昨年区切りの200勝を挙げた、佐賀の川島拓騎手。2011年にデビューし、今年で7年目。いよいよ中堅の粋に入ってきました。ベテラン勢の層が厚い佐賀の中で、さらなる飛躍を目指します。
2016年は49勝とこれまでで最高の勝利を挙げましたね。
そうですね。強い馬にたくさん乗せていただいたっていうのが大きいですが、いくらかレース中に余裕がでてきたのかなと思います。差し馬に乗った時とかも周りの馬の手ごたえが見えるようになったし、経験を積んだことで、なにより焦らなくなりました。
2011年のデビューから約6年で200勝、ここまでを振り返っていかがですか?
成績に関しては、まぁぼちぼちって感じです。まだ今も全然ですけど、デビュー当時から比べると少しは成長できているのかなとは思いますね。今もたまに昔のレースをビデオで見るんですけど、「なんでこう乗らなかったんだろう」とか、「勝負所で焦っているな...」って思います。もっとじっくり乗れれば勝てたレースもありますし。それに、ゲートの出遅れが多かったので...。今はそのあたりがだいぶ改善できたかなって。焦ってしまうと馬にも伝わってしまうので、ゲートの中ではなるべく動かないようにしています。まぁ、まだまだですけど(苦笑)。
でも毎日本当に楽しいですよ。自分で調教した馬と一緒に勝つ喜びは何物にも代えられないです。育てる楽しさというか、期待していた馬がその通りに走ってくれると嬉しいですし、気性の幼かった馬が毎日の調教で変わっていくのもすごく嬉しいです。毎日充実した時間を過ごしています。
辛いことはないですか?
強いて言えば......調教中寒いのが辛いです(苦笑)。今は朝1時前に起きて、1時から20頭くらい調教しているんですけど、明け方、太陽が昇って来る時は本当に寒いです。
1時というのは、調教時間の早い地方競馬の中でもかなり早いですね。
早いですよね。まさかこんなに朝が早い仕事だとは思っていませんでした。競馬の世界に入って、それが一番びっくりしたことですね。
川島騎手は、一般家庭からこの世界に入ったんですよね?
そうです。僕は高校を卒業してから地方競馬教養センターに入ったので、少し遅かったんですけど。もともと動物好きで、そういう仕事に就きたいなって思っていたんですけど、親が佐賀競馬のファンで、連れて行ってもらって目の前でレースを見たら、もう一目惚れだったというか。ものすごく感動して、騎手になりたい!って思ったんです。
親御さんは驚いたんじゃないですか?
最初はびっくりしていましたね。競馬ファンでしたけど、親もそうだし僕自身もまったくどういう世界かはわかってなかったので、悩んで、話し合いをしました。親からは、「自分で決めた道なら、最後まで突き進んで行け」って言ってもらって。その言葉に背中を押してもらいました。
地方競馬教養センターでの生活はいかがでした?
馬に触るのもほぼ初めてっていう感じでしたし、右も左もわからない状態だったので、とにかく覚えることがいっぱいで。乗馬の経験がある同期に追いつくのが大変でした。なかなか上手くならなくて、壁にぶつかったり、辛いこともあったけど、辞めたいと思ったことはなかったです。同期もいたし、教官たちも励ましてくれましたし、馬に乗ることが楽しかったので。
佐賀若駒賞(1月3日)ではアイディアルレディに騎乗(3着)
デビューした時のことは覚えていますか?
いっぱいいっぱいだったことを覚えています(笑)。デビュー戦は本当に緊張しましたね。初勝利の時にはファンの方から「おめでとう」って声をかけていただいて、すごく嬉しくて印象に残っています。
佐賀は上位騎手、特にベテラン勢の壁が厚いですけれども。
本当に厚いです...(苦笑)。やっぱり、山口(勲)さんは全然違いますよ。よくビデオを見て真似したいって思うんですけど、全然......。どこがっていうか、全体的にすごいです。ハミ受けとかもそうだし、レース運びも上手いし、ここぞの時、追い比べの時とか本当に勝負強いです。今は全然届かないですけど、いつかは追いつけるようにがんばります!
では、今年の目標をお願いします。
去年は49勝で、あと一歩50に届かなかったので、今年こそは50勝したいです。今はまだ足りないことが多いですけど、一生懸命努力を重ねて、いつかリーディングを獲りたいです! ファンの皆さんにも信頼していただけるようがんばります。応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:佐賀県競馬組合)
2013年に29歳という異例の年齢で騎手デビューを果たした山下雅之騎手。4年目の昨年は通算100勝も達成しました。騎手になるまでにはどんな経緯があったのか、今に至るまでを聞きました。
騎手を目指すきっかけから教えてください。
お父さんが競馬ファンだったので家のテレビでよく見ていたんです。最初は興味がなかったんですが、競馬場に行ったりするうちに格好いいなと思うようになって。それで中学生の時に乗馬を習いだしました。この乗馬クラブでは吉井友彦騎手と一緒だったんですよ。
当時、騎手試験は受験したんですか?
しましたよ。最初にJRAを受験して不合格、地方も受けたのですが落ちてしまいました。ですので、厩務員として牧場に行ったり園田競馬で働いていました。20歳くらいの時にもう一度、騎手試験を受けたんです。今度は一発試験で。でもダメで、もうあかんと思いました。
それからの仕事はどうしたのですか?
地元の京都に帰って普通の仕事をしました。馬とは全く関係ない仕事です。建築関係だったり、営業だったり一般の会社員。でも、こちらの仕事も上手くいかなくて、笠松で騎手をやっている吉井騎手に連絡したんです。どこか厩舎を紹介してくれないかと。そして、後藤保厩舎で働かせてもらうことになりました。
そして再び、騎手へ挑戦することになったんですね。
はい。騎手が足りないということもあって、一発試験で受けてみようと。1回目は2次試験までいきましたが不合格でした。その時はゲートが全然できていなかったので、それから調教の時に練習させてもらい、2回目の受験で合格することができました。
ということは、騎手を養成する学校に入ってないんですよね? 騎乗技術はどのように学んだのですか?
調教で勉強する感じですね。学校と違って教官に教えてもらうわけではなく、こちらの先輩たちから学びました。もちろん模擬レースもしたことないですし、能力試験は騎手でないとできませんから、実際のレースがまさにぶっつけ本番でした。
騎手試験に合格してすぐにデビュー。初騎乗のレースは覚えていますか?
めちゃくちゃ怖かったです! なんせ初めてなので距離感も分からない。調教の時は並走するくらいですからね。馬群の中にいて、前の馬がすごく怖いんですよ。横を見てもすぐ近くに馬がいるし、「近い!近い!近い!」って思いながら必死でした。直線も追えていたかも覚えていないです。恥ずかしくてその映像は見られません(笑)。
でも、その日のデビュー2戦目で見事初勝利を決めましたね。
奇跡としか言いようがないです。自分は何もせずにそのままゴールでした。馬が運んでくれましたね。
これまでに思い出に残っている馬やレースはありますか?
やはり、初勝利の時のテイエムカルチェですね。デビューの日、親も来ていてこのレースを見て泣いていました。親孝行ができて馬には感謝しています。この馬で5勝させてもらいましたし、ずっと乗っていたいなと思わせてくれました。
騎手になってから3年が経ちます。昨年は通算100勝も達成しました。ここまでのご自身の評価はいかがですか?
勝たせてもらっていると思います。少しずつ成績も上がっていければなと。たくさん乗せてもらっていますし、歳をとっている分、若者よりがんばらないといけないですからね。
でも、違う世界で色んなことを経験してきた強味もあると思うのですが?
そうですね。若い子を見ていると、落ち着いていないなと思うことがあります。僕は年齢の分、周りが見えるのかなというのはありますね。緊張もあまりしませんし。
精神面が落ちついている分、緊張もしないのですか?!
いや、デビュー戦が衝撃的すぎて、それ以上のものはないのかなと(笑)。あの時の恐怖はなかなかのものでしたよ。
好きな騎手や目標とする騎手はいますか?
若い時は、岩田康誠騎手が好きでした。園田競馬で厩務員をやっている時期に、担当していた馬に乗ってもらったこともあるんです。
今は騎手目線になっているので、折り合わせるのが上手いのはこの騎手、姿勢がきれいなのはこの騎手、などと部分的に見るようになりましたね。
通算100勝セレモニー。吉井友彦騎手(右)と
ちなみに、吉井友彦騎手はどんな存在ですか?
この人には感謝しかないですね。もちろん、今でも良き相談相手。愚痴も聞いてくれるし、飲みに連れていってくれるし、プライベートの話もできますし(笑)。
今後の目標を教えてください。
笠松でリーディング5位になること。それと、いつか笠松の馬でJRAに行きたいです。遠征も任せてもらえるような騎手になりたいですね。
最後に、ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
どんなに人気のない馬でも一生懸命乗っていますので、温かく見守って頂けると有り難いです。
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※インタビュー / 秋田奈津子 (写真:岐阜県地方競馬組合)
デビュー3年目の妹尾浩一朗騎手。2016年は28勝を挙げ、前年の勝ち星を大きく上回っています(12月27日現在)。急成長を見せるハタチの若武者は、どんな想いで日々を過ごしているのでしょうか。
デビューから3年が過ぎましたが、デビュー時から変わったことはありますか?
一番変わったのは自厩舎(打越勇児厩舎)の馬にたくさん乗せてもらえるようになったことですね。うちはいい馬がたくさんいるんですけど、今まではあんまり乗せてもらえなかったんです。でも2か月くらい前(2016年10月頃)から重い印の付く馬も任せてもらえるようになりました。
何かキッカケがあったんですか?
多分、セイマイスターっていう馬だと思います。ずっとお世話になっている馬主さんの馬なんですけど、JRAの未勝利から転入して来て、なかなか勝てなかったんです。でも僕が初めて乗せてもらった時に初勝利して、そこから3連勝して。その後取り消しがあったり、ゲートですべって負けたりを挟んで、また4連勝して。僕が乗って走るようになったって言ってもらえたんです。
セイマイスターと共に成長したんですね。
そうですね。最初はものすごくおとなしかったんですけど、2勝したあたりから馬が激変して、すっごいハミを取るようになったんです。馬って変わるんだな、良くなるんだなって教えてくれました。最近はずっと兄弟子(宮川実騎手)が乗っているんですけど(苦笑)。
でも、その結果打越先生に認められたんですね!
どうなんですかね。特に先生からは何も言われてないですけど。でも強い馬に乗せてもらえることは本当に嬉しいです。プレッシャーはありますけど、その中でいろいろな経験ができるので。でもけっこう人気馬を飛ばしちゃっているんですよ...。先月も単勝1.2倍くらいのグリグリの馬を飛ばしてしまって...。今まで先輩たちを見ていて、「強い馬に乗っていると勝てる」っていうふうに思っていたんですけど、いざ自分が強い馬に乗せてもらっても同じようにいかなくて...。勝つのは簡単ではないなと実感しました。しっかり結果が出せるようにもっともっと努力します。
目標としている騎手はどなたですか?
赤岡修次さんや、兄弟子の宮川実さんです。実さんとは同じ馬に乗る機会も多いんですけど、僕が乗るとすごく掛かる馬でも、全然掛からず乗って来るのでビックリします。2歳馬の乗り方とかも教えてもらっているので、少しでも早く近づきたいです。
打越先生は厳しいですか?
以前は調教のたびに怒られてましたけど、最近やっと怒られなくなりましたね。午後も作業に出ているんですけど、そういう時も特に何も言われなくなりました。
早朝からの調教があって、午後の作業も出るとなると大変ですね。
高知の場合は、リーディングの永森大智さんもやってますからね。僕みたいなペーペーは当然ですよ。それが嫌だとも思わないですし。朝は2時半から10時くらいまで調教して、午後は1時から馬房作業をしています。休みは月に1回ですけどたいがい寝て過ごしますね。でも今すごく楽しいです! やっぱり、勝負になる馬に乗せてもらえるっていうのは、こんなに楽しいのかって思います。乗せてもらえることがモチベーションになっているので、休みがほとんどなくても全然大丈夫です。
かなり充実しているようですね。妹尾騎手は同期の中でも一番最初に勝ち星を挙げ、ここまで順調に見えますが、ご自身ではいかがですか?
初騎乗初勝利をさせてもらって、本当に嬉しかったです。でも前は一発逆転ファイナルレースとか、ちょっとメンバーが手薄なところで勝つことはあっても、強いメンバーの中では全然勝てなかったんですよ。今は上に行ける馬に乗せてもらって、一緒に成長していけるので、そういうのが本当に楽しいです。
同期の存在は意識しますか?
しますね。金沢の中島(龍也)くんとかはたくさん勝っているのでいい刺激になります。こないだ教養センターで新人騎手研修があったんですよ。久しぶりに同期が集まってわいわい話して、本当に楽しかったです。新人騎手研修って特に作業したりもしないし、ただただ楽しかったです。話の内容ですか? 競馬の話はあんまりしなかったですね。女の子の話とか(笑)。学生のノリでわいわいやって来ました。
デビューした頃は妹さんに仕送りもしていたそうですが、自分自身で何か高価なものを買いましたか?
う~ん...。3万円の時計くらいですかね。車?車は中古で安いのを買ったので。もっと活躍してから、2台目でいい車を買いたいと思っています。
では、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
まだまだ経験不足ですが、皆さんに信頼してもらえるよう一生懸命がんばります! 高知競馬、妹尾浩一朗をよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)