とレースは全く違いますから、チャンスの少ない騎手にとって、いい修行の場なんじゃないかな。ただ、高知は稼げないから、来るジョッキーたちはお金じゃなくて、本当に馬に乗るのが好きな子たちですね。実際高知は騎手が少ないので、助かっている面もあります。
毎年開催される、新人王もそうですけど、若手の子たちを見ていると、いい刺激になりますよ。」
赤見:中西騎手の今後の目標は?
中西「3000勝と言いたいところだけど、目の前のことをしっかりとやっていきたいですね。それが結局大きな記録に繋がると思ってますし。今は、年間100勝を常に頭に置いています。そのためには、怪我しないで乗り続けること。それが1番の目標です」
赤見:ちなみに、アーサースマイルの秘訣はなんでしょう?
中西「アーサーって(笑)。本当にそれよく言われます。『誰かに似てますね』って言われるから、『黒田アーサーさんでしょ』って自分で言いますもん。まぁ似てるかどうかは置いといて、常に笑顔でいようというか、明るくいようとは心がけてます。 たまに落ち込むこともありますけど、なるべく切り替えていこうと。」
赤見:一番の気分転換は?
中西「手軽なのは酒飲むことでしょ(笑)。僕はそんなに強くないんで、酔っぱらう前に帰るようにしてますけど。西川はけっこうめんどくさいタイプですよ(笑)。 あと、バイクが大好きなんで、年2回はサーキットまで行って乗ってます。なかなか行けないけど、本当好きなんで。」
赤見:それでは、ファンのみなさんに、高知競馬のPRをお願いします。
中西「高知は、新人王や黒船賞、福永洋一記念と面白いレースがたくさんあります。 みんな頑張ってるんで、注目してもらえたら嬉しいです!!」
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※インタビュー / 赤見千尋