南郷家全騎手は1995年10月のデビュー。古い競馬ファンの方ならピンとくるかもしれないが、南郷騎手のデビュー戦や初勝利は旧盛岡競馬場だった。今となっては旧盛岡を知っている現役騎手は3人だけ。そんな大ベテランになった南郷騎手が8月30日、地方競馬通算1,000勝を達成した。
まずは1,000勝達成おめでとうございました。改めてになりますがその感想をお願いします。
ありがとうございました。もちろん素直に嬉しいですが、デビューから26年ですから長かった。"よくこれだけ長く騎手をやってきたな......"という感じでもありますね。
そうですね、デビューから26年、500勝達成から1,000勝までは9年でした。
ほら、やっぱり長い!(笑)。
8月30日盛岡第10レースで地方通算1,000勝達成
1,000勝達成が見えてきた5月、6月ごろかな、しばらく勝ち星から遠ざかっていた時期があったようにも見えたんですけども、やはりプレッシャー的なものがあって?
こういう事は焦ったところで勝てる、達成できるものじゃないですしね。そういう時は"順番が回ってくれば勝てる"と信じるしかない。
1,000勝した週の前後、この1カ月ぐらいはすごい勢いで勝っていますよね。
その"順番"が回ってきたということ。これはもう、焦らず騒がずタイミングが来るのを待つしかないですからね。
さて、岩手の騎手の中でも大ベテランになりましたね。旧盛岡競馬場を知っている数少ない現役騎手にもなりました。そんな南郷騎手からみて、この26年間の"岩手競馬の移り変わり"はどんなふうに見えました?
いろいろな事がありましたからね。終わりそうになった事(※2007年の廃止問題)があったし、地震(※2011年の東日本大震災)もあった。最近はまた売り上げが良くなってきていて。一言で言ってしまえば、浮き沈みが激しい、という感じですかね。
乗ってる騎手としてもそういう、賞金とか悪くなってまた良くなって......の感覚というか実感がありますか?
もちろん賞金とかにかかわってきますからね。最初の頃は凄く良かったけど一気に下がって。また最近ちょっとずつ上がってきているから、ホント浮き沈みですよね。ただ、若手の頃は騎乗数があまり多くなかったし、騎乗手当も今より少なかったから、賞金は高かったかもしれないけど稼ぎにはならなかったな......という記憶ですね。
2000年4月1日、水沢・スプリングカップを制したピスカリアンジュ
今の若手騎手はどう感じますか?昔と違うところがあったりする?
出てくる若手は基本的に上手いですよね。昔はレースに乗っても1クラとか2クラとかであまり乗れなかった。今はデビューしてすぐたくさん乗せられるから競馬を覚えるのも早い。やはり皆上手だと思う。
ところで南郷騎手はなぜ騎手になろうと考えたのですか?
小さい頃は身体も小さくて、父親の友人の紹介で"騎手にならないか"って誘われた時にちょっとやってみようかな、と。そこで城地藤男厩舎(※引退。1974~2010年)の見習い騎手として入りました。最初は厩務員として働きながら騎手の試験を受けた。だから、騎手に凄く憧れて目指したわけではなくて、全然知らないところからこの世界に入りました。
じゃあ、逆にそれで26年やってきたのは凄いのでは?
いや、他にやる事がないからね。中学校くらいから働いてたから、だからもう、競馬にしがみついてやるしかないよね。だいたい教養センターというところがもう凄い所だから。凄く苦しかったもの、センター時代。それを乗り越えてやっと手に入れた騎手免許、そうそう簡単に手放せない。辞めたくなった事は何度もあったけど、この免許を無駄にするわけにはいかない、って。
そうして粘り強く続けてきた騎手という仕事を今振り返って、どう思いますか。
やってきたおかげで1,000勝という結果を残せた。それは良かったですね。
さて、ここまで南郷騎手の思い出に残っている馬を挙げていただくとすると?1,000勝後のインタビューではラブバレットと言われていましたがその他にあれば。
マツリダパレス(※2005年の桐花賞を5番人気で優勝、その年の岩手競馬年度代表馬にも選出)かな。周りのメンバーが強かったし、自分の馬は強気に外を回っていける馬でもない。だからもう内ラチ沿いから動かないと決めていました。内が開くのを待つしかないと。そうしたら、前がパカッと開いた。
自分もよく覚えてます。あのレースは勝ってガッツポーズしたくなる気持ちが分かる。そして、ラブバレットもやっぱり記憶に残る馬になる?
あれだけ走った馬ですし、自分が騎乗したさきたま杯でも4着、あの時にこの馬は本当に走る馬だと思いました。
2015年さきたまJpnII。南郷騎手のラブバレットはダートグレード初挑戦ながら4着に健闘
結果は4着だったけれど凄く良い内容でしたよね。
3~4コーナーでJRAの馬と同じ脚で回って行けて、4コーナーを回る時に"これは勝てるんじゃ?"って。勝負所で外からノーザンリバーが捲り気味に動いてきて、そこで捲られずに付いて行けたのが十分に凄かったんですが、それでちょっと脚を使っちゃった。あれがなければ少なくとも2着争いはもっと差のない競馬ができていたと思います。
そうだ、マツリダワルツも聞いておきたいです。
デビュー前は気性が悪くて"競馬ウマになれるのか?"と心配されていたんです。当時は競馬場で若馬の馴致をやっていたのですが、ぜんぜん言うことを聞かない。何回やってもゲートに入らなかった。女の子だけど"きかん坊"。これじゃあゲート試験も通らない、無理だなって。それがある時観念したのか普通にゲートに入るようになって、そうしたらいきなり良くなった。
へええ。その後の活躍は自分も知っていますが、もしそこでワルツが観念してなければ(産駒の)ロードクエスト(JRA重賞3勝、8月1日盛岡・せきれい賞制覇)もいなかったかもしれない。
そうそうそう。競馬ウマになってなかっただろうから。
2007年サファイア賞。3歳時のマツリダワルツは芝・ダート問わぬ活躍。芝での走りがロードクエストら子供達に受け継がれている
さて、1,000勝という区切りを達成しました。この先の新しい目標を挙げていただくとすると......?
目標ですか......。とりあえず1,500勝を目指すか......。もしくは、調教師を考えながら......。でも、自分が櫻田浩樹厩舎に移ってからまだちょっとしか乗っていないですからね。たまたま1,000勝を自厩舎の馬で決めることができたけど、もっと櫻田浩樹厩舎で乗りたいかな、と思う。
そうか。騎手として現役を続けながら、恩返しじゃないけども......。
そう、恩返しかなやっぱり。俊光さん(※城地俊光調教師。昨年7月に逝去。南郷家全騎手の前の所属厩舎)が亡くなった後の自分を拾ってくれた。自分はけっこう厩舎を動いていたんだけど、そんな自分をね。今の厩舎で乗っている期間が、まだ短い。もっとここで一緒に......と。あとは身体に気をつけて、大きな怪我をしないようにしていこうと思っています。
最後にオッズパークの会員の皆さんに向けて一言。
これからも良いレースを見ていただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。
南郷家全騎手の"ベストレース"とすると自分は文中にも出たマツリダパレス、2005年の桐花賞を思い出す。馬群の内側3番手、行きすぎず引きすぎず絶妙な位置を守り続け、他の馬の意識が外に偏った瞬間を見逃さず内から飛び出して突き抜けたレース。あれは本当に南郷騎手らしい騎乗だったと思う。
1,000勝を決めたレースも馬場傾向や相手関係を見抜いて、思い切ってハナを奪っての逃げ切り。あれもまた南郷騎手らしかった。そのレースぶりを見ても勝負勘は健在。ここしばらくは大レースの勝ち星から遠ざかっている同騎手だが、また重賞で、"らしい"騎乗でファンをあっと言わせてほしい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
若杉朝飛騎手は今年4月14日に門別競馬場でデビュー。地方競馬教養センター時代のケガなど、さまざまな苦労を乗り越え、ホッカイドウ競馬では2シーズンぶりの新人騎手となりました。7月28日門別9レースではラテルネラに騎乗し、待望の初勝利を挙げています。
出身が長野県とのことですが、競馬に興味を持つきっかけについて教えてください。
もともと体を動かすのが好きで、小1から小6までは野球をやっていて、中学ではソフトテニス部に所属していました。それで漠然と「スポーツを仕事にしたいな」と考えていたときに知ったのが、騎手という職業だったんです。中学3年生で「騎手になろう」と考えてから、父と祖父に連れられて中京競馬場へ行き、競走馬に乗って走っている騎手の姿がかっこいいと思ったのがきっかけです。
その後すぐに騎手を目指したのでしょうか。
ちょうど進路を決める時期だったので、すぐ行動に移すことになりました。中央も1回だけ受けたのですが、1回目の受検で教養センターに合格できたので、そちらでお世話になることになりました。
所属先をホッカイドウ競馬に選択された理由は何だったのでしょう。
配属を決める際、実際に門別競馬場へ連れていってもらったのですが、2歳の馬が多いことや坂路コースがあることが珍しく、とても良い環境だと思ったからです。
教養センター時代に大変だったことはありますか。
入学が決まった後、実家近くの乗馬クラブに少しだけ通っていたのですが、いざ入ってみると、周囲が乗れる子ばかりだったので、最初のうちはついていくのにとても苦労しました。あと、もともと競馬に詳しいほうではなかったので、法規などを一から覚えるのも大変でしたね。
肩を骨折してしまったり、折れた箇所を修復するときに、骨が筋肉を挟んでしまったらしく、その治療をしなければならない影響があって留年をしていまいました。センターに戻るときに復学試験のようなものを受けなければならず、試験までに体を馬に乗れる態勢まで戻さなければなりませんでしたし、休んでいた期間に他の子たちにどんどん技術で置いていかれたので、その遅れを取り戻すことも大変でしたね。卒業試験をパスできたときは「すごく長かったな」と感じましたし、無事試験を乗り越えられた安堵の気持ちが大きかったです。
実際に騎手になってみて感じたこと、デビュー前に想像していたこととのギャップはありましたか。
想像していた以上に、実際のレースはシビアだと思いました。センターでの訓練とは違い12頭立てのレースもあり、しっかりと周りを見なければ事故につながりますので、レース中も注意深く周りを意識していかなければならないと感じました。
7月28日、初騎乗から87戦目での初勝利
そんななか、デビューからおよそ4カ月半、7月28日の門別9レースで初勝利を挙げました。ラテルネラに騎乗しての白星でしたが、レースについてあらためて振り返ってください。
それまでの3戦が、先輩のジョッキーが騎乗して上位に入る結果が続いていたので、ある意味ではプレッシャーを感じながらレースに臨んでいました。レース前、佐久間(雅貴)先生から「出遅れるのは仕方ない」と言われていたので、出たなりでも、とにかくコースロスがないように乗ることだけを心がけました。
直線では鋭い末脚で差し切りましたね。
直線ではとにかく「着を拾わなければ」と必死に追っていたので、まず入着できたことへの安心感が大きく、ゴールした瞬間はあまり勝った実感がわかなかったんですよね。検量棟に戻ってから、いろんな方に「おめでとう!」とか「長かったな」と声をかけられて、ようやく「勝てたんだなあ」というふうに思えたという感じです。
初勝利の記念撮影
初勝利を挙げたラテルネラはどんな馬ですか。
デビューして間もない頃から乗せていただいていた馬で、レースが決まってから、調教にも乗せてもらいました。普段はうるさいときはうるさいですけど、元気がよくてかわいい仔ですね。直線は追えば追っただけ反応してくれるので、勝ったレースもこの馬も良いところが前面に出てくれたのだと思います。
この馬みたいに、先生から「レースに乗せるから調教来いよ」と依頼してくださるパターンもあれば、調教に乗せてもらって「じゃあレースに乗ってみれば?」と言ってくださるパターンもあって、どちらかと言えば後者の方が多いですね。調教は多い日で12~3頭くらいに騎乗していますが、自厩舎(櫻井拓章厩舎)以外の馬にもなるべく乗せてもらうようにしています。ホッカイドウ競馬は2歳の若馬が多く、坂路コースでの調教が中心ですが、まずは馬に変な癖をつけないよう心がけています。
先輩ジョッキーや、所属先の櫻井拓章調教師からは、普段どのようなアドバイスを受けていますか。
ゲートを出たあとにしっかりと勢いをつけること、コーナーリングで膨れてロスをしないことの2点です。まだアドバイスされた内容をできたりできなかったり......という感じで、デビュー当初と比べて成長しているかどうかは、自分のなかでは何とも言えないところの方が大きいですが、日ごろ言われていることを少しでも取り入れて、試行錯誤しているつもりです。
8月18日にはヤングジョッキーズシリーズのトライアルラウンドが、地元の門別競馬場で行われました。東日本はホームでの開幕となりましたが、いかがだったでしょうか。
普段から騎乗している競馬場だったので、気分的にはだいぶ楽な気持ちでレースに臨むことができました。ただ、1戦目(5着)も2戦目(11着)も、それまでの課題が出てしまい、上位着を取ることができなかったので、もっと欠点を改善していかなければならないとあらためて感じさせられました。
卒業以来、センターの同期とはバラバラになってしまっていたのですが、一緒にレースに乗って「上手になっているな」と感じました。YJSは1戦目と2戦目の間に1レースあいていたんですが、自分はレースに騎乗していたのでバタバタしてしまい、あまり話ができなかったのは残念でしたね。
船橋(10月26日)、浦和(11月24日=1レースのみ騎乗予定)と、まだトライアルラウンドを控えています。抱負を教えてください。
これまで他の競馬場で騎乗する機会がなかったので、今まで経験したことを生かし、少しでも上の着順を取れるようにしたいです。左回りのレースに参加するのは初めてだと思うので、コーナーリングを意識しながら、注意して乗っていかなければなりませんね。
若杉騎手自身の、今後の目標についてはいかがでしょう。
現状、まだ他のジョッキーの方に迷惑をかけてしまうことも少なくないので、まずは周囲の方に「まあ大丈夫だな」と思ってもらえるよう、技術を磨いていくことです。1勝できてひとまずホッとしていますが、11月の閉幕まで開催も残っているので、もう少し勝ちたいという気持ちもあります。ありがたいことに、上の着順を狙えそうな馬も少しずつ任せていただけるようになってきたので、そういったチャンスをモノできるようがんばりたいですね。
目標としているのは、岩橋勇二騎手です。競馬場実習の頃からいろいろと声をかけてくださり、今もレースの合間に、コーナーリングの際の手綱の長さや、直線で追うときの姿勢など、わかりやすく教えてくださっています。
では最後に、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
まだまだ未熟者ですが、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 山下広貴
今年4月のデビューからすでに30勝を挙げる大山龍太郎騎手。デビュー前から「天才肌では!?」と注目を集めた一方、6月17日には周回錯誤により約2カ月間(開催20日)の騎乗停止という非常に苦い経験をしました。それでも、復帰すると以前と変わらぬペースで勝ち星を挙げています。不思議キャラだとも言われる大山龍太郎騎手の素顔は一体どのようなものなのでしょうか(成績は9月11日現在)。
デビューからすでに30勝と、たくさん勝っていますね。
勝っているのは全て馬の力で、僕は先生が集めてくださった騎乗馬に指示をもらって乗っているだけです。強い馬でしか勝てていません。
デビュー初日には2着が2回。実際にレースに騎乗してみてどうでしたか?
元々、あんまり競馬を見ていなかったので、もっといっぱい勝てるのかなって思っていました。そしたら、「全然勝てない......」と。当たり前のことなんですけどね(苦笑)。こんなに厳しいということを全く知りませんでした。今もそうですけど、全然思い通りにいきません。
そんな中、4月15日園田9レースをナリタウルフで1着となり、初勝利を飾りました。直線では大先輩の田中学騎手との追い比べを制しての勝利でしたね。
道中はついて行って、直線で追い上げようと思っていた通りに乗れました。馬も脚があったので「いける」と感じました。勝った後、坂本先生のあんな笑顔、初めて見ました。
4月15日、初騎乗から13戦目で初勝利
師匠の坂本和也調教師は「重賞を勝つより嬉しいです」と、目元が少しうるんでいました。デビュー初日からずっとレースが終わると坂本調教師から熱心な指導を受けていましたね。
初勝利を挙げるまではいつも以上に焦りもありましたし、初めてのことだらけで分からないこともあったので、聞いても全然理解できていませんでした。でも、1つ勝てたら気持ちが楽になって、そこからは落ち着いて騎乗できるようになりましたし、先生の言っていたことがあとになって分かるようになって、スムーズにレースに乗れるようになりました。
元々、ジョッキーを志したきっかけは?
父が身長が低くて、ジョッキーを目指していた時期があったようです。それで、「ジョッキーという仕事があるよ」と教えてもらって、どういう職業か知った時に「かっこいいな」と思いました。自分に合っているし、かっこ良くて、馬も可愛い、といろんなことが積み重なって、「ジョッキーになりたいな」と思うようになり、乗馬クラブに通いました。
ソロキャンプなど一人でいるのが好きとのことですが、地方競馬教養センターで全寮制の集団生活にはすぐ馴染めましたか?
それは全然大丈夫でした。どんな環境でも気にしないので、だいたい馴染めます。
「気にしない」という通り、感情の起伏が穏やかに感じます。
そうですね。喜んだり怒ったりすることももちろんありますけど、人にはあまり見せないかもしれないです。恥ずかしがり屋なので、見られるのが嫌で隠したがります。
デビューから順風満帆に勝ち星を積み上げていましたが、6月にはまさかの周回錯誤で即日騎乗停止。あまり思い出したくないかと思いますが、改めてファンのみなさんにお話しいただけますか?
騎乗したヨハネスボーイの関係者や、馬券を買って応援してくださったファンのみなさんに大変ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。
数時間後に検量室ですれ違った時、真っ青な顔で目の焦点が合っていなかったので、騎乗停止期間中どう過ごしているか心配でした。8月に復帰してどうですか?
大変なことをしてしまって頭が真っ白になりました。騎乗停止期間中も毎日調教に乗っていました。深夜1時から朝10時くらいまで25頭くらいで、レースに行ってジョッキーがいない時間帯には、馬に乗らない厩務員さんが担当されている馬の調教もさせてもらいました。復帰をしましたが、レースの感覚を忘れていたり、思うように体が動かなかったり、まだ慣れません。
大変なことをしてしまいましたが、「しっかり反省して復帰したら、また騎乗依頼するから」と応援してくれる調教師もいますから、また活躍を期待しています。今後の目標などは?
自分の学力で教養センターに受かったり、坂本厩舎に所属できたりと、恵まれた環境で勝たせてもらっています。今は「また何かやらかしてしまったらどうしよう......」と思い出して弱気になってしまうのですが、ご迷惑をおかけした方々に結果でお返しできるようにしっかり頑張りたいと思います。
最後にオッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
僕のファンっているんですか?もしいるんだったら、本当に感謝します。応援はできる限りいっぱいしてほしいですし、僕の馬券を買ってくださった人には、できるだけ馬券を当ててほしいので頑張って騎乗します。これからも応援、よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
8月24日に地方通算1,000勝を達成した青柳正義騎手。自身2回目の地元リーディングに向け、現在勝ち星トップに立っています。リーディングを狙う意気込みや、近年、毎年のように馬場傾向が変わる金沢の砂、11月に控えるJBCのことを伺いました。
1,000勝達成、おめでとうございます。残り3勝くらいからプレッシャーがあったとか?
ありがとうございます。100勝や200勝はそんなに気にならなかったんですけど、1,000勝となると意識しちゃいました。自覚はなかったんですけど、近づいてくるとプレッシャーが予想よりもあったのかもしれないです。
メモリアル勝利のモアナスターは移籍初戦の馬でした。逃げて4コーナーでは2着の兼子千央騎手に前に出られましたが、激しい接戦を制して勝ちましたね。
調教をずっとつけていて、条件的にも馬の能力的にも勝たなきゃいけないところだったんですけど、男馬で暑さに参っているところがあったので、少し不安な面はありました。4コーナーで兼子騎手に一瞬、前に出られましたけど、馬が頑張ってくれました。直線は「ここで負けたらマズい」と思いました。自厩舎の馬で、一番お世話になっている厩務員さんが担当されていたので、どうしても決めたかったです。ゴールの瞬間はホッとしました。
モアナスターに騎乗して地方通算1,000勝を達成
重賞戦線では今年、ファストフラッシュで金沢スプリングカップを勝ちました。
気性が素直すぎるというか、金沢だとポンと行っちゃうとハナや2番手になってハミを取ってしまうんですけど、去年1年を通してだいぶ成長して、今年はだいぶ辛抱が利くようになったので重賞も獲れたのかなと思います。いまは骨折して回復待ちなんですが、1,000勝目を挙げたモアナスターの弟で、厩務員さんも一緒なんです。
4月25日、ファストフラッシュで金沢スプリングカップを制覇
そんな繋がりがあったとは。現在、金沢ではリーディングに立っています。
まだ今年の後半戦がありますが、去年は大きなケガをして順調さを欠いたので、今年は頑張らなきゃなと思っていました。前半で思った以上に勝たせていただいた分、夏場になって少し勢いが止まり気味ではあるんですけど、後半戦に向けて巻き返していけたらと思います。
金沢は2018年は内ラチ沿いが圧倒的に有利でした。開幕前に馬場改修が実施された2019年、砂の産地が変わった今年と、毎年のように馬場傾向が変わっています。現在はどうですか?
今年は砂を変えてすごく走りやすくなりました。馬も楽そうには走っているんですけど、時計は結構出ていますよね。騎手として一番良かったなと思うのは、砂を被っても痛くないことです。以前は砂の目が粗くてすごく痛かったんですけど、いまは全然気にならなくて、砂を被るのを嫌がっていた馬でも案外辛抱できるようになったりもしています。今のように内ラチ沿いを開けると展開的には乗りづらい面が出てくるんですけど、2018年のようなレースよりは安全だなと思います。
現在の馬場での脚質や展開の有利不利はどう感じますか?
金沢はフラットで乗りやすい馬場なので、2~3番手での先行が有利で、少々外を回っても大丈夫です。ただ、ペースが速くなりすぎたら差しも決まります。枠は1~2枠だと、内の砂が重たいので乗りづらい面はあります。
今年は金沢でJBCが開催されます。前回は2013年に行われましたが、当時の雰囲気はどんな感じでしたか?
金沢にあんなにお客さんがたくさん入ったのは初めて見ましたし、あれだけの観客の中でレースに乗るのは騎手冥利に尽きます。1レースから入っている人の数が違ったので歓声もすごくて楽しかったです。
2回目のJBC開催に向けてパドックも綺麗に整備されたようですね。
馬が歩く部分のウレタン舗装を替えて、真ん中の部分も芝生から人工芝に替えて綺麗になっています。
関係者同士でJBCの話はしますか?
もちろん出ます。コロナのご時世なので何とも言えないんですけど、可能であればお客さんは入れたいですよね。
最終的には行政を含め主催者の判断になるでしょうが、コロナを抜きで考えると、せっかくのJBCですからたくさんのファンに来てもらえるのが一番ですね。さて、このあとの目標を教えてください。
いまの順位をキープしてリーディングを獲れたらな、というのと、怪我なくというのが一番です。1年を無事に終えることが成績的にも一番なのかなと思います。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
JBCがあるので、金沢競馬場もどんどん綺麗にしていますし、僕らも気合いが入っています。普段、見ない方でもこれをきっかけに金沢競馬の馬券やレースを気にしていただければ幸いです。吉原寛人騎手もいますし、僕らも吉原さんに負けないように頑張っているので、ぜひとも金沢競馬場の応援をよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大恵陽子(写真:石川県競馬事業局)