2022年12月6日、高橋悠里騎手が地方競馬通算1000勝を達成した。デビューから18シーズン目、ここ2シーズンは年間100勝を超える勝ち星を挙げて円熟味を増す同騎手に、1000勝達成やそれまでの道のりをうかがった。
早速ですが1000勝達成おめでとうございました。今シーズンはやはり"1000勝を決める"という目標を持って挑まれたのでしょうか?
春先から目標にしていました。21年くらいの成績(124勝)を挙げることができれば達成できそうでしたから。正直、達成する前はそれほど気にしていなかったんですけども、1000勝に近づいてきてリーチがかかると周りからいろいろ言われて、それで逆に気になるようになりましたね。残り1勝からは本命馬にも結構乗っていたけどもなかなか勝てなくて。なるべく焦らないようにしよう...と思ったりしていました。達成した時はホッとしました。
そういうのは、やはり何かプレッシャーのようなものがある?高橋騎手はそういうのがあまりないタイプかなと思っていたけど...。
なんかちょっとこう、いつもとは違う感じがするというか...。気にしないようにはしていましたね。あと1勝という意識はしていましたけども。ただ、リーチがかかった直後に落馬して"あー、1000勝は来年かな..."とか思いながら馬から落ちてました。
自分もそれを見ていて"1000勝は持ち越しか?"と思いました。立ち上がって歩いているのを見てホッとした。
無事達成できてホッとしていますし、いろいろな方が喜んでくれたり祝福の言葉をかけてくれたりして、先輩騎手も一緒に口取り写真に入ってくれて凄く嬉しかったです。騎手をやっていて良かったなって。
デビューから500勝までがざっと言って11年で、500勝から1000勝が6年。凄くスピードアップしているように見えます。
そうですね、最初の頃はよく怪我をしていましたし、騎乗数もそんなに多くなかったと思いますし。500勝はソウルから帰ってきて達成したんですが、韓国に9カ月いたりもしましたしね(2015年)。そういう部分もあったとは思います。
2022年12月6日、地方競馬通算1000勝達成
1000勝を達成した直後は"1500勝とか2000勝とかはまだ考えられない"と言っていましたが、今の調子なら1500勝は4年くらいで届くんじゃないか?と思ったりするけど。
今のリズムが続けばそれくらいで...でしょうけど、そう簡単にはいかないと思っています。これは何回も言っていることですが"シーズンを怪我せず乗り続ける事"が一番大事ですね。やっぱり怪我をして乗れない期間が長いと復帰してから取り戻すのが大変。その点では最近は怪我とかしないでリズム良く行けているかなと感じていますね。
自分は、これだけ活躍できるようになったのはやっぱり韓国に行ったのが良い影響になったと思う。あの経験で凄く逞しくなったんじゃないかなって。
僕の中でも大きいと思っています。最初のソウルの9カ月ですね。倉兼さん(倉兼育康騎手・高知)にアドバイスをいただいたりはしていたんですけども何も知らずに行って、あの頃はソウルに日本人は自分一人でしたし。そんな中で"自分はもっとやれる"と思っていたのに全然思い通りにいかなくて、最初は全然勝てなくて...。泣きましたからね自分。
泣いた?悔し泣き?
悔し泣きですね。1カ月か1カ月半くらい経った頃でしたね。凄く天気が良い日で、調教をしている馬の上で空を見ていたら涙がポロポロって。家族を置いてきて、調教師が止めるのも振り切ってまでここに来て、1日1つ2つ乗るくらいで勝てない。何しに来たんだろう...って。
でもその後くらいか、勝ち始めたら、今度は急に騎乗数も勝ち星も増え始めたよね。
そこから軌道に乗り始めましたね。今度は毎日乗り鞍が増える感じになって、そうすると逆に人気すぎるくらいになっちゃって。何でも人気になりましたからね。通訳の方と"なんでこんなに人気になっているの?"って驚いてましたから。
韓国・ソウル競馬場での高橋悠里騎手。韓国では通算31勝
自分もソウルに行って見ていたけど、声援が多かったものね。"タカハシ!タカハシ!"って。パドックに出てきたらそうやって声がかかるし。凄いなと思って。
韓国はやっぱり良い経験になりましたね。異国で一人暮らししながらレースに乗ったことでメンタルが鍛えられたと思うし、レースの頭数が多いからそれを捌くことも経験できましたしね。我ながら頑張ったと思いますよ(笑)。倉兼さんの助言もですし、通訳さんも支えてくれましたしね。
話を変えるけど、高橋悠里騎手くらいの世代、2005年デビューだけど、前後数年の同じくらいの世代の騎手が頑張っているのが今の岩手競馬にとっては心強いと感じます。
やっぱり岩手競馬が廃止になるかならないかの苦しい時期を一緒に耐えてきた人たちですからね。自分くらいの世代は最初の頃はあまりいい思いをしていなくて、自分も入って2年くらいで廃止するかどうかとかになってしまいましたから。そういう世代だから逞しいのかもしれませんね。
とはいうものの、そういう世代ももう30代半ばとかになっています。高橋騎手は、自分の今後のこととか考えたことはない?
一度考えてみたことはありますよ。でも、まだまだやれるなって。あと10年くらいは騎手をやっていきたいですね。今はレースに乗っていて楽しいですし、あと自分は身体のどこが痛いとか悪いとかが今のところ無いんですよね。頑丈な身体に生んでくれた母親に感謝ですね(笑)。
最近はコンスタントに100勝以上できているし、1000勝という区切りも達成して、この先さらに伸ばしていくのに何か"やりたいこと・やるべきこと"はありますか?
そうですね、もっと思い切ったレースができるのかな...と思ったりはしますね。最近は昔ほど思い切ったレースができていないような気がしたりします。ただ、今はリズムが良いですから、無理に変えなくてもいいのかな、とも。昔は馬のことを機械的に考えていたかもしれないですね。自分のやりたいような競馬を馬にさせていた、というか。今は馬の脚質とか性格とかを考えて乗っているから、その辺は昔と変わっていると思います。
こんな話をしていると楽しくて終わらないので、あと二つ聞かせてください。"思い出の馬"というと、やっぱり初重賞勝ち(岩鷲賞)をプレゼントしてくれたトーホウライデン?
ですね。初めての重賞というだけでなく、その頃の僕は成績が凄く落ち込んでいて、トーホウライデンで勝った2008年は確か18勝くらいしかしていないんですよね(実際には20勝)。岩手競馬も落ち込んでいた頃でしたし、もう騎手を辞めようかなとも思っていた時期だったんです。だからあの馬に"騎手を続けなさい"と言われたような気がするんですよね。ロマンチックな話かもしれませんけども、でもトーホウライデンがいなかったら今騎手をやっていたかどうか分からないですよ。あの馬のおかげです。
2008年岩鷲賞、トーホウライデンで重賞初制覇
もうひとつは、1000勝を達成して目標とか、改めて言いたいこととか何か挙がりますか?
自分が1000勝を達成できたのは馬主さんやいろいろな関係者の皆さんのおかげですけども、1000勝を達成させてくれた馬達にも感謝しています。1000勝分走ってくれて勝ってくれた馬達にですね。そして先輩・後輩の騎手、中でも一番は同期の山本聡哉騎手。山本聡哉騎手がいてくれて、引っ張ってくれたからここまで勝てたのかなと思います。デビューした頃は1000勝なんて全く考えていなかった数字ですからね。
同期の山本聡哉騎手(左)も自分のことのように喜んでいた
見ている方とすればもっともっと存在感を高めていって欲しいと思いますね。山本兄弟に割って入るくらいになってくれれば。
割り込んでいきたいですねえ。あの兄弟は強いですけども(笑)。自分とすれば一番はやはり怪我をせずシーズンを通して騎乗して、ひとつずつ積み重ねていくだけですね。記録とかはその後のことかなと思っています。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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12月4日の3歳牝馬による「第47回ばんえいオークス」(BG1)は、9番人気のダイヤカツヒメが優勝。勝利に導いた赤塚健仁騎手に話をうかがいました。
ばんえいオークス優勝、おめでとうございます。普段ほめるコメントの少ない久田調教師が「完璧な乗り方」と絶賛していました。
馬場が軽く、スタートがいい馬なので馬なりで先頭に立ち、楽に障害手前につけることができました。息を入れられ、うまく障害を上がってくれた。ゴール前15メートルくらいで脚色が鈍るところがあるので、障害を降りてから(ゴールまで)もつか不安でしたが、みんな来ないし行けるかな、と思いました。オークスは定量なのでびっくりした、という気持ちが一番。馬が一生懸命頑張ってくれました。先生は、たまに褒めてくれます。
ダイヤカツヒメでばんえいオークスを勝利
2月の黒ユリ賞は2着でした。
この時も障害の下で力を溜めて、降りてからの脚を生かせるような乗り方をしました。2歳時はまだ体ができてなかったですが、馬場が軽い時はスタートが良く、障害を降りてからの脚も良かったので、力がついてきたら活躍できるのでは、と期待していました。臆病なところがあるが、まじめで頑張り屋です。
重賞勝ちは、2014年のばんえい菊花賞を勝ったハクタイホウ以来です。先日亡くなってしまったと聞き残念です。思い出はありますか。
担当厩務員にはおとなしいが、自分は遊ばれていたなぁ。機嫌が悪いと襲ってきます。もくし(無口頭絡)が脱げて脱走して追いかけまわったことも2、3回あります(笑)。
2014年ばんえい菊花賞を制したハクタイホウ
やんちゃな馬だったのですね。帯広市内で馬車を引くムサシコマにも騎乗していました。
ムサシコマは、自分が若いころに担当していましたが、なめられていました......。まだ馬車には乗りに行けてないんです。弟のムサシブラザーが厩舎にいるので、一緒に馬車できないかな(笑)。
2011年のデビュー以来、自分で変化したと感じるところはありますか。
まだまだ下手ですが、落ち着いて乗れるようになったかな。もっと勝率を上げていきたいです。
期待する馬について教えてください。1歳馬の馴致もあって大変そうです。
カツテルヒメ(牝2)はまだ幼くて、道中バイキ(バック)しないところもあるが、障害はいいし、降りてからの脚もいいので楽しみです。馴致は無理させないで、優しく教えていけば大丈夫。押し付けないように、だましながら教えていきます。
そうそう、キタノココロ(牝4)のコマーシャル出演を狙っています。脚を伸ばして"ヨギボー"のCMの馬と同じような寝方をするんです。妻の前では耳を絞るけど、自分にはその格好で甘えるので動画を撮ろうとするんですが、いざ撮ろうといるとうまくいかない(笑)。
想像するだけでかわいいですね。さて、出身は根室市です。
実家のそばに祖父の牧場があったので、小学生くらいから馬に触れ、騎手を目指していました。たまに帰って、競馬場に来る予定の馬を見に行きます。今は兄が牧場を手伝っていて、家族が馬好きでよく触るようになったからか、若馬でも扱いやすいです。
普段は寝ているか、馬好きな妻と牧場に行ったりしています。
2018年には、ばんえいグランプリの日に行われたイベントのゲストで来ていた新根室プロレスとも対戦しましたね。
当日は、松田騎手と村上騎手に連れていかれました(笑)。プロレスラーの"アンドレザ・ジャイアントパンダ"は威力がありました。代表のサムソン宮本さんが亡くなったと聞いて驚きましたが、根室の宣伝になるのでこれからも応援しています。
松田道明騎手(左)と村上章騎手(右)に連れられて入場する赤塚騎手
オッズパーク会員に一言お願いします。
競馬場では、若いファンを見かけるようになりました。いつも声援が聞こえています。まめに競馬場に来ると、馬の変化に気づくことがあります。毎週競馬場にきたり、ネットで見てくれたらうれしいです。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
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