
2025年4月21日に名古屋競馬場でデビューを果たした小笠原羚(おがさはられい)騎手に、デビューからの1カ月を振り返りつつ話を聞きました。
デビューの当日は、緊張と楽しみと半分ずつぐらいの気持ちでした。前日とかの方が緊張していましたね。初日は1レースから5レースまで連続で騎乗していたので、始まってみると思っていた以上に時間がなくて本当に慌ただしかったです。装鞍して、下見所行って、乗って、その繰り返しで、レースのあとビデオもあまり見られなくて。でもいまでは、大分慣れました。
所属の沖田明子調教師)の方針で、4月になっても最初の開催はレースには乗らず、その間に同期がデビューしていました。焦りはなかったですか?
それはもう決まっていたことなので、焦っても仕方ないなと思っていました。同期のレースは見られるときには見ていました。活躍しているのを見て凄いな~と(笑)。私もデビューしたら頑張りたいなという思いはありました。
デビューまでの3週間は、どのように過ごしていましたか?
その間先生には、実習で競馬場に来た時に学んだレースや競馬場の1日の流れをもう1回確認して、攻め馬とか、外からレースを見る中でしっかり馬の癖などを把握するようにと言われていました。レースに乗っていない3週間で、まずここに来ての生活に慣れて、それから競馬に向かうことが出来たので、その意味では良かったと思います。
3日目、デビューから20戦目で初めて勝つことが出来ました。勝ちたいという気持ちとか、勝てそうな予感みたいなものはありましたか?
そんなに簡単に勝てるものではないなと思っていましたし、レースに乗る度にまだまだ足りないな、という思いばかりでした。勝ったレースの時には、予感というのはなかったけれど、沖田先生からはレースの前のパドックで「硬くなりすぎているので、何も考えるな」と言われました。この時には、気持ち的には少し余裕を持って乗れていたのではないかと思います。
初勝利を挙げたレースのパドック。右のスーツ姿が沖田明子調教師
初勝利のレースを振り返ってください。
位置的には良いところに行けました。「前が動き出すよりもっと早く追い出せ」と言われていたので、その前の動き見て、それより早く行こう、追い出そう、ということしか考えてなかったです。3コーナーよりも、ちょっと手前から追い出して、徐々に行けたかなと。
途中で「勝てたかもしれない」と思いました?
直線向いて残り100ぐらいで、もしかしたら届くかもと思ったので、あとはもう必死でした。ゴール板を通過したときにはいけたかも、と思ったのですが、(際どい勝負だったので)馬を止めるまでにやっぱり不安だなっていう気持ちになりました。検量の方に引き上げてきて掲示板で1着ってわかって、嬉しかったですね。
4月23日名古屋第6レース、メビウス(外)に騎乗し初勝利
話は騎手になる前のことにさかのぼるのですが、どんな子ども時代でしたか?
山梨の出身で、自然が多い中で育ちました。小学生の時に、姉について行く形で民間のスポーツクラブで陸上を始めました。長距離走、駅伝ですね。小学生の時はクラブで、中学に入ってからは学校の部活動で続けていました。
陸上をやっている中で、得たものとか感じたことはどんなことでしょう。
練習をみんなと一緒にやる中で、辛いところもあるじゃないですか。そこをみんなで声をかけながら頑張って、それでやってこられたかな、という感覚ですね。走るときはひとりなんですけど、チーム全体で取り組むというか。チーム力が大事だなと感じました。
競馬の仕事に通じるところがありますか?
馬に乗ることとの関連というより、挨拶とか礼儀とか、そういういうことを中学の時からとてもよく教わって来ました。人と普通に喋ることが出来るようになったのも、中学の時代に教えてもらって来たことがあったからだなと思うし、そこは大切にしていることです。「人間性」ですね。
現場での取材やインタビューでも、すごくしっかり話をされるじゃないですか。
いえ、人と話すのはすごく苦手でした。中学の時に「変わりたいな」という気持ちもあって、陸上部の部長をやったり、生徒会の副会長をやったりしましたね。競馬場に来てからも、厩舎関係者の人たちとのコミュニケーションは結構頑張りました。話すの得意じゃないので。
そこは「結構」頑張りましたか(笑)
相手はまだ、自分のことは何も知らないわけじゃないですか。とにかく自分のことを知ってもらうためにも、色々話した方が信頼関係に繋がるかなと思いました。話す中身はどうでもいいことばっかりですけどね(笑)。
初めての口取り。応援に来ていた両親と一緒に。プラカードを持つのは宮下瞳騎手
騎手を目指した理由を取材で聞かれると、「小柄でも活躍できる仕事だから」と答えていますが、「小柄」であることにはコンプレックスを感じていましたか?
いましたね(苦笑)。何かと不利じゃないですか。小さいって。スポーツするにしても、身長が高い方がだいたいいいので、背が高い人はいいなーと思います。騎手の仕事は、陸上競技の先輩から、そういう仕事というかスポーツがあるよって聞いて、何だか面白そうだなと思ったのが、知るきっかけです。調べてみて、小さくても出来るんだ、面白そうだなと思って目指しました。
騎手を目指すと決めるまで、競馬とは何か接点があったのですか?
全くないです(笑)。山梨に競馬はないですし、テレビで見たこともありませんでした。
2年前、地方競馬教養センターに入所する直前に、レディスジョッキーズシリーズが行われた川崎競馬場に見学に行ったそうですね?
家族と一緒に見に行きました。その場で、宮下瞳騎手に会うことが出来て、少し話も出来ました。ふれあいの時間があるとは思っていなくて......確か紹介式の後に父が声をかけて呼び止めてくれて。会って話せたんです。かっこいー!みたいな(笑)。出てるオーラが違うなって。ああいう感じで、大きな舞台に立てるように頑張りたいと思いました。とても貴重な経験でしたね。
2023年3月2日川崎競馬場。真ん中の少女が教養センター入所直前の小笠原羚騎手
乗馬経験がない中で騎手になり、馬を乗るということに関してどんな風に感じていますか?
馬に乗ることは本当に難しいんですけど、それも含めて面白い、と思います。馬をうまくコントロールできたときが、凄く嬉しいです。昨日引っかかった馬に、普通にうまく乗れた、とか。今日はちょっと折り合いうまくついたな、とかですね。
デビューして1カ月経って、いまどんなことを意識していますか?
馬の邪魔をしない乗り方が出来ればと思います。騎乗姿勢は直したい。姿勢が良い方が、見栄え的にもいいと思いますから。あとは折り合い。馬が引っかかるときの対処が一番苦手なんです。
怪我のないように頑張ってください。ありがとうございました。
はい!頑張ります!!
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※インタビュー・写真 / 坂田博昭
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陶文峰調教師は騎手として昨年まで25年間で地方通算913勝の成績を残し、調教師に転身した。最後の重賞騎乗となった北上川大賞典で勝利するなど引退直前まで活躍し、強烈な印象を残した。そして調教師としても初出走翌日に初勝利を挙げ、順調なスタートを切っている。
いつ頃から調教師を目指そうと思いましたか?というあたりからお話を始めることにしましょう。
騎手としては2000年のデビューだったので、20年続けた2020年からちょっと考え始めていました。その前からも考えてはいたんですけど、20年という節目にきて、そろそろいいかなと思って。それから調教師試験に向けた勉強を始めましたね。
ということは、ちょうど40歳になったあたりで考えたということですね。それ以前からも将来は調教師にと考えていたんですか?
いや、騎手の時は毎年毎年怪我なく乗り越えられればいいかなと思っていて、特に目標はなかったんですけど、だんだん年齢を重ねてきて、そろそろ違う事をと色々考え始めた時に、その20年目というのがひとつの節目になたのかなと。
今は無事調教師になったわけですけど、調教師免許を交付されて厩舎開業までの苦労というか、忙しさというか、どんな感じでしたか?
自分は乗る方がメインでしたから、馬房周りの作業、飼料だとか、馬主さんとの契約関係だとか分からない部分が多すぎて。幸いなことに木村暁先輩がいたし、調教師試験に向けて一緒に勉強した同期もいたし、そういう人たちに教えてもらって進めていました。
盛岡で開業して、新しい厩舎でゼロからのスタートでしたしね。
自分は馬に乗る方はできると思うのですけど、それ以外の部分が、どこからそこに持っていくかが分からなくて。大変というわけではないですけどやらないと分からない、覚えられないところがあると思うから、周りの人にいろいろ聞きながらやっています。そうやって教えてくれる先生も一杯いるから、自分は恵まれていると思いますよ。
陶調教師は騎手時代に盛岡所属だったこともあるから、盛岡で調教するのが初めてではないけれど、厩舎開業となったら水沢と勝手が違うところもあったのではと思いますが、その辺は大丈夫でしたか。
そこは大丈夫でした。調教の流れとかもある程度わかっていたから大丈夫だったんですけど、スタッフを見つけるのがちょっと大変でしたね。水沢から一緒に来てくれる人がなかなかいなくて。今回2人が一緒に働いてくれている事をすごく感謝しています。
新規開業にあわせて、厩務員さんも2人、新人さんでスタートしましたね。
一人は以前競馬場でゲート係をやっていて、厩務員になりたいと言っているという話を聞いたものですから、スカウトしました。すぐに厩舎のリーダーみたいな、お姉さん的な感じでやってもらっているんで助かっています。もう一人は自分を凄く応援してくれる方の親戚で、北海道の育成牧場の経験もあって。馬の仕事をしたいというので、自分も調教師になるからその時は......みたいな話をしたことがあったんですが、自分が合格して改めて聞いてみたら"やりたい"と。それで来てもらいました。
その新人の勤務員さん2人の働きぶりはどうですか?
よく頑張ってくれていると思いますよ。SNSもこまめにやってくれて盛り上げてくれていて、凄く助かっているし、ありがたい。競馬以外の所も頑張ってくれているんでね、良いスタッフに恵まれたと思います。
厩舎初勝利を挙げたスピードスターを出迎える陶調教師
そして初出走から2戦目で見事初勝利を挙げました。
オーナーさんからは1月にお話をいただいていて、厩舎を開いて1週間ほどした頃に入厩したんですけど、これはちょっと面白い馬だなと感じました。雪が積もったりして調整しづらい事もあったんですが、馬に能力がありますからね。上手く応えてくれて、全てが噛み合ったような勝利でした。ちょうどオーナーさんが来ていた時で、厩務員さんも、担当者だけでなくもう一人の方もお手伝いという事で来てもらっていたから、全員揃っていたところで勝てたのもタイミングが良かったです。
厩舎初勝利の口取り(2025年3月10日水沢1レース)
前に聞いた時に、馬をちゃんと作って無事に出してあげたいと言っていた陶調教師でしたが、最初のレースは勝てなくてもいい競馬だったし、2戦目で勝って、うまくいってると言ってもいいのかなと。
そうですね、最初勝てなかったのはいい薬になったし、思っていたより早く勝てたのは嬉しかったですね。次に繋がるレースをどういうふうにやろうかというところで、皆がちょっともがいているような段階なんですけど、みんな前向きにやっている。勝てないとがっかりする......というのも少しあると思うんですけど、そこは自分の感じた手応えとかを説明しつつね。本当に今みんなで勉強中という感じでやってます。
最初の1カ月を終えて、まずは順調なスタートだったと言っていいですか。
そうだと思います。勝てたのは嬉しいですけれど毎回毎回勝てるかというと、なかなか難しい事ですからね。"馬を無事に送り出して、無事に帰ってきてくれる"という僕が思っていることは厩務員の二人も分かってもらっているし、厩舎としてもこれからやるべき事、これからどういうふうに改善していくかというところを見つけて、話し合いをしながら進めていきたい。自分も納得の結果。僕が納得するということでもないんでしょうけど、良かったと思います。
いやあ、もっと喜んでいいスタートだったと思いますが(笑)。
最初良すぎて後でガクっときちゃうのも嫌ですしね。ここからどうやって走ってもらうか、どうやったら勝ってもらえるか、ということを試行錯誤しながらやるのはいい勉強だとも思うし。どんどん勝てればそれもいいですけど、どうやればいいのかという正解はいろいろあると思うんですけど、その過程も大事じゃないかと。
では、ちょっと格好良く言ったら"勝った事で満足しないで、そこからまた勉強していけばいい"みたいな?
そうですね。そうやって悩むくらいの程度がちょうどいいかなと思いますね。
自身が騎手として騎乗していたローガンマウンテンと
では、最後にオッズパークで馬券を購入してくださっているファンの皆さんにひと言と、この先の目標などを改めて聞かせていただければ。
人馬とも無事で、というところを目指してるので、まずそこから。そのうえでオーナーさんなり、ファンの方々にも喜んでもらえるようなレースをして、ちゃんと結果を出せるように送り出していきたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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レディスジョッキーズシリーズ(LJS)で2023に続き連続優勝を果たした木之前葵騎手(名古屋)。ハートの勝負服が話題となったデビュー時は初々しかった彼女も、まもなくキャリア13年目を迎え、女性騎手では2番目に年上となりました。いま、競馬にどう向き合っているのでしょうか。
LJS優勝おめでとうございます。今年は2020年レディスヴィクトリーラウンド以来、ばんえいエキシビションが開催されましたね。
ありがとうございます。エキシビションは久しぶりで、女性騎手が増えたなって改めて感じました。ばん馬に乗るのもすごく楽しかったです。以前に会った時は厩務員をしていた今井千尋ちゃんが騎手になって、デビュー後に初めて会えたのでよかったです。ばんえいは男性騎手も増えましたよね。エキシビションで組んだ方も新人騎手(大友一馬騎手)でした。
エキシビションを経て佐賀ラウンドから戦いがスタートしました。佐賀競馬場には"ふるさと応援団"が駆け付けていました。
九州の宮崎県出身なので、九州唯一の地方競馬場で勝ちたいなと思っていました。三股町という所で生まれ育ったんですけど、騎手になりたいと思った小学生の頃、何をどうしたらいいか右も左も分からず、母と「馬を飼っている人なら何か知っているかも」と、近所で馬のいるお家をいきなり訪ねたことがありました。その方が親切に教えてくださって恩人なのですが、残念ながら怪我で入院中で来られませんでした。その代わり、知人に「三股町出身ですごい人がいるんだぞ。応援に行かないか」と声をかけてくださったみたいで、その方々が競馬場まで応援に来てくださいました。
パドックには「三股町の誇り」と書かれた横断幕も掲げられていました。
ありがたいです。三股町は自然豊かで、食べ物がおいしい町です。鳥刺しが美味しくて、スーパーに行けば肉の希少部位も普通に売っていて、こないだ帰省した時は牛のテールを買って、テールスープを作りました。美味しかった~。
佐賀ラウンド第1戦は応援を背に見事、勝利を収めました。揉まれ弱い面があると陣営談話でしたが、最内枠から向正面で外に出して上手く運びました。
先生からも揉まれ弱いと聞いていたので、ゲートを出なかったら、前に行くのはやめようと思っていました。ゲート内でゴソゴソしていて出が良くなかったので控えて、ペースが速くならないうちにいい位置まで上がっていけたらな、という考えがハマりました。ずっと動きっぱなしだとバテるかなと思い、3コーナーではもう一度息を入れてから追い始めました。直線は接戦だったのでドキドキしましたけど、勝てて嬉しかったです。
佐賀ラウンド第1戦を勝利
騎乗馬は成績等によりAとBにグループ分けされていて、各1頭ずつ騎乗するようになっていました。第2戦はBグループの馬ながら3着同着と、高ポイントをゲットしました。
どちらかというとズブい馬で動かすのが大変でしたが、ちゃんと3着までこられてポイントを落とさなかったのはよかったなと思いました。同着は珍しいことなので、なんだかテンションが上がりました。3着同着だった(中島)良美ちゃんと「やった~!」とハイタッチしたけど、ふと我に返って「あれ?これ、勝負的にはどうなんだろう」と思いました。良美ちゃんはポイントのことを考えて、「同着ってダメじゃね?」と言っていた気がします(笑)。
我々マスコミも「2人ともに3着ポイント」か「(3着+4着)÷2のポイント」かでざわつきましたが、前者というルールだったようですね。結果的にポイントが高い方で、佐賀ラウンドを1位で終えて、4日後の園田ラウンドに向かいました。
園田ラウンドは第2戦でいい馬が当たったな、と思いました。過去の成績を見ても、「リーディングの吉村(智洋)さんが乗っていたくらいだから、すごくいい馬なんだろうな」と。ただ、3カ月ぶりだったので「なぜ休んでいたんだろう」と不安がありました。
地元専門紙も本命がズラっと並ぶほど格上の馬でしたが、唯一の不安材料は久々である点でしたね。
そうなんですよ。でも先生に聞いたら、どこかが悪いとかではなかったみたいで、パドックで跨った時にも「めっちゃいい馬」と感じました。背中が良くて、馬が乗っている人のことを信頼して歩いていたので、普段から手をかけられているんだなと感じました。それで、曳いていた厩務員さんに「いい馬ですね。誰が乗っているんですか?」と聞いたら、「僕です」と。で、ゲート裏でまたその厩務員さんとお話していたら、「気づいていないと思いますけど、僕、木之前さんの後輩です」と。地方競馬教養センター時代の1期後輩で、すごく馬乗りが上手な子だったんです。彼が調教をつけているなら大丈夫だろう、と自信を持って乗れました。
園田第2戦勝利後、後輩の厩務員と
単勝1.1倍の人気に応えてLJS2勝目を挙げ、総合優勝を決めました。
LJSはどんな騎乗馬が当たるかという運も大きな要素だと思います。だから、私は運が良かったです。女性騎手が集まってレースをすることはなかなかないので、こうして機会を作っていただけてありがたいです。4月には名古屋からまた1名、女性騎手がデビューして面白いレースができると思うので、またLJSが開催されればいいなと思います。
普段から笑顔が印象的な木之前騎手ですが、それにしても最近は表情がさらに生き生きしていると感じます。
LJSはめっちゃ楽しかったです。優勝できて、「地元でも頑張ろう」とモチベーションになりました。昔は体力がついてきていなかったのか疲れやすかったですけど、最近は余裕があります。ホットヨガを初めて、疲れない体の使い方ができているのかもしれません。デビューして12年。良くも悪くも馬乗りに慣れてきちゃって、ストイックさを忘れかけていた部分もあったんですけど、もっとがむしゃらに馬乗りを極めたいと思っています。
最後に、オッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
このたびはLJSでの応援、ありがとうございました。現地に来てくださった方も、ネット越しで応援してくださった方も、ありがとうございます。SNSでコメントをくださったのも全て読んで、力になりました。これからも頑張るので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
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3月16日、ばんえい競馬の大一番、第57回ばんえい記念が行われ、1番人気のメムロボブサップが優勝。前日に主戦の阿部武臣騎手が怪我のため、ばんえい記念初騎乗となる渡来心路騎手に乗替り。メムロボブサップは、ばんえい競馬史上8頭目の賞金1億円獲得となりました。
おめでとうございます。今の気持ちを聞かせてください。渡来騎手は珍しくガッツポーズでした。
渡来:すごくほっとしているし、うれしいです。ばんえい記念なので(ガッツポーズしました)。すごく嬉しかったですし、本当に武さん(阿部騎手)と坂本調教師と馬主さんと、そして応援してくださるファンに、すごく感謝しています。
坂本:ありがとうございます。(感動で)言葉がでないくらいです。帯広記念以降は、これにレースを絞ってきました。前走のチャンピオンカップ(トップハンデで勝利)は、『ちょっと無理しすぎたな』という気持ちはあったのですが、後遺症も残らず、今日のレースでも前へ進んでくれた。阿部騎手が、馬の筋肉が痛まないようにトレーニングを重ねてやってくれた。すごく感謝しています。
(通算収得賞金)1億円については、気にしてはいなかったです。放送などで言われて厩舎では話題になったのですが『いや、そこを考えるな』と。一歩ずつ進んで前に行く、という気持ちを常に考えていました。
昨年の借りを返したというよりは、敗戦がすごく良い経験になりました。馬が冷静になっていた。レースを馬が心得ているんです。すごい馬です。
最高のレースで、騎手時代にはなかったくらい緊張しました。見る方が疲れます。
直前で、阿部騎手の怪我がありました。
坂本:突然で、ちょっとパニックになりました。渡来騎手も冷静に馬を持ってくるタイプなので、一番いい乗り方ができるかな、と思い、その通り冷静に乗ってきました。
いつもとはちょっとゲートの出が違ったんです。過去のビデオを見たらわかると思いますが、メムロボブサップは、出る瞬間を馬が決めているんです。渡来騎手は、手綱に力が入って下げ気味にしていたのが、阿部騎手と違うところでした。馬も阿部騎手との違いを感じ取ったと思います。
私はハナを引っ張るつもりで見ていたのですが、(いつもとスタートが)「あ、違う」と。渡来騎手もそこで気がついて冷静でした。それは重賞を乗りこなしている騎手の勘。素晴らしいものがあったと思います。
渡来騎手は、騎乗が急遽決まりました。
渡来:本当に俺でいいのかな、と。心臓バクバクで、プレッシャーでどうしようかな、って感じでした。プレッシャーを感じすぎて、一周回ってやるしかないな、という気持ちになりました。自分に声がかかるとは思っていなかったです。(これまで乗ったことのない)ばんえい記念ですし。
(阿部騎手が怪我をしたとき)救急車が来ていたのは聞こえたのですが、乗替りも発表で知り「どうしようかな」って、プレッシャーがすごくて。
坂本:そう言いますが、(渡来騎手は)わりに図太いですよ。
渡来:緊張はしなかったのですが、プレッシャーで。でも、前日の夜は思ったよりぐっすり寝れました。
レースについて教えてください。
渡来:雪が降りましたが、荷物が1トンなので焦ることなく慎重に、しっかり溜めていこうと思っていました。
強い馬で、武さん(阿部騎手)がしっかり仕上げてくれていました。スタート出た瞬間に「完璧な馬だな」というのがわかったので、馬に任せ、呼吸を見ながら乗りました。初めての1トンで、どのように乗ったらいいのか全くわからなかったですが、もうボブサップが走りたいように全部任せました。この馬が一番レースをわかっているから。
完璧な馬、とは具体的には。
渡来:スタートの良さ、1トン引っ張っても道中しっかりハミを取って騎手の言うことを聞いてくれるところ。前に行きたがる闘争心もあるし、障害力もあるし、降りてからの脚、全てがそろっている馬だと思います。
第2障害を一腰で上げたいと思い、障害の下でしっかり息を入れることを意識していました。障害は先に他の馬が越えましたが、馬が完璧だったので焦ることはなかったです。降りた時の勢いがあったので勝てるな、と。ゴール前もまだ余裕がありそうだったので、このまま止まらずに行ってくれるな、と思っていました。1トンですし、追い詰めてもつらいかなって思って(無理に追わなかった)。
初めてのばんえい記念はいかがでしたか。
渡来:急遽決まったので初めてというより、プレッシャーの方が大きくて。観客の多さなどは気にしなかったです。
直前の乗り代わりでしたが、短い間に準備したことはありますか。
渡来:何もしていません。坂本調教師が当日の朝仕上げてくれて、それまでも武さんが仕上げてくれていた馬です。
坂本:渡来騎手は一回も触らず、レースで初めて乗せたんです。これまでほとんど阿部騎手が調教を付けていて、私は健康管理に回っています。私が調教をつけたのは過去4、5回くらいかな。当日の朝は、渡来騎手も『攻め馬をする』と待っていましたが、私がやりました。馬は完璧ですから、あとはレースでの乗り方次第だと。
合図は人間が馬に伝えるのではなく、馬が出すもの。渡来騎手の乗り方もわかっていますし、馬の仕上げも私の中で考えているものがある。いちいち説明するようなレベルの騎手ではないですし、どうやって乗りこなすかを見ていました。
阿部騎手に伝えたい思いはありますか。
坂本:伝えなくてもわかっていると思います。
渡来騎手は、2020年にメムロボブサップに騎乗しています(阿部騎手がホクショウマサルに騎乗したためで、この時が過去唯一阿部騎手以外の騎乗)。
渡来:その時から強いなとは思っていたんですけど、やっぱり強いです。そのときよりは力は断然付いていますし、レースを覚えているというか、馬が自分でしっかりレースをわかっている感じですね。
坂本:それに気づいたということは、すごいジョッキーになってきたってことだ。
渡来:そんなことないですよ(笑)。
坂本:渡来騎手は追う回数は多くないけど、ああ見えて汗をかいているんです。ものすごい緊張感で、こんなに寒い日でもスタート前は寒くないんです。私も経験がありますから。
渡来:そうですね。(レースが終わって)表彰式の時は寒かったです(笑)。
成長を感じるところはありますか。
坂本:私と違って(笑)、成長が著しい。昔はやんちゃなところがあって、厩務員に危ない、と言われるくらいでした。今では、自分が歩くのを待っていてくれる。馬房に行ったら振り向いてくれるんです。私に対して優しい馬だと思っています。
まだ現役は続きますので、このまま健康を保っていきたいです。来年度は、目標を(まだ勝てていない)帯広記念に絞りたいと思います。今日のボブサップに感謝しています。皆さんの応援があったので、ボブも応えてくれたと思います。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
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塚本征吾騎手は、2025年2月4日に川崎競馬場で行われた「佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ」に初出場。第1戦で勝利を挙げ、総合2位という結果を残した。
第1戦の騎乗馬は休み明けでも、とてもいい状態だと感じました。レースでは積極的に行くつもりでしたが、スタート後に宮川実さんが先手を取ったので、3番手の外という位置になりました。その展開にうまく乗って勝つ形になったと思いますが、左回りの違和感はすごかったです。そもそも左回りの競馬場で乗るのが初めてで、左回り自体も、右回りと左回りで訓練する教養センター以来。だから4年ぶりでした。
しかも東日本の競馬場で乗るのも初めて。それで第2位に入ったのだから、相当なインパクトを残したといえる。
第1戦を勝ったあとは、優勝の文字しか頭に浮かんでこなかったです(笑)。第2戦は調教師さんの指示もあって、じっくりと構えていくつもりでした。
でも左回りに慣れていないから重心の移動がうまくできなくて、そのなかで馬に間違った合図として伝わってしまったところがあったようで、早めに動く形になってしまいました。その点を含めて、2位でも全体として納得できる内容ではなかったなと思います。
しかしながら、いつもと全く違う経験は、今後への大きな糧になったことだろう。
振り返ってみると、楽しかったことは間違いないですね。普段の感覚とは違うレベルで競馬をしているというのかな。そういう感覚がありました。トップジョッキーのみなさんはレース運びにスキがないことを実感しましたし、一挙手一投足がとてもきれいだと思いました。それに比べると、自分はまだまだ粗削り。トップジョッキーのみなさんは、どんな馬に乗ってもその馬に合わせた騎乗ができて、その上で馬のよさを引き出せるという印象がありますが、自分は得意不得意がありますから。
今の名古屋で自分が受けている評価としては、ゲートをまずまず出せて、最後まで追うことができる、というところではないかと思います。そのイメージはこれから変えていきたいですね。自分自身、引き出しの数が圧倒的に足りていませんし、これから普段の所作はもちろん、判断力や考えかたを成長させて、また出場したいです。
それでも2021年4月のデビューから順調に勝ち星を伸ばし、24年は209勝を挙げる活躍を見せた。
環境に恵まれていますし、自分でも順調に来ていると思います。その一方で、結果と技術が釣り合っていないとも感じます。実際、反省することのほうが多いですからね。だからこそ、川崎での1日は僕にとってものすごい経験。名古屋だけで乗っていたら、井の中の蛙みたいな状態になっていたかもしれないですから。ほかの世界も見てみたいと思えるきっかけになったことは間違いありません。
とはいえ、まだ5年目。今年1月14日には通算500勝を記録が残っている1973(昭和48)年以降、最も短い日数で達成した。
300勝を達成したときに、ケガをしなければ最速での500勝を狙えると思いました。さきほど、ほかの世界も見てみたいと言いましたが、身近な目標は最速での1000勝。そして名古屋でのリーディング。もっと上を目指したいのはもちろんですが、まずは地元でしっかりと、と考えています。
25年も着実に勝利を積み上げて、2月中旬の時点で名古屋トップの勝ち星を記録。重賞では昨年から勝利を挙げられていないが、23年の秋桜賞ではブリーザフレスカで衝撃的な大差勝ちをおさめた。
あのときはインコースに1頭分の幅だけ砂が軽い場所があって、そこをうまく使えたのが大きかったと思います。今の競馬場に移ってからは、開催ごとに馬場状態が変わるので、その見極めがとても重要です。毎日の調教ではインコースも使いますが、レースになると違うんですよ。最初に乗るレースでは、まずインコースをどこまで使えるのかを探る必要があります。
個人的にはコンビーノでのレースも記憶に残る。ヤングジョッキーズシリーズのトライアルラウンド佐賀(22年8月4日)で、筆者に「岐阜金賞を狙います」と話していた。
あのときは5連勝中でしたからね。2年目であんないい馬に乗せていただけて、本当にありがたかったです。でも重賞では2着ばかりで......(計6回)。コンビーノは新しい競馬場に移ったときに主戦騎手にしていただきました。けっこうウルサイ面がありますが、最初に乗ったときの印象がとても良かったことを覚えています。ただ、頑張りすぎるところがあるんですよね。あの岐阜金賞はアタマ差。勝ちたかったという思いは残っています。
ちなみに昨年は名古屋で131勝、笠松で78勝を挙げた。
調教は午前2時頃から8時頃まで。レースがある日も同じスケジュールで、昼間の開催のときは調教のあとに少し寝てからレースに臨みます。笠松開催ではそこに移動が加わりますから、正直なところ、ちょっとキツイなと感じるときもあります。でも昨年は笠松にたくさん行って、1年を無事に走り抜けられましたから、今年も大丈夫かなと思って続けています。
2月20日で21歳。その年齢なら、まだまだ突破できそうだ。
体のケアとしては、今は鍼灸を定期的に受けています。体もどちらかというと柔らかいほうかなと思いますね。僕の家のテレビでは常に地方競馬中継が流れていて、いつも兄たちのレースを見ていました。その影響もあって、小学校高学年から騎手になると決めていたので、それに向けた体づくりをしていました。ちなみにそういう環境だったので、僕は日本には地方競馬ではない競馬があることを知らずに育ったんですよ。初めて気がついたのが中3の夏。だからJRAの競馬学校の試験には間に合いませんでした。それが分かったとき、親に文句を言いましたよ(笑)。仮に僕がJRAに行っていたらどうなっていたか、これは分からない話ですが、受験くらいはしたかったなあ。
そんな思いも含めて、ワールドオールスタージョッキーズは狙いたい舞台です。でもそれは「JRAのレースで乗りたい」という気持ちより「勉強したい」という意識。川崎での2レースだけであんなにいい経験ができたんですからね。佐々木竹見カップに出られたことは、今後につながる大きな財産になったと改めて感じます。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
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