2021年春シーズンが開幕した岩手競馬。昨シーズンまで5年連続で岩手リーディングを獲り続けている山本聡哉騎手にお話を伺いました。
まず昨シーズンのことからお聞きしたいのですが、5年連続リーディング獲得おめでとうございます。
ありがとうございます。昨年もリーディングが獲れたというのはすごく嬉しかったですね。昨年は3月31日まで南関東で期間限定騎乗をしていて、その時も新型コロナウィルスが流行していましたから、岩手に戻ってから2週間騎乗を自粛しました。4月の半ばくらいまで乗れなかったので、追いかける立場でスタートしたんです。乗れない時期があったのは残念でしたが、新鮮な気持ちで挑めましたし、結果的にはとてもいい1年を過ごすことが出来ました。
重賞もたくさん勝ちましたね。
周りの方々のお陰です。流れも出来過ぎかなと感じるくらい、特別な1年になりました。いい馬たちに乗せていただいて、たくさん重賞も勝たせていただいて。どのレースも想い入れが強いですけど、特にアクアリーブルで桜花賞を勝たせていただいたのは大きかったです。
ユングフラウ賞では7番人気2着といい脚を見せてくれて、続く桜花賞は3番人気で勝利しました。
アクアリーブルのオーナーである新生ファームさんとは、ピアノマンに乗せて勝たせていただいて、そこで繋がりが出来ました。さらに管理していたのが(佐藤)賢二先生だったので乗せていただくことになりました。ユングフラウ賞の前から調教にも乗せていただいて、すごくいい脚で2着に来て、重賞でもやれるという手ごたえを感じました。そこからですね。「次は桜花賞を勝つ!」と勝手に自分でプレッシャーを感じながら調教に乗っていました。その緊張感というのはとても心地いいというか、すごく楽しい時間でした。
アクアリーブルで浦和・桜花賞(2020年3月25日)を制し、佐藤賢二調教師と握手
桜花賞は好位から強いレースでしたね。
枠も良かったですし、馬の調子もグンと良くなって、とてもいいレースが出来ました。プレッシャーを感じつつ調教にも乗せていただいて、そこで勝てたというのは自分の騎手人生の中でもすごく大きな出来事になりました。(佐藤)賢二先生が急逝されたことはとても驚きましたし、残念で仕方ありません。弟(山本聡紀騎手)もお世話になっていましたし、僕が期間限定騎乗で南関東へ乗りに行くと、いつも1勝目は賢二先生の厩舎の馬で勝たせてもらっていたんです。いつか僕も、賢二先生のようなカッコいいホースマンになりたいと思っています。
地元岩手でも重賞をたくさん勝ちました。3歳牝馬ゴールデンヒーラーは今後の活躍が楽しみですね。
スピードもあって、レースセンスも高い馬です。2歳の時期は北海道の馬がとにかく強い中で、知床賞とプリンセスカップを連勝できたというのは大きいですね。地元馬同士ではある程度力関係や展開が読めますけど、他地区勢を迎え撃っての勝利でしたから。春になって久しぶりに乗ったら、馬体に幅が出て成長を感じました。調教では少しうるさくて神経質なところもありますが、競馬にいっての集中力がある馬で、気持ちの面もレースではいい方に出ていますね。今後距離がどれくらいもつのか、という問題になりますが、折り合いに苦労するタイプではないのでこなしてくれるんじゃないかと期待しています。
プリンセスカップ(2020年11月30日)を制したゴールデンヒーラー(写真:岩手県競馬組合)
年末や年明けの開催は雪の影響で中止が続きました。
僕にとっても初めてと感じるくらいの大雪で、水沢に昔から住んでいる厩務員さんたちも「こんなに降るのは初めてだ」と言っていました。近所のカーポートがいくつも潰れたりしていて、災害級の大雪でした。もう毎日毎日とにかく雪かきでしたね。僕らも本当はやりたい気持ちもありましたけど、さすがに環境的に難しくて。中止が続いてしまって、不完全燃焼な感じで終わってしまいました。
今年は3月12日からの開幕と、例年より早いスタートとなりました。今シーズンの意気込みを含め、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも岩手競馬を応援していただきありがとうございます!昨シーズンは大雪の影響で中止が続き、なんだか拍子抜けという感じになってしまいましたが、今年もリーディング目指して頑張りますので、応援していただけたら嬉しいです。岩手競馬にはゴールデンヒーラーはじめ今年活躍しそうな若馬がたくさんいるので、ぜひ注目してください。10歳になったラブバレットも頑張っています。今後コロナが落ち着いて、また皆さんと一緒に競馬を楽しめる日が待ち遠しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
昨シーズンまで3年連続で岩手の騎手リーディングに立ち続けている山本聡哉騎手。今年もここまで1位を守り続けており、4年連続リーディングへの期待も高まってきている。ラブバレットと共に各地に遠征したり、あるいは他地区の重賞にスポット参戦したりと、岩手以外でも存在感を増すシーズンになっている。
まずは地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップから。結果から言うと残念でしたね。6着、12着、4着、7着。
ちょっと乗り切れなかったですね。第1ステージも第2ステージも勢いがなかった。
何年か連続で"札幌行き目前"くらいまで行っていたこともあって、どうしても惜しいなと思ってしまいます。
最初の頃は良い馬に当たっていたことで成績も良かったのかもしれません。最近はちょっと運もないかも。でもそういう状況でも上の着順に持ってこないといけないレースなので、流れがあまり良くなくても上に来ないと...でしたね。
地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ盛岡第2戦(12着)
ジャパンジョッキーズカップ(7月16日、盛岡)の方は、もっと聞きづらい成績だった。
個人のポイントで最下位でしたからね(苦笑)。レースの方は地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップと違ってガツガツした感じがなくて、変なプレッシャーがない中で、皆きれいな騎乗をするから、他の騎手の良いところを観察しやすいですね。乗り方に無駄がないですよね。ロスがなくて綺麗。地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップなんかはやっぱり攻めていくから、危ないシーンもあったりするのですが、こっちはやはりトップジョッキー同士の暗黙のルールみたいなものがあって。安心して戦えます。
地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップなんかだとポイントを取るのに相手を出し抜いたり裏をかいたりするシーンもあるものね。
そういうレースに比べると、ですね。そしてJRAの騎手が入ってくるのも違いになると思います。地方競馬の騎手とJRAの騎手は乗り方が違って、進路の取り方とか、ポジション争いで出したり引いたりのタイミングとか強さとか、レースのまとめ方とか。わりと岩手の騎手に近い感じがして自分は違和感なく乗れる。
乗っている騎手としては地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップみたいな個人のポイント争いのレースとジャパンジョッキーズカップみたいなレースと、雰囲気の違いみたいなのはある?
乗っている感じは全然違いますね。
それはチーム戦と個人戦の違い?
それは特にないですよ。チームだからといって作戦をあれこれ決める事はないですし、レースを見てもらえれば分かるように変につついたりとかするようなこともないですし。そこは皆さんトップジョッキーですから、馬の癖とかをある程度言うだけであとはしっかりと乗ってきますし。パドックの整列前の仕草なんかわりと違いますよね。リラックスするタイプなのか気合いを入れるタイプなのかとか。それぞれ違うなと思いながら見ています。
ラブバレット(4月18日大井・東京スプリント)
ラブバレットの話しに行きましょう。ラブバレットの今年のレースを見てきて、ありきたりな言い方だけどがんばっているなと。去年よりもずっと良いレースをしてきているんじゃないかと思うんだけども。
自分もそう思いますね。今年は良いレースをしてくれていると思う。7歳ですから、成長しているとか力を付けているとかそういう部分はそれほど大きくはないのでしょうが、状態は本当に良いなって感じますね。あと、少しテンにゆっくり行かせるような競馬をし始めて、自分としてはそれがしっくりくるな、と。
それは末脚で勝負するような形の競馬?
終い勝負というよりは、いつもより、今までやっていた競馬よりは少し後ろの位置から勝負するような。ある程度前には行くんだけども行かせすぎないっていうか。それで最後に脚を使えるように。
特に前走なんかその狙い通り、ほぼ完璧なレースができたのに勝てなかった...というのが残念で仕方がないです。
JRAの馬たちの層は厚いですよね。克服しなければいけない課題って言うか壁は高いですけど、ラブバレットも凄くがんばってくれているので、何とか克服したいですね。
北海道スプリントカップ(6月7日門別)、ラブバレットは2着
さて今度は騎手リーディングの話へ。今年は、"今年も"か。好調ですね。
好調なんですか?去年と比べてどうなんでしょうか?
最近少しペースが落ちたけど去年並みでは来ているし、ちょっと前までは去年以上だった(※直近の5回盛岡開催終了時点では今年92勝、昨年は96勝)から決して悪くはないと。
週あたり3勝を目標にしているので、そのペースでがんばっていきたいですね。
最近のレースを見ていて思うのは、以前ほど岩手の勝ち星の数にこだわってないというかリーディングにこだわってないというか、そんなふうに見えるんだけど。
そんな事はないですよ。"リーディングを獲る・守る"というのは長い期間でも短い期間でもモチベーションになりますし、そういう目標を置いてないと、なんというか、だらだらと乗ってしまいそうで。敢えてガツガツする、敢えて勝ちにこだわるというのも大事だなと思っていますよ。そんなふうに見えますか?(笑)
やっぱりほら、"村上忍騎手に追いつく、追い越す!リーディング獲る!"って頑張っていた時期があったから、その頃に比べると...かな。
周りからもそういうふうに言われていましたからね。その頃に比べると、今はずっと自然に、自分の気持ちの通りに流れに乗れているんじゃないでしょうか。
6月7日門別、エムティアンでJRA認定ウィナーズチャレンジを勝利
山本聡哉騎手の騎手個人としての当面の目標はあと34勝(※7月30日終了時点)に迫る地方通算1500勝達成だが、師匠である佐藤浩一調教師の騎手としての通算1477勝を超えるのも一つの重要な通過点ではないだろうか。それを超えれば岩手競馬の騎手として歴代10位の勝利数ともなる大きな一里塚だ。もちろんラブバレットとのコンビでのグレードレース優勝にも期待し続けよう。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2016年6月26日に地方通算1000勝を達成した山本聡哉騎手。デビュー10年を過ぎてリーディング上位を争うまでになったこれまでのこと、またリーディング上位で互いに鎬を削る兄とのことなどをうかがった。
地方競馬通算1000勝達成(2016年6月26日)
まず聞きたいのが1000勝達成。6月26日に地方競馬通算1000勝を達成しましたが、今改めてその感想を聞かせてください。
デビューした頃は自分が1000勝できるなんて思ってもいなかったんです。自分がデビューしてから3年目くらいに阿部さん(阿部英俊騎手)が1000勝したのを見ていて"凄いなあ"と思って、自分もいつかはできるのかな?とか考えたりもしましたけど、当時の自分にとっては1000勝なんていう数字は目標にするには遠すぎましたからね。
だから達成してみても、ああ、1000勝したのかあ・・・・・・。そんな感じでしたね。昔の1000勝と今の1000勝では、騎乗数とか条件が異なるから重みも違うのかもしれないし。でも、同じ世代の騎手の中で一番最初に達成できたという事は自信になります。
今の姿からは想像できないファンもいるかもしれないけど、デビューした頃は騎乗数も勝ち星も少なくて、この先どこまでやっていけるんだろう?と思って見ていました。もちろん、当時の若手騎手はみなそういう厳しい環境の中にいたのは確かだけれど(※デビュー年度の山本聡哉騎手の成績は227戦9勝)。
佐藤浩一調教師も祝賀会の時に"正直これほど勝てる騎手になるとは思っていなかった"と言われていました。自分がデビューした頃は高松亮騎手が"乗れる""乗れている"って評価で、同期の高橋悠里騎手もすぐ重賞を勝ちましたしね。"出世コース"に乗っているのはあっちの方、自分は1000勝なんて想像もできなかったですね。
とすると、キャリアのどのあたりで道筋が変わったと思う?
そうですね、4、5年目頃でしょうか。板垣さんをはじめ新しく調教師になった先生達が自分ら若い騎手に乗せてくれるようになって、佐藤雅彦調教師や、(故)櫻田浩三調教師も良い馬に乗る機会を作ってくれて・・・・・・。
当時の若い騎手は、自分がそうですし兄(山本政聡騎手)や齋藤雄一騎手とかもそうだったと思うのですが、櫻田浩三厩舎の良い馬・強い馬に乗るチャンスを貰って、それで結果を出して名前を売る・・・・・・みたいなところがありましたね。
そこから良い馬に乗る機会が増えて、そして菅原勲騎手や小林俊彦騎手の引退もあって。その頃の自分が大きな怪我をしなかったのも良かったんじゃないでしょうか。高松騎手や高橋騎手は怪我をして乗れない時期がありました。自分は決して技術が卓越していた訳じゃないと思うから、怪我をせず過ごせた事で流れに乗れたのも大きかったと思います。
今はもうね、"トシヤに任せておけばいい"みたいな評価にもなっているんですが、今ここまで乗れる騎手になったのは、"もともと才能があったのが花開いた"のか、それとも"時間をかけて掴んでいった"ものなのか、どちらなんでしょう?
自分のタイプは、最初からポンとできるものではないですね。自分なりに研究して、うまく乗れるように確率を上げていって・・・・・・だから、最初から素質があったのでは無いと思います。
外に出たのも良かったと思いますよ。交流競走や騎手招待競走とかいろいろなレースを経験して場慣れして、そこで必要な乗り方を学べたのも。
他場でスポット騎乗の機会も増えている(2016年門別・栄冠賞)
研究という言葉が出たので突っ込んでみるけども、毎年ちょっとずつレースの仕方というか乗り方というか、つまりレースの作り方を変えているように思うんですが、どうなんだろう?
乗り方は変えています。毎回少しずつ変えているから全体的に見ると大きく変わったように感じるかもしれません。
そういう所が、ありきたりな言い方だけど"凄いなあ"と思ってみています。
やっぱり馬によって、その時周りにいる馬によってレースの流れが変わってくるし、今年は新人騎手が入りましたが、これまでと違う乗り方をする騎手が1人でも入るとまた流れが変わってくる。同じ人や馬でもその時その時の体調とか気持ちのリズムとかも違いますしね。例えば調子のいい騎手はマークしないといけないかもしれないし。そういう所が少しずつ変わっている、変える必要がある部分でしょうね。
では話題を変えて。ラブバレットの話を聞きたいです。レースでの活躍ぶりはファンにとって楽しい話題になるのですが、騎手にとってもいろいろな物をもたらしてくれているんじゃないですか?
強い馬、凄い馬に乗せてもらえるのはやっぱり大きな経験になりますよね。遠征で他地区の大きなレースに乗る事ができるのもそうですし、強い馬に乗る事で"強い馬ってどんなものか"という感覚が分かって、そこから他の強い馬の事も分かってくる、分析できる、みたいな。そういう経験を積む事ができる得難い存在です。
ラブバレットとのコンビでは重賞4勝を挙げている
クラスターカップでは2年連続3着。今年は見せ場を作って沸かせてもくれました。昨年は笠松で遠征勝利も成し遂げましたね。
今の岩手は短距離路線が充実しているし、地方競馬全体でも短距離のレースが多いですよね。ラブバレットのようなスピードがある馬が活躍できる舞台は多いと思うので、自分も楽しみにしています。
もうひとつ聞きたいのが、兄・山本政聡騎手の事です。兄の事をレースの中ではどう見ているか?
んー。兄貴は兄貴、かな・・・・・・。
兄貴は兄貴か。昔は、けっこう対抗心を見せて隠さなかった時期もあったじゃないですか。最近はそうでもないように見えるけども。
やっぱり昔は兄の方が、成績も上でしたからね。負けたくない、追い越したいっていう気持ちはありましたからね。
山本政聡騎手はリーディング3位。追いかけてくる位置にもいます。
今でももちろん対抗心はあります。負けたくないっていう気持ちもある。それは成績の話じゃなくて、単に勝ち負けじゃなくて、レースの中での騎手としての駆け引きの部分で勝った負けたのポイントで、でしょうか。
では最後に。『山本聡哉』という騎手はこれからどういう存在になっていくんでしょう?
そうですね、前は誰かのマネをすれば良かった。今は自分なりの考えで進んでいかなければいけない。成績的にはもちろん、まだまだ追いかけていかなければならないです。でも騎手としての考え方、スタイルを作って、それを周りにも見せなければならないと思っています。そしてそれは楽ではないだろうな、とも。
今はどうしても、あちこちで活躍している騎手の姿が目に入りますよね。そんな騎手を間近で見る機会もあります。良い所・凄い所を学んで、吸収して、凄い騎手たちと同じ舞台で一緒に戦えるようになりたい。そういう技術とか、ハートとかを掴みたい。
そうすると、いつの日か岩手の枠に留まっていられなくなるかもしれないよ?
そうかもしれないですね。そういう考えになったら、どこかに飛び出していってしまうかもしれない。でも今の自分がそう考えていないっていう事は、自分がまだそういうレベルに達していないのだと思いますよ。
プロ野球始球式のピッチャーも務めた
簡単にお願いします......と始めたインタビューだったが、いざ話し始めると話題はいろいろ多岐にわたり、結局ここでは書ききれなかった話がいくつもあった。それはまたいつか触れる機会を得る事ができればと思う。
話していて感じたのは「山本聡哉という騎手はまだまだ変わり続ける」という事。岩手のトップジョッキーとしての評価、1000勝という勲章をすらも踏み台にしてさらに上を目指そうという姿勢からはただただ勢いしか感じられない。もしかしたら何年か後には今とは全く違う『山本聡哉』になっているのかもしれない。それがどんな姿なのか?楽しみだ。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
2009年度に49勝、2010年度は68勝、2011年度も68勝。リーディングでは10位圏内を争うあたり......だったのが、今シーズンは既に117勝、リーディング2位を競り合うまでに伸びてきた若手がいる。山本聡哉騎手だ。
今年伸びた騎手は......と訊ねれば、盛岡なら齋藤雄一騎手、水沢ならまず山本聡哉騎手の名が挙がる赤丸急上昇の若手騎手。
そして、同騎手は盛岡所属の山本政聡騎手、船橋所属の山本聡紀騎手と三兄弟で現役騎手という、なかなか希な存在でもある。
今回はそんな注目株の山本聡哉騎手にお話を伺った。
横川:農業の町・葛巻町出身という事で特に競馬とは関わりがなかったそうですね。
山本:実家が畜産もやっていたんで将来の仕事は動物系かな......とか思ってはいましたね。でも競馬はダビスタをやるくらいで。父親が"身体が小さいなら騎手だな"とか言っていたんですが、それもまあ冗談半分だったはずです。
横川:そこから騎手になろうと思い立ったきっかけはなんだったんですか?
山本:ひとつは兄(山本政聡騎手)が騎手を目指す、と競馬学校に入った事ですね。小さい頃から結構兄のあとをついていく弟だったんですよ。小学校の頃は野球をやっていたんですがそれも兄がやっていたからで。兄が競馬学校で騎乗している姿を見て"ビビッ"と来ましたね。"騎手になろう"って。
横川:「テシオ」の読者ハガキを送ってくれたよね。お兄さんも送ってくれてたけど、兄弟で"騎手を目指してます"って書いて来た時にはびっくりしました。
山本:当時はもうホントに"競馬ファン"でしたからね。最初は兄が買っていた「サラブレ」とか「テシオ」とかを見ていたんですが、中学校の時の担任の先生も競馬が好きだったんですよ。日曜日に社会見学と称して盛岡競馬場に連れて行ってもらったりして。その頃は忍さん(村上忍騎手)が好きだったんで、忍さんばかり見つめてましたね。「テシオ」はプレゼントが当たったんですよ。渡辺さん(渡邉正彦元騎手)と小野寺さん(小野寺純一元騎手)のピンバッチが当たって凄く喜んでました。
横川:その頃はどんな楽しみ方をしていたんですか。
山本:ノートに騎手の成績とかプロフィールとかを調べて書き込んで......。憧れの対象ですよ、もう。今でもなんか凄いなって思う時がありますよ。あの憧れだった人たちと一緒にレースで戦ったりプライベートで遊んでもらったりするんですから。
横川:基本的には競馬ファンなんだ?
山本:そうですね、ファン、おたく......。競馬が好き。そして馬っていうよりは騎手が好きですね。どんな乗り方をするのか、どんな人なのか興味深くて。中学生くらいの頃は騎手になるという事自体がスゴイ事だと思っていましたから、騎手になった自分がパドックを回ったりレースに乗っているのを想像して"そうなったら凄いな"って。だから兄がデビューして騎手になったじゃないですか。そんな憧れの騎手たちと一緒にパドックを回っている。一緒に生活をしてるんだ......と想像すると、兄が"凄い"って思った瞬間でしたね。
横川:さて、自身が騎手になるために教養センターに入りました。その頃は順調だった?
山本:入った当初は騎手になるってどんな事なのか分からない部分もありましたが、いざ始まればそんな事を考える暇もないくらいのめり込んでいきましたね。基本馬術の時は身体が小さい事もあってたいへんでしたが、競走騎乗をやる頃になったらだいぶ自信がついて来ました。
横川:そして騎手としてデビュー。兄弟で戦う日が来ましたが......。
山本:今だから言える事ですが、最初の頃は正直辛かったですね。同期の悠里(高橋悠里騎手)が先に活躍しているのに自分はレースに乗れない日もある。がむしゃらに乗ってがんばらないと、どんどん取り残されていくような感覚になって。このままでは自分が騎手をやっていたかどうかすら印象が残らずに終わってしまうのでは......と悩みました。
横川:そんな頃に高知の全日本新人王争覇戦で優勝しました(2007年)。
山本:本当にしんどい時期だったので嬉しかったですね。同じくらいのキャリアの騎手の中で勝てたのですから。
横川:その時岩手では、存廃論議で大もめの時期。ちょうど存廃の採決の日で、高知に行けなかったのを残念に思っていました。
山本:これも今だから言えますが、高知で悠里と"岩手の騎手としては最後の騎乗になるのかな......"なんて言いながら乗りました。岩手の情報は調教師が逐一伝えてくれて。自分が優勝したと伝えると喜んでもらえました。
横川:県議会の建物に関係者で詰めていて、暗いムードだった所に優勝の報が届いて皆喜んだね。
山本:中学校の時の先生が高知まで来て見ていてくれたんですよ。それも嬉しかったですね。
横川:そんな聡哉騎手もいまやリーディング上位を争うようになりました。
山本:うーん。自分の腕にはまだそれほど自信がないですね。良い馬に乗せてもらえている、いろいろ恵まれている......そんな風には思いますけども。今年はデキ過ぎだと思っています。来年もこんなうまくいくとは思えない。調子が悪い時が来ても乗せてもらえるかどうか。乗せてもらえるように心がけていかないと。
横川:内田利雄騎手が、聡哉騎手の事を高く評価していましたよ。
山本:最初に来た頃からいろいろとアドバイスをもらっていたんですが、今年来た時には"自分からレースを動かす事も覚えていかないとね"という助言をいただきました。周りに合わせるだけじゃなくて自分でレースを作れ、と。これまで何年かにわたって、自分ができる事に合わせて徐々に助言のレベルも上がってきて、最後に一番大事な事を教えてもらえたんじゃないかと思います。
横川:ふむ。では来年もこんな活躍をするにはどうすればいいと思いますか。
山本:自分ががんばるのは当然として、周りとのコミュニケーションをきちんと取っていくのが大事かなと。
横川:それはどういう意図で?
山本:やっぱり競馬は自分だけの力でやっているものじゃないですから、関係者の皆さんと良い関係を作っていかないといけないと思っているんです。自分の最初の何年かの苦しい時期の事を考えてみると、例えば成績的に奮わなくても乗せてもらうには、普段から周りから好かれるような人間でないといけないんじゃないか。周りの関係者の皆さんと気持ちよく仕事ができる関係が作れていれば、自分が苦しい時でも周りに支えてもらえるんじゃないか? そんな風に思うんです。
横川:騎手として、人間性も重要だと?
山本:先輩たちを見ていても、いい成績を挙げている人たちは人間性の面でも優れている......と感じますね。自分もそうであろう、自分もそうなりたいと思っています。
横川:ちょっと珍しい考え方ですよね、騎手としては。
山本:よく言われます。"人間関係として見ているんだね"って。でも、自分にはすごく苦しい時期があったんで、そんな中でも雑に乗らない・苦しくても丁寧に人と人との関係をつくっていく。そう心がけようと考えたんです。きちんと土台を作らないと何かあった時に崩れるのも早いだろう。それが自分が苦しかった時期に行きついたひとつの答えですね。
横川:さて、聡哉騎手といえば三兄弟が騎手になっていますが、兄・政聡騎手は聡哉騎手にとってどんな存在ですか。
山本:最初にも話しましたが、小さい頃は兄の後ろをついていく弟だったんです。兄は昔からなんでもできて、何をするにも一緒で。そんな兄が騎手を目指したから自分も騎手になろうと思ったし、実は兄が競馬学校に入って半年ほど経った頃ですか、このまま続けるかどうか悩んでいた時期があって。兄が苦労したり悩んだりしているから"騎手って厳しいんだ"という心構えもできた。自分や弟は兄の切り開いた道を通る事ができたから良かったですね。兄弟で一番苦労したのは兄だと思います。
兄・政聡騎手(右)と
横川:今年は兄をリスペクトする発言がよく出てきますよね。
山本:例えばダイヤモンドカップとか、ああいう思い切ったレースは兄にしかできない、自分にはできないと感じたんですよね。レースに関しての思い切りの良さは兄の方が上かなと。
横川:弟の聡紀騎手については?
山本:がんばってますよね。最初は兄と一緒にずいぶん心配したし、自分の経験からも"最初からうまくいく事はないんだぞ"とアドバイスしたりもしていたんですが、うまく周りと良い関係を作っているようです。あいつは世渡り上手なんですよ。もう大丈夫でしょう。だから最近はあまり細かい事は言わないようにしています。
船橋からデビューした弟・聡紀騎手(写真は教養センター時代)
横川:いつか3人で戦う所を見たいですね。
山本:自分もやってみたいですね。去年あった"東北騎手招待レース"みたいなので弟を呼んでくれたらいいな。それぞれ性格も違うし、面白いレースになると思うんですよ。あの二人が真面目な顔してゲートに入っているのを見ると、自分は後ろで笑っちゃうかもしれませんね。なにか良い機会ができればいいですね。
インタビュー中にも出てきたが、以前「テシオ」という雑誌を出していた時、兄の山本政聡騎手から読者ハガキをもらった事がある。「騎手に憧れていて......騎手を目指していて......」というような事を書いてあった様に思うが、まあ中学生くらいの読者のハガキにはよく書かれている話。熱心なファンがいるな、とは思ったが、それ以上は特に気にもとめずにいた。
それが、その政聡君からハガキが来なくなってしばらくして、政聡君の弟と名乗る聡哉君からハガキが届いた。「兄は騎手を目指して競馬学校に入りました。自分もいずれ騎手になろうと思っています」。驚いた事ったらなかった。
しばらくして聡哉君からもハガキが来なくなった。その頃には兄のデビューが間近で、兄の口から弟君も教養センターに入った事を教えてもらった。
もう10年ほど前の出来事だが、いまだに忘れられない。競馬ファンから騎手に......というある意味競馬ファン冥利に尽きる路線。騎手としては楽しい事ばかりではなかっただろうが、これからも兄弟の活躍を楽しみにしている。
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※インタビュー・写真 / 横川典視