6月21日、金沢第3レースをサブノタマヒメで勝って、金沢現役6人目となる地方競馬通算1,000勝目を挙げた39歳の畑中信司騎手。2001年デビューで、今年は20年目。ナムラダイキチとのコンビで一世を風靡した名手のこれまでとこれからを伺った。
1,000勝おめでとうございます。振り返って、どうですか?
あっと言う間でしたね、デビューしたころは、ここまで勝てるとは思ってませんでした。これまで支えて下さった方々のおかげです。本当に感謝しています。
出身は大阪の岸和田。金沢でデビューとなった経緯は?
騎手になりたくて、実家の近くの牧場に問い合わせたら、師匠になる寺田茂先生(2016年引退)を紹介して下さったのがきっかけでした、師匠は元々、岸和田にあった春木競馬場の騎手で、廃止後に金沢へ移籍しましたので、岸和田とも深いつながりがありました。
高校卒業後に教養センターに入所しました。
同期には北海道の岩橋(勇二)、大井の真島(大輔)、名古屋の大畑(雅章)もいて、今、思えばまずまずのレベルでしたね。成績は同期の中では真ん中くらいだったでしょうか(笑)。
師匠の寺田先生はどんな方でしたか
厳しい方でした。ほめてもらえることはなかったですね(笑)。勝っても、下手に乗った時なんかは、よく叱られました。「好位でじっとしてたらいいのに、なんであんなに競り合って、馬に無理をさせるんだ」っていう風に。でも、しっかり僕を見てくれているというのは感じましたし、僕が下手に乗った次のレースでも、馬主さんに頭を下げて、引き続き僕を乗せて下さったり、そういう優しさもある方でした。
畑中騎手の勝負服(胴袖黄・赤山形一文字)は寺田先生から引き継いだものでしたね。
はい、そうです。「その服でブザマな競馬をして、オレの顔に泥を塗るんじゃないぞ」とよく言われました(笑)。先生は引退されましたが、今も近所に住んでおられるので、買い物の時とか、時々お会いします。その時は「しっかりやれよ」と声をかけて下さいます。自分がここまでこれたのは関係者の方々のおかげですが、その中でもやっぱり、師匠の存在は大きいですね。
畑中騎手と言えば、ナムラダイキチとのコンビで全国にその名前をとどろかせました。地元重賞12勝、笠松・オグリキャップ記念1着、白山大賞典2着の名馬ですが、やはり、一番の思い出の馬ですか。
自分が乗った馬の中ではダイキチは最高の馬ですね。けがさえなかったら、中央の馬ともいい勝負ができたはずだし、いっぱい夢を見させてくれました。特に2013年に地元金沢で行われたJBCは出たかった。あの頃のダイキチが一番強かったですね。
ナムラダイキチ(2013年5月5日、北國王冠)
ナムラダイキチとの思い出はたくさんあると思いますが、中でも印象に残っているレースはどれですか?
初めて重賞を勝った2011年暮れの中日杯ですね。前任者の中川(雅之)さんが調教師への転向が決まったので、中日杯の前のレースから乗り始めました。調教では全然走らないのに、レースとなるとエンジンが違いました。すごい反応でした。自信になりましたし、走る馬とは、こんな馬だと教えてもらいました。
ダイキチとのコンビで中日杯を勝った翌月の2012年1月から3月までの金沢の冬期休みの間、福山で短期騎乗を始めます。期間中、地元騎手を差し置いて、リーディングになるほど勝ちました。
超小回りコースの福山(1周1,000メートル)は乗っていて、勉強になりましたし、楽しかったですね。広いコースだと、どうしても馬の力通りに決まることが多くなるけど、福山ほどの小回りだと力の足りない馬でも、その日の馬場状態や位置取りや展開次第で力のある馬に勝つことができる。初めての時の福山は、それがバシバシ決まって勢いに乗れた。福山には2013年も呼ばれて、その年に福山が廃止になり、2014年には高知に呼んでもらえた。高知でもかなり勝つことができたし、高知のクロスオーバーで佐賀の花吹雪賞も勝った。今年も高知で乗ったのは、そのつながりですね。福山や高知で学んだ技術は、金沢でも活かせるし、騎手としてステップアップにつながった貴重な経験ですね。
佐賀・花吹雪賞を高知のクロスオーバーで勝利(2014年1月19日)
今、畑中騎手は昨年、金沢の年度代表馬になったティモシーブルーというお手馬がいます。6月23日には百万石賞連覇を狙いましたが、惜しくも3着でした。
急に暑くなって、昨年の状態にはなかったです。百万石賞の前のレース(利家盃)では百万石賞で1番人気になったサノサマーにぴったりマークされて2着だったので、百万石賞の本番では逆にサノサマーをマークする形でレースを進めました。レースは勝ったサウスアメリカンが向正面から動いて、押し切りましたが、ティモシーブルーの調子が良かったら、サウスが外から上がってきた時に、一緒に動けてました。それでも直線では、しぶとく3着に粘りました。先頭に立つとソラを使う乗り難しいところはありますが、最近はスタートも安定しています。自分でレースもつくれる強みもあるし、6歳と若いので、まだ強くなる余地はあります。
2021年には2度目のJBCが金沢で行われます。
前回の金沢のJBCではダイキチで出られなかったので、次は出たいですね。ティモシーはダイキチと比べるのはかわいそうですし、中央馬と渡り合うにはまだまだ強くなる必要はあります。でも、JBCが行われることで、全国から金沢が注目されますし、馬主さんがJBCのために、いい馬を入れてくれれば、盛り上がりますし、すごく楽しみですね。
ティモシーブルー(2020年4月28日、金沢スプリングカップ)
これからの目標を教えてください。
特に数字を挙げてというのはありません。ひと鞍ひと鞍、大事に乗っていきたいと思ってます。あと、もう一度、どこか海外に再挑戦したいですね。初めて挑戦した韓国のソウル(2017年1月~2018年6月)では23勝しましたが、なかなか人間関係が難しくて、いい馬に乗せてもらえず不本意でした。今すぐとなると、コロナの影響もあるので無理ですが、韓国での経験を次の挑戦に活かしたいですね。
最後にオッズパークのファンの方にメッセージを。
今はコロナの影響で無観客開催が続いて、大変ですが、オッズパークのファンの皆さんがたくさん馬券を買っていただいているおかげで大きく売り上げが減ることもなく、競馬の開催を続けられることに本当に感謝しています。これからも、よろしくお願いします。
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※インタビュー / 松浦渉(写真:石川県競馬事業局、佐賀県競馬組合)
金沢の看板馬ナムラダイキチの主戦ジョッキーとして知られる畑中信司騎手。今年はすでに80勝を挙げ(9月28日現在)、昨年の73勝を上回る成績を残しています。ナムラダイキチのこと、そしてご自身のことについてお話を伺いました。
ナムラダイキチは約11カ月の休養を経て今年の5月に復帰しましたが、久しぶりに騎乗してみていかがでしたか?
復帰戦はA級の特別戦だったんですけど、あれだけ休んでいたのにいきなり勝ってくれて、さすがだなと思いました。休む前に比べると行きっぷりが多少よくなかったですけど、勝ち切ってくれるところがダイキチだなと。ただやっぱり、絶好調だった頃に比べると強い調教をすることができなくて、様子を見ながらの攻め馬だったので、前走の百万石賞では思ったような動きをすることができませんでした。今は脚元の状態があまりよくなくて、また休養に入ってしまいました。
ナムラダイキチはどんな存在ですか?
本当に大きな存在ですよ。たくさん重賞も勝たせてもらいましたし、白山大賞典(2012年)でも2着にがんばってくれて。騎手をしていて、これだけの馬に出会える機会はなかなかないですから、いつも勉強させてもらうつもりで騎乗しています。地元の期待を一身に背負っている馬ですから、乗る時にはプレッシャーも大きいですけど、その中で結果を出せたというのはすごく自信になりました。この馬に出会う前と後では、精神的に変わったと思いますね。僕にとって大事なパートナーです。ダイキチが絶好調だった頃(2012年)、僕も初めて年間100勝を達成させてもらったんですよ。やっぱり、地元の看板になるような馬に乗せてもらっているとすごく目立つし、騎乗馬も増えるという好循環になるんだと思います。ダイキチには感謝してもしきれないくらいですね。途中からは脚元との戦いになってしまいましたが、コンスタントに使えるようならばもっと大きい舞台へも行けたと思います。今はとにかく脚元を治療して、無事に復帰してくれることを願っています。
ナムラダイキチ(2013年百万石賞)
もう1頭、クロスオーバー(高知・別府真司厩舎所属)とのコンビも印象が強いですけれども、どういうきっかけで乗ることになったんですか?
冬場のオフシーズンに福山に乗りに行っていたんですけど、残念ながら廃止になってしまったじゃないですか。それで、じゃあどこに行こうかと思った時、南関東は成績的に条件が足りないし、高知はウェルカムで迎えてくれるという感じだったので、期間限定騎乗をお願いすることにしました。たくさんチャンスをいただいて乗せてもらったんですけど、その中でも別府先生が本当に良くしてくれました。クロスオーバーに関しては、佐賀の花吹雪賞を勝てたことが大きかったです。ハナ差で逃げ切ることができたんですけど、1着か2着かでその後が大きく変わったと思いますね。本当に大きなハナ差でした。
クロスオーバー(2014年佐賀・花吹雪賞)
別府先生と畑中騎手は性格的にすごく合っているとお聞きしました。
そうなんですよ、すごく合うんです(笑)。どういうところがっていうんじゃないですけど、遠征に行った時とかもけっこう一緒に行動してますね。騎乗に関しては細かい注文もなく僕に任せてくれるし、懐が深くて本当にすごい先生です。調教師としても、人間としても尊敬しています。
クロスオーバーは他地区への遠征の時にも騎乗していますが、高知の馬で金沢の騎手が全国に行くというのは、今の時代ならではですよね。
少し前だったらそこまで交流が盛んではなかったですから、こういう時代になって感謝しています。そのお蔭でいろいろなところに行くことができて、本当に勉強になっていますね。TVで見たり、人から話を聞いていても、実際にその競馬場に行って乗ってみないとわからないことって多いですから。それに、外の競馬場で騎乗した経験が、また地元に戻った時に活きてくるというか。僕はデビューしてしばらくは本当にダメで、全然上手く乗れなかったんですよ。でも周りの方々が助けてくれたこと、そして福山や高知などで経験を積ませてもらったことで、多少なりとも成長ができたのかなと思っています。
今年はここまで80勝を挙げ(9月28日現在)、すでに昨年の73勝を上回りました。好調の波に乗っていますね。
僕がどうこうではなく、最近は金沢リーディングの金田一昌厩舎の馬に乗せてもらえることが大きいですね。騎手は乗せてもらって初めて仕事ができる立場なので、周りの方々に常に感謝して、これからもおごらずに進んで行きたいと思っています。
では、今後の目標を教えて下さい。
直近の目標としては年間100勝です。2012年に一度だけ達成したことがあるんですけど、そこからはなかなか近づけていない数字なので、今年は絶対に超えたいです。長い目でみた目標は、ありきたりですけど1頭1頭丁寧に乗って、ひとつずつ勝ち星を積み上げて行くことです。結果的にそれがリーディング順位にも繋がることだと思うし、大きな舞台へも繋がることだと思っているので。これからも金沢競馬を代表する騎手になれるようがんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:石川県競馬事業局、佐賀県競馬組合)
白山大賞典JpnIIIでは中央の強豪を相手に2着と健闘したナムラダイキチ。金沢の王者として君臨する、そのナムラダイキチの主戦をつとめるのが、デビューして12年目を迎える畑中信司騎手です。今年のシーズン前には福山での期間限定騎乗でも結果を残し、金沢のトップジョッキーのひとりとして活躍中です。
大川:白山大賞典ではナムラダイキチで2着。
畑中:くやしいですねえ。もうちょっとがんばれるかな、とは思っとったんですけどね。周囲の期待は感じていましたね。レース中も、1周目スタンド前でスゴい声援があったんで、うれしかったです。道中、ボクがイメージしていたのよりペースが落ち着いたんで、向正面ぐらいで、『あ、これは3コーナーまでガマンすると、逃げてるエーシンモアオバーが残っちゃうな』と思ったんですよ。ニホンピロアワーズの手応えはハンパなかったんでね。『あ、ちょっとこれにはかなわんな』とは思ったんですが、エーシンモアオバーはかわしたいなって。
大川:ペース上がらず、よくなかった?
畑中:ああ、そうですね。2コーナーの立ち上がりのところで、一度ひかえてから外に出す感じになっちゃったんですよね。もうちょっとペースが上がっとったら、ひかえて出すっていうより、流して出せたんですけどね。できるものなら、もうちょっとスムーズに、サーっと出していけたらよかったですね。
大川:残り800を切る前に動きました。
畑中:ペースが遅いなと思ったのもあったし、外に出したときにダイキチがいい感じにちょっとハミとっちゃったんで、無理矢理おさえるよりも、このまま流してったほうがいいかなと思って。交わせるなら交わしちゃったほうがよかったんですけど、内の手応え見たら、もう絶対かわせないなと思って(笑)。それほどニホンピロアワーズの手応えは、良さそうでしたね、横で見とって。3コーナー過ぎまで行ってから、一瞬ビュッて離されたじゃないですか。離されて、直線入ってからちょっとフワフワしたんですよ、ニホンピロアワーズが。その時にもう1回、交わせるかなって思って(笑)、がんばってみたんですけど、でも追いつかなかったですね。
イヌワシ賞(2012年9月4日)勝利時のナムラダイキチ(撮影:石川県競馬事業局)
大川:ナムラダイキチはよくやったという声も大きいですが?
畑中:ゴールしてからも、上がってきたら、「ようがんばった!」って、ファンの方から。負けたのにねえ、大きな声援を(笑)。2着でようがんばったって拍手もらったり、声援をあびるのは初めてですね。また来年はいいとこ見せられるように、交流重賞でがんばるので、応援よろしくお願いします。ボクも、『ナムラダイキチさん、ホント、ありがとうございました』って感じです(笑)。
大川:その後のナムラダイキチは?
畑中:涼しくなったせいか、またより一層元気になっちゃいましたね(笑)。白山大賞典でけっこうダメージ食らうかなと思ってたら、逆に元気になった(笑)。若さなんやろなあと思いますけどね。回復力がハンパねえな、って。タフですわ、ホントあの馬。
大川:ナムラダイキチは、これまでに出会った馬のなかで...。
畑中:一番ですね、やっぱ。レースに関しても無駄な動きをしないですね。遅くなったら遅くなったペースで走れるし、速くなったら速くなったペースでも走れるし。無駄に、こう、ガーって引っかかったりとかしないんですね。で、行くときはちゃんと行ってくれるし。一完歩がでかいですね。それもいいところだし、頭もいいし。競馬に行っても頭がいいですね。教えられることばっかりですね。
大川:出会ったことについて。
畑中:ホント感謝してますよね。ダイキチさまのおかげで、ボクもこうやってインタビューを受けさせてもらったりとか、みんな注目してくれたりとか。結局、乗り役なんて見られてナンボの商売ですからねえ。ホントありがたいです。
大川:騎手になったキッカケは?
畑中:中学校のときに、アレを見に行ったんです、阪神大賞典。96年の、ナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ち。ナマで見て、うわ、めっちゃカッコええやん、って。競馬ナマ観戦は、そんとき初めてだったんですよ。テレビでしか見たことなかったのが、初めてのナマで、あの一騎打ちを見てしまって。乗り役になりたいなと。母に騎手になりたいって言ったのは、中学校の進路相談の三者面談のときにね。先生に「畑中くん、何にするの?」って聞かれて、「ボク騎手になります」って言ったら、「はぁ!?」って(笑)。お母さんも初耳、先生も初耳(笑)。結局、ダメだって言われて高校に進学したんですけど。高校3年生のまた進路相談のときですわ、先生に「どうするんや」って聞かれて、「進学します」って言って、「進学ってお前、学力ないのに進学できんぞ」「いや騎手になりたいんで、その学校に」って言ったら、その先生も、「そんなんなりたかったんや」っていうふうで、けっこう動いてくれたんです。一度、中央の試験受けて、不合格で。で、近くの貝塚市にある牧場、春木競馬で厩務員やってた方の牧場かな、そこで「お願いします」って言うたら、「そんなら知ってるやつが金沢で調教師やってるから、そこで面倒見てもらえや」みたいな。そこで(現在の師匠である)寺田茂先生を紹介してもらいました。
大川:ナムラダイキチとコンビを組んでもうすぐ1年、冬季の期間限定騎乗でも結果をだしました(騎乗期間終了時点で福山リーディング1位)。
畑中:福山では、そんなに勝てると思ってなかったんですけど、行く前に寺田先生にも気合い入れられて。春木におった厩務員さんとかが福山で働いてるとか、けっこうおるらしいんですわ。「お前、オレの勝負服着て行くんやから恥をかかすなよ」って。ボク、先生の勝負服デザイン、もらったんですよ。乗り役として、コレはみんなよりうまいんちゃうかなあと思うワザをみがかないといけないな、と思うんですけどね。逃げるのは、あんま好きじゃないんですけど、周りのひとから見ると、『逃げたら残るじゃんアイツ』、みたいに見られることが多いんですよ。でも、ボクとしては、逃げ方が上手くなったのは、福山での騎乗が大きいですね。アレはホント勉強になりましたよ。ホント、今年は上手な逃げ方を覚えさせてもらったなあ、あの競馬場では。ダイキチに乗るようになって、乗り役として、自信が持てるようになりましたね。他のレースでも、落ち着いて周りが見えるようになりました。余裕、ゆとりがあるから、『ああ、前にコレとコレとコレがおって、ああ、コレとコッチは下がるし、コレの後ろではアカンし』みたいな。以前よりそういうものを、敏感に感じるようになりましたね。気持ちにゆとりができたんでしょうね。他の馬に乗っても、その馬の力のある程度の容量なんかを、敏感に感じるようになりましたね。もう今年は、ダイキチでも福山でもスゴい勉強させてもらいましたね。ホント、充実した1年でした(笑)。
大川:まだ今年、終わってませんが(笑)。最後に金沢を代表する騎手としてひと言。
畑中:ボク自身、知名度が上がるような活躍して、金沢競馬のために宣伝でもなんでもして、普段は競馬しないひとでも、「あんなイケメンジョッキーが乗ってるなら行ってみようか」って思ってもらえるならうれしいですね(笑)。
大川:金沢競馬のイケメンは誰ですか?...畑中騎手以外で。
畑中:ボクをのぞくとですか? ドングリの背比べですね(笑)。
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※インタビュー / 耳目社・大川充夫