2010年にデビューし、佐賀では鮫島克也騎手以来30年ぶりとなるデビュー戦での勝利を飾った石川慎将騎手。一昨年は門別での期間限定騎乗を経験し、昨年はリーディング5位と今後ますますの飛躍を期待されています。現在の心境と意気込みを伺いました(インタビューは2月28日)。
まずは、去年はどんな1年だったでしょうか。
去年はどこにも行かずに、こっちでずっと1年間乗ったんですけど、 まぁいい馬にも一杯乗せてもらっているんで、もうちょっと物足りなかったかなぁというところはありますよね。
昨年は63勝でリーディング5位でしたが、もっと上が狙えたという感じですか。
いやー、上には上がいるんで、なかなか追いつけないですね。けどまぁ、僕ら若いもんがちょっとずつ、壊して行かないとですね。盛り上がりも欠けてくるだろうしね。
デビューからこれまで、今まで一番印象に残っているレースとはなんでしょうか?
一番最初、自分の親父(石川浩文調教師)の管理する馬でデビュー戦勝てたし、それが未だに一番嬉しいし、やっぱり今でも自分とこの馬で勝つと嬉しいですね。
2010年4月10日、デビュー戦をハードリベンジで勝利
お父様は中津で騎手をされて、佐賀へ移籍されましたが、石川さんご自身が騎手になりたいと思ったのは中津の頃でしたか?
そうですね。もうずっと子供のころから親父が騎手だったんで、ずっと土日の休みのときは競馬場で応援して、自然と自分も騎手になりたいなぁとは思ってましたけどね。ただ、体重が重たかったのがあったし、学校に行くときも、かなり減量して試験を受けてたんで、若くて意思も弱かったんで一旦は挫折したんですけども。やっぱりずっといろんな所で競馬を見ても、騎手は一番花形だし、活躍できるし、応援してくれる人は多いし。こっち(佐賀)で親父が調教師になったときに「受けてみるか」と言われて、そう言ってくれなかったらもう一度火は付いてなかったですけどね。それで、騎手になれることができました。
12年にマカオでの招待騎乗。13年に門別での期間限定騎乗。外のレースを体験することはやはり刺激になりましたか?
いや、やっぱ全然違いますね。初心に帰れますし、コースも、レースの流れも違うしですね。かなりの刺激になるし、またこっちに帰ってきてからも、2カ月、3カ月いた所とまた違ったレースがあるんで、それもまた刺激になりますね。
それが昨年63勝と勝ち星を伸ばしたところに繋がったのでしょうか。
なったかな、とは思ってはいますけど、もうちょっと成果が、出て欲しいかなぁ、と。
佐賀競馬の中で、ライバルという存在はおられますか?
いや、ライバルっていうのは、皆がライバルなんですけど、上の人はやっぱりそうだし、下の人も「こいつのこういう所は良い乗り方をするなぁ」というのはあるし、それじゃぁこういう乗り方をしてみよういうこともあるし。上の人は上の人でそれを盗むことができるし。やっぱり教えてはくれないのでね、レースで後ろに付いて行って「この人が勝つときはこうなんだなぁ、この馬に乗ったときはこうなんだなぁ」って。その辺はずっと勉強です。
2014年九州大賞典はアドマイヤツバサで3着
重賞競走ですが、S2重賞はもう勝たれてますが、S1重賞はまだですね。
そうですね。やっぱり(S1)重賞勝ちたいですね、やっぱりそれが一番ですね、今。まぁ力んでいるつもりはないんですけど、なかなか結果が出ないんで。そこらへんがやっぱり自分の腕、精神力。そこらへんがまだ新人かな(笑)
アラブが無くなり、荒尾が無くなりで(S1)重賞の数自体が減った、というところもあります。
数が減ったといっても、乗り役の数も少ないし、勝たないとですね。重賞でもそこそこいい馬に乗せてもらってるんで、なかなかそこで結果を出し切れないとね、それが課題というか、1個勝ったら楽にはなるかなとは思うんですけど。
先日の飛燕賞を勝ったダイリンザンにはデビューから3戦乗られてましたが。
そうですね、たまたま真島さんが騎乗停止だったり、自厩舎の馬(カシノマラドーナ)に乗ったりして、代打で乗ったんですけど、その時から「この馬は走るな」と思ってました。2戦目(シリウス特別)であそこまで結果出してくれたんで、やっぱり能力はかなりあるなと。それでチャンスもらって、重賞(九州ジュニアチャンピオン)まで乗せてもらったんですが、勝ってもおかしくはないレースだったのに、ゲート出た瞬間から、最後終わるまで自分では全くひとつも納得のできないままレースで終わってしまいました。でもまぁ、その後活躍してくれているんで、自分的にはそれもいい刺激だし、普段から真島さんの調教とかみているんで、それを自分でもできるように心がけていますね。
九州ジュニアチャンピオン、ダイリンザンは3着
2015年の目標や、意気込みというのは。
そうですね、(S1)重賞勝ちたいですね。重賞1つぐらい勝ちたいし、チャンスがあるなら他所でも乗ってみたいというのもあるし、まぁ目標は小さいのも大きいのも一杯あります。
300勝まであと16勝ですが。
300なので、100勝したときも200勝したときも、後で聞いて、あ、そうなのって感じだったんで。そこはまぁあんまり自分の中では気にしてないんですけど、それほどの馬に乗せてもらっているので、結果を出せれば。何勝したとかいうよりも、(S1)重賞を勝ちたいですね。
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※インタビュー・写真 / 上妻輝行
3月22日に行われるばんえいの大一番、ばんえい記念。その次に負担重量が重く、重要なステップレースとして位置づけられている1月の帯広記念を制したのは、安部憲二騎手(47)騎乗のフクドリでした。
帯広記念は6番人気での勝利でした。
自分のレースができた。フクドリは、平ら(1障害と2障害の間)が強い馬。障害の悪さを克服できたのが大きい。すごく強いわけでも、真面目というわけでもない。ただ、うまくはまると爆発的な力を出す。天板に脚かかるくらいまで一気に上がれると能力を発揮できる。だから、そこまで上げるのが俺の仕事。手前で息入れられると、辛抱できて必勝パターンなんだ。レースの主導権を取れるかどうかだな。
障害で大事なのは「遊び腰」を使わないようにすること。馬は動いているけど、そりが動かないことがあるでしょう、それが遊び腰。あと、考える隙を与えるとサボることがある。大事なのは自分のペースで走れるかどうかだね。
3月1日のチャンピオンカップ(9着)は、あんな速い馬場ではなぁ。一番大事なのは、レースに対して前向きになるよう、気分よく走らせることだから。ばんえい記念に向けて後遺症残さないようにしなくてはいけない。
帯広記念を制したフクドリ
ばんえい記念は、昨年2着(西謙一騎手)でした。
以前は12月や2月に行われていたけど、最近は3月。もう季節が春だから、そんなに馬場は軽くならない。去年のことを考えると、2着とはいえゴール前止まったし、楽なレースではないな。とはいえ、ニシキダイジンが勝った2分半のレース(2012年)みたいに、軽すぎてもだめなんだ。
『この勢いなら行ける』と皆川先生は言うけど(笑)、そんなもんじゃない。されど100キロ。どんな展開になるかにもよるけど、障害まで、いい位置に(つけられるよう)持って行くことに徹底する。やっぱりあの馬のレースをすること! だいたい2週間前から準備を始めるよ。
乗り替わりの安部、という印象があります。
いつ俺にまわってきてもいいように準備はしている。この馬はこうなんだな、とわかるよう、若い時から心がけてた。競馬場で育ったわけではなく、田舎(宮城県栗原市)から出てきたしね。
誰か怪我して突然乗り換わったとき「どう乗ればいいんですか」なんて聞くのはだめ。いつ何があっても、それに対応できるようにしてきた。「馬を知る」ということだね。レースしながら、またはレースビデオを見たりの積み重ね。だいたい今走っている馬は分かっているかな。若馬だとわからないのもいるけどね。日々勉強している。この馬はどう乗ったらいいのか考えているよ。自分が乗らなくても、敵になるわけだから。展開を知るというのは、相手を知ること。絶えず見ることから始まって、今も続いている。
癖のある馬でも、俺に求められているのなら乗るし。そういうの嫌いじゃないんだよね。たとえば、真っすぐ走らなかったりぐるぐる回ったりする馬。シンエイキンカイ(2004年旭王冠賞など重賞3勝)がそうだった。逃げる力がすごいんだ。まっすぐになったら強い、というのは分かっていたから。「おまえやってみるか」って言われて調教からやって、5連勝した。そういう馬で、結果出すと自分の馬になるから、面白い。
フクドリは、見てはいたけどレースで乗るのは岩見沢記念(2014年9月)が初めてだった。乗り替わったら、一発なんとかしてやろうと思うじゃないですか。5着だったけどね。時計が落ち着くと、結果の出せる馬だな、と思っていた。この馬はこうかな?と思って乗ったら、ぴったり合うことがあるんだ。(その後の調子の良さは)相性が合った、というのもある。
若い馬よりは、古馬に強いように思います。
年いくと、若馬のレースは忙しい(時計が速い)から疲れる(笑)。それと、帯広は、いちかばちかが決まることがほかの3場(2006年度まで開催していた岩見沢、北見、旭川)より多いのよ。駆け引きをする、時計のかかる古馬の方が得意かな。
15歳馬コトブキライアン(1月3日・2着)
レース中の作戦は、途中で変えたりするものですか?
馬の反応が良かったら行って、悪ければ止める。若い騎手に『何回止めますか』なんてくだらない質問を受けるけどそうじゃない。俺らの仕事は瞬間芸。200メートルで、誰にも聞くことなくやること。経験がモノを言うんだ。
今年の目標を教えてください。
昨年は、若い騎手が台頭してきたけど、自分では、要のレースを納得できたからいい方かな。もう足の怪我は大丈夫。
今年は年男。ジンギスカン(羊)年。特別力入るわけじゃないけどね。特に変わったことはない。1日1日乗せられた馬を一生懸命やる。今日より明日、明日よりあさって。年明けからいいこと(帯広記念制覇)があったので、これからもいいことあるように。
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※インタビュー・写真 / 斎藤友香
杉浦健太騎手は、昨年の勝ち鞍が62。2013年の39勝から一気に増加して、兵庫リーディング8位に食い込みました。今年はデビュー6年目。成績が上昇してきた理由はどのあたりにあるのでしょうか?
2014年は勝ち星がかなり増えましたね。
だんだんと成績が上がってきたことで、依頼の声をかけてもらえるケースが増えたように思います。声をかけていただいた馬には、攻め馬から乗せてもらうようにしています。
成績が上がってきた要因はなんでしょう?
どうなんでしょう? 経験を積んで、落ち着いて乗れるようになってきたという点が大きいのかなあ。なるべく前の位置を狙っていくことと、思い切ったレースをすることを心がけているところは、以前と変わりないです。園田ではみんな前を狙いますが、でもそこで譲るとかして、消極的な騎手だと思われたくないですし、デビューのころ所属の先生に「引くな、強気で行け」と言われていました。レースで競って先輩に怒られることはありますが、それでビビッていたら成績なんか上がらないですからね。
もともと強気な性格だったんですか?
いや、そういうわけではなかったですね。どちらかというと、流されやすいタイプというか......。周りからは「思い切りがいいな」とよく言われますが、僕としては力が下の馬に乗ったとしても、見せ場は作りたいと思っているんですよ。観ている人にどこかで「おっ?」と思ってほしいといいますか、そういうことを心掛けとして持っています。
そして杉浦騎手は金髪も定着してきた印象があります。
昔から目立ちたがり屋なんです。中学のときは応援団長でしたし、野球部ではキャプテン。学校などでの集合写真をみると、たいてい最前列のセンターで写っているんです(笑)。髪の毛の色はなんというか、昔の反動もあるのかなあ。小学校のころからずっと坊主頭で、騎手になってからもしばらくは坊主。髪の毛が伸びてうれしいという気分がまだあるんです。これからもいろんなスタイルを試したいですね。
杉浦騎手は前向きな性格でもあるようですが、レースへはどういう心構えで臨んでいますか?
新聞は見ますけれども、それは参考にするぐらい。基本的には感性で乗るタイプになるのかなと思います。動物的な感覚を大切にしたいといいますか、乗ったときの雰囲気とか、ゲートを出たときに馬から伝わってくる手ごたえとか、そういうところをポイントにしています。
ただ、距離ロスが少なくなるように、というのは心がけていますね。もっと勝ち鞍を増やすためにはどうすればいいかと考えると、やっぱりいわゆる"ソツのない騎乗"をしていかないと。その上で、木村(健)さんのようなダイナミックな騎乗ができるようになりたいです。
となると、杉浦騎手のセールスポイントは?
うーん、そう聞かれると、まだよくわかりません、という感じになりますね。ただ、去年の成績を下回りたくないとはいつも思っていますし、自分よりキャリアが下の騎手には絶対に負けたくないです。
そのために以前と変えたところなどはありますか?
ときどきですが、トレーニングジムに通うようになりました。攻め馬には20頭ぐらい乗っていますから、筋肉はついていると思うんですが、ジムでは下半身を中心に鍛えています。
昨年はリーディング8位。今年の目標はどうでしょう。
上位の先輩方は強力ですが、そのなかに食い込める余地は出てきているのかなと思います。もっと乗り鞍を増やしたいですし、勝ち星を増やしたい。重賞も勝ちたいですね。あと、今はケガで休んでいますが、同期の田野(豊三騎手)には負けたくないですね。ライバルがいるとそれが張り合いになりますから、早く戻ってきてほしいです。
1月3日の新春賞ではニシノイーグルに騎乗して、懸命なアクションで差を詰めて2着に入線。杉浦騎手らしさが見えた一戦でした。兵庫の上位陣の壁は厚いですが、そこに食い込んでいく活躍を期待したいものです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典