現在全国リーディング2位を走る、兵庫の川原正一騎手。デビューから39年、笠松と兵庫でダブル2000勝を達成するなど、数々の記録を打ち立てて来ました。56歳になった今でもパワフルな騎乗は健在。長きに渡って活躍し続ける要因をお聞きしました。
現在全国リーディング第2位(227勝/11月28日現在)と、今年も活躍していますね。
いい馬に乗せてもらっているのでそのお蔭です。56歳になった今でも十分体が動くし、兵庫では木村(健騎手)や田中(学騎手)が体調を悪くして休んだりしている中で、僕は減量もなくて体には恵まれていると思っています。1つ1つのレースを大事に乗っていることが結果に繋がっているんじゃないですかね。自分ではたいそうなことをしているとは思いません。
デビューから39年です。長く続ける秘訣というのはありますか?
やっぱりもともとの体重が軽くて減量がないっていうのは大きいと思いますよ。もちろん、日々の生活の中で体重が増えないように気を付けてはいます。あとは大きなケガをしないことですね。ケガは後遺症があったり、治っても後々ガタが来たりしますから。
騎乗に対してのポリシーというのは?
自分のスタイルを貫くということです。自分と馬のリズムを大事にということですね。まぁ、基本中の基本ですけど。そこを大事にした上で、この馬にはこういう乗り方の方がいいんじゃないかとか、こういうアプローチがいいんじゃないかとか、スタッフと一緒に考えることも大切です。あとは、これまで培った自分の感覚もプラスαとして付け加える感じですね。
北海道のランランランで園田プリンセスカップ制覇(写真:兵庫県競馬組合)
川原騎手はテン乗りでも結果を出すという印象が強いです。今年で言えば、園田プリンセスカップのランランランがそうでしたね。
あの時は騎乗前から自信がありました。ただ、向正面に入ったところで掛かってしまって...。あれがなければもっと楽に勝てていたと思います。あのレースは馬に勝たせてもらいました。テン乗りの馬に関しては、まずは調教師や厩務員さんの話を聞きます。どういう性格をしているのか、どういうことが苦手なのか、聞かないとわからないことが多いですから。それで、返し馬で感触を確かめます。これまでのことを教えてもらうのは大事なことだし、それでも日々成長していますから、今日はどんな雰囲気なんだろうと感じることも大事です。固定観念で決めつけず、背中から感じた感触を大事にレースに挑みますね。
いつ頃からそういう考え方になったんですか?
そうですね、ある程度経験を積んで来てからです。最初はただただがむしゃらにやって来ましたけど、たくさんの馬たちに乗せてもらって、背中で教えてもらって。その分、たくさんの関係者にもアドバイスをもらっているわけですから、いろいろ考えるようになりました。30年前にJRAに遠征に行き出した頃ですかね。自分自身の感覚というのを感じられるようになったのは。ただ、それがいい方に出る時もあるし、悪い方に出る時もあります。それが競馬の難しいところで、面白いところでもありますけど。
長年騎乗していますが、「楽しい!」と感じる時はありますか?
もちろん、ありますよ。馬に乗るのが大好きですから。特に、自分しか乗れない乗り方ができた時は楽しいですね。周りから、『川原スタイル』『川原マジック』なんて言ってもらえると気分がいいです。先日の園田チャレンジカップ(ヒシサブリナ)で、久しぶりにそういうレースができました。どんなに経験を積んでも、会心のレースというのはなかなかできるものではないです。僕だって年に数えるほどですから。そういうレースができた時は、本当に嬉しいです。
笠松時代に2000勝、そして兵庫移籍後に再び2000勝を達成しました。そのメモリアルの勝利が園田チャレンジカップでしたね。
ずっとお世話になっている盛本信春厩舎の馬で、会心のレースで達成できたことは最高に嬉しかったです。振り返ってみると、本当にたくさんの馬や関係者のみなさんに助けていただきました。笠松時代も兵庫に移ってからも2000勝できるなんて、なかなかないことですからね。感謝の気持ちでいっぱいです。
会心の騎乗だったヒシサブリナの園田チャレンジカップ(写真:兵庫県競馬組合)
勝ち続ける秘訣というのは?
一番は強い馬に乗せてもらうことです。そのためには日々真面目に頑張ること、与えられた中できちんと結果を出すこと、関係者に「自分の馬を託したい」と思ってもらえる存在でいることが大事です。騎乗の中では、どこでギアチャンジをするのか。そこを間違えると強い馬でも負けてしまうこともあるし、そこが一番難しいです。
今後の目標は何ですか?
ケガがないよう1つ1つのレースを大切に乗るだけです。競走馬というのは、馬主が調教師に預けて、調教師が厩務員に託して、最後のバトンを受け取るのが騎手なんです。みんなの想いが詰まっているので、1つでもミスは許されないと思っています。僕は今56歳ですが、「年食ったな」とは絶対に言われたくないですね。今は体も昔と同じように動くし、いつまでも若々しくパワフルな乗り方を続けていきたいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
10月17日に園田競馬場で行われたスーパージョッキーズトライアル第2ステージ。川原正一騎手は、そこで5着2回と着順をまとめ、第1ステージでの首位を最後まで守り、11月30日、12月1日にJRA阪神競馬場で行われるワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)への出場権を手にしました。今年の川原騎手は、地方競馬全国リーディングを独走中(10月29日現在)。54歳にして、なお進化を続けています。
浅野:スーパージョッキーズトライアルの優勝、おめでとうございます。
川原:ありがとうございます。全部、それなりの成績がある馬に乗せてもらえていましたし、ポイントを取りにいくレースをしました。船橋での第1戦は吉原くん(1番人気馬に騎乗して3着)が勝ちにいって、ぼくはポイントを取りにいった、その差が着順(川原騎手は2着)に出たのかなと思います。
普段のレースでもそうなんですけれど、自分自身が勝とうと思ってしまうと、馬に余計な負担がかかってしまうんですよね。だからいつも馬のリズムが優先。レース中のポジションとかは気にしないことにしています。それがぼくの基本ですね。
浅野:でも、2位の桑村真明騎手(北海道)とは1ポイント差。ギリギリの優勝でした。
川原:得点状況は気になりましたよね。トップで折り返したし、第2ステージは地元だし。最後は運がよかったんだと思います。個人的な心がけとして、自分は運がいいんだと思い込んでいるんです。周りにもそういうことを言っています。
浅野:しかしながら、1997年以来、16年ぶりのWSJS出場ですね。97年は3、3、1、1着という成績で優勝しました。
川原:あのときはNARから指名されて出場したんですよね。確か、笠松でのリーディング2年目で、勝率がよかったから選ばれたのかな。当時はJRAでのキャリアが今ほどなかったから、うまく乗れるか心配でした。でも行ってみたら、意外にちゃんと乗れましたね。最後のレース(第4戦・ゴールデンホイップトロフィー)ではステイゴールドを負かしましたし。いやしかし、世界の騎手と渡り合って優勝ですよ。今でも信じられないですね。表彰式のときもうれしかったですけれど、終わってから日に日に「すごいことをしたんだな」と感じてきたのを覚えています。本当に、競馬の神様がぼくに降りてきていたんだろうなあ。
浅野:そして今年は全国リーディングでもあります(10月29日現在)。好調の要因はどのあたりなのでしょうか。
川原:笠松の頃はトップを守ろうなんて思っていたんですけれど、今はあまり気にしません。与えられたひとつひとつを大事にやっているだけですよ。大きいのは、柏原誠路厩舎(10月29日現在、兵庫リーディングトレーナー)の主戦騎手にしてもらっていることかな。今日(10月24日)勝った馬も柏原厩舎。先生とはよくコミュニケーションを取っていて、この馬は先生に相談して、1700mの予定から1400mに変えてもらったんです。柏原先生は勝ちにこだわる人ですし、ぜひリーディングを取ってもらいたいですね。
浅野:笠松でトップジョッキーだった30代のときと50代である現在で、変わったところがあるとすればどのあたりでしょうか。
川原:技術的な部分や考え方、それから馬に対する考え方は、あの頃より上でしょうね。今はとにかくいいレースができればという、それしか頭にないですよ。勝っても負けても反省。馬のいいところを伸ばして、弱点が表に出ないようなレースをしてあげたいなと思っています。競馬は馬が主役。馬がいちばんしんどい思いをしているわけで、騎手なんてちっとも偉くないんです。30代の頃はそんなことあまり考えていませんでした。ただ、いくら自然体で乗ろうと思っていても、予想紙で本命印が並んでいると気持ちが前に行っちゃうんですよね(笑)。だからこそ、常に馬のリズムに合わせようと念じています。
浅野:今日も後半戦の全レースに騎乗していました。キャリアで補えるところはあると思いますが、でも若い頃とは違う部分はどうしても出てきてしまうような気がするのですが。
川原:やっぱり疲れ方は30代のころとは違いますね。今日も7鞍、明日は8鞍でも肉体的にはそんなに問題ないんですが、思い描いたような競馬ができないと疲れます。精神的な疲れが肉体に響いてくる感じ(笑)。競馬にはいいときも悪いときもあるんですけれど、いい競馬ができたときは疲れなんて全然感じません。
浅野:また、40代になってから兵庫に移籍されました。その点でもいろいろとご自身に変わってきたところがあるかと思います。
川原:兵庫に来た当初はどうしようか迷いましたよ。流れが笠松と違うから。最初のうちはこっちの流れに合わせようかと考えたんですけれど、やっぱり自分のやり方で貫こうと決めました。
それから競馬に対する考え方ですね。競走馬は馬主さんから厩舎スタッフがバトンを受けて、そしてぼくが最後にバトンを受ける。だからぼくは、みんなの信頼に応えられるようにしなければならないんです。だから私生活から正すようにと考えているんですよ。神様はいつも見ていますからね。そういう思いは兵庫に来てから強くなりました。
浅野:そして今年は結果も含めて充実していて、さらにスーパージョッキーズトライアルを優勝しました。WSJSへの抱負をお願いします。
川原:競馬は馬が主役だとは思いますが、WSJSはお祭りなので、そこに参加できるのはうれしいですね。前回のときに騎手人生の運を全部使ったと思っていたのに、また出場させてもらえるわけですし。だから今回は、37年間積み上げてきた思いや考え方、技術を出して、その上で楽しく競馬ができればと思っています。それで世の中の50代のみなさんにパワーをあげられればうれしいですね。自分は50代という自覚なんて、まるでないんですけれど(笑)。
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※インタビュー / 浅野靖典
中学2年のとき、「飛行機に乗せてもらえる」という喜びから、親戚の勧めで鹿児島から岐阜県の笠松まで騎手という仕事を見学しに行った川原少年。見ているうちに憧れを抱き、いつしか頂点を極めることになります。
動機も積み重ねた実績も、のちの大横綱千代の富士になる秋元貢少年と一緒だなと、相撲好きの筆者は思ってしまいます。
笠松で、あの安藤勝己騎手を押しのけリーディングを奪い、都合8回も頂点に輝いた川原騎手は、2006年2月からは兵庫のジョッキーとして第二の騎手人生をスタートさせます。
竹之上:どんな意気込みで兵庫に来ました?
川原:一応笠松のトップにいた川原だし、名門曾和厩舎に入るわけだし、周りの目は厳しいだろうから、不様な競馬だけはできないなって思っていました。だから、騎手として再デビューできるときまで、調教も一生懸命して、筋トレもしっかりやってましたね。だから、笠松の頃より良いカラダだったんじゃいなかな(笑)
竹:笠松と兵庫では、レース内容に違いはありました?
川:全然違いましたね。笠松ではレースの流れの中で騎手が動くというものだったけど、兵庫では騎手がレースの流れを変える感じ。駆け引き中心ってことかな。
竹:じゃあ、その違いに戸惑ったでしょう。
川:戸惑ったけど、ここのやり方で勝って行こうと思ったね。安藤兄弟と渡り合ってきたんやから、なんとかなると思ってね。
川原騎手はその年、一日4鞍までという制限(6月27日まで)もあったなか、154勝を挙げてリーディング3位の堂々たる成績を残します。
竹:川原さんはいつも、馬とのコミュニケーションが大事と言ってますよね。馬と会話しながら乗るんだと。そういう気持ちになったのは、いつ頃からですか?
川:笠松でリーディングを獲った頃(1990年代後半)くらいからだと思う。周りが見えるようになったんやね。
竹:川原さんにとって、一流ジョッキーの条件ってなんですか?
川:ミスを少なくできること。慌てないこと。見ている人に安心感を与えられることかな。
竹:間違いなく一流の川原さんに聞きますけど、それはいつごろ体得できたと思います?
川:こっち(兵庫)に来てからやね。
竹:えっ!?そうなんですか!最近ですやん!
川:だって、簡単に勝たせてくれへんもん。
こんな言葉を大ベテランに吐かせる兵庫のジョッキーもやるなと、少し誇りに思うとろです。強力なライバルたちが、更なる高みへ誘ってくれるのでしょう。
竹:いま掲げる目標ってあります?
川:目標ってのはないけど、ひとつひとつを大事に騎乗することかな。それと、騎手はやっぱりカッコ良く勝たないと。
竹:それにしても、51歳ですが体力は衰えませんね。
川:年中カラダ動かしてるからね(笑)。それでも衰えはあるだろうし、いつかはムチも置くだろうしね。そのときはひとに言われてやめるのではなく、自分で決めたいね。
竹:それって、自分で断を下す明確な基準があるってことですか!?
川:あるよ。
竹:いまは言えないでしょうけど、決まったときにコソッと教えてくださいね。でも、それがしょーもなかったら怒りまっせ!
川:しょーもないかもな(笑)
まだまだやめる気などさらさらないなと思わせる口ぶりと騎乗ぶり。カッコ良く勝つシーンは格別で、大人の競馬を教えてくれる川原騎手。是非馬券を買って、安心してご覧になってはいかがでしょうか。
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※インタビュー / 竹之上次男
写真 / 齋藤寿一