昨年ソウル競馬場で年間100勝を達成し、最優秀騎手に選出された高知の倉兼育康騎手。貴重な経験を積んで、ひと回りもふた回りも成長し、今年の2月から地元高知で騎乗しています。これまでのこと、そして現在の心境を語っていただきました。
2月から久しぶりに日本に腰を据えての騎乗が始まりましたが、4月に入って一気に勝ち星が伸びましたね。
戻って来た当初は、コーナーで仕掛けるのが遅れていたんです。ソウル競馬場はコースも広いし、高知とは仕掛けるタイミングが全然違うので、初めのうちは少し戸惑いました。レースをしながら、自分の乗っている馬の手応えを感じながら、少しずつタイミングが噛み合って来たのかなと。当初は2着ばっかりで、「またかよ」っていう感じでしたけど、勝てると気持ちが全然違いますね。今はいいリズムでやれています。思った以上に乗せてもらっているので、本当に感謝しています。
ソウル競馬場では何度も期間限定騎乗をされていますけれども、最初のきっかけというのは?
もともとどこかに行って乗ってみたいと思っていたんです。2007年の頃ですね。今みたいに(地方競馬で)期間限定騎乗のルールが整っていたわけではなかったので、遠征に行ける競馬場がなかなかなかった。その時、ソウル競馬場から全国の地方競馬場に向けて、「誰か乗りに来る人はいませんか?」っていう連絡があったんです。韓国競馬のことをまったく知らなかったのでいろいろな人に聞いて、やってみようと思いました。言葉の壁とか不安なことはあったけど、チャンスがあるならやりたいと思って。
実際行ってみてどうでしたか?
もうね、すごかったんですよ。最初の頃の僕の口癖は、「馬が馬の走り方を知らない」っていうことです。何年も走っている競走馬でも、日本でいう2歳の初期くらいの感じで、体の使い方を知らないんです。調教師に「こうしたらいいんじゃないですか?」って言っても、「これがスタイルだから」って言われて。最初は文句ばっかり言っていました。でも彼らもプライドがあるし、ここまでやってきた実績もある中で、日本から来た若造が何言ってんだって、そりゃそうなるよなと思います。そこから話し合うようになって、たくさん乗せてもらえるようにもなりました。それに、韓国競馬自体がかなり成長しましたね。今は競馬パート3国なんですけど、「パート2になりたい」っていうのが関係者の口癖なので。日本からだったり、オーストラリアやアメリカからも調教師や騎手を呼んだり、採決委員に入れたりして、どんどん変えて行っているんです。
倉兼騎手のあまりの活躍ぶりに、騎手会から「倉兼騎手を乗せないで欲しい」という要望が出たと聞きました。海外で乗る大変さもあったんじゃないですか?
2008年に行った時に、「倉兼には乗せないで欲しい」って言われたんです。短期免許を延長させないでくれとか、騎手会から頼んだりしていました。だからって、面と向かって何かをされるわけではないので、特に気にしなかったです。まぁ、「また面白いネタができたな」くらいの気持ちでした。よそに行って乗っているんだから当然のことです。その中でどう対応するか、そこが勝負でしょう。いろいろなことがありましたけど、馬主、調教師、厩務員、ジョッキーの人たちもみんな助けてくれました。仕事の面でも私生活の面でも助けてもらって、本当に有難いですね。
今では韓国語がかなり上達したんじゃないですか?
誰も信用してくれないけど、韓国語はしゃべれないし、字も読めないんですよ。だって勉強できないから(笑)。最初のうちはわざと覚えないっていう感覚でいました。しゃべれると面倒なこともありますからね。韓国の方は感情的にガーッと怒って来るんですけど、言葉がわからないから結局通訳さんを通すでしょう。間に挟んだ方が僕としては有難い。通訳さんは怒られてしまって申し訳ないですけど。
ソウル競馬場で騎乗を続け、昨年は年間100勝を達成。さらに最優秀騎手に選ばれましたね。
自分の力で獲ったんじゃなくて、転がり込んできたんです。勝ち星では2位で、騎乗停止など制裁面も考慮しての賞なので。最初、牛山基康さん(韓国競馬に詳しい岩手・ケイシュウの記者)に「おめでとう」って言われて、何のことかわかりませんでした(笑)。韓国競馬のサイトには出ていたらしいんですけど、それから何日かして正式に言われました。最優秀騎手に選ばれたことは、素直に嬉しいですね。
年間100勝はずっと狙っていたんですけど、難しいなと思っていました。なかなかできることではないので。でも最後の前の日に3勝して達成できたんです。この時はかなり嬉しかったですね。僕よりも周りの調教師の方が喜んでくれて。勝つたびに、あと何勝あと何勝って言って、応援してくれたんです。
海外での騎乗経験を経て、ご自身で変わった部分はありますか?
精神面でいえば変わったと思うけど、自分自身ではよくわからないです。周りからは「怒らなくなったね」って言われますね。いい意味で人に対して諦めの気持ちができたし、穏やかになったのかなと。
実は、2回目にソウルに行く時に、「調教師になりたいからその前に行かせて下さい」って言ったんですよ。自分には才能も技術もあると思っていないので、体力が落ちる年齢になっても続けるのは難しいだろうなと思っていて。いい馬に乗せてもらって勝たせてもらってるだけなので、長くは続けられないんじゃないかなと。でも、調教師になるのはもう少し先になりそうです。もう少し乗っていたいと思うようになりました。韓国からもまた来て欲しいって言われているので、そう言ってもらえるうちに行きたいなと思っています。
韓国での活躍でNARグランプリ2014・殊勲騎手賞を受賞(真ん中)
高知に戻って来て、改めて感じたことはありますか?
高知は普段は仲がいいけど、レースにいったらみんな勝ちたいっていう気持ちが強くて、本当に負けん気が強いです。ソウルから戻って来たら余計にそう思うようになりましたね。人気薄の馬に乗っている騎手も、「どうにかして勝つぞ」って狙っているし、改めてすごいなコイツらって思いました。自分も負けていられないです。みんなが一生懸命乗っているし、白熱したレースをお見せできるよう頑張りますので、これからも高知競馬をよろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:斎藤修)