今や高知競馬を象徴するレースのひとつとなった福永洋一記念。今年は5月3日に行われ、1番人気スペルマロンが初制覇。コンビを組む倉兼育康騎手にお話をうかがいました。
福永洋一記念制覇、おめでとうございます。
ありがとうございます。福永洋一記念にはみんな特別な思い入れがありますし、僕自身は2度目の制覇ですけど毎年本当に勝ちたいレースなので、勝つことができて嬉しいです。去年(スペルマロンで)3着に負けていたので、今年は絶対に勝ちたいという気持ちが強かったですから。状態が良くて自信もありましたし、馬もよく頑張ってくれましたね。
昨年と比べると、さらに強さが増した印象です。
そうですね。気性的に難しい部分があるんですけど、以前と比べると先頭に立ってからやめなくなりました。だからこちらとしても、早めに先頭に立つ強気な競馬ができるようになったというのはありますね。
スペルマロンで福永洋一記念制覇(写真:高知県競馬組合)
どんなところが難しいんですか?
調教でも追い切りでも、イヤになると全然行かなくなってしまうんです。だからそういうところを出させないように、気を使って工夫しています。黒船賞は2回とも結果は良くないですけど(6着、7着)、一度もしっかりハミを取って真面目に走ったことがないんですよ。今年はもうちょっとやれると思っていたんですけど、真面目に走らせることができなくて......。そこは今も心残りですね。ただ、去年よりは真面目になってくれたと思います。前は仕掛けどころが難しかったですけど、今はレースがしやすくなりました。
転機というわけではないですが、昨年8月のミッキーロケット賞でスタート直後に落馬競走中止してから後のレースは、成績が安定しているように感じるのですが。
正直、そこが転機だったと思いますよ。あの後からもう一段強くなりましたよね。ただ、馬というよりも僕自身の気持ちだと思います。先ほども言いましたけど、先頭に立つとやめてしまうところがあるけれど、逃げた方が強いんじゃないかと思っていて。なかなか試せなかったんですけど、あの時は「逃げよう」と思って出して行ったんです。そうしたらコケたんでね......。それからはゲートを出てから考えています。
距離の幅が広く、1,300mから2,400mまでの重賞を勝つというのは、なかなかできないことだと思います。
珍しいですよね。これだけ距離に幅があるというのはいないですよ。スペルマロンの後にもJRAからもっといい成績の馬たちが移籍して来ましたけど、同じようにはいかないですから。相当能力が高いと思います。
一番の適距離と言われたら、どの距離ですか?
長ければ長いほどいいと思います。長い距離で他の馬たちがバテていっても、この馬はバテないですからね。もちろん短い距離でも対応できますけど、乗りやすいのは長距離です。
高知の重賞の中で、1,400m戦だけ勝ってないというのは、何かあるのでしょうか?
僕自身は1,400mでもまったく問題ないと思いますけど、勝ってないというのは何かあるんですかね。前回の(地元同士で)1,400mの重賞は1月の大高坂賞ですけど、あの時は2,400m戦の後の1,400m戦で、1コーナーで遊ばれてしまって......。そこから全然ハミを取らなかったんです。集中し切れていない状況でしたがそれでも2着なので、ちゃんと走ったら負けないだろうなと。普段からやんちゃなので、いつ振り落とされるかと思いながら調教に乗っていますが、いろいろな距離で本当に頑張ってくれる馬ですよね。この後は1,300mのトレノ賞(7月18日)の予定で、今年はもう全部重賞狙っていきたいです。
オールマイティに距離をこなすスペルマロン(写真:高知県競馬組合)
今度は倉兼騎手自身のことを伺います。今年ここまで68勝(2021年6月22日現在)、リーディング2位と好調です。
なんだかんだで勝たせてもらっています。今年はとにかく怪我をする騎手が多くて、永森(大智)君、西川(敏弘)さん、(宮川)実君も怪我して休んでいた時期がありますから。怪我しないようにってみんなに言っています。僕自身もそこは気をつけていますね。
現在通算1,980勝と、2,000勝目前です。
今はとにかくそこが目標です。2,000勝したら、全国で一番下手な騎手が2,000勝するんですよ。僕が2,000勝なんてありえないという技術のレベルだと思っているので。
ご自身ではそう感じているんですね。
上手いと思ったことはないです。もちろん、勝ちたいとか、この子らには負けたくないとは思うけど、だから上手かといったら上手いわけではないですから。よく乗せてもらえるなと、周りの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそ2,000勝したいという気持ちも強くて。こんな下手でも勝てるんだよって、周りの子らが感じて頑張ってくれればいいなと思います。
高知は若い騎手も増えましたし、売り上げも好調でいい波に乗っていますね。
本当にありがたいです。注目度が上がって売り上げが伸びていることに感謝していますし、賞金が上がったこともありがたいです。ただ今の状況が当たり前ではないですし、現状に満足するのではなく、もっと欲を出して上を目指そうという若い子が出て来てくれたら嬉しいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願い致します。
いつも高知競馬を応援していただきありがとうございます。高知の関係者一丸となって頑張っていきますので、これからも応援よろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋
5月9日ばんえい第7レースで管理するムサシブラザーが勝ち、通算2,000勝を達成した久田守調教師(68)は、騎手としても2,103勝を挙げ、ばんえい史上初の騎手・調教師での2,000勝を達成しました。競馬場に来て50年という今年、6月7日現在23勝とリーディングトップで、調教師会長としても奔走しています。
北見市出身ですね。騎手になるまでの経緯を教えてください。
気がついたら競馬場にいた(笑)。親は道営競馬にいて、千島一巳さん(道営の元調教師)などと知り合いだったんだ。まだ小樽市銭函で競馬をやっていた頃ね。
高校を卒業して競馬場に入って、次の年(1972年)に騎手になり、山本正彦調教師の父、山本幸一(ゆきかず)さんに世話になった。馬を大事にした人だったな。上手にかわいがって、走らせて。当時はそして金山明彦騎手(現調教師)、山田勇作さん、木村卓司さん、工藤正男さんなど、そうそうたる騎手がいた。デビューした年は3勝、翌年2勝だよ。
5月9日第10レース、カーネーションカップをシンエイボブで勝利し2001勝目(左から2人目)
でもそこからぐんぐんと成績をあげましたね。1978年には56勝、80年には80勝で8年連続リーディングだった金山騎手の2位。88年には前年の82勝(6位)から130勝と大幅に勝ち星を増やし、ついに金山騎手を逆転してリーディングです。88、89、91、92年と4度のリーディング騎手になりました。89年は当時の年間最多勝となる155勝、92年は161勝で記録を更新。1996年に当時史上2人目となる通算2,000勝を達成しました。勝ち星が増えた理由を教えてください。
どうやったんだったかな(笑)。昔の競馬は12月までで、春まで競馬がなかったでしょう。その時に、北見の山で調教をしていたんだ。山ごもりみたいなもんだ。障害よりもきつい急斜面の林道を上らせる。馬を動かすということがどういうことかを学んだ。馬を見る目が変わり、結果が出るようになったな。1988年からは勝利数も3ケタになった。競馬が面白かった時代だね。馬券が売れていた時で1日3、4億。木造スタンドで投票所には行列ができて、売り上げの計算だってそろばんはじいていたんだからね。投票用紙をゴムバンドで縛って、黒板にチョークでメモをして。
頭脳派なんですね。騎乗していて熱気は感じましたか。
迫力がすごかった。まだ馬を使っているファンが多いから、レース中も横に来て、馬を這わせるタイミングで声が入るんだ。下げて、前に出そうとすると「よいしょー!」って。
1995年はまなす賞をシャトルシンザンで勝利(主催者提供)
その時代を見たかったなぁ。それにしても先生、昔の写真を見てもとても細いですね。1996年12月に43歳で引退しました。
体重は50キロ台だったから、なくて苦労した。当時は体重制限が72キロで、それでも20キロくらいの弁当箱(重量を調整する重りを入れる箱)を持っていた。騎手をやって25年。体重がないので体に無理がかかっていた。毎日マッサージなど体のケアをしながら続けていたので、ここらがやめどきかなと。自分でいうのもなんだけど、のめり込んでやってしまうところがあるから。
頑張り屋の性格なのですね。騎手時代に思い出のある馬はいますか。ばんえい記念(農林水産大臣賞典)はニユーフロンテヤ、タカラフジで2勝していますね。
普通なら重賞を勝った馬の名前を挙げるんだろうけど、覚えているのは走らなかった馬だな。山を上がらなかったり、出走停止になったり。
ニユーフロンテヤは一度障害が悪くなったので、調教で障害練習を仕込んできた。おもちゃが壊れたら一度分解して直すように、馬も直していく。昔は障害もきつかったからね。今は馬場が軽いし、障害も低く、バイキさせなくても障害を登れる。昔は障害が3つあったから。1障害と2障害の間に30~40メートルくらいの高さの障害があって、旭川が一番大きかったな。バイキは腕だけでは馬に伝わらない。ボートを漕ぐとき、背中を反らすでしょう。あんな感じでしっかりバイキさせて、声を出すことが大事。ビデオを見たらわかるよ。
そして調教師になりました。調教師7年目の2003年度には、それまでの年間最多勝記録(96勝)を6季ぶりに塗り替え、107勝を挙げて初のリーディング。馬の健康管理を科学的に考えたいと、サラブレッドの獣医師に話を聞くなどしていたんですよね。
最初は馬が少なかったから、預かった馬を自分で調教していた。騎手は「乗りやすい」と言ってくれた。騎手時代から世話になった馬主さんは今でも預けてくれています。そういうの(勉強)好きだからなぁ。平地競馬だって、同じ馬を触っているんだから共通しているところもあるし、違うところも取り入れて勉強すれば違う発見もある。同じアスリートで、陸上選手と相撲取りのようなところがある。
久田先生といえば映画『雪に願うこと』では女性騎手役の吹石一恵さんに騎手指導をしましたよね。
彼女は始めから運動神経がすごかった。プロ野球選手の娘さんだからなのか、簡単に覚えていく。手伝わなくてもすっかり乗れるようになった。
それと、2016年のJRAジョッキーDAYでルメール騎手に手を取って教えたんだ!! こんなのって一生に一度だし、この2つは宝だね。
ルメール騎手に教える久田調教師
思い出の馬は苦労した馬でしょうか。では、私から何頭かリクエストします。まずはカーネーションカップを勝ったシンエイボブ。
ボブは、馬品がいいというのか、厩舎にいると牡馬が騒ぐんだ(笑)。幅もある。重賞まであと少しというところで勝つことができた。
ギンガリュウセイはセン馬というのもあったけれどおとなしくて、子供でも触れる馬。休養中に病気で命を落としてしまったが。オーナーの田中春美さん(JRA田中勝春騎手の父)とは、1999年ばんえいダービー、2,000年銀河賞を制したシンカイリュウが最初。平地競馬とのつながりはここからだね。シンエイキンカイは手がかからない馬だったな。街中で馬車を引いているムサシコマは、素直で真面目。おとなしかったよ。
現役馬だと、ヤマトタイコーは、いい雰囲気を持っている。もっとうまく乗り込んでいけば、上を目指せる馬。おとなしく力持ちだね。
ウンカイタイショウは、頑張っている馬だな。ウンカイの子は、食べるし運動するし、育てやすい。二世ロッシーニの系統というのは性格がレースに適しているんだと思う。カネゾウも、ハクタイホウも、行きたい、行きたい、って馬だな。プレザントウェーは落ち着いているよ。
2013年北見記念を3連覇したギンガリュウセイ
大事にしていることはありますか。
昔から「やってやれないことはない、やらずにできることはない」。稽古していればいつかは......と思っています。
今年から調教師会長に就任しました。オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
これからもっと、自分が先輩に教えてもらった技術を若い人たちに教えて育てていきたい。文化を後世に伝えていこうと思っているんだよね。ファンの方々には、コロナ禍で、来てって言えないからね。本当は直に見てほしいんだけど。こんな時だから、応援してほしい。一生懸命やってここを乗り越えて、落ち着いてくれればファンも戻ってくるかな。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)
2021年5月9日の水沢第1レースで村上忍騎手が地方通算3500勝を達成した。岩手競馬史上では菅原勲元騎手、小林俊彦元騎手に続く3人目の達成であり、現役騎手の中ではもちろん最多となる勝利数だ。28シーズン目を戦う村上忍騎手に記録達成やこれからについてうかがった。
3500勝達成、おめでとうございました。岩手競馬では史上3人目、現役では最多勝となる記録達成です。
ありがとうございます。そうですね、騎手になって何年になるのか自分でも分からなくなったくらい長く乗っていますし(笑)、そんな自分よりたくさん勝っている騎手もいますからね。とはいっても、自分自身でもここまで勝つとは思っていなかったですから、素直に皆様に感謝したいですね。
94年デビューですから、28シーズン目になりますね。改めて振り返ってみたら、ずいぶん長くなりましたね。
自分と同じ世代の騎手はもう何人も残ってないですからね。自分自身こんなに長く騎手を続ける事ができるとは、40歳過ぎてまで騎手をやっているとは思ってもいなかったですね。
2021年5月9日水沢第1レース、ミンナノヒーローに騎乗して地方通算3500勝達成
昔の村上忍騎手が描いていた"将来像"は、そうするともっと早く引退するような感じだった?お父さんの村上実調教師は31歳で騎手を引退されましたよね。
そこまで早くとは思っていなかったですが、40歳前後で引退して調教師になって......みたいな。父はかなり早く引退しましたけども、その頃の騎手たちは全体的に引退が早かったですからね。自分もそれくらいかなと。若い頃から体重の調整に苦心するところもありましたし。
今は自分より先輩でも現役で活躍されている方がたくさんいますからね。自分も今44歳になって、今でも良い馬に乗せていただけているし、昔思っていたような辞めるタイミングは失った......みたいなところはあるよね(笑)。
もちろんそれは、ありがたい事ですよね。おかげでレースに乗る事自体が嫌になったりという事はないですから。やっぱり長く乗れたからこそのこの記録でもありますから。
そういう話が出たのでうかがってみますけども、以前、岩手競馬が色々と改善活動を続けていた時、村上忍騎手自身も怪我をしたり騎乗停止になったりして、なんというか歯車がかみ合わない時期があったじゃないですか。あの頃に比べれば、去年や今年の忍さんは凄く調子がよく見えるんですよね。まだまだいける、まだまだやれる、って思うんですけど。
確かにその頃は、他の人に迷惑をかけてしまったし、騎手としてのモチベーションであったり技術であったり、年齢とともにそういう部分が落ちてきているのを自分で感じるようであれば......と思ったりもしました。今なんかも、体力的に全く衰えてないとは言わないけれど、長年の経験である程度やれるのかなって。調子が良いかどうか......は分からないけど、乗ってて楽しいなって思う時があるから、そういう瞬間があればあるほどなかなか辞めづらくなるというのはありますよね。
やっぱり体力的な衰えとか感覚のズレみたいなものを感じるようになってくる?
年齢を重ねるとどうしてもね。自分では変わらないと思っていてもそうなってくるのではないでしょうか。体型も変わってきますし。
でも、今年なんか凄く良い感じで乗れているなと、お世辞抜きで思いますね。
馬との巡り合わせもある事ですから、自分のモチベーションだけでどうこうできるものではないだろうけど、でも噛み合う噛み合わないはあるでしょうからね。今は、最低限それが噛み合っていて、それなりの結果につながっているのかな......っていうのは、少しだけ思ったりします。
あとここ最近は、例年より体重のコントロールがうまくできているから気持ちが凄く楽。長年減量をしてきているわけだから自分の中のルーチンがあって、いっぱいいっぱいだともちろん余裕が無くなるけれど、全く何もしないとそれはそれで調子が悪い。今年はそれがちょうど良い感じ。ちょっとだけコントロールして、体力的には割と余裕もってレースに挑めているって感じ。そういうのはやっぱり気持ち的に変わってきますからね。
年齢を重ねて変わってきた点のようなものはありますか?
そうですね、気持ち的には、若い頃はイケイケって言うか力任せな感じだったけれど、ここ10年くらいは、馬とのコンタクトが一番大事だなと思ってそこを気を付けて乗るようにしています。
走るのは馬で、乗り手はコントロールするわけで、乗り手が強すぎて馬の邪魔をしたらしょうがない。多分、若い頃の自分はそうだったと思いますよ。
3000勝から3年4カ月で3500勝に到達
村上忍騎手はもう大ベテランの域に入っていますけども、見ている方としてはまだまだ老け込まれては困る。ということで3500勝を超えてのもうちょっと先の目標を聞かせてください。
一番はやっぱり怪我をしないように、馬も人も無事に。そしてこの先は、数字的な目標は特に掲げていないですが、でも、いつも言っていますが乗っている以上は一つでも多く勝ちたい。自分のためにも馬のためにも、関わってくれている皆さんのためにもね。そこは欲張っていきたいなと思っています。今年は期待できる馬も乗せて貰っていますし、そこでしっかり結果を出していきたいなと常に思っています。
今年に関しては3500勝が迫っているのが分かっていたから自分の中で目標になっていた。そこをクリアできて自分として達成感はあります。これから4000とはね、なかなか言えないですけどね、レースに出るからには一つでも多く勝ちたいという部分は自分の中でまだなくしてはいません。
では最後にオッズパーク会員の皆さんに一言を。
コロナ禍の影響で移動であったり現地観戦であったりの制限が続いています。現地で見ていただきたい気持ちはもちろんありますけども、今はネットでも便利にレースを見る事ができますから、ぜひオッズパークで岩手競馬を応援していただきたいなと思いますね。
5月23日のあすなろ賞ではチャイヤプーンで今季の重賞2勝目。重賞戦線でも存在感ある戦いを演じている
インタビューの中でも触れたが、今季の村上忍騎手は非常に好調なのだろうと感じる。逃げてスローペースに持ち込むかと思えば好位からレースを動かして差し切ったり。それでいて本人の言葉のように自己主張しすぎることはない。成績の数字以上の安定感があると思いながら見ているのだが、ファンの皆さんはいかがだろうか。
これも本人が言われているように"あと500"はなかなか大変なのだろうけども、あと3年、今のペースで騎乗し続けてくれれば見えてくる目標だ。その時を迎えることができるよう、村上忍騎手を応援し続けたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
4月19日に名古屋競馬場でデビューした塚本征吾騎手。初日から9鞍に騎乗し、初勝利も挙げる順調なスタートを切りました。
初勝利おめでとうございます!デビュー4戦目と、かなり早かったですね。
ありがとうございます。乗せてくれた関係者の皆さん、頑張って走ってくれた馬のおかげです。レースに関しては完全に馬に助けてもらったので......。でも初日に勝てたというのはすごく嬉しかったですし、一つ勝ったことで気持ちも楽になりました。
レースを振り返っていただきたいのですが、デビューから4戦目で初めての1番人気馬(第5レース、プライムエルフ)でした。
デビュー戦もガチガチだったんですけど、この時も緊張しました。周りから「1番人気だよ」ってずっと言われていて、「この馬で初勝利だろう」みたいなことも言われていたので、プレッシャーを感じてしまって。いろいろ考え過ぎてしまって、「メンタルが弱いな」ということに気付きました(苦笑)。道中は中団あたりだったんですけど、あんまり手ごたえがある感じではなくて、向正面までは本当に伸びるのかなと不安でした。でも3~4コーナーを回って手ごたえがすごく良くて、そのあたりで勝てるなと。でもそこで少し油断したというか、他の馬に迷惑を掛けないようにという気持ちが強くて、外々を回り過ぎてしまいました。
ゴールした瞬間はどんなお気持ちでしたか?
すごく嬉しかったです。今まで経験して来たことの中で一番嬉しかったですね。
4月19日、名古屋第5レースで初勝利
初日から9鞍騎乗というのはすごいですね。
たくさん乗せていただいて、関係者の方々に感謝しています。9鞍乗るには全然鞍が足りなくて、レースから上がって来て急いで鞍掃除して検量して装鞍してと、すごく忙しかったです。
塚本騎手はお兄さん3人が騎手ですが、みなさんバラバラの競馬場に所属していますよね。
そうですね。僕が競馬場を決める時も「どうしても来たいならいいけど、なるべく来ないで」って兄全員に言われました(笑)。僕自身も違う競馬場にしようと思っていたので、兄たちがいない競馬場の中で、名古屋がいいなと思って希望しました。
なぜ名古屋だったんですか?
年中開催でオフシーズンがないことと、僕が地方競馬教養センターにいる時に、宇都英樹先生が調教師試験を受けるために来ていて、その時に「名古屋は新人もたくさん乗せてもらえる環境だよ」ということを教えていただいて、ぜひ行きたいなと。
実際に名古屋にいってみていかがですか?
トレセンの環境にもすぐ慣れましたし、皆さんにすごく良くしていただいています。兄の同期の方が名古屋に2人いて、長男(甲賀弘隆騎手・金沢)と同期の村上弘樹さんと、次男(塚本雄大騎手・高知)と同期の加藤聡一さんにいろいろ教えていただきました。所属の競馬場は違いますが、兄たちからいい影響を受けているなと思います。
騎手になったきっかけは、一番上のお兄さんである甲賀弘隆騎手のレースを見に行って憧れたからだそうですね。
家族みんなで兄のレースを見に行って、そこで兄弟みんなが騎手になりたいと思って、ドミノ倒しのように全員騎手になりました(笑)。男5人兄弟なんですけど、一番下の弟は今中学生で、おそらく騎手を目指すと思います。
お兄さんたちのレースを見ている時と、実際に乗ってみての印象は違いますか?
全然違いますね。見ていた時はただ馬に乗っているという感覚で、そこまで深く考えていなかったんです。でもデビューしてみて、1頭の馬には馬主さんや調教師や毎日お世話をしてくれる厩務員さん、馬券を買ってくれているファンの方々などたくさんの人たちが関わっているんだと実感して。その重圧を感じながら兄たちは乗っていたんだなと思いました。
これまで4勝(2021年5月27日現在)を挙げていますが、その中でも会心の騎乗だったというレースはありますか?
会心というわけではないですけど、良かったなと思うのは4勝目のマリクシ(5月18日名古屋第5レース)です。名古屋って本当にゲートが大事で、半馬身出遅れただけでも致命的なんですけど、それまで僕はゲートをパッと出せていなかったんです。マリクシはゲートの中でちょっとガタガタしたんですけど、ハナを主張してそのまま逃げ切ることが出来たので、とてもいい経験になりました。
現在は朝何時に起きて調教しているんですか?
今は1時5分に起きて1時15分から27頭乗っています。
27頭?!20頭を越えると相当キツイという印象がありますが。
おそらく今の名古屋の中では一番乗っていると思いますね。1時15分から9時頃までずっと乗りっぱなしです。先輩からも、「今はとにかく時間が空いたら1頭でも多く乗った方がいい」と言われていますし、頑張り時ですから。午後も作業があるんですけど、その後の空いた時間は寝るか、レースビデオを見るか、木馬に乗るか。今は完全に競馬漬けですね。
では今後の目標を教えてください。
1年目はやっぱり加藤聡一さんの記録(56勝)を目指したいです。ちょっと大きすぎる目標ですけど。あとはヤングジョッキーズシリーズで決勝に行きたいです。三男(塚本涼人騎手・岩手)とは決勝に行かないと一緒に乗れないので、一緒に決勝に行けたら嬉しいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
初めまして。塚本征吾です。まだデビューしたばかりですが、努力を重ねて上手くなって、皆さんに信頼していただけるジョッキーになれるよう頑張ります。よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:愛知県競馬組合)