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ばんえいジョッキーファイル(22) 山本正彦

2009年1月23日(金)

第22回 ベテランの味・マサ兄 山本正彦

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--- 騎手になられたきっかけを教えてください。ご出身は上富良野ですね。

 そう。馬が自宅にいたし、父親が騎手兼調教師やっていた。その時は両方できたんだよね。

--- 山本幸一調教師ですね。同姓同名がいたので、上富良野の山本幸一調教師、東川の……と出身地で分けていたんですよね。

 競馬場に入ったのは17かな。高2の時中退して。
 父親の厩舎に厩務員で入ってね……昭和48年か49年くらい。盛り上がってたかって?  手当ては今くらいの金額でないか。それからどんどん盛り上がってきて、最高のピークは昭和55〜56年くらいだよね。
 1年厩務員して、騎手試験は1回目の試験で受かって、昭和50年から乗ってる。2年目から父親は調教師1本になった。

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--- では、思い出の馬を教えてください。名馬に数多く乗られていますよね。

 自分の(山本幸一)厩舎のところでは、カイリキって馬が一番数多く重賞レース取ったよね。
 帯広来たら一番強くて、帯広だけで重賞5本くらい獲ったんでねぇか。大臣賞(ばんえい記念)は頭獲れなかったけど、2着1回と3着1回。
 それ以降いろんな強い馬に乗せてもらったよな。ヒカルテンリユウだとか、マルゼンバージだとか。
 ヒカルテンリユウは、最終的には金山さん(明彦騎手・現調教師)が乗って大臣賞獲ったんだけど(笑)。迫力のある馬だったよね。体はあまり大きくないんだけど、気性が荒くて体以上の力を出す馬。威張って歩く馬でね、きかなかったんだけどレースにはその根性が出とったよね。
 マルゼンバージはね、自分が初めてダービー(1989年ばんえい優駿)を獲った馬。人気薄ですごい馬券ついた。万馬券でなかったかな。旭川でね。そのままオープンまで行って、最終的にはまた金山さんが乗って大臣賞獲ったんだけど(笑)。

--- 金山騎手が先輩だったのでしょうか。厩舎は別ですよね? 山本さんは現在金山厩舎所属ですが。

 先輩ジョッキーで、色んなこと教えてくれて。これから育っていくって馬を俺に乗せてくれとったんだよね。
 テンショウリ(1992年ばんえい記念)も若い時乗せてもらってた。

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金山厩舎・サダエリコ

--- 好きな戦法は?

 アオザクラっていう雌馬がいたの。障害降りたらいっぺんに差してくるレースの面白さを教えてくれた。
 2障害までは真ん中くらいで持ってきて、障害は後ろからかけていって、降りてから差しこむレース展開っていうのが、馬にも負担かからんし、乗り方として好きなんだよね。
 テン(最初)から押していったら馬って疲れてくる。テンに少し息入れて乗ってきたら障害も楽に登れるし。どこまで持つかっていうのが鍵になるし、ま、そういう乗り方ばかりじゃ勝てないけど。

--- 山本さんは、ゴール前馬の影に隠れるように体勢を低くすることがありますよね。

 へっへっへ〜。みんなにはケツ出してるって言われるんだけど(笑)。
 馬が一生懸命歩いてるのに、叩いたりぼ(追)ったりしたら馬に負担かかるから、抵抗かけないように、ただ乗って馬の歩きにまかして。
 隠れてるわけではないんだけど、あまり動かないようにして。一生懸命歩いてるのにさ、負担かけたり後ろで叩いたりすることもない。
なかなかうまくハマらんけどね。

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--- さて、現役最年長騎手となりました。昔のばんえいと比べて、違う点はありますか?

 馬の体は大きくなったんだけど、昔の馬の方が……もっと迫力があったような気もするよね。
 昔のオープン馬なんてもっと強かったような気がするけど。うん。

--- ではプライベートについて教えてください。

 結構趣味は多いんだけど、休みったら魚釣りとか。あとは夏はゴルフだとか。

--- 今までのジョッキーファイルでも、一緒に釣りをするという騎手がいました。後輩に慕われていますよね。マサ兄(にい)、って。

 どうなんだろう(笑)。

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--- では最後にファンに一言お願いします。

 やっぱり……たくさんいるから大変なんだけど、1頭1頭の馬の“いい個性”っていうのをもっとアピールして、わかってもらいたいような気もします。
 例えば、11歳で頑張っているキョクシンオー。障害の登坂力もいいし、軽めの馬場だったら叩かないでも自分でダーって歩いていけるし。
 あ、今年からマルミシュンキに騎乗するんだけど、オープンに行っても勝ち負けできるような馬に育てていきたいな、と。馬主が期待してるだけに、良く育ててあげたいな、と。
 だからね、体を故障しないように。自分がだよ。


 私はゴール前に沈む、山本騎手の仕草が大好きです。馬を前に進める様々な技術に、さすがベテランと感動!
 今回、わかりやすい解説と馬のことを思ってレースを進めていることを知り、さらに山本騎手のファンになりました。
 ばんえい競馬はベテランであるほど、魅せどころがたくさんある競技だと思います。


取材・文・写真/斎藤友香

ばんえいジョッキーファイル(21) 佐藤希世子

2009年1月17日(土)

第21回 馬の女神に愛された希世姫 佐藤希世子

 新年1回目のジョッキーファイルは佐藤希世子騎手です。

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--- 馬と出会ったきっかけを教えてください。

 札幌の高校に入った春休みかな、道内を家族旅行してて、暗くなってきた時に、私がナイスタイミングで『あ、明かり見えた!』って旅館見つけたんだ。こんな田舎で明かりっていったら商店か旅館くらいだから。
 素泊まりでいいから泊めてもらえませんか、って言ったら遅かったけどご飯出してくれて。お風呂入ってふと窓見たら『あれ、馬がいる』。聞いたら、繁殖牧場もやってるんだわ、って。春だから仔っこ馬見せてもらってね。
 次の日、旅館の人が働いている育成場で乗馬用の馬に乗せてくれた時、あっこれだ、ってピンとくるものがあって。
 もともと動物関係の方に進みたいっていうのはあったけど、馬は選択肢の中になかった。
 その年の冬休みに、親に『牧場に電話して』って頼んだら『自分で行きたいもん自分で電話しなさいよ、OKもらったらあんた自力で行くんだからね、あっち汽車なんてないからね!』って。結局自分から、『旅館でも馬の仕事でも何でも手伝うんで、馬の世話の仕方勉強したいんで冬休み置いてください』って無謀にも行って。
 そこの人は今でも家族と一緒。
 高校卒業してから、静内にあるJBBA(日本軽種馬協会)の研修課程に入ったの。高校3年間牧場に行ってる間に考えたら、繁殖の方より乗る方が興味あったから進むなら育成かなって。それが、ヘルニアがひどくなってきて。病院通いながら我慢してたんだけど……だんだん悪くなって、4ヶ月くらいでやめて札幌帰ってきて、2〜3週間入院したんだよね。

--- もともとはサラブレッドだったのですね。怪我という挫折も経験されて……。

 でも結局、馬が好きで……。退院してからたまたま乗馬クラブの看板見つけたんだけど、お金ないから乗れないし、ただ指くわえてずーっと馬見てたんだ。したら不審者に映ったんだろうね(笑)。『馬好きなの? 乗ってみる?』って。
 『忙しい週末とかに作業手伝ってくれたら、1頭か2頭乗せてあげれるけど』って言われて、親の会社も手伝いながらずっとアルバイト。
 だんだん日数多くなって、3年間くらいそこいて。最後6ヶ月くらいは正社員だったんだけど、だんだんと不景気のあおり受けて、冬だけ身内でやるから休んでもらえないだろうかって。
 その間、見て歩いてたうちの一つが尾ヶ瀬厩舎の札幌部門の方だったと。

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リッキーの引退レースに騎乗

--- そこでばんえいとの出会いですね。自分で馬を探しているうちに、厩舎を見つけたのでしょうか? 尾ヶ瀬トレーニングセンターは札幌市内ですが、広い畑の端にありますよね。

 それもまたドラマがあるんだ(笑)。
 私の家の近くにある公園で幌馬車やってるよ、って親に聞いて……行ってみっかなーって行ってみたら、真っ白でかわいい芦毛馬いたんだ。ヤマトってね。それの馬車をたった一人で馬車追いできたのが、うちの調教師(尾ヶ瀬富雄調教師)のお兄さんだったの。もっとおっかない顔してるんだけど(笑)。ちょこちょこその公園に遊びに行くようになって。
 『弟のところ手伝いに行くんだ、良かったら来てごらん』って言われて行ったら、競馬場での開催が終わって、ばん馬が札幌で休養してたの。
 尾ヶ瀬さん所行ってるうち、面白いからってバイトの中でも行く比率が高くなっていって。
 昼から行ってたのが、朝から行くようになって。乗り馬を散歩してたのが、橇かけるの教えてもらって。
 しめしめだよね(笑)。向こうも多分しめしめだったんだよね。
 したら競馬場行ってみないか、って話で。
 今は通年だけど、前までは季節労働者だったんだ。朝苦手だし、もたないかなーとか思いながら1年終わって……1年1年の雇用だったから、うちの親も帰ってくると思ってたんだよね。そしたらもう1年行かしてくれってね(笑)。行ったら2年目に怪我したもんね。
 靭帯切って8ヶ月くらい休んでるんだわ。馬から落ちて、着地した時ひねっちゃって。
 この世界なら誰でもあるから。みんな1箇所くらいは(怪我)してると思うよ。

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--- そうでしたか。サラブレッドからばんえいの世界に入ったのは、その時の流れということになるのかな。

 馬の仕事続けたかったから、いいタイミングだったっていうのもあったし。
 今まで馬関係のことしてきた中で、人とのつながりによって、出会いがあって、それを経由してきてるんだよね。すべてが偶然で……。

--- 引き寄せた、と感じますか?

 うん、人に恵まれるタイミングがすごく合ってると思うんだよね。

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--- そして、ばんえいの世界に入りました。騎手になろうと思ったのは。

 騎手になろうと決心したのが25の時。
 ケガしたのが23の秋。(靭帯が)元に戻るまで3年かかるって言われたんだ。そろそろ3年っていうのがあったから……。
 最初ははそんなになりたいって気持ちもなかったけど、20代後半になるとなかなか踏ん切りがつけられなくなってくると思って。
 25の年に初めて受けて。で、2次試験で落ちて。2年目で合格。

--- ああ、20代後半って悩みますよね。それにしても2年目で合格とは優秀! 思い出の馬を教えてください。初勝利はタカラドーベルでしたが。

 やっぱりねー、それだね。
 初騎乗した馬で、2回目で初勝利なんだ。自分が攻め馬したことない馬、松田さん(道明騎手)に攻め馬さして、調教師が乗って『頭とらしてやる』って。この間前原和信先生にその話したら『そうだったかー』って忘れてた(笑)。で、頭取ったんだ。コンマ2秒差でね。
 他に?……デビューした時のポスターに載せてる馬かな。マサフジって。
 横に長いポスター見たことない? カウボーイの格好したやつ。あの年引退の年だったんだけど、自厩舎で1年目から担当してた馬で、おとなしかったから。

--- 希世子騎手はイベントやポスターに引っ張り出されて、広告塔として頑張られていますよね。

 今年は勘弁してくれって言ったんだけどね。
 広報に行った時、これはぜっっったいダメだからって……(笑)

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今年の新しいポスターです

--- ある意味、女性騎手の使命ですよね。

 成績の割には、いつでも必ず買ってくれる人とか、応援してくれる人……ヤジも応援のうちだけどさ、そういう人が未だに多いのはありがたいことだよね。
 オッズパークの年賀状プレゼントもさ、『去年もそうでしたけど、今年もダントツでしたからよろしくお願いしますって』って。
 100枚近くサイン書いてね。そうやってみんな応援してくれるんだなって。

--- さて、希世子騎手の弁当箱。重そうですがどれくらい…って重さ聞いたら体重ばれちゃうか。『希世姫』というラベルシールが貼ってあるそうですね。

 体重は聞かれたら出してるけど……どれくらいだろ。弁当箱は20(kg)はあるよね。最近見ないからわかんない。検量側から見るものだから、逆側から見ないとわかんないからさ。
 シールはね。他の人も同じようなの貼ってるんだけど、競馬場に言わなくても作ってくれるおじさんがいて。たまに剥がれてたら、3、4枚作ってくれるんだよね。ヘルメットにも貼ってあるんだ。書くよりこっちの方が剥がれないからいいかなと思ってさ。
 最初希世子だったんだけど、弁当箱変えた時にガムテープで貼ってたら、ダメだ、俺作ってやるからって、希世姫が4枚か5枚くらい(笑)。
 お世話になります(笑)。

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--- 競馬場らしい、いいおじさんですね(笑)。弁当箱20kgですか、30くらいあるかと思っていました。痩せていますよね…(羨)

 痩せてはいないけどね。なんかね、年々、ついてはいけないところに(肉が)ついてきてるんだよね。わかると思うけど(笑)。重力には逆らえてなくてね。いつからここにきたの! 上がって!って(笑)
 まだね、仕事して筋肉ついてるからいいんだよ。
 静内から乗馬クラブ移るときに、ちょっとした小作業しかしてなかったっけ、体重変わらないんだよ。なのに体型1.5倍位になったから。ジーパンなんかどれもこれも入んないって。パンパンで。

--- いや、痩せてますって…(羨) 筋肉になっているんですね。腕につきますか?

 肩まわりかな?
 流行りのスーツね。スポンちょっきり、ジャストサイズ! ラインきれいだしさ、いい感じと思って片腕通した時ね、パンパンでヤバいなと……思ったの。したら肩のところピリって……そーっと脱いで、『11号お願いします』って(笑)。
 それ皆に話すと、『11号女、11号女』って(笑)。


 インタビューに慣れていて、こちらが大変助けられました。それでも気さくな希世子騎手、インタビューというよりはおしゃべりをしてきた感じ。たくさん笑ってきました。
 女性男性関係なく、当たり前のように「ばんえいの中で」を意識している考え方に心強くなります。
 馬が好きという強い気持ちが、馬の神様に愛され、二物を与えたのだと思います。
勝負服姿の美しさの理由はこれなんだな、と思いました。


取材・文・写真/斎藤友香

ばんえいジョッキーファイル(20) 松田道明

2008年12月20日(土)

第20回 200mを計算しつくした一匹狼 松田道明

 今回は、ニシキエースで牝馬三冠を達成した松田道明騎手です。

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 え〜。俺いいよ、飛ばして。

--- お願いします。騎手になられたきっかけを教えてください。実家は夕張で、馬がいたんですよね。

 そんなこと聞くのかい。親はメロン農家。馬飼ってたけど、今はもういないもん。
 (岩見沢に)小さい時行って……競馬が好きで、ばんえい競馬に来ました、でいいべ。

--- 高校時代は柔道部で、好成績を残されたとか。

 いや、生徒会。

--- ……生徒会、ですか…?

 役員やって。学校祭とか、体育祭とか。
 柔道は怪我してマネージャーで……。

--- そうでしたか……。では、勝負服について教えてください。吉田勝己さんと同じ勝負服ですね。

 (夕張の自宅)そばに社台ファームがあるから。社台ファームのように馬を、って。

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サインがかわいらしいです

--- 騎手になりたくてばんえいの世界に入ったのでしょうか。

 そうそう、騎手になりたいなって。馬も管理するの好きだし。

--- 思い出に残っている馬は誰でしょうか。アキバオーショウ、カネサブラックなどたくさんいると思いますが、転機になった馬などはいますか?

 いない。
 ……サカノタイリン。
(編集部注:サカノタインではありません)

--- サカノタイリン? なぜでしょうか。

 (レース中)ひっくり返った。転倒して引退して、かわいそうだなって思って。

--- そうでしたか。で、では、プライベートは何をされていますか?

 温泉。

--- 十勝川とかですか? オススメを教えて下さい。

 十勝川は時間がある時に。
 オススメ……やっぱり、かんの温泉(鹿追町然別峡)。鹿来て一緒に入ったり。周りにいたりね。

--- スタンドでは娘さんを見かけます。競馬に興味があるそうですね。かっこいいとか言われますか?

 フフフ。女の子3人。いやー、競馬場に入るのはやめさせたいんだけど……。
 馬がかっこいいって。この馬が強いとか、今度この馬乗った方がいいとか、この馬、障害をまとめたら勝てるとか、そういうコメントしてくれるね。

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--- 期待の馬を教えてください。まずは2歳。

 アオノレクサス。小さい馬だから今年でなくても体ができてこれば。
 3歳はニシキエースな。あれはもう……体も大きいし、メス馬では最近にない力強いもの持ってるし。オトコ馬といいレースしてほしいなって。
 カネサブラックか? あの馬は勝負勘がいい馬で、パンチのきいた自在な優れた筋肉持ってるっていうか。特別大きな力でなくて、瞬発的なキレがある。珍しいくらい柔らかい筋肉してるよね。引っ張り方とか柔らかいし、バランスがいいから上に飛ばないで前に低い姿勢で飛ぶよね。重心低いっていうのは荷物を引くのには優れてるよね。

--- 目標を連対率3割と出されていましたが、目標通り達成されていて素晴らしいですね。

 そうでもないよ。
 ばんえい競馬は本命が負けやすいと言われるし、なるべく印のあるときは2着まで残るように。
 馬に対して一番状態のいい乗り方をしようと思って冷静にって心がけているんだけど、どうしても騎手の加減や精神的な部分でに左右されて、人気だとなかなか勝ちずらいっていうか……。
 ま、そういう数字(連対率3割)を残すためにチャンス狙ってる。

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--- どのように研究されるんですか? ビデオとか見たり?

 ビデオは特別な時しか見ない。
 レースでは自分が本当にこのレースでケンカする馬はどれかってことをまず見つけて。
 2分かかるレースで、自分の馬が(障害降りてからゴールまで)30秒の足持ってるとしたら、障害をためて上げるまで25秒でまとめれば、(障害手前まで)1分5秒かけて持ってくれば2分の勝ち時計出せるってことだ。
 でも計算してきたことをレースの中で忘れちゃうときがあるの。自分に本命ついたら負けられないって思って感情むき出しになって。
 2歳のレースでよくあるんだけど、勝つ力のないような馬をわざと(障害に先に)行かせるしょ。それにひっぱられて(本命馬が)負けちゃうことがあるしょ。それをわざとやるやつもいるワケよ。おれらもわざとやるし。
 プロは乗った時の勘と、常に周りを見て、一(障害)越える時に自分は何番目か、あいつはどこにいたとか、ここで攻めてやろうとかさ、そういうことを、パッと一瞬のうちに考えて……。

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--- 200mの間にものすごい計算! これが成績につながっているのですね。

 馬が行こうとした時にタイミングが合うのと、行きたいやつを1回止めて下げちゃうのとでは全然違うよね。少しでも負けた時はそのロスが響いてくる。一回のレースでは大したことないんだけど、何百回も乗るとそれが確実に現れる。
 成績につなげるには、騎手がいい馬乗ること。1年間に1頭で2勝すれば70頭で140勝できるし、20頭しか乗ってないなら40勝しかできないし。

--- 松田さんはたくさん乗ってますからね。

 俺はもう年だからね、もう若い人らに任せて……。
 そんな難しい競技でないのさ。
 カロリー与えて、教えて、調教して、馬の素質を引き出すだけだから、いい馬を持たなきゃなんない。
 騎手はいかに上手にいい馬に乗りつけるかってことさ。そういう競技だから。
 悪い馬をなんぼ優秀な調教師や騎手がやったって……。

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 俺は乗り方については調教師の言うようにする。馬主さんから指示を受けた時にも、程度があるから。
 馬主の馬であって、ファンの馬でもあるんだってことをまず説明する。この馬は半分ファンの馬なんだって。馬券を買ってこの馬を楽しみにしてくれてる人の前で、俺は馬主の言った乗り方はちょっと無理があると……俺はそう言うよ。そうでないと、俺の乗り方に不満もってファンが馬券買えないべさ。ファンいるかわかんないけど……。

--- いますいます(笑)。 すごい理論の展開にまたファンが増えますよ。理論通りに馬を操るコツを教えてください。

 まじめな馬は直してでもまっすぐに行こうとする気持ちがあるけど、ずるい馬は気持ちがずれたら逃げちゃう。そのタイミングをはかってハミをかけて(障害を)上げてやる。
 もともと馬って止まる動作が得意でないのさ。我慢があまり上手でないの。走るのは得意なんだけど。(平地)競馬は止まらないからいいのさ。ばん馬なら叩いて行かしてるのを止めるしょ。そこまで見極めれるように馬を仕込むったらかなり上手に乗らなかったら。
 (カネサ)ブラックは以前(障害で)ひっくり返ったしょ。それを直すのに反復練習するわけさ。次に馬と俺のハミ呼吸を整える。そしたら余分な力使わないし、膝折りそうになったときも興奮してないから、(障害で膝)折らなくなるわけさ。折っても起きる。ハミ(の種類)変えたって、感度いい馬ほど痛さを覚えるから。
 (ニシキ)エースもそうだ。昔は飛びついたりひっくり返ったりゲート出遅れたりしたけど、あれを直すのも同じことで、軽い荷物で俺のハミ触り覚えさせる。

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 手綱の動作っちゅうのは、馬を操作する基本中の基本。俺は叩く動作が右、(手綱の)動作は左手でやるんだけど、馬の頭の先と周りだけ見て、次にどっちに行くかなって思ったらハミ押さえてぼ(追)ったり、この馬叩いたら逃げるなと思ったら、いち早く逆ハンドル切ったり。
 慣れるまで、時間かかるんだ。


 以前、写真を撮っていた私に「プロになる気あんの?」と話しかけてきた松田騎手。プロ意識の高さに、話しかける時はいつも緊張しています。
 今回もとても細かい理論に圧倒! レースのようにペースを乱されてしまった私です。
 勝利に貪欲すぎて悪役になることもあるけど、そんな松田騎手の存在がばんえいを楽しませてくれています。馬券でも信頼しています。
 そんな松田騎手でもオークスは緊張したとインタビューで答えていましたね。ダービーも楽しみです。


取材・文・写真/斎藤友香

ばんえいジョッキーファイル(19) 中山直樹

2008年12月 5日(金)

第19回 ばんえい愛にあふれて 中山直樹

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--- 中山騎手は、サラリーマン時代に岩見沢でばんえいを見てから競馬の世界に入ったんですよね。

 夜勤のある仕事だったんで、日中は時間ができるからって、職場ですごくばんばが好きな先輩に連れられて。
 自分としては、夜勤明けなんで寝たいんです。行きたくないんだけど、先輩がいうから仕方なく。
 そのうち先輩より行くようになったっていう。
 中央競馬も行きましたが、周りのみんなが行ってるときに自分も買ったりするくらいで、強く興味を持っていたわけではないです。

--- そこまでばんえいに惹かれた理由を教えてください。

 野球なり中央競馬なり、中継や勝利者インタビューがあるなら、喜びの姿とか伝わってくるので選手や騎手の感情が見えやすいけど、その当時、ばんえい競馬には騎手インタビューも何もない状況で。
 淡々とレースが行われて、淡々と騎手が馬橇を降りて、客席の興奮とは裏腹に、騎手の感情が全く伝わってこなかったんですよね。
 でもその時新人だった安部憲二騎手が、負けた時に弁当箱を叩きつけて悔しがっている姿を見たときにちょっと見方が変わって。それから競技として見られるようになってきた。
 お客さんも当時おしゃれじゃなかったっていうか……鉄火場っていうか。酔っ払ったおじさんがいたり。
 全く面識ないはずなのに、騎手を下の名前で呼んだり、そういう親しい感じがいいなって。この世界に入ってみてある程度知り合いなんだろうなってわかったんだけど。
 ばんばの醍醐味はヤジだと思う。ゴールまでずっとヤジがついてくるから本当に伝わってくるっていうか。(言われる方も)へこむだけへこむ。それが魅力だと思いますね。中央競馬ではなかなか(見ている)自分の意志を競技者側に伝えることができないっていうか。
 お客さんの声援に惑わされて早仕掛けになったり、早く(障害に)かけろーって言われて我慢できずにかけちゃうこともあるし……そういった一体感をスタンドの内側にいる時から感じていましたね。入ってから余計そう思いました。

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--- そして、思い切ってばんえいの世界に入りました。

 競技として見ているうちに自分でやってみたくなってきた。高校出て5年、24になる年。
 生まれた頃から馬を触ってるような人たちがいっぱいいるのに、僕はみんなが騎手になる頃にはじめて馬を触ったわけで。
 すごい不安はあって無理かなと思ったんですけど、年齢的には何かに挑戦してみるにはギリギリかなと。逆にもっと若かったら迷ったかもしれないんですけど。
 ばんばやってみたいんだって話を先輩にしてたんですよ。したら職場に、親が馬主さんと知り合いって人がいて道が拓けた。それまではどうやってこの世界に入っていいかもわからなかったんで。
 もう騎手になる目的以外にはなかったです。

--- それにしては騎手になったのは早かったですよね?

 当時、30歳で(負担重量)10kg減がなくなるって規則だったんで、28の時に受からなかったらこの世界はやめようとは思ってたんですけど、27の時に受かったのかな。だから早く受かったようだけど、自分としてはぎりぎりだった。

--- では思い出の馬を教えてください。

 やっぱりシマヅショウリキ。バリバリの最強馬だった時に平場レースだけど乗せてもらえたっていうのが。
 前の晩眠れなかったし、周りからもなんでだ?って雰囲気がありましたね。
 当時僕はまだまだ……今でもだめなんですけど、まだだめな、リーディング最下位にいる状態で。お客さんからも、一番いい馬に一番だめな騎手乗ってるようなヤジられ方もしたし。
 重量を引いて値のある(力を発揮する)馬なんで、平場となるとやっぱりペースが速くて、勝負になる場面ではなかったんですけど。

--- 違いは感じましたか?

 初騎乗以来の緊張だっていう程度で……自分はまだ、伝わってくる何かがわかるレベルじゃなかった。

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--- では、厩舎村(競馬場の人たちが馬と共に住む場所)について教えてください。厩舎村が大好きだとおっしゃられていたのを聞いたことがあります。

 旧き良き昭和の時代を今に残しているっていうか……外の世界にはなくなったような、近所付き合いみたいなものとか。みんな家族づきあいして。下の名前で呼び合うから、苗字知らない人もいるくらいで。
 子どもたちも皆兄弟のように育っているし。今騎手として頑張ってる人たちも皆そうだから昔話が同じ。
 調教師をオヤジ、奥さんは母さんって呼ぶようなかたちもすきだし。ひとつの厩舎がひとつの家族のようにしてる姿とかね。
 奥さんたちもみんなたくましいし。

--- お子さんも厩舎村で育つことになりますね。

 女の子なんだけど、いい意味で下品に育ってほしいっていうか。外で汚くなって遊ぶような。
 せっかくこの世界に入ったんで……。

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--- 減量はいかがですか?

 結婚するまでは、部屋に食べ物を置かないようにしたり、気をつけていたんですけど。
 人と暮らすようになるとそういうワケにもいかなくて……小腹が空くと冷蔵庫開けて食べちゃうんですよね。出してくれなくても自分で勝手に見つけ出して食っちゃったりするんで……。あればなんでも食べるんですよね。
 独身時代はお金も自由に使えたんで、深夜番組のダイエット器具とかはたくさん買って。今も調整ルームの部屋にいっぱいあります。

--- 通販好きですか? 最近痩せましたよね。

 飽きた頃にまた新しいものを見ると……だから絶え間なく鍛えられてる状況は続いたんですけどね。
 結婚するとなかなかそういう時間もなかったり、お金もなかったりで。

--- 青汁飲んでますか?(笑) (以前、アサヒ緑健の青汁のテレビ番組に出演)

 あの時が一番僕の人生で輝いていた瞬間かなと。スポットライトが当たってる時でした。
 本当言うと……最近飲んでないんです(笑)。

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--- では、俺のここを見てくれというところがありますか?

 僕のここ……僕自体あまり見かけることが少ないので、本当に、なんとか探してみてほしいっていう感じです。出てるときにはもう、目に焼き付けてほしい。
 レースでは、障害の一番下につくと、勝てると思ってる時とか緊張してる時は、お尻が出るんですよ。
 体勢が低くなるとどうしてもこういう感じで……(体勢を低くしてお尻を出す)。
 勝てる!とか緊張してる時は、尻が出ます。

--- お尻ですね(笑)。では最後に、元ばんえい競馬ファンとして、ばんえいの見方のアドバイスをお願いします。

 1頭の馬に思い入れを持つと、いろんなものが見えてくる。
 パドックなんて漠然と見てもわからないんです。その馬のことを記憶して、いつもはこうなのに今日はこうだなと変化も見えてきたら、パドックの価値があるんで。いつも元気がない馬はいつも元気ないし、いつもバタバタしてる馬はいつもバタバタしてるから。
 その馬のレースの仕方というのも見えてくるんですよね。いつも先頭に行く馬が行けないのに気づいたり、障害止まってても間に合うんだよとか、ダントツで降りても10m前くらいから全く歩けなくなるとかも。
 1頭見てるとその対戦相手のこともだんだん見えてくるんですね。あの馬があの位置にいたら、自分の好きな馬はどのくらいで降りないと間に合わないとか。相手も見えてきたらそれぞれの個性が広がってくっていうか。
 外から見てた時にわからなかった事が見えてきたのは、厩務員として働いて、担当馬を持つようになったことによって。
 3頭持ちます(世話を担当する)よね。その3頭をずっと見続けているわけだから、中に入らないと絶対に広がらなかったようなことに目が行くようになった。


 テレビカメラに向かうように、初心者にもわかりやすいよう丁寧に話をしてくれました。色んな方から「中山騎手は面白い人だ」と聞いていたのですが、以外にも(?)真面目……と思っていたら、ネタを小出しにしてくるんですね。「アドリブはきくほうではないんだけど……」なんておっしゃっていましたが笑わせてくれました。
 ファンから騎手になっても変わらないばんえいが大好きだ、という気持ち。私たちの憧れも本物なのだろうな、と思います。
 写真を整理していたら結構男前だということに気付きました。このキャラ、もっと表に出したいなぁ〜!!


取材・文・写真/斎藤友香

ばんえいジョッキーファイル(18) 澁谷益久

2008年11月21日(金)

第18回 ばんばの風に流されて 澁谷益久

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--- (レース後) 澁谷さん、インタビューよろしいでしょうか。

 今、馬つなげたまんまなんだわ! これから作業しないとなんないんだけど。でもいいよ。

--- すいません。では、騎手になったきっかけを教えてください。ご出身は上士幌ですね。

 家に馬いたし。家は生産と育成の牧場。騎手になるのが、その当時は夢だったんだべな……小さいころから騎手に憧れてた。
 高校中退して、18の時に車の免許を取ってから来た。
 騎手試験受けたのは2年目からか。5回落ちて。1回受けないときあって。

--- 牧場をされていたということで、競馬場とのつながりもあったんでしょうね。

 それはあった。うちの兄貴も俺が入る前、競馬場に少しいたんだ。
 去年までうちのオヤジも同じ厩舎で働いていた。牧場やめて、競馬場来て。10年近くいたんでねぇか。

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--- 帯広開催の時は競馬を見に来ていましたか。

 来てたし、草ばんばに歩いとった。
 俺はあまり乗らんかったけど、うちのオヤジが乗っとった。
 俺は2、3回かな。初めて乗ったのは、なんぼだべな……中学生ぐらいでなかったか。
 うちのオヤジばかりのってた。草ばんば大好きだから。
 俺がただついてあるって。馬丁さんみたいにしてた。乗りまわしたりさ。フフフ。
 上士幌では今は草ばんばやってないよ。もうみんなやめちゃったもん。
 昔、バルーンフェスティバルとかの気球場の近くでやってたの。球場の横が会場だったんだ。それから音更川の山手側に移って2、3回やって。

--- 初勝利はヤマノビューティですね。

 いやぁ、よく知ってるね! あ、調べてきたの。それうちのばあちゃん死んだ日なんだ。6月14日。

--- 騎手という職業だと、家族が亡くなっても帰れないとか……。

 いや、帰ったよ。北見からね。

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--- 他に思い出に残る馬はいますか?

 ハタカゼちゅう馬だな。
 帯広でね。俺乗ってから連対外さなかったの。ほとんど頭(1着)か。
 はずしたの3着1回だけだもの。帯広だけで200万くらい稼いだ。特別1個あげた(勝った)しね、帯広だけで頭6個とったのかな。それが一番。
 乗ってて面白かったんだ。勝つ位置に行けるし、勝てるなーって気がするもん。
 それまで勝ててなかったのさ。帯広が得意だったのかな。

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--- 勝負服の由来を教えてください。

 由来は適当。ただ黒が好きだから、黒似合うかなーと思って黒にしただけ。先輩の由来とかは何も入っていない。独自。
 いや最初、星にしたんだけどさ。俺、正兄(マサニイ・山本正彦騎手)の弟子だっちゅうか、山本幸一厩舎に先に入ったから。(山本幸一さんは)正兄の親。あそこに6年いた。
 星は今古いからやめたほうがいい、今流行んないんだって言われたからやめたの(笑)。

--- 実家に帰られたりはしていますか? 帯広一市開催になっていかがでしょう。

 帰ったり? しない。用事ないもん(笑)。
 帯広一市になって、楽になった。移動しなくていいもん。周りの環境もわかってるしょ。昔の友達とはたまに遊ぶな。

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--- 帯広のオススメスポットはありますか。

 あれ、去年のガイドブックでなんちゅったっけ。平和園(帯広市大通南12-1)って言ったんでないか。うん、焼肉好き。
 他に? いや、ない。

--- ばんえいだけ見ろと。

 (笑)。そうそう。

--- 休みの過ごし方を教えてください。

 休み? パチンコいってる。
 儲かってる。運いいっちゅうか……負けてない。
 1年くらい休んでたんだ。その前ずっと行ってたけどね、やられまくったから休んで、また行きたくなって行ったら儲かりだした。
 ギャンブル? 好きだな。嫌いではない。

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--- 厩務員作業のところ、お引き留めしてすいませんでした。厩務員作業は好きですか?

 嫌い! 好きって人いないべさぁー(笑)。お金にならんからやってるだけで、普通やりたくないべさぁ。
 だって、騎手が馬の世話するなら(騎手)やりたくないっていうよ。俺だら乗れないから、しゃーねえから厩舎作業してるんだよ。フフフフフ。
 馬はかわいいけどさ。作業は慣れてる。誰もしたくないよ。大変だよぉー。

--- そうですか、失礼しました(笑)。ナイターはいかがでしたか? 昼間開催に変わって体は慣れましたか。

 ナイターはナイターで、またいいところあるのさ。朝寝れるから体が楽なのさ。
 昼(開催)は昼で終わるのが早いから早く寝れるし、どっちもどっちだわ。
 体慣れたかって? いや、たいしてかわんねぇな。

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--- ではファンに一言お願いいたします。

 まぁ、なんちゅんーだ。お願いします、しかないんでないか。
 うまく書いといてよ。携帯でもみれるのかい。
 ファンレター来るようにお願いしますよ(笑)。


 今まで一度もしゃべったことのなかった澁谷騎手。とても話しやすく、気さくな方でとても面白かったです。十勝の馬のいる環境から騎手になられて、上士幌の気球のように自然と競馬場にやってきた澁谷騎手。これから上昇気流に乗るのを期待しています!


取材・文・写真/斎藤友香

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