5月18日に地方競馬通算3000勝を達成した愛知の丸野勝虎騎手。1992年のデビューから31年、現在の胸の内を伺いました。
(写真:愛知県競馬組合)地方競馬通算3000勝達成、おめでとうございます。
ありがとうございます。目標にしていた数字なので、無事に達成できて嬉しいです。たくさんのいい馬に乗せていただき、関係者の方々に感謝しています。
デビューから21年目の2016年に地方競馬通算2000勝を達成し、そこから約7年で3000勝達成です。
7年ですか。自分ではもっとかかったような印象がありますね。というのもここ何年か怪我が多くて、1年続けて乗れた年がないんですよ。昨年は順調でしたけど、それでも年初めは怪我で乗れなくて、2月から乗り出したので。怪我なく1年乗り続けるということを毎年目標にしています。
5月18日、名古屋第8レースで地方競馬通算3000勝を達成(写真:愛知県競馬組合)
現在48歳。今年もここまで64勝(2023年5月28日現在)を挙げて名古屋リーディング第2位です。
ただのおじさんですけど(笑)。ありがたいことにたくさんいい馬に乗せてもらっていますから、まだまだ頑張りたいですね。デビューの頃には3000勝という数字はまったく考えていなかったですし、正直この年齢まで乗っているとは思わなかったです。最近は戸部(尚実)さんはじめベテラン勢が調教師に転身することが続いていて、僕自身も調教師というのは少し頭にありますけど、もう少し騎手として頑張りたいなと思っています。
愛知所属の若手も増えてきましたね。
最近は毎年のように新人騎手がデビューしていて、若手の割合が増えてきました。体力面で言えば、20代30代の頃を思い返すと「落ちているな」と感じることもあります。でも展開の読みや経験値が違うと思っているので、まだまだ負けないよう頑張ります。
弥富に移転して2年目になりましたが、馬場の傾向がガラッと変わることがあって難しいです。
僕らにとっても難しいですよ。本当に馬場がよく変わりますよね。水はけが良くなるように地盤に傾斜をつけたらしいんですけど、その分なかなか平にするのが難しいようです。しかも毎朝調教で使うでしょう。平になったなと思ったらまた雨が降って内に流れたりして、そういうことの繰り返しです。だから極端に内ラチ沿いが利く馬場になったり、内が重くて馬場の真ん中辺りを走ったり。その日その日で違うので難しいですけど、いろいろ考えるのは面白いです。
先ほど、怪我なく乗り続けることが目標というお話がありましたが、数字的な目標はいかがでしょうか。
4000勝というのは意識していないですし、今は明確な数字はないですね。やっぱり重賞を勝ちたいです。昨年重賞を3勝してくれたウインユニファイドが故障してしまって......。10歳という年齢からまた強くなって、頑張ってくれたんですけど、オグリキャップ記念で故障してしまいとても残念です。競走馬には戻れないけれど、手術は無事に終了したと聞きました。あとは北國王冠を勝ったアンタンスルフレがもう一段階パワーアップしてくれたら。まだ5歳なので、今後も楽しみです。
2022年12月31日、ウインユニファイドで東海ゴールドカップ(笠松)を勝利(写真:岐阜県地方競馬組合)
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも名古屋競馬を応援していただき、ありがとうございます。最近は若手も育ってきていますが、自分もまだまだ頑張ります。これからもよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
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『土古(どんこ)』の愛称で親しまれた名古屋市港区の名古屋競馬場が73年の歴史に幕を閉じ、弥富トレーニングセンターに移転しました。調教コースとして使われてきた馬場は拡張工事が行われ、直線240mは西日本の地方競馬最長。4月8日に開幕を迎えた新・競馬場のオープニングレースを勝った丸野勝虎騎手に新・競馬場について伺いました。
名古屋競馬場が弥富トレーニングセンターに移転すると発表されて以降、コースを中心に様々な工事が行われてきました。それを見ながらどんな気持ちで過ごしていましたか?
調教コースの工事が始まると、本馬場が使えずに内馬場だけで調教を行う時期がありました。その後、使えない部分が都度変わりながら半年前くらいにコースが完成しました。直線が長くなった分、しっかり追い切りができて使いやすいなと思いました。
3月11日には旧・名古屋競馬場が閉幕。デビューからずっと乗ってきた競馬場ですから、いろんな思い出があるのではないですか?
1992年のデビューからちょうど30年乗りました。頭を丸めてデビューをしてから思い返すと色々ありましたけど、やはり大きなレースを勝った時の思い出が強いですね。
4月8日には弥富トレーニングセンターに移転し、最初の競馬が行われました。1レース『新競馬場オープニング記念』で騎乗したローザキアーロは当日朝に村上弘樹騎手からの乗替りでした。
レースの1~2時間前に乗替りを聞きました。勝ったので、「俺、もってるな」と思いました(笑)。4コーナーから2着馬とずっと同じ間隔で併走していて、正直そこまで手応えはなかったですが、馬が頑張って粘ってくれました。
急遽の乗替りで新競馬場最初のレースを勝利
記念すべきレースを勝って、周囲の反響はどうでしたか?
1レース目なのでみんな見ていたらしくて、「おめでとう」と連絡をもらいました。NHKのニュースでも流れたみたいで、普段電話がかかってこない人からも「テレビで見たよ」と連絡がありました。
初日はお客さんもたくさん入っていましたね。雰囲気はどうでしたか?
最近は競馬場のお客さんが少なかったですが、こうして人が多いと雰囲気が変わって、僕たちも見られている感じがしてとても気合いが入ります。
『新競馬場オープニング記念』を勝ったローザキアーロ
開幕日は内を大きく空けて走っていましたが、週末を挟んで11日からの開催2~4日目は対照的に内有利の馬場に一変しました。何が起きたのでしょうか?
調教ではまず内ラチ沿いを走らせるので、内の砂が削れてしまうんです。そこで、開幕に合わせて内に砂を盛って深くしたので、初日はみんな内を空けて走っていたんですけど、開催2日目以降は調教で内が削れたままレースに突入したので、ガラッと馬場が変わって内がとても軽くなりました。
ということは、逃げ馬天国?
3日目の12日は全12レース中11レースが逃げ切り勝ちでした。10レースをシンゼンストロングで勝ったんですけど、それがその日初めて差しが決まったレースでした。とはいえ、3コーナーまではずっと内を走っていました。差し・追い込みが決まらないと乗っている方も見ている方もつまらないと思います。馬場については改善する余地があって、主催者にも意見は伝えたので、次開催以降は変わってくると願いたいです。
幅員は7m広がり30mに、3~4コーナーはスパイラルカーブが採用されました。
コース幅が広くなったのはすごく乗りやすいですよ。
4月25日にはナイター競馬も開催される予定です。
3月に行われた試走会では明るい時間帯しか乗らなかったのですが、照明が点いても別に乗りにくいとかは関係ないと思います。
丸野騎手はデビュー31年目を迎え、地方通算2800勝余り。3000勝も見えてきました。
最近は怪我が多くて、1年を通して乗ることができていないので、1年間、元気に乗れたらいいな、と思います。3000勝は、ずっと乗っていればそのうち訪れるんじゃないかと思います。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
馬場が改善されて、直線で横並びの白熱したレースを見せられたらな、と思っています。また、現地では綺麗な競馬場を楽しんでいただけると思います。これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
丸野勝虎騎手は2016年3月28日に地方通算2000勝を達成。1992年4月のデビューから24年での達成ということになった。そして25年目のシーズンとなる2016年は年明けから好調。東海地区リーディングで2位以下を大きく引き離している。
通算2000勝を達成しての感想はいかがですか?
とりあえず目標にしていた数字ではありますから、達成できたことがうれしいです。1000勝まではケガもありましたし、それにデビュー当初は先輩騎手が多くて、勝つチャンス自体が少なかったですからね。1000勝を超えてからはまずまず順調という感じで来ていると思います。
そして昨年と一昨年は名古屋競馬場のリーディングジョッキーになりました。
ずっとリーディングは岡部騎手でしたけれど、常に彼を負かすつもりでやってきていましたからね。それでもリーディングを取れたことで(選定基準は2015年4月1日~2016年3月31日の勝利数)、スーパージョッキーズトライアル(SJT)に第1ステージから出られるわけですから、これは本当に大きいです。一昨年のSJTは第1ステージで1勝して、ポイント的にいい感じの位置で第2ステージを迎えることができたのに、地元の名古屋でグダグダでしたから......。また今年も第2ステージが名古屋ですから、今度こそという気持ちです。SJTは出られることを楽しみにしている舞台。上手な騎手が出てきて、きわどいレースをすることができますからね。2年ぶりの出場になりますが、楽しみですとしか言いようがないです。
来年以降もそれを楽しむためには、リーディングを取り続けないといけないですね。
そうなんですが、結局は相手どうこうではなくて、自分がどう乗って、どう結果を残していくかということですからね。さすがに体は若いころと同じようにはいかないですが、まだまだ上手くなる余地はありますし、もっと成績を上げることはできると思っています。
上手くなる余地があるというのは、どういうところでしょうか?
やっぱり経験値ですよね。展開を読む力が以前よりも備わっていると思います。もちろん、昔より心に余裕がありますし、周りもよく見えています。
ただ、名古屋は今井貴大騎手などの若手が伸びてきて、新人騎手そして再デビューの騎手なども多くいます。
昔は調教だけ自分で実戦は兄弟子というパターンが多かったんですが、今の名古屋は調教ありきという部分がありますからね。若手が伸びやすい競馬場だと思います。でも年寄りもがんばっていかないと。僕よりずっと年齢が上の、戸部(尚実騎手)さん、丹羽(克輝騎手)さんも、みんな元気いいですからね。
となると、まだまだ丸野騎手も負けてはいられませんね。次の目標は3000勝でしょうか?
毎年、年間100勝以上ということは目標として考えますけれど、それ以外はあまり深く考えることはないかなあ。というか、これから次のレースに乗りますけれど、まずそのレースを勝つ、ひたすらその積み重ねですね。確かに2000勝は目標にしていましたが、3000はどうですかねえ。実感できる数字かというと微妙かな(笑)
では、さしあたっての大きな目標は、SJTでの好結果ですね。
一昨年がちょっと残念な結果でしたからね。逆に言うと、SJTはどこにチャンスが転がっているか、わからないんですよね。以前、吉田稔さん(元騎手)がワールドスーパージョッキーズシリーズに出場したときに阪神競馬場まで見に行ったんですが、もう本当に『すごいなあ』という感想しかありませんでした。それ以来、あこがれの舞台なんです。なんとか札幌競馬場で乗れるように、いい結果を残したいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
東海地区のリーディング常連である丸野勝虎騎手。今年は名古屋競馬トップの座に立ち、スーパージョッキーズシリーズ初出場を果たしました。そんな丸野騎手に今年1年を振り返っていただきました(インタビューは12月23日)。
2014年は現在141勝(12月23日時点)で、名古屋リーディングですね。
今年は、年初めに重賞をポンポンと勝って(新春盃、名古屋記念)幸先の良いスタートでした。前半は調子が良くてけっこう勝てたのですが、後半が全然ダメ。その辺がまだ詰めが甘いですよね。まだまだ勝てたんじゃないかと思います。
これまでで年間勝利数は最高ですよね。何か変わったところは?
特に変わった、変えたという事はないですよ。でも、昨年以上の勝てたというのは良かったです。
前半の調子が良かったということで、スーパージョッキーズトライアル(SJT)に初出場しましたね。どんな気持ちで臨んだのですか?
初めてだったのでウキウキしました。トップジョッキーばかりですし、どんなレースができるのかなって。周りの応援もすごくて、厩務員や調教師から「やるしかないだろ!」などと言われましたね。
第1ステージは1位となり、最終的には6位という成績でした。レースはいかがでしたか?
初戦はしんがりで、2戦目は最低人気で1着、それでまた3戦目はしんがり......、両極端でした(笑)。でもとにかく第2ステージの地元名古屋にはいきたいと思っていたので、第1ステージで予選落ちしなくて良かったです。結果は残念でしたが、楽しかったです。
また出場したいと思いましたか?
出たいです! こんな体験なかなかできないですし、また来年この舞台に来たいという気持ちが強くなりました。優勝して東京競馬場でも乗りたいですし。そのためには、まず名古屋でトップとらないとなりませんね。
今年、SJT以外で何か印象に残っているレースや、出来事はありますか?
それがあまりないんですよ......。去年は強い馬、サイモンロードがいたんですが、今年は不調でしたからね。
では、そのサイモンロードについてお聞きします。不振の原因は?
去年はすごく勝っていた馬ですが、今年は最初の2勝のみ。レースを嫌がる癖がでてきてしまったんですよ。気性難が出てきてからは、最後は止まるそぶりを見せるようになって。だから力負けではないし衰えでもないんです。秋に去勢手術をしたので、それが良い方向に向いてくれると良いのですが。来年のお正月の重賞に出走する予定ですので復活してほしいですね。
今年は40歳という節目の年でもありました。
もうベテランになっちゃいましたね。
10年前、30歳の時と比べると何がちがいますか?
体力は衰えたなと思います。昔はどれだけ追っても大丈夫だったのに、今は勝負どころを間違えると息切れしたりしますもん(笑)。その代り技術は上がりましたけどね。
後輩もたくさんいますが、今の若手を見ていて思うことは?
なかなか伸びてくる若手がいないんですよね。自分が若い時はとにかくがむしゃらで、乗りたくて乗りたくて仕方なかったんですけど、今はハングリー精神を持ってる子が少ないように思います。
丸野騎手自身は何歳くらいまで騎手でいたいですか?
大井の的場さん(的場文男騎手)を見ているとすごいなと思うけど......、若手が育ってもう辞めろよと言われたら辞めますよ。自分を追い越してくれるような存在ができて、「ああ、もう引退かな」って時まで乗っていたいと思います。でも、去年、3人目の子供が生まれたばかりなんですよ。だからまだまだがんばらないとね。
では来年2015年の目標を教えてください。
毎年そうなんですが、「去年以上」ということですね。あと、またSJTに出場したいです。それと、なかなか行くのも難しいですが中央の重賞も勝ちたいです。
11月にはキーアシストで東海菊花賞を制覇
(写真:愛知県競馬組合)
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※インタビュー / 秋田奈津子
多くの名手を擁する名古屋競馬でリーディング上位をキープしているのが丸野勝虎騎手。
今年5月1日に通算1000勝を達成し、さらに勝ち星を積み重ねている気鋭のジョッキーだ。
丸野騎手は岡部誠騎手に続いて、この秋からマカオ競馬に遠征することになった。
■10年くらい前に、シンガポールに騎手の交換留学生として行けるという話が出ていたのですが、
直前にそれがダメになってしまったんですよ。それ以来、ずっと海外に行きたい思いはあったの
ですが、ちょっと難しいかなという気もしていました。
でも成績が上がってきたらそのうち......という気持ちはあって、岡部誠騎手のマカオ遠征時に現地を
見学しに行ったときに、僕も乗りたいと希望したら、話がうまく進んで騎乗できることが決まったんです。
先日も見学に行きましたが、向こうの騎手は荒いというか、厳しいレースをしますね。そういう点を含めて、
今回の遠征は技術の向上よりも、精神的な部分を磨くための遠征にしたいと思っています。
その思いの根底には、丸野騎手ならではのプロ意識がある。
■ずっと同じところで同じメンバーで乗っているせいか、今の名古屋の騎手はちょっと甘い部分が
あるように思えるんですよ。競馬場はいわば戦場ですから、騎手同士の仲がいいというのにも
違和感があります。それに名古屋は乗替りもあまり多くないですし、最近は若手でもレースで騎乗
するのに苦労しません。ぼくが新人だった頃は、騎手だけで60人くらいいたんですよ。その時代を
知っているだけに、もっと競馬で結果を出すことに貪欲さを出してもいいんじゃないかと感じているんです。
そう語る丸野騎手は、鹿児島県曽於市(宮崎県との県境付近)の出身。
故郷から遠く離れた名古屋競馬の騎手になるまでを教えてもらった。
■中学のころにテレビで競馬中継を見たのが騎手という職業を知ったきっかけです。その後、
地元出身の原口次夫騎手(現調教師)を紹介してもらって、その流れで那須の教養センターに
入学しました。なので、馬に初めてさわったのは、那須に行ってからなんですよ。
原口騎手の紹介ということで、卒業後は愛知所属に。その原口騎手が競馬エースの伊藤さん
に「彼は素質が違う」と話したことがあるそうだ。
■でも、最初の頃は全然レースに出られませんでした。厩舎には兄弟子がいて、攻め馬とか手入れ
とか、競馬へ行く準備はぼくがして、実戦は兄弟子というのが普通でしたから。それでも初勝利は
4戦目で挙げられて、初年度は10勝できました。でもその後も騎乗数は全然変わらなくて......。
その状況が続いたせいで、一度グレたことがあるんですよ(苦笑)。もう何もかもがいやになって、
酒に走ってしまいました。当然、朝は起きないし調教もやらない......。
その頃、所属していた磯村林三調教師が亡くなって、それを機に騎手をやめようとまで考えていたんです。
でも、そんなぼくを本名信行調教師が拾ってくれて。そこからですね。成績が伸びてきたのは。
苦しい修業時代を経て成績を上げてきた、その要因は何なのだろうか。
■最近の名古屋競馬は、後半600メートルでペースが上がるという競馬が多くて、わりと外を回る馬が
多い傾向がありますが、ぼくは基本的に「内をまわる」ことを心がけています。スローペースで後方に
いるときはさすがに別ですが、平均ペースのときは必ずそうしているんです。
名古屋は外差しが決まるように見えますが、馬に長く脚を使わせればそれが決まるときもあるけれど、
ダメージも大きくなる。それよりはインを通って直線までガマンするほうが、ロスも少ないし確実性も
ありますから。
ひとりの「プロ」として「騎手道」を追求する丸野騎手は、JRAでも重賞を制している。
■ゴールドプルーフの東海ステークスですね。あれが中央での初勝利。1位入線馬が降着になって
の繰り上がりでしたが、あれ、ゴールドプルーフも挟まって、かなり影響を受けたんですよ。
ハッキリ言って、加害馬がまっすぐ走っていれば、ぼくの馬が普通に勝っていたレースだったんです。
それなのに「儲けものだったな」とか冷やかされて。だんだん腹が立ってきたという思い出がありますね。
あとダートグレードではタカラアジュディ(名古屋優駿GIII)。あの馬は中央に繰り返し遠征に行っていた
ことで、速いペースに慣れていたことが勝因のひとつでしょう。もちろん地力があって、対応できる力が
あったからこそですが。中央での騎乗は、ぼく自身もフレッシュな気持ちになりますから、もっと乗り数
を増やしたいと思っています。
騎手としての熱い想いがある丸野騎手だが、目標や理想などはあるのだろうか。
■いえ、特に目標の騎手もいませんし、理想の騎乗スタイルも特にありません。何がよくて何が悪い
のかなんて、きっと永久にわからないものだと思うんです。ただ、人それぞれにいいなと思うところは
ありますよ。でも、それを自分のものにできるかというと、難しい話ですよね。いま感じているのは、
みんなそうだと思いますが、やっぱり体が硬くなってきているんですよ。年とともに(笑)。
昔のビデオを見ると、ヘタなんだけど体は柔らかくて感心しますからね。そのあたりをカバーすることも
含め、いろんな刺激を受けて技術を磨いていければと考えています。
リーディング上位の常連となったことでの達成感などはまったくないと語る丸野騎手。
「だからこそ海外に」というその意欲が向上心を表している。そしてそこにはもうひとつの
意味も。「若い世代の騎手に対して、乗り役としての厳しさ、そしてプロとしての厳しさを
体で示していかなければ、伝えていかなければと思っているんです」
丸野騎手の騎手道追求の旅は、これからも続いていくことだろう。
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丸野勝虎(まるのかつと)
1974年8月13日生 獅子座 A型
鹿児島県出身 本名信行厩舎
初騎乗/1992年4月20日
通算成績/8,869戦1,032勝
重賞勝ち鞍/名古屋優駿GⅡ、東海桜花賞、
名古屋記念、名古屋杯3回、梅見月杯、ゴー
ルド争覇、くろゆり賞(笠松)など27勝
(ほかにJRAでは東海ステークス制覇)
服色/胴緑黒縦じま、そで黒・緑一本輪
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※成績は2007年8月27日現在
(オッズパーククラブ Vol.7 (2007年10月~12月)より転載)