今年4月で40歳になった倉富隆一郎騎手。デビュー22年目の今年も55勝(6月28日現在)を挙げ、佐賀で安定した成績を続けています。
今年はすでに55勝を挙げ、昨年の年間勝利数(65勝)更新が見えて来ました。好調の要因は何でしょうか?
たくさん乗せていただいて、たくさんチャンスをいただいて、周りの方々にはとても感謝しています。ただ、ここ何年か怪我が続いてしまって、1年を通して騎乗することが出来なかったので。今年好調なのは、怪我をしていないということが大きいですね。
以前インタビューした時も、脚の甲を骨折したというお話がありましたが、その後も続いたんですね。
最初が脚の甲で、5か月くらい休んで、それから骨盤骨折やって、顔面骨折やって...。ここ3、4年はまともに1年乗ったイメージがないですね。こればっかりは仕方ないですけど。さすがに落ち込んだこともあるけれど、結局は『また頑張ろう』って。休んでいる間は恐怖心があるけど、馬に乗ってしまえば大丈夫なんですよ。
騎手を辞めたいとは思わなかったですか?
それはないですね。だって僕にはこれしかないもん(笑)。馬に乗るのが好きということも大きいし、馬関係の職業の中でも騎手という仕事が好きなんです。これだけ長年やっていると、いろいろな人が別の道に行くのを見て来たんですけど。こないだたまたまそういう話になって、そういえば何人辞めただろうって。僕が入ってから、佐賀だけで40人くらいは辞めていると思うんです。同期はもちろん、上下の期でデビューした人たちがごっそり辞めてしまって。
倉富騎手と同年代は佐賀にはいませんね。
そうなんですよ。僕は1998年デビューなんですけど、上で一番近いのが1987年デビュー組の山口勲さんと真島正徳さん。下は2002年デビューの小松丈二なので、僕の周りだけ15年くらいぽっかり開いてるんですよ。
今よりもデビューする人数が多かった時代でしたし、その中で売り上げが低迷したりと辞めてしまう要素も多かったですよね。
今でもそういう人たちと話をするんですけど、JRAの職員になって、誘導馬やゲート係をしていたり、騎手辞めてから高校へ行って、専門学校へ行って、美容室を開いたり、医学療法士さんやっていたり。料理の道に行って、料理長までたどり着いて、今年博多に店出した人もいるんですよ。今日これから初めてお店に行くので、すごく楽しみで。みんなそれぞれの道で本当に頑張っているのですごいなと思いますね。ただ、職業として羨ましいと思ったことはなくて、自分にはつくづく騎手の道しかないなと。辞めていった人たちも、結果的に自分に合った職業についているから、『自分は今ここにいるから、これが天職なんだ』と思ってやってます。
長年活躍し続ける秘訣は何ですか?
なんですかね。あんまり考えてないけど(笑)。苦しい時期もあったけれど、長年騎手をやってこれたというのは、自分でも自信になっていると思います。だから、今までの積み重ねなのかな。「これが」というのはないけれど、1頭1頭を大事に乗って来たからだと思いますし、そこはこれからも大事にしていきたいですね。
佐賀は現在深刻な騎手不足と伺っていますがいかがですか?
もうそこは本当に大変ですね。今は夜中の12時50分に目覚まし掛けていて、1時20分には馬に跨っていますから。長い時は朝8時くらいまで乗り続けています。頭数?なるべく数えないようにしてるんですけど(笑)、多分20頭以上ですね。
夜中の12時50分とは...。相当ハードですね。
今年40歳になりましたし、キツい面もありますね。でも馬に乗るのは楽しいし、やっぱりレースは楽しいですよ。今は若手の方が多いから、それでも倉富と声を掛けてくれる人がいるというのは嬉しいですし、結果を出して恩返ししたいと思っています。
現在の目標は何ですか?
怪我なく1年乗りたいですね。そこが一番大きいです。でも、そんな甘っちょろいことを言っているだけではダメだし、お客さんにも失礼だから、安全第一は基本で、少しでも上手くなって、もっともっといいパフォーマンスを見せたいです。常に上を目指していかないと。そういう気持ちがないと楽しくないし、向上心は持ち続けたいです。あとは佐賀の騎手が増えて欲しいです!これはけっこう切実で。
昨年期間限定騎乗をしていた岡村健司騎手(船橋)は、佐賀にいる間に大活躍して重賞制覇。地元に戻ってからも活躍を続けていますよね。
岡村くんは頑張っていましたよ。もともとセンスもあったと思うけれど、たくさんレースに乗せてもらってぐんぐん成長しました。そういう風に若手の成長が見られるというのは、僕としても嬉しいです。
ライバルが増えるわけですが?
もちろんそうですけど、ライバルはどんどん増えて欲しいです。その中で切磋琢磨していきたいし、その方がお客さんも面白いでしょう。佐賀は長年上位があまり変わらなくて、自分としては安泰なのはいいことですけど、上の人間がずっと定位置というのは面白くないと思いますから。僕が世代交代という言葉を使うのは違うけど、そういう元気のいい若手が出て来て欲しいですね。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
長年乗せてもらってありがたいですし、応援してもらってありがたいです。まだまだ乗りたい気持ちが強いですし、騎手として行けるところまでとことん頑張ります。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
今年デビュー18年目を迎えた佐賀の倉富隆一郎騎手。山口勲騎手、鮫島克也騎手という二大看板に続く佐賀ナンバー3として、長年活躍を続けています。昨年はケガによる長期休養もありましたが、完全復活を果たした今、今後への意気込みをお聞きしました。
昨年は大きなケガがあり、久しぶりにトップ3から陥落してしまいました。ご自身ではどんなお気持ちでしたか?
デビューしてから初めての大ケガで、初めての挫折でしたね。足の甲の骨折で場所が悪かったので、リハビリを始めるのにも相当時間がかかってしまって......。結局、丸4か月騎乗ができませんでした。最初はすごく落ち込んだし、不安でしょうがなかったんですけど。でも今になってみれば、いい経験ができたんだなと思っています。
ケガで休養したことが、いい経験になったと?
そうですね。デビューして17年経って、3位というのがある意味定位置になっていたんです。山口さんと鮫島さんは本当に偉大な先輩で、いつの間にか「超えてやろう!」という闘志が薄れていました。でもケガをして長く休んだことで、馬に乗りたいという気持ちが改めて沸いてきて。自分はリーディングを獲りたいんだということを強く思うようになりました。
やっぱり、山口騎手と鮫島騎手というのは偉大な存在ですよね。
本当に偉大ですよ。山口さんは完璧なんです。リーディングになってからも、なる前とまったく変わらず努力を続けていて。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで攻め馬してるんですから。それに、どんなにクセのある馬でも、ゲートが悪い馬でも絶対に無理だって言わないんです。普通1位になったら攻め馬の頭数を少なくしたり、馬も選んで乗っていくようになるじゃないですか。でも山口さんは変わらない。付け入るスキがないんです。鮫島さんはもうすぐ53歳ですし、今は頭数を減らして選んで乗っているんです。それでも抜けないんですから、本当にすごい人ですよ。でも、鮫島さんが乗っているうちに抜かなきゃいけないと思っています。そうじゃないとファンの方もつまらないだろうし、鮫島さんを抜けるとしたら3位の僕ですから。
倉富騎手は中学時代に全国で第4位に入るほどの乗馬の腕前をお持ちですが、どういう経緯で騎手になったんですか?
もともと佐賀競馬場の近くに住んでいたんですけど、10歳くらいの時に近所の乗馬クラブに行き始めたんです。乗馬クラブっていうと高級なイメージがありますけど、そこは佐賀の馬主さん(ワンパクメロなどのオーナーである、野上ヤチ子さん)が子供たちのために安くやっているところで、学校が終わってから毎日通っていました。それで、僕はあんまり頭が良くないから(笑)、「馬術で大学まで行けるように」という感じで教えてもらっていたんです。それで馬術推薦で高校に入ったんですけど、結局勉強についていけなくなって、学校に行かなくなって......。家にも帰りたくなくて、ちょっとグレてしまったんです。その時に、「このままじゃダメだから」って、半分無理やり佐賀競馬に連れてこられて、川田孝好先生のところに下乗りとして入ったんです。だから、その乗馬クラブが僕の原点だし、本当に感謝しています。
川田厩舎といえば、現在JRAで活躍中の川田将雅騎手のお父さんの厩舎ですよね。
そうです。将雅も同じ乗馬クラブに来ていたので、子供の頃から知っています。今でも隆一兄ちゃんて呼んでくれて、連絡を取り合っていますよ。将雅はものすごく頑張ってますから、いつも刺激をもらっています。あの時連れていかれたのが川田厩舎じゃなかったら今の僕はいないし、ジョッキーにもなってなかったと思います。川田家の方々にも本当に感謝ですね。
というと、騎手になるのもご苦労があったんですか?
下乗りで入った時点で55キロありましたから、教養センターの試験を受けるためには12キロ痩せなきゃいけなかったんです。育ち盛りの高校生で12キロ痩せるっていうのは、自分ひとりの力ではかなり難しいですからね。川田先生の奥さんが毎日食事を用意してくれて、毎日体重を計ってチェックしてくれたんです。みんなが見守ってくれたお蔭で、騎手になることができました。
川田将雅騎手の存在もそうですが、教養センター時代の同期には、戸崎圭太騎手や森泰斗騎手もいます。この2人の存在も刺激になるんじゃないですか?
そうですね。圭太はセンター時代から人に嫌われなくて、みんなの人気者でした。腕はもちろんですけど、人間力がすごいのであそこまでの活躍も納得です。泰斗はセンター時代は尖っているところもあったし、実力はあるのになかなか結果が出せない時期もありましたよね。でも今は全国リーディング独走中ですから、アイツもすごいなと思います。将雅もそうですけど、一緒にがんばってきた仲間がどんどん結果を出して遠くに行ってしまうので、僕も置いて行かれないようにがんばります!
では、今後の目標を教えて下さい。
まずは鮫島さんを抜いてリーディング2位になることです。そうしたら、「リーディングを獲ることが目標です!」と言えるようになるので。簡単なことではないですが、目の前のレース1つ1つで結果を出して、積み上げていきたいです。もうひとつは、もう一度ダートグレードを獲ることです。ヴァンクルタテヤマ(2008年サマーチャンピオン)に乗せてもらえたのは本当にラッキーで、山口さんと鮫島さんが他の馬に乗っていたので僕だったんです。あの時はものすごく緊張しましたけど、宝物になる経験をさせてもらいました。もう一度ダートグレードを勝って、もっと佐賀競馬を盛り上げたいです!
2008年サマーチャンピオンをJRAのヴァンクルタテヤマで勝利
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※インタビュー / 赤見千尋