1月17日名古屋競馬第2レースに勝利して、地方競馬通算3,000勝を達成した戸部尚実騎手。現在58歳。その胸の内を伺いました。
地方競馬通算3,000勝達成、おめでとうございます。
ありがとうございます。デビュー当時は3,000勝すると思っていなかったですし、まさかこの年齢まで騎手をしていると思っていなかったですね。長い年月掛けてコツコツと積み上げたからこそ達成出来たのでとても嬉しいです。頑張ってくれた馬たち、乗せていただいた関係者の方々に感謝しています。
3,000という数字はいつ頃から意識しましたか?
けっこう近くなってからですね。3,000勝を達成するまでは騎手を続けたいなと思っていました。
1月17日名古屋第2レース、キタノインスパイアで地方通算3,000勝達成
先日放送されたグリーンチャンネル『アタック!地方競馬』のインタビューで、「3,000勝したら調教師を目指したいと思っていた」と話していましたが、今は調教師へ向けて勉強中ですか?
そうです。何かきっかけがないと騎手を辞める踏ん切りがつかないもので、そこをきっかけにしたいなと思っていました。実際に達成してから勉強し始めたので、本当につい最近始めたばかりです。
どんなことを勉強しているんですか?
所属の川西調教師の元で、馬の扱い方を教わり出しました。これまではずっと乗っている状態で馬と接して来たので、馬に触ったり脚元を見たり、やることすべて新鮮です。まだまだ覚えることはたくさんありますが、とても面白いですね。
川西毅調教師とは同門なんですね。
もともと同じ厩舎に所属していて、僕が騎手で川西さんが厩務員さんでした。今も所属調教師ですし、本当に長い付き合いです。8月、9月くらいに調教師試験がある予定なので、半年ありますから、しっかり勉強して試験に備えたいと思います。
ここまで長く騎手を続けて来て、レースに乗ることに対する未練はないですか?
それはまったくなくて、達成感が強いです。もちろんまだ現役ですから、騎手でいる以上精一杯騎乗します。ただ、次のステップを目指すという意味では未練はないですね。
戸部騎手は何度も大きな怪我をして来ましたが、これまでは一度も騎手を辞めたいとは思わなかったと仰っていました。今回初めて、次のステップへという想いを抱いたのですか?
そうですね。大きな怪我もしましたが、休めば治る怪我ばかりでした。骨折でも、治ればまた騎手をやれる程度だったので、辞めたいとは思わなかったです。でも最近はさすがに年齢的にも体が思うように動かなくなって来た部分があるもので、3,000勝がちょうどいい機会だなと思いました。
その割には昨年は重賞6勝と大活躍でしたね。
ありがとうございます。出来過ぎですよ。おそらく今までで一番重賞を勝った年だと思いますよ。岡部(誠)君のような騎手ならば毎年いっぱい勝つけれど、普通の平凡な一騎手なら重賞は1年に1個か2個勝てばいい方ですからね。
なぜ58歳という年齢まで活躍できるんですか?
それは......自分ではちょっとわからないですけど、でも体のケアは毎日しています。競馬の日以外は毎日接骨院に行って整えていますから、そういうことが秘訣になったのかもしれません。
名古屋競馬は大きな転換期を迎えますね。
新しい競馬場でレースができるのは楽しみですね。調教師試験は受けるけれども、何か月かは確実に乗れますから、すごく楽しみです。
馬場の特性はどうなりそうですか?
やってみないと全然わからないですよ。今のコースとはまったく違っていて、広くて直線も長いですから、追い込みが利くのかもしれませんし、それでも先行有利になるのか、やってみないとわからないです。
最近の名古屋競馬場はこれまで以上に逃げが有利な印象です。
そうですね。もともと先行有利ではありますが、最近は特に逃げに偏っていますね。あんまり人気がなくても逃げたら残ってしまうことはよくありますから、最後の開催まではこういう傾向なのかなと思っています。
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
僕は青森出身で、東北の粘り強さを持ち味にしているつもりです。見ている方もわかってくれるのか、「しつこいな」とか「しぶといな」とよく言われます(笑)。ここまで長く現役を続けて来られて、3,000勝を達成できたことも、たくさんの方々が応援してくれたからです。本当に感謝しています。名古屋は4月から新しい競馬場になりますので、これからも注目していただけたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:愛知県競馬組合)
今年でキャリア33年目となる戸部尚実騎手。2011年に地方通算2000勝を達成し、昨年6月には2300勝をマークと、コンスタントに勝ち星を積み重ねています。
一昨年も昨年も98勝と、好成績が続いていますね。
健康体であるのがいちばんの理由ですね。それ以前は3年ぐらい続けて骨折していますし、これまで本当にケガが多かったですから。でも僕みたいに30歳ぐらいから成績が上がってきたという騎手は、珍しいかもしれないですね。
それはどういうことが要因なのでしょうか?
やっぱりたくさん乗っている分の経験値というところかな。普段からレースの流れとか、そういうことを考えていることも、それにつながっているように思います。自分はタイプとしては努力型。性格というか、子供のころもそんな感じでした。
確かに東海ダービーを勝ったのは2011年(アムロ)。デビュー29年目でした。
若いころにはマルブツセカイオーなどの活躍馬に乗せてもらいましたけれど、騎手人生としては後半のほうがいいですよね。5年前の年末年始に3日連続(2009年12月31日~2010年1月2日)で重賞を勝って、その次の年にダービー。やっぱりダービーは特別でした。
2011年東海ダービーをアムロで勝利(写真:愛知県競馬組合)
1963(昭和38)年8月27日生まれですから、現在51歳。健康などで気を付けているところはありますか?
食事には気を遣っています。もともと量を食べるほうではないんですが、食べるものもヘルシー傾向かなと思います。ここ何年かは釣りに凝っていて、知多半島のほうに船で行って魚を釣って帰ると、それをどうにかしないとならないじゃないですか。釣りにハマるまでは料理なんて全くしなかったんですが、今では刺身とかいろいろ自分で作るようになりました。お酒は30歳ぐらいまで飲めなかったんですが、今ではけっこう飲んでいますね。ただ、お店とかではなくて、自宅でのんびりと。レースがないときは調教が終わってお風呂に入って、それから飲み始めることもあります(笑)。
昨年はリーダーズボードが東海ダービーを前に戦線離脱しましたが、かなりの活躍を見せました。2011年の東海ダービー馬、アムロも、戸部騎手が所属している川西毅厩舎の管理馬です。
僕は以前、河村功厩舎所属だったのですが、川西調教師はそこで厩務員をしていたんです。河村厩舎もいい馬を集める厩舎でしたが、川西厩舎も同じような感じですね。リーダーズボードはダートグレード競走でも戦えるだけの走りをしていましたし、状態が万全だったらという思いはあります。デビュー戦から楽勝ばかりで、ゴールドウィング賞のときに初めてレース中に気合をつけたら、その感触がとてもすごかったんですよ。もう少し強い相手と厳しいレースをしていたら、兵庫ジュニアグランプリ(3着)で、もっとやれていたかもしれません。
昨年はクリスタルボーイも活躍しましたね。
どこに行っても動じない馬で、寝ているんじゃないかというぐらいの神経をしているんです。僕自身も、東海以外で重賞を勝った(園田チャレンジカップ)のは久しぶりでした。
クリスタルボーイで園田チャレンジカップを勝利(写真:兵庫県競馬組合)
それにしても、名古屋には戸部騎手以外にもベテラン勢が揃っています。毎年毎年、暑い夏と寒い冬を越しているから、みんなタフな体になっているんでしょうかね?
僕は青森県の田子町の出身で、小学校5年生のときから新聞配達をしていました。最初は学校に行く途中にある10軒ぐらいだけだったんですが、だんだんと配達する家の数が増えてきて、高校2年のときは100軒ぐらいになりました。周囲は山だし、雪が降っても自転車ですから、けっこう時間がかかりました。
そこから騎手になるというのは珍しいことですよね?
当時は田子にも競走馬の牧場がありまして、そこにも新聞を配達していたんですよ。それで、その牧場を訪れた名古屋の調教師が騎手を探していて、牧場の人が「小柄な子がいる」と紹介してくれたんです。最終的には高校3年のときに名古屋に来たんですが、朝早いのが全然苦にならなかったのは新聞配達のおかげですね。そのときに鍛えた蓄積が、まだ残っているようにも感じます(笑)。
この先の目標みたいなものはありますか?
そうですね、3000勝......はちょっと厳しいかなあ。でもスポーツの世界は全体的に若い世代が活躍していますけれど、競馬はそうじゃないんだというところを見せたいですね。そしてまた、大きな舞台を狙える馬に出会いたいです。
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※インタビュー / 浅野靖典
昨年は【アムロ】で悲願の『東海ダービー制覇』、そして2000勝達成と、大きな節目の年となった、名古屋の戸部尚実騎手。
今年29年目を迎えるベテランジョッキーに、これまでを振り返っていただきました。
赤見:まずは、12月6日の2000勝達成、おめでとうございます!
戸部「ありがとうございます。僕は本当に怪我が多くて、それがなかったらもっと早く達成出来たと思うんですけどね。いつかは来る数字だとは思ったけど、やっと出来ました。勝った時は嬉しかったです」
赤見:1番人気での達成でしたが、レース前に意識してましたか?
戸部「してましたよ。本命馬で、普通にレースすれば勝てる力のある馬だったんです。ここで負けちゃうと、周りから『2000勝のプレッシャーで負けた』って絶対に言われるから(苦笑)。だからなるべく平常心と思って騎乗しました。
リーチかかってからポンと勝てたんで、気持ち的にも楽でしたね。
なかなか達成できる数字じゃないんで、周りの人たちに本当に感謝しています。2000勝できて、肩の荷が下りた気持ちもあるかな」
赤見:そして昨年は、『東海ダービー』制覇もありましたね!こちらもおめでとうございます。
戸部「ありがとうございます。ダービーは誰もが勝ちたいと思うけど、なかなか勝てるレースじゃないからとても嬉しいです」
赤見:山本茜騎手騎乗の【ミサキティンバー】との叩き合いをハナ差制しての勝利。勝った瞬間はわかりましたか?
戸部「正直、わからなかったです。写真判定になったんで、引き上げて来て後検量しながらも、『勝っててくれ~』って願ってました。写真判定が出た瞬間は、『やったーーー!』という気持ちでしたね。
騎手生活何十年、ずっと目指してたことが叶ったわけですから」
赤見:ハナ差粘ってダービー馬となった【アムロ】ですけれども、どんな印象だったんですか?
戸部「最初は目立たない普通の馬だったんですよ。道営から移籍して来て、最初は柿原騎手が乗ってて。僕が乗り出した時も、平凡というか、ダービーを目指そう!っていう感じではなかったんです。
それが、使うごとにパワーアップしていって、体重もどんどん増えていってね。最初に乗った時と今とでは、まるで別の馬ですよ。
ダービーを勝ったのはフロックかな、なんて思ったりもしたけど、その後もちゃんと力を見せてくれているし、すごい馬だよね」
赤見:ちなみに、ダービーの時には勝てる自信を持っていたんでしょうか?
戸部「絶対勝てるとまでは思ってないけど、勝ち負けしてもおかしくないなと思ってました。その前の『駿蹄賞』で惨敗してしまったんだけど、その時はスタートで出遅れて、全く気分が乗らないままのレースだったから。
だから、スタートだけ気を付けて乗りました。ダービーの時は、スタートも決まって、位置取りも良くて、ペースも良くて、仕掛けもすべて思い通りにいったんです。もうね、嘘みたいに上手くいったんですよ(笑)。
長く騎手をしているけど、大きなレースでここまですべてが上手く運ぶことはなかなかないからね、1つでも欠けていたらチョイ負けしていたかもしれませんね。ダービーを勝つって、能力が高いことはもちろんだけど、すべてが上手く運ぶってことも大切なんだと思いました」
赤見:ダービージョッキーになった気分はいかがですか?
戸部「やっぱりね、自分にとっても自信になるけど、周りもそういう目で見るから。色んな面で、ダービーの1勝がプラスになっていますね。プラスαが増えましたよ」
赤見:戸部騎手にとって2010年は大きな節目の年となりましたが、東北大震災というとても残念な出来事もありました。戸部騎手は青森出身ですけれども、実家の方は影響はあったんでしょうか?
戸部「本当に残念な出来事でした。被災された方には、心からお見舞い申し上げます。うちの実家は幸いにも山側なので、津波などの大きな被害はなかったんですが、かなり揺れたようです。
名古屋競馬でも、自分たちに出来ることをしようと、喪章を着けてレースに乗ったり、募金活動などをしました。いつもとは違う形でファンの方々と触れ合ったんですが、本当にみなさん温かくて、優しい反応を示して下さったことがありがたかったですね」
赤見:10月には、盛岡競馬場で行われた『東北ジョッキーズカップ』に出場されましたね。
戸部「いいレースだったと思います。僕は普段、東北の粘りを持ち味にして名古屋で戦ってるんですけど、『東北ジョッキーズカップ』出場騎手はみんな東北魂を持っていますからね!
レースではいい結果が出せなくて残念でした。怪我からの病み上がりで、体が思うように動かなかったところもあったんですが、人気馬に乗せてもらったのに結果が出せなくて申し訳なかったです。
ジョッキーたちの雰囲気は和気藹々で、とてもいい雰囲気でした。自分たちに出来ることは競馬なので、競馬で盛り上げていけたらなと思ってます」
赤見:本当にその通りですね。少しでも盛り上げていきたいです。 先ほどのお話にもありましたが、戸部騎手はこれまで怪我に泣かされることが多かったようですね。
戸部「そうなんですよ。かなり多いです。直近の7年間でも、6年は入院してますからね。ほぼ毎年骨折してます(苦笑)。 鎖骨は左右、首、腰...骨折してないところを探した方が早いですね」
赤見:大きな怪我をしながらも、長く現役生活を続けている秘訣は何でしょうか?
戸部「う~ん、なんですかね。続けようとする気持ちじゃないですかね。凹むこともあるけど、騎手生活も怪我も慣れてるから(苦笑)、気持ちをコントロール出来るようになりました。馬に乗れないことが一番辛いけど、気持ちを下げないようにしています」
赤見:今年でジョッキー生活29年目を迎えますが、ジョッキーを目指したきっかけは何だったんですか?
戸部「中学2年生の時に新聞配達していたんだけど、近くに牧場があって、そこの関係者の人が『背が小さいし、騎手に向いてるんじゃないか』って声をかけてくれたんです。でも、競馬のことは全く知らないし、馬に触ったこともないので、その時は保留にさせてもらって高校に進学しました。その後、高校2年生の時にもう一度話をいただいて、それで決めたんです。当時は中央と地方の区別があることすら知らなかったけど(笑)。
名古屋競馬に住み込みで、高校も転校しました。 青森から愛知に行って一番驚いたのは、平らな土地が限りなく続いていること(笑)。うちの田舎にはそういうのがなかったから、本当にびっくりしましたね。
厩舎の方はすぐに慣れました。1年間高校に行きながら働いて、地方競馬教養センターの短期騎手課程(半年間)を受けて騎手になったんです」
赤見:実際にデビューした時はどんな感じでしたか?
戸部「本当に僕は恵まれていたんですよ。調教師の方針で、厩舎の馬たちをすべて僕に乗せてくれたんです。だから最初からいい環境で騎手生活をスタートすることが出来ました。周りの人たちには、とても感謝しています」
赤見:想い出のレースを上げるとしたら、どのレースですか?
戸部「いっぱいありますね。その中でも、【マルブツセカイオー】で勝たせてもらった『オグリキャップ記念』かな。あの年は中央との交流元年だったから。中央勢相手に勝てたというのは大きかったですね」
赤見:1995年ですね。中央勢が圧倒的な強さを見せる中、【マルブツセカイオー】の勝利は爽快でした!
戸部「あの馬は東海地区以外の遠征で結果が出せなくてね。他場に行くとカイバ食いが細くなってしまうんですよ。昔は3日~1週間くらい前に輸送するというのがセオリーだったから、今みたいに前日とか当日輸送だったらもっと力が出せたんじゃないかなと思うんですよね。それだけの力のある馬だから、今だったらどうなのかなって。
この馬の存在は本当に大きくて、他場に遠征に行く経験なんてなかなかなかったですから。こういう名馬に出会わないことには、出来ない経験をさせてもらいましたよ」
赤見:新しい年を迎えて、今後の目標を教えて下さい。
戸部「年齢的に、もうそんなに長くは出来ないと思ってます。だからこそ、1つ1つのレースを大切にしたいです。重賞や大きなレースも勝ちたいですね。
他場のレースを見てて思うんですけど、名古屋のジョッキーたちはすごくレベルが高いんです。贔屓目もあるかもしれないけど、自分じゃなくて周りのみんながね。
そういうレベルの高いジョッキーが集まっている競馬場なんで、白熱したレースをお見せできると思います。ぜひ、競馬場に足を運んで応援して下さい!」
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※インタビュー / 赤見千尋