第27回 復活を待つ輓馬男 鈴木勝堤
今年度ジョッキーファイルの取りをつとめるのは、脳髄膜腫の手術を終えて療養中の鈴木勝堤騎手です。
--- お変わりなさそうですね。術後の経過はいかがですか? 長い手術だったそうですが。
手術室まで麻酔の先生と一言二言しゃべったのまでは覚えてるんだけど……。二日くらいは記憶ないな。インタビュー? 記憶は大丈夫だよ。
--- ありがとうございます。では騎手になったきっかけから聞かせて下さい。
お金いっぱい稼げる商売だと思ったから。兄貴(鈴木邦哉調教師)が先に競馬場にいて、来いって言われて来たのは事実なんだけど……。
そのころは、競馬ってのは夢の商売だったんだよな。
--- 一番盛り上がってた時でしょうか?
そうだ。俺が競馬場来たの昭和54年。その頃俺は田舎の工場で働いててさ、その近辺では給料いい方だったんだけど、厩務員の給料が倍近く、それに厩務員手当ても給料以上あったんだ。すごいなと思ったくらい金にはなった。
あの頃は金も残したんだよな、酒飲まなかったから。ははは……
--- あはは(笑)。ご出身は馬力大会も行われている岩手県遠野市(旧宮守村)ですね。ご自宅に馬がいたのでしょうか。
いたよ。山行って丸太引っ張る馬。俺らガキの頃は多かったんだ。うちの兄貴も家で山行って働いたけど、そのうちに北海道来たんだ。
俺は高校終わってすぐ水沢の競馬場行ったんだ。
下乗り(騎手見習い)で、一応籍は2年置いてたんだけど、半年くらいで足怪我して、全治1年だからってうち帰ってきて休んでた。
だけど、冬になったら若馬慣らさなきゃならんのに、乗る人いないから、金具入れたまま行って乗ってた。
水沢ってその当時はさ、田んぼのあぜ道運動するんだよな。したら鳥が飛んで驚いて、馬が逃げるしょ。そんな馬に乗っているうちに足腫れちゃうのさ。ボンボンに。
こんなことしてたって治らんしなーと思って、金具抜いてしばらくうちの仕事手伝ってたんだよ。馬引っ張って山行って。
それを半年くらいやったのかな。
--- もともとは平地競馬の騎手になりたかったのですか!
なりたかったの。だけどほら、骨太いから無理だったんだ。身長はいいけど体重重いしょ、減量減量でもう、大変なんだわ……。
--- それでは、思い出に残る馬を教えて下さい。
思い出に残る馬、いっぱいいすぎるなぁ。
--- アサギリでしょうか?(1991年〜1994年ばんえいグランプリ4連覇など、史上4頭目の通算獲得賞金1億円馬)
一番先にアサギリだろうな。アサギリのあとにスズカゲ(1996北斗賞・1996北見記念)か。そのあとクシロキンショウ(2003帯広記念など重賞4勝)いて、ミサキスーパーいて……まだ何か、いっぱいいるよね。
アサギリはさ、俺はあまり強いとは思わんかったんだよな。あの馬は強くなった。本当に、強くなった。
そんな大きい馬じゃなかったけど、よく食ったわな。普通の馬の倍食ったもんなあいつ。
渕上先生(師匠の渕上昭一元調教師)って人は、馬の体重が増えると怒る先生だった。だから太らされないけど、食いたいのは食わしたいし……だから運動もかなりしたのさ。食った以上に運動しないと太るから。
体できたもん、あの馬。だから強くなったんだよな。おとなしいし、いらんことせん馬だった。
あの当時、毎年重賞(当時は重賞とは言わなかったので賞金500万以上のレースのこと)3本はとる馬だったんだ。まず春一番の北斗賞獲る。グランプリ獲る。北見記念。この3つは必ず獲る馬だったの。北見の鬼だったから。あの頃ヒカルテンリュウやらマルゼンバージやらいっぱいいたけど、全然。お呼びでない。
春ね……休ますって言ったの。馬かわいそうだし、こんな引っ張る馬、みっともない格好お客さんに見せんの嫌だから。したら怒られたんだわ。
それをやるのが騎手・調教師だべって言うんだよ。まったくそうなんだ。今考えれば。
俺とアサギリって北見記念2連覇してたんだけど、アサギリ降ろされて、その年の北見記念はキクコトブキで俺が勝ったのさ。
俺は勝てるとは思わなかったよ、アサギリには。あの馬の強さ知ってるから。なんかいい方法ないかなって思って考えてたけど、まさか勝てるとは思わなかったけど……キクコトブキも真面目だった。
ラジオで、人間が3連覇するか、馬が3連覇するかって言ってたんだ。
--- ラジオでも話題になっていたというのはいいですね。いろいろなことを教わった馬だったのでしょうか。
あの馬に教わったのもあるけど、色んな人に教わった。騎手として伸びてく段階で、色んな人の話を聞いたし、色んな人とつきあったから。
厩務員として入ったのは木村与惣治厩舎。木村卓司さん(元調教師・元騎手)の親父。だから、木村卓司さんが俺の師匠さ。
馬は体できるまで無理しないのがいい、馬が体できてくれば強くなってくる、ってのも覚えた。だから若馬で無理はできない、ちゅうのはあるけど、今はそんなこと言ってる場面じゃないでしょ。明日の餌代稼がんきゃならんから……。
スズカゲは特別強い馬でもなかったんだけど、なんせ一生懸命な馬だったわ。
やっぱり馬の気持ちになって考えてやってさ、こうしてやったらこいつが気分良くやるんじゃないかっていうようなことを教えながらやってた馬が、いい馬に育つような気がするんだよな。馬やってる人はやってる間中勉強なんだなって思うんだけど。
--- では、馬の気持ちを考えることを教えてくれたのがスズカゲということでしょうか。
ああそうだ。だから俺、若い騎手には「馬の気持ちになって乗ってやれ」って言うんだ。
--- ミサキスーパーはいかがでしょう。
あれはね、旭川の競馬場で越冬してた時だな。初めてそりかけた時720kgくらいだったと思うんだよな、ちっちゃかった。テストも4回目だか5回目だか、やっと受かったんだよな。体弱かったの。
でもその時に、この馬は大事に育てたらオープン馬になるなって思ったよ。
体ができてくれば、気持ちのある馬だから絶対強くなるな、と思ってテストにやっと受かって、最初くらいは俺乗ったんだべかな。
それからは細川。細川には、無理に勝たんくていいから、馬が自信つくように乗ってやってくれって言って。ハナはゆっくり、山は一腰、降りてまあまあ、ってレースを続けてきて。その年、秋口に旭川来た時に「いやぁ細川、今日勝ち負け(上位争いに加わること)いってみてくれ」って言ったの。「えーっ」って驚くんだ。「いや、負けてもいいんだ。でも俺が思ってるこの馬は、多分ここで勝つと思うんだ。ここで勝てなかったらこの馬オープン馬になれないんだ」って。「多分俺はオープン馬になると思ってるから、今日お前が勝とうと思って乗ったら勝つと思うから、勝負してみてくれ」って言ったら、勝ったよやっぱり。楽勝じゃなかったけど、やっとこさだけど勝った。
ミサキスーパー
--- なんでわかるんですか?
自分で乗らなくてもレース見てるしょ。
その馬のいいところ、弱いところもわかってるから、このメンバーだったら勝ち負けできるなっていうのがわかる。今ここで勝てば秋終わるまでにだいたい200万くらい稼ぐなってのが計算できるわけだ。
奥様:レース中のタイムをよむんですね。
重賞勝つときって、このレースはだいたいこのくらいのタイムで勝ち負けするよって、俺が勝ちタイム言えば2秒と狂わんもんな。そういう時は必ず重賞とってくる。
--- いろんな馬のことをインプットされているんですね。
若いときはさ、記憶すごいいかったの。この頃だめだ。忘れるもん(笑)。
今は若い奴にいろいろ教えてやるんだけど、聞いてくるやつも少ないわ。俺は教えてやるぞって言うんだけど。
でも若い時ってそういうもんなんだよな。自分でやれるもんだっていう……それでできるんならいいんだけど、そんなにすんなりなんていかないから。
--- そうですか? インタビューしていても、勝堤騎手を慕ってる騎手多いですよ。
今わかんなくてもわかる時がくると思うんだよな。わかる時に、ああそういえば、鈴木さんにそうやって言われたなって思ってもらえればいいかなって。
あーなるほどな、と思ったときは自分のものになってると思うんだよな。
でもさ、何も聞かないよりは聞いたほうが、いつか役に立つと思うんだ。
今日聞いて明日できるかていったら、そう簡単ではないと思うんだ。でも聞かないよりは聞いてた方が対処の仕方が違うしょ。そのうちに自分でそれを頭の隅において、自分なりにアレンジして自分のものにしてったら、そいつはそれなりに腕上げてくと思うんだ。
--- ミサキスーパーの話に戻りますが、走りそうだというのはどうしてわかるのでしょうか?
初めてそりを慣らす馬って、おっかながってあっち行ったりそっち行ったりするしょ。あの馬はね、まず人に素直だったし、初めてそりかけた時からまっすぐにひっぱった。弱かったけど、そういう馬って強くなるから。
素直な馬っていらんことしないから、引っ張り方がよかったもん。
トカチプリティーもそうだった。いやーこの馬、やせてるけど引っ張りそうだなって、軽いそりで運動してた頃からいつも見てたの。
今は賞金手当て安いから、そんなに時間かけて馬育てるなんてやってる暇ないしょ。
もう少しな、売れて、なんとか馬主も預託料で足を出すことなく、厩舎も飯食えるくらいになればいいなと思ってやってるんだけど……。
年取った馬はレースでつぶれてもすぐ立ち直るから。若いときにつぶしたやつはまず直らん。
だから若いうちに大事にしてやれっていうのはそこなの。今の状況じゃな。
カワ(大河原騎手)も同じこと言ってなかった?
カワはライバルだけど、友達だから。二人でこういう馬はこうやって乗った方がいいよな、こういう調教した方がいいとか、二人でよくやったよ。それで結果も出したし、お陰さまでそれでどんどん乗れるようになった。
2000勝はきわどいレース。結果を見守っています
--- それではファンに一言お願いします。復帰はいつ頃になりそうでしょうか?
なるべく早く帰って乗りたいとは思ってるんだけど。
最初は4月のテストから乗ろうと思ったんだけど難しそうだな。頑張りたかったんだけど無理か。
簡単に考えてたんだけど……頭割ってんだもんな。体力が戻らんことにはな。
--- レース勘はどうなのでしょうか。
それは体が覚えてるから。
レースは見てるよ。俺ならこうするのになとか……
--- 下手くそって?
いや、下手とは言わんけど……(笑)
その人その人の考えあって乗ってるんだろうから。
--- でも2週間で退院とは、回復早くないですか?
帰ってきたら風邪ひいてさ、熱あがってワヤ(北海道弁でひどいこと)だもう……それで時間がかかってるんだ。
奥様:この時我慢しすぎて長引いたんです。具合悪いなら悪いって言えばすぐ病院いくのに……あーだのこーだの言うから……病院いっても痛いっていわないものねー。
--- (笑)。ゆっくり養生してください。もしかして、俺がいないとだめだとか?
そんなこと思ってないよ。いなくても十分できてるな、と思ってる。若い奴らみんな頑張ってるしな。もうあわてない。
ま、俺も仲間に入りたいかな、っていうのはある。年だしなーと思いながら眺めてる(笑)。
久しぶりに聞いた勝堤騎手の変わらない力強い声、口は悪いけど暖かさを感じる言葉。胸が熱くなりました。元気な姿を伝えられれば、と思い取材してきました。
存続運動のときに騎手会長として騎手をまとめていた勝堤騎手。その時に面倒見のよさ、馬主や騎手から慕われていることを知りました。私にまで気にかけてくれる勝堤さんと奥様には、今回も術後の大変な時に快くお話を聞かせて下さり感謝の気持ちでいっぱいです。
部屋には重賞を勝った時のパネルがたくさん飾られていました。勝堤騎手と恵介騎手の奥様によると、二人とも4枠の青い帽子が多く、鈴木家のラッキーコースだとのこと。二人が4枠に入った時は注目ですね。
ところで、お酒が大好きな勝堤騎手。今はもちろん禁酒していますが、今まで食べたことのなかった甘いものが大好きになったそうです。術後「ケーキを食べたい」と言ってぺろりとたいらげ、奥様を驚かせたとか。
復帰戦、涙なしでは迎えられないと思います。無理せずに競馬場に戻ってきてほしいです。
今年度1年、ありがとうございました。新人騎手のインタビューは来年度になります。
楽しみにしていてくださいね。
取材・文・写真/斎藤友香