1981年にデビューした兒島真二騎手は、すでにキャリア30年以上。数々の重賞タイトルを獲得しているが、今年はついに東海ダービーを制した。名古屋競馬は若手騎手の活躍が顕著だが、ベテランの存在感は別格だ。
ウォータープライドで東海ダービー制覇(写真:愛知県競馬組合)
浅野:東海ダービーの優勝、おめでとうございます。
兒島:ありがとうございます。ジョッキーとしてダービーを勝つのは念願でした。ダービーに参加する機会もそれほど多くはないわけですし、そのなかで勝てたわけですから、本当にうれしいことですね。
浅野:東海ダービー馬、ウォータープライドは、以前はスタートがいまひとつでした。
兒島:そうですね。笠松のライデンリーダー記念(3着)のときは全然ゲートから出て行かなくて後方からになったんですけれど、あの馬場(雨・不良)でよく差を詰めてきましたね。笠松ではプリンセス特別(3着)でも出負けしたんですけれど、これ、両方とも1番枠だったんですよ。
浅野:でも、名古屋競馬場では連対率100%です(2013年7月現在)。
兒島:東海クイーンカップでも1番枠でしたが、うまくゲートを出て1周目のゴール前で前に出て押し切りましたし、ダービーもスタートがよかったですからね。でも、先日のクイーンカップ(6月25日・笠松)はジンマシンで出走取消。何なんでしょうね。ただ、前走(7月25日・兵庫サマークイーン賞)ではゲートでトモを落としてしまいました。やっぱり、まだスタートに関しては心配なところがありますね。
浅野:それから兒島騎手といえば、2005年、名古屋競馬場で行われたJBCクラシックで、地元のレイナワルツを3着に導いたことが思い出されます。
兒島:あのレースは惜しかったというかなんというか。2周目の3コーナー入口で、ナイキアディライトと内ラチとの間、ちょっと狭くなりそうな感じがあったんですが、そこを突っ切ったのがポイントでしたね。それで4コーナーでは先頭で、うしろをちょっと見たら、2番手までそこそこ差があって。それを見たらもう「行けー!」って、必死に追いましたよ。でも3着。1億円が2千万円になっちゃって(笑)。悔しいなあという気持ちで検量室に引き揚げてきたんですけれど、瀬戸口(悟)先生に「いい夢を見させてもらったよ」と言ってもらってうれしかったことを覚えています。3着でしたが、あれは自分のなかでも最高のレースのひとつです。
浅野:兒島騎手は鹿児島県出身ですが、名古屋に来たのはどうしてですか?
兒島:僕の母が鹿児島の和田牧場の人と知り合いで、それで和田牧場のつてで騎手を探していた水谷文平調教師に紹介されました。それまで馬に乗ったことといえば、子供のころに鹿児島大学の学園祭かな、そこでの引き馬くらい。なのに、中学の卒業式の次の日に、トヨタに就職する人とかと一緒に列車に乗って名古屋に来たんです。競走馬を見たのは名古屋に来てからですね。
浅野:それでよく続きましたね。
兒島:怖かったですよ。何十回も落とされて。別に騎手になりたくて名古屋に来たわけじゃないから、いくらでも逃げ道はあったんですけどね。自分でも何で続いたのか、よくわからないです。
浅野:意地というか、そういう気持ちがあったんでしょうか。
兒島:うーん、そういう思いもあったのかなあ。でも、5年くらい前に引退するつもりだったんですよ。調教師を目指すとかじゃなくて、もう騎手はいいかな、というような感じで。それで、主催者側にも引退しますと言ったんです。
浅野:そうなんですか。
兒島:そうしたら、塚田(隆男)調教師が「まだやめるな」と夜中まで僕を説得してくれて。塚田調教師は僕の騎手時代の兄弟子なんですよ。まあ、それもあって引退するという話は撤回することにしたんです。でもそのおかげで塚田厩舎のウォータープライドとコンビを組めたわけですからね。続けていてよかったと思います。
浅野:5年前といえば2000勝達成前でしたが、すでに勝ち星は2100を超えています。
兒島:今はもう、いつやめようとか、そういうのは全然ないですね。ウォータープライドもいますし、これからまたいい馬にめぐり会いたいですし、それとやっぱり、まだ若い連中には負けたくないですからね。そういう思いで、一所懸命にがんばっていきますよ。
浅野:ちなみに中学までは何かスポーツをされていたんですか?
兒島:鹿児島なんですけれど、小学5年から中学3年までスピードスケートのショートトラックの選手でした。高校生になったら国体に出場する予定だったんですよ。その小回りコースで培った身のこなしが、競馬で役に立っているのかもしれないですね。あと私は、元騎手の宮下瞳さんの中学の先輩です(笑)。
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※インタビュー / 浅野靖典
このコーナーには2009年1月以来の登場です。当時はデビュー4年目、若干21歳の初々しい姿でしたが、一昨年からの1年間、海外遠征に挑戦するなど、その行動力と向上心には驚かされます。騎手として様々な経験を積み、日々成長している別府真衣騎手。新たな悩みを持ちながらも前向きな姿を見せてくれました。
秋田:前回のインタビューは5年近く前でした。当時と今は何が違いますか?
別府:良い意味でも悪い意味でも焦らくなったというか、落ち着いて状況判断できるようになりました。ただがむしゃらに乗るのではなく、いろいろ考えて乗れるようになったと思います。成績でいえば、がむしゃらに乗っていた頃の方が良いのですが。当時は減量の分もありましたし。精神面の成長がまだ成績には表れていませんが、この落ち着いて乗れるようになったという部分をレースに活かせるようにしたいなと思っているところです。
秋田:この5年間では海外遠征が大きな出来事だと思います。2011年3月から2012年2月までの1年間、韓国で短期免許で騎乗しました。きっかけから教えてください。
別府:釜山で行われた招待レース(2009年8月9日、第1回KRA国際女性騎手招待競走に日本代表として出場)がきっかけです。その時、精神的にやられてしまったんです。今までレディースジョッキーズシリーズでは良い成績を残せましたが、海外に出てみたら全然ダメで...。自分はまだまだだなということに気づかされました。
秋田:それで韓国で乗りたいと申し出たのですね。
別府:そうです。でも高知の騎手は人数が少ないし、その時高知競馬には私と森井美香騎手と女性騎手が2人いて、競馬場を盛り上げていく役目もあったので、なかなか許可が出なかったんです。それでもやっぱり行きたくて。
秋田:想いが叶って韓国・ソウル競馬場での短期免許での騎乗が決まりました。しかし、すぐにケガというアクシデントが...。
別府:着いて2週間くらいで足をケガしてしまいました。言葉も分からないまま手術室に運ばれて、何が何だか分からなくてすごく怖かった...。1年間、韓国にいるつもりだったので、日本の保険なども切っていったから日本にも帰れず、このままいるしかなかったんです。でも、歳が近い騎手たちがお見舞いに来てくれて、言葉が分からないなりにコミュニケーションをとってくれたりしたので、意外に辛くはなかったです。復帰まで2カ月くらいかかりましたが、その間に言葉を覚えることもできました。
秋田:ケガから復帰して、いざ韓国でのレース。日本との違いはどのように感じましたか?
別府:高知より直線が長いですし、韓国の競馬って乗り方が荒いのでけっこう危ないんです。でも、だからこそ冷静に物事を見る力も養えたと思います。
秋田:生活はどうでしたか?
別府:食べ物がすごく美味しくて、5キロ太っちゃったんです。もうパンパンでした(笑)。周りの騎手たちが、体重が軽すぎるからって言ってとにかく食べさせるんですよ。でも太った分レースで鉛を持たなくてもよくなったから、ちょうど良い感じで。日本に帰ってからまた痩せましたが、韓国ではいろんな意味で成長してましたね(笑)。
秋田:その間にレディースジョッキーズシリーズで帰国、見事に優勝しましたね。
別府:韓国での乗り方が慣れてきたところだったので、日本に帰ってきてとまどいました。流れなども違うので。最初の1、2戦はどうなることかと思いましたが、なんとか修正しながら優勝することができました。女性騎手の中では負けたくないという気持ちもありますし。私もいつの間にか女性騎手の中ではお姉さんになっちゃいましたね(笑)。レディースジョッキーシリーズは行われなくなってしまいましたが、このレースを見て騎手になりたいと思う
女の子たちもいると思うので、復活してほしいです。
秋田:改めて、韓国での1年間はどんな1年でしたか?
別府:親元(父は高知競馬場の別府真司調教師)を離れることが初めてだったんですが、意外と楽しく過ごせました。成績としてはあまり勝てたわけではないですが、勉強になった1年間。精神的にはびっくりするほど成長できたと思います。先生も慌てなくなったところは褒めてくれます。
秋田:そんな海外での経験を経て、今年2013年の調子はいかがですか?
別府:今ちょっと自分の中でリズムが良くないんですよね。馬に乗れている感覚がしっくりきていないので、その辺をまず調整することが一番です。足をケガしたからというのもあるかもしれませんが、バランスがとりづらいというか、どうしても可動域が狭くなってしまって。それを戻せれば良い波に乗れると思うし、また勝てると思います。そんなに焦ってはないですよ。
秋田:前回のインタビューでは、NARグランプリの優秀女性騎手賞の獲得と、全国の騎手の中でトップになりたいという目標をあげていましたが、現段階の今後の目標を教えて下さい。
別府:3月17日に地方通算400勝を達成して、宮下瞳さんの記録(地方競馬通算626勝)が見えてきたかなと思っています。ですので、まずはその記録を目指してトップになりたいです!
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※インタビュー / 秋田奈津子 (写真:斎藤修)
デビュー29年目を迎え、7月28日現在、通算2935勝のばんえいトップジョッキー、大河原和雄騎手。関係者やファンから高い評価を受けており、今年はキタノタイショウとのコンビで注目が集まります。
斎藤:出身は道東の別海町ですね。
大河原:実家は牧場で、中学生のころから家の馬でばん馬大会に出ていた。サラブレッドの騎手になりたかったけれど、体が大きくなったからばん馬にしました。今は、双子の兄が牧場を継いでいます。21歳で競馬場に入って、騎手になったのは25歳。当時でも遅めだったね。最初は晴披(はれまき)孝治厩舎に入って、久田(守、現調教師)がその時の先輩になる。
斎藤:キタノタイショウで今シーズン重賞2勝。どのような馬ですか。
大河原:臆病。何にでも驚くよ、水たまり、物音、カメラのフラッシュ。馬には、見て驚くのと音に驚くのと2種類いる。カネサブラックは物音に驚くタイプだったけど、タイショウは見て驚く方だな。臆病な馬の方が最終的に強くなる。サラブレッドでもそうだけど、逃げたがる性格を使ってレースをする。このくらいなら大丈夫だ、と。
タイショウは1歳の時から見ていたけれど、「違うな」というオーラがその時からあったよ。競馬場に入ってからは、俺が調教をつけていた。体壊したりしてテスト(能力検査)は良くなかった。それから体調を整えたからデビューは7月だったんだ。
北斗賞(7月14日、5着)は夏バテ気味だったのもあるかな、20キロ(差)は問題ない。今後はグランプリだね。
キタノタイショウ(2011年1月3日、天馬賞優勝時)
斎藤:騎乗停止中の1回を除いて、全て大河原さんが騎乗していますね。
大河原:ずっと乗せてもらえるのってばんえいでは珍しいから。(服部義幸)先生のおかげだ。服部さんは、気持ちを伸ばしてくれる先生だね。騎手でも、馬でも。我慢強いんだ。
斎藤:来年3月のばんえい記念については。
大河原:今年3着だから、それ以上は獲らないと。今年はばんえい記念の調教に時間がちょっと足りなかった。強い調教をしては休ませて、を繰り返すから。1カ月くらいはかかるんだ。時間があれば、もっと行けたと自分では思っている。
斎藤:数々の名馬に乗られていますが、一番思い出に残る馬は。
大河原:一番強いのはリキミドリだ。タイショウやカネサブラックにも乗ったけど、感度が違う。いい筋肉をしているし、センスの塊だった。イレネー記念を勝った時は、ゴール前手綱を持ったままだったんだよ。朝から「寿司取っとけ」って言ってたくらいだもの(笑)。残念ながら疝痛で、7歳の時に死んじゃったけどな。服部厩舎に入ったときに、ちょうどリキミドリが2歳だったんだ。リキミドリのオーナーは、タイショウと同じ木下英三さんなんだよ。
斎藤:明け3歳のイレネー記念を6勝し、能力検査でもほぼ毎年全てのレースに騎乗するなど、若馬での活躍も目立ちます。気をつけていることはありますか。
大河原:リラックスさせることかな。体を固くしては、能力が出せないからね。
斎藤:若い騎手に言いたいことはありますか。
大河原:あるとしたら、もう少し体をケアしろ、ってことだな。騎手として動きやすい体にしておけって。俺は年だから、トレーニングというよりは体をほぐしているよ。
斎藤:大河原騎手は、ゴール前ムチを入れずに馬を進ませている印象があります。
大河原:声をかけたほうがムチより効くんだ。叩くより、ハミをあてて「おら!」っていった方が行く。逆に、燃料なくなってアクセル踏んだって動かないでしょう。それと同じこともある。レースで大事にしているのは、馬が嫌がることはしない、ということ。
斎藤:ばんえいの魅力は。
大河原:子どもの目線でレースを観戦できるってことだね。子どもの足でもついていける。
斎藤:今後の目標を教えてください。
大河原:まずは目の前の3000勝です。
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インタビュー・写真 / 斎藤友香
デビュー4年目の杉浦健太騎手。20歳の元気な若手ジョッキーは、話してみるととても丁寧に質問に応えてくれる好青年でした。今年は順調に勝ち鞍を伸ばしていて流れがいいようです。
秋田:まずは騎手になるきっかけから教えてください。
杉浦:実家が園田競馬場と近くて、小さい時から親に連れて行ってもらったんです。それで、たくさんの人に注目される騎手になりたいと思って。小学校から中学までは野球を一生懸命やっていたんですが、小学5、6年の頃から騎手になりたいとずっと思っていました。
秋田:勝負服はどのように決めたのですか? 男性騎手でピンクを使うって珍しいですよね。
杉浦:目立ちたがり屋なので、あまり人とかぶらず、パッと見て分かりやすい色にしました。縦縞は、阪神ファンなので譲れませんでした(笑)
秋田:デビューした2010年は、21勝をあげました。新人ではなかなか勝てる数ではないですよね。
杉浦:1年目は、レースに乗っていても自分に余裕がなくて馬の力に助けられたと思います。減量があったので、前に前にという気持ちで乗っていました。21勝することはできましたが、とりこぼしもありましたから...。
秋田:今年はデビュー4年目、新人の時と今と比べると自分ではどこが成長したと思いますか?
杉浦:レース中に周りが見られるようになってきたのと、少しは馬を動かせるようになってきていると思います。でも、いざという時の反応が遅れたり、人気馬に乗ると少し焦ってし まう部分があるのでまだまだです。いつもレース前にいろんなシチュエーションを考えて、力を出し切れるようにと、全力で元気よく騎乗をするようにしています。
秋田:今までで、印象に残っているレースや馬を教えてください。
杉浦:やはり、初騎乗、初勝利させてもらったデビュー戦のホッカイパルニです。先生からは、逃げたらいいところがあるからと言われていて、ちゃんと逃げることができて勝てました。緊張しましたね。レースの後はみんな声をかけてくれましたし、嬉しかったです。いい馬に乗せてもらえてありがたかったです。
秋田:尊敬している騎手は?
杉浦:園田リーディングの木村健騎手は憧れます。迫力のある追い込みや、見ていて気持ちのいいレースができるところがすごいです。見せ場を作るというか、魅せるレースをしているんですよね。自分にはまだ難しい。一緒に乗って勉強させてもらっています。
秋田:今年は、すでに去年の勝ち鞍に並んでいますよね(7月25日現在19勝)。調子やリズムはどうですか?
杉浦:前に比べて、決めたいと思っているレースできちんと決められる数が増えてきたので良くなってきていると思います。
秋田:何か、きっかけみたいなことがあったんですか?
杉浦:1月の全日本新人王争覇戦(高知)に乗って、帰ってきてからリズムが良くなった気がするんですよね。
秋田:そうなんですか!? では、新人王争覇戦について伺います。どんな意気込みで臨みましたか?
杉浦:優勝したろ!って思って行きましたよ。もちろん、みんなも勝つつもりで来ていますが。
秋田:1戦目が7着で2戦目が2着、総合3位でした。実際のレースを振り返ってください。
杉浦:1戦目は、人気もあったしいい馬が当たったなぁと思って期待していたんですが...。2番手でレースはできましたが、最後は止まってずるずると下がってしまいました。
2戦目は、先生がじっくり行ったらいいと言っていたので、後ろからのレース。前がやり合ってくれて、自分にとっては良い流れになりましたね。最後はいい脚を使ってくれました。
秋田:終わってみての感想は?
杉浦:優勝するつもりで来たから悔しかったですけど、いつもと違う競馬場で乗っていろいろ勉強になりましたし、いい経験になりましたね。
秋田:(7月25日)現在、地方通算74勝、100勝も見えてきましたね。
杉浦:今年の目標は通算100勝なんです。あと半年弱で26勝ですよね。もう少しがんばれば届くかなとは思っているんですが。
秋田:現在20歳ですが、10年後、30歳の自分はどうなっていると思いますか?
杉浦:今よりもっと高いレベルで、上位で競えていたらいいと思います。欲を言えば、リーディングになっときたいです(笑)
秋田:今後の目標を教えてください。
杉浦:もっともっと勝ち星をあげて、園田競馬の中心でいられるようがんばりたいです。それで、騎手としてトップになって、なおかつ関係者からもファンのみなさんからも信頼してもらえる騎手になりたいですね。
秋田:では、最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
杉浦:これからも、積極的にパワフルに、元気いっぱいに騎乗するので応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 秋田奈津子