この春デビューした2名の新人騎手、その一人が鈴木祐騎手だ。鈴木騎手は初騎乗・初勝利という華々しいデビューを飾っただけでなく、デビューから8月までで19勝と順調に勝ち星を増やしている。そんな注目を集める新人は、どのようにして騎手を目指すに至ったかをたずねてみた。
さて、新人騎手へのインタビューという事なので、"なぜ騎手を目指そうと思ったか"ということから聞きたいのですが、木村直輝騎手がそうだったけれど、鈴木騎手も競馬とは関係がない家庭から騎手を目指したんですよね。
そうなんです。全く関係が無くて、競馬ファンもいなかったですね。それが急に親が言いだしたんです。"騎手になったらどう?"って。自分は身長が低い。動物が好き。それが当てはまる職業は騎手だ、騎手になってみないか、と。
理屈は分からないでもないけど、ずいぶん唐突だよね。
自分もそうでしたよ。馬に関わりがなかったし、生まれが茨城の山の方だったから競馬も知らなかったですし。乗馬クラブに通い始めたのですが、"乗馬をするクラブなんていうものが存在するんだ"とその時初めて知ったくらいでした。それが、乗馬クラブで初めて馬に跨った時に"うわ!"って自分の中で。なんて言うんですかね、"これは楽しい!"って感じるものがあったんです。それで自分も騎手になろう、と考えるようになりました。
それまでは何かスポーツとかやっていたの?
小学校の6年間はスイミングスクールに通っていました。
中学校では?
陸上部でしたね。
小さい頃から体を使う事が好きだったんだね。
いや、なんで陸上部に入ったかというとですね、小学校6年生の時に乗馬クラブに通い始めたんですけど、中学校では騎手になるための基礎体力を付けようと。そう思って陸上部を選んだんです。
へえ~!真面目だね。凄く真面目。
そうでしょう? 真面目だったんですよ。平日は部活、土日は乗馬クラブでみっちりでしたから。遊ぶ時間を削ってみっちり。何を考えていたんでしょうかね当時の自分(笑)。
初騎乗・初勝利(4月16日、水沢1R)
鈴木騎手は高校にも行っているんですよね。
高校は、馬術部がある高校(水戸農業高校)を選びました。騎手になる夢と並行して"馬術でもインターハイ優勝を狙う!"とか希望を抱いて。だから、馬のため、馬術のためにその高校を選んだと言っていいくらいですね(鈴木騎手のいた水戸農業高校は2012年のインターハイで準優勝)。
しかし、それくらい乗馬の経験を積んで、スポーツもやっているから体力もあって......で、教養センターに入ったら、ある程度自信があったというか、最初からいろいろ上手くこなせたんじゃない?
そういう風に自分も思っていたんですよ。最初の頃は"自分は乗れる方なんだろうな"と慢心した気持ちでいたんです。でも実際に入って1カ月、2カ月経った頃は完全に変わりました。このままじゃダメだと。もう、乗馬なんかやらないで未経験で入った方が良かったんじゃないかと思ったりしました。
それは乗馬のクセがついていたから、とか?
そういう部分もありましたね。毎日同じ所を注意されるんですよ。手綱の持ち方とかもう嫌になるくらい。楽に乗るクセがついていたのかもしれません。それと、半端に体力とか腕力があったから馬を力で操作してしまって、馬の気分は無視......とか。
そんな教養センターでは、どんな生徒でしたか。
一言で言えば"悪い生徒"でしたね。入った頃はさっき話したような事で、その後も続くような気がしなくて、何かやって見つかったら辞めればいいや、くらいに思っていて。センターの生活が辛かったんでしょうね。
でも木村直輝騎手に聞いた話では、センターでは鈴木祐騎手は優等生だったって。
その頃はもう改心していたんですよ。最初の頃は相当やんちゃしました。
櫻田康二厩舎を選んだ理由はなんでしたか?
教養センターの教官に教えてもらって勧められたからです。実は岩手に行ったことは一度もなかったですし、岩手で競馬をやっている事もあまりよく分かってないくらいで。最初に来た時は何も分からないから不安だらけでした。
デビューしてここまで、自分ではどう感じていますか? 初騎乗・初勝利とか派手なデビュー戦も飾ったけれど。
想像以上です。こんなに騎乗できると思ってなかったし、勝てるとも思っていなかったです。他ではこんなに乗せてもらえないでしょうから。岩手に来て良かった、岩手競馬で良かったなと思っています。
デビュー前の鈴木祐騎手が自ら「僕は"ビッグマウス"ですよ」と言っているのを聞いて妙に面白く感じた記憶がある。それだけ自信家なのだろうなとは思っていたが、今回こうして話を聞いて、小学生の頃から将来は騎手になると目標を決め、そのための努力をしてきたのだから、それも当然だろう、と改めて感じさせられた。
この話を聞くにあたって、櫻田康二調教師にもデビューから約4カ月経った鈴木祐騎手の事をうかがってみた。師いわく「こちらが思っていた以上にやれている部分はありますが、まだまだ足りない部分も当然ある。ここまではうまくいきすぎ......って面がありますよねやっぱり。ここから先が彼にとっての勝負の時期になっていくんじゃないか」
鈴木祐騎手のデビュー初年の目標は「50勝」だそうだが、残り4カ月ちょっと、確かにここからが"勝負の時期"になるのだろう。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
今年4月に高知競馬からデビューした塚本雄大騎手。話をうかがった9月11日には7勝目を挙げています。デビューしてから現在までの心境をうかがいました。
騎手を目指したのは、お兄さん(船橋・塚本弘隆騎手、2014年5月5日初騎乗)の影響ですか?
兄と僕は騎手を目指したのが一緒くらいだったんです。僕が小学6年のときに、母から「身長が小さいから、騎手っていう職業があるよ」って言われて。母も競馬のことはあまり知らなかったみたいですけど、そのあと自分でいろいろ調べました。中学を卒業して、そのままストレートで合格しました。兄は3歳上ですけど、中学を卒業してから合格するまで1年かかったので、デビューは兄の2年あとです。
実際に、地方競馬教養センターに入ってみてどうでしたか。
今思えば、騎手になる心構えがぜんぜん足りなかったと思います。先生に同じことを何回も怒られました。体重は軽かったので、減量はしなくてもだいじょうぶだったんですけど。ただ、騎手になるという強い気持ちだけはあったので、卒業だけは絶対すると思ってやっていました。
所属する雑賀(正光)調教師はどうですか?
はい。かわいがってもらえるように頑張っています。
普段の生活のスケジュールを教えて下さい。
午前2時20分に起きて、2時半から攻め馬に乗っています。調教は毎日17~18頭くらい乗って、馬の手入れもしています。終わるのは10時から11時くらい。そのあと、最初のご飯ですね。昼寝をして、午後1時半くらいから、また厩舎作業に出てきます。3時半から4時くらいに終わって、夜は、8時から9時くらいには寝ています。
教養センターの修了式のあと、雑賀調教師とそのまま高知に来ましたが、その後は家には帰りましたか?
帰ってません。ここに身を埋める気持ちで来たので。親も、修了式を見に来ただけで、高知には来ていません。ぼくが学校(教養センター)で顔を骨折したときも、来ないって言ってたんですけど、全身麻酔の大手術になるということで、教官が話して母だけ来ました。でも直るのは早かったです。
教養センターを卒業する前に話を聞いた時に、目標は「1日1勝、月に8勝」と言っていましたが、今日(9月11日第2レースを)勝って、7勝目です。
ぜんぜんダメですね(笑)。考えが甘かったです。3キロの減量があればもうちょっと勝てると思っていたんですけど......。初勝利までも2カ月近くかかってしまいました。
初勝利のときのことは覚えてますか?
緊張しないように乗っていたんですけど、外に出せなかったんで、内から行くような競馬になってしまいました。それでも『やっと勝てた!』という気持ちでした。66戦目だったので。騎乗したエンジェルブレスは、その後、夏負けの症状があって、それ以来レースに出ていないんです。次の開催には使えると思うので、力はあると思うし、期待しています。でも、以前に乗っていた松木(大地)さんが金沢(の期間限定騎乗)から帰ってくるので、乗せてもらえるかどうか。
ほかに印象に残る勝利は?
ブイアールヒーローです(7月10日第4レースで勝利)。それほど人気がなかったので(6番人気)、気楽に乗ることができて、5着くらいを目指していたんですけど、気持ちが馬に伝わったのか、ゴーサインを出したらすぐにスッと先頭に立ってくれました。会心のレースでした。下手なレースをしたあとは、このレースの映像を見て思い出すようにしています。
思い入れのある馬は?
デビュー初騎乗のウイニングハートでは、逃げて行き過ぎちゃって......。今思えば、もうちょっと道中我慢させていけば、たぶん勝てたかもしれないなと(3着)。そのあと何回か乗せてもらって、選抜戦でも3着があったので、すぐに勝てると思っていたのですが、勝つことができませんでした。
今の課題は?
勝つことを意識しすぎて、ほかの人のじゃまをしてしまうことがあるので、そうならないようにということを一番考えながら乗っています。レースでは気持ちが強すぎて、危ないところに行ってしまうことがあるので、もうちょっと考えながら乗ろうと。
あとは追い方で、兄弟子の2人(永森大智騎手、岡村卓弥騎手)が上手いので、勉強しています。永森さんはスマートに追うんですけど、岡村さんは逆に迫力のある追い方をします。
直接教えてもらうことはありますか。
追い切りの時には、岡村さんには併せ馬をさせてもらっています。永森さんは、すごすぎて、ちょっと近づきがたいです(笑)。なので、映像とかで見ています。
あらためて考えている目標はありますか。
あまり大きいことを言うとアレなんで......今年、15勝を......いや、20勝にしとこうかな。20勝を目標にがんばります!
高知では、新人王争覇戦があります。
出られたときには、地元代表としてがんばります!
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※インタビュー・写真 / 斎藤修
2016年の春、岩手競馬としては久しぶりに同時に2人の騎手がデビューした。一人は鈴木祐騎手。そしてもう一人が木村直輝騎手。デビューが同じ頃となれば、何かにつけて比較されることになるため、"永遠のライバル"ともいわれる同期生。今回は木村直輝騎手の方にお話をうかがった。
木村騎手は競馬とか馬とかに関わりがない家庭から騎手になったそうですが、そこから騎手になろうと思ったきっかけを教えてください。
地元が千葉なので、母に船橋競馬場に連れて行ってもらって、そこから競馬に興味を持つようになりました。あとは時々大井競馬場にも行ったり。
地方競馬ばかりなんだ。JRAの競馬場には行かなかったの?
中山競馬場には1回くらい行ったかも。ほとんど地方競馬でしたね。親が地方競馬の方が好きだったのかもしれません。
それまでは競馬とか馬とかに興味を持っていた?
あまりなかったですね。馬も身近じゃなかったから特別好きという事もなかったですし。競馬場に行っているうちに興味が出てきて、身体も小さかったから騎手を目指すのもいいかなと。
じゃあそこから騎手になるという目標が出来てきた、と。
そうですね。騎手を目指そうという事で乗馬クラブに入って馬に触れるようになったら、それがすごく面白かったんです。実際に馬に乗ってみてハマっていったっていうか。それが中学生の頃でした。そして中学を卒業してアニマル・ベジテイション・カレッジに入ったんです。
小林凌騎手とか高橋昭平騎手とかも出ている所ですね。
はい。ですが、本来は2年間なんですが、JRAの競馬学校の試験を受けて不合格だったので学校を辞めてしまったんです。
え?途中で?
JRAの競馬学校に落ちて投げやりになってしまったのかもしれません。でも、やっぱり騎手を諦めきれなくて、地方競馬の試験を受けることにしたんです。そうしたら今度は合格しました。
その時のご家族の反応は?
"ああ、そうか"という感じでした。でも母がちょっと熱血で、"入ったら絶対辞めるんじゃない"みたいな熱の入りよう。母にはいつもそうやってけしかけられるっていうか後押しされますね。
教養センターではどんな生徒だった?
一言で言えば、まあ、目を付けられていましたね。いろいろ失敗をしてしまう"出来ないヤツ"で、毎日怒られていました。鈴木(祐)とか加藤(聡一・名古屋)、岡村(健司・船橋)が出来る方、優等生同士でつるんでいて、自分は出来ない方のグループ。
競馬場に実習に来るじゃないですか。木村騎手は競馬関係の出身じゃないから現役の競走馬とか実際にレースをしている厩舎とか経験が無かったでしょう? どんなふうに感じた?
やっぱり最初はビビリましたね。現役の競走馬は学校の馬とは全然違う。パワーが全然違いますから調教でもうまく御せなくて。慣れるまでは毎日のように"これからやっていけるのかな"と思っていました。
デビュー戦(2016年4月16日)は6着
いざデビューを迎える頃になると、ああ緊張しているな~と思って見ていました。それまではけっこう世間話とかしたけど、デビュー直前は口数も減った感じでね。
やっぱりデビューの1週間くらい前から緊張していたんだと思います。デビュー戦も危ないレースをしてしまって。全然考えていたようなレースになりませんでした。同期の鈴木祐騎手が派手なデビュー(初騎乗・初勝利)を飾ったり、その同期に自分の初勝利を阻止されたり......なんて事もありました。
同期の活躍はプレッシャーでしたね。"何でそこで勝っちゃうんだ!?"と。フミタツダイヤで、鈴木騎手に差されて2着になった時も堪えましたね(※4月23日の水沢5R、フミタツダイヤに騎乗して逃げた木村直輝騎手だったが、初勝利を目前に同期の鈴木祐騎手に差され2着)。そんな事をいろいろ考えたり悩んだりしたけど、他の同期とも話をしているうちに、あんまり焦ってもいけない、今の自分にできる事をやるしかないと。今はそう思っています。
14戦目での初勝利(2016年5月1日、盛岡7R)
デビューしてからまだ短い期間ですが、得意な戦法・好きな戦法はできてきた?
やっぱり逃げか先行ですね。得意なのは逃げかもしれない。差しは、馬の手応えが残っていても進路ができないと結果に繋がらないですから、そういう部分で自分にはまだ難しい気がします。盛岡と水沢なら盛岡ですね。コースが広いしコーナーも緩いから乗りやすく感じます。
所属する関本浩司調教師はどんな方ですか。
厳しいですけども自分の事を分かってくれているというか、自分はあまり怒られると逆に落ち込む方なんで、そういう所を理解してくれていると感じています。
そもそも関本浩司厩舎を選んだ理由はなんですか?
学校の教官に"お前みたいな奴を一人前の騎手にしてくれるのは関本浩司調教師しかいない"と勧められたんです。そこで鍛え直してもらえ、と。
騎手になった今の木村騎手に、ご家族はどんな事を言っていましたか。
騎手になるまでにお金を出してもらったり面倒をかけたので、今は少しずつ返しています。だからもっと活躍して勝たないといけないなと。
それは偉い! じゃあなおさら頑張らないとね。ご両親はレースを見に来たりしましたか?
デビュー戦の時は見に来ていました。でも、レースをインターネットでチェックしているんですよ。チェックして"どうしてあそこでもっと追わなかったの!"とか"だから(鈴木)祐君に負けるのよ!"とかメールで言ってくるんです。10件くらい一気に送ってくる事もあって真面目にブロックしたいくらい(笑)。そんな熱血過ぎる親だから、あまり見に来ないでいてくれる方が自分は楽です(笑)。
それだけ熱心に見てくれている・・・とはいえ、熱血だね(笑)。今日はありがとうございました。
招待レースで来ていた南関東のトップジョッキーと初勝利の記念写真
同期の派手な初騎乗・初勝利の陰に隠れてしまったが、木村直輝騎手のデビュー後14戦目での初勝利達成も決して遅いものではない。これからも自分の形をみつけつつ伸ばしていって欲しい。ちなみに木村直輝騎手の勝負服は『胴赤・袖赤/青山形一文字』だが、山形一文字の柄は岩手競馬では史上初ではないか?とのこと。そんな岩手ではレアな勝負服がより目立つよう期待したい。
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※インタビュー・写真 / 横川典視