今年30歳を迎えた、金沢の藤田弘治騎手。年々リーディング順位を上げて、昨年は5位、そして今年はここまで4位の位置につけています。金沢名物となった「ちびうま団」のイベントにも毎回参加している藤田騎手。デビューから11年をかけて、着実に階段を上がって来た歩みをお聞きしました。
赤見:先日、金沢名物「ちびうま団」の夏休みイベントがあったそうですね。
藤田:はい。小学生を集めてポニーに乗ったり触れ合ったりしました。僕は誘導馬に乗って参加したんですけど、子供たちも楽しそうだったし、競馬の活性化にも繋がるのですごくいいイベントだと思います。
赤見さんが乗ったフラワーカンパニーは各地の遠征で勝っているし、だいぶ「ちびうま団」が根付いて来ましたね。これからもどしどしイベントを行いますので、お近くの方はぜひ参加して欲しいです。
赤見:私もまた乗りたいです!
よく一緒に参加している吉原寛人騎手とは、同期生なんですね。
藤田:そうです。吉原は学校の頃から競走訓練が上手だったし、デビューしてすぐにバンバン勝ってたから、かなり焦る気持ちもありましたよ。
赤見:周りから比べられたり?
藤田:それもありますし、僕の方はデビューして2年間、全然乗り鞍がなくて。初勝利も2か月以上かかったし、とにかくレースに乗ってなかったんです。それがものすごく辛かったですね。
赤見:元々、騎手になるきっかけは何だったんですか?
藤田:家が金沢競馬場から近くて、高校の時にレースを見てかっこいいなと思ったんです。両親は大反対してましたけど、高校を卒業してから教養センターを受験しました。
馬には一切乗ったことがなかったし、最初の頃の訓練はかなりキツかったですね。特に、教官とのマンツーマンが...
赤見:わかります(苦笑)。初めは乗馬経験者との差が大きかったんじゃないですか?
藤田:そうですね。なかなか上手くいかなくて、本当に難しかったです。
赤見:実際に競馬場の中に入った時は、どんな印象を持ちました?
藤田:本当に競馬のことをよく知らなかったので、特に想像もしてなかったんですよ。だから、そのまま受け取りました。競馬場に対する、理想と現実とのギャップとかはなかったですね。
赤見:デビュー当時は乗り鞍がなかったということでしたが。
藤田:そうなんです。そこは僕が甘かったですね。そんな簡単に乗せてもらえる世界じゃなかったです。今年11年目ですけど、デビューから2年が一番辛い時期でした。やっぱり、騎手はレースに乗って経験を積んで上手くなりますから、とにかく乗りたいって気持ちが大きかったです。2年は長かったですね...。
赤見:その後、2度目の転厩で現在所属している黒木豊厩舎に所属になったんですね。
藤田:はい。僕が所属していた調教師が引退して、行くところがなかった時、厩務員さんが紹介してくれたんです。拾ってもらって、本当に感謝しています。黒木先生に拾ってもらったお陰で、今があるわけですから。
赤見:黒木調教師はどんな方ですか?
藤田:とても真面目な方です。馬主さんから僕のことで色々言われることもあると思うんですけど、絶対に僕には言わないんです。いつもかばってくれて。
特に思い出深いのは、転厩してすぐの頃、キクノライデンという馬で『報知新聞杯』に騎乗させてくれたんです。僕自身重賞を勝ったことがなかったし、まだ経験も少なくて何もない騎手なのに...。先生が馬主さんに頼み込んでくれて、厩舎の看板で、1番人気の馬に乗せてくれたんです。かなり緊張したけど、とにかくがむしゃらに乗って、勝った時は本当に嬉しかったですね。
赤見:黒木先生と出会って騎手生活も軌道に乗り、2008年からは金沢のオフシーズンに、美浦トレーニングセンターで調教修業もしていますよね。
藤田:初めは高橋俊之先生からお話があって、「美浦の調教師が手伝ってくれるジョッキーを探している」と言われたので、勉強のために行きました。
約1か月、調教だけですけどすごく勉強になりましたね。施設も全然違うし、馬のレベルもやっぱりすごい。調教も、きっちり併せ馬したり、直線だけ併せたりと細かい指示で行うので、新しい発見がいっぱいありました。3年連続で行ってますけど、少しずつ自分の身になっている気がします。
赤見:毎年勝利数が伸びてますもんね。
藤田:前の年より1つでも多く勝つことを目標にしているので、今のところ順調にこれてますね。
赤見:デビューした頃のご自分と今は違いますか?
藤田:全然違いますよ。何がってわけでもないですけど、やっぱり乗ってきた経験というのは大きいです。乗り役としての引き出しもだんだんと増えてくるし、精神的にも違いますね。
前は、「勝てないのかな...」と考えちゃうような弱気な面があったんです。でも今は「勝ち鞍を伸ばしたい!上を目指したい!」という強い気持ちでやってるんで。やっと少し、吉原に近づいたかなと思ってます。
赤見:やはり吉原騎手の存在は大きいんですね。
藤田:普段はそんなに意識してるわけじゃないですけど、吉原はすごいな、上手いなって思います。身近な存在だけど、尊敬してるし目標でもあります。
赤見:お2人の関係はどんな感じですか?
藤田:よくゲームしたり、一緒にご飯食べに行きますよ。2人共お酒が飲めないので、飲みに行ったりはないですけど。
もっと技術を磨いて、同期2人で金沢のトップを獲りたいですね。今はそれが目標です。そして、いつかは吉原を抜いて、僕が1位になりたいです!!
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※インタビュー / 赤見千尋
今年6月に1500勝を達成。三冠を達成したクラキンコを含む北海優駿2連覇など、今シーズンの道営ホッカイドウ競馬リーディング2位(46勝、8月25日終了時点)。ここ一番の勝負強さでファンや関係者からも絶大な信頼を集めている、ベテラン宮崎光行騎手にお話を伺いました。
斎藤:騎手になったきっかけを教えてください。札幌出身ですよね。
宮崎:親が競馬が好きで、札幌競馬場によく見に行きました。両親は競馬関係の仕事というわけではなかったんです。背が小さいからなれるかな、と思って。
斎藤:でも今、そんなに体が小さい感じはしないですが...。
宮崎:中学3年の時は、体重が32キロしかなったんです。その時は、地方も中央もわからずに岩見沢に連れていかれました(笑)。
斎藤:所属は、須藤三千夫厩舎でした。
宮崎:騎手デビューの年(1984年)が、須藤先生の開業1年目で、先生の騎手時代の勝負服をそのまま受け継ぎました。先生には、「取り柄を持て」と言われましたね。ひとつずつやれ、と。スタートに気をつけるように、とよく言われました。2歳戦が多いので、若駒のスタートの出し方、ゲートの中の馬の御し方などを丁寧に教えてくれましたね。
斎藤:思い出に残る馬を教えてください。
宮崎:初めて重賞を勝ったツルギエイカン。
斎藤:平成元年の赤レンガ記念ですね。その年の第1回ブリーダーズゴールドカップでも3着でした。
宮崎:その時でデビュー6年目だけど、それまでは全然馬に乗せてくれなかったよ。それを勝ってから、大きいレースにも乗せてくれるようになった。そこからだね。
宮崎:それと、中央の芝で勝った、クラキングレディ(2005年8月13日、札幌12R)。芝で合いそうだね、って須藤先生とずっと言っていた馬で......。(その年の5月に)先生が亡くなった後に勝ったから。それは......ぐっときたね。芝で勝ちたかったから。先生は、厳しくて、きつい言い方もするから、喧嘩もしたし、ぶつかったりもした。でも、走る馬に乗せてくれた。
斎藤:須藤先生が、どんな時でも宮崎さんを乗せていた、という話はよく聞きました。今は松本隆宏厩舎所属ですね。松本さんも名騎手でした。
宮崎:先生が松本さんを乗せていたから、良く見ていた。簡単に乗ってぱぱっと勝つし、騎乗スタイルがきれいだよね。
斎藤:中央競馬でも10勝しています。私は1998年、チェックメイトに騎乗して単勝2万円台の穴を空けたときのことが印象に残っています。
宮崎:チェックメイトはあのあとエンジンかかって、重賞勝つまでになったからね。きっかけになってくれたのかもしれないね。どちらにしろ、強い馬に乗らないと勝てないから。
JRAで勝つというのはすごく大変。だからこそ、その中で勝つという醍醐味もある。初芝が多いので、一発勝負になるから、その中でも、できるだけいい結果を出せるように考えている。最初は芝に戸惑ったけど、今は何回も乗っているから、飛びや気性でその馬が芝に合うかどうかはだいたいわかる。適性は、ダートを走っててもわかるよ。まぁ、走ってみないとなんともいえないけど。
斎藤:今年まで、北海優駿を3連覇していますね(アラベスクシーズ、クラキンコ、ピエールタイガー)。このレースに思いはありますか?
宮崎:重賞はどんなレースでも勝てるのは名誉なことだから、どのレースが、ということは特にない。勝ちたいレース? ほとんど勝ってるからなぁ。そういえば、牝馬重賞を勝っていないな。今後は古馬の交流重賞で勝ちたいね!
斎藤:ブリーダーズゴールドカップのクラキンコは、地方馬最先着の6着でした。
宮崎:差があるよね...。馬も調子が悪かったからね。三冠の時に比べたら元気もなかった。でも、牝馬にしてはすごい馬だよね。
斎藤:クラキンコをはじめ、今までも大きなレースで乗替ることが多いですね。それでも乗りこなしていて...心臓に毛が生えているのではないですか?
宮崎:プレッシャーを感じないことはないですよ。もう28年乗ってるんで......スタッフの期待に応えるだけ。馬の能力と、厩舎スタッフが作り上げてきていることを信頼して、それを邪魔しないように乗るだけです。ゲート出てからは、もう馬のことを考えるだけですからね。
斎藤:では、趣味を教えてください。
宮崎:趣味はゴルフですね。騎手では、山口さんと行ったりします。
斎藤:自宅は札幌ですよね。札幌競馬場でレースがある時は、パドックから「パパ頑張って」と声がかかっていましたね(笑)。
宮崎:そうだったかな?(笑) 松本厩舎になってからは、全休の日もあるので、月に1~2回は家族に会いに行きます。娘が2人います。須藤先生の時は休みがなかったからなぁ。
斎藤:冬は遠征しないのですか?
宮崎:減量がきついので......。松本厩舎の馴致をしています。
斎藤:門別競馬場の印象はいかがですか?
宮崎:小細工がきかないから、強い馬に乗れば、乗りやすいよね。ただ、ペースが遅くて、ヨーイドンの直線競馬が多くなってしまう。雨降ると時計が変わるしね。霧の中で乗るのは大丈夫だけど、前で事故があったらわからないから危ないよね。後ろから行こうとすると、逃げ馬がどこにいるか見えないから、距離やタイミングがつかみにくいところはある。
斎藤:これからの目標を教えてください。
宮崎:あと何年乗れるかわからないからなぁ。
斎藤:何言ってるんですか、今もバリバリじゃないですか。
宮崎:若い頃よりは、衰えを感じるよ。気持ちはあるんだけど、昔ほど体がついていかない。2年前、足首を怪我したからね。去年も入院したし、門別になってから夏はいいことがないんだよな。
斎藤:(インタビューは騎乗停止になったすぐ後)......それも今年で最後でしょう! 今後の活躍を期待しています。ファンに一言お願いします。
宮崎:広い競馬場とナイター競馬を楽しんでほしいです。これからは2歳戦でスターホースが出てくるから、それを見つけてください。
思い切りのいい騎乗ぶりを見ていると、豪快な方なのかと思っていましたが、落ち着いた雰囲気はさすがベテランだと感じました。馬と人を信じてきた積み重ねが、結果に現れているんですね。これからも「あっ」と驚かせるような騎乗が楽しみです。
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※インタビュー / 斎藤友香
昨年7月のデビューから、ひたむきに頑張る姿が印象的な、笠松の新人・森島貴之騎手。異色の経歴を持つ22歳の、素顔に迫りました。
赤見:まずは騎手を目指すきっかけから教えて下さい。
森島:中学を卒業してから、すぐ鉄工所に勤めたんです。4年間働いたんですが、そこの先輩で競馬が好きな人がいて。僕は三重県生まれで、競馬に関係する施設も近くになかったから、初めは全然興味ありませんでした。
でも先輩が熱心に勧めてくれて、しかも地方競馬教養センターの願書まで取り寄せてくれたんですよ。あまりにしつこかったんで(笑)、「まぁ受けるだけ受けてみるかな...」という気持ちで受験したんです。
その頃には少しずつ競馬に興味も沸いてましたけど、まさか受かると思いませんでした(笑)。本当、たまたま合格出来たんだと思います。
赤見:センターに入るまで、馬に接したことなかったんですか?
森島:なかったんですよ。同期はみんな乗馬とかバリバリやってたんで、最初はすごく辛かったです。馬は大きくて怖いし、みんなみたいに上手に乗れないし...。
辞めたいって気持ちもあったけど、地元から出て来ちゃってるわけじゃないですか。今さら戻れないなと思いました。ここまで来て辞められないって気持ちで、毎日頑張りました。
赤見:無事に卒業して騎手になるわけですが、今度はデビュー前に怪我をしてしまったんですよね?
森島:そうなんです。3月に卒業して、4月の開催からすぐデビュー出来るはずだったんですけど、調教で落馬して膝を骨折してしまいました。入院自体は短かったけど、ギプスは取れないし自宅療養は長いしで、かなり焦りましたね。
赤見:その時はどんな想いで過ごしてたんですか?
森島:とにかく早く乗りたいって思ってました。毎日時間があるじゃないですか。だからよく同期のレースをネットで見ていたんですけど、いっぱい乗ってるやつもいるし、勝ってるやつもいて...。ものすごく焦りました。 やっとギプスが外れても、筋肉が落ちててリハビリしなきゃいけないし。毎日がすごく長く感じました。
赤見:無事7月にデビューを果たした時はどうでした?
森島:すごく嬉しかったですね。やっとスタートラインに立てたと思いました。 でも実際のレースは緊張してしまって...。一周あっという間だし、センターでやってた実習とは全然違いました。デビュー出来て嬉しいけど、難しいなとも思いましたね。
赤見:初勝利は3ヶ月半後でしたが、どんな気持ちでしたか?
森島:時間がかかってしまったけど、勝った時はものすごく嬉しかったです。
【エーシンファステム】という馬なんですけど、実はまだ候補生だった頃、競馬場実習に戻ってきた時に世話していた馬なんですよ。調教はもちろんですけど、身体を洗ったり、馬房を掃除したり。とても愛着のある馬だったんで、余計嬉しかったですね。しかもその後も2つも勝ってくれて...。僕は今全部で5勝(8月14日現在)なんですけど、そのちの3勝も挙げさせてくれてるんです。もう本当に可愛い馬です。
赤見:今の一番の思い出のレースは、【エーシンファステム】ですか?
森島:そうですね。初勝利もそうだし、1番勝たせてもらっているし。あの馬には、とても感謝してます。
あと、【ミスイサリビ】という馬がいるんですけど、今年の1月1日の1レースで勝ったんですよ。その時両親が見に来てて、目の前で初めて勝つことが出来ました。すごく喜んでくれて、母は泣いてたみたいです(照)。親孝行が出来たかなと思いました。
赤見:ご両親はもちろん喜んだでしょうね。騎手になることをしつこく(笑)勧めてくれた先輩はどうですか?
森島:先輩も喜んでくれてます。もう何度も三重から笠松まで応援に来てくれました。「まさか本当になるとは...」って驚いてました。
今はジョッキーになれて本当によかったって思います。難しいことや悔しいこともいっぱいあるけど、鉄工所にいた頃は、ただなんとなく仕事してましたから。今はやりがいがあって、毎日楽しいです。勧めてくれた先輩には、とても感謝してます。
赤見:騎手になって、変わったことってありますか?
森島:自分ではよくわかんないんですけど。先輩に、顔つきが変わったって言われました。前はナヨナヨしてて...。今もナヨナヨしてますけど、前はもっとしてたんですよ。少し、逞しくなれたのかなと思います。
赤見:この先、どんな騎手になりたいですか?
森島:今はとにかく1つ1つ大切に乗って、勝ち星を重ねることです。まだまだですけど、いつか岡部誠騎手のようになりたいです。
よくうちの厩舎の馬に乗ってもらうんですけど、すごく引っかかる馬でもかからないし、ササって追えないような馬でも真っ直ぐ走るんです。岡部さんが乗ると、簡単に乗ってるように見えるんですけど、それがすごい技術なんですよ。 レースのビデオも、意識して見ています。
兄弟子の花本正三騎手からは、たくさんアドバイスをもらってます。具体的には、自分の進路をしっかり取って、真っ直ぐ走らせろとか、もっと周りをちゃんと見ろって言われます。
落ち込むこともあるけど、花本騎手をはじめ周りの人たちが本当によくしてくれて、ご飯を食べに連れてってくれたり、休みの日には遊びに連れてってくれたりするので、すぐ前向きになれるんです。本当にありがたい環境で、みんなに感謝してます。
赤見:センターを卒業する時、外に出たら阪神戦を見に行きたい!と言ってましたが、実現しましたか?
森島:はい!やっと先月行くことが出来ました。吉井友彦騎手と横井将人騎手と一緒に甲子園まで行ったんですけど、もう本当に最高でした。いい気分転換になりましたね。
赤見:それでは、自己PR&笠松PRをお願いします。
森島:僕は、何をやるにしても一々長かったな、と思うんです。みんなより時間がかかるというか。でも、騎手として歩き始めたので、ここから先はしっかりと技術を学んで信頼してもらえるようになりたいです。 今の売りは、がむしゃらなこと。どんなに後ろにいても、最後まで諦めずに追って来ます。
笠松は、日本で唯一パドックがコースの中にあったり、ちょっと変わってる競馬場です。馬との距離が近いし、人馬の息遣いや騎手のステッキの音なんかも聞えて、すごく迫力あると思います。
ぜひ、生でレースを見に来て下さい!!
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※インタビュー / 赤見千尋