今年の天皇賞・秋は天覧競馬ということもあり、さまざまな催しが行われました。
その中の1つが、相馬野馬追とチャグチャグ馬コ。
天皇賞の本馬場入場後に馬場を行進し、大きな注目を集めました!
そしてその先導役を務めたのが...地方競馬教養センター騎手課程の、鈴木麻優候補生。
レース直前の高揚感が高まる中、たくさんのファンを前に笑顔で手を振る姿は、本当に堂々としていてかっこよかったです!
見事に大役を務め終えた麻優ちゃんに、お話をお聞きしました。
赤見:大役お疲れ様でした!すごくいい笑顔でしたよ。
麻優「ホントですか?実際はもうガチガチでした。ものすごくたくさんのファンの方がいたし、歓声が上がると馬が緊張して固くなるので、ついつい真顔になってしまいました(笑)。
3分くらい前までは全然緊張してなくて、チャグチャグ馬コと遊んだり写真撮ったりしてたんですよ。
でも衣装着て馬に跨ったら一気に緊張して。
天皇皇后両陛下もいらっしゃって本当に緊張しましたけど、被災地のことを忘れないで欲しいというアピールが出来たんじゃないかって思います」
赤見:初めてこのお話を聞いた時は、どんな気持ちでした?
麻優「最初は何の事だかよくわからなかったんです。先生からじっくり教えてもらって、重要な役目なんだな、被災地の想いを背負って頑張んなきゃなと思いました」
赤見:麻優ちゃんは宮城県気仙沼出身ということで、震災の時は本当に大変な想いをしたそうですね。
麻優「ちょうど次の日が中学の卒業式で、早めに学校から帰って来ていたんです。家の前がすぐ海で、家は全壊してしまいました。
津波が来た時は、ひいお祖母ちゃんが家の中にいるのに気づいて助けに行って、みんなで山に逃げたんです。家は全壊してしまったけど、家族はみんな無事でした。
地方競馬教養センターの受験に落ちていたし、もうジョッキーになりたいとかあまり考えられなくて、夢がなくなりかけていました。
でもお母さんが乗馬クラブに連れてってくれたりして、もう1度夢を取り戻すことが出来たんです」
赤見:そして2回目の受験で見事合格したんですね!
麻優「はい!実は私、運動が苦手だったんです。かけっことかもビリだったり...。
体力がなくて1回目は落ちてしまったんですけど、そこからトレーニングを積みました」
赤見:センターでの生活は辛くないですか?
麻優「訓練がとにかく辛いです。馬をコントロールするのは本当に難しいですね。
それに3週間前に坐骨を骨折してしまって、しばらく馬に乗れなくて天皇賞の前日に久しぶりに跨ったんです。
やっぱり、馬の上はすごく気持ちいいです!
今週もう一度検査したら、第二回技能審査が待っているので頑張ります!」
赤見:それに合格したらいよいよ競走訓練ですね。
麻優「同期はもうみんな競走訓練に入っているので、私も早くやりたいです。
同期の中では女子1人ですけど、みんな仲良くて、訓練や授業以外では笑ってばかりいるんです」
赤見:同期のみんなと共に1年半後のデビューを目指すわけですが、具体的にはどんなジョッキーになりたいですか?
麻優「私は父が競馬好きで、一緒に競馬を見ている時にドリームジャーニーと池添騎手のレースに感動したんです。
その時は大阪杯だったんですけど、その後に有馬記念を勝って池添騎手が泣いていて...。
本当にものすごく感動しました。
私も人を感動させることが出来るジョッキーになりたいって思ったんです。
だから、見ている人を元気に出来るような人になりたいですね。
東北にいっぱい人を呼べるように、池添騎手みたいな熱い気持ちを持ったジョッキーになりたいんです」
赤見:では、競馬ファンのみなさんにメッセージお願いします。
麻優「もしよかったら、私がプロになったら水沢競馬場に見に来てください!一生懸命頑張ります!!」
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※インタビュー / 赤見千尋
兵庫の若手筆頭、大山真吾騎手。実は動物が苦手、でも馬は好き、なんだそうです(笑)。これまでの競馬人生を振り返ってもらいました。
秋田:デビューしてから10年目に突入です。これまでの騎手生活はいかがでしたか?
大山:もう10年ですか?!あっという間ですね。僕はすごく恵まれていると思います。最初からいろんな馬に乗せてもらえましたし、 いろんな経験もさせてもらえましたから。デビューした時に厩舎の先生が、いろいろなところに頼んでくれたことが大きかったですね。
秋田:周りからの期待や評価は気にしましたか?
大山:あんまり気にしていませんでした。毎日の調教やレースで必死でしたね。
秋田:2003年にデビューした時、当時のリーディングを見ると豪華な面々ですよね。
大山:小牧さんや、赤木さんとは短かったのですが、この騎手達と一緒に乗れたのは財産になったと思います。今になって生きているというのはありますね。
秋田:そんな中、2004年には新人でもう50勝!
大山:うーん。この年は騎乗停止など処分も多かったので、反省することの方が多かったんです。若さゆえというか......。
秋田:この年は、菊水賞で初重賞勝利もあげました。
大山:重賞に騎乗したのが2回目だったと思うんですが、ヤッターとうより勝っちゃったという感じでした。正直、僕自身が重賞の重みを分かっていなかったので。そういう意味では、今年勝った六甲盃の方が嬉しかったです。
秋田:2007年から2009年まで、3年連続で100勝以上、騎乗回数も1000鞍を超えています。この頃は、自信もついてきたのではないですか?
大山:そうでもないです。
秋田:でも、このメンバーの中で騎乗数を確保することも相当大変だと思うのですが。
大山:誰かが乗れなかった馬に乗せてもらったりだとか、良い感じに馬がまわってくれていたので、確保という意識はありませんでした。
秋田:この時は、リーディング5位まできました。その上の壁ってあるんですか?
大山:はい。リーディング3位以上の、その壁はものすごく高いです。技術的なことなど、上位の騎手との差を感じることはありますけど......。でも、そこを目指していかないと。
秋田:その壁を超えるにはどうすればいいと思いますか?
大山:うーん、何をすればいいのか......。それを常に考えている状態です。
秋田:2010年、大井競馬に所属して、南関東で期間限定騎乗しましたね。
大山:25歳以下の若手騎手という条件がもうこの年しか当てはまらなかったので、行ける時に行かないと、もうこんな機会ないと思いまして。南関東は頭数も多いし、馬群をさばくのも大変でした。それに、左回りに乗ったことがなかったので、川崎、船橋、浦和で乗れたのは良かったです。上手い人もたくさんいますから、良い経験になりました。
秋田:期間限定騎乗では、81戦1勝、2着5回、3着4回という成績でした。
大山:2着が1日3回という日があったんですよ。写真判定で負けたりして、悔しかったですね。たくさん乗せてもらえましたが、もっと勝ちたかったです。
秋田:去年は大きなケガがあり、長期離脱をせざるをえませんでしたね。
大山:5カ月くらいかかりました。落馬した時にその後立てなかったのでダメだなと思いました。病院でレントゲンを見たら、膝のお皿がクシャってなっていて。最初は2カ月って言われたんですが、リハビリしていくうちに2カ月じゃ無理だろ、って感じていて、そうしたらやっぱり無理でしたね。
秋田:不安や焦りは?
大山:焦っても仕方ないと思っていました。ちゃんと直さないと迷惑かけちゃうし。レースを見ると乗りたくなりますけど、でも見ていました。外から競馬を見るのも良かったというのは感じましたね。
秋田:園田競馬は、今年の9月からナイター競馬が始まりました。
大山:レースは明るかったですし、乗りやすかったですよ。特に初日はお客さんがたくさんいたので嬉しかったです。金曜のナイターってちょうどいいですよね。仕事終わって、お酒飲みながらなんていいじゃないですか。お客さんあっての競馬場ですから、もっと知ってくれるといいですね。
秋田:これまでに、思い出に残っている馬やレースを教えてください。
大山:デビュー2年目で、帝王賞に乗せてもらえたことがすごく思い出になっています(05年、ニューシーストリーで10着)。JpnⅠなんて、ここまで大きいレースに騎乗したことがなかったですし、ましてやお客さんもめっちゃ多かったから。感動というか、こんなところで乗せてもらって幸せ者だなと思いました。やっぱり、お客さんがたくさんいるとテンション上がりますね。僕はそういう状況だと、気持ちも乗っていくタイプなんで(笑)。
秋田:ライバルだと思っている騎手はいますか?
大山:同期の山崎誠士(川崎)には負けたくないなと思っています! 向こうは分かりませんけど(笑)。誠士は南関東でもけっこう勝ってますもんね。デビューの時はお互い新人賞をもらっていたりしましたし。
秋田:仲も良さそうですね(笑)。じゃあ、いつかはSJTなどで対戦できるといいですよね。
大山:はい。いつかそうなるといいですね!
秋田:騎手生活も10年目に入りました。これからの目標を教えてださい。
大山:正直、ちょっと伸び悩んでいるので、ガツンともう一皮むけたいですね。
秋田:では最後に、大山騎手の夢は?
大山:リーディングジョッキーです!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
兵庫の騎手会長を務めていたこともある人望の厚いベテラン、永島太郎騎手。10月12日現在、兵庫リーディング4位。今年は順調に勝ち鞍を伸ばし、自身久々となるリーディングトップ5入りも可能性十分な位置につけています。
秋田:どうして騎手になろうと思ったのですか?
永島:父親が競馬好きで、京都競馬場に連れていってもらったんです。その時に、目の前で走っていく馬と騎手を見てかっこいいなと思ったことがきっかけです。中学校を卒業する前に背が小さかったので、騎手になろうと思いました。
秋田:まずはJRAの受験をしたのですか?
永島:はい。中学3年の時に受けて、2次試験で体重がオーバーしてしまったんです。43キロが規定ですが、実際に体重計に乗ったら43.7キロで......。その時点で試験官には、帰れと言われました。体重を計ることが分かっていたのに、前日バカ食いをしてしまって。騎手として、その日に体重を調整するには一番大切なことなので、それは仕方ないですね。
秋田:でも騎手は諦めずに、地方競馬の受験に気持ちを切り替えたんですね。
永島:JRAの受験では体重で失敗してしまったのが現実。その時は成長期なので、1年間我慢してJRAの試験をまた受けるまでに、自分が成長しないという自信はなかったですし。地方競馬の受験の時は、体重もしっかりクリアしました。
秋田:デビューは1991年4月29日、エルテンリュウに騎乗し、初騎乗初勝利。その時のレースは覚えていますか?
永島:鮮明に覚えています。同期の2人はこの日何鞍か乗っていたのですが、僕はこのレースだけでした。この馬自身も未勝利で人気もなかったので、気楽というか、ただ後ろをずーっとついていったら、いつの間にか先頭に立っていたんですよ。勝っちゃった、という感じでしたね。でも、しっかりガッツポーズはしていました(笑)。
秋田:それから22年。地方通算1630勝、重賞は16勝をあげています(10月12日現在)。これまでに思い出に残っている馬やレースを教えて下さい。
永島:レースに関しては、特にこれというのはありません。馬はノースタイガーというアラブの時代の馬です。今もたくさんいい馬に乗せてもらっていますが、あの馬の背中の感触を超える馬はまだいません。
秋田:1998年の兵庫大賞典を勝っていますね。どんな馬だったのですか?
永島:説明は難しいのですが、本当にいい背中でした。車でいうと高級車ですよね。アクセル吹かせばグッと進むような。4歳の時に10連勝しましたが、気性が激しくてね。一度、重賞でゲートを潜ってしまって競走除外なったことあるんです。ゲートが開いたら一目散に走っていくという、そんな逃げ馬でした。除外になった時は、誰よりも早くゲートを出たんですけどね(笑)。もちろん、兵庫大賞典も逃げ切りでした。
秋田:ノースタイガーを超える馬に出会えるといいですよね。
永島:そうですね! だから、今もいろんな馬に乗せてもらえるのが楽しみなんです。
秋田:これまでに、大きなケガはされましたか?
永島:23歳の時です。お正月開催の最初のレースで、準備運動中に他の馬がバカついて、その馬と自分の馬に挟まれてしまったんです。それで、足の指が5本とも折れてしまいました。年始早々のレースだったし、その馬も勝てるチャンスがあったので乗りたかったんですけど、足が痺れていたので馬から降りたら最後、もう立てなくて......。長靴を脱いだら、骨が折れているものだから、指がぽろぽろーんという感じで...
秋田:そ、それは、想像を絶します......。復帰までどれくらいかかりましたか?
永島:4カ月くらいです。
秋田:たったの4カ月間で!? でも、騎手の4カ月間は大きいですね。
永島:ちょうど、小牧さんと岩田君の次で、リーディング3位。良い感じに成績も上がっていた時でしたから。でも、その2年前に結婚して、ちょうど妻が妊娠して臨月の状態で......。妻には迷惑をかけてしまいましたが、生まれてくる子供のためにもがんばらなくちゃという気持ちでした。
秋田:さて、今年はリーディング4位という位置です。今のところご自身の評価はいかがですか?
永島:僕のように、ある程度の成績をおさめたり、ガタガタ下がっていったり、こんな騎手は珍しいタイプだと思います。また今年はたくさん勝たせて頂いているので、この良い流れに自分の技術がちゃんと繋がっていくように、まだまだがんばりたいです。
秋田:ところで、兵庫の騎手って、なんでこんなに層が厚いと思いますか?
永島:先輩の厳しさだったり、後輩の研究熱心さだったり、そういうことが受け継がれているのだと思います。調整ルームで一緒にレースのビデオを見ている時に先輩からアドバイスを受ける、それに真剣に耳を傾けて、次の日にでも実践しようとする後輩の姿がある。そんな日常が伝統になっているんですね。
秋田:兵庫競馬といえば、9月7日から「そのだ金曜ナイター」が始まりました。初日の感想を聞かせて下さい。
永島:ナイターの実施は、以前から関係者の一つの願いだったので、やっと辿りついたという気持ちでした。やはりお客さんの層も違いましたし、入場してくれた人も多かったですよね。久しぶりにあんなに盛り上がった中でレースができたので、僕たちもモチベージョンがあがりました。
秋田:実際にレースに騎乗してみていかがでしたか?
永島:僕自身は、ナイター競馬に乗ったことがありましたし、基本的に騎手は、ある程度の明るさがあれば乗れます。朝の調教だと、もう少し暗い状態で乗っていますし。
秋田:馬もいつもと違うリズムになるわけですが、影響は?
永島:それは馬によりけりですけど、厩務員さんもプロなので。ご飯を食べて、どれくらいでレースだっていうことは馬も分かっていますし。調教も、レースに合わせて行っていますから。ただ、ナイターの時だと明るい暗いがはっきりしているので、急にテンションが上がってしまって、本来の力が出せないという馬も、時にはいると思います。
秋田:ナイター開催の手ごたえは?
永島:もちろん手ごたえはあります。若い方や、家族連れが多くて、昼間の開催とはちょっと違うスタンドでした。ファンに楽しんで頂けると思ってみんながんばっていますので、もっと認知度が上がればお客さんは来てくれると思います。
秋田:では最後に、今後の目標を教えてください。
永島:騎手という仕事が好きなので、もっともっと上手くなってがんばりたい。人前に出る仕事ですから、有名になりたいですね!!
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※インタビュー / 秋田奈津子
今年1月、ばんえい競馬でデビューした舘澤直央(たてさわなおひさ)騎手。9月24日現在9勝だが、一つ一つの乗り鞍を大事にし、連対率は2割3分で人気よりも高い着順に持ってくることも多い。好青年ぶりが関係者からの信頼を集めている。
斎藤:盛岡市出身で、子どもの頃から馬とふれあっていたそうですね。
舘澤:近くにポニーやアラブがいて、小学校低学年の頃からよく遊びに行ってました。馬の世話をしていたおじいちゃんやおばあちゃんが、世話を手伝うと馬に乗せてくれるんです。地元の資料館は曲がり家だし、周りにも馬つながりの人が多く、馬力大会につれていってくれた人が金田調教師の親戚だったことから、ばんえい競馬のことを知りました。
中学卒業後はすぐに競馬場に行きたかったのですが、親に高校は出ろと言われたので水沢農業高校に行って乗馬部に入りました。
大井の千田洋騎手は同級生です。千田はうまかったですが、自分はたいしたことなくて。馬場も部室も、水沢競馬場にあるんです。
斎藤:サラブレッドの騎手になることは考えなかったのですか。背は高いですが。
舘澤:大きな馬やポニーの方が身近なので。身長は今183センチあります。高校2年の時に、ばんえいの存廃の話が出ました。金田調教師から資格を取っておいたほうがいいと言われたことと、農業や畜産に興味もあったので、卒業後は農業大学校に行って、人工授精の資格を取りました。
それから金田厩舎に入りました。騎手になりたいという気持ちもありましたが、それよりまず厩務員としての仕事を覚えたかった。先生が受けさせてくれたので次の年に受験したら、1回目で通って。自分でいいのかな、と思いましたが、やりながら覚えていこうと。先生は、他の厩舎のレースも見ていてくれるんです。
斎藤:研究熱心だそうで、ある騎手のところに1人でお酒を持って訪れ、サシで飲んだと聞きました。
舘澤:はい、先輩たちは優しく教えてくれるので、感謝しています。騎手全員が憧れです。ハミの当て方、体の使い方、すごいです。はじめはレースのたびに毎回緊張していました。以前より緊張はしなくなりましたが、まだまだです。
斎藤:勝負服の由来を教えてください。
舘澤:地元にいた時に、いつも世話をしていたトモエリージェント(1991年根岸Sなど)の、現役時代の勝負服を参考にしました。オーナーには今でもお世話になっていて、厩舎にはワンダーボーイを入れてくれているんです。
斎藤:ワンダーボーイでは最近上位入着と、結果を出していますね。
舘澤:調教師や周りの人たちのお陰です。僕は乗せてもらっているだけ。荷物に慣れてきたし、最近、担当馬になりました。それから折り合いがつくようになった気がします。今はワンターボーイを含めて担当馬は5頭。馬の世話をする時間が多いですね。
斎藤:初勝利は2月13日1Rのマサムネワールドでした。
舘澤:勝てる馬に乗せてもらったからです。中島調教師は、新人の自分に声をかけてくれたんです。ありがたいです。それと前日、それまで騎乗していた蔵人さん(船山騎手)がビデオを見ながらいろいろと教えてくれました。蔵人さんは、同じく背が高いので普段から声をかけてくれるんです。よく双子とか兄弟って言われます。背が高いと、バランスを取りづらいんです。松田さんや浅田さんも背が高いので、重心を低くできるよう参考にしています。浅田さんは厩舎の先輩なので、いろいろと教えてもらっています。
斎藤:最後に一言、お願いします。
舘澤:騎手になれたのも、調教師や周りの人たちに協力してもらったから。自分1人では受からなかった。応援してくれた人に、感謝の気持ちです。まずは最低限の基本をしっかり固めたいです。ばんえい競馬は人馬一体になって坂を登る迫力がすごいですよね。多くの人にこの競馬を見てほしいです。
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※インタビュー / 斎藤友香
齋藤雄一騎手は今年でデビュー11年目。現在岩手の騎手リーディング2位につけている成長著しい中堅ジョッキーだ。2009年度は53勝でリーディング10位。2010年度は75勝で6位。徐々に勝ち星を増やしてはいるが不動のTOP3(菅原勲元騎手・小林俊彦騎手・村上忍騎手の上位常連)の域にはまだ少し......。そんなポジションに落ち着きかけていた齋藤騎手が、昨季は106勝で一気にリーディング2位に浮上し、俄然周囲の注目を集める存在になった。その"伸び"の要因はどこにあるのか? それがやはり最も齋藤騎手から聞いてみたいことだろう。そしてもうひとつ。彼は元々、2001年度限りで廃止となった新潟県競馬でデビューする予定の候補生だった。そんな"秘話"の部分にも触れてみたい。
横川:競馬学校に入る前、中学校ではバレーボールの選手だったんだよね。
齋藤:小学校からずっとバレーボールをやっていて、結構名門のクラブにも入っていました。中学の時には県の選抜選手にも選ばれたんですよ。
横川:そのままバレーを続ける、という道もあったと思うんですが、なぜ騎手になろうと?
齋藤:実家(新潟県新発田市)の近くに小さな牧場があったんですよ。馬は2、3頭くらいで、新潟県競馬に持ち馬を何頭か出しているくらいの本当に小さなところでしたが、そこで遊んでいるうちに馬という生き物に惹かれるようになって。それが中1くらいの頃かな。
横川:そこから"よし、騎手になるか"ということに?
齋藤:競馬っていうのはあまり知らなかった。ゲーム......ダビスタをちょっとやったことがあるけれどそれと実際の競馬や騎手を結びつけて考えたことはなかったです。ただ、身体はそれほど大きくなかったから、騎手はそれでもできる職業だということは知っていたし、それにうちの親がね、"自分できちんとお金を稼げるようにならないと半人前"みたいなことを常々言っていたんです。じゃあ騎手がいいな、と。でもいざ競馬学校に行きたいって言うと猛反対されましたけどね。
横川:ご両親としてはもっと違う職業を考えていたのかな。
齋藤:いや、やっぱりもうちょっとバレーを続けて欲しかったんでしょう。クラブの周りの子達もそうでしたからね。でもあの頃の自分は"高校に行ってもな~。別に学歴とか関係ないしな~"とか考えていて。今になってみると高校には行っておくべきだったなと思ったりしますけど、小さい頃はね、そんなところまで考えが回らなかった。
横川:そして新潟県競馬でデビューする予定だった......。
齋藤:横山稔先生の厩舎ですね。きちんとした形で厩舎にいたのは実習の半年くらいだったけど、中学校の頃からちょくちょく出入りしていました。
横川:それが、新潟県競馬が廃止されるという話になっていった。
齋藤:新潟でデビューできないということになって、もう辞めようと思ったんですよ。地元で騎手になれないのなら続けてもしょうがない、つまらないよって。そんなことをポロッと話したら稔先生に怒られた。"今は我慢しろ。競馬学校はきちんと卒業するんだ"って。稔先生がそう言ってくれなければ騎手になっていなかったかもしれない。
横川:そこから岩手に来たのは?
齋藤:横山稔先生が岩手の福田秀夫先生と同期ということで紹介してくれたんですが、その時には福田厩舎にも候補生(高橋一成元騎手・2002年秋にデビュー)がいたので、じゃあ小西先生のところで......となったんです。
横川:今にして思えば、そこで辞めずに騎手を続けていて良かった?
齋藤:んー。最初の頃はですね、新潟から一人で来て知らない土地で生活しなければならなかったし、新潟県競馬と岩手競馬の雰囲気の違いのようなものになじめない時期もあったし。毎年毎年辞めようかどうしようかと悩んでいましたね。思うような成績を挙げられない。レースに乗せてもらえない。新人の頃はそういうことで余計に悩むじゃないですか。
横川:デビュー間もない頃に怪我をしたりしてね(2003年、足の怪我により3ヶ月騎乗できず。その年は結局、デビューした前年よりも成績を落として終わった)。あの時は「このまま浮上できずに終わるかもしれない」と心配したよ。
齋藤:いや、自分はそんなに難しく考えてなかったですよ。若かったし、自分一人だったし、なるようになるだろうと思ってた。
横川:まあ、怪我したおかげでいい奥さんを見つけたから結果オーライか。やっぱり結婚が転機じゃない?
齋藤:周りにもそう言われる。小西先生にも結婚して変わったなって言われました。自分で振り返ってみてもやっぱり結婚したことが大きかったかな。その頃はまだあまり勝てない、稼ぎも少ない頃だったから、"こんな自分で家族を養っていけるのか?"といつも考えていた。今年ダメだったら騎手を辞めよう......。いい成績を挙げなきゃ。ヘマをしていられない。毎年その繰り返しでしたからホント競馬に集中していましたね。
横川:辞める話が頻繁に出てきてヒヤヒヤするね。でも、やっぱり家族が支えなんじゃないの? 結婚して子供ができて、それでガラッと変わったと思うよ。
齋藤:周りに"齋藤は結婚してがんばるようになった"と思われるようになって、ちょうどいい結果も出ているから、余計にそう見えるんじゃないかなあ。でもですね、子供に言われたんですよ。「レースのお父さん、カッコイイね」って。自分があまり勝ててない頃にそう言われてちょっとハッとした。自分たちは普通のお父さんじゃないじゃないですか。土日も一緒にいられないし。そんな自分が子供に何かを伝えるとしたら、レースでがんばっている姿を見せるしかない。"背中で魅せる"って言うと格好良すぎだけど、子供達にはカッコイイところを見せたい。だからがんばらなきゃと、それ以来思うようになりましたね。
横川:この3年くらいかな、勝ち星がグンと伸び始めて。そんな大ブレイクの理由はどこに?
齋藤:やっぱり家を建てたからかな~。
横川:また家庭かい!
齋藤:やっぱり言われますもん。「家庭が充実してるからな」って。一昨年は"家建てたからがんばるぞ"。今年は3月に3人目が生まれたから"もっとがんばろう"。家に帰って子供の顔を見てるのが一番のストレス発散になりますからね。家庭が原動力なのは間違いないです。
横川:でも、去年からの大活躍はそれだけが理由とも思えないけど。
齋藤:自分でもあまり実感がないというか......。騎手の数も減ってますからその分でもあるだろうし。固め打ちする馬に何頭も当たったということでもない。ただスランプと言うか"勝てない間隔"が短くなっていったな......とは感じてました。今年は去年以上にコンスタントに勝てていて、楽しくレースができています。なにより心理面で進歩しているという実感がありますね。ゲートに入ると余計なことはサッと忘れてレースに集中できるようになった。技術面はまだ何とも言えないけど心の面は変わったと思う。
横川:最近はね、「雄一に任せておけば」「雄一なら」と厩舎の評価も高い。成績も伴っているし。
齋藤:それはそれでプレッシャーもありますけどね。"ホントに俺でいいの??"って思う部分はまだある。まあでも、結果が良いから周りの見る目が変わっていく......という好サイクルになっているんですよ。自分では昔も今も努力の質が変わっているつもりはないんですが、いい結果が出ているから周りの評価が変わって、それがまたいい結果に繋がっている。いろいろなことが良い方向に向いているんだな、って。
横川:このままなら少なくとも盛岡のエース格は間違いない
齋藤:盛岡で、っていうか、全体のエースでありたいですよ。村上(忍)さんに負けているのは正直言ってもの凄く悔しいです。去年なんかも村上さんに勝ちたい勝ちたいって思って2倍努力してダメで、じゃあ3倍努力すれば勝てるかと思ってやってみたけどやっぱりダメで。今は何が足りないのか分からなくなってるくらいで......。
横川:齋藤騎手は負けず嫌いだからねえ。
齋藤:まあやっぱり負けるのは嫌ですからね。負けないために必死で努力してる......というところはありますね。
横川:さて、この後の目標を聞かせて下さい。
齋藤:厩舎と自分のダブルリーディング、かな。厩舎のリーディングは、自分が来る前は獲ったことがあるそうですが、自分がデビューしてからは一度もないんで、今年はわりといいところにつけていますし、自分もここまで育ててきてもらったからそろそろ貢献できるんじゃないかなと。自分のリーディングの方は、"それが目標!"と思っていてもあまり意識しない方がいいかもしれませんね。
横川:SJT(スーパージョッキーズトライアル)のワイルドカードにも出場しますね。
齋藤:出場する騎手の名前を見るとなんか凄いですね。でも楽しみにしてますよ。ただなあ。自分、こういうイベントっぽいレースは弱いんですよね。どうなるかなあ......。
ジョッキーズチームマッチ第2戦は12番人気のヤマニンエグザルトで勝利
そんなことを言いながら向かった高知でのSJTワイルドカードは総合5位。SJT出場権には手が届かなかったが、今の齋藤騎手らしい戦いぶりは演じてきたのではないだろうか。
今年7月に盛岡競馬場で行われた騎手対抗戦「ジョッキーズチームマッチ」では12頭立て12番人気の馬を勝利に導いてファンをあっと言わせた。8月には重賞・若鮎賞を制して大レースでも存在感をみせる。勝ち星の数だけでなくファンの記憶にも残る騎手へ。それが今の彼を押し上げる"好サイクル"の現れなのだろう。
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※インタビュー・写真 / 横川典視