8月8日に地方通算2000勝を達成した永島太郎騎手。2000回目の先頭でのゴールは地元・園田競馬場ではなく、期間限定騎乗中の門別競馬場でした。デビュー28年目を迎えてもなお「勉強になることばかりだった」という門別での日々や、8年ぶりのJRA遠征、後輩騎手との交流、そして2000勝を達成したことで新たに見えてきたことなど、たっぷりと語っていただきました。
地方通算2000勝おめでとうございます! 門別競馬場での達成でしたが、まずは門別で期間限定騎乗をした経緯を教えてください。
9年前に門別で期間限定騎乗をさせていただいた時、大きい馬場での競馬で勉強になることがいろいろあったので、翌年から「もう一度行きたい」とずっと思っていました。でも、なかなか行けるタイミングがなくて、さらに父の病気が見つかり関西を離れられませんでした。父は残念ながら今年、亡くなったのですが、時間ができたのでジョッキーの間にもう一度行ってみようと思ったんです。
普段、騎乗している園田競馬場は1周1051メートルで小回りコースと言われます。1周1600メートル(外回り)の門別競馬場はどういった点が違いましたか?
もう、まったくスタイルが違いますね。走る馬は同じでもコース形態によってこんなにも走らせ方が変わるんだな、と衝撃的でした。競馬は決められたルールで乗っていますが、ルール上では収まりきらない位置の取り方などが園田と門別は両極端なくらい違います。ペースも園田だと2ハロン目に時計が一番遅くなるんですが、門別はJRAと同じで2ハロン目が一番速くなって、馬の抑える場所や抑え方もまるで違いました。勉強になりましたね。
そうなると、門別は直線も330メートル(外回り)ありますから、差しも決まりやすそうですね。
テレビで見ていると、4コーナーを先頭で持ったまま回ってきた馬が絶対に伸びるだろうと感じるのですが、後ろの馬に差し切られたりするんですよね。まだ期間限定騎乗は2回目ですが、今回の2カ月でもまだまだ分からない部分がいっぱいありました。
期間限定騎乗は7月10日からでしたが、前週には重賞・グランシャリオ門別スプリントに騎乗。その日、エキストラ騎乗の1鞍目をマイコートで勝利しました。今回の門別遠征では実質的な初勝利で、同馬とはJRA札幌競馬場でコスモス賞(6着)にも挑みました。2010年以来となるJRAでの騎乗はいかがでしたか?
札幌競馬場なんて乗れることがないので、ありがたかったですね。門別は冬のオフシーズンに騎手やスタッフが1歳馬や2歳馬を乗り慣らして競走馬に育て上げています。だから、仕上げた馬は自分たちが乗りたいっていう気持ちがあるでしょうし、地方競馬のジョッキーはみんなJRAで乗りたい気持ちが強いです。そんな中で僕が乗せてもらえたっていうのは、騎乗できたこと以上に感謝の気持ちが大きかったです。阪神競馬場や京都競馬場でも乗せていただきましたが、その感触とはまた違って、洋芝で生えそろった根付きのいい、1本1本が太い芝のじゅうたんの上を走っている感じでした。馬の脚には優しいけど力もいるであろうクッションのいい芝でした。いい経験をさせてもらいましたね。
貴重な経験といえば、門別競馬場には屋根付きの坂路コースがあります。調教で乗ってみていかがでしたか?
1度だけ美浦の坂路は上ったことがありましたが、日常的に坂路調教をするのは初めてでした。馬が他に気を取られず駈け上っていくことに集中するので、乗りやすかったですね。ウッドチップなので脚にも優しいんじゃないですかね。若馬は骨がまだできていない状態で強い負荷をかけるとどうしても痛みが出たりしますが、脚元への負担が軽くなる分、もっと強い負荷をかけられるんだと思います。そうして若いうちに鍛えられるから基礎体力がついて、ホッカイドウ競馬の2歳馬は早い時期からしっかり結果を残せるのではないかと感じました。
8月8日門別10レース、ゴッドパイレーツで地方通算2000勝を達成されました。改めておめでとうございます!門別に旅立つ前からこの記録は意識されていましたが、永島騎手にとって2000勝とはどんな数字ですか?
月並みな言葉ですけど、デビューした時は「まさか」って思っていた数字です。後輩で僕より早く2000勝に到達した人もいますし、もっともっとたくさん勝っている人もいますが、僕の騎手人生でひとつの大きな数字まで辿り着けたことは幸せで、素直に嬉しかったです。
達成の瞬間は覚えていらっしゃいますか?
あの日は早いレースに勝ちを強く意識できる馬に乗せていただいていたので、それで決めなきゃなって気持ちがありました。でも、2着に負けてしまったんです。これまでどのレースに対しても「勝ちたい」って気持ちで挑んできましたが、2000勝まであと1つのレースで2着になったことは、今までにないくらい悔しさや脱力感がありました。引きずりはしなかったですが、たくさん2着に負けてきた中で、初めての感覚でしたね。
2000勝目をさせてもらったゴッドパイレーツもチャンスがあったんですが、なかなか勝ちきれない馬でした。何か足りない部分を補って勝ちきるためには、メンバーや枠を考えた末、「スタートを決めて逃げること」と考えました。その通りに逃げて勝てたことで、2000勝目にしてやっと自分が思ったレースができたなって思いました。濃い一日でしたね。
2000勝の記念撮影には多くのホッカイドウ競馬の騎手たちも駆け付けていましたね。
2着に敗れた早いレースでの達成だったら、もっと色んな人が写真に収まってくれると話してくれていました。でも、それを取りこぼしてしまったのでね。門別競馬場は調整ルームまで車で移動しないといけないくらい遠くて、2000勝目を決めたのが最終レースの1つ前。その頃まで乗っている騎手も少なかったんですが、若いジョッキー達も並んでくれました。岩橋(勇二)くんなんかは、自分のレースが終わって帰っていたのに、わざわざ着替えて来てくれたらしくて本当に嬉しかったですね。
園田競馬場でも行われた2000勝達成セレモニー(9月14日)
2000勝を達成したいま、目標やこれからのビジョンを教えてください。
長年、騎手としてやってきた中でいろんな心境の変化がありました。2000勝というひとつの区切りを達成したことと、門別では今まで自分が20何年乗ってきても分からなかったゲートや道中の運び方など勉強になることが多かったので、帰ってきた園田ではフレッシュな気持ちで乗れるんじゃないかと楽しみです。
そして、2000勝を達成した今、勝つことにすごく貪欲になりました。「乗るレースは全部勝つ!」くらいの気持ちです。
最後にオッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
僕たち競馬人は、衣食住に関わる仕事ではなく、ともすれば世の中に必要のない部分で生きているのかもしれません。そんな中でも競馬の世界で生かさせてもらえているのは、ファンの方が馬券を買って楽しんでくださっているからです。だから、ファンのみなさんに「また買いたいな」って思ってもらえるような競馬をずっと続けていきたいと思っています。ぜひ馬券を買って楽しんでください。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
デビューから25年目を迎えた、兵庫の永島太郎騎手。小牧太騎手・岩田康成騎手に継ぐナンバー3の時期があったり、兵庫リーディングトップ10に入れない時期があったりと、まさに山あり谷ありの騎手人生を送っています。そんな永島騎手に、現在の想いを語っていただきました。
今年ここまで31勝(6月16日現在)、リーディング8位につけています。激戦区の兵庫で、2010年からは常にトップ10に入っていますね。
もっと勝ちたいと思っているけど、なかなか結果が出せていないです。数年間はもっと良かった時代があったので、現状に納得はできていないですね。兵庫だけじゃなくいろいろなところで乗せてもらって、上手な人はたくさんいるし、上には上がいっぱいいます。競馬は結果がすべての世界なので、誰かを意識するよりも自分自身との戦いですね。
今年25年目になりますが、ここまでのジョッキー生活を振り返るといかがですか?
気持ちも体もデビューした頃と変わらないつもりですし、40歳過ぎたけど年老いた感じはないです(笑)。いろいろなめぐり合わせの中で生きてきましたけど、振り返るとあっという間でした。僕のような波の激しい、激動のジョッキー人生っていうのはなかなかないんじゃないですかね。普通は平坦だったり、上ってそのままだったり、落ちてそのままだったりしますけど、僕は上がって下がってまた上がってのジェットコースター人生ですから(笑)
その激しい波というのは、どんなことが影響していると思いますか?
自分自身は特に変わっていないと思うんですけど、人から見て評価されたりされなかったりという感じなんですかね。どんなに自分が頑張っていると思っても、人に評価されなければ上には行けない世界ですから。あとは、「よし!今から」という時に、2度大ケガをしたこともありました。腕じゃなく脚だったので時間が掛かって、半年休んだ時と4か月休んだ時がありましたね。こういうめぐり合わせもあるんだと思います。ただ、いろいろな出会いがあって、人付き合いは恵まれました。普通では出会えない人と会えたし、本当に有難い出会いが多いです。
永島騎手は地方の騎手には珍しく、かなり転厩が多かったですよね。
そうですね。最初は自厩舎の調教師が勇退して解散になったんですけど、当時はいい順位にいたので、勝負を賭けようとリーディングトレーナーの厩舎へ移りました。でも結果を出すことができなかったし、周りからもあまり良く思われなかったですね。
リーディング厩舎へ移籍というのはかなり目立つ行動ですし、そういう積極的な動きを良く捉えない人もいますよね?
あの頃は精神的に辛かったですね。なんだか八方塞がりみたいな感じでした。これまでと同じ世界の中で勝負しているけれど、環境が変わると人の見る目も変わりますから。でもその時、家族をはじめ身近な人たちが助けてくれて。特に、妻の父から言われた言葉が今でも忘れられません。昔の人の言葉なんですけど、「過去と人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」っていう。人が人がと考えていても仕方ないし、なるようにしかならないんだなと気持ちを切り替えられました。
激動のジョッキー人生を25年間続けて来られたモチベーションというのは?
やっぱり、結婚して家族ができたことが大きいですね。家族に対する責任もありますし。それに、僕は騎手という仕事が大好きなんですよ。まだまだ乗っていたいし、もっと上手くなりたいです。1レース1レース、まだまだ反省点がいっぱいありますから。
騎手・永島太郎の売りは何ですか?
技術的には負けてないと思っています。プロの世界なので、そこは負けたくないですね。
具体的なことを言うと、捌きです。馬群にいる時、(アクセルを)踏んでから詰まると控える力が大きくなってダメじゃないですか。同じ詰まるでも、踏んでから詰まるのと踏む前に詰まるのでは全然違うので。踏んで控えて踏んで控えてみたいなシーソーのようなレースはダメなので、そこは大事にしています。流れの中で今踏めば大丈夫というのはわかって来ました。そういう部分の技術では負けないです。ただ、結果がついてこないと負け犬の遠吠えになるので、もっと経験を積んでもっと上手くなりたいです。
昨年の六甲盃では、ハルイチバンに騎乗して逃げ切り勝ち。人気馬を抑えての勝利は気持ち良かったんじゃないですか?
そうですね。あの時は代打で騎乗のチャンスをもらって、積極的なレースをしました。逃げたので砂も飛んでこなかったし、本当に乗ってて気持ち良かったです。ああいうチャンスを物にして、自分のお手馬に繋げて行けるかがカギですから。
2014年3月6日、ハルイチバンで六甲盃を勝利(写真:兵庫県競馬組合)
では、今後の目標を教えて下さい。
2000勝という数字が見えて来たので(6月16日現在1820勝)そこに向かって頑張りたいです。今の流れだと、劇的に勝ち星が変わることはないけれど、1つ1つコツコツと積み上げて行きたいですね。園田では毎年2000勝以上のジョッキーが集まるゴールデンジョッキーカップがあって、2000勝というのはやはり意識しています。あのレースは誰もバタバタしないんですよね。個々に色んなアクションはしているけど、無駄な動きをしないんです。進路も甘くないし密集して走っている中で、ギアチェンジもしっかりしているし、完全に手の内に入っているから少しの隙間、一瞬の隙間を付いてパッと伸びて来られる。間近で見ていてとても勉強になります。
兵庫は常に激戦区と呼ばれますけれども、ここ最近も、若手からベテランまで揃っていますね。
みんな生き生きと乗っているんで、そういう中で僕も乗れて楽しいです。特に最近は若手が頑張っていますよね。その中でも僕が注目しているのは鴨宮祥行です。体が大きくてまだ無駄な動きが多いけど、すごく頑張っていますよ。乗り馬で成績が左右されるので、今後は技術を磨くことと、人間関係が大事。周りから信頼されて、可愛がってもらえるジョッキーになって欲しいです。
今年も『その金ナイター』が始まりました。4シーズン目ということで、かなり定着しましたね。
でも地元でもまだ知らない人がいるんです。競馬は衣食住には関係ない、なくても生きて行けるものなので、継続的に魅力を伝えていかないと。ナイターはまた違う視点で見てもらえるし、平日の昼間では見られない人にも見てもらえるので、たくさんの方に楽しんで欲しいです。どこの競馬場ももちろんですけど、その中でも兵庫のレースは激しいと思っています。ギリギリのところで戦っている、激しいバトルを見て下さい!
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※インタビュー / 赤見千尋
兵庫の騎手会長を務めていたこともある人望の厚いベテラン、永島太郎騎手。10月12日現在、兵庫リーディング4位。今年は順調に勝ち鞍を伸ばし、自身久々となるリーディングトップ5入りも可能性十分な位置につけています。
秋田:どうして騎手になろうと思ったのですか?
永島:父親が競馬好きで、京都競馬場に連れていってもらったんです。その時に、目の前で走っていく馬と騎手を見てかっこいいなと思ったことがきっかけです。中学校を卒業する前に背が小さかったので、騎手になろうと思いました。
秋田:まずはJRAの受験をしたのですか?
永島:はい。中学3年の時に受けて、2次試験で体重がオーバーしてしまったんです。43キロが規定ですが、実際に体重計に乗ったら43.7キロで......。その時点で試験官には、帰れと言われました。体重を計ることが分かっていたのに、前日バカ食いをしてしまって。騎手として、その日に体重を調整するには一番大切なことなので、それは仕方ないですね。
秋田:でも騎手は諦めずに、地方競馬の受験に気持ちを切り替えたんですね。
永島:JRAの受験では体重で失敗してしまったのが現実。その時は成長期なので、1年間我慢してJRAの試験をまた受けるまでに、自分が成長しないという自信はなかったですし。地方競馬の受験の時は、体重もしっかりクリアしました。
秋田:デビューは1991年4月29日、エルテンリュウに騎乗し、初騎乗初勝利。その時のレースは覚えていますか?
永島:鮮明に覚えています。同期の2人はこの日何鞍か乗っていたのですが、僕はこのレースだけでした。この馬自身も未勝利で人気もなかったので、気楽というか、ただ後ろをずーっとついていったら、いつの間にか先頭に立っていたんですよ。勝っちゃった、という感じでしたね。でも、しっかりガッツポーズはしていました(笑)。
秋田:それから22年。地方通算1630勝、重賞は16勝をあげています(10月12日現在)。これまでに思い出に残っている馬やレースを教えて下さい。
永島:レースに関しては、特にこれというのはありません。馬はノースタイガーというアラブの時代の馬です。今もたくさんいい馬に乗せてもらっていますが、あの馬の背中の感触を超える馬はまだいません。
秋田:1998年の兵庫大賞典を勝っていますね。どんな馬だったのですか?
永島:説明は難しいのですが、本当にいい背中でした。車でいうと高級車ですよね。アクセル吹かせばグッと進むような。4歳の時に10連勝しましたが、気性が激しくてね。一度、重賞でゲートを潜ってしまって競走除外なったことあるんです。ゲートが開いたら一目散に走っていくという、そんな逃げ馬でした。除外になった時は、誰よりも早くゲートを出たんですけどね(笑)。もちろん、兵庫大賞典も逃げ切りでした。
秋田:ノースタイガーを超える馬に出会えるといいですよね。
永島:そうですね! だから、今もいろんな馬に乗せてもらえるのが楽しみなんです。
秋田:これまでに、大きなケガはされましたか?
永島:23歳の時です。お正月開催の最初のレースで、準備運動中に他の馬がバカついて、その馬と自分の馬に挟まれてしまったんです。それで、足の指が5本とも折れてしまいました。年始早々のレースだったし、その馬も勝てるチャンスがあったので乗りたかったんですけど、足が痺れていたので馬から降りたら最後、もう立てなくて......。長靴を脱いだら、骨が折れているものだから、指がぽろぽろーんという感じで...
秋田:そ、それは、想像を絶します......。復帰までどれくらいかかりましたか?
永島:4カ月くらいです。
秋田:たったの4カ月間で!? でも、騎手の4カ月間は大きいですね。
永島:ちょうど、小牧さんと岩田君の次で、リーディング3位。良い感じに成績も上がっていた時でしたから。でも、その2年前に結婚して、ちょうど妻が妊娠して臨月の状態で......。妻には迷惑をかけてしまいましたが、生まれてくる子供のためにもがんばらなくちゃという気持ちでした。
秋田:さて、今年はリーディング4位という位置です。今のところご自身の評価はいかがですか?
永島:僕のように、ある程度の成績をおさめたり、ガタガタ下がっていったり、こんな騎手は珍しいタイプだと思います。また今年はたくさん勝たせて頂いているので、この良い流れに自分の技術がちゃんと繋がっていくように、まだまだがんばりたいです。
秋田:ところで、兵庫の騎手って、なんでこんなに層が厚いと思いますか?
永島:先輩の厳しさだったり、後輩の研究熱心さだったり、そういうことが受け継がれているのだと思います。調整ルームで一緒にレースのビデオを見ている時に先輩からアドバイスを受ける、それに真剣に耳を傾けて、次の日にでも実践しようとする後輩の姿がある。そんな日常が伝統になっているんですね。
秋田:兵庫競馬といえば、9月7日から「そのだ金曜ナイター」が始まりました。初日の感想を聞かせて下さい。
永島:ナイターの実施は、以前から関係者の一つの願いだったので、やっと辿りついたという気持ちでした。やはりお客さんの層も違いましたし、入場してくれた人も多かったですよね。久しぶりにあんなに盛り上がった中でレースができたので、僕たちもモチベージョンがあがりました。
秋田:実際にレースに騎乗してみていかがでしたか?
永島:僕自身は、ナイター競馬に乗ったことがありましたし、基本的に騎手は、ある程度の明るさがあれば乗れます。朝の調教だと、もう少し暗い状態で乗っていますし。
秋田:馬もいつもと違うリズムになるわけですが、影響は?
永島:それは馬によりけりですけど、厩務員さんもプロなので。ご飯を食べて、どれくらいでレースだっていうことは馬も分かっていますし。調教も、レースに合わせて行っていますから。ただ、ナイターの時だと明るい暗いがはっきりしているので、急にテンションが上がってしまって、本来の力が出せないという馬も、時にはいると思います。
秋田:ナイター開催の手ごたえは?
永島:もちろん手ごたえはあります。若い方や、家族連れが多くて、昼間の開催とはちょっと違うスタンドでした。ファンに楽しんで頂けると思ってみんながんばっていますので、もっと認知度が上がればお客さんは来てくれると思います。
秋田:では最後に、今後の目標を教えてください。
永島:騎手という仕事が好きなので、もっともっと上手くなってがんばりたい。人前に出る仕事ですから、有名になりたいですね!!
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※インタビュー / 秋田奈津子