菅原俊吏騎手は30歳にしてデビュー5年目の若手騎手。なんだか微妙な言い回しになってしまうのは、菅原俊吏騎手がオーストラリアでの騎乗経験を持ちながら日本でデビューを果たした希有な経歴の持ち主だからだ。
彼の地での勝利数は24。岩手での初勝利の際には「久々の実戦だったので感覚が戻りきっていなかった」という"新人"らしからぬコメントを残していた。デビューの年こそ13勝にとどまったが、翌年からは順調に勝ち星を伸ばし、昨季は84勝で4年目にしてリーディング5位。今季もすでに80勝を挙げて上位を争っている。
横川:菅原俊吏騎手はオーストラリアで騎乗経験を持つ、珍しい経歴の騎手です。まずはそこから始めましょう。となると、競馬学校(JRA)に入れなかった話もしなくてはなりません。
菅原俊:競馬学校の試験に2度落ちたんです。どちらも減量が厳しくて。あと1kgか2kgくらいのところだったんですけど、無理に減量しているのが周りにも分かっていたみたいで・・・。
横川:それでも騎手になりたいという事でオーストラリアに渡ったわけですね。
菅原俊:あちらにある日本人学校に入りました。ライダーになるコースとトレーナーを目指すコースとがあるんですが、自分はライダーのコースで半年、それから紹介された調教師のところで半年修行しました。そのあとで、こっちで言う能力検査みたいなレースを20レースくらい乗ったのかな。それでOKが出ればライセンスが下ります。
横川:俊吏騎手のように騎手を目指してオーストラリアに渡る日本人は、どれくらいいたんですか?
菅原俊:そうですね、16~7人くらいはいましたね。僕のように地方やJRAの競馬学校に入れなかった人だけでなく、外国で騎手を目指そうと思い立って来た人もいました。トレーナーのコースに入る人もいたんですが、やっぱりトレーナーはコミュニケーションが難しいので、長続きした人はあまりいなかったように思います。
横川:今でこそ富沢騎手とか笹田騎手とか、海外でデビューして日本で騎乗する様になった騎手も珍しくなくなったけれど、俊吏騎手が行った頃は逆に"海外に行ったら日本に戻れない"と思われていた時期でしょう? それでも海外を目指したのはなぜ?
菅原俊:一度騎手を目指し始めたからには"騎手"というものを経験したかったんです。騎手ってどんなものだろう、レースってどんなものだろう、と。ビザの関係があって向こうでいつまでも騎乗するというわけにもいかない事も分かっていたし、一度あっちで乗ってしまえば日本に戻って騎手になれるとも思っていなかった。ビザが切れるまでやってみて、あとの事はそれから考えようと思っていましたね。結局あちらには、学校も含めて4年半ほどいました。
横川:それから日本で騎手を目指したわけですが、デビュー目前と思ったらいきなり存廃問題(2007年3月)で揺れる事に・・・。
菅原俊:直接試験を受ける制度があると聞いて日本に戻り、準備も兼ねて厩務員に。結局2年かけて2度目の受検で合格して騎手免許をもらったんですが、いきなり"廃止"という話になって。一度は廃止と決まりましたからね。"デビューできないのかな"とか悔しがったりする以前に、もう何も考えられなかったですね。
横川:あの時、もし岩手競馬が廃止になっていたらどうしていた? さらに他所で騎手を目指したとか?
菅原俊:いや、競馬とは関係ない仕事を探していたでしょうね。いろいろあって日本で騎手になるところまで来て、それでダメだったら縁がないんだろうと思って。
横川:しかし、今改めて振り返るとまだ5年目のシーズンなんですね。なんだかそれ以上の存在感があります。
菅原俊:そうですかね(笑)。最初の頃は自厩舎の馬にもなかなか乗せてもらえなかったですが、最近は良い馬にも乗せてもらえるようになったし、どんな風に乗ったら勝てるかも考えて戦えるようになりましたから。その辺がそう見えるのかも。
横川:オーストラリアの経験も活きている?
菅原俊:んー、レースの質は全然違うと思うんですが、例えば展開の読み方・流れの乗り方、勝負所からの動き方とかはいろいろ経験できたんで、それは活きていますね。あっちのレースの方が流れが厳しいというか、動きづらいですね。道中は隊列を崩さない感じで固まっていきますから。
横川:さて、リクエストがあったので質問します。盛岡と水沢の違い、乗り方の違いのようなものを、騎手としてはどんな風に意識していますか?
菅原俊:そうですね。やっぱり盛岡は力がある馬が力通りに勝つ、というイメージですね。コーナーが1つしかないレースが多いしスタート後の直線も長いから、少々不利があっても挽回できる、と思って乗れます。
横川:じゃあ水沢は気を遣う、と?
菅原俊:水沢は力がある馬でも展開で負けたりしますからね。"いい位置を取る"事を意識して狙っていかないと強くても勝てない事がある。盛岡はその点、あまりガリガリ行かなくてもなんとかなりますから。やっぱり水沢の方がいろいろ考える事が多いですね。
横川:今年は盛岡開催が長かったわけですが、レースに乗る方も戸惑ったんじゃ?
菅原俊:最初はやっぱり変な感じでしたね。もちろん初めてって事じゃないのでだんだんカンを取り戻していくんですけど、位置取りとか動くタイミングとか、結構みなしっくり来なかったんじゃないかと。最初の週に荒れたレースが多かったのは、そんな理由もあったかもしれません。
横川:水沢の騎手はずっと移動が続いたでしょう(※調整ルームは盛岡・水沢それぞれにあるので、盛岡開催時は水沢の騎手はバスで移動する)。辛くなかったですか。
菅原俊:自分はそうでもなかったですね。朝の厩舎作業とかを早めに切り上げて、あとはバスでゆっくりできるんで。自分はむしろ盛岡開催の方が楽でした(笑)。馬の方はかなり厳しかったですね。今年の夏も暑かったから、毎回の輸送がこたえてしまっていた馬が多かったように感じました。
横川:さて、このシーズンオフも遠征するそうですね
菅原俊:今年は佐賀に行く事になりました。こちらは3月の特別開催がないので、1月下旬から3月中旬までじっくり滞在します(※佐賀競馬より1月14日から3月20日まで、のべ4開催の期間限定騎乗が発表されました)。佐賀はM&Kで一度乗った事があるだけで、荒尾に滞在していた時に遠征で行くという話もあったけど行けなかったから、乗るのが楽しみです。
横川:この冬、福山で会った時、自分で「遠征好き」って言ってましたよね。
菅原俊:知らない所に行っても結構なじめるタイプなんですよ。ぼちぼちと乗った事がある競馬場が増えてきたから、いずれ全部の競馬場で乗ってみたいですね。
横川:さて、最後に。俊吏騎手から見て気になる騎手はいますか?
菅原俊:やっぱり齋藤雄一騎手かな。最初に見た時から思っていたんですが、馬のはまりが良い騎手だったんで、これは巧くなるなと。最近の活躍も"やっぱりな"という感じですね。世代も近いので負けないようにがんばらないと。
横川:齋藤騎手とのリーディング争いも楽しみにしています。ありがとうございました。
今「最近伸びている騎手は誰?」と問うたなら、水沢ならこの菅原俊吏騎手、盛岡なら齋藤雄一騎手の名を、誰もが挙げるだろう。なので、俊吏騎手の口から齋藤騎手の名が出た時は、やはり彼自身も意識しているのだなと改めて感じたり納得したりした次第。
年齢的に近く、ここ2、3年の年間勝利数もだいたい同じくらい。それだけに今年の齋藤騎手がグンと勝ち星を伸ばした事は、菅原俊吏騎手にとっても大きな刺激になっているだろう。来季の菅原俊吏騎手の活躍が楽しみだ。
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※インタビュー / 横川典視
いまをときめく兵庫のスターホース、オオエライジンがいる橋本忠男厩舎に所属する吉村智洋騎手。
同馬に騎乗した経験のある、数少ないジョッキーです。
吉村:最初はひ弱で頼りない感じのする馬だったんです。それがレース毎に成長していって、前走のレース前にも乗りましたけど、やっぱり凄いですよ!
竹之上:レースでも乗りたい?
吉:そら乗りたいですよ!でも、やっぱり木村さんしかないですわ(笑)。
そう先輩騎手を立てる吉村騎手も、気がつけば今年で10年目の(12月26日で)27歳。デビューしたころのあどけなさもすっかり抜けて、いまや兵庫を支える立派なジョッキーへと成長を遂げています。
通算495勝(12月8日現在)。500勝のメモリアルがもうすぐそこに迫っています。今年の勝ち鞍は61勝で、リーディング第9位。ここ5年は常に10位以内を確保しているように、安定した成績を残しています。
プライベートでは、ふたりの男の子の父親。その息子さんも、年が明ければ6歳と4歳になるんだそうです。
吉:ジョッキーの結婚は早いか遅いか極端ですよね。ぼくは20歳のときに、3つ上の嫁さんと結婚したんです。
竹:息子さんにはジョッキーになって欲しいと思う?
吉:家で仕事の話はほとんどしないんですけど、上の子は「なりたい」って言うことがありますね。でも「危ないから」ってちょっとビビってますけどね(笑)。
家族の話になると、少し照れながらもにこやかに話す吉村騎手。ところがレースに行けば、大胆な騎乗ぶりが持ち味。彼を良く知る園田ファンならお分かりでしょうが、一気に突き抜けるマクリが印象的なジョッキーです。
竹:大胆なレースも魅力あるけど、最近はレースの流れもよく見えて良いレースができてるなぁと思ってんねん。
吉:そうですか、ありがとうございます。実は自分で変えていこうと思って、意識してるんです。ぼくはレースでいつも一気に行ってしまうんですけど、それを徐々にスピードアップできるようにと思ってるんです。
竹:じゃあ、大胆なマクリ戦法は封印するかも知れんってこと?
吉:マクリの合う馬もいるんですけど、あの戦法は馬の力があればこそですからね。それと、じっくり乗った方がいい場合もあるのに、どんな馬でも行ってしまってたところがあるので...。実は、ぼくこう見えて神経質なんですよ。じっくり乗った方がいいと分かっていても、つい不安がよぎって一気にマクってしまうんです。
分かるような気がする。自分の不安を悟られまいと、相手を威嚇するような態度を取ってしまうことって、誰しも経験のあることかも知れません。
竹:前から気になってたんやけど、レース中に後ろを何度も振り返るようにキョロキョロしてるときがあるよね。それもメンタルな部分の問題?
吉:そうなんです。自分が先頭に立って、もう大丈夫と分かってても、また不安がよぎるんです。うしろから誰かが来るんじゃないかって。
レースぶりや言動から受ける印象とは裏腹に、これほどまでにナーバスであったとは、人の本質は訊いてみないとわからないものです。だからこそ面白い♪
吉:周りの人からもよく、お前は力はあるんやから、もっと冷静になれって言われることがあるんです。よーいドンで追い出せば、誰にも負けないぐらい追えるのに、そこに至るまでに馬にムダ脚を使わせてるから負けてしまうんやと...。
竹:良いこと言ってくれる人がいるんやなぁ。他にも変えていこうと思ってるところはあるの?
吉:喋りすぎるところですかね(笑)。お前しゃべんな!とか、喋らんかったらもっと伸びるぞ!とか言われますもん(汗)。口は災いのもとって言うでしょ。アレですね(笑)。これからはそのあたりも気をつけて行きたいと思います。
確かに吉村騎手はよく喋ります。いらんこともよく言います。しかし、それは彼の照れ隠しであり、不安を悟られまいとする防御本能がそうさせているのかも知れません。話をしていくうち、そんな気がしてきました。
竹:レースの話に戻るけど、なぜ自分のスタイルを変えていこうと思ったの?
吉:もっと上を目指したいと思うようになったんです。騎手になった以上、トップを獲りたいと思わなかったらウソですし、一番眺めの良い景色を見てみたいんです。
そのきっかけともなったレースが、重賞レースの『園田チャレンジカップ』(8月31日)でした。9番人気と低評価だった自厩舎のコスモピクシーに騎乗して、鮮やかな差し切りで快勝するのです。
吉:実を言うと、あのときのコスモピクシーは調子が良くはなかったんです。夏負けの尾を引く状態で、はっきり言って自信なんてありませんでした。でも、結果的にはそれが良かったんです。調子があまりよくないからこそ、無理に馬を動かそうとせず、レースの流れに乗って行くことができたんだと思います。
竹:おぼろげにある自分の理想のレース運びと、うまい具合に合致したんやね。
吉:そうなんです、だからこれからはそれを意識してできるようになりたいんです。それでも、また不安になって、外からビュンって行ってしまうかも知れませんけどね(笑)。
吉村騎手の馬を動かす技術は、兵庫のトップジャッキーですら認めるところ。なのに、いまの地位から抜け出せないでいるのは、自身が神経質と言うように、精神面の弱さなのかも知れません。しかし、いまそのコンプレックスを克服しようとしているのです。
吉:トップを獲るには、トップを獲りたいという気持ちがないと絶対に獲れないと思うんです。もう無理やと思った瞬間に、そこから離れていくんやと思うんです。
10年という節目を迎えて、湧き起こってきた勝利への飽くなき欲望。あえて自分の弱い面をさらけ出し、熱く語ってくれた彼に、希望の光を見出すことができます。必ずや兵庫を引っ張っていく存在となることを確信させてくれました。なぜなら、コンプレックスは他人に披露した瞬間、もうコンプレックスではなくなるのですから。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
兵庫のジョッキーは良い意味での調子乗り。中でもその代表格的存在が坂本騎手。
先日、門別競馬で行われた『道営記念』に騎乗依頼を受けて参戦。そのときはホッカイドウ競馬の最終日。ファンと騎手とのふれあいセレモニーでマイクアピールをしたんだそうです。
坂本:呼ばれてなかったんですけど、出て行ったんですよ。主催者のマイクを奪って兵庫の坂本でーす!って。せっかく行ったんですから、何かしないと。
竹之上:あはは、やっぱり調子乗りやな!
坂:でも、兵庫には変な奴がおるなと思われても、それがアピールに繋がるんですよ。あそこで何もしなかったらぼくの名がすたるんです。
竹:そこまで言うとは、さすが代表格や!
来年、デビュー20年を迎える坂本騎手は、昨年初めて100勝(104勝)の大台を突破。前年の37勝から超ド級の躍進です。昨年末の怪我で今年は2ヶ月のブランクがありながらも、11月24日現在78勝。その実力を証明しています。
竹:勝ち鞍が一気に増えたけど、何が変わったの?
坂:何か分からないですけど、周りの人たちのお陰であるのは間違いないです。乗せてもらってなんぼの商売ですから、ただただ乗せてくれる人たちに感謝です。
乗せてもらえるようになるには、その信頼を勝ち得なければなりません。"逃げの坂本"や"マクリの坂本"と言われるように、個性的なレースぶりで結果を残し、次第に信頼度も高まっていくのです。
坂:先輩騎手の意見を聞いて、それを自分に活かそうとしましたね。逃げに関しては松平さん(逃げ先行の名手)に良く聞きました。でも、それを聞いてそのままやってたんじゃいつまでたっても松平さんを超えることはできません。そこに自分なりのアレンジを加えていかないとダメだと思うんです。
竹:逃げている馬がペースを握っているんじゃなく、2番手の馬がペースを握っているんだといつも言うよね。
坂:2番手の馬の動き方次第でペースは変わりますからね。そのかけ引きでレースが変わります。それがうまくいくかいかないかで、結果は大きく違ってきますからね。
逃げやマクリなど、一見派手に映る坂本騎手のレースぶりですが、その中には緻密な計算があることに気付かされます。それが証拠に、将棋は有段者級の腕前だとか。何手も先を読んでの騎乗が、好結果をもたらしているとも言えます。
坂:竹之上さんやったら歩三つで勝てますわ(笑)
竹:なんやて!腕に覚えはないけど、歩三つやったら勝負したるわ!
坂:あっ、その時点で負けですよ。歩三つだけやったら勝負しようって思った時点でもうぼくの勝ちですわ(笑)平手で勝とうというぐらいの気じゃいないと。
なぬっ!もう勝負は始まっていたのか!しかも既に負けていたとは...。心理戦にも長けているというのも、好成績に繋がるひとつの要因でもあるようです。それにしてもナメられ過ぎてる...。
実は坂本騎手は二世ジョッキーで、父も兵庫で活躍するジョッキーでした。30年以上も前、泥んこ馬場の姫路競馬場で落馬、還らぬ人となったのです。
坂:ぼくが4歳になったばっかりのころでした。父が乗っているところを観に来た記憶がありますけどその程度です。
竹:じゃあ、ジョッキーになろうと思ったのは?
坂:叔父さんにあたる戸田山先生(所属厩舎)が誘ってくれたんです。思いっきり食べても太らなかったし、これならいけるかなって。
竹:でもご主人を亡くしているお母さんにとったら、反対したいところだったんじゃないの?
坂:母親は、危ないからって勧めませんでしたけど、その裏では騎手になって欲しいっていう思いもあったと思うんです。口には出しませんでしたけどね。父親が息子にはJRAの騎手になってもらいたいって言うてたらしいですから。
父の密かに抱いていた夢を、その遺伝子を受け継ぐ息子が目指すというのですから、止めることなどできなかったのでしょう。
11月12日、ひとつの夢が叶います。初めてJRAで騎乗するチャンスを得たのです。
坂:JRAの騎手になったわけじゃないですけど、JRAのレースに乗れたことで、父親に良い報告ができたと思います。でも今回は初めてだったので、次はしっかりと結果を残して帰りたいと思います。新しい目標ができました。
常に前向きな考えの坂本騎手。くよくよしたり、嫌な思いを引きずったりはしないそうです。
坂:それでも、失敗すれば反省しますよ。それが次に活かすための糧になるかも知れませんしね。それに、緊張でガチガチになるってこともないですね。緊張して馬が走ってくれるんならなんぼでも緊張しますけど、そんなことはないですもんね。
竹:ところで、最近重賞レースの勝利からずいぶん遠ざかってると思うんやけど?
坂:それはあまりこだわっていません。ひとつひとつのレースで、馬の力を十分に出させるのが騎手の仕事ですから、レースの格で変わるものじゃないです。しっかり乗って勝てて、結果的にそれが重賞であれば嬉しいですけどね。
竹:そう言えば、99年の『アラブクイーンカップ』は涙の初重賞制覇やったよね。
坂:ちゃいますよ!あれはみんな泣いてたって言いますけど、ぼくは泣いてないですよ。レース前は勝ったら号泣するんやろなぁって思ってたんですけど、実際は全然でしたよ。本気では泣いてないんですよ!
泣いてるやん!
とにかく明るく元気な坂本騎手。取材中も喋り出したら止まりません。まだまだ書きたいことはいっぱいあるのですが、ひとまずこれで終えておきます。最後に彼が明言を吐きます。
坂:ぼくはいつも明るいからアホやと思われてるんです。でもそのアホも計算なんです。笑われるんじゃなく、笑わせないと。
芸人か!と突っ込ませるほどのこだわりを見せる坂本騎手。関西人らしくてとてもいい!しかもレースで結果を残しているんですから、文句のつけようもありません。レースでファンを魅了するパフォーマンス、馬を下りてからの振る舞いも全て計算し尽くされたものなのです。
ですが、ただひとつだけ誤算がありました。彼は知らない。ぼくが小学校6年生のころ、将棋クラブの部長だったということを。むはは!いつでも勝負してやるぞ!
やっぱり、歩二つでお願い...。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真:齊藤寿一
昨年41勝を挙げて、『NARグランプリ・新人騎手賞』を受賞した、佐賀の清水裕一騎手。ここまで順調な騎手生活を送っている清水騎手に、デビュー3年目を迎えた今の心境をお聞きしました。
赤見:東京都出身の清水騎手が、佐賀所属になった経緯は何だったんですか?
清水:地方競馬教養センターに入って1年くらいしてから決めたんですけど、最初は関東のどこかの競馬場がいいかなと思っていたんです。でも知り合いもいなかったし、特に募集している厩舎がないということで、佐賀はどうかなと。
それに、たくさん騎乗するチャンスがあるんじゃないかと思って決めました。
赤見:実際の佐賀競馬場は、層が厚くてなかなか若手が育ちにくいという印象がありますが?
清水:そうなんですよ!僕、誤解してました(笑)。
本当にベテラン勢が頑張っていて、その牙城を崩すのは大変で...
特に尊敬しているのは山口勲騎手なんですけど、本当にすごいですよ。レースはもちろんだし、調教も人一倍やってるんですよ。人間としても尊敬している先輩です。技術的には、馬乗りは力じゃないってことを教えてもらいました。
赤見:たくさんのベテラン勢がひしめく中、昨年はNARグランプリ・新人騎手賞を受賞しましたね。
清水:いや~本当に運が良かったんですよ。同期があんまり勝ってなかったし。
デビューした頃は狙ってたんですけど、なかなか勝てなかった時期もありましたから。実際新人賞獲った時は、「やばっ!」て思いました(笑)
赤見:年間41勝を挙げて、リーディング10位という数字はすごいですよ。
清水:ありがとうございます。
僕は初勝利を挙げるまで4か月もかかってて、やっと勝つことが出来たんですけど、その勝利で一気に流れが変わった気がするんです。
デビュー戦は5着だったんですけど、特に緊張することもなく乗れました。ただ、それから本当に勝てなくて...。同期はどんどん勝っていくし、かなり焦りましたよ。
赤見:初勝利までの4か月はどんな想いでした?
清水:もうダメだと思いました(苦笑)。
人気になる馬には1,2回乗せてもらったんですけどそれもダメで、もう本当に勝てる気がしなかったです。
でもせっかく騎手になったんだし、ここで辞めるのはもったいないから、1勝するまでは頑張ろうと思って。
赤見:では、初勝利は格別だったんじゃないですか?
清水:本当にめちゃくちゃ嬉しかったですよ。
人気薄の馬だったんですけど、僕自身期待はしていました。最後グングン伸びたんで、「うわ~差してるよ」って思いながら追ってて。最後は鮫島さんと接戦になったんですけど、けっこう厳しいコース取りで来たんで、「もう~勝たせてくれよ~」って念じながら追ってましたね(笑)。
赤見:鮫島騎手との接戦を制しての初勝利。大きな自信になったんじゃないですか?
清水:本当にあそこから変わりましたね。あの時負けてたら、僕は終わってたと思いますよ。いや本当に。あの頃は厩舎の馬も少なかったし、チャンスのある馬にもまだ巡り会ってなかったんで。
あの1勝で流れが変わって、乗れば勝てるっていう時期に入りました。
赤見:乗れば勝てる?!
清水:まぁそれは言い過ぎですけど、そのくらいの気持ちで乗ってました。
今はまた暗黒期です(苦笑)。 もう一回あの波に乗れるように、試行錯誤中なんですよ。 佐賀はとにかく先行有利なんで、前行けるように意識して乗ってます。
赤見:では、プライベートなこともお聞きしたいんですけど、センターにいた頃は、グラビア大好きって言ってましたよね?
清水:いや(照)、それは多分隔離されて自由がなかったからですよ!今は全く興味ないですもん。
確かに、前はとにかくグラビアグラビアって言ってましたね(笑)。
赤見:最近興味あることはなんですか?
清水:そうですねぇ、特に趣味ってわけじゃないですけど、よくカラオケに行ってます。
ロードオブメジャーとか、盛り上がる系をノリノリで歌うのが好きで、たまにしっとりバラードも歌います。
赤見:どなたと行くんですか?
清水:佐賀の若手ジョッキーたちですね。川島拓くんや、田中直人さんとか。
赤見:みんな仲いいんですね。それでは、佐賀競馬のPRをお願いします!
清水:荒尾の廃止が決まって、動揺もあるけど、佐賀も他人事じゃないんで、僕に出来ることを精一杯頑張りたいです。
もしかしたら、荒尾の関係者も何人か佐賀に来るかもしれないし、新しい流れになると思うので、その中で自分らしさを忘れず進んでいきます。
佐賀は超先行有利で、先行争いが激しいのが見どころのひとつ。ぜひ競馬場へ遊びに来て、生でレースを見て下さい!よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
今年デビュー24年目を迎えた、名古屋の安部幸夫騎手。毎年コンスタントに勝ち星を重ね、昨年は地方通算2500勝を達成。今年もキングスゾーンとのコンビで重賞3勝挙げるなど、長きに渡って活躍を続けています。その素顔は、一体どんなジョッキーなのでしょうか。
赤見:デビューからずっと、お父様の厩舎(安部弘一厩舎)に所属されていますけど、ジョッキーを目指したキッカケもお父様の影響ですか?
安部「そうですね。小さい頃から弥富トレセンに住んでいたし、父が調教師をしている姿を見て憧れたっていうのはありますね。体も小さかったし、小学校高学年の頃には自然に騎手になるって思ってました」
赤見:初めて馬に乗ったのはいつ頃でした?
安部「近くに馬はいましたけど、乗馬を始めたのは中学1年の頃です。中学を卒業してから1年くらい、名古屋で下乗り(騎手見習い)をしていたんで、地方競馬教養センターに行った時には、馬乗りに関しては辛くなかったですね」
赤見:それ以外は辛かった?
安部「辛かったですねぇ...。やっぱり、自由が全くないし、拘束されていることが嫌でした。あの辛い時期を一緒に過ごした同期とは、今でもたまに会うんですけど、何年経っても絆がありますね」
赤見:現役を続けている同期は、佐賀の山口勲騎手・真島正徳騎手、福山の片桐正雪騎手と、活躍している方ばかりですね。
安部「お互い乗りに行ったり来たりして会うと嬉しいですね。みんな頑張っているんで、いい刺激にもなりますから」
赤見:騎手デビューした頃のこと、覚えてますか?
安部「よく覚えてますよ。あの頃は、とにかくガムシャラで、頑張ってやろう!って気持ちが強かったです。
初勝利は中京競馬場で、自厩舎の馬だったんですけど、父が走る馬に乗せてくれたんです。勝った時は本当に嬉しかったですね。父はあんまりしゃべるタイプじゃないんですけど、それでも喜んでたと思いますよ」
赤見:これまでを振り返って、想い出の馬というのは?
安部:たくさんいい馬に乗せてもらって来ましたが、その中でも想い入れが強いのは、ハヤブサモンですね。
デビュー4年目の21歳の時、初めて重賞(名古屋大賞典)を勝たせてもらった馬なんです。もうね、調教では掛かって掛かって大変だし、ゲートの中では立ち上がるし、しかも足元が弱いし...。とにかく苦労したんですよ。もちろん僕一人じゃなくて、スタッフの皆と色々考えながら調教しました。ゲート練習の時には、何人ものスタッフに手伝ってもらったんです。そういう苦労があったからこそ、名古屋大賞典を勝った時は本当に嬉しかったですね。しかも、2連覇してくれたんです。あの馬は、僕に色んなことを教えてくれました。今の僕があるのも、あの馬のお陰だと思ってます」
赤見:安部騎手といえば、JRAでもマーメイドステークスを勝ってますね。
安部「あのレースもすごく想い出に残ってますよ。ソリッドプラチナムに乗せてもらったんですけど、斤量が49キロだったんです。普段の体重は49~50キロなんで、減量をしたことがなかったんですけど、初めて体重を落としました。
2週間くらい前から、食事と運動で落として、レース当日は46キロ。普段減量をしたことがなかった分、体力を保てるか心配でした。ソリッドプラチナムだけじゃなく、他の馬たちも頼まれていたし、どうしても100%の状態で騎乗したかったので、朝ごはんをしっかり食べてちょうどいい体重まで落としたんです」
赤見:慎重な減量のかいもあって、後方から豪快に差し切って1着でした!
安部「乗ってるこっちがびっくりしました(笑)。直線は物凄い脚で伸びてくれて、ゴールした時は『もしかしたら勝ってるかも...』というくらいでした。検量に戻る途中は、『勝ってて下さい!』って祈ってましたよ(笑)。 京都の内回りであれだけの脚を使うんだから、本当に凄い馬です」
赤見:近年はやはり、キングスゾーンとのコンビが目立っていますね。
安部「あの馬には本当に頭が下がりますよ。9歳になった今でも元気いっぱいだし、ほぼ1年中休みなく頑張ってくれますから。
ただ、砂を被ると嫌がったり、先頭に立つと遊んだりして、乗り難しいところはあるんですけどね...、そこはご愛嬌です。ずっとこれだけの馬に乗せ続けてくれている、馬主や調教師、スタッフにも感謝しています」
赤見:現在(10/26)、地方通算2636勝。数々の重賞も勝ってますし、次なる目標はなんでしょうか?
安部「そうですねぇ。今43歳なんですけど、健康で怪我なく、長く乗り続けたいですね。常にレースに乗っていたいです。
10年以上前から、健康のために青汁を飲み始めたんですよ。あと香酢もね。どうしても野菜はたくさん食べられないから、サポートと思って。健康でいるためには、けっこう気を使ってます。
ここ4年くらいは毎年人間ドッグに行ってますし、たまの休みは温泉行ったりマッサージに行ったり。
僕ね、趣味という趣味がないんですよ。今は、長く乗るために体のケアをすることが趣味みたいなものですね」
赤見:名古屋・笠松と、ほとんど休みなく騎乗してますもんね。
安部「毎日楽しいですよ。JRAにも遠征に行きたいので、そのためには2歳馬で認定競走に勝たないと。地方は門別だけ乗ったことがないので、いつか乗りに行きたいですね。色々な競馬場で乗っていたいです」
赤見:では、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
安部「名古屋は売上が良くないので、馬券をたくさん買って下さい!そのために僕らは、少しでも面白くて熱いレースをしていきたいです。
荒尾が廃止になるけど、本当に他人事じゃないですから。名古屋競馬の未来についての話し合いをしているんですけど、出来ることは何でもやっていきたいですね。何もやらないよりやった方がいいし、競馬が盛り上がるように、皆で色々やっていきます!」
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※インタビュー / 赤見千尋