今年でデビュー27 年目を迎える宇都英樹騎手は、愛知県騎手会の会長。勝利を目指す仕事のほかに、競馬の活性化や情報発信などにも心を砕いている。これまでを振り返りつつ、名古屋競馬と自身のこれからについても話を伺った。
宇都英樹騎手が騎手デビューした当時の名古屋競馬は、騎手同士の戦いも激しかった。
入ったときは騎手が55 人くらいいて、いちばん多かったときが58 人かな。調整ルームに入りきれないくらいでしたよ。だから乗り鞍の確保が大変。同じ年代に安部幸夫騎手、吉田稔騎手などがいるんですが、みんな5 日間の開催で2 ケタ乗れない程度の騎乗数でした。調教でも乗る馬があまり回ってこないという時期が5年くらい続きましたね。でも、それが当たり前だと思っていた部分があったかもしれません。
それでもなんとか上を目指したい。その想いは巡りあわせの幸運もあって、少しずつ花開いていく。
僕は鹿児島県出身なんですが、名古屋競馬にはなぜか同郷の人が多くてね。僕の父がウチの厩舎の厩務員さんと知り合いで、竹口勝利調教師が騎手を探しているから、と聞いてきたことがこの世界に入るきっかけです。でも入ったら兄弟子がいて(笑)。最初はいろいろと厳しかったですが、そのあと宮下兄妹(康一、瞳の両騎手)が来てくれたことで、他の厩舎に顔を出せる余裕ができました。
その頃ですね、マルブツセカイオーに乗れることになったのは。主戦の戸部尚実騎手が体を悪くして、代役が回ってきたんです。あの馬で東海桜花賞を勝たせてもらいましたが、運もよかったですよ。その年から東海桜花賞が名古屋開催に変わったんです(前年は中京競馬場の芝2000m)。左回りと芝が苦手だったマルブツセカイオーにとっては、本当に大歓迎。自分も『どうせ1 回きりだろうし』と思って開き直って騎乗しました。ヘタを打ったらどうしようかと考えたってキリがないですから。
その結果、東海所属馬による大レースを勝利。しかしながらその頃は、笠松競馬所属馬が名古屋の重賞戦線で大攻勢をかけている時期でもあった。
あまりに笠松の馬に勝たれるので、荒川友司調教師(故人)にグチっぽく文句を言ったら『ウチらが来られなくなるような馬を作ってみろ』と返されまして。そんなこともあって、少しずつ意識が変わってきたように思いますね。坂路もできましたし。
そういった対抗意識が、2000 年以降に全国区の活躍馬を送り出した要因になったのかもしれない。
でも今はそういう馬が少なくなりましたね。昔はどのクラスでも力関係の判断が難しいレースが多かったですよ。でも今はだいたい堅いでしょ。もっと面白みのある番組を作ってくれと、主催者にはよく掛け合っていますよ。その上で、話題性のある馬が出てきてくれれば。最近で僕が乗った馬でいうと、マリンレオとかね。
アラブながら、サラブレッドの重賞を制したマリンレオ。その馬で宇都騎手は福山のアラブ大賞典と金沢のアラブグランプリを勝利した。そのときは『本当は吉田稔騎手が乗る予定だったんですが、都合が悪かったらしくて、僕に依頼が回ってきた』という経緯だったそう。やはりこの世界で成功するためには、実力以上に縁が重要なのだと感じずにはいられない。それらを武器に実績を重ねてきた宇都騎手は、3年前から騎手会長を務めている。
任期は2年なんですが、昨年また再選されまして。そのなかで、昨年から騎手ズボンに広告を付けるということを始めました。いろんな企業やお店に営業に行きましたよ。なかなかうまく進んではいませんが、でもこうやって動いていくことで、「競馬場の人はがんばっているんだな」と、わかってもらえればと思いますからね。大震災のときは騎手会で募金活動もやりましたし、競馬場のお祭りにも協力しました。騎手はレースで一所懸命に乗るのが本分ですが、それ以外にもいろいろやっていかないと。お客さんが競馬をやめてしまったら、もうおしまいですからね。
騎手会長として、そして名古屋競馬を愛する者として、宇都騎手はさまざまなことを考えている。しかし本人もひとりの騎手。向上心は忘れていない。
デビュー当初はリーディング20位以内には入りたいなと思っていて、それが実現したら次はリーディングジョッキーカップに乗りたいなとなって。そうしたら今度はそれを勝ちたいってなるじゃないですか。いい馬に乗せてもらって教えられたことも多いですが、そういった気持ちがあることが、教養センターであんなに下手だった自分がここまでこられた理由かなと思います。
宇都騎手の通算勝利数は1700あまり。2000勝という数字も見えてきた。
去年、レース中に他馬の落馬に巻き込まれる形で、右の鎖骨を骨折してしまったんですよ。それで今は騎乗数を少しセーブしているんですが、2000 勝......、できるかなあ。最近のペースなら4年後くらいですかね。なんとか頑張ります(笑)。
名古屋競馬の騎手界は、若手の台頭もあって激戦区なのは今も同じ。そのなかで2010 年と2011 年はシルバーウインドとのコンビでグランダム・ジャパン古馬シーズンに参戦した。
あの馬は先頭に立つと気を抜くし、ゲートでも落ち着かないし、乗り難しいタイプ。あと、夏に弱いのがね......。去年の金沢(読売レディス杯)のときなんて、暑いのに全然汗をかかなくて、ゲート裏でダメだと思いましたもの。そんな状態でも3着に来るのだからすごいですよね。今年は3歳のマザーフェアリーが楽しみな存在。グランダムも狙えたらと思っているんです。
宇都騎手は「名古屋競馬場を夢のある場所にしたい」と口にしていた。それにつながっていくように、騎手会長は自分から動く。このインタビューのあとも、広告ズボンの広告主のところにあいさつと営業に行く予定になっているとのことだった。
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宇都英樹(名古屋)
1968年8月14日生まれ しし座 A型
鹿児島県出身 竹口勝利厩舎
初騎乗/1986年10月16日
地方通算成績/11,761戦1,736勝
重賞勝ち鞍/東海桜花賞2回、アラブ大賞典(福山)、
アラブグランプリ(金沢)、ゴールド争覇2回、
ゴールドウイング賞2回、名港盃2回、くろゆり賞(笠松)、
スプリングカップ、尾 張名古屋杯2回など27勝
服色/胴青・黄一本輪、そで青黄縦じま
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※成績は2012年2月29日現在
(オッズパーククラブ Vol.25 (2012年4月~6月)より転載)
騎手会長として、常に名古屋のジョッキーたちを牽引している、宇都英樹騎手。今年から、騎手ズボンを活用した企業広告も取り入れ、名古屋競馬を盛り上げるため、日々力を注いでいます。
赤見:騎手ズボンの企業広告は、どういった経緯で始めたんですか?
宇都:一年に一回、全国の騎手会長が集まって会議をするんですけど、その時に園田の三野孝徳騎手に話を聞いたんです。園田から始まったことですから、詳しくシステムを教えてもらいました。そこから名古屋の競馬組合と協議して、実現に至ったわけです。
赤見:具体的には、どんな内容ですか?
宇都:基本的には90騎乗で、ズボン代と印刷代込みで3万円です。あと新しく、半年7万円、1年14万円というのもあります。1年はさすがにズボンが持たないと思うので、新しいズボン代も入ってます。実際に履いている騎手の反応もいいんですよ。自分でズボンを買わなくていいし、広告ズボンを履くとよく勝つから縁起がいいっていう人もいるくらい。企業名を背負って騎乗するわけですから、責任もあります。なかなかスポンサーを集めるのは大変だけど、オッズパークさんも早速協賛してくれたし、馬主さん関係の会社もいくつか協賛してくれてます。
赤見:今後はどういう展開を考えていますか?
宇都:大きな震災もあって大変な時だから、出来ることはやりたいですね。これまでも募金活動などをして来ましたが、8月15日にはジョッキーサイン会やチャリティーオークションをする予定です。こういうことは、やり続けるとこが大事だと思います。それに、ファンの方と直接触れ合えるのもいいことですよね。ファンあっての競馬ですから、騎手の立場からも何とか盛り上げて行きたいです。
赤見:宇都騎手はデビュー25年目ですけど、長く続ける秘訣は何ですか?
宇都:なんですかねぇ...。あんまり考えたことないけど。でもまさか、自分が1000勝も出来るなんて思ってなかったんですよ。
赤見:そうなんですか?!今では1600勝以上勝ってるのに。
宇都:もうそんなに勝たせてもらったんですね。周りの方たちのお陰です。私は最初本当にへたっぴだったんですよ(苦笑)。だから初勝利もデビューから5ヶ月以上かかったんです。厩舎にはいい馬がたくさんいたので、なかなか乗せてもらうチャンスもなかったですし。吉田稔騎手や安部幸夫騎手と同期なんですけど、彼らは学校時代からすごく上手かったんです。彼らに追いつきたくて、ただがむしゃらにここまでやって来ました。この世界しか知らなかったというのも、今になってみれば良かったのかもしれませんね。
赤見:騎手になったきっかけは何だったんですか?
宇都:生まれは鹿児島なんですけど、親戚が名古屋の竹口勝利厩舎で厩務員をしていて、「騎手が欲しい」ということで、中学を卒業してすぐに競馬場に入りました。中学生の頃から新聞配達をしていたので、朝が早いことは苦にならなかったんですけど、馬なんて見たこともなかったから、最初は大変でした。夢見てた世界と全然違ったしね。でも、九州から出て来ちゃってるから、帰るわけにもいかないし(苦笑)。頑張るしかなかったです。
赤見:長いジョッキー人生を振り返ってみて、強く想い出に残っているレースはありますか?
宇都:たくさんありますけど、その中でも【マルブツセカイオー】の東海桜花賞(1995年)ですね。その時は戸部尚実騎手が怪我をしてしまって、代打で騎乗が回って来たんです。1番人気だし、責任重大でした。当時、東海桜花賞は中京競馬場の芝コースで行われてたんですけど、その年から名古屋のダートに変更になったんです。【マルブツセカイオー】は芝よりダートの方が得意だし、右回りの方が合うから、コース替わりはラッキーでした。幸運も重なって、そのレースで結果を出したことで、周りに信頼してもらえるようになったんです。それまでより、騎乗数も増えましたね。今思うと、大事な一戦でした。
最近では、【シルバーウインド】もいろいろな想いをさせてくれますよ(苦笑)。ゲートがちょっと悪くて、道中はかかり気味、早めに先頭に立つと遊ぶんです...。こないだの金沢(7/19読売レディス杯3着)も、最後遊んでるんですよ。勝った馬【エーシンクールディ】はさすがに強いけど、2着の馬【キーポケット】とは差がなかったですから。やれば出来る子なのに、なんで...って、歯がゆくなります。でも、長い間ずっと最前線で頑張ってくれて、この馬には本当に頭が下がる思いです。関係者も私を乗せ続けてくれるし、ありがたいですね。これからも【シルバーウインド】と共に、地元はもちろん全国でも頑張りたいです。それだけの能力のある馬だし、チャンスもあるはずですから。
赤見:今後、さらなる目標は何ですか?
宇都:まぁ、年齢も年齢だし...(8月14日で43歳)。とにかく怪我しないようにというのが1番です。そして、乗せてくれる関係者も、ファンのみなさんも納得出来るような結果が出せればなと思ってます。名古屋は個性溢れる騎手がたくさんいるんですよ。ベテランは全国でも通用する技術を持ってる人間が揃ってるし、若い子たちもすごく頑張ってて上手くなってます。ぜひたくさんの方に競馬場に足を運んでいただいて、応援して欲しいですね。
赤見:でらうまグルメもありますもんね。
宇都:そうです。地元の名物料理がたくさんありますから。それに、近くに水族館や遊園地もあるので、昼間は名古屋競馬で、夜はそちらで楽しむというコースもありますよ。家族連れやデートで、ぜひ遊びに来て下さい!
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※インタビュー / 赤見千尋