今年も11月16日に開幕した、全国の女性騎手の戦い『レディースジョッキーズシリーズ』。毎年熱い戦いを見せてくれているレディースたちの中でも、一際明るくムードメーカー的存在の、岩手・皆川麻由美騎手にお話を伺いました。
赤見:まず始めに、騎手を志したきったけを教えて下さい。
皆川:話せば長いんですけど、いいですか?
赤見:もちろんです!たっぷりお願いします。
皆川:中学の時、たまたま本屋さんで「風のシルフィード」という漫画を見つけて。それを読んで、騎手って女性でもなれるんだって知って、自分も騎手になりたい!と思ったんです。まずは馬に乗りたいと思ったんですけど、その時はそういう環境じゃなかったので、夢見るだけでした。
もともと転勤族で色んな所にいたんですけど、中学校の時に岩手に引っ越して、それから乗馬を始めることが出来ました。それまで飽きっぽかったのに、もうかなりのめりこみましたね。高校も水沢農業に入って、乗馬を続けました。
その頃には、騎手っていうよりも、馬関係の仕事に就けたらいいなと思っていたんです。高校を卒業してからは、遠野の馬の里に就職して、牧場厩務員をしてました。 その牧場の場長や前場長の方が、「騎手になってみないか?」って言ってくれたんです。
赤見:それじゃ、スカウトですね?
皆川:ある意味そうですね。最初は戸惑ったんですけど、昔なりたいと思っていたので、挑戦するだけでもしてみようと思って。
それを話したら、「挑戦するだけじゃ駄目だ!やるなら絶対受かるっていう気持ちでやれ!」って言われて、受験までビシビシ鍛えられました。
ただ...とにかく減量がキツかったですね。その時50キロ以上あったので、それを43キロ以内にしないと騎手学校を受けられないじゃないですか。7キロ以上落としたんで、本当に大変でした。
学校に合格出来たのは、周りの人たちの支えがあったからですね。
赤見:実際に入所してからはどうでした?
皆川:入ってからは体重も安定したし、同期では女子1人でしたけど、1期上に岩永千明騎手がいたので心強かったし、特に大変だとは思いませんでした。
赤見:そして、いよいよデビューという時は?
皆川:もうドキドキしましたよ。デビュー戦はやばかったですもん。
記憶ないくらいで...いや記憶はあるんですけど(笑)。スタート良くて前めに付けていたのに、3コーナーから下がる一方で...あっという間に終わっちゃった感じです。
赤見:思い出のレースは?
皆川:06年のシルバーステッキ賞で、グルグル本命だった【ケイアイオラクル】に乗せてもらったことです。あの時はかなりプレッシャーがありましたけど、その中で勝てたことはすごく大きいですね。
それから、新馬戦からずっとコンビを組んだ【アンマル】。2歳を最初からずっと乗せてもらうなんてなかなかないので。認定レース勝った時には、泣きましたね。
赤見:では、一番辛かったことは?
皆川:やっぱり今年4月の怪我ですね。最初、骨折していることもわからなくて、頚椎損傷だけだと思ってたんです。それが、後から圧迫骨折がわかって、病院も変えて、入院も長くて、体重も増えていくし...。
このまま辞めようかなって考えもしたし、とりあえず復帰はしたいと思ったけど、そこで全然駄目だったら辞めようかなっていう考えもありました。
赤見:9月に無事復帰しましたが、どうでしたか?
皆川:やっぱり馬乗りって楽しいなって思いました!
それに、毎年レディースがあるので、これも本当に楽しみですね。今まで3位が3回で...2位はないのか?!1位はないのか?!って感じなんですけど(笑)。
去年8位であんまり振るわなかったけど、今年も虎視眈々と狙いたいです!!
赤見:それでは、ファンの方にメッセージをお願いします。
皆川:岩手競馬は、大変な状況が続いてますけれど、中でやってる人たちはみんな一生懸命で。そこをわかってくれてるファンの人たちが多いので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
若干22歳で金沢リーディングに輝き、以降5年連続ぶっちぎりのトップを走り続けている吉原寛人騎手。
今年ももちろんトップ独走中で、6年連続のリーディングはほぼ確定。 これまでの騎手生活、この先の目標、そしていよいよ迫った『JBC』出場について、お話を伺いました!
赤見:まずは、11月3日船橋で行われる『JBC』について。今年は金沢の代表馬【ジャングルスマイル】と参戦しますね。
吉原:『JBC』には何度か参加させてもらったし、現地に観戦に行ったこともあるので雰囲気は知っていますが、今年は初めて船橋競馬場で開催されるということで、当日はかなり盛り上がるでしょうね。今から楽しみです。
赤見:地方競馬最大の祭典ですからね。
こういうレースに挑めるというのは、ジョッキーとしてとても大きいのでは?
吉原:そうですね。特に今年は強い馬で参加出来るというのが嬉しいです。 前走の『白山大賞典』でも、よく頑張ってくれましたから。
赤見:逃げて早めにスパートするというのは、今までの形になかったように思うんですが?
吉原:今回は内枠でしたから。それがもう痛恨でした。 ただ、枠順も含めて競馬。いろいろな条件の中で、思った通りのいい動きをしてくれました。改めて強さを感じましたね。
赤見:【ジャングルスマイル】は昨年の秋に金沢に移籍しましたが、初めの頃の印象はいかがでした?
吉原:調教では難しい面があると聞いていましたが、僕が初めて跨ったのは返し馬で、少しふわふわするところがあったけど、レースに行ってハミ取り出したらビューッと上がって行って。
5,6連勝した頃には、これはOPまで行くなと思いました。 これまでたくさんの馬に乗せてもらいましたが、金沢の中では今までにない手応えがありましたね。
赤見:いよいよ『JBCクラシック』出場です!どんなレースをしたいですか?
吉原:交流競走を荒らしている、地方所属馬たちには負けたくないですね。【マルヨフェニックス】とか強い馬なんで、意識してます。
長距離輸送もあるし、初めてのコースですし、いきなり相手も強くなりますが...僕の馬も強いので、とにかく気分よく走れれば、いいレースが出来るんじゃないかなと思ってます。
赤見:吉原騎手といえば、今では金沢を代表するジョッキーですが、そもそも騎手を目指すきっかけは何だったんですか?
吉原:昔から身体が小さかったことと、サラリーマンにはなりたくなかったので手に職を付けたいと思っていたんです。
中学の時は身長が伸びると思ってバレー部に入ったんですけど、1年くらいしても全然身長が伸びなくて...よく考えたら、バレー部に入ってた人は最初から身長が高かったんですよ(笑)。それに気づいて、退部してからは騎手学校受験のために身体を鍛えてました。
赤見:どんなことしてたんですか?
吉原:僕は滋賀県出身なんですけど、地元に猪子山というのがあって、毎日走って登ってました。
それで、頂上にある神社に行って、「合格出来ますように」って拝んでましたね。
赤見:乗馬はしなかった?
吉原:そうなんですよ。馬に乗ったことなかったんで、学校に入ってからはけっこう大変でした。
本当に憧れだけで入っちゃったから何にも知らなくて、慣れるまでは苦労しましたね。
赤見:なぜ金沢所属になったんですか?
吉原:僕は学校に入ってから所属を決めたんですけど、なるべく地元に近い方がいいし、騎手の人数とか、いろんなことを考えて金沢に希望を出しました。
入った厩舎も恵まれていたし、最初からいい方向に行きましたね。 特に、デビューした年に中央で勝ったんですけど、それが金沢所属の馬での、中央初勝利だったんです。 あのレースが、かなりのPRになりましたね。
赤見:デビューした年からリーディング3位!すごい新人が出て来たって盛り上がりましたよ。
吉原:いやいや。僕は本当に恵まれていたんです。 自分としてはやることはやっていたけど、全然技術が追いつかなくて...。もっと上手くなりたい!って、かなり悩んだ時期もありました。今でももっと上手くなりたいですけどね。
赤見:今では完全に金沢を背負って立つ存在ですよね。
吉原:そういう自覚はあります。 金沢はまだ鎖国というか、外に名前を売るのがなかなか難しい環境ですが、どんどん挑戦したいと思ってます。
今年はまだ制裁がないので、2度目のベストフェアプレイ賞を狙ってますし、オフシーズンには南関東で乗ることも決まりました。 僕にとって、これからの騎手人生を左右する遠征になると考えてます。
赤見:それでは改めて、全国のファンの皆さんにメッセージをお願いします。
吉原:【ジャングルスマイル】という素晴らしい馬に出会って、金田一昌先生と僕とで、応援したくなるような人馬になりたいと思ってます! 金沢を背負って立つような人馬になれたら、と気合入ってるんですが...【ジャングルスマイル】はそれを知ってか知らずか、かなりのほほんとしてて可愛いです(笑)。 まずは船橋の『JBCクラシック』、応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
赤見:北海道所属の五十嵐冬樹騎手にお話伺って行きます。よろしくお願いします。
五十嵐騎手といえば、引退しました【コスモバルク】が印象深いですが、五十嵐騎手にとってはどんな存在ですか?
五十嵐:そうですねぇ、やっぱり僕の騎手人生の中で、中央の舞台で数多くのGIを経験させてくれた馬ですし、また海外のGIの舞台を教えてくれた馬ですから、一生忘れることの出来ない馬ですね。
赤見:まず、出会った時の印象をお聞きしたいです。
五十嵐:初めは【コスモバルク】自体、道営競馬デビューの時からは騎乗していなかったんですけど、強い馬だなと思ってました。
自分が騎乗する機会はないと思ってたんで、強いな~くらいの気持ちで見てたんですが、中央挑戦する時から騎乗依頼をいただいて、初めて跨ったのが返し馬の時だったので、その時すごく背中のいい馬だなって感じて、芝も合いそうだなって感じて、500万クラスの特別戦だったんですけど、この感じなら勝てるんじゃないかな...ってゆうのが最初の印象でしたね。
赤見:そして、一緒に重賞も勝って、クラシックも走って、あの時は競馬も盛り上がりましたし、五十嵐騎手にとっても大きかったんじゃないですか?
五十嵐:そうですね。 本当に色んな面で勉強させていただきましたね。
赤見:そしてシンガポール!あのレースも大きかったですよね。 国際GIを勝った時のお気持ちは?
五十嵐:やはり、僕も騎手になった以上、世界の舞台で...というのは夢の一つでしたし、また、【コスモバルク】に日本でなかなかGIを勝たせてあげられなかった。 その分、なんとかシンガポールで恩返しすることが出来たんでね。 あの時に、オーナーの岡田さんからも言葉いただいて、初めて自分がやって来たことが報われたかなって気持ちになりました。
赤見:そして、引退ということになりましたけれども、その事を聞いた時はどんな気持ちでしたか?
五十嵐:数多くのレースを経験して来て、年齢的にも成績的にもかなりのところまで来てたんでね、ボチボチ引退って話も聞こえたり聞こえなかったりしてた中で、牧場で功労馬として繋養することになったんでね、もうお疲れさまという感じで、ゆっくり休んで欲しいなという思いですね。
赤見:引退後、功労馬という形になったのはどうですか?
五十嵐:近くに牧場もありますし、時々会いにも行きますし、また会った時に昔のこと思い出したりすることも出来るんでね、本当にゆっくり休んで欲しいですね。
赤見:そうですよね。 そして今年は【ラブミーチャン】にも騎乗しましたけれども、この馬もまた地方競馬にとって大きな存在ですよね。 騎乗してみてどんな印象でしたか?
五十嵐:【ラブミーチャン】に関しては、北海道に入厩してからずっと調教から乗せてもらってるんですけど、まだまだ完成してない所もありますので、これから身体もしっかり出来ていけば、もっと活躍出来る馬だと僕は思っています。
赤見:具体的に、どの辺りが成長して欲しいですか?
五十嵐:腰の辺りが、まだ力がついてない馬なので、成長とともにその辺がしっかりしてくれれば、もっとスピードも生きてくるでしょうし、レースも楽になってくると思うんで、その辺がしっかりしてくれば、もっともっといい結果が出せると思います。
赤見:今の段階でこれだけ走るのはすごいですね。
五十嵐:そうですね。 潜在能力は高いものがあると思いますね。
赤見:そして、五十嵐騎手自身のお話もお聞きしたいんですけど、まず騎手を目指したきっかけは?
五十嵐:幼少期にばんえい競馬を父親とちょこちょこ見に行ってたんですけど、それで小さい頃から馬を見てたんです。 それで、中学生になってから競馬中継で初めて騎乗してる競馬っていうのを見て、これ自分もやりたいなって、ピンとくるものがあって、自分で騎手試験を受けようって決めました。
赤見:実際デビューして、お若い時から大活躍して来て、振り返ってみてここまでの自分に点数をつけるとしたら何点ですか?
五十嵐:いやいや、本当にまだまだで。5,60点くらいです。 まだ足していかなきゃいけないところもありますし。
赤見:いえいえ。 今年のオフシーズンには、南関東で騎乗予定ですよね?
五十嵐:初めての南関東での短期騎乗になるんですけど、出来る限りの成長を挙げてきたいと思っています。
赤見:普段の年のオフシーズンはどんな風に過ごしてるんですか?
五十嵐:主に2歳馬の調教をしてますね。 鞍付けから始めて、跨って、すべて自分たちでやってますんで、ある意味、競馬に関して一番大事な時期かもしれないですね。
赤見:トップジョッキーも鞍付けなどの調教からつけるんですね。
五十嵐:まぁ北海道はね、そういう流れのところなので、デビューしてからずっとやってますね。
赤見:それでは、今後に向けて豊富を聞かせて下さい。
五十嵐:これからも、また【コスモバルク】やいい馬たちに巡り会えるように、努力を惜しまず、頑張って行きたいと思います!
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※インタビュー / 赤見千尋
スーパージョッキーズトライアル2010にて総合優勝、
見事代表騎手の座を手にした杉村一樹騎手!
赤見:優勝おめでとうございます!
杉村:ありがとうございます。
赤見:今のお気持ちは?
杉村:はい。嬉しいです。
赤見:第1位で門別に来ましたけれども、その時の気持ちはどうでしたか?
杉村:素直に、新聞見てちょっと印が薄かったんで、少しガッカリしたんですけど(苦笑)。
いろいろ話聞いてると、2戦目の馬がちょっと良さそうな感じだったので、頑張ろうと思いました。
赤見:そして3戦目ですけど、実際レース終えて、ポイント的に下になってしまいましたけれども。
杉村:やっぱダメなのかなって、半分諦めてたんですけど(苦笑)。
赤見:4戦目は、本当にかっこいい勝ち方でしたね!
杉村:本当に馬が、よく頑張ってくれたと思います。
赤見:4コーナーを回って来る時は、どんなお気持ちでした?
杉村:3戦目乗って、直線が長かったんで、ある程度ゆっくり入ろうかなという感じでした。
赤見:直線では、優勝が頭をよぎったんじゃないですか?
杉村:そうですね。もう後ろは来ないことを祈りながら追ってました。
赤見:3年前に、最終戦で1位から2位になってしまった経験ありましたけれども、あの時と比べては?
杉村:そうですねぇ、まぁいい経験になったんで、同じ失敗をしないように気をつけたつもりです。
赤見:今年は府中でWSJSが行われますけれども、府中は初めて?
杉村:そうですね、はい。小倉以外は乗ったことないので、すごく楽しみではありますね。
赤見:世界のスーパースターが集いますけれども、どんなレースをしたいですか?
杉村:先輩の赤岡さんのように、1つでも勝てればいいなと思います。
赤見:今日の優勝賞金が50万円ありますが、何に使うか決めましたか?
杉村:最近車買ったので、そっちの方に充てたいなと。
赤見:現実的な(笑)。
杉村:そうですね(笑)。
赤見:それでは改めて、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
杉村:なんとか勝つことが出来て、本番にも行けるので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋
2009 年、荒尾競馬所属のリーディング ジョッキーに輝いたのが、杉村一樹騎手。 最近は佐賀競馬場での騎乗も多く、九州地 区でも山口勲騎手に次ぐ2 位を確保してい る。今後もさらなる活躍が期待される若き リーダー。その素顔に迫ってみた。
杉村騎手は1996 年が初騎乗。デビュー の地は中津競馬場だった。
中津では仕事の量が多かったですが、そ のぶん得るものも多かったと思います。また、 有馬澄男騎手(現兵庫所属)、尾林幸彦騎 手(現荒尾所属)などスゴイ人ばかりでした から、見ているだけでも勉強になりました。 その当時に中津で培った経験や技術が、今 になってすごいアドバンテージになっている と感じます。ただ、荒尾に移籍した最初の ころは、よく注意されましたね。中津の場 合は差し馬だと早めに仕掛けないと届かない んですが、荒尾で同じことをすると、最後ま で脚いろがもたないんです。
徐々に上がってきたころに、杉村騎手をアクシデントが襲った。
2004 年に転倒した馬に潰される形で右 手首を骨折したんです。3カ月くらい仕事は できないし、日常生活でさえ大変な支障が ありました。もう、治るのをひたすら待つし かなくて、どうしようもなかったですね。でも、 その時期に第三者的な感覚で競馬を見られ たことがプラスになったと思うんです。競馬 にどっぷり浸かっている生活では、気付か ないこともありますから。
骨折からの復帰後は違和感も不安もあっ たというが、それは時間が解決するもの。そ の後の成績は急上昇を遂げ、2007年以降 は年間100 勝以上を継続している。
成績が上がってきた理由ですか? 自分なりに考えると、道中で馬に楽をさせてあげ られる時間をうまく作れるようになったから かなあ。今は、騎乗した馬がいちばん気持 ちよく走れるような乗り方にすることを心が けています。走るのは馬ですし、自分が気 負ってもしょうがないですからね。でも地方 競馬の場合は、空気みたいな騎乗では勝負 になりませんから、気合が必要なときは馬の 首を容赦なく押しますよ。
そのたくさんの勝利のなかで、筆者の印 象に残っているのがレッドエンゼルで勝利し た2010 年の門松賞。大出遅れから大まくり を決めて圧勝した、破天荒なレースだった。
出遅れた時点で腹をくくって後ろから行く しかなかったですからね。スタンド前では お客さんの怒鳴り声も聞こえました。大本命 (単勝1.4 倍)でしたからね(苦笑)。それで も向正面の入口で外に出したら勢いがすごく て驚きました。あれはぼくのなかでも会心の 勝利のひとつに入りますね。
さらに今年は久々にJRAでの騎乗も果た した。
いやあ、6 年ぶりですからね。緊張感より ワクワク感のほうが大きかったかな。「芝って どんなんだったっけ?」と思い出したりしな がら。そういった意味でも、JRA 認定戦は すごく重要です。ホッカイドウ競馬みたいに 数も多くないですし。もしかしたら、認定戦 のレース前は重賞より緊張するかもしれませ んね。
そのように成績が上がってくると、さまざまな経験や刺激を受ける機会も増えてくる。
確かにそうなんですが、基本的にあまり 欲がないんですよね......。子供のころ、通 知表に「楽観的すぎる」とか書かれたことも ありますし。
ただ、チャンスがあれば他地区への遠征 も考えたいと思っていますよ。そう思った最 初のきっかけは、2007年にスーパージョッ キーズトライアル(SJT)に出場したときの 第1ステージ(札幌競馬場)。そのときに乗っ たのが新聞紙上で印がほとんどないような 馬なのに、乗り味が荒尾の上位の馬よりよ かったんですよ。それがすごい衝撃でした。 そのSJT では最後に逆転されて2 位になっ てしまいましたが、今になって考えると、そ の当時は競馬に対しての勉強が足りていな かったのだと思います。
その翌年、地元でレソナルというJRA か らの転入馬に乗って、スピードが出ている 感じが全然しないのにレコード勝ちしたんで す。そんな感覚は初めてでしたし、世の中に はこんな強い馬がいるんだと、本当にビック リしましたね。と同時に、もっといい馬に乗 りたい、もっといい馬の背中を知りたいと思 うようになりました。
8月14日には今年2 度目のJRA 騎乗を果 たし、エキストラ騎乗の未勝利戦で、JRA で初の掲示板内(15 番人気5 着)に入線。 今の勢いなら今後の活躍の場はさらに広 がっていくに違いない。
これからもいろいろ経験させていただける とは思うんですが、個人的な目標とか人生 設計というのは、ほとんどないんですよね。 実際、優柔不断なところもありますし。ただ、 地元以外の競馬を体験させていただけるよ うになって、上を目指したいという思いは強 くなってきました。そんなに甘くはないでしょ うが、JRAとか(笑)。3 〜 4 年前、オース トラリアに1カ月ほど修業に行こうと思ってい たんですが、荒尾の開催日程の関係で行け なくなってしまったんですよね。そういうこと も含めて、いろいろと考えていきたいと思っ ています。
子供のころから両親に「将来は騎手にな れ」と言われてきたという杉村騎手。しか し彼が育った地、高知県中村市(現四万十 市)では競馬のテレビ中継もなく、「中学3 年のときに近所の休養馬の牧場で馬にさわ るまでは、競馬なんて見たことがなかった」 とのこと。さらには「両親も競馬を見たこと がなくて、実家で経営している店の関係で 馬主さんと知り合いになって、その人からの 情報だけでぼくに騎手を薦めたんです」と いうのだから人生とはおそろしい。
「勝負服は当時強かったスキーキャプテン のものを参考にしたんですが、そのときはあ んなに有名な馬主さん(社台レースホース) の勝負服だなんて知らなくて」
しかし今や九州地区の上位ジョッキー。"デ ザイン負け" にならないくらいの大仕事を やってのける日も、それほど遠くないのかも しれない。
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杉村 一樹(荒尾)
1978年3月19日生まれ うお座 A型
高知県出身 工藤榮一厩舎
初騎乗/ 1996年4月6日
地方通算成績/ 7,947戦977勝
重賞勝ち鞍/門松賞、荒炎賞、肥後の国グランプ
リ、中津ダービー(中津)、アラブチャンピオン(中津)
服色/胴黄・黒縦縞、そで赤
※成績は2010 年8月18日現在
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(オッズパーククラブ Vol.19 (2009年10月~12月)より転載)