数々の名実況を生んできた園田・姫路競馬の吉田勝彦アナウンサー。独特の語り口調は "吉田節"と親しまれ、2014年には『レーストラックアナウンサーとしてのキャリアーの長さ世界最長』としてギネス世界記録®にも認定されました。しかし、2020年1月9日をもってレース実況から引退されます。この道64年。「レースを喋るのではなく、語りたい」という吉田アナウンサーの思いとは。
実況歴64年の吉田アナウンサーですが、キャリアのスタートはどういったきっかけだったのですか?
僕はラジオドラマの声優になりたかったんです。局アナになろうと思ったら大学を出ていなかったらダメ。僕は大学に行っていないし、家が貧乏やったから高校3年間でさえ必死になって親に行かせてもらった。卒業して夜間の放送研究所に行って、当時はまだテレビの時代じゃなかったから、ラジオドラマやったらこんな声やけど役によっては使ってもらえるかもしれへんという気持ちがありました。昼間は空いているから、競馬の実況のアナウンサー募集があったから行きました。最初は長居競馬。園田と姫路があるように、大阪には長居競馬と春木競馬があったの。長居で10カ月いて、僕の喋りを聞いてくれた人が「あの男を兵庫県に呼べ。あの男は兵庫県の人間やから」と指名をしてくれてここへ来ました。
当時は競馬用語の解説書のようなものもなく、毎日早朝から競馬場に行って調教師や騎手の会話から競馬用語を覚えられたと伺いました。そうして厩舎関係者との絆も深めていかれたんですね。田中学騎手は「サンクリントの楠賞兵庫アラブ優駿の実況が一番印象に残っている」とおっしゃっていました。
あのレースの前にね、「学くん、今日は楽勝やなぁ」と言うたんや。そしたら「楽勝とまではいかんけども、勝てるやろうと思う。もし今日このレースで負けたら、それは神様のイタズラですよ」と僕に言うわけ。そのことを、向正面で2番手につけて、そろそろ前の馬を捕まえようかなというような状況の中で言いました。「もしこのレースで負けるようなことがあれば、それは神様のイタズラでしょう。そう言い残してこの馬に騎乗している田中学騎手、3コーナーで先頭に並んでいよいよ」っていう感じの喋りをしたんです。彼自身は何編も(何回も)家で聞き直したと言っていたね。そうやって喜んでくれたら嬉しいよね。
他にも多くの名実況がありますが、吉田さんご自身で印象に残っているレースはどれですか?
ビクトリートウザイ(※注)という馬がいました。あのビクトリートウザイが7回も重賞レースを勝って、そして最後のレースは64キロを背負って、他の馬たちと8キロ、9キロ差がありました。それまでだいたい3~4番手くらい、好位につけて差すっていうのがビクトリートウザイの戦法でした。あれを乗っていたのはいま調教師になっている保利良次騎手。64キロを背負った時、思い切った逃げに出たんよ。「ビクトリートウザイ、今日は先行策を」と言うたら、お客さんが「わ~!」と沸きました。向正面を過ぎて3コーナーに向かうところで後続馬がずーっと寄せてきて、「ビクトリートウザイ、果たしてこのまま押し切ることができるのか」と言うた時に悲鳴が上がったけど、3コーナーのカーブを曲がった所ではまだ余裕十分やったんや。4コーナーのカーブ手前のところで「ビクトリートウザイには十分余裕がありそうです。『来るなら来い!』そんな余裕を持ってビクトリートウザイ、直線に入ってきました」って言いました。そうしたら歓声が「わぁ~」って上がるんやね。悲鳴を上げさせて、歓声に変えて。その一言ひとことをお客さんは聞いてくれている。自分がレースを喋っていて、お客さんのそういう反応っていうのが大きいわね。
(※注)ビクトリートウザイ
1982年3月14日生まれ 静内産 アングロアラブ
父キタノトウザイ 母トーニチクイン
2~4歳時、通算24戦17勝(うち重賞7勝)
64キロを背負ったのは86年6月10日、ニュータウン特別(OP、園田1800m)
ファンと吉田さんの掛け合いだったんですね。
観客はその時、だいたい2万人くらい入っていました。今はもうその10分の1くらいになってしまっているから、僕ら実況を喋っていて物足りないです。やっぱりお客さんの歓声とか悲鳴を耳にしながら、目で見ながらやって喋りがいがあるけど、いまお客さんが少ないとカラオケで歌っているみたいな感じがして、なんかこう力が入らないって言うのかなぁ。それも逃げ口上かもしれないけど。
これだけ長い間、ずっと実況を続けてこられた秘訣はなんですか?
競馬のレースの実況というのは、いかに難しいか......難しいからここまで続けられたんやと思うねん、僕はね。「先頭がどれで、2番手どれで...」くらいのことやったら、喋りに心得のある者ならば、三月か半年でできる仕事です。64年間もやってきて「まだやり足りない」という気持ちがあるということは、いかに結論が出せないほど競馬の実況は難しいかということ。同じレースは2つとしてないんやからね。
何年か前に僕と同い年の北島三郎さんと話をした時に「北島さん、レースの実況、本当にもう辞めようと思う」というようなことを言いました。北島さんはそれまではニコニコ笑いながら世間話なんかをいっぱいしていたわけ。けどね、その時だけはクッと睨んで「吉田ちゃん、何言ってるの!俺だって足りねぇんだよ。だから歌ってんだよ」と、足りないっていう言葉を言われたねぇ。ホントにどんな世界であっても、「完璧にできました」という人なんかいないんだということを色んな人の話を聞いて思いましたね。僕らは住む世界が違うし、もちろんレベルも違う。けど、いま辞めるこの段階において、結局なんにもできないまんま終わってしまう無念、こういうのは本当に死にたいような気持ちやね。
いよいよ1月9日の引退の日が近づいてきました。
「あと何日経ったら、実況はできないんやなぁ」と思うのはやっぱり寂しいなという気持ちもあるけど、もう十分という感じやね。気持ちとしては、語りたいんやね、僕は。喋るんじゃなくて語りたい。子供の頃に親父と芝居を見に行って、親父は大変な吃音やったけど、義理人情を描いた芝居で掛け声をかけるのが上手かった。僕は競馬のレースの実況は芝居でいえば掛け声であったりすると思います。だけど、もうそういうことを言うチャンスもなくなるね。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
ばんえい記念を制したニシキダイジンやインフィニティーをはじめ、数多くの名馬を輩出した金田勇(かねた・いさみ)調教師が、10月6日に通算1000勝を達成しました。
1000勝達成セレモニー(10月14日)
1000勝おめでとうございます。ばんえいの世界に入ることになったきっかけを教えてください。青森県八戸市出身ですね。
当時は青森県のあちこちで草ばん馬が行われていたんだ。馬が好きで中学を出てすぐに競馬場に来た。当時は、若い厩務員は皆騎手試験を受ける流れで、俺も1993年、20歳で騎手になりました。当時は金山騎手などすごい騎手ばかりで、なかなか乗れなかった。腐ってきた時に乗せてくれて、「調教師になれば」と言ってくれたのがクインフェスタやトレジャーハンター、古くはエビステンショウの馬主だった高橋一二さん。亡くなって3年経つかな。
1000勝の表彰式でも、高橋オーナーの話を涙ながらにされていましたね。2003年、厩舎開業は30歳という若さでした。騎手への未練はありましたか。
ないよ! 技術の違いを感じていたから。なんとなく、育った環境といった越えられないものがあると思っていた。
調教師になってからはずーっと大変だったよ。2006年で存廃問題が起きた。とはいえ、ばんえいがいい時代の時も自分はずっと苦労してきたから、大変なのは今に始まったことじゃない。騎手の時は乗り馬がいなくて見ているだけのこともあったけれど、調教師は預かった馬を出走させられて、常に仕事がある。楽ではなかったが、楽しかったですね。
開業5年、ニシキエースで初重賞制覇(2008年黒ユリ賞)です。牝馬三冠も達成しました。その後着実に活躍馬を送り出しています。
ニシキエースは、気性が激しくて馴致で苦労していたんだ。オーナーに「危険もあるけど、まだ若いしやってみないか」と頼まれた。ストレスを与えないよう、のびのびと育てたら、集中力がついて体ができてきた。いい馬に巡り会ったな。それも、高橋さんが「こいつを男にしてやってくれ」と俺のために頭を下げてくれたおかげだ。いろんな人とつながりを作ってくれたね。
気を付けていることは。
健康だね。結果を焦らないこと。優しく育てることはトレーニングが甘いと思われがちだが、強く調教して能力引き出す技術はないから。愛情持ってやれば、恩返ししてくれると思う。
インタビューでもいつも馬への優しさを感じます。馬が応えてくれているんだと思います。馬の思い出を聞かせてください。
ニシキダイジンがばんえい記念を勝った時(2010年)は夢を見ているみたいだった。まさか参加できるなんて。でも、この時のダイジンは調子が良かったから、自信持って出せた。騎手時代は縁がなかったレースだから、送り出すのはすんげーうれしかったな。何回出しても特別なレースです。
インフィニティーは、最初は仲の良かった岩瀬和幸調教師が管理していたんだ。「勇のところに馬が入るなら、安心してやめられる」って言われてね。仔馬の時から見ている馬だったが、ばんえい記念まで取れるようになるとは。一緒に成長できた馬。若い頃、4、5歳の頃、古馬と、年齢によってこのように成長させていくんだな、と定年までの管理の仕方を教わった。物差しができたな。たまに会いに行くが、まだまだ若いよ。
トレジャーハンターはあれだけ頑張ってくれたからね。将来的にはゆっくり余生を過ごさせてあげたいと思っている。
2014年ばんえい記念 インフィニティー
クインフェスタやコマクイン、キサラキクなど、人気の牝馬も多く在籍していました。
みんな、厩舎の広告塔になってくれたね。
キサラキクは、女馬だと思ったことなかったな(笑)。いつも大きいレースに1頭だけ牝馬で出走していた。途中からは、俺の馬じゃなくて、ばんえいファンの馬。みんなから大事な宝物を預かっているようだった。
コマクインは最初に障害を降りるでしょ。あいつ見たら、「重い時、寒い時も一生懸命。少しくらい能力なくても、俺も頑張ろう」って思えるんだ。息子たち(3歳のコマサンブラック、2歳のコマサンダイヤ)は抜群の登坂力が似ているね。
そのほか、思い出の馬はいますか。
6歳で種馬になった、高橋さんが持っていたケンジュオーという馬。草ばん馬で、オープン馬とも引けを取らずに頑張っていた。知る人ぞ知る馬の子が活躍している、というのはうれしいんだよね。田舎魂っていうかね。親ができなかったことを子がやっている。高橋さんが亡くなった2日後にケンジュオーも亡くなったんだ。
2015年・北斗市の草ばん馬でケンジュオーと
産駒にはオープン・A級で活躍中のバウンティハンター(牡7)や、1000勝達成馬のアオノブラック(3歳、2018年ヤングチャンピオンシップ)がいます。
子どもたちが父さんの跡を継いで頑張りたいと言っていて、長男が厩務員で騎手を目指していて、三男が高校に通いながら厩舎を手伝っています。アオノブラックはみんなで管理している。教科書になる馬じゃないかな。家族で一緒に馬の話ばかり。いいよね。
ばんえい菊花賞2着 アオノブラック
いつも、お子さんたちが先生を慕っているのが感じられていいな、と思います。先生は草ばん馬も好きですよね。草ばん馬、馬の魅力とは。
草ばん馬は、そこにいる人が好き。自分の仕事を終えてから、馬のことも集中してやっている。俺以上に馬に狂っている人たちを見ていると、これでいいんだな、って思えるよ(笑)。
馬の魅力?なんなんだろうな。これに全てかけているからね。馬に惚れちゃってるから、しょうがないよね。自分が活かせるもの、これしかない。勝負はタイミングだよな。いい馬が寄ってくる、波がある気がする。
引退してしまったけれど、九州産馬もいたんだ。でも、競走成績のある馬が血統の2代、3代目にいないと競走馬としては難しい。北海道の人たちが試行錯誤して70~80年かけて育ててきた馬にはまだかなわない。血の改善が必要だけど、時間をかけて挑戦してみたい。九州産を走らせるのが夢なんだ。
オッズパークの会員の方々に一言お願いいたします。
俺は、ばん馬の足音が好きなんだよね。パカパカじゃない。本馬場入場の時とか、そばで力強い足音を感じてほしい。ニシキダイジンやインフィニティーは、独特の強い足音で、歩いているのが音だけでわかったんだよ。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
マイルチャンピオンシップ南部杯でJRAのサンライズノヴァに騎乗し、悲願だったJpnI制覇を果たした吉原寛人騎手(金沢)。現在の想いをうかがいました。
まずは南部杯制覇おめでとうございます!
ありがとうございます。ずっとGI(JpnI)を勝つことを目標にして来たので、すごく嬉しかったですね。頑張ってくれたサンライズノヴァ、乗せてくれた関係者の皆さん、応援してくれたファンの皆さんに感謝しています。
サンライズノヴァとは初コンビでしたが、どんな印象でしたか?
パドックで初めて跨って、体も立派だし、『こんなすごい馬がいるのか』と。これまでのレースで、この馬の末脚がすごいことは見ていましたし、この日の馬場で外を回すのはキツイなと思っていました。スタートも出てくれたし、いい形で運ぶことが出来て、この手ごたえならば負けないだろうと思いましたね。
サンライズノヴァで南部杯制覇(写真:岩手県競馬組合)
念願のGI(JpnI)制覇はいかがでしたか?
やっぱり大きいですね。僕は遠征ばっかり行かせていただいてますけど、結果が出なくて苦しい時期もありましたから、続けて来て良かったなって思います。これまでにもチャンスはいただいていて、ハッピースプリント、サトノタイガー、ノボバカラでは2着の経験があって。なかなか1着に届かなかったんですけど、そういうことが全部繋がって、今回勝つことができたんだなって思っています。
毎年活躍していますけど、今年の活躍は輪をかけてすごいですね。
本当に周りの方々のお陰です。いい馬に乗せていただいているし、馬たちも頑張ってくれるので。正直、今年はもっと苦しむかなと思っていたんです。でも南関東での期間限定騎乗でも、僕自身の歴代2位くらいの勝ち星を挙げさせてもらいましたし、重賞でも結果を出すことができて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今年はタイセイラナキラ(しらさぎ賞)、スターキャデラック(北日本新聞杯)、クレイジーアクセル(ノースクイーンカップ、ビューチフルドリーマーカップ)、ストライクイーグル(東京記念)、スティローザ(園田プリンセスカップ)、ヴァケーション(平和賞)と、かなりの数の重賞を勝っていますね。
クレイジーアクセルはグランダム・ジャパン古馬シーズンで優勝できましたし、ストライクイーグルはJBCクラシックでも見どころのある走りをしてくれました。ちょっと寄られてしまったんですけど初めての浦和でも頑張ってくれましたし、大井の外回りならばもっとやれると思います。
ストライクイーグルで東京記念を勝利
ストライクイーグルは長距離での強さが光りますね。
今後がすごく楽しみですね。以前ユーロビートに乗せていただいていて、初めて交流重賞(マーキュリーカップ)も勝たせていただいたんですけど、長距離で強いという馬はなかなか出てこないんです。ユーロビートの引退後は淋しかったんですけど、また素晴らしい馬に巡り合えて嬉しいですね。ただ、乗せていただけるのが当たり前ではないので。地元の方が乗れないという時にチャンスをいただいたりもするので、そういう時にしっかり結果を出さないといけないなと思っています。
全国で勝ちまくっている印象なのですが、勝っていない競馬場ってありますか?
姫路、佐賀、高知で勝てていないんです。佐賀は今年佐賀ヴィーナスカップでチャンスをいただいたんですけど(ステップオブダンスで)ハナ差2着に負けてしまって......。
高知で勝っていないというのは意外ですね。
これまで行く機会があまりなくて、おそらく3、4回しか乗ったことがないんですよ。でも今度チャンスをいただいたので、しっかり結果に繋げたいです!(インタビューのあと11月17日、土佐秋月賞をモズヘラクレスで勝利)
全国で騎乗するのはもちろんですが、移動自体も大変じゃないですか? 南部杯の時には台風の影響で北陸新幹線が止まっていましたし、次の日は金沢、その次の日は大井と騎乗していました。
あの時はさすがに盛岡に間に合わないのではないかと焦りましたけど、米原から新幹線を乗り継いでなんとか間に合いました。移動はもう慣れですね。ずっとこういう環境でやらせていただいているので。
全部のレースを見ているんですか?
行く競馬場は全部チェックします。それこそ移動中とかに見ることが多いですね。家にほとんど帰れないので、ゆっくり見るということはできないんですけど。でもあんまり先入観がない方がいい時もあるので、おおまかに把握する、要点を見るという感じです。
それが南部杯でもいい方に出た印象です。
そうですね。ゲートが開いたらどうなるかわからないので。その時に判断できる引き出しを持っておきたいというくらいの感覚です。あんまり考え過ぎちゃうと動けなくなっちゃうし、馬が走るんだって思って乗ってます。
数年前、期間限定騎乗や遠征で地元を空けて、リーディングを諦めるという選択をした時は相当な葛藤があったと仰っていましたが、今のご自身はいかがですか?
大きな決断でしたけど、南関東へ行った時に恵まれて勝たせてもらって、重賞でもポンポンと勝たせてもらって。そこからハッピースプリントに出会えたことが大きかったですね。その後ソルテに繋がって、目標がGI(JpnI)を勝ちたいとなっていきました。
大きな目標を達成しました。次の目標は?
GI(JpnI)を地方馬で勝ちたいという気持ちは強いです。御神本さんのように勝ちたいですね。そういう馬に乗せていただく機会も増えましたし、勝って恩返ししていきたいです。それから、地元でもうちょっと頑張って活躍したいですね。今は開催中でも重賞で他地区に行くことが多いですし、普段の調教もしていないので他の人の馬を取るということもできないですから。その葛藤は大きいです。今はどっちもということができなくて、自分の技量不足だなと。まだまだ成長したいですし、周りの方々に恩返ししていきたいです。
全国を飛び回っていますが、得意なコースを挙げるとしたら?
やっぱり盛岡でしょう。ユーロビートで初めて交流重賞を勝たせてもらいましたし、南部杯も勝たせてもらって。想い入れは強いですね。
JRAで勝ってない競馬場はありますか?
勝ってないというか、乗ってない競馬場の方が多いんですよ。行く機会がなかなかないですし。でも京都競馬場は大好きです!ネロで勝たせてもらいましたし(2017年11月26日・京阪杯)。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。皆さんの期待に応えられるよう、これからも頑張ります!
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※インタビュー / 赤見千尋