今年も2位以下に70勝以上もの差をつけて、リーディング独走中の、名古屋・岡部誠騎手。
9月15日、名古屋競馬第5レースで、地方通算2000勝を達成!現在の心境をお聞きしました。
赤見:2000勝達成、おめでとうございます!
岡部:ありがとうございます。
赤見:この積み上げた数字、ご自身ではどんな風に感じますか?
岡部:そうですねぇ。最近では年間200とか勝たせてもらっているので、区切りの数字というか、通過点という感じですね。
赤見:今年はすでに172勝(9/18現在)ですし、昨年は怪我もありながら209勝でしたもんね。
岡部:いや~実は年間の勝ち鞍って、きちんと覚えてないんですよ(笑)。
1鞍1鞍、頑張って乗るという意識で。
たくさん乗せていただいて、たくさん勝たせていただいて、周りの方々には本当に感謝してます。
赤見:現在33歳ですが、かなりお若い時からリーディングを獲っていらっしゃいましたよね。
岡部:運もよかったんですけど(照)。馬乗りの勉強はたくさんしました。
今でもそうですけど、何度も何度もレースのビデオを見たり。上手な人のレースを見て、研究しました。
僕がデビューした頃は、名古屋だけでも50人くらい騎手がいましたから。
赤見:特に参考にした方は?
岡部:やっぱり、吉田稔騎手ですね。すごく上手だと思います。
具体的には、レース中に焦るところがないし、周りが見えているんですよ。追う時のフォームもブレないし、カッコいいんです。
騎手は見せる商売ですから、汚いフォームで勝ってもな~と僕は思うんです。綺麗にカッコよく勝ちたいですね。
赤見:その吉田稔騎手を抜いて、2004年に初のリーディングを獲得しました。その時のお気持ちは?
岡部:もちろんずっと、1位獲りたいと思って頑張って来たので、嬉しかったですよ。
ただ、数字の上で勝ち星が上回ればリーディングにはなるけど、技術的に見て、本当に自分が1番なのか...自分がリーディングでいいのかと、考えるようになりましたね。
赤見:これだけ勝っていても?
岡部:稔さんをはじめ、上手い騎手はまだまだいますし、名古屋だけじゃなくて、全国、日本だけじゃなくて、世界を見ても、たくさんの上手いジョッキーがいますから。
もっと上手くなりたい!自信を持ちたい!っていう思いが強いです。
リーディングの2位や3位にいた頃は、「とにかく1位になりたい」と思ってがむしゃらに頑張ってました。
でも、いざ1位になると...続けるのも大変なんだなと感じます。
自分は名古屋の代表というか、顔になるわけじゃないですか。だから、より技術を磨かないといけないなって。
色んな人の期待も大きくなるし、あんまり悩むタイプじゃないんですけど、色々考えるようになりましたね。
名古屋でリーディング獲ってても、いまいちネームヴァリューもないし...。
ダートグレード勝ったり、ジョッキーレースで優勝出来たら、自信に繋がると思うんです。
赤見:今年も来月に、スーパージョッキーズトライアル(SJT)がありますね。
岡部:ジョッキーレースは2位や3位が本当に多くて...(苦笑)。
そこそこ来るんだけど、パンチ力がないんですよね~。
まぁ、まだ優勝するのは早かったということです。そこからまた、勉強も出来ましたし。
ジョッキーレースは、特殊なレース展開になって普段とは違いますから、逆に普段通りに乗れればと思ってます。
SJTや佐々木竹見カップで優勝出来れば、大きなアピールになりますから。
昨年はSJT2戦目の時、怪我で出場出来なかったんですよ。
半月くらい前に、その時の怪我の治療で腕に入れていたプレートをやっと取り除きました。
心身共に身軽になった気がするので、今年も頑張ります!
赤見:それでは、これからの目標を聞かせて下さい。
岡部:今は、地方全体が低迷している時なんで、騎手の1人として競馬を盛り上げたいという気持ちが強いです。
日程とか色んな問題はあると思うけど、全国の騎手たちとファンイベントとか出来たらいいですね。
中央ではファンイベントとかやってるじゃないですか。
個人としては、海外で乗ってみたいです。
1度マカオに遠征したんですけど、今度は誰も乗ったことのないような場所で乗ってみたいですね。
それと、来年くらいは南関東の短期免許に申請してみようかな、とも思うんです。
大井や南関東で、一定期間腰を据えて乗ってみたいですね。
やっぱり、ずっと東海だけで乗っていると他の人たちと比較することも出来ないし、マンネリにもなりますから。
地元を大切にするのはもちろんですが、それだけじゃなく、積極的に刺激を求めて行かないと!!
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※インタビュー / 赤見千尋
9月8日園田競馬場第4レースで、木村健騎手(きむらたけし・35歳)が通算2000勝を達成。
デビューから14741戦目のことでした。
竹之上:達成したあとのインタビューでは、開口一番「ホッとした」って言ってたけど、本当のところはどうだったの?
木村:それが正直な気持ちですよ。自分が思うよりも周りから2000勝のことを言われていましたので、今年中にしますわ!っていつも言ってたんです。
竹:嬉しさはどう?
木:もちろん、嬉しいですけど、2000勝だけが目標じゃなかったですからね。でも、あとから考えてみると、2000勝ってすごいなぁって思えてきて、ホンマに2000勝なん?もう一回確かめてよ!って感じになりましたね(笑)。
デビューから17年目、いまや押しも押されもせぬ兵庫のトップジョッキーとなった木村騎手。今春には結婚をし、順風満帆に記録達成へのカウントダウンが始まった矢先、椎間板ヘルニアを患い戦線離脱を余儀なくされます。
木:あのときは全く動けなくなって、このまま馬に乗れなくなってしまうと本気で思いました。
いくつかの病院で治療を受けるも、一向に良化の兆しが見えない中、お世話になっている馬主さんの勧めで、レーザー治療による手術を受けることになります。
木:手術が終わったら、嘘みたいに動けるようになって、これで馬に乗れる!って嬉しくてしょうがなかったです。
闘病中、新婚である木村騎手は、奥様の献身的な支えで苦難を乗り越えていったと言います。
木:本当にありがたかったです。何をするにもずっと一緒にいてくれて、結婚して良かったなぁとつくづく感じました。
竹:でも、それからが大変やったそうやね。
木:そうなんです。実は、休んでいる間にかなり太ってしまって...。食べるものが美味しくてしょうがないんです。ぼくは普段お米は食べないんですが、お米の味をいまさらながら覚えてしまいました。美味しいですね。
竹:ノロ気ますなぁ(笑)。で、どれぐらい太ったの?
木:60キロぐらいまで...。人生初の大台に乗ってしまって...。
いや、大台はそんな低いところじゃないよ。桁が変わるところがあるのよ。とは、そこに限りなく近づいたことがある筆者は言えず、自分を棚に上げた発言をしてしまいます。
竹:それはヤバいでしょ!
木:横っ腹に肉が乗ってるんですよ、あんなの初めてですわ。だから必死で運動をして、落ちた筋肉も回復させたんです。でもそうなると、筋肉量が増えて、今度はなかなか体重が落ちなくて...。
竹:それで復帰後は斤量を55キロ以上に制限したんやね。
木:いまはようやく54キロまで乗れるようになりましたけど、あと1キロがなかなか大変なんです。でも頑張って落として見せます。
竹:2000勝したということは、来年2月(予定)の『ゴールデンジョッキーカップ』(全国の2000勝以上のジョッキーが集う園田の名物レース)に参戦することになるね。
木:すごく楽しみです。これまでは観る側にいたんですが、みんな隙がなくて厳しいレースをしているんです。だから、そこに加えてもらえるのはとても光栄です。
竹:名手が揃うと言えば、園田には以前、国際レースの『インターナショナルジョッキーカップ』があったけど、参戦したときはどんな感じだった?
木:あのときも凄かったです。内に閉じ込められたら、もうジッとしていないとしょうがないんです。抜け出す隙間を作ってくれないんですよ。
竹:じゃあ、そんな経験がいまに活きてる?
木:そう思います。そのお陰で成長できたと思っています。
ではここで、川原騎手にも聞いた質問を、木村騎手にも投げかけてみましょう。
竹:木村騎手にとって、一流ジョッキーの条件は?
木:(やや間があって)...挨拶です。
竹:へっ?礼儀ってこと?
木:そうです。どこの一流ジョッキーを見てもそうでしょ。人間的にすごい人ばかりです。人柄が良くなかったら、馬を集めることってできないと思うんです。騎手は乗ってなんぼ。そのために基本の挨拶ができなかったら、絶対だめです。
竹:深いなぁ。では、技術面ではどう?
木:ムダなく、ロスなく乗ることができることですね。でも、ぼくの場合、見てもらいたいのはダイナミックな追い方ですけどね。
そう、木村騎手の一番の魅力は、誰にも負けないあのパワフルでダイナミックなフォーム。ただ、そこに至るまでは、ムダやロスのない繊細さが必要なんですね。
竹:パワフルな姿勢は、誰にも負けたくない?
木:もちろんです!誰にも負けたくないです。とくに、馬に負けたくないんです!
うわぁ、馬と勝負してたんですかぁ。だからあの迫力、そら誰も敵いませんわ。
ド派手なオレンジの勝負服に、ダイナミックなフォーム。ファンの皆さんが馬券を握りしめていたら、これほど頼りになる男はいませんよ。
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※インタビュー / 竹之上次男
2006年から4年連続で九州リーディングに輝き、今年もダントツの勝利数でリーディングを独走している、佐賀の山口勲騎手。
8月28日に、佐賀競馬第5レースで地方通算2500勝を達成!早速、喜びの声をお聞きしました。
赤見:2500勝達成、おめでとうございます!達成した時はどんなお気持ちでした?
山口:昔は2000勝まで出来ればいいかな~と思ってたんですよ。
佐賀ではそこまで勝つ騎手が少ないですから。
でも2000勝を挙げた辺りから勝つペースが早くなって。
そこからはあっという間だったというか、意外と早かったですね。
赤見:今年も九州リーディング爆走中ですもんね。
山口:いやいや。今年は荒尾であんまり勝ってないんだけど、地元でかなり勝たせてもらっているので。
ここ何年かはちょうどいいリズムで騎乗出来ているのかなと思います。
赤見:山口騎手の活躍を見て、若手の騎手たちが「勲さん、勝ち過ぎだ」って言ってましたよ。
山口:自分も2位の時は、(1位の鮫島克也騎手のことを)そう言ってました(笑)。
万年2位って言われてましたからね。
だから初めてリーディングを獲った時は、すごく嬉しかったです。
赤見:2006年ですね。鮫島騎手に30勝差をつけての1位獲得でした。
山口:あの時は...途中で落馬して、肋骨3本折れてしまったんですよ。
でもリーディングが懸かっていたので、痛くても我慢して乗りました。辛かった分、1位獲れた時は嬉しかったですね。
赤見:肋骨3本も折れてて騎乗出来るんですか?!
山口:今の立場だったら、調教師や周りのみんなも無理するなって言ってくれるけど、あの頃は若かったし、とにかくリーディングを獲れるチャンスでしたから。
体というよりも、気持ちで乗ってました。
自分は基本的に、怪我してもあまり休まないんですけどね。
1回だけ、腕や鎖骨など3箇所骨折して入院した時だけは、1ヶ月休みました。
休んだのはその時だけですけど、入院が1番辛いです。健康が1番ですね。
赤見:23年騎乗していて、ほとんど休んでいないところもすごいですね。
山口:う~ん...23年か。なんかもうそんなに乗ってるのか...っていう感じですね(笑)。
赤見:そもそも、騎手を目指したきっかけは何だったんですか?
山口:自分は体が小さかったから、中学の時に両親に勧められたんですよ。
最初は競艇の選手になったらって言われて、入学のパンフレットを取り寄せたら、[高校卒業程度の学力が必要]って書いてあったので、こりゃ駄目だなと(笑)。
中学の担任の先生が、北村欣也調教師のお姉さんと同級生だったので、その繋がりで佐賀競馬に入りました。
佐賀出身ですけど、鳥栖市に競馬場があることも知らなかったし、中央と地方があることを知ったのは、騎手学校に入ってからでした。
赤見:学校は辛くなかったですか?
山口:減量がキツイ方じゃなかったので、あまり辛くなかったですね。
同期とも仲がよかったですし。今でもよく連絡取るんですよ。現役で乗ってるのは、名古屋・安部幸夫騎手、福山・片桐正雪騎手、佐賀・真島正徳騎手です。
やっぱり同期は気になりますし、いい刺激になります。
赤見:佐賀・荒尾と騎乗していて、ほとんどお休みはないんじゃないですか?
山口:そうですね。前はゴルフもしてたけど、今は全然。
たまに休みの日があると、前の晩に飲みに行くのが楽しみです。後輩たちと一緒にわいわいやるのが楽しくて。
赤見:飲んだら郷ひろみさんの歌を熱唱するとお聞きしたんですが。
山口:歌いませんよ!いや、歌うかな(笑)。
お酒はけっこう好きですね。
あんまり休みがない分、たまの休みは楽しく過ごしてます。
赤見:それでは、今後の抱負を聞かせて下さい。
山口:今のペースなら、3000勝も目標に出来るかなと思ってます。まだまだ頑張れますから。
それに、リーディングを獲る前は、「1度でいいから獲りたい」と思ってたけど、実際1位になったらもう負けられません。
地元でも1つ1つ大切に乗って行きます。
それと...中央で勝ったことがないので、1勝してみたいですね。
来月はスーパージョッキーズトライアルがあるので、ワールドスーパージョッキーズシリーズの権利が獲れるように、頑張ります!
佐賀は今騎手が少ないんですけど、みんな一生懸命頑張っています。
場内にファンの方がたくさんいると、さらに盛り上がるので、ぜひ佐賀競馬場に遊びに来て下さい!!
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※インタビュー / 赤見千尋