8月27日に地方通算1000勝を達成した田中純騎手。そのジョッキー人生は2003年に荒尾競馬場でのデビューから始まりましたが、荒尾の廃止、北海道の育成牧場への転職、再びジョッキーを目指しての歩み、と波乱万丈でした。大きな一つの区切りを迎えてのいまの気持ち、そして奇しくも同時期にスタンド取り壊しが行われた荒尾競馬場について伺いました。
地方通算1000勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。みんなから「もうすぐ1000勝」と言われていて、意識はしていました。1000勝はジョッキーにとって最初の大きな節目の数字で、あと数勝まで迫ったところでちょっと足踏みをしてしまいましたが、達成できてよかったです。
ダイメイソテツに騎乗し地方通算1000勝達成(写真:佐賀県競馬組合)
田中騎手は荒尾競馬場でデビューし、2011年の荒尾廃止後は北海道の育成牧場に移るも、再び騎手を目指し、12年に再デビューを果たしました。いろんなことのあったジョッキー人生だと思います。
本当にいろいろありました。荒尾競馬場のスタンドがこれまで場外馬券売り場として使われていたようなのですが、それが取り壊されることになって、ちょうど1000勝を達成した頃に最後のお披露目会があったので家族と行きました。スタンドなので、自分たちが仕事をしていた場所ではないですけど、パドックも見て、昔と雰囲気が変わらないなと思いました。もう騎手を続けている人も少ないですし、自分も大きな怪我を経験して、無事にここまで来られただけでも良かったかなと感じました。
いま、各地の地方競馬が売上レコードを更新する好調ぶりを考えると、廃止の悔しさや寂しさに襲われませんでしたか?
廃止からだいぶ時間が経っているので、感傷に浸ることはなかったです。ジョッキーとしてデビューした場所ですし、「ここで乗っていたんだな」という気持ちはありましたけど、実家に帰る時にたまに通る道で、「厩舎が取り壊されたな」とか、「馬場がなくなっている」と見てきていました。言葉に表すのは難しいんですけど、改めてスタンドを見に行って、「頑張ろう」という気持ちになりました。
再デビューを果たし、現在は佐賀競馬場で活躍をしています。ここまでのジョッキー人生を振り返っていかがですか?
18年に2度目の九州ダービー栄城賞を勝った後、落馬して顔面の多発骨折をしたことが一番キツかったです。失明の可能性もあると言われて、手術も6回くらいして。家族に一番迷惑をかけましたし、復帰できるかどうかも微妙なくらいでした。
それでもまたジョッキーに戻りたい、と突き動かされた理由は?
家族もいますし、子供もまだ小さかったので、できる限り頑張りたいなと思いました。それに、言葉では「嫌だ」ということがあっても、心の底ではジョッキーが好きなんですかね(笑)。
最近では重賞を含む5連勝中のタガノキトピロとのコンビで大活躍です。
春には第1回九州クラウンで重賞を勝たせてもらいました。いまは夏休みで休養に上がっていますが、もうすぐ帰ってくると思います。普段はすごくやんちゃなんですけど、レースに行けばすごく優秀で、僕も自信を持って乗っています。この秋は相手がこれまでとはまた違うので、また頑張っていきたいですね。
3月13日、タガノキトピロで第1回九州クラウン制覇(写真:佐賀県競馬組合)
これからの目標は?
1000勝という区切りができたので、一つ一つ与えられた仕事を全うして、一つでも多く勝てるようにしていきたいです。細く長く続けていけたらいいかなと思っています。
最後に、オッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
インターネットを通じてたくさんの方が応援してくださって、ファンの皆様には本当にいつも感謝しています。最近はいろんな公営競技でYouTubeで発信をしていますが、他競技とのコラボがあれば、僕もどんどん参加したいです。もう昔みたいなことにならないように、競馬場全体で協力して盛り上げていきたいです。
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※インタビュー / 大恵陽子
2011年の荒尾競馬廃止を経験し、現在は佐賀で活躍する田中純騎手。再出発から4年目を迎え、今年は佐賀リーディング3位まで上がって来ました。新たな地で少しずつ階段を上っている、その心境をお聞きしました。
田中騎手は荒尾廃止と共に一度騎手を引退し、10か月後に再び復帰。佐賀での生活も4年目となりましたけれども、もうかなり馴染んでいるように見えますね。
そうですね。周りの方々にすごく良くしていただきましたし、弟(田中直人騎手)が佐賀所属だったというのも大きかったかもしれません。若い子たちからは、「もとから佐賀にいるみたいですね」って言われるくらいなので。
弟さんの存在は大きいですか?
大きいですね。しょっちゅう一緒にご飯を食べに行くんですけど、でも競馬の話は一切しないです。普通の兄弟ですよ。騎手としては、どうしても成績がモノを言う世界じゃないですか。僕が佐賀に来た頃は弟の方が成績が上だったので何も言えなかったですけど(笑)。レースに関しては各々の考えがあるし、相談し合うというよりは心の中で『負けてられない』という風に思う存在です。弟が勝たないと心配になるし、勝っても『なにくそ!』って思うのでちょっと複雑というか(笑)。家族としての気持ちと、騎手としての気持ち両方がありますね。
移籍して新しい場所で結果を出すというのは難しいことですが、佐賀に馴染むきっかけになったことはありますか?
一番は2014年のダービー(九州ダービー栄城賞)を勝たせてもらったことですね。高知のオールラウンドに乗せてもらったんですけど、特に人気もなかったしリラックスして乗れたのが良かったんですかね。ダービーはやっぱり特別なので、ここを勝ち切ることができたのは相当大きかったです。しかもその後すぐにスイングエンジンで吉野ヶ里記念を勝てたので、そこからいい流れに乗れたのかなと思います。
2014年九州ダービー栄城賞
今年はここまでリーディング3位です。だいぶ上がって来ましたね。
たくさんのいい馬に乗せていただいたことと、あとケガで休んでいた方がいたことも影響していると思います。だから、単純に順位が上がったとは考えていません。荒尾時代は自厩舎の調教に専念していたんですけど、佐賀は攻め馬をしないとレースに乗せてもらえないので、とにかくみんなたくさん攻め馬するんですよ。これまで所属していた先生もそうですし、最近所属にしてもらった濱田(一夫)先生もそうなんですけど、すごく理解していただいて自厩舎以外の厩舎の調教をする時間ももらっています。そういう恵まれた環境の中でやらせてもらっているので、もっと上に行って恩返ししたいという気持ちは強いですね。
騎乗的に変わって来たことはありますか?
どうなんですかね。自分ではちょっとわからないですけど、あんまり意識はしていないです。1着になるにはどう乗ればいいかっていうことを逆算して考えているので、常に1着になるイメージしかもってなくて。性格もそうですけど、基本的にポジティブなんですよね。あんまり自分を追い込んで行くタイプではないし、何かあって落ち込んでも引きずらないです。
検量室の辺りで見ていて、レース前後の表情がかなり楽しそうだなという風に感じました。
楽しいですよ。今すごく楽しいです。たった10か月ですけど騎手を辞めていた時間がありましたし、荒尾廃止も経験して、騎手でいられることの有難さを痛感しています。今は本当にたくさんのチャンスをもらっているし、悔しいこともあるけど毎日が楽しいです。
今の目標を教えて下さい。
大きな目標は一番上を獲ることです! そのためには目の前のひとつひとつを大事にしていかないとたどり着けないので、少しでも多く勝てるように、一歩一歩着実に進んでいきたいです。
佐賀は上位2名がかなり強力ですけれども。
強烈ですよ~(苦笑)。山口(勲)さんも鮫島(克也)さんも、まさにレジェンドですからね。勝てる部分を探すのは今は難しいです。お2人だけじゃなくて、上位にいる人たちはみんな上手いですからね。だからといって負けていられないので、他の人たちの騎乗を研究しつつ、自分を磨いていきます!
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
荒尾競馬廃止と共に、一度は騎手を引退した田中純騎手。昨年再び騎手免許を取得し、弟の田中直人騎手と同じ佐賀競馬場で、第2の騎手人生を歩み始めています。引退から復帰までの葛藤、そして現在の心境をお聞きしました。
赤見:まずは荒尾時代のお話からお聞きしたいんですけど、廃止が決まった時はどんなお気持ちだったんですか?
田中:廃止と聞いた時は......正直全然実感がなかったですね。毎日の生活というか、調教してレース乗ってっていう今までと変わらないことをしていたので、廃止って言われてもピンと来なくて。 何年も前からそういう話もあったし、どこかに移籍しようかなとは少し考えたんですけど。自分の中でちょっと冷めてたというか、どこの競馬場に行ってもまた廃止の話が出るんじゃないかっていうのが頭にあって、結局移籍に関しては真剣には考えなかったです。
赤見:荒尾廃止後は、北海道の牧場で働いたんですよね?
田中:そうです。今まで騎手の仕事しかしたことがなかったので、初めての経験ばかりでした。牧場の仕事をやらせてもらって、騎手をしている時に忘れていた、騎手としての喜びを想い出したというか......。やっぱり、レースで馬と一緒にゴールに入れるのは騎手だけじゃないですか。そういう楽しかった想い出ばっかりよみがえってきて、改めて騎手になりたいって思ったんです。
赤見:そこからどう行動を起こしたんですか?
田中:今所属している頼本盛行先生や、真島元徳先生に相談しました。佐賀で厩務員をしながら騎手を目指そうと、真島厩舎でお世話になることになったんです。と言っても、厩務員さんの仕事というよりは、調教に乗ることが仕事だったので、レースに乗らないだけで、仕事内容は騎手時代とあまり変わらなかったです。
赤見:改めて、騎手免許試験を受けた時はどうでした?
田中:騎手を辞めてそんなに時間が経っていたわけではないので、試験の内容自体はそんなに苦労はなかったです。ただ、周りの方々にすごく良くしていただいて、すごくお世話になっていたので、絶対に失敗できないと思いました。こんなに環境を整えてもらったのに、落ちるわけにはいかないですから。とにかく、早く乗りたくて乗りたくて仕方なかったですね。
赤見:見事合格したわけですが、再デビューは福山競馬場でしたよね?
田中:そうなんです。地区によって騎手免許試験の日程が違っていて、佐賀より福山の方が試験日が早かったんですよ。それで、福山の方から、ジョッキーも少ないし期間限定でいいから来てみないかと言っていただいて。3か月限定で、騎乗させてもらうことになりました。
赤見:実際に再デビューした時はどんな気持ちでした?
田中:約10か月ぶりだったんですけど、やっぱり嬉しかったですね。ただ、もともと乗っていた荒尾だったらまだしも、初めて乗る競馬場だし、人間関係も大切ですから、不安もありました。新人と同じと言っても、10年も乗ってるわけだし、許されるふり幅は少ないという気持ちでした。でも本当に温かく迎えてくれて......。すごく感謝しています。
赤見:田中騎手が福山で騎乗している間に、福山の廃止が決定してしまいましたね......。
田中:僕も1年前に同じ経験をしましたから、気持ちはすごくわかりました。荒尾の時と同じように、やっぱり毎日の調教やレースがあるので、みんなあまり実感がない様子でした。廃止は経験してみないとわからないし、実際に終わってからじゃないと実感は沸かないと思います。 でも僕の存在を見て、『騎手を辞めようかなとも思うけど、お前みたいに乗りたくなるかもしれないから、移籍しようかな』と言ってくれた人たちがいて、すごく嬉しかったです。福山に行って良かったなと思いました。騎手を辞めるのは簡単だけど、戻るのは大変ですから。
赤見:現在は佐賀所属となりましたが、どんな心境ですか?
田中:まだ2か月なんで、ボチボチという感じです(笑)。いろいろ難しい部分もありますけど、荒尾からも近くてたまに乗りに来ていたし、荒尾時代の仲間もいるし、佐賀でもすごく温かく迎えてもらいました。弟(直人騎手)がすごい勝ってるんでね、兄の威厳を保つためにも負けてられないです! 一度騎手を引退して、遠回りしたんですけど......。いろんな人に迷惑かけたりお世話になったりして、いろんなものを見せてもらって。今まで見えなかったものが見えるようになりました。周りの方々には、本当に感謝しています。僕にとっては、必要な時間だったのかもしれません。騎手を辞めたことは無駄じゃなかったと思ってます。今、すごく楽しいですから。
赤見:では、今後の目標を教えて下さい。
田中:今は1日でも長く騎手を続けたいですね。もう簡単には辞めないです(笑)。一生懸命頑張って、上の方の人たちを蹴落とすくらいの存在になって、競馬の楽しさを伝えていきたいです。佐賀だけじゃなくて、いろいろな競馬場で乗りたいとも思っています。それで、1人でも多くの人にレースを楽しんでもらえたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋 (写真:佐賀県競馬組合)