地方通算3944勝(9月17日時点)を挙げ、年内には4000勝のメモリアル勝利も見えてきた田中学騎手。デビューした頃には2000勝すら想像のつかない数字だったと言いますが、「1つでも上の着順を」と試行錯誤してきたことやこだわりの返し馬など、26年間積み重ねてきたものがありました。
7月17日に地方通算3900勝を達成して、いよいよ4000勝へのカウントダウンとなりました。
ありがとうございます。
今年は菊水賞など重賞2勝を挙げるジンギやMRO金賞を制覇したテツなど楽しみな3歳馬が多いですね。
3歳馬もですし、古馬でも遠征であちこちに行かせてもらって、ありがたいですよね。遠征が続くと「大変でしょう?」って言われるんですが、僕けっこう遠征に行くのも好きなんですよ。遠征先で美味しいものを食べるとか観光を特にするわけじゃないんですが、ひとりでただボーっと過ごす時間も楽しいなぁって。
移動時は体に負担がかかりそうです。2015年下半期は原因不明の腰痛が続いて半年ほど休養されたこともありましたが、いま体のコンディションはいかがですか?
あの時は病院をいろいろ回ったけど、なかなか原因が分からなかったんですよね。今もたまに痛みが出る時もありますが、なんとか持ち堪えています。最近は調教にはあまり乗っていないですが、それでもレースで乗せてくださる関係者には感謝しています。
菊水賞(4月11日)を制したジンギ(写真:兵庫県競馬組合)
先日は高知競馬場へ西日本ダービーでテツと遠征されました。残念ながら4着でしたが、馬の状態などはいかがでしたか?
返し馬で砂がちょっと深いかな!?と感じました。4コーナーで前の2頭を交わす時に一緒に合わせて走ろうとするなど、まだ幼い面がありました。でも、逃げてしか勝ったことがなかったのが、今回は1つポジションを下げても向正面で手応えが良かったです。長い距離でもいけそうですし、思ったより力をつけています。
テツやジンギ、エイシンニシパなど橋本忠明厩舎とは名コンビですね。
橋本調教師も僕と同じく2世(父・橋本忠男さんは元調教師)。調教師になった当初から「全部マナブくんに乗ってもらうくらいのつもり」って声をかけてくれて、本当に嬉しかったです。エイシンニシパは去年の園田金盃で乗り馬が重なってしまって手放したんですが、責任だけはちゃんと果たしたいなと思って、今も調教には乗っています。すごく乗りやすい馬で、僕はただ跨っているだけです。
田中騎手の父・道夫調教師は騎手出身ですが、「人とは違うことをしないと何千勝もできない」とおっしゃっていました。
たしかに、同じ馬を同じように乗っていたって結果が出ることはないです。僕らでも新人の頃は1~2頭、同じ馬ばかりに乗っていました。その中で、別の馬が回ってきたら1つでも上の結果を残したいので、「(上手い人と)何が違うのかな?」って考えていました。
MRO金賞(7月30日・金沢)を制したテツ(写真:石川県競馬事業局)
そういうことの積み重ねが勝利につながっていくんですね。田中騎手は返し馬をじっくり丁寧にされる印象がありますが、そこに込められたポリシーは?
テン乗りだと返し馬を大事に、長めにしています。後ろから行く馬の場合は、ちょっと気を入れるようにしっかりとやりますね。そうしたらゲート離れ(スタート)からちょっと違うような気もして。馬体重が増えている時は「返し馬を強めにやりたいな」と思うこともあります。
的場(文男)騎手も返し馬を長めに乗りますよね!?的場さんなりの考えがあるんでしょう。いいものは取り入れたいと思います。
8月23日にはオッズパークプレミアムパーティーに出席されました。どんな雰囲気でしたか?
すごく豪華なホテルで、会員さんが80~90人くらい来ていたのかな。グッズ抽選会では当たった瞬間、「よっしゃぁー!」って声が会場に響き渡ったりしていました。そんなに喜んでくれたら嬉しいですよね。僕は勝負服とステッキ(鞭)とポロシャツをプレゼントしました。パーティーに呼んでいただくこと自体もですが、会員の方から「腰、大丈夫?」など声もかけてもらってありがたかったですね。
他競技の選手も出席されていましたが、どんなお話をされましたか?
競輪のトップレベルの選手やオート、ガールズケイリンの選手も来ていて、いろんな話を聞けました。オートは全然分からないので、仕組みを聞いたり、競馬で言う調整ルームが競輪ではどうなっているのかを聞きました。僕らは個室なんですが、競輪は4人部屋とかのようで、「いいねー」って言われました。
さて、いよいよ通算4000勝が見えてきました。
デビューした頃は2000勝って夢のまた夢っていうか、そんなこと自体、考えたことがなかったです。そんな中での4000という数字。上には上がいますが、4000勝は自分自身が良くやってくれたかなって思います。周りの人たちから助けていただいてばかりなんですけど、自分自身も褒めてあげたいなって。そういう気持ちが出てきてもいい数字かなって感じています。
4000勝を超えて5000勝となると、それはまた1つ上のランクかなと思います。川原(正一)さんもそうですが、すごいですよね。5000勝はいかに長く続けているかと、いかに早くから成績を残してきているかってことだと思います。騎乗できる期間(年数)は絶対的に限られていますから。的場さんなんて「すごい」って言う以前の問題で、「ものすごい」って言葉じゃ片付けられないですよね。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
たくさん馬券を買ってください! それが僕らへの応援になります。迫力のあるいいレースを届けたいっていうのは当たり前のこと。公営ギャンブルが潰れるか潰れないかは売り上げにかかっています。売り上げが上がれば賞金や手当て、待遇が変わって、そうするとモチベーションも上がって魅力のある騎手も増えます。いま、地方競馬の騎手がまた少なくなってきて、園田も30人を切っています。好循環になって、たくさんの人が競馬を楽しんで、馬券を買ってくれる人口が増えればと思います。
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※インタビュー / 大恵陽子
長年トップジョッキーとして活躍する兵庫の田中学騎手は、2014年全国リーディングに輝いた直後、原因不明の痛みにより長期休養を余儀なくされました。無事回復して復帰を果たした今、当時のこと、そしてこれからのことをお聞きしました。
去年は192勝を挙げて全国10位。どんな1年でしたか?
前の年がケガで長く乗れなくて、去年も途中2か月くらい乗れなかったんですけど、その割には、自分で言うのもなんですけどがんばった年だったかなって思います。ものすごく長く休んだのに、そういう人間に乗せてくれる周りの方々のお陰ですよね。本当に有り難かったです。
2015年の長期休養は、どんな状態だったんですか?
何年か前のケガとは違って、原因がわからなかったんです。100メートル歩くのもやっとで、100メートル歩いて休憩して、また歩いて休憩して、という状態で。もう乗れないかもしれないと思いました。10か所くらい病院に行ったり、ハリとか整体とか、いいと聞くと行ってみたんですけど、治療後すぐだったり、帰りの車で同じ痛みが出て、「またか...」と落ち込みました。常にネットでいろいろ調べたり、何度も病院に相談に行ったり。検査を受けても全然異常がないってなって、もうどうしたらいいかわからなかったです。
相当キツかったですよね。
すっごく病みましたね。心の支えとかもなくなった感じで、とことん凹みました。本当に長かったです。最終的には、検査をした病院の先生が連絡をくれて、「異常はないけど、手術してみるか?」って言ってくれたんです。治るのは五分五分って言われたんですけど、治る可能性があるなら手術してくださいって言いました。それが良かったのかどうかは先生もわからないって言ってましたけど、結果的に復帰できて本当に良かったです。
長い間のムリが祟ったということなんですかね?
そうですね。痛みが出て悪くなるまでの間、あちこちの競馬場に呼んでもらってた時期だったんです。自分なりには乗れるうちが華、呼んでもらえたら嬉しい、がんばりたいと思って乗ってたんですけど、まさかあそこまで悪くなるとは...。ムリしすぎるのはダメですね。改めて、自分の体は大事にしなきゃいけないなと痛感しました。
実際に復帰した時はどうでしたか?
復帰できる嬉しさと、不安もありました。年齢も40を超えて、長期休んで、またもとに戻れるのかなって。実際に乗ったら今まで通りだったのでホッとしました。病院の先生にも感謝しています。親身になって治療してもらいましたから。
そして去年の5月12日、お父様である田中道夫先生の騎手時代の記録、3164勝を超えました。
僕はあんまり数字的な目標って立てないんですけど、父の記録は目標にしてたので、なんとかそこまでは乗りたいっていう気持ちでした。無事に達成した時は嬉しかったです。父のことは何ひとつ超えることができなかったので、今でも超えたとは思っていないですけど、ただ数字だけは超えることができて嬉しいですね。父も嬉しかったと思うんです。父からは、リーディング獲った時と同じで「おめでとう」と言われたくらいでしたけど、ひとつくらい親孝行できたかなと思います。
今後の目標というのは?
年齢的にもそんなに長くは続けられないので、あと1年か2年くらいという気持ちで乗っています。もちろん、その時になってみないとわからないですけど、そうなっても悔いのないよう、目の前のひとつひとつを大切に乗っていきたいです。木村(健)くんも腰で休んだりしているでしょう。お互いに、お前おらんようになったら寂しくなるなって言い合っているんですよ。俺らポンコツだなって(笑)。
お2人のいない園田は考えられません!
今そうやって、競馬場の人でも10人いたら9人がそう言ってくれるので嬉しいことです。ただ、僕たちが抜けたら抜けたで、今は下原(理)も勢いいいし、また下の子が育って来ますから。僕らがそうだったみたいに、下が出てくるんですよ。僕が言うのもなんですけど、園田は層が厚いんでね、レースも厳しいし、園田の乗り役はレベル高いと思います。どこでも突っ込んでくるし(笑)。
ゆくゆくは調教師というお考えですか?
頭には入っています。ただ、今は目の前のレースに全力投球したいですね。今までは僕が僕がっていうのが強くて、とにかく勝ちたい気持ちが強かったんですけど、今は自分がミスしなければ、おのずとこの子は走ってくれると、余裕ではないですけど、冷静に考えられるようになりました。最近は穏やかな気持ちで、怒ることもなくなったかな(笑)。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
今、地方競馬が上がってきているじゃないですか。それは本当にネットで買ってくれている皆さんのお陰なので、とても感謝しています。それがなかったら今どうなってるんだろうって思いますよね。売り上げがあがるとモチベーションも上がるし、がんばり甲斐があります。
少しずつ、若い子らが上を目指せる環境になってきたと思うし、僕らはまだまだ若い子たちには負けないように、切磋琢磨しながらがんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋
昨年は228勝を挙げ、全国リーディング3位となった、兵庫の田中学騎手。全国の中でも激戦区と言われる園田・姫路競馬場で、川原正一騎手、木村健騎手と共に、トップ争いを繰り広げています。新しい年を迎え、今年の抱負を伺いました。
赤見:まず昨年一年間は、どんな年でしたか?
田中:昨年は...それなりに勝ち星を積み重ねられたっていうのはあるんですけど、自分の中では歯がゆかったというか、悔しいレースが多かったんです。騎手をしてると、いい波の時とそうではない波の時がありますけど、昨年は波に乗り切れなかった時期が多かったですね。
赤見:具体的に、波とはどんな感じなんですか?
田中:馬との呼吸ですよね、やっぱり。自分がどうにかしようともがいて、上手く合わせられなかったというか。そういう時は、乗ってても楽しくないですし、一生懸命やってもなんかイヤな空気だったり。言葉にするのは難しいですけど、ファンや関係者に迷惑かけたなと反省する毎日でした。
赤見:田中さんくらい成績を挙げていても、そんな風に考えるんですね。
田中:考えますよ。だって、先生(父である田中道夫調教師)にちょくちょく注意されますから。『レースに対して焦ってる』とか、色々言われます。勝っても『下手くそ』って言われますから(苦笑)。周りの人たちは、『勝ったのに何で怒られてんの?』って不思議そうな顔してますけど、自分では言われて納得というか、言い返せないですね。
赤見:やはりお父さんは、大きな存在なんですね。
田中:大きいです。最近は周りの方々が『父親を超えた』と言ってくれるんですけど、自分では全然そうは思いません。僕が現役を続けている間は、抜くことはないと思います。だってね、ここ何年かで僕も何回かリーディング獲らせてもらいましたけど、それを十何年続けた人ですから。1年だけでも大変なのに、並大抵の精神力ではないと思いますよ。昔から尊敬はしてましたけど、自分がリーディング争いを出来るようになって、余計に思うようになりましたね。
赤見:田中さんの勝負服は、その偉大なお父さんの勝負服を受け継いだものですよね。
田中:重いですねぇ。今でも重いですよ。勝負服を継ぐ時には、親父から『継ぐか』って言ってもらったんで、素直に嬉しかったんですけど。実際にその勝負服を継いだら、『お前には重すぎる』『バカ息子にはもったいない』って、散々周りから言われましたから。実際に継いでみて、その重みがわかったんです。親子の間だけで簡単に継いでいいもんじゃないって思い知らされました。
赤見:でも、今では田中学騎手といえば、その緑と赤の勝負服ですよ。お似合いです。
田中:ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね。ただ、さっきも言ったように、数字とかだけではなく、父を超えることはないと思うので。僕にとっては、本当に重みのある大事な勝負服なんです。だからこそ、その勝負服に恥じない騎手でありたいという気持ちは強いですね。
赤見:それにしても...、『バカ息子』って言われていた時代があったんですね(笑)。今はイメージないですけど。
田中:昔はね、違う方向に神経が行ってましたから(笑)。僕を変えてくれたというか、育ててくれたのは、関係者の方々はもちろんですけど、サンバコールという馬に出会ったことが大きいです。よくこの馬の話はしてるんですけど、本当に色々な経験をさせてもらいました。重賞の本命馬に乗せてもらったのも初めてだったし、その時は勝ちたくて勝ちたくて仕方なかったけど、勝てなくて...。いつものようにサンバコールの調教に乗ろうと思って待っていたら、目の前で先輩が乗って行ったんですよ。調教から乗り替わりですから、もちろんレースにも乗れません。あれは悔しかったなぁ~。それまでは『父親の七光りや』って言われてましたけど、その口惜しさをバネに変わりました。その先輩にだけは絶対に負けたくないって思ったし、そこから他の人たちの乗り方を意識するようになりましたね。
赤見:騎乗に対して、大事にしていることは何ですか?
田中:レースに関しては、返し馬から丁寧にするっていうことです。返し馬で馬と呼吸を合わせられた時には、レースでも折り合いが付くし、自ずと上手く行くんです。返し馬で掛かっているようでは、レースで絶対に思い通りにはなりません。その馬その馬に合った返し馬を丁寧にしてあげること、それを大事にしてますね。
的場文男さんなんか、本当に丁寧じゃないですか。園田に来た時でも、ものすごく長く返し馬しますからね。あれはなかなか出来ることじゃないですよ。若い子らにやってみろって言っても、今はパーッとキャンターで流す子が多いですから。
赤見:昨年は川原正一騎手が全国リーディングを獲り、田中騎手は3位、木村健騎手は4位と、3人揃って全国リーディングの上位に名を連ねました。現在の兵庫は、このトップ3のぶつかり合いが見ていて楽しいです。
田中:3人ともそれぞれスタイルが違いますからね。特にタケ(木村健騎手)とは子供の頃から一緒に遊んだ仲ですから。昔っから元気よくて、色んなことして遊びましたね。(小牧)太さんや(岩田)康誠が抜けて、『園田もしょぼくなったな』って言われたらイヤじゃないですか。だから、ここ何年かはタケと一緒になんとか競馬場を盛り上げて行きたいなって話してます。
よく、『静の田中、動の木村』って言ってもらうんですけど。アイツみたいに、ガンガン追っていくような乗り方は僕には出来ないし、いいレース見せられれば『やっぱりお前すげーな』って正直に言いますね。アイツも僕のことを認めてくれてるんでね、だからこそ負けたくないっていう気持ちはあります。幼馴染みで、いいライバルですね。
赤見:それでは、2014年の抱負をお願いします!
田中:今はシーズンじゃないですけど、ナイターも定着して来て新たなお客さんが増えてるのかなと思います。ナイターの時はいつも以上にお客さんが来てくれるんで、モチベーションも上がりますね。
最近はネット投票もだいぶ普及して来て、売り上げも伸びているので、とても感謝しています。いつもネットで買ってくれる方々が、『目の前で競馬を見たい!』って思えるような、迫力のあるレースをしたいと思います!
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※インタビュー / 赤見千尋
父は通算3166勝、重賞50勝、14年連続兵庫リーディングジョッキーと輝かしい戦績を残し、"園田の帝王"と称された田中道夫現調教師。その息子として鳴り物入りで競馬界デビューした田中学騎手。デビューして14年の2007年には遂に、親子二代の兵庫リーディングの座を獲得します。そして今年の10月14日には、地方通算2000勝を達成。父同様ゴールデンジョッキーの仲間入りを果たすのです。
竹之上:残り8勝となって迎えたあの週は4日間開催で、1日2勝ずつ勝って決めたんやね。
田中:あの週は良い馬にたくさん乗せてもらってたので、決めないとあかんなぁと思ってました。でもプレッシャーはありませんでしたね。2000勝は今週できなくても来週でも達成できますから。
竹之上:そう言えば2000勝のインタビューのときに、いつも「先生」って読んでるのに、「父が...」って言ってたよね。
田中:えっ、そうでした?覚えてないですわ。もうずーっと先生って呼んでますからね、今でも。ただ、あのときは先生も勝って帰ってくるのを待っててくれたんです。いつもなら自分の(管理する)馬のレースが終わったらさっさと帰るのに。
田中道夫調教師もさすがに嬉しかったのでしょう。そのときは師弟ではなく、単に親子という気持ちだったのではと想像します。だから田中騎手の口から思わず「父」という言葉が無意識に出てしまったのではないでしょうか。
竹之上:騎手を目指そうと思ったのは、やっぱりお父さんの影響?
田中:厩舎に住んでましたから自然とそうなりましたね。だって、小学校2、3年のころから馬に乗ってましたもん。朝5時に起こされて、学校に行くまでの時間に朝の攻め馬前の運動をひとりでやらされてましたよ。中学校のころには、2歳馬の馴致なんかもしてましたもんね。
にわかに信じがたいことですが、恐ろしい英才教育です。そりゃ自然と騎手になるわけです。それでも、思わぬ障壁が彼を待ち受けていました。
竹之上:偉大すぎる父がいることで、競馬学校では周囲の風当たりは強かったと聞くけど。
田中:「バカ息子」とか、「親の七光り」とか言われたりしてね。とてもツラかったです。それでも、ぼく自身もチャランポランでしたしね。生まれたときから競馬界にいて、世間知らずだったんでしょうね。
そんな苦難を乗り越えて、1993年に騎手デビューを果たした田中騎手。1998年に精神面、技術面で大きく成長させられる一頭の馬と出会います。
田中:サンバコールという馬がいて、あまり脚元が強い馬ではなかったんですよ。それで、よその厩舎なんですけど常に気にかけていて、乗りたいとか勝ちたいとかを超えたような気持ちが初めて湧いてきたんです。そしてその後に『全日本アラブ優駿』に乗せてもらうことになるんです。
アラブのメッカ園田が誇る最大のレース『全日本アラブ優駿』は、全国のアラブ4歳馬(現3歳馬)の頂点を決める大一番。サンバコールと田中騎手は2番人気の支持を受け、得意のマクリで向正面からスパートするも、4着に敗れてしまいます。
田中:レースが終わって、次のサンバコールの調教のときに、そろそろ出てくるころだろうとウキウキして待ってたんですね。そしたら、目の前で平松さん(現調教師)が乗っていったんです。乗せ替えだったんですよ。
竹之上:調教師からは何の連絡もないままの乗せ替え、どんな思いだった?
田中:そら悔しかったですよ。そのときから、この人(平松騎手)だけには負けたくないという気持ちになりました。
田中騎手が初めて芽生えたライバル心。眠っていた彼の闘争心が呼び覚まされた瞬間だったのかも知れません。
田中:そこから周りの騎手たちとの比較をするようになり、数字にもこだわるようになりましたね。
こうして少しずつ形成されていく騎手としての心構えに次第に変化が見え始めます。
竹之上:でも、最近は数字にこだわらないって言うよね。
田中:そうですね。楽しく乗りたいんです。面白いレースがしたい。
竹之上:具体的にどういうこと?
田中:康誠(やすなり・現JRAの岩田康誠騎手)がいたころ、相手の動きを読みあってレースをして、それがハマったときが最高でした。「一緒に乗ってて面白い」って康誠に言われたことが嬉しかったですね。
このころから田中騎手は勝利にこだわるより、楽しくレースがしたいという思いが一層強まっていきます。ところが、そうなるとなぜかこだわっていないはずの勝ち鞍は増え続け、99勝にとどまった03年の翌年には、一気に200勝まで勝ち星を伸ばします。そして、07年には兵庫のリーディングジョッキーにまで登り詰めます。
田中:恵まれていたんです。太さん(現JRA小牧太騎手)や高太郎(現JRA赤木騎手)さんが抜け、康誠も抜けて。周りが支えてくれて良い馬に乗せてもらって、本当に恵まれてたんです。
ところが、好事魔多し。安定味を越え、円熟味すら醸し始めた田中騎手に災難が降りかかります。2008年9月2日第5レースで落馬。第1・第2腰椎脱臼骨折という重傷を負います。
田中:振り返ってみると、あのときは嫌々レースをしてたんかなぁって思いますね。それが怪我となって表れたんかなぁって。
手術、リハビリに時間を要し、レースコースに復帰するのは7ヶ月後の翌年の4月でした。それでも、この逆境も、良い転機だったと田中騎手は言います。
田中:入院で苦しんでいるときに親や家族の温かさに触れ、すごくありがたみを感じました。親と食卓を囲むことなんてあまりしなかったんですけど、このごろ進んで行くようになりましたね。呑みに行くときも、この時間と金があれば、家族に何かしてやれるなと思うようにもなりました。
それは騎乗スタイルにも表れ、勝利にこだわらないという考えもより強まり始めます。
田中:正直、そんなことを聞いて、こいつには乗せないって言って去っていた馬主さんもいます。でも、勝利にこだわらないってことは、勝負を諦めたってことではないんです。レースに乗ればがむしゃらに勝ちにも行きます。それが騎手としての務めですから。
ここで、田中騎手の真意を窺い知ることができる事例をご紹介します。11月30日園田競馬第12レース。4連勝中マイネルタイクーンと3連勝中のアスカノホウザンとが人気を二分しました。ともに前走までの連勝は田中騎手でのもの。重複した騎乗依頼で、田中騎手が騎乗を決断したのはアスカノホウザン。しかし結果はマイネルタイクーンが連勝を伸ばすことになるのです。
田中:(勝つことだけを考えれば)やっぱりマイネルタイクーンですよ。でも、厩舎との関係、これまでの流れから、アスカノホウザンに騎乗したんです。
そこには迷いなどない、揺るぎない信念を感じとることができます。
竹之上:いまリーディング争いで2位に10勝差でトップ(12月2日現在)に立っているけど、そこにもこだわらないの?
田中:実はね、腰の手術でプレートやボルトを埋め込んであって、その除去手術を11月に予定していたんです。でも、周りの人やファンの方たちに、絶対(リーディングを)獲ってくれよと言ってもらって、それに応えたいなと思ったので、手術を延期してチャレンジしようと思いました。医者からは、遅くなれば手術の痛みが大きくなるし、復帰も遅くなるよと脅されているんですけどね(笑)。
竹之上:楽しみながら獲れれば最高ってこと?
田中:そうですね、無理に勝てそうな馬を集めて獲りに行くって姿勢ではないですね。ただ、手術をすれば絶対に獲れないですから。
竹之上:最後に、田中騎手の思う一流の条件ってなに?
田中:一流の条件ってなんでしょう?
竹之上:逆質問!?
田中:なんでしょうねぇ、人が認めることですからねぇ。わからないですけど、ぼくが調教師の先生たちに言われることでひとつあるのが、お前は乗り馬が重なったときに、乗らない方の調教師に断るのが上手いよなって言われるんです。自分ではそうは思わないんですけどね。
竹之上:それはどうやって身に付けたの?
田中:いや、それは思ったことを素直に言ってるだけなんです。ただ、上位にいると融通が効くのは確かです。それでも、そこで天狗になったらすぐに鼻を折られるのがこの世界ですからね。
トップに立っても決して驕らず、素直な気持ちで相手と接することで、多くの信頼を得て、多くの勝ち鞍に結びつけていく。"勝利にこだわらない"わけは、それによって失うものの大きさを知っているから。そうして辿り着いた現在の境地。「親の七光り」だけで到底到達できないものであることは明白なのです。
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写真提供:斎藤寿一
※インタビュー / 竹之上次男