第22回 ベテランの味・マサ兄 山本正彦
--- 騎手になられたきっかけを教えてください。ご出身は上富良野ですね。
そう。馬が自宅にいたし、父親が騎手兼調教師やっていた。その時は両方できたんだよね。
--- 山本幸一調教師ですね。同姓同名がいたので、上富良野の山本幸一調教師、東川の……と出身地で分けていたんですよね。
競馬場に入ったのは17かな。高2の時中退して。
父親の厩舎に厩務員で入ってね……昭和48年か49年くらい。盛り上がってたかって? 手当ては今くらいの金額でないか。それからどんどん盛り上がってきて、最高のピークは昭和55〜56年くらいだよね。
1年厩務員して、騎手試験は1回目の試験で受かって、昭和50年から乗ってる。2年目から父親は調教師1本になった。
--- では、思い出の馬を教えてください。名馬に数多く乗られていますよね。
自分の(山本幸一)厩舎のところでは、カイリキって馬が一番数多く重賞レース取ったよね。
帯広来たら一番強くて、帯広だけで重賞5本くらい獲ったんでねぇか。大臣賞(ばんえい記念)は頭獲れなかったけど、2着1回と3着1回。
それ以降いろんな強い馬に乗せてもらったよな。ヒカルテンリユウだとか、マルゼンバージだとか。
ヒカルテンリユウは、最終的には金山さん(明彦騎手・現調教師)が乗って大臣賞獲ったんだけど(笑)。迫力のある馬だったよね。体はあまり大きくないんだけど、気性が荒くて体以上の力を出す馬。威張って歩く馬でね、きかなかったんだけどレースにはその根性が出とったよね。
マルゼンバージはね、自分が初めてダービー(1989年ばんえい優駿)を獲った馬。人気薄ですごい馬券ついた。万馬券でなかったかな。旭川でね。そのままオープンまで行って、最終的にはまた金山さんが乗って大臣賞獲ったんだけど(笑)。
--- 金山騎手が先輩だったのでしょうか。厩舎は別ですよね? 山本さんは現在金山厩舎所属ですが。
先輩ジョッキーで、色んなこと教えてくれて。これから育っていくって馬を俺に乗せてくれとったんだよね。
テンショウリ(1992年ばんえい記念)も若い時乗せてもらってた。
金山厩舎・サダエリコ
--- 好きな戦法は?
アオザクラっていう雌馬がいたの。障害降りたらいっぺんに差してくるレースの面白さを教えてくれた。
2障害までは真ん中くらいで持ってきて、障害は後ろからかけていって、降りてから差しこむレース展開っていうのが、馬にも負担かからんし、乗り方として好きなんだよね。
テン(最初)から押していったら馬って疲れてくる。テンに少し息入れて乗ってきたら障害も楽に登れるし。どこまで持つかっていうのが鍵になるし、ま、そういう乗り方ばかりじゃ勝てないけど。
--- 山本さんは、ゴール前馬の影に隠れるように体勢を低くすることがありますよね。
へっへっへ〜。みんなにはケツ出してるって言われるんだけど(笑)。
馬が一生懸命歩いてるのに、叩いたりぼ(追)ったりしたら馬に負担かかるから、抵抗かけないように、ただ乗って馬の歩きにまかして。
隠れてるわけではないんだけど、あまり動かないようにして。一生懸命歩いてるのにさ、負担かけたり後ろで叩いたりすることもない。
なかなかうまくハマらんけどね。
--- さて、現役最年長騎手となりました。昔のばんえいと比べて、違う点はありますか?
馬の体は大きくなったんだけど、昔の馬の方が……もっと迫力があったような気もするよね。
昔のオープン馬なんてもっと強かったような気がするけど。うん。
--- ではプライベートについて教えてください。
結構趣味は多いんだけど、休みったら魚釣りとか。あとは夏はゴルフだとか。
--- 今までのジョッキーファイルでも、一緒に釣りをするという騎手がいました。後輩に慕われていますよね。マサ兄(にい)、って。
どうなんだろう(笑)。
--- では最後にファンに一言お願いします。
やっぱり……たくさんいるから大変なんだけど、1頭1頭の馬の“いい個性”っていうのをもっとアピールして、わかってもらいたいような気もします。
例えば、11歳で頑張っているキョクシンオー。障害の登坂力もいいし、軽めの馬場だったら叩かないでも自分でダーって歩いていけるし。
あ、今年からマルミシュンキに騎乗するんだけど、オープンに行っても勝ち負けできるような馬に育てていきたいな、と。馬主が期待してるだけに、良く育ててあげたいな、と。
だからね、体を故障しないように。自分がだよ。
私はゴール前に沈む、山本騎手の仕草が大好きです。馬を前に進める様々な技術に、さすがベテランと感動!
今回、わかりやすい解説と馬のことを思ってレースを進めていることを知り、さらに山本騎手のファンになりました。
ばんえい競馬はベテランであるほど、魅せどころがたくさんある競技だと思います。
取材・文・写真/斎藤友香