2014年の秋、地方競馬で話題となったのが、「宮下康一騎手が11年ぶりに現役復帰」したということ。ある意味、内田利雄騎手に匹敵する"さすらいジョッキー"といえるかもしれません。
10月に再び騎手となって2カ月ほど経ちましたが、いかがですか?
充実した日々ですね。園田競馬場はコースの形としては笠松に近いかな。インを攻める人も多いし、ペースも動くし、差しも届きますから、馬場の状況を読むことが大切。すごく乗りがいがあるコースです。
デビューから11年弱で1回目の引退をするまで、434勝を挙げました。
名古屋でデビューしたころは、騎手が50人ぐらいいた時代。だからデビュー当初は厳しくて、減量が取れるまではあまり勝てなかったですね。でも減量が取れてからは勝ち星が増えていきました。当時は年間50勝ぐらいのペースでしたが、吉田稔さんがいて、笠松には安藤勝己さん、光彰さん、川原さんがいた頃ですから、今になって考えると、よく勝てたなあと思います。
でも、デビュー10周年を目前にした2000年9月に、新潟県競馬に移籍します。
ずっと、よその競馬場だったらどれくらい通用するのかという思いがあったんですよ。あちこちの競馬場を回りたいなという考えもありました。僕は内田(利雄)さんより先に、それを実行したといえるのかな(笑)。
最初は新潟に行きましたが、そこが(2002年1月に)廃止になって、そのあと上山競馬が受け入れてくれたので移籍して、その年の秋に金沢に移りました。金沢は以前から乗りたいと思っていた競馬場で、元新潟の騎手や知り合いの馬主さんもいましたので、移籍はスムーズでした。
しかし、2003年7月に騎手を引退する決断をしました。
金沢に移ってから、いまひとつ勝ち星が伸びなかったんですよ。なんというか、スランプかなあという感じが続いていて。騎手としてこれからどうしようかという思いもあったときに、大井から調教するのが大変な馬(ネイティヴハート)がいるので、手伝ってくれないかという話が来たんです。大井は厩務員になれるのが30歳までという規定がありましたし。
それで29歳のときに騎手免許を返上したんですね。そして大井に移ったあとも、また移動がありました。
そうですね。その後は茨城の育成牧場で仕事をして、大井の立花伸調教師が妹(宮下瞳元騎手)と(地方競馬)教養センターで同期だった縁で紹介してもらって、群馬の境共同トレーニングセンターにある大井の外厩で仕事をしました。
そんななか、騎手に復帰したいと考えるようになったのはなぜですか?
本格的に考え始めたきっかけは、妹の引退式に行ったことですね(2011年8月)。当時の同僚たちといろいろ話をして自宅に帰って、それから1週間後くらいに、また騎手をやりたいという思いがこみ上げてきました。
でも、それを実現するのは大変なように思えます。
NARに問い合わせたら、引退して5年以上が経っているので新規と同じと言われました。それでもあきらめられないので、まずは受け入れてもらえる競馬場を探しました。いくつかあるなかで、知り合いがいることもあって兵庫を選んだのですが、いざ来てみたら「調教助手になれ」と。それじゃ話が違うということで困ったんですが、騎手が欲しいという厩舎が見つかったので解決できました。
騎手免許の再試験はいかがでしたか?
一発では受からなかったですね。まだ兵庫(西脇トレセン)に来たばかりでしたし、試験官も根性を試したんでしょうか(苦笑)。翌年、2回目で合格できました。乗馬と競走技術の試験がありまして、当然ですが学科もみっちり。試験の前は半年ぐらいかけて、頭のなかに詰め込みましたよ。
そして11年のブランクを経て、競馬場に戻ってきました。これまで(インタビューは12月10日)9勝を挙げていますが、1番人気馬には1回しか乗っていないんですよ。
そうなんですか。個人的にも、予想していたよりは勝てているかなという感じはありますね。取りこぼしもありますが......。復帰したときも競馬に対して違和感があまりなかったのは、体が覚えていたということなんだと思います。(再デビューしてから)年内に10勝というのが最初の目標でしたが、それより少しでも多く積み重ねていければいいですね。ただ、リーディング上位の人は本当にうまい。勉強になります。僕がほしい位置を、いつの間にか取られていることが多いんですよ。
それにしても、騎手を引退すると体型が崩れる人が多いなか、よくそのスリムさを維持できたと思います。
以前は開催が終わったら焼肉だとか、パーッとやっていましたけれど、育成の仕事に携わってからは、それがなくなったのが大きな要因でしょうね。当時は飲み屋でオープンからラストまでとか、そういうことが普通でしたし(笑)、いま考えると、あのころがなんかもったいなかったなあと思ってしまいます。
でも現在は騎手という立場に戻りましたが......。
いや、今は開催が終わっても家にいますよ。子供が小さいので、寝顔を見ながらお酒を飲む程度ですかね。ただ、育成牧場時代に厩舎作業をしていた影響なのか、上腕の筋肉が落ちないんですよ。それでも51㎏をキープできていますから、親に感謝ですね。
今後の目標を教えてください。
妹の勝利数(地方競馬で626勝)も目標ですが、リーディング上位に食い込みたいですね。そして、どんな馬にでも乗りたいというか、むしろ人が断るような馬に乗りたいと思います。名古屋にいたときも"クセ馬専門"という感じでしたが、そんな馬をどうやって誘導すればいい成績が残せるのか、そういうことを考えるのがけっこう好きなんです。
ちなみに宮下騎手の"初騎乗"は、幼稚園のときに出場した、鹿児島県で行われている「串木野の浜競馬」。その後は霧島の草競馬にも出場したとのことですから、競馬歴はかなりのもの。子供の頃からいろんな馬に乗ったその経験が、今も生きているのでしょう。
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インタビュー・写真 / 浅野靖典