7月15日、佐賀競馬第2レースにて復帰後初勝利を挙げた岩永千明騎手。2016年3月の落馬事故から3年3カ月という休養を経てたどり着いた、現在の心境を伺いました。
まずは復帰後初勝利おめでとうございます!
ありがとうございます。勝ったことを実感したら、嬉しくて涙が滲んできました。この気持ちはやっぱり騎手じゃないと味わえないなと。復帰してから2着はあったんですけどなかなか勝てなくて、応援してくれている皆さんも期待していると思うし、自分でも早く勝ちたくて、気持ちが焦っている部分もありました。でも1つ勝ててホッとしたというか。気持ちがすごく楽になりました。乗せていただいた関係者の皆さん、頑張ってくれたノーブルクィーン、そして、いつも応援してくれる方々にとても感謝しています。
6月15日の復帰から1カ月での勝利でしたが、ご自身では長かったですか?
長かったですね。「いつになったら勝てるんだろう」っていう。気持ち的には、15年前のデビューの頃と同じでした。あの時もなかなか勝てなくて焦っていて。またこういう気持ちになる日が来るとは...。正直、「もう復帰出来ないかもしれない」と思っていた期間が長かったので、またレースに乗れて嬉しいですし、勝てて本当に嬉しいです。
復帰後初勝利(2019年7月15日佐賀第2レース)
2016年3月の落馬事故から、3年3カ月という長い休養期間がありました。怪我の詳細は発表されていませんが、相当大きな怪我だったようですね。
生きるか死ぬかという怪我だったし、家族にもすごく心配をかけてしまって。荒尾時代にも大きな怪我をしているし、普通なら辞めた方がいいところなんですけどね。でも、流れというか、お世話になっていた厩舎が人手が少なくて大変だから、寝藁作業だけ手伝いたいというのが競馬場に戻って来たきっかけで、馬の近くにいたらやっぱり乗りたくなってしまって、昨年から調教に乗っていたんです。
具体的に復帰を決意したきっかけというのは?
特に大きかったのは去年のレディスヴィクトリーラウンド(2018年10月7日)です。それまでにも女性騎手のみんなに会っていたけれど、その時は調教もしていて復帰したい気持ちが強くなって来ていたので。みんなが頑張っている姿を見て刺激を受けたし、優しい言葉もかけてもらって、すごく背中を押してもらいました。それと、長く休んでいたので、規定上、次の騎手免許更新がこのままでは難しいという状況もありました。
ここまで大変な道のりを歩んで来ましたね。
そうですね。今振り返ると、復帰するかどうするか悩んでいた時間がキツかったです。3年も休んでいたし、騎手というのはプロですから、関係者の方々やファンの方々の期待に応えなければいけない仕事。こんなわたしではダメだって思っていて。周りの方から「いつ復帰するんだ?」って聞かれても、きちんと答えられなかったですし。でも結局馬が好きで、騎手という仕事が好きなんですよね。自分でも、どうして苦労する方の道に行ってしまうんだろうって思いますけど、変わり者なんですよ(笑)。
本当に意志が強いですね。心から尊敬します。
いえいえ、全然強くないですよ。「すごいすごい」って言っていただくんですけど、全然すごくなくて。よっぽど騎手という仕事が天職だと思っていたんでしょうね。いい思いをさせてもらって、そのことが忘れられなかったんだと思います。
実際に復帰したレースはいかがでしたか?
ものすごく緊張しました。荒尾時代も大きな怪我をして長く休んだ経験があるので、復帰戦がどれだけ大変かということもわかっていましたし、不安の方が大きかったです。でもパドックでファンの方から「お帰り」と言っていただいて、本当に嬉しかったです。「ああ、帰ってこれたんだな」って。レース自体は筋力が落ちていることを実感しましたし、乗っているだけで必死の状態だったので、これからもっと努力していかなくてはと。それでも、実際に乗れたのは大きかったです。
2019年6月15日、復帰初戦のパドック
お父様も見に来ていたそうですね。
そうみたいですけど、わたしには見えないようにしているみたいで。他の方から「お父さん来てたよ」って聞きました。両親にはものすごく心配をかけてしまって、また復帰したので今も心配をかけていますが、応援してくれてとても感謝しています。初勝利をした時も母が喜んでくれて。なかなか実家に帰れていないのですが、これから親孝行したいです。
復帰から少し時間が経ちました。現在はどんな心境ですか?
レースに乗るたびに勝つことは難しいと痛感しています。でもそうやって戦っていられることが嬉しくて、1日1頭でもレースに乗れることが楽しいです。でも騎手は結果を出さないといけませんから、もっと上手くなってしっかり結果が出せる騎手になりたいです。
今後の目標というのは?
ここまでは復帰することを目標に来たので、具体的なことは今は言えないですけど、後悔の残らない騎手人生にしたいという気持ちが強いです。復帰したのも、怪我が理由で辞めたくなくて。いつになるかはわかりませんけど、騎手を辞める時は自分が納得して、自分の気持ちで辞めたいと思っています。それまでは精いっぱい頑張ります。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただきありがとうございます。これからも一生懸命頑張りますので、佐賀競馬をよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
今年3月28日に地方競馬通算3000勝を達成した、高知の西川敏弘騎手。長年高知で活躍を続ける大ベテランにお話を伺いました。
まずは地方競馬通算3000勝達成、おめでとうございます!
ありがとうございます。目標にしていた数字なので、無事に達成できてホッとしています。先日祝賀パーティーを開いていただいたんですけど、まさかこんなにたくさんの方々に祝ってもらえると思っていなかったので感動しました。周りの方々、高知の騎手のみんなに感謝しています。
3000勝というのは本当に大きな数字ですね。
デビューした頃はまさか自分が3000勝もできるなんて思っていなかったですね。あの頃はジョッキーの人数も多かったし、30歳を過ぎたら調教師を目指して行くというのが普通のパターンだったから。勝ち星もそうですけど、まさか50歳になっても騎手でいられるとは思っていなかったですよ。
3月28日高知第6レース、プラズマディライトで地方通算3000勝達成
長年第一線で活躍を続ける秘訣は何でしょうか?
一番は体が資本の仕事ですから、体調管理は一生懸命しています。ただ最近ね、年のせいかガタガタで...(苦笑)。周りを見るとすごい人がいっぱいいますよね。的場(文男)さんから見たら、僕なんて子供みたいなもんでしょ(笑)。なんやあのパワーはって思いますよ。
西川騎手は1987年デビューで今年33年目。その間、激動の高知競馬を見て来たんですね。
本当にそうですよね。今は売上げが上がって、賞金も上がって、ものすごくいい流れで。感謝の気持ちでいっぱいです。一時期は「一番廃止に近い競馬場」って言われてね。賞金も低かったし、正直キツかったですよ。でもその頃の我慢があったからこそ、今は報われたなという気持ちです。
今から10年前、廃止の危機だったことが信じられないくらい、今は本当に盛り上がってますね。
ありがたいですね。あの頃は毎月赤字でしたもん、本当につぶれるんかなって思っていました。つぶれたら何やろうかなって。
他所の競馬場へ移籍したり、騎手を引退する方もいらっしゃった中、ご自身で辞めようという気持ちはなかったですか?
それはなかったですね。まず僕は馬に乗ることが好き、レースに乗ることが好きなんです。それに、高知が好きなので離れたくないという気持ちもあって。釣りが好きで、高知は海ばっかりでしょ(笑)。だから、他に移籍したいなという気持ちもなかったです。
高知競馬がどん底だった頃、どうやって盛り上げていこうという気持ちだったんですか?
やっぱり一番はレースが面白いかどうかなんですよ。そこが基本。これからどんどんネット社会になっていくという時期で、そうなったら誰でも何度でもレースを見ることができますから。一番考えたのは、とにかく真面目にキレイなレースをしようということです。そこは僕一人ではなくて、後輩にも徹底しましたね。邪魔したりするレースが横行していては、結局つまらないですし。僕はパチンコとかするんですけど、いい商品じゃないとお客さんは続かないでしょ。だからそこはすごく考えたし、今も大事にしています。
今や高知競馬名物となった、一発逆転ファイナルレースも登場しました。
僕から見ても面白いというか、どんな展開になるのか、どの馬が勝つか、僕らでも分けわかんないですよ(笑)。乗っていてワクワクしています。
3000勝達成表彰式(4月14日)
西川騎手は長らく騎手会長として高知競馬を引っ張って来ました。特に、怪我をして低迷していた赤岡修次騎手を引き上げたことは有名なお話です。赤岡騎手は、「西川さんがいなかったら、今の自分はない」と仰っていました。
いやいやいや、それは昔の話ですけどね。今でも赤岡くんがそうやってみんなに言ってくれることはありがたいですね。あの頃赤岡くんは怪我をして、ずっと落ち込んでいたんです。もう半分辞めようかなって思っていたみたいで。高知もあんまりいい時期じゃなかったんですけど、赤岡くんは才能があるから、辞めたら絶対ダメだって言って、毎日一緒にいました。自分が乗っていた馬にも赤岡くんに乗ってもらったりしてね、乗ると感覚を共有できるじゃないですか。それで「こんな感じよね」っていう話をしながらご飯を食べてましたね。
西川さんは騎手としてもすごいですが、人を育てるというところもすごいと思います。
昔は騎手の間で上と下の年齢層がだいぶ差があって、僕らがちょうど中間だったんですよ。それで、後輩との付き合いができるのは自分だと思っていたので、家に呼んで飲んだりしていました。育てるというほどのことではないですけど、みんなで飲んだりするのも楽しいですから。
でも騎手の世界ですから、どうしてもライバル関係じゃないですか。なかなかできることじゃないと思います。
僕はそういうのあんまり気にしないというか、人を蹴落としたりするのは好きじゃないんです。相手が上手くなったら僕ももっと上手くなりたいって思うし、正々堂々と戦いたいですね。
そういう空気感が、他の競馬場からの期間限定騎乗、例えば南関東で騎乗チャンスの少ない若手が、高知に来て修行するという新たなサイクルを生んだんでしょうね。
南関東とは環境的に全然違うと思いますよ。僕らだけじゃなくて、高知競馬は全体的に育てようという気持ちがあるので。高知で乗っていた子が戻って活躍してくれるのも嬉しいですし、そのまま高知に移籍してくれる子もいますしね。高知のジョッキーたちはすごく仲がいいし、和気あいあいとしていて、若手を威圧するような人はいないです。ただレースは厳しいですよ。
5月の福永洋一記念も節目の10回で盛り上がりましたし、いい波が続いていますね。
(福永)祐一くんにはとても感謝しています。恩返しというか、サプライズでお祝いができて良かったですね。あの表彰式は僕も泣きそうになりました。本当にたくさんの方々のお陰で高知競馬が盛り上がっているので、とてもありがたいです。正直、ここまで急激に良くなるとは思っていなかったので、そういう意味では怖い面もあります。3000勝のパーティーの時に、みんなの前で挨拶させてもらったんですけど、みんなに気を引き締めてもらわないとという話をしました。いい流れで注目されているからこそ、一人でも何かマイナスのことをしたらこの流れが全部止まるよって。今のいい流れは当たり前じゃないってことをしっかり伝えていかないと。
3000勝という大目標を達成しました。今後の目標は?
今は具体的な数字はないですけど、とにかく健康を大事にしたいです。体さえ健康ならば乗っていられますからね。未だに面白いですし、まだまだ続けていきたいです。同期の中西(達也)調教師とはライバルとしてずっと一緒にやって来て、彼が調教師になってからもいい馬に乗せてもらっています。大きなモチベーションになっているので、しっかり結果を出したいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
高知競馬一丸となって面白いレースを提供していきます。その信用は裏切りません。自分もそうですけど、後輩にも徹底していますので、たくさんの方に楽しんでいただけたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:高知県競馬組合)
菅原辰徳騎手は2010年にデビューして今年で10シーズン目を迎える。若手というよりはもう中堅どころになった今年はリーディングでもTOP5に入る活躍を見せている。ここに初登場の菅原辰徳騎手に、改めてデビューからこれまでを振り返ってもらった。
実は菅原辰徳騎手にこのインタビューをお願いするのは初めてだということなので、改めて騎手を目指した理由などからお話を聞かせて下さい。
そうですね、小さい頃から父によく水沢競馬場に連れきてもらっていたので、そこで競馬を見てるうちに"騎手ってかっこいいな"と思って。体が小さかったこともあって、将来は騎手になりたいなあ......と思うようになりました。
父が凄く競馬好きで、土日はもうずっとグリーンチャンネルを見ているような家庭でした。自分もテレビで競馬を見ているのが好きだったし、水沢競馬場や盛岡競馬場に連れて行ってもらうのがすごく楽しみでした。まあ家族揃って競馬好きでしたね。
とはいえ競馬の世界には特に関係がなかったわけでしょう?それでも、ゼロから始めて騎手になろうと思った?
そうですね、馬には全く触った事がなかったですね。それでも騎手になりたいと思って。いざ受かったらすぐに辞めたくなりました。教養センターに入って本当に初めて馬に乗ったり触ったりしましたから、乗るのもそうだけど、とにかく馬に触るのが怖かったです。
じゃあ、教養センターの2年間は結構大変な日々だった?
何をするにしてもみんなの足を引っ張っていて、追いつこうと思っても追いつけないし。とにかく自分だけ遅れているのが分かっていたので、なんとかとにかく追いつきたいとだけ思ってやっていた2年間でしたが、結局全く追いつけないまま卒業でしたね。技能審査っていう試験があるんですけど4回中3回落ちるし、障害の試験をすれば経路も覚えれないし......。
そうは言っても、今でこそ競馬に関係がない生徒が増えたけど、菅原辰徳騎手の頃は競馬関係から来た生徒が多かったでしょう?むしろよくやり通したよね。
両親に「帰ってきてもお前のいる場所はない」って言われていましたから(苦笑)。まあ、自分で行きたいって言って行かせてもらったから、とにかく頑張って騎手になるしかないなと思って必死でしたね。
教養センターに入った頃って、岩手競馬がすごく危ない時期だったじゃないですか。それでも岩手だったんだ
教養センターの先生からも「岩手は正直お勧めしないよ」って言われたりもしたんですけど、やっぱり自分は水沢競馬に憧れて騎手を目指したんで、水沢でデビューしたかった。例えそれでもやっぱり水沢に行きたいです、って押し切っちゃいました。
初勝利は2010年5月24日盛岡第3レース
そして騎手になったのが2010年。その1年目の事は覚えていますか?
もう全部覚えていますよ。とにかく周りの人に迷惑しかかけてなかったです。落馬事故も起こしてしまったし。普通に1周回って来る事ができてなかった。
デビュー戦の時はムチを一発も叩けなかったですから。天気が悪かったのもあって前が見えない、どこを走っていいかわからない。ムチは入れられないし、馬があっちこっち走ってもう最低でした。
1年目は3勝でしたが、次の年はぐっと増えたよね。
20勝させてもらいました。
地方通算100勝は5年目、2014年6月7日盛岡第5レース
そこからだんだん増えて、去年などは73勝になりました。
それはやっぱり、周りの皆さんがたくさん乗せてくれるから。自分はただ真っ直ぐ、ちゃんとまっすぐ1周乗ってこようと気をつけるだけです。
今年でデビューから10シーズン目なんですけど、自分から見て変わってきたとか、ちょっとは良くなったな、とか感じるところは何かありますか?
正直今でもレースでは緊張します。スタート前のゲート裏とか馬より自分がドキドキしていると思いますよ。成長してないなって思うんですけど、周りの皆さんが支えてくれて。皆さんのおかげでそうやって成績が上がったんだと思うんですよね。僕自身はまだまだ変わった手応えは何もないですね。
じゃあ逆に、どういうレースができたら"変わった"という事になる?
そうですね、しっかりゲートを切ることでしょうかね。まずスタート。良いスタートができてしっかり1周回ってきたら、でしょうか。
今は自厩舎だけじゃなく、例えば盛岡の厩舎からも騎乗依頼があったりするでしょう?そういうところは変わってきた点じゃないかな
ひとつでも多くのレースに乗せてもらえることは嬉しいことで、本当にありがたいですね。とにかくたくさん乗りたいので、もっとたくさん依頼されるジョッキーになりたいです。でも、たくさん乗りたいからと言って自厩舎の馬の調教をおろそかにするわけにはいかないですから、しっかり自分の厩舎で仕事をして、時間がある時は積極的に他の厩舎の調教も手伝おう、と心がけています。
サンエイジャック新馬戦優勝時(2016年6月18日)
話を変えて、ここ2、3年で自分が一番記憶に残っているレースを挙げるとすると何ですか。
2つあります。サンエイジャックの新馬戦とサンエイキャピタルのウイナーカップです。
サンエイジャックはゲート試験で1回落ちているんです。そうしたら新馬戦では一番いいスタートを切って逃げ切った。やっぱり2歳新馬戦というのは難しいし、思い通りにはならないなというのが印象的でした。
サンエイキャピタルは分かる。あの馬は凄いものね。
キャピタルのウイナーカップは新馬戦以来の実戦で、みんな半信半疑だったと思うんです。それがデビューから2戦目で重賞を勝ってしまった。びっくりだったし嬉しかったです。
サンエイキャピタル・ウイナーカップ優勝時(2018年6月24日)
ではこれからの目標を挙げてもらうとすると。
馬主さん、調教師さん、厩務員さんに、誰を乗せるってなった時にどんな状況でもいいので"辰徳"って言ってもらえるような騎手に。1人目、いや2人目でもいいです。そこで名前が挙がる騎手になりたいです。
もうひとつ。今年はリーディングでもいい位置にいますが、今年のこの先の目標は?
こんなに勝たせてもらっているのは皆さんのおかげ。何位とかじゃなく、1レース1レースしっかりとしたレースをしていくのが目標ですね。与えられてもらったチャンスを活かして自分の役目をしっかり果たしていきたいです。
では最後に、オッズパークの会員のみなさんに一言を。
競馬を楽しんでいるファンの皆さんに一人でも多く"菅原辰徳"という騎手を覚えてもらえれば嬉しいです。頑張りますので応援してください。
教養センターに入る頃には岩手競馬の廃止問題にぶつかり、デビューした翌年には東日本大震災にも遭い、と多難な時期を乗り越えながら、菅原辰徳騎手は騎手として逞しく成長してきたように感じる。今の彼ならもう一段階上の活躍を期待しても良いだろう。この先の更なる成長を楽しみにしたい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視