今年3月28日に地方競馬通算3000勝を達成した、高知の西川敏弘騎手。長年高知で活躍を続ける大ベテランにお話を伺いました。
まずは地方競馬通算3000勝達成、おめでとうございます!
ありがとうございます。目標にしていた数字なので、無事に達成できてホッとしています。先日祝賀パーティーを開いていただいたんですけど、まさかこんなにたくさんの方々に祝ってもらえると思っていなかったので感動しました。周りの方々、高知の騎手のみんなに感謝しています。
3000勝というのは本当に大きな数字ですね。
デビューした頃はまさか自分が3000勝もできるなんて思っていなかったですね。あの頃はジョッキーの人数も多かったし、30歳を過ぎたら調教師を目指して行くというのが普通のパターンだったから。勝ち星もそうですけど、まさか50歳になっても騎手でいられるとは思っていなかったですよ。
3月28日高知第6レース、プラズマディライトで地方通算3000勝達成
長年第一線で活躍を続ける秘訣は何でしょうか?
一番は体が資本の仕事ですから、体調管理は一生懸命しています。ただ最近ね、年のせいかガタガタで...(苦笑)。周りを見るとすごい人がいっぱいいますよね。的場(文男)さんから見たら、僕なんて子供みたいなもんでしょ(笑)。なんやあのパワーはって思いますよ。
西川騎手は1987年デビューで今年33年目。その間、激動の高知競馬を見て来たんですね。
本当にそうですよね。今は売上げが上がって、賞金も上がって、ものすごくいい流れで。感謝の気持ちでいっぱいです。一時期は「一番廃止に近い競馬場」って言われてね。賞金も低かったし、正直キツかったですよ。でもその頃の我慢があったからこそ、今は報われたなという気持ちです。
今から10年前、廃止の危機だったことが信じられないくらい、今は本当に盛り上がってますね。
ありがたいですね。あの頃は毎月赤字でしたもん、本当につぶれるんかなって思っていました。つぶれたら何やろうかなって。
他所の競馬場へ移籍したり、騎手を引退する方もいらっしゃった中、ご自身で辞めようという気持ちはなかったですか?
それはなかったですね。まず僕は馬に乗ることが好き、レースに乗ることが好きなんです。それに、高知が好きなので離れたくないという気持ちもあって。釣りが好きで、高知は海ばっかりでしょ(笑)。だから、他に移籍したいなという気持ちもなかったです。
高知競馬がどん底だった頃、どうやって盛り上げていこうという気持ちだったんですか?
やっぱり一番はレースが面白いかどうかなんですよ。そこが基本。これからどんどんネット社会になっていくという時期で、そうなったら誰でも何度でもレースを見ることができますから。一番考えたのは、とにかく真面目にキレイなレースをしようということです。そこは僕一人ではなくて、後輩にも徹底しましたね。邪魔したりするレースが横行していては、結局つまらないですし。僕はパチンコとかするんですけど、いい商品じゃないとお客さんは続かないでしょ。だからそこはすごく考えたし、今も大事にしています。
今や高知競馬名物となった、一発逆転ファイナルレースも登場しました。
僕から見ても面白いというか、どんな展開になるのか、どの馬が勝つか、僕らでも分けわかんないですよ(笑)。乗っていてワクワクしています。
3000勝達成表彰式(4月14日)
西川騎手は長らく騎手会長として高知競馬を引っ張って来ました。特に、怪我をして低迷していた赤岡修次騎手を引き上げたことは有名なお話です。赤岡騎手は、「西川さんがいなかったら、今の自分はない」と仰っていました。
いやいやいや、それは昔の話ですけどね。今でも赤岡くんがそうやってみんなに言ってくれることはありがたいですね。あの頃赤岡くんは怪我をして、ずっと落ち込んでいたんです。もう半分辞めようかなって思っていたみたいで。高知もあんまりいい時期じゃなかったんですけど、赤岡くんは才能があるから、辞めたら絶対ダメだって言って、毎日一緒にいました。自分が乗っていた馬にも赤岡くんに乗ってもらったりしてね、乗ると感覚を共有できるじゃないですか。それで「こんな感じよね」っていう話をしながらご飯を食べてましたね。
西川さんは騎手としてもすごいですが、人を育てるというところもすごいと思います。
昔は騎手の間で上と下の年齢層がだいぶ差があって、僕らがちょうど中間だったんですよ。それで、後輩との付き合いができるのは自分だと思っていたので、家に呼んで飲んだりしていました。育てるというほどのことではないですけど、みんなで飲んだりするのも楽しいですから。
でも騎手の世界ですから、どうしてもライバル関係じゃないですか。なかなかできることじゃないと思います。
僕はそういうのあんまり気にしないというか、人を蹴落としたりするのは好きじゃないんです。相手が上手くなったら僕ももっと上手くなりたいって思うし、正々堂々と戦いたいですね。
そういう空気感が、他の競馬場からの期間限定騎乗、例えば南関東で騎乗チャンスの少ない若手が、高知に来て修行するという新たなサイクルを生んだんでしょうね。
南関東とは環境的に全然違うと思いますよ。僕らだけじゃなくて、高知競馬は全体的に育てようという気持ちがあるので。高知で乗っていた子が戻って活躍してくれるのも嬉しいですし、そのまま高知に移籍してくれる子もいますしね。高知のジョッキーたちはすごく仲がいいし、和気あいあいとしていて、若手を威圧するような人はいないです。ただレースは厳しいですよ。
5月の福永洋一記念も節目の10回で盛り上がりましたし、いい波が続いていますね。
(福永)祐一くんにはとても感謝しています。恩返しというか、サプライズでお祝いができて良かったですね。あの表彰式は僕も泣きそうになりました。本当にたくさんの方々のお陰で高知競馬が盛り上がっているので、とてもありがたいです。正直、ここまで急激に良くなるとは思っていなかったので、そういう意味では怖い面もあります。3000勝のパーティーの時に、みんなの前で挨拶させてもらったんですけど、みんなに気を引き締めてもらわないとという話をしました。いい流れで注目されているからこそ、一人でも何かマイナスのことをしたらこの流れが全部止まるよって。今のいい流れは当たり前じゃないってことをしっかり伝えていかないと。
3000勝という大目標を達成しました。今後の目標は?
今は具体的な数字はないですけど、とにかく健康を大事にしたいです。体さえ健康ならば乗っていられますからね。未だに面白いですし、まだまだ続けていきたいです。同期の中西(達也)調教師とはライバルとしてずっと一緒にやって来て、彼が調教師になってからもいい馬に乗せてもらっています。大きなモチベーションになっているので、しっかり結果を出したいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
高知競馬一丸となって面白いレースを提供していきます。その信用は裏切りません。自分もそうですけど、後輩にも徹底していますので、たくさんの方に楽しんでいただけたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)
昨年は137勝を挙げ、高知リーディング3位と躍進した西川敏弘騎手。騎手会長も務める28年目のベテランに、現在の心境を語っていただきました。
赤見:昨年の成績は、一昨年の80勝と比べて倍近い勝ち鞍でしたね。
西川:倉兼(育康)くんが海外に行っているので、そこの厩舎に乗せてもらえたっていうことが大きかったです。たくさんいい馬に乗せてもらいましたから、その分責任感も大きかったですし、きっちり仕事せなという気持ちで乗っていました。だから、結果を出せて嬉しいですね。自分では、今までも自信がなかったわけやないんですけど、なかなかいい馬に巡り会えなかったりして、低迷していた時期が続いていたので。久しぶりに昔の感覚に戻ったというか、やっぱり勝ち負けの馬に乗ってると楽しいやないですか。緊張感があって、充実した一年でしたね。
赤見:今年でデビュー28年目に突入しますが、西川さんの原動力はなんでしょうか?
西川:何ですかねぇ。あの、僕、武豊騎手がすごく大好きなんですけど、高知に乗りに来た時とかに一緒に飲んだりするやないですか。その時に競馬の話になって、「まだまだやってやる」という話をよくするんですよ。年齢も僕の方がひとつ下やし、あの人が頑張ってるうちは諦めたらあかんて思いますね。長い間ずっと競馬界を引っ張って来た人で、僕もたくさん感動をもらいましたから、その武さんが頑張ってるうちはっていう。いい刺激をもらってます。
赤見:西川騎手は長く高知の騎手会長をしていますけど、高知は他場からのジョッキーの受け入れがとても頻繁ですよね。
西川:そうですね。他の競馬場から来るのは、けっこう自由です。最近人数が増えて来て、さすがに考えなきゃあかんのやないかっていう話もチラホラ出てますけど、それもなあなあな感じで。今の競馬界は騎手の移籍や他場での騎乗に対して制限がありますけど、全国でひとつくらい自由な競馬場があってもいいのかなと思ってます。
赤見:高知のジョッキーたちは、本当に仲がいいですよね。
西川:仲いいですね。もちろん、レースはキッチリやって、そこは絶対になあなあになったらいかんということはいつも言ってますけど、普段ギスギスしても何の意味もないやないですか。やっぱりね、県外に行くとお金のいっぱい掛かってるところほどギスギスしてますよ。レース上がりとか見てても、高知とは違うんやなって思う時はあります。
赤見:高知はもともと仲が良かったんですか?
西川:昔は違う時期もありました。僕がデビューした頃は人数ももっと多かったですし、調整ルームでしょっちゅう喧嘩があったり、上の人から説教されたり。すごい嫌やったから、自分が上になったらそういうのは絶対にやめようと思ってて。結局、誰かがやめないとずっと続いて行くし、自分がやられて嫌やったことを他人にするのは嫌やないですか。
赤見:でも、なかなかやめられないのが人間のような気もします。西川さんは子供の頃からそういう考えだったんですか?
西川:いや、全然(笑)。子供の頃はつっぱっとったし、やんちゃばっかりしよって色々ありましたよ。両親も放任主義やったし、自由奔放に振る舞ってました。でも社会に入ってみて、大人の世界は腐っとるって(苦笑)。当時は言葉で威圧したり、力で抑えつけようとする人が多かったもんで、自分はそういう風にはなりたくないって思ったんです。
赤見:昔、赤岡修次騎手が低迷していて騎手をやめようかと悩んでいた時に、西川さんに救われたって言ってました。
西川:あの子は才能あったんやけど、人間関係で腐ってた時期があったんです。せっかく技術はあるのに、かわいそうやって。毎日呼んで、一緒にご飯食べに行きました。今はすごい人になりよって。僕の出来ないようなことも出来るし、人脈も色々作ってくれて、本当にすごいなと思ってます。この世界は足の引っ張り合いみたいなところもあるけど、それだけじゃダメやないですか。とにかく、人付き合いと、チャンスをもらえるかなんです。一回芽が出れば波に乗っていけるので、その波を引き出すキッカケが欲しい。今ね、田舎はまだマシですけど、南関東の子らにはチャンスが少ないやないですか。競馬界全体で若手を育てていかないといけないのに、そこをどう考えてるのかなって思いますよ。自分も含めて、いつまでも爺さんが頑張ってる時代やないですから。チャンスあげなきゃ、育つもんも育たないですから。
赤見:高知では何人もの若手騎手が、期間限定騎乗で武者修行をしていますよね。
西川:ただ、やる気で来る子と、そうでもない子がいるんで、最初にちょっと言って何も答えを出して来ない子には、押しつけがましいことは言わないです。高知なら乗せてもらえるっていうだけで来る子もいるので。でも、ここで上手くなりたい!って思ってる子には、どんどんアドバイスします。本橋(孝太)くんや山中(悠希)くんなんかは素質も高いから、乗り出したらどんどん勝つんですよ。そうすると顔つきまで変わっていって。そういうのをそばで見られるのは嬉しいですね。ただ、山中くんは戻ってから厳しいみたいで。この前の新人王で久しぶりに高知に来た時、顔つきがまた変わってました。ゲッソリした感じになってて。
そしたら、乗り方まで違うんですよ。こっちで気持ち良く乗ってた乗り方と違って、ちょっとリズムが良くなかった。改めて、環境と気持ちで、乗り方も変わるんやなって痛感しましたね。
赤見:高知から巣立って行ったジョッキーたちのことは、その後も気になりますか?
西川:それは気になります。何鞍乗ってるかなとか、レース見たりとかね。頑張って努力してる子らは、報われて欲しいですから。
赤見:では、ご自身の目標を教えて下さい。
西川:目標っていうのは、特に考えてないんですけど。無事に乗って行きたいっていうのが一番ですかね。高知はお蔭様で売り上げが伸びていて、一時期のいつ廃止になる?っていう状況ではなくなりました。ずっと低迷してた頃からみんなが真面目にやった結果やと思いますし、赤岡くんが県外に行った時に宣伝してくれたり、主催者の努力もあります。でも一番は、ファンのみなさんが高知を見てくれるようになって、馬券を買ってくれるお蔭なんでね、それに応えられるようにこれからも頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋
若手騎手の期間限定騎乗、多数の遠征馬の登場、そして夜さ恋ナイターの開始。高知競馬の数々の特徴からは、厳しい時代に負けぬようにという、そんな気持ちが伝わってくる。その高知競馬場で騎手会長を務めている西川敏弘騎手に、高知競馬への思いのたけを話していただいた。
2009年、西川騎手はスパイナルコードでJBC(クラシック)初参戦となった。
■ああいうレースに出ること自体がすごいことですからね。普段は全然緊張しませんが、あのときはさすがにアガりました。ただ、このメンバー相手では全然ついていけないんじゃないかと心配していたんですよ。でも結果は10着でしたが、自分が思っていたよりは頑張ってくれたと思います。
そのスパイナルコード。夜さ恋ナイターが始まってからの快進撃(6連勝)には、目をみはるものがあった。
■もともと夏には強くて、気温が上がると動きも変わるんですよ。それにしても58kgで勝ったときにはビックリしました。スパイナルコード自身、ナイターのリズムがハマったところがあるかもしれません。
西川騎手自身も、夜さ恋ナイター開幕2連勝を飾っている。
■いや、普段は夜8時くらいには寝ているんですよ。だからナイターが始まる前は大丈夫かなあと思っていました。でも慣れたらかえって楽ですね。朝の調教が終わってからレースまでゆっくり休めますから。開催日が連続するときの生活は、夜11時くらいに寝て、朝2時半に起きて馬場入り。調教が全部終わってから昼寝して競馬、という感じです。
上々の滑り出しをみせている夜さ恋ナイター。実際に騎乗してみての感想はどうなのだろうか。
■開始前には"暗い"とか"危ない"とかいろいろ言われていましたが、乗ってみると案外大丈夫ですよ。昔からのファンからは『なんで夜に競馬をするんだ』などという声も聞かれますが、ぼくらも売りたい一心でやっているわけなので。主催者の方々も一所懸命に仕事しているのがわかりますし、ぼくらもガマンできるところはガマンして、協力できることは協力しなければ、と思いますから。
西川騎手はキャリア23年目。いい時代も悪い時代も知っている人だ。
■確かに昔のことを思ったら今の状況はナンですけれど、切羽詰ったら何でもできますよ。やっていることは昔と変わりませんし、競馬に対する気持ちも変わりません。むしろ昔より強くなったと思うくらいです。ただね......、いちばんさみしいのは馬が減っていくこと。だからローテーションもきつくなりがちですし。ナイターをきっかけに、もうすこし馬が増えてくれるといいなと思っています。
騎手目線から見る高知競馬の魅力とは、どのあたりだろうか。
■馬券的にはけっこう当たりやすい競馬場だと思いますよね。配当は安いかもしれませんが、当たるからけっこう遊べると思います。それで最終レースは一発逆転。これが魅力だと思いますよ。乗っているぼくらも全然わからないですから。
その"一発逆転ファイナルレース"。難解さが人気を呼び、ときにはメインレースより発売金額が大きいこともあるらしい。
■そのレースに出られると決まるのは、だいたい2週間前。選ばれたら調教師さんは、そこを狙ってビッシリ仕上げていきます。騎手のぼくらも気合が入りますよ。普段なら全然ダメだと思ってしまうような馬でも、ひょっとしたら......と思いますもの。
こういうレースがあると、騎手もやりがいがありますね。馬券を買っている人も、そういうレースが1日にひとつかふたつ、あったほうが面白いのではないですか?
逆転の発想で興味ある競走番組を創り出している高知競馬。そういった日々の競馬から、フサイチバルドルを筆頭に復活や変身を遂げる馬が数多く出現している。
■ぼくも毎日20頭近くに調教をつけていますが、高知競馬の騎手は調教師みたいな部分があります。お決まりのメニューではなくて、乗った感覚で調整できるというか。そのさじ加減をうまくして、レースで目一杯に走れるようにと調整していけるんです。
復活や再生の理由? うーん、何なんでしょうねえ。人間がおおらかだからですかね?
確かに競馬のときは土佐の人間の本性が出るのか(笑)荒くなることもありますが、普段は全然ギスギスしていないんです。そのあたりが馬の精神的な安定につながっているのかもしれないですね。それと、高知の馬場はメチャメチャ重いんですよ。だから普通に走っているだけで、JRAの坂路くらいの負荷があると思うんです。そんな場所で日ごろ走っている馬が遠征すると、行った先での動きが軽くなりますよ。そういう競馬場だから、これからも復活する馬が出ると思います。今後は他地区でカベに当たっているような馬がもっと転入してきてほしいですね。JRAのオープン馬が高知に来たら、ダートグレードレースにも出やすくなりますよ!
経営が厳しいといわれるなかでアップしている在厩馬のレベル。それは騎手も同様だ。
■他地区から若手が修業に来ますが、上達していくのが目に見えてわかりますね。やっぱり騎手は乗ってナンボでしょう。ぼくも他地区に遠征することが刺激になっています。今年(2009年)、園田のゴールデンジョッキーカップに初めて参加しましたが、面白かったですね。さすが全国のトップジョッキー、乗り方がもうキツキツ。優勝は内田(利雄)さんにさらわれましたが(西川騎手は内田騎手と同点も、規定により2位)、本当に勉強になりました。次もまた出たいですよ。それから各地のトップジョッキーの皆さんには、もし余裕があったら、少しの間でも高知に来てほしいと思います。すばらしい若手の手本になりますから。
高知競馬騎手会長としての立場もあるが、西川騎手から感じられるのは、高知競馬への愛。「まだまだ乗っていたいので、ナイターが開幕する前にタバコをやめました」と、今後への意欲も十分だ。「今は無理ですが、いつかは短期免許で他の競馬場にも行ってみたい」という想いはあるとのこと。しかし今は高知競馬の復活を目指して、入魂の騎乗を続けていく覚悟である。
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西川 敏弘(高知)
1970年1月27日生まれ みずがめ座 A型
高知県出身 大関吉明厩舎
初騎乗/1987年4月4日
地方通算成績/13,814戦2,147勝
重賞勝ち鞍/全日本アラブグランプリ、高知県知事賞5回、建依別賞5回、二十四万石賞3回、高知優駿(黒潮ダービー)3回、珊瑚冠賞3回、金の鞍賞3回、南国桜花賞8回など54勝
服色/胴桃・右白たすき、袖白
※成績は2009年11月18日現在
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(オッズパーククラブ Vol.16 (2010年1月~3月)より転載)