兵庫所属の松浦政宏騎手は、2013年9月12日に通算1000勝を達成。兵庫では上位4名の騎手が強力ですが、12月18日現在で第6位となる勝ち星を挙げています。
浅野:通算1000勝達成、おめでとうございます。昨年はケガで半年ほど休んだわけですが、通算1000勝というのが復帰への意識としてあったんでしょうか。
松浦:いえ、それは特になかったですね。デビュー当初から、この仕事はケガがつきものだと思っていましたし、ケガしたからどうのこうのということは考えにはありませんでした。ただ、収入がとどこおるというのは大変でしたけど。
浅野:馬場入場時に負傷したわけですが、復帰まで意外と時間がかかりました。
松浦:最初の診断は全治1週間の打撲だったんですけれど、検査するたびにその期間が延びて、結局全治6ヶ月。左足の十字靱帯損傷のほかに、骨もはがれていて、そこをボルトで押さえてもまた取れる可能性があるらしかったんですよ。そういうわけで、中途半端な状態で戻るよりは、リハビリをしっかりしたほうがいいだろうという結論になったんです。
浅野:リハビリ中はどんな感じだったんですか?
松浦:リハビリ担当の医師から言われたことを家でずっとやっていましたね。4ヶ月後あたりから走れるようになって、半年後の12月中旬から馬に乗れるようになりました。今も手術したところが突っ張ることはありますが、実戦では意識することがないレベルですね。乗っている感覚も前と変わらないです。ただ、まだ正座はできないんですよ。
浅野:松浦騎手は騎手を引退して、4年後にまた騎手免許を取得されました。その間、よく騎手の体型を維持できたなあと思います。
松浦:ウチの一族には大きい人がいないので、そういう家系なんでしょうね。競馬から離れているときも、体重のことは気にしていませんでした。でもこの間のケガで休んでいるときに、少し体型が変わった感じはしますね(苦笑)。
浅野:それでも今年1月下旬に復帰したあとは順調に勝ち星を重ねてきています。
松浦:関係者の皆様にいい馬に乗せていただいているからですよ。そのおかげでの成績だと思います。自分としては、ファンや関係者のかたに納得していただけるレースをするということをいちばんに心がけていますね。新聞紙上の印がどんなのであろうと1戦1戦を一所懸命に乗る。それはデビュー当初から思っていることです。
浅野:そのなかで、数々の印象深い勝利を残してきました。多くのファンには、勝負どころから一気に差を詰めてくる紫の勝負服というイメージが、強烈に頭に刻まれているように思います。
松浦:やっぱりそう思われているんでしょうね。でも個人的には逃げ馬だったら逃げたいし、その馬の持ち味を出す乗り方をしようという気持ちですよ。
浅野:確かに、ポアゾンブラックとのコンビでは先行策で活躍しました。
松浦:あの馬は乗ったときから違うと思える感覚がありましたね。能力があるからこそ、難しい面もありました。1400mくらいまでなら押し切れるんですが、それ以上だと折り合いがどうしてもカギになります。兵庫ダービー(2着)のときは乗り難しかったですね。でも、それからJRAに移籍して活躍しているのはうれしいことです。
浅野:またトップを目指せる馬に巡り会いたいですね。
松浦:そうですね。ただ、レッドゾーンにしてもポアゾンブラックにしても、自厩舎の馬なんですよ。また活躍馬に乗せてもらいたいですが、ほかの厩舎から乗ってくれと依頼される騎手になってこそだと思うんです。そういう存在になれるように、技術はもちろんですが、人間として一流に近づいていきたいです。
浅野:松浦騎手がここまで来ることができた原動力は何なのでしょうか。
松浦:実家は社(やしろ・現在は兵庫県加東市)で、父親の勧めで騎手という仕事を考え始めて、那須(地方競馬教養センター)に行ってから初めて馬に乗ったぐらいなんですが、やるからにはやっぱり負けたくないなという思いはありましたね。でもすべては、いい人たちに出会えたことだと思います。
浅野:今後の目標などはありますか?
松浦:具体的な目標はないですね。任せられた馬を関係者が考えている成績より上に連れていけるように。それを積み重ねていくだけです。
受け答えに派手さはありませんが、それは松浦騎手がもつ誠実さと職人的な気持ちから来ているのだという印象を持ちました。コツコツと成績を積み重ねてきた松浦政宏騎手のさらなる前進に期待していきたいと思います。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典